「ねえ、夢占いって信じる?」
隣を歩くサキがそんな事を言った。
夕方、学校の帰り道。ブレザーに上着を重ね、そのポケットに両手をつっこみながら歩く僕は、少し顔を下へ、視線を右と向けた。
「そんな本を読みながらじゃ、同意しろと言ってるようなもんだ」
サキの手には、可愛らしい装丁、丸みのある字の、辞書のような本。学校の図書室で借りてきた、夢占い辞典があった。
僕の視線か言葉、もしくはその両方が気に入らないのか、彼女は頬を膨らませた。
「もぅ、ばかにしてる! あたし、朝からずぅっと考えてるんだから」
肌に刺さるような冷たさの風を物ともせず、サキの顔に赤みが増した。感情表現が得意なサキらしい、微笑ましい様子だった。
流石に、僕もそれを無視する程の人でなしではない。話を合わせた。
「夢占いは知ってる。倫理の授業でも名の出たフロイトは、夢判断を研究していた」
「は、へ?」
「かの御仁は言うには、夢は眠りの番人らしい。安らかな時を守るために、叶えられぬ願い、
「あ、うん」
「例で言えば、寝ている間にトイレに行きたくなったら、夢の中で用を足して満足することだ。眠りは守られる。迎える朝は冷たいだろうが」
はへー、と口から声のようなものを漏らしたサキ。
しまった、そういう意味ではなかったかと、自分を心で叱った。知識自慢でしかない言葉の垂れ流しは、会話ではない。以前からサキに怒られることだ。
咳払いをし、僕は話の終わりを変えた。
「まあ、あれだ。精神分析、という意味でなら知っている。信用しているかは、正直なんとも言えないが」
サキは何度か瞼を瞬き、それから頷いて言った。
「ええと、夢占いは信じるかびみょーってことだよね。ふろーと? は美味しいよね、メロンソーダのが好き!」
ふにゃりと顔を緩め、サキは微笑んだ。それを見ると、不思議と自分の目尻が下がる気がした。
この幼馴染は少し抜けているが、いつだって、幸せそうなのだ。
「それで、サキは何を悩んでいるんだ」
夢占いの本を手に、それについて聞く。ついでに、朝から眉根を寄せて考えている様子からすれば、察しが悪い僕も気づいた。
僕が尋ねると、サキは唇を尖らせて答えた。
「乙女のプライベートですぅ。秘密なんですぅ」
「個人情報か、なら聞かない。昨今プライバシーの侵害は厳罰だ」
「えぇ!? 聞いてくれないの!?」
サキは目をカッと開き、連動しているのか口までポカンした。黒々とした瞳の中心に、僕の顔が映っているのが見えるようだ。
「聞くなと言ったのはサキだろう」
「女の子が聞かないでって言ったんだから、聞いて欲しいに決まってるもん!」
「夢判断の皮肉か」
上辺では否定し、真実は肯定。現実判断とは難しいものだ。空模様でも研究したほうが、よっぽど成果を得やすいはずだ。
「では、サキは悩んでいるんだな」
「……もーちょっと気づかって聞いてくれても……もぅ! そーです! あたしはお悩み中なんです! でも、まあ、いっかな」
ふんっと鼻息を荒げ、サキは辞典を左のポケットに乱雑に入れた。そうしてから、堂々たる様で腕組した。
自分で話しながら自己解決するとは、昨今のAIも驚きの処理能力だ。しげしげと眺めていると、チラリと彼女は上目遣いで僕を見遣った。
「ふろーとさんは、夢は現実の逆っていうんでしょ?」
「ん? ああ、そうかな。叶えられないから、夢で均衡を保とうとする、らしい」
「じゃーいいや。うん、解決。ばっちりオッケー!」
言い終えると、サキの表情が華やいだ。
可憐に、寒空の下だというのに春の如く。
「今日は一年で最も寒い日だと今朝のニュースが言っていたが、嘘らしいな」
ふとそんな言葉が口から溢れた。
「え、そうなの! そういえば寒い! 手が冷たい! 嘘じゃないよ寒いよ!」
聞こえたらしく、サキが急に慌てだした。手をこすり、はーはーと息を掛け、ポケットに入れよう、として僕を見た。
「ねねね、寒いね」
「そうだな」
「手、冷たいね」
「カイロを持ってきてないのか。僕は両方のポケットに入れているぞ」
「ズルっち!! ――じゃなくって、えと、あたし、左のポッケに本があってね」
「ああ、さっき仕舞っていたな」
「ん、」
「あ?」
「右手はあたしのポッケに入れます。左手は?」
「外に出て冷たそうだな」
「じゃああああなあああいいいいい!!!」
瞬でサキの顔が赤になった。頬だけじゃなく、額も、耳までも。
仕方がないので、サキの左手を右手で掴み、僕の上着のポケットへと入れた。
「温かいか」
「……ん」
「安物だからそろそろ冷えるがな、このカイロ」
朝の使い始めだけ熱く、夕方には鉄粉の塊と化す粗悪品だ。まだ家に残っている箱を思い出すと、寒風が身に染みた。
僕が遠い目をしていると、サキはポケットの中で繋いだ手を優しく握ってきた。
「あったかいよ。ずっと」
短い言葉。けれど、妙に説得力のあり、確信めいていた。
「そうか」
そんな彼女の声が、不思議と心地良かった。
熱伝導では説明できぬ熱が、胸に灯っている気がした。
ふと、立ち止まる。
僕は立っている。通学路、その帰り道。日は既に落ち、辺りには静寂のみ。
ここは僕1人だけ。手に掴んでいるカイロは冷たく、僅かな温もりも無い。
「サキは、どうしてるだろう」
そんな音が、口から溢れる。何時からだったか、何処からだったか。
季節は流れると知っていて、時間は過ぎると理解している。
だけど、僕の足は止まったまま、動こうとはしてくれない。
夢は願いを叶えるもの。
ならば、見てしまった夢は、二度と得られないのだろうか。
夢を見ることは、幸せなんだろうか。
「ロマンチストか、僕は。下らない」
そう自嘲し、己を蔑もうとするが、汚い笑みすら浮かばない。
思考を回さずとも、理由は知れている。心がそう呟く。
「帰ろう。戻るんだ」
家に、そう声を出そうとして、別の意味に気づく。戻りたいのは、そこじゃない。
では、何処に。
手を握りしめる。右手のカイロから砂の音が聞こえる。硬く錆びついた不良品は、夢でも現実でも不燃ゴミである。
ああ、似ている。この役立たずは、まるで――。
「なら、捨てるのが道理だな」
カイロを握りしめたまま、僕は右手をポケットから出す。運の良いことに、この通学路の脇には川が流れている。
不法投棄は悪だが、情状を考慮すれば罪は軽くなるだろう。
込める思いは、何もない。ただ動作として、僕はこのゴミを投げ捨て、
「…………あ」
冬の外気に触れたから、偶然か。感じてしまった。
熱を。右手に温かさを。弱々しく、消え入りそうな、種火とすら思えぬ欠片を。
手が震える。恐る恐る、僕は右手を見る。幽霊でも見たかのように、ゆっくりと。
手の中は、同じ。カイロがあるだけ。何も変わらない。
「そんなわけが……いや、そうか、汗か。古いカイロは水で発熱する、それだけか」
幽霊の正体見たり枯れ尾花。諺の通り、現実は陳腐だと、思わされる。
「馬鹿馬鹿しい。本当に、つまらない話だ。ああ、そうさ。僕の、考え一つだ」
僕は知っている。
夢判断。今では夢占いとよく呼ばれるそれは、女子が話題にする程度の信憑性。
個人の匙加減で意味が変わり、確証バイアスやバーナム効果も加わって、大した意味を成さない、朝の占い程度の信頼度だと。
良いものなら喜べ、悪ければ忘れろ。その程度。
「夢は、ただの夢だ。僕が思えば、それは夢だ」
論じる必要も、悩む事も無い。自分が思えば、それが答えなのだから。
少々、感傷的になってしまったか。今の僕の脳みそは、半分寝ている。だから、論理的な思考を失っているに違いない。
「行こう。立っているだけでは、変わらない」
右手をポケットへと戻す。カイロを握ったまま、何もなかったように。熱はもう無いが、特に考えず、元の場所へと収める。
「ああ、そういえば、そうだな」
まだ眠っている脳が言葉遊びを仕掛けてきた。不意によぎった単語だが、少し笑えてくる。退屈すぎてつい、瞼を閉じ、口の端を持ち上げる。
夢の字を使うのに、正夢と逆夢は、まるで違う意味を持っている。
現実で叶う正夢。あり得ないことを見る逆夢。空想すら捻くれて考えるのは人間の本質をよく表現していよう。
けれど、だからこそ。
僕の見た夢は、正夢になるのか。それとも、逆夢になっていくのだろうか。
白い息が夜を埋めていく。
輝きの無い夢へ、僕は目を開いた。
メモ書き
逆夢、という言葉から夢占いを連想したのでストーリーへ。
夜の通学路に1人で立ってる男子学生が見えたので主人公にした。