TSウマ娘はトレーナーにガチ恋せずに三年間駆け抜けられるか 作:TS娘には恋させよ
突然だが俺は過去一番の危機を迎えている。その原因は目の前のウマ娘。
「ふぅン、なかなかの脚じゃないか。ほら、どうだい? 一気にいくと効果倍増だよ?」
「あ、あの……?」
「ああ、自己紹介がまだだったね。私はアグネスタキオン! 君のことはカフェから聞いてるよ」
アグネスタキオン。超光速のプリンセスとも呼ばれる彼女の手には、ドス黒い色の液体が入った試験管が握られていた。
これ飲んでも大丈夫なやつなのか……? 絶対体に有害だろ!?
「その脚、実に興味深い……もしかすると、私の理論を実証できるかもしれないねぇ」
「理論、ですか?」
「そうさ! ウマ娘の速度の限界、その先……私はそれを見てみたいんだよ!」
「で、なんで私なんでしょうか。他にもほら、すごいウマ娘は沢山」
「キミは自分の価値をわかってないのかい!?」
ズイ、と息の掛かる距離まで近づいてくるタキオンの顔。あまりにも顔が近すぎて、思わず後ずさってしまった。
タキオンはこちらの脚を指差すと、さらに話を続ける。
「その脚だよ! かのサクラバクシンオー、その走りを真似しても壊れない頑丈さ! ジュニア級であれだけの瞬発力を出すことのできる出力! 反面、持久力は犠牲になっているみたいだがね」
かなり高評価だ。
というか頑丈とは言うが、別に完璧に真似してるわけでなければしっかりと衝撃も殺してるんだけど。
「あんな風に真似をして壊れないとは驚きだよ」
「あんな風……? えっと、何か悪いところでもありましたか?」
「ふぅン? なんだ、気づいてなかったのか。あの走りはサクラバクシンオーの体でやるからこそ、無事でいられるんだ」
どういうことだ? それならば、バクシンオーの体の方が丈夫ってことじゃないか。
「まあ単純に言えば、キミみたいな体型の子ができる走りじゃないんだよ。どっちかというとサイレンススズカのような体型でこそ意味を成すと言っていい。サクラバクシンオーくらいのスタイルがギリギリってところだろうね。それになにより、あそこまでの猛烈な追い上げのための技じゃあない」
「えっ。じゃああの走りを真似し続けるとヤバいんですか……?」
「ふむ。少し脚を触らせてもらうよ」
アグネスタキオンの触診はなかなかに上手だった。トレーナーとしてもやっていけるのではないか、と思ってしまうほど。そういえばアプリのマンハッタンカフェシナリオではサブトレーナーじみたことしてたな。
「やっぱりキミの脚は興味深いよ」
「それで、どうなんでしょうか?」
「全く問題ないね! その脚、スプリンターとして天性のものであるし、同時に追込としても天性のものだろう。まさに
触っただけでこれだけのことがわかる、というのはすごい。アグネスタキオンはやはり優秀な研究者だと言える。
アグネスタキオンはこちらの脚を羨ましそうに眺めていた。
「ええと、それで……?」
「ああ、そうだ。用件がまだだったねぇ。どうだい、一本私の薬を飲んでみないかい? 当然礼はするよ」
「トレーナーの許可なしに怪しい薬を飲むってのはちょっと……」
「ならばキミのトレーナーに許可を取りたまえ。大丈夫、学園には実験プランについて既に提出済みだよ」
準備が早いのはいいけど本当に大丈夫なのか!?
確かアプリだと脚が光ったりという副反応が出ていたはず……まあ、ドーピングとかは死ぬほど嫌いらしいので、その点は大丈夫だろうが。出走停止とか食らったら洒落にならん。
「それに、欲しいんじゃないのかい?
「……カフェさんから聞いたんですね」
「ああ、キミがああいう走りに興味があるということをね! どうだい、彼女の詳細なデータ……欲しくないのかい?」
「うぐぐぐぐ……」
スマホを取り出し、トレーナーに電話をかける。数コールののちに繋がり、スピーカーから慣れ親しんだ相棒の声が響きだした。
『どうしたんだいルクス。何かあったのか』
「あー、今アグネスタキオンと一緒にいるんだけど」
『アグネスタキオンか……もしかして実験に誘われたとか言わないよね?』
「ドンピシャだよトレーナー」
電話越しのトレーナーの声、それのテンションが露骨に低くなる。やっぱり知れ渡ってるのか、タキオンについては。
とは言っても、彼女が提示してきた見返りは喉から手が出るほど欲しい。
「でさ、そのアグネスタキオンが実験に付き合ったら『シンボリルドルフのデータ』をくれるって言うんだよ」
『よりにもよって、シンボリルドルフかぁ……うーん、どうしたものか』
「やっぱマズい実験なのか? それなら、仕方ないから断るけど」
『いや、学園にもしっかりと書類が提出されてるし、構わないといえば構わないんだけどね』
歯切れが妙に悪い。何か懸念事項でもあるんだろうか。
『わかった、いいよルクス。だけどその、体が光ったりすることもあるらしいから、気をつけてね……?』
「お、おう」
『受けるか受けないかはルクスに任せるよ。もし不安だったらすぐに中断しなよ?』
これもしかして、俺を心配してくれてたのか。ほんと、トレーナーは優しい。ついついギュッ、とスマホを握りしめてしまう。
まあなにはともあれ、実験に参加する許可が出たのだ。さっさと終わらせて、念願のシンボリルドルフのデータを貰おう。
「終わったみたいだねぇ。で、実験に参加してくれるみたいだが」
「はい。約束のシンボリルドルフのデータ、忘れないでくださいね」
「ああ、もちろんさ! しかし、キミはトレーナーの前だと随分と別人になるみたいだねぇ」
あっ、ヤバい。トレーナーと話してるときは素の自分を出すのが癖になってるせいで、ついついタキオンの前でも同じことをしてしまった。
あはは、と頭を掻きながら曖昧な笑みでなんとか誤魔化せないか……?
「まあいいさ。実験には特に関係のないことだからねぇ。で、この薬なんだが」
「めちゃくちゃ体に悪そうな色なんですけど、なんなんですかそれ……」
「簡単に言ってしまえば、トレーニング効率を上げる薬と言ったところだろうか」
「すごいじゃないですか! 一体どんなメカニズムで」
俺のその言葉を聞いた瞬間、タキオンの濁った眼にキラリと光が灯った。
「よくぞ聞いてくれた! この薬は脚にかかる負荷を増やす効果があってねぇ。負荷が増えるということは、つまりはトレーニング効率の向上につながるだろう?」
「えっと、一概にそうとは言えないのでは……?」
「まあ単純な筋力などのトレーニングに限った話さ」
つまりこれ、大リーグボール矯正ギプスとかそういうたぐいのものでは? マジでこれ大丈夫か。
俺の不安を知ってか知らずしてか、タキオンはこちらの口に試験管を近づけてくる。意外にも匂いはしなかった。あれだけ酷い色なら匂いも酷いと思ったのだが。
「さぁ、一気に行きたまえ。ほら、ぐいーっと」
「ん、ん、ん……ぷはー! なんの味もしなかった……」
「あんまり酷い味だと実験の結果に影響しかねないからねぇ。そこは気をつかってるのさ」
薬を飲んで一分ほどして、体がほんのりと熱を帯び始めた。
なんといえばいいのだろうか。軽くウォーミングアップをした後の感覚に似ているような感じもした。アグネスタキオンがこちらのおデコに体温計を当てる。
「ふむ、わずかではあるが体温の上昇が見られるねぇ。とは言っても誤差の範囲で済ませてしまえる程度……じゃあ次は軽く走ってみてくれ」
「ええと、距離とかの指定ってあります?」
「キミは短距離が得意だろう? ならば、短距離を全力で頼むよ」
「うげぇ。全力は勘弁して欲しいんですが」
まあ練習の範囲内という前提の下で全力を出させてもらおう。スタート位置について、ぐりぐりと足元を踏み固める。
アグネスタキオンの合図に合わせてスタートを切り、軽快にグラウンドを進んでいく。
他のウマ娘といった障害がないため、気兼ねなく序盤からスピードを出せる。とは言っても、末脚が武器なことには変わりないため、しっかりと脚はためておく。
「ふぅン、やはり末脚が武器というだけで、それ以外がダメというわけではないのか。追込をしているのは、あくまで本人の気質によるもの、と」
タキオンが手元のタブレットに何かを打ち込んでいるのが見える。
が、それを気にはしていられない。最終直線に入り、いつも通りの猛烈な加速を始める俺。前を行くミホノブルボンの幻影を追いかけるようにして、ゴール地点まで一気に駆けた。
クビ差。なんどやってもブルボンの幻影を振り払うことはできていない。こんなんで俺はブルボンに勝てるのか……? いや、弱気になるな。絶対に次こそは勝つんだ。
「お疲れ様! いやぁ、実に有意義なデータが取れたよ! これならば次の被験体もキミにお願いしようかねぇ」
「トレーナーの許可さえ出ればかまいませんけど、見返りは用意できるんですか? 初回であんな破格の条件を出してしまって」
「問題ないよ! シンボリルドルフのデータはあくまで見せ札さ!」
シンボリルドルフのデータが見せ札……? 一体どんなデータを隠し持ってるって言うんだ。
だが問いただしたとしても、おそらくはのらりくらりとはぐらかされてしまうだろう。今日のところはシンボリルドルフのデータだけで我慢するか。
「で、疲労はどうだい? いつもよりも大きいかな?」
「そうですね。2本くらい走った後の疲労と似たものを感じます」
「負担倍増効果あり、と。先ほど計測したタイムがこれだ。普段と比べてどうかな?」
記載されているタイムはやはり遅かった。極端に、というほどでもないが、見てすぐにわかる程度には。
なるほど、確かに薬の効果はあるらしい。だけどこれ、実用性あるのか……?
「つまり私の理論は間違っていなかったようだねぇ」
「で、これをどうやって実用化するんですか?」
「ん?
「え」
どういうことだ? ならばなんで試験をした?
「これは私の理論を証明するための薬だからねぇ。効果が出ることが確認できればそれでよかったのだよ」
「あー……いわゆる理論実証のための薬なんですか」
「理解が早くて助かるよ。まあ、キミが欲しいというならば予備をプレゼントするくらいは構わないが」
正直なところ、この薬の使い道がないわけではない。が、今の俺には必要はないだろう。体も完成に近づき出した今、一番の課題は走法と適性。
そんなわけで、薬の出番はほとんどないのだ。
それに、アグネスタキオンの前以外で服用するのはちょっと心配だ……
「というわけでいりません」
「ふむ、随分と私を高く評価しているようだねぇ。何かあっても私の前ならば大丈夫だと?」
「あなたのようなウマ娘は、しっかりと対応策を考えていると思いますので」
「まあそう言われて悪い気はしないよ!」
ご機嫌そうなアグネスタキオン。おそらくは実験の結果も思うようなものだったのだろう。
ポン、と胸の上に何かが放り投げられる。これは、USBメモリ?
「今日の報酬さ。私はこれからデータをまとめないといけないからねぇ。失礼するよ」
こちらが礼を言う間もなく、タキオンは去ってしまう。
嵐のようなウマ娘だ。おそらくはこれから彼女と絡むことが増えるだろう。向こうはまだまだこちらの欲しいものを持っているような口振りだったし。
俺はUSBメモリを手に取ると、すぐさまトレーナー室に突撃する。
「トレーナー! シンボリルドルフのデータ手に入れた! これ!」
「ああ、結局実験は受けたんだね。大丈夫だったかい?」
「うーん、なんというか大したことなかったな。とは言っても、向こうは大満足だったみたい」
トレーナーのPCにUSBメモリを挿し、中に入っているデータに眼を通す。
フォルダの中のデータ数が随分と多い。せいぜい非公式レースの動画が数本だと思っていたんだけど。
「これは……シンボリルドルフのラップタイムか? ふむ、これはコース取りの図だね」
「詳細データってだけ聞いてたけど、ここまで細かく記載されてるのか」
「すごいね。実験を受けたルクスの判断は正解だったみたいだ」
走行フォームについての分析資料まで入っている。
これを見せ札で出せるなんて、他に一体どんな弾を保有してるっていうんだ。
アグネスタキオン。超光速を夢見るウマ娘、その深淵の一端を覗いたかのような感覚に、ゾクリと背筋を冷たいものが駆け上った。