TSウマ娘はトレーナーにガチ恋せずに三年間駆け抜けられるか 作:TS娘には恋させよ
ジャージを身につけグラウンドに出る。軽く屈伸をして体をほぐしているとトレーナーがやってきた。
「よーし、それじゃあルクスの適性を見ていこうか。準備はいいか?」
「はい、いつでもどうぞ」
トレーナーがストップウォッチを握り、俺がコースを走る。
短距離から始まり、マイル中距離長距離と走り、ダートを走り終えたところでトレーナーに駆け寄った。
「はぁ、ふぅ……で、どうですか?」
「悪くないな。短距離のタイムが一番いいけど、マイルもなかなかだ。中距離も絶望的というほどではない。長距離とダートは……諦めた方がいいかもしれないね」
トレーナーの手元を覗き込んでタイムを確かめる。
確かに長距離とダートは無理だろう。これは、訓練でどうにかなる領域ではない。それこそ、『何らかの外部因子による距離適性の向上』でもない限り。アプリでなら因子継承という手段があった。だが、この世界には無い……無いよね? いや、あったらあったで芝のスマートファルコンとか出てきそうで怖い。
「中距離はマイルよりさらに一段か二段タイムが落ちるな。マイルは十分許容範囲内だし短距離とマイルを中心にやっていこうか。短距離とマイル両方走れるなら、出走できるレースは少なくない」
「まあ、マイルまでダメとなると本当に出走出来るレース少なくなりますからね」
事実、芝の短距離G1はわずか2レースだけだ。
「中距離もG1は無理でもレースを選べば入着ぐらいはなんとかなるかもしれないな。それでも、かなり厳しい戦いになるだろう」
「あの、ところで私の脚質とかって……」
「そっちは見当がついてる。まず逃げは絶望的だろう。常に後ろから威圧されながら同じペースで走る。君にそれができるか?」
「……無理ですね」
ミホノブルボンやサイレンススズカの逃げは理想的な逃げと位置づけられることも多い。その理由が『マイペースで走り続けられる』ことだ。
逃げが負ける要因の一つとして、ペースを崩すことが挙げられる。結局のところ、ウマ娘は本能の影響を強く受ける生き物だ。終盤になり、闘争心を抑えられなくなって勝負に出て失速……なんていうのは珍しくない。まあサイレンススズカは終盤でさらに加速したりする正真正銘の化け物だが。
「自分は比較的理性的な走りができるから、逃げが合っているとは思ったんですが……」
「必要以上に臆病すぎたな。こればっかりはしょうがない。あと……いや、今は置いておこう」
「ならば私の脚質は……」
バ群に紛れて競り合わないといけない先行と差しも絶望的。となると残るは一つだけ。
「追込ですか……短距離で……」
スプリンターで追込み。アプリにおいて、後ろの脚質のウマ娘は短距離では絶望的だった。それを考えると無理ゲーでは?
「そうだ。なかなか悪くないとは思ってる」
「スプリンターで追込なのが?」
バカにしてるのか!? 明らかに地雷な組み合わせを褒められ、思わず頭に血が昇りそうになる。それを止めたのがトレーナーの手だった。
大きな手が頭を撫でる。
「大丈夫だ。君なら勝てるさ。まずは一回走って見てほしい。こちらで指定したタイミングからスパートを掛けるようにしてね」
なんか誤魔化されたような気がする……そんな釈然としない気持ちを抱きながら、再び計測に入る。
ペースを落として半分ほどまで走り、そこからスパートを掛けていく。
「はっ、ふっ! 直線に入ったら、全力でっ!」
芝を勢いよく踏み締め、前へ前へと突き進む。
ゴール板を駆け抜け、そのまま芝へ倒れ込んだ。これで、いいのか……?
「うん、やっぱりそうだ。ルクス、ちょっと脚触ってもいいかな?」
「ふぇっ!? 脚!? い、いや構わな……構いませんけど」
「じゃあ失礼して」
ふにふに、と何かを確かめるようにして動く手。隅々まで触り、同時に手元の書類に何かを記していくトレーナー。
「やっぱり太いな……それに、疲労が少ない」
「ふ、太いって!」
「スプリンター向けのいいトモだ。これは鍛えればかなりの瞬発力が期待できるぞ」
いや確かに太いとは思ってたけど、実際言われると少し傷つく。ダイワスカーレットと勝負できるかもしれない太さだ。
とはいえ、どうやら理想的なトモではあるらしい。太いけど。いや、太いのがいいのか?
確かに、呼吸こそ荒くなったものの、脚には一切変化がない。
「ルクス用のトレーニングメニューを明日までに組んでくるよ。今まではどんなトレーニングをしてた?」
「ええと、一定のペースで走る訓練とか併走とかですね」
「今日からはとりあえずこれをみておいてくれ」
手渡されたのは一冊のバインダー。どうやらレースについてまとめられた資料のようだ。
どのウマがどう走ったのか、レース中の経過時間と一緒に書かれている。
「こっちは映像資料だ。そのバインダーと一緒に見てくれ。追込はレースの流れに大きく左右される脚質だ。流れをいち早く掴むためのトレーニングと思ってくれ」
まさか一日でこれをまとめてきたのか? 少なく見積もっても20レース分はあるだろう。短距離を追込で走るウマ娘なんてそもそも数が少ないだろうに。
「あ、あの、良いんですか……?」
「いいもなにも、君は僕のウマ娘だ。担当のために作った資料なんだから君が受け取る以外にないだろう」
「は、はい」
すごく、期待が重い。
こっちは一勝できればいいとか考えてる不真面目ウマ娘なのに。なんというか、罪悪感が湧いてくる。
だが同時に、これくらいしないと勝てないのだというレースの世界の厳しさも感じていた。
「この後は?」
「慣れない距離も走ってだいぶ負荷もかかっただろう。ゆっくり休んでくれ」
夜。風呂で温まった体でバインダーをめくる。
資料はしっかりとまとめられていて、とても一日で作ったとは思えない出来だ。
「ほー、マイルで追込……ああ、他のウマ娘は荒れた内ラチ近くの芝を避けたのか。で、そこを突っ切って先頭に」
それも、追込のウマ娘が勝ったレースや、イマイチ勝ちきれなかったが善戦したレースばかり。バインダー1冊に、今の俺に必要な情報が大量に盛り込まれている。
もう1レース、もう1レースと繰り返していた俺に、ブリッジコンプが声を掛けてきた。
「ルーちゃん? そろそろ寝ないと明日ヤバいよー」
「ふぇ? って、もうそんな時間!?」
「そーだよ。ルーちゃんすごい集中してたねー」
バインダーはの資料はまだ半分ほど残っている。が、流石にこれ以上は時間的にマズい。
「はぁ、終わらなかった……」
「それ、一日でやらないといけないやつなの?」
「えっ……そういや、なにも言われてない……」
「あー、多分何日か分まとめて渡されたんじゃない?」
いや、マジか。てっきり一日で読み切るものだと思って読んでた。確かによくよく考えてみれば、映像資料を一緒に見たら、とても一日で終わる量じゃない。
俺、トレーナーが付いたからって浮かれ過ぎでは?
なんだか恥ずかしくなり、不貞寝をキメることにした。
「おやすみ……ねる……」
「はいはい、おやすみー」
翌日、ストレッチをしながらトレーナーに聞いてみる。
「昨日渡された資料、もしかしてゆっくりと消化していくものでしたか……?」
「ん? ああ、空いた時間にでも目を通して貰えればと思ってね。体を動かした後の気分転換にもなるだろう?」
「あっはい」
言えない。夢中になって一日で半分終わらせました、なんて言えない。
「じゃあ今日からは体の方のトレーニングを始めていこうか。まずは鍛えるべき項目を明確にしておかないとね」
「えっと、瞬発力でしたっけ」
「そう。追込で重要になってくるのは瞬発力だ。渡した資料を後で見てもらればわかると思うけど、追込が勝つのには二つ、重要なことがある」
追込で勝つ。そのためには適切な位置取り、そして強烈な末脚が必要だ。
追込というのは前のバ群をどうするかの判断が全てを左右する。内を掠めるように突き進むのか、大外回ってぶっちぎるのか。はたまた、バ群の中を器用に進んでいくのか……
「重要なことの片方、強烈な末脚を手に入れるためにも、瞬発力のトレーニングは必須と言える。という訳で、いくつかメニューを用意したから試してみてほしい」
「はい、わかりました」
たくさんトレーニングを積み、瞬発力を鍛えた!
トレーニング後、俺はクールダウンのストレッチを行っていた。ウマ娘であるからこそ、クールダウンは大切だ。全体的に人間よりも丈夫に出来ているとはいえ、細かく見ていけば脆い部分は沢山ある。なにより、人間が走るのとは比べものにならないほどの負荷がかかるのだ。
ウマ娘の最高時速は70km/hにもなるという。その衝撃をこの細い2本の脚で受け止める。どれほどの負荷かがわかるだろう。
「ルクス、大丈夫か?」
「大丈夫です。クールダウンをしているだけですんで」
「ああ、クールダウンか。そんなところを押さえてるから痛めたのかと思ったよ」
そんな俺の姿に、トレーナーが心配したように寄ってくる。
あまりにも献身的すぎるその姿に、ふと笑みが溢れてしまう。
「せっかくだ、クールダウンの方法も教えておくか。僕がいる時はやってあげられるけど、自主トレの後なんかは無理だからね」
「へ? あ、ちょっとっ!」
「ちゃんと靴も脱いでやらないとダメだぞ。で、まずはこうやって押すようにして揉みあげて」
「ひゃうっ!」
流石トレーナー。マッサージをする手には一切の躊躇がなく、的確にこちらの疲労部分を狙い撃ちしてきている。
だが、こう、もうちょっとデリカシーとかないのか!? 一応こっちはウマ娘なんだぞ!?
「ちょ、トレーナーっ!」
「もし痛かったりしたら言ってくれよ。怪我の前兆だったりもするからな」
「汗かいてるからっ、先にシャワーくらいっ!」
「そんなに臭わないし大丈夫だ」
「そういう、問題じゃっ」
とはいえ、マッサージの腕は確かだ。トレーナーに下心がないのもよーくわかる。
視線の先は割とむっちりとした太ももでも、平均よりも大きめの胸でもない。施術部位をしっかり確認し、怪我も疲労も見逃さないといった感じだ。
「と、こんな感じだ。1人でできる範囲でいいから、自主トレ後にも行ってくれ」
「はぁ、はぁ……ありがとうございます……」
マッサージの効果は憎らしいほどに良好だ。明らかに施術前よりも脚が軽い。
というかなんで俺はこんなドギマギしてるんだ? 体はウマ娘とはいえ心は男だろう?
訳がわからなくなり、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。なぜか、これに関しては考えても答えが出ない気がした。
「よし、じゃあ今日はここまで。ゆっくり休めよ?」
「はい……」
疲労は抜けたはずなのに、それ以上に疲れた気がする。
部屋に帰り、昨日と同じようにバインダーに目を通す。やはりこの資料の完成度は高い。もしかすると、自分より前の担当の指導に使っていたのかもしれない。
この資料が自分だけのものでない。そう考えると、なんだかもやもやした。
「ルーちゃん? どうしたの、コロコロ表情変えて」
「ん? そんな変わってたか……?」
「いや、なんか嬉しそうな顔したかと思えば、急に不機嫌そうになったりして……なんか嫌なことでもあった?」
そんな顔してたか……? まあ、あのデリカシーのないトレーナーのせいだろう。俺をスカウトしてくれたことには心から感謝しているが、それとこれとは話が別だ。
「いや、トレーナーがちょっとね……マッサージで担当の脚に触るのって普通なのか?」
「ほーう、随分と積極的なトレーナーさんですねぇ」
「ほんと、シャワーも浴びてないのに! どう思うよコンプ!」
そんな風にトレーナーのデリカシーのなさをコンプに話す。始めこそ興味深そうに聞いていたコンプだったが、すぐに興味を無くしたのかスマホを弄り出した。
俺もため息を吐きつつ、再びバインダーに目を通し始める。
そうしてしばらく時間が経って、突然ブリッジコンプが俺に話しかけてきた。
「ルーちゃん、さっきのことだけど……触られたのが嫌なんじゃなくて……」
「どうした?」
「いーや、やっぱなんでもないっ!」
(それって、思いっきり恋する乙女の仕草だよねぇ……)
メイクデビューよりも先に、恋する乙女デビュー。自覚のない、ミーティアルクスの行く末は——
次回、第四話『激闘! ミホノブルボン』