TSウマ娘はトレーナーにガチ恋せずに三年間駆け抜けられるか 作:TS娘には恋させよ
領域という言葉がある。ウマ娘アプリには存在しない言葉ではある。が、外伝作品となる『シンデレラグレイ』では重要な意味を持つ言葉だ。
シンボリルドルフ曰く、『時代を作るウマ娘は皆その領域に至る』とのことだが……
「うーん、全く再現が出来ん! なんだったんだアレ」
おそらく桜花賞で俺が最後見せた走り、あれは『領域』ではなかったのだろうか。
あの瞬間、確かに俺は限界を超えていたはずだ。他のウマ娘たちの動きが『未来視』とでも言えるくらいに鮮明にわかり、そして最終直線の坂で信じられないほどの猛烈な加速を見せた。
あれをもう一度再現できれば、と思って走っているのだが、とっかかりすら掴めていない。
「くっそ、やっぱり本番じゃないとダメなのか? とはいえ、ぶっつけ本番ばかりってのも不安なんだよなぁ」
頭を使って走るタイプなので、あんまり不安定要素を抱えて走りたくない……というのが本音ではある。が、同時にあの力を使えればレースをひっくり返せるのもまた事実。
悩ましいところだ。
と、1人グラウンドで佇んでいると声を掛けられた。
「おやぁ、そこにいるのは私の優秀なモルモットくんの1人じゃぁないか! 奇遇だねぇ!」
「あー……タキオンさん、こんにちは。この前はありがとうございました」
アグネスタキオン。最速を、ウマ娘の速度限界のその先を目指すウマ娘。
彼女には礼を言っておかなければならない。シンボリルドルフのデータがなければ、俺はあの領域に至ることはできなかっただろう。
「ふむ、礼に関しては不要だよ。あれは実験の協力に対する正当な対価だからねぇ。ところで、いくつか聞きたいことがあるのだが」
「はい? ええと、私なんかしましたか?」
次の瞬間、ぐいとアグネスタキオンの顔が目の前に突き出された。
そして光すらも飲み込むような、狂気に満ちた瞳がこちらを見つめてくる。
「前走の桜花賞! あの最後に見せた走り! あの瞬間、キミは確かに自身の速度限界を超えていたはずだ! 何を見て、何を感じたんだい!?」
「ひぇっ」
思わず後ずさってしまう。アグネスタキオンの速度に対する執着はわかっていたはずだった。が、知識として知っているのと、実際目の当たりにするのとではやはり違った。
まさに、『狂気』。ゆっくりとタキオンから距離を取りながら、必死に彼女をなだめる。
「あ、あの、しっかり話しますので……落ち着いて、ください……」
「む。ああ、すまなかったね。とにかく、あの瞬間のことについて話して欲しいんだよ。もちろん、報酬は用意している」
そういて彼女が懐から取り出したのは、一本のUSBメモリ。俺はゴクリ、と喉を鳴らしてしまう。もし前回と同じようなデータが入っているとしたら、あれには恐ろしいほど高い価値がある。
そんな俺の姿を見たタキオンが、ニヤリと笑った。
「ふふふ、今度のもキミのお眼鏡にかなうはずさ。なんて言ったって、あの
「タマモ、クロス……」
タマモクロス。白い稲妻とも呼ばれる彼女は、春秋両方の天皇賞を取ったウマ娘の1人だ。GⅠの勝利数でいえば3勝だが、勝利数以上の力をもったウマ娘であると言える。
いや、GⅠ3勝ってアホみたいに凄い戦績ではあるんだが……皇帝が悪いよ皇帝が。
あとオグリキャップとかスーパークリークなんて強豪と同じ世代だったのも悪い。
……あのメンツの中でGⅠ3勝って頭おかしくない?
「どうやらお気に召したようだねぇ! さあ、話してくれたまえ! 桜花賞の時のことをねぇ! ……と、言いたいところだけど」
アグネスタキオンが校舎を指差す。
ああ、ゆっくり話が聞きたいのか。まあ確かに長い話になりそうだ。
アグネスタキオンに誘われるがままに、彼女の実験室へと足を進める。
しっかし、何から話したものかね。自分ですらよく理解できてないのだが。
「こんにちは……。タキオンさん、またルクスさんを付き合わせているんですか……? 変なこと、してないでしょうね……?」
「大丈夫だよ! 今回は話を聞くだけだからねぇ。さて、飲み物は自分で淹れてくれたまえ」
「ルクスさん、コーヒーでいいですか……? それならば、私が淹れます……。新しい豆が、手に入りましたので……」
「あ、はい、よろしくお願いします」
腰を掛けてゆっくりと目を閉じ、桜花賞のことを思い出していく。
思ってみれば、あの日は出走前から不思議な気分だった。
「ふむ、全ての感覚がレースに向けられる、ね。これはそういうことなのか……? だがデータが足りない……。過去の有力ウマ娘に当時のことを聞ければ手っ取り早いんだが……」
「ゲート入りする頃には、観客の声援すらほとんど聞こえなくなってましたね。代わりにゲート入りしているウマ娘全員の息づかいが手に取るようにわかるようになってました」
全てを見通せるような全能感。あれは『領域』の一端だったのではないだろうか。最終直線でのアレが本来の『領域』であり、あの感覚はあくまで副産物。そう考えれば合点がいく。
「そこまで感覚が鋭敏になるとはね。いや感覚ではなく集中力の方が本命かね? とはいえ、それだけではないだろう?」
「はい。一番は最終直線に入ってからですね。最後の最後、坂での加速は自分でも驚いたほどですから。まさかアレほどまでに加速出来るなんて……」
「コーヒーをどうぞ……。ミルクと砂糖はこちらです……」
「あ、ありがとうござます、カフェさん」
ふーむ、考えれば考えるほどわからなくなってくる。『領域』とは言ったが、『固有』と言った方が正しいのだろうか。この世界はアプリ版が土台となっているようではあるし……
というか、『領域』の方だとプリティーじゃなくなっちゃうんだけど。やだよ、漫画のオグリみたいな顔して追い上げるの。
「カフェぇ、キミの意見も聞きたいねぇ。彼女の話を聞いてキミも思うところがあるだろう?」
「そうですね……。おそらくはルクスさんのそれは、一定の領域に至ったウマ娘が会得すると言われる技術でしょう……」
「やっぱりねぇ。呼び方は色々とあるみたいだけど……」
「はい。『領域』、『固有』、『到達点』……様々ではありますが、全てにおいて共通しているのは『本人の限界を超えた力』を出すことができる、というものです……」
ならとりあえずは今まで通り『固有』と呼ぶか。俺の固有は、おそらく『視界の拡張+最終直線での加速』だろう。
「カフェの目から見てもそうか。やはり速度のその先へ行くには必須となるのかねぇ……」
「自分で走ってあの時の感覚を再現しようと思ったのですが、どうもうまくいかなくて」
「でしょうね……アレは強い想いがなければ到達できません……。最低でも併走、場合によってはレースをしなければ、その一端を掴むことすらできないでしょう……」
そうなるかぁ……。となると、トレーナーと相談して併走トレーニングを増やさないとダメかねぇ。おそらくシニア級のウマ娘とやりあうには、『固有』をしっかりと使いこなすことが必須となってくるはずだ。
残り1ヶ月半ほどでどうにかしないといけないって、割とハードスケジュールだな? まあ俺が選んだ道だ。やれるだけやってみよう。
「えっと、他に何をお話しすれば?」
「そうだね……キミが最終コーナーで見せた走り、アレはシンボリルドルフの走りだろう? 私のデータが役に立ったようだねぇ! それにしても、まさかあそこまで仕上げてくるとは」
「なんとか形になってよかったです。模倣程度のものでしたが、あそこまでの力になるとは……」
『領域』――『固有』の話も終わり、アグネスタキオンそしてマンハッタンカフェの2人と他愛のない会話をする。
そうして話を続けていると、マンハッタンカフェの次へと話題が移った。
「カフェさんは次は宝塚ですか? それとも他の長距離レースを考えてるんですか?」
「……それなんだけどねぇ。カフェ、考え直さないかい?」
「いえ、これは決めたことです……。私は、凱旋門賞に行きます……」
その言葉を聞いた瞬間、俺はこれからのことを想像して息が止まるかと思った。
マンハッタンカフェ、凱旋門賞。この二つの間には大変密接な関係があるのだ。史実において彼女は、凱旋門賞で故障してそのまま引退している……。
このまま、マンハッタンカフェをフランスに行かせてはいけない。俺の本能がそう叫んでいた。
「あの、海外遠征はリスクが高いのでは……? トレーナーさんは何も言わないんですか」
「ああ、カフェが所属しているチームはかなり放任主義だからねぇ。私がトレーナーの真似事をしても何も言わないほどだよ」
おおう……マジか……。しかし、マジで凱旋門賞はヤバい。
日本とは全く違う質の芝、異国という慣れない環境。様々な要因が絡み合った結果、未だ凱旋門賞を勝利した日本のウマ娘は存在していない。
「凱旋門賞、いけるんですか? ロンシャンはかなり厳しいコースですよ……?」
「本人が行きたい、と言っているからねぇ……。私としてはやめて欲しいところなんだけど」
それと同時に、おそらくマンハッタンカフェでは凱旋門賞は無理だ。
海外の芝は日本のものよりも重く、絡みつくような芝なのは有名な話。当然強いパワーが必要となる。
が、マンハッタンカフェにはその
いや、果たしてロンシャンの芝に耐えうるだけのパワーを持った日本のウマ娘がどれほどいるのだろうか。
「お友だちが……私を呼んでいるんです……。だから、フランスに……凱旋門へ、行かないと……」
「カフェ、さん……」
執着するような、それでいてうつろなマンハッタンカフェの瞳を見て、俺は何も言えなくなってしまう。おそらくではあるが、今の彼女には何を言っても無駄だろう。
もしチャンスがあるとしたら、凱旋門賞への遠征直前――
「まあそういうことさ。『お友だち』とやらが私に見えないのがもどかしいよ」
ふと彼女の後ろに目をやれば、漆黒のウマ娘が音も無く立っていた。彼女はこちらに背を向けたまま、何も言わない。
なぜこのようなことをするのだろうか。お友だちは、カフェを壊したいのか……?
「あなたは……」
俺が声をかけようとすると、『お友だち』はスッと消えてしまった。
クソっ、こっちも聞く耳持たずかよ。
先ほどまでの和やかな空気は消し飛んでしまい、俺たち三人の間にはなんとも言えない不穏な空気が漂っていた。
そんなこともあり、タキオンの号令でお茶会は解散となる。
しかしどうすればいいんだろうな。部屋の外で1人考え込む。頼みの綱であったトレーナーは実質居ないも同然。
「やあ、ちょっといいかい?」
「タキオンさん……。あの、なんと言っていいか……」
「そうだねぇ。できるだけカフェの意見を尊重してあげたいけど……キミもわかっているんだろう? マンハッタンカフェは凱旋門賞の負荷に耐えられないということが」
こくり、と無言でうなずく。
「止める術をいくつか考えては見たのだけどねぇ。どうしても私1人では無理なんだねこれが」
「1人では……それなら、私が協力すれば可能性が……?」
「まあ、ゼロではないと言っておこう。どうやらカフェはキミにかなり親近感を覚えているようだから、期待値はそれなりだよ」
マンハッタンカフェと俺の仲はなかなかにいい。時折一緒にコーヒーを飲んだりするくらいには。
だからこそ、彼女が壊れるところを見ているだけというのが耐えられない。
「もしキミがその気ならば、後で事の詳細と出発の日時を送ろう。はぁ、なんでこんな事になってしまったんだろうねぇ」
「タキオンさん……」
彼女は俺にUSBメモリと連絡先を渡すと、ため息をつきながら部屋の中へと戻っていった。
1人廊下に残された俺は、何をする事も出来ずにずっと佇むことしかできない。
中央で走るウマ娘というのは故障を経験しやすい。GⅠを主戦場とするなら尚更だ。
毎レースが激戦であり、かつ常に死力を尽くして戦う。それが足と精神に大きな負荷をかけるのだ。
……もしかするとミホノブルボンも史実通りに三冠路線を走っていたならば、菊花賞で故障して取り返しのつかない事になっていたのかもしれない。
俺の体がブルリと恐怖で震えた。
「はぁ……うだうだ考えてもしゃーないか……。とりあえずトレーナーと一緒に、データを確認しないとな」
USBメモリをいじりながら呟いた俺の言葉は、廊下で反響して誰の耳にも届かずに消えていった。