TSウマ娘はトレーナーにガチ恋せずに三年間駆け抜けられるか 作:TS娘には恋させよ
レース前の控え室。俺、ミーティアルクスは落ち着きなくソワソワとしていた。
本当の意味での『初めて』のレース。それがメイクデビュー戦だ。ウマ娘なら誰もが通る道であり、厳しく険しい道のりの第一歩。
「ひっひっふー……」
「ほら落ち着いて。大丈夫だ、散々トレーニングはしてきたんだから」
確かにトレーナーの言う通りだ。だが、そうだとしても緊張がほぐれることはない。
きっと、選抜レースよりも更に凄い気迫を振りまくウマ娘ばかりなのだろう。なにがなんでも勝つ、という思いを持つウマは、あの時よりも多いはずなのだから。
「今回のコースは中京レース場の1200m、芝だ。特徴は頭にいれてるね?」
「左回り、最終直線は約400mで途中に急勾配の坂……」
「よし、上出来だ。最終直線の途中の坂は、追込や差しのウマ娘にとっては有利になるからね」
そうだ。追込や差しといった後ろ寄りの脚質は、最終直線に坂があるかどうかで勝率が変わってくる。スタミナを温存し、終盤に望むことのできるため終盤の坂に強いのだ。
だが、そのことを考えてなお、このメイクデビューは絶望的なレースであるといえた。
ポケットの中からくしゃくしゃになった出走表を取り出し、左端の名前を見る。
『ミホノブルボン』。そこにはそう書かれていた。
何故短距離に。いや、史実においてブルボンの新馬戦は短距離だった。皐月賞で勝てなければ短距離路線へ進むという話もあったはず。
同学年にいたのも確認はしていた。だがアプリ準拠ならばメイクデビューはマイルのはず。原作知識に大きく足を掬われてしまった。
しかし、なんでよりにもよって同じレースに……
「やっぱり気になるのかい? ミホノブルボン、トレーニングを偵察に行ってきたけど確かにすごいウマ娘だ。あのトレーニングを毎日やってるなんてとんでもなく丈夫な子なんだろう。だけど大丈夫だ、君なら勝てる」
「でも……」
ミホノブルボンの逃げは驚異的だ。坂道をものともせず、常に同じタイムで駆け抜ける。言うは易く行うは難し。そんなことができれば誰も苦労もしない。とうの昔に逃げウマの天下だろう。
恐怖からか、ブルリと体が震える。
そんな俺の頭に、大きな手が乗せられた。
「トレーナー……? あの、えっと」
「僕はどんな結果でも君を見捨てたりはしない。初めてのレース、楽しんできて」
その言葉は、ずっと『勝たなければいけない』と思っていた俺の中にスッと溶け込んでいった。
そうだ、別にここで負けたからと言って一発アウトなわけではないのだ。そう思うと少しだけ気持ちが楽になった。
「ありがと、トレーナー」
「うん、そうやって笑ってるほうがいいよ。ガチガチに固まってたら最後の直線で飛び出せないぞ?」
「むっ、そんなこと」
くしゃり、と髪を撫でられる。
「そう、その気持ちを忘れないように。君はできるウマ娘なんだから」
「できるウマ娘……」
「実際、メイクデビューの勝利ウマ娘の平均タイム、これはクリアしてるんだからね」
そうだ、たとえ相手がミホノブルボンだろうと関係ない。走り切るんだ。
「時間だ。いっておいでルクス」
控室と飛び出し、レース場へ向かう。
パドックでのお披露目にはまばらに人が集まっているだけだった。当然だろう。メイクデビューを観にくるようなのは、よっぽどコアなウマ娘オタクくらいだ。あとは同級生や親とかか。
だが、それでも、『観客がいる』というだけでここまで違うものなんだな……
「凄いな、ミホノブルボン。ジュニア級、それもメイクデビューとは思えないほどに仕上げてきている」
「俺のイチオシはあっちのアップツリーかな。あの子のコーナリングには目を見張るものがある」
観客……ファンたちは口々に感想を言い合っていた。俺の名前は聞こえてこない。まあ未だ最下位以外取ったことがないし仕方ないか。
ふと観客の中に見知った顔を見つけた。ブリッジコンプ、同室の彼女も見に来てくれたようだ。
少しだけ、嬉しくなった。自分を目当てに見に来てくれているやつもいるんだな。
「ふぅー……」
お披露目が終わればついにレースのときがやってくる。
「晴わたる空の元、8人のウマ娘たちが集う中京レース場! メイクデビュー、芝1200m! 各ウマ娘たちがゲートインしていきます」
1人、1人とゲートに収まっていく。
選抜レースではなんとも思わなかったゲート内は、妙に狭く感じた。
「一番人気はこのウマ娘、ミホノブルボン! 逃げウマが不利と言われる中京の1200mで見事勝利を掴み取ることができるでしょうか!」
「彼女なら、と思わせるような仕上がったトモ、これはもしかするかもしれませんよ」
ゲートイン完了。実況も止まり、スタートのときが近づく。
ゲートが、開くっ!
「快調なスタートを切ったのはミホノブルボン。事前の情報通り、逃げで走るようです」
「逆にミーティアルクスはかなり出遅れましたね。これは厳しいでしょうか」
ゆっくりとスタートを切る。決して焦らず、レースの流れを見極めていく。
既に半ばあたりに団子のようなバ群が出来上がっており、激しく競り合いが行われていた。
そしてその先。先頭に君臨するのはミホノブルボン。
「さあ、距離が短いレースということもあり、目まぐるしく状況が変化することが予想されます!」
「おっと、ムーンホップが前に出た! これはどうでしょう?」
「スパートにはだいぶ早いですね。掛かってしまっているかもしれません」
まだだ。スパートをかけるのは残り400m、直線に差し掛かった瞬間。
ハロン棒を横目に確認しながら、レースの推移を確認する。内側を確保しようとするあまり、内ラチ付近に団子のようなバ群ができている! やっぱりまだ、コース取りをしっかり行えている子は少ない。
つまり、外はガラ空きというわけだ!
「おっと、ミーティアルクスが最後尾から上がってきたか?」
「まだ先頭までは距離がありますね。間に合うでしょうか」
4と書かれたハロン棒——残り400mのしるしを確認した瞬間、俺はぐっと脚に力を込めた。
芝を蹴り、ターフを荒らしながら突き進む。外寄りの芝は綺麗で、走るには最高の状態だ。
バ群を横目に、先頭目指して駆けていく。
「ミーティアルクス、ミーティアルクスが上がってきた! だが中京のゴール前には坂がある!」
高低差2mの急勾配。前をいくミホノブルボンは、それをものともせずに走り抜けていった。
負けて、られるか!
芝を踏み砕くようにして、力強く坂を駆け登っていく。
「なんということだ! 失速、ほぼ全員が坂で失速です!」
「ミホノブルボンに釣られて、ハイペースになっていた結果でしょうか」
失速するバ群に目を向けることもなく、俺は突き進む。狙うはただ1人、ミホノブルボンっ!
ブルボンとの距離が縮まり……縮まらない!?
「ミホノブルボン強い、ミホノブルボン強い! ミーティアルクス食らいつくが厳しいか!」
だが、まだだ! 坂が緩くなった今、更に速度を出せる!
ブルボンとの距離は4バ身、3バ身と近づいていく。あと少し、あと少しでいいんだ!
ミホノブルボンの背中に手が届く、そこまで追いついた瞬間。
目の前の背中が、さらに速度を上げた。そして、差は縮まらなくなる。
「ミホノブルボンゴールインっ! 一着ミホノブルボン! 二着ミーティアルクスはあと一歩及びませんでした!」
実況の声がそう叫ぶ。俺たち2人はゴール板の横を駆け抜け、レースの順位が決定する。
足りなかった。ほんの少しの差。だが、その少しの差は、一着と二着という絶対的な差となって俺にのしかかる。
下を向き、涙が見せないように俯きながら走っていく。
そこから、どうやって控え室まで戻ったのかは覚えていない。
「う、うう……」
「ルクス、いいレースだった」
「ひぐっ、いいレースってなんだよぉ……勝ててないんだぞ……」
泣きじゃくる俺をトレーナーが優しく撫でる。
ああ、なんかトレーナーの前では泣いてばっかりだな。
「ミホノブルボンは強かった。これからのG1は荒れるだろう。そう確信できるほどにな」
「ぐすっ……うん……」
「そんなウマ娘にあそこまで食らいつけた君も、やっぱりすごいウマ娘だ。最後、後ろとの差は6バ身近くあったんだぞ?」
全く気づいてなかった。あの瞬間、俺の目にはミホノブルボンしか映っていなかったからだ。
「おそらくミホノブルボンがいなければ、メイクデビューの勝利は君のものだっただろう」
「でも、勝ったのは俺じゃない……」
「ああ、だけどリベンジの機会なんていくらでもある。まずは涙を拭いて、ファンにライブを見せてくるんだ」
その日行われた生まれて初めてのライブを、俺は一生忘れないだろう。
声援と、祝福するかのようなペンライトの光。そして俺は、会場の入り口付近に見つけてしまった。涙を流すトレーナーの姿を。
「ばか……悔しいなら、悔しいって言ってくれよ……」
優しいトレーナーのことだ。俺が傷つかないように気を使ってくれたのだろう。自分が悪いとでも思って、1人で抱え込もうとしているのかもしれない。
そんなトレーナーの姿をみて、胸の底が締め付けられるような気持ちになる。
それと同時。次こそは、そう思う熱い気持ちも込み上げてきた。
「絶対に次こそはっ」
そしてその気持ちは実ることになる。
人生……いや、ウマ娘生二度目のレースにして、初めての未勝利戦。
「ミーティアルクスすごい末脚! 外を回ることによる距離的不利をモノともせず! 今一着でゴールイン!」
大した波乱もなく、俺の目標は達成されることになるのだった。
三女神様はとてもとても喜んでいます。
男の魂はしっかりとウマ娘の体に定着しました。これも全部、彼女の担当になってくれたトレーナーのおかげです。こうなれば、彼女は『ウマ娘』としての力を発揮できるようになるでしょう。
これから先、彼女はレースの楽しさ、恋、女の幸せ……それら全てを知っていくことになります。
三女神様はそんな未来を想像して、再び笑みを浮かべるのでした。