TSウマ娘はトレーナーにガチ恋せずに三年間駆け抜けられるか 作:TS娘には恋させよ
スプリンターズステークス、中山芝1200。
俺にとって初となる短距離GⅠレースであり、今年の総決算とも言えるレースとなる事だろう。
本来の俺の距離適正は『短距離』。そう、本来の距離適正で臨む初めてのGⅠレースなのだ
「おわぁ……すごいな人。短距離は人の集まり悪いって聞いてたんだけど。ほら、フィリーズレビューとかもマイルほどじゃなかっただろ?」
「GⅠだってこともあるし、何より最近の短距離は注目度合いが以前とは段違いだしね」
「ほへー……」
あまりの人混みに、流石に変装なしでは会場入りが難しそうだった。
パーカーとロングスカートで耳と尻尾を隠し、トレーナーの陰に潜むようにして移動する。
「ん、あれ」
「多分そうだろうな。まあマナー違反だから声かけるなよ」
……これバレてねぇか!?
というかそんなマナーあったんだ……。いや、まあレース前のウマ娘の集中を乱すのはそりゃご法度だろうけど。
「あの、トレーナー……」
ちょっとだけ不安になり、先を行くトレーナーの裾を引っ張る。
「大丈夫だよ。出走ウマ娘が変装をして会場入りするのを妨害するような人はそうそういないからね。変装してないなら話は別だけど」
「ああ、そういうことか。勝負服で乗り込んでインタビュー受けながら会場入りするやつもいるもんなぁ」
とまあそういうことらしい。というより、気付いてるのは極々一部だ。めざとく変装に気づくような奴らは熱心なファンだろうし、そういうところちゃんとしてるんだな。
そんなこんなで無事会場入りできた俺たち。勝負服に着替え、落ち着くためにコーヒーを淹れる。
「……?」
芳ばしい香りとお湯の音。それによって精神が研ぎ澄まされていくのがわかった。
「……」
「ルクス? あの、大丈夫かい? コーヒー冷めちゃうよ?」
息を吸って、吐く。
俺の今の状態は、間違いなく過去1番の仕上がりと言える。
まだ控室だというのに、既に固有に入りかかっているのがその証拠だ。
「ふぅぅー……」
「本当に大丈夫? 調子が良くないなら今からでも出走停止できるけど……」
「ああ、大丈夫。むしろ逆だよ」
「……そういう事か。これは、今日のレースはかなり期待できそうだね?」
俺の言葉でトレーナーは全てを察したらしい。
勝負服に身を包んだ俺は、立ち上がるとゆっくり歩みを進めた。
扉を開け、一歩踏み出す。
「それじゃあ、行ってくるよ。1番前で、見ててくれ」
それだけ言って、俺は振り返らずに歩いていく。
これ以上の言葉は不要。きっと重ねれば重ねただけ、決意と想いは薄れてしまうから。
そうしてたどり着いたパドックには、相変わらず人がひしめいていた。
「今日はどうなると思う? タイキシャトルは不在のこのレース、かなり荒れるかもしれないぞ」
「いや、たとえタイキシャトルがいたとしても荒れただろう。タイキシャトルは典型的なマイラーだ。短距離のこのレースでは、圧勝とはいかないだろう」
「確かにな。今日は前日が雨だったのもあってバ場が荒れ気味だ。荒れたバ場は波乱を産むぞ」
パドックの時点でわかる。地面は水分を多く含んでおり、乾ききっていない。
これは本レース場内は結構な事になっているだろうな。
「おい、みんな出てきたぞ。今回注目すべきウマ娘は誰だと思う? 荒れるだろうから、かなり難しいと思うが……」
「そうだな……。俺のイチオシはデュオアスピスだな。札幌レース場で行われたトライアルレースのキーンランドカップ、その1着ウマ娘だ」
「札幌か……。確かにあそこはかなりパワーの必要なレース場だ。そこで勝ったなら、今日の荒れたバ場では好走が期待できる……」
「そういうことだ」
ちらりとウマ娘たちを見る。あれがデュオアスピスか。仕上がりは悪くない。それに調子も良さそうではある。
これは、どうだろうな。
注目していると、デュオアスピスが前に出てお披露目を始めた。
「とはいえ、今回の有力ウマ娘たちはどれもGⅠ勝利経験のある子ばかりだ。まだGⅠでの勝ちがないデュオアスピスがどこまでくらいつけるか、それが鍵だな」
このスプリンターズステークス、意外とGⅠウマ娘の出走が多い。
まずキングヘイローとブリッジコンプという、短距離GⅠを勝ったウマ娘が2人。
そして俺とミホノブルボンという、マイルGⅠで勝っているウマ娘が2人。
もしタイキシャトルが出走していたのならば、ここにさらにもう1人加わったところだったが……。
「GⅠで勝つウマ娘には必ず『何か』があるからな。デュオアスピスはその『何か』の壁を破れないと厳しいだろう……」
「ああ。土壇場で壁を破ってくれればいいが……」
パドックでのお披露目は進んでいく。
緑と黒を基調とした勝負服に身を包んだウマ娘、キングヘイロー。
ステージの中央に躍り出ると、相変わらずの高笑いポーズでアピールをする。
「キングヘイローか。かなり調子が良さそうだな。前走の安田記念では最後の直線で伸び悩んだが……」
「いや、それは参考にはならないだろう。明らかに後方のミーティアルクスにペースを崩されていたからな。あれがなければ上位に食い込んでいたはずだ。それに、そんなアクシデントがあってもしっかり掲示板には食い込んでいる」
「そう考えると充分注目すべきウマ娘だな」
キングが高く評価されているようで俺も嬉しい。
……今回警戒すべきはミホノブルボンとキングヘイローの2人であると、俺は考えている。
キングヘイローは荒れたバ場でも間違いなく煌めくような末脚を披露してくれるだろう。これはほぼ確定と言っていい。
そして今回はもっと俺の弱点を突くような走りをすることだろう。
キングヘイローは心優しいウマ娘で、負けた子のことを考えてしまうような子ではある。だが、決して
「キングヘイローは完全に短距離・マイル路線に鞍替えみたいだな。確かに移行してからの戦績は悪くない」
「そうだな。以前も好走はしていたが、今ほどではないだろう」
それにあの足。相当夏合宿で鍛えたのだろう。
少なくとも、前回のようなのび不足には期待できないと思われた。
「総合すると要注目のウマ娘と言えるな。この路線を引っ張っていくウマ娘の1人だろう」
自信満々。そんな態度のキングヘイローと入れ替わるようにして、俺が前に出る。
少しだけ目を向ければ、キングは不敵な笑みでこちらを見ていた。……やっぱり油断ならないな。
「さて、次はミーティアルクスか。最近の走りには目を見張るものがある、話題のウマ娘だな」
ステージの中央へと身を晒し、勢いよく人差し指を突き立てる。
今日は、勝つ。
確かにキングヘイローは注意すべきウマ娘だ。ミホノブルボンは間違いなく強敵だし、ブリッジコンプは油断ならない相手だろう、
だが、今日この場で。
「勝つのは、俺だ……!」
その声は観客には聞こえなかっただろう。だが、それでいい。
「……かなりの仕上がりだな。まさかここまでとは……。夏前よりも一回り成長してないか?」
「実際トモの太さはかなりのものだ。それに、かなりの気迫を感じる。人差し指を突き立てるパフォーマンスも、自信の表れからだろうな」
「ああ……。すまん、理由はわからんがなんだか少し震えてきた」
ケープをひるがえし、奥へと戻る。
最後に少し威圧してみたが、そんなことで崩れるライバルはいなさそうだ。
望むところ、と言わんばかりに笑みを深めるキングヘイロー。どこか緊張しつつもいつも通りの笑顔のブリッジコンプ。
「きたぞ、ミホノブルボンだ……」
「凄まじい仕上がりだな。安田記念で壁を破ったのか、あれ以降さらに気迫と仕上がりが増している」
そして我関さず、と言わんばかりにいつも通りの無表情を貫き通すミホノブルボン。
いや、決して変化がないわけではない。
少し呼吸が早くなり、興奮しているのがわかる。
「今日も凄まじい逃げを見せてくれるだろうな。中山は起伏の多いコースでもある。ミホノブルボンの坂を平地のように駆ける走りが猛威を振るうことだろう」
1番警戒し、そして意識していると言っても過言ではないウマ娘。それがミホノブルボン。
「今日のレースはどのウマ娘がミホノブルボンを差し切るか、にかかってると言っても過言ではないだろう」
「そうだな。先頭を行くのはミホノブルボンで確定とも言える」
「ああ。……普通のウマ娘だったなら、ここで『ペースを崩さず走れるかが大切』っていうところなんだがな」
「ミホノブルボンに限って言えばその言葉は必要ないだろう」
強敵。その言葉がふさわしいだろう。
そんなブルボンと入れ替わりで前に出るのは、1人のウマ娘。
「ブリッジコンプか。去年のスプリンターズステークスは彼女が取ったんだったな」
「ああ、あのタイキシャトルに勝っての1着、見事と言えた。今回はどこまでミホノブルボンに喰らいつけるかが鍵になるだろう」
ブリッジコンプ。同時にミホノブルボンが出走してる事を考えると、戦況は不利だと思える。
が、実際にはそう簡単な話ではない。
彼女の脚質は『先行寄りの逃げ』。つまり、最後の最後にミホノブルボンを差し切る、という勝ちパターンも考えられるのだ。
「かなり厳しい戦いにはなるだろうが、彼女もGⅠウマ娘。底力を見せてくれるはずだ」
「だな。……実は俺、コンプちゃん推しなんだよ。だから勝ってほしいな、って……」
「推しに勝ってほしいってのはファンなら誰でも持ってる想いだからな」
その後もお披露目は続く。
全員分が終わったのち、俺たちは地下通路を通って本レース場へと入る。
芝を踏み締めた瞬間にわかった。これは、かなり荒れている。
「不良とまではいかないか。稍重……いや、重か?」
現代において、バ場が『不良』となることは少ない。
技術の進歩によりレース場の排水効率も上がったため、よっぽど天気が荒れない限りは重止まりとなる事が多いのだ。
「ゴール前の内ラチ側は結構な荒れ具合だな。芝はあまり剥げてないが……」
あれでは内を行くウマ娘は不利だろう。土と芝が混じった、そしてぬかるんだ状態では全力で走ることは困難となる。
足腰が強く、かつバランス感覚と体幹が完璧なウマ娘なら話は別だろうが。
返しウマでレース場内の芝に足を踏み入れると、それはさらに顕著だった。
軽く走っただけでも足に芝がまとわりつき、速度を出すのに普段よりパワーが必要なのがわかる。
「芝が剥げかけてるところであんまり強く踏み込みすぎるとマズいかもしれないな」
おそらくは他のウマ娘たちも、この状況を把握しているだろう。
見れば苦々しい表情の子もちらほら見受けられた。
返しウマも終わってゲート付近にウマ娘たちが集まり、出走の時が近づいているのを感じる。そして鳴り響くファンファーレ。
「さあやってまいりました中山芝1200m、スプリンターズステークス! 短距離の王者を決めるこのレース、果たして勝利の栄冠は誰の手に!」
「前日は雨模様でしたが、今日はなんとか持ち直しましたね。ですがコースからは水が抜けきらず、バ場はあいにくの『重』判定となっております」
やはり重判定か。
基本的に短距離の子はスピードに優れた子が多い。それゆえ、絡みつく芝に速度を奪われるこの状況は多くのウマ娘にとって不利だ。
「各ウマ娘たちがゲートインを始めました。今回の注目ウマ娘を紹介しましょう」
「3番人気はこのウマ娘、ミーティアルクス。驚異的な末脚が特徴の短距離ウマ娘です。前走の安田記念では3着という結果に終わりましたが、ミホノブルボンとタイキシャトル、そして黄金世代の2人との勝負は凄まじいものでしたね」
「着順以上の実力を感じられる素晴らしいレースでした。この人気も納得です」
俺は3番人気か。
実況の声を頭の隅に追いやりながら、ゲートの中へと体を滑り込ませて精神を統一していく。
「2番人気はこのウマ娘、キングヘイロー」
「黄金世代の一角とも言えるウマ娘です。高松宮記念を境に短距離方向に路線転換しましたが、それ以降は好調な結果を残しています」
「前走の安田記念でこそ伸び悩みましたが、彼女は高松宮記念を取っています。それが今回の人気に反映されたと言えるでしょう」
精神は研ぎ澄まされ、不要な視界から色が抜けていく。
必要なものだけがピックアップされ、最低限のリソースで最大の情報を得られるようにと、俺の体がチューンナップされた。
「1番人気はこのウマ娘、ミホノブルボン。前走の安田記念ではタイキシャトルと激戦を繰り広げ、前々走のNHKマイルカップでは圧倒的な逃げ足を披露したウマ娘ですね」
「今回もミホノブルボンがその驚異的な逃げ足で勝利を勝ち取るのか! ここが見どころと言えるでしょう」
「さあウマ娘のゲートインが完了しました」
会場が静まり、時が止まったかのような感覚に陥る。
そして一瞬の後にゲートが開く——!
「スプリンターズステークスが只今始まりました! 勝利の栄光は誰の手に渡るのでしょうか!!」