「え? エリちゃん、七五三やってないの!?」
風呂上がりにいつものように教師寮のソファでミッドナイトに髪を梳かされていた壊理は、驚かれた事にびっくりして目をパチパチとさせた。
「本当ですか?」
「う、うん」
そのそばにいた 13号も声をかける。
七五三という着物を着る行事の事を訊かれ、ただ「ない」と答えただけなのにどうしてこんなに驚かれるんだろうと壊理は不思議に思う。
きょとんと見上げる壊理に、ミッドナイトと 13号は、戸惑った顔で目を合わせた。
「……そっか~……」
「……まぁ……転々としてましたしね……」
少し悲しそうな顔になった二人に、壊理は少し迷いながらも疑問をぶつけた。
「あの、七五三って……?」
その疑問にミッドナイトが気を取り直したように笑みを浮かべた。
「……七五三っていうのはね、子どもの健康を願って神社にお参りにいく行事よ」
地域によっても違うが、数え年で行ったり、満年齢で行ったりする。
一般的には数え年で行う場合が多く、12月生まれの壊理は、女の子なので満年齢で1歳と5歳の時に七五三のお祝いをしているはずだ。
流石に1歳のときは覚えていないにしても、5歳なら着物を着たかどうかぐらいは覚えている。
「はつもうで?」
「ううん、七五三はたしか……いつだったかしら?」
13号が携帯で調べる。
「……11月15日ですね!」
「とっくに過ぎちゃったか~」
しまった~と後悔するように顔をしかめるミッドナイトだったが、パッと目を見開いた。
「……今からでもやりましょ」
「え?」
「正式な七五三じゃないけど、いいじゃない。成長を祝うって事が大事なんだから」
「……それもそうですね。やりましょう!」
盛り上がる二人を、壊理はきょとんと見上げた。
◇◇◇
数日後。
雄英の施設内で、壊理はひなた、通形、相澤に見守られながら“個性”の特訓をしていた。
壊理は集中し、しおれている花に触れる。
額の角が光り始めると、しおれていた花がみるみるうちに生き生きとまた咲きはじめた。
「……はふっ」
パッと手を放した壊理が、緊張から解かれたように息を吐く。
近くで見ていたひなたと通形が満面の笑みで言った。
「わぁ、すごいねぇ! お花さんがありがとうって言ってるよ!」
「すごいすごい! 植物はもうすっかりお手のものだね!」
手放しで褒める二人に壊理は嬉しそうに笑う。
「それじゃ……次は昆虫いってみよう。ひなた」
「…はい」
相澤が声をかけると、ひなたはゾンビのような表情を浮かべながら虫籠を前に出す。
虫籠の中の昆虫は足が一本取れており、昆虫はうまくバランスがとれず、ウゴウゴと彷徨うように蓋の開いたケースの中で動いていた。
訓練はいつも植物を巻き戻す事から始まり、次は小さい生き物から大きい生き物へと巻き戻していく。
訓練に使う昆虫などの生物は、森でもともと負傷しているものを見つけてきている。
なお、ひなたの虫嫌いを克服する意味も兼ねて、虫の採取はひなたがする事になっていた。
最初はギャン泣きするわ気絶するわで訓練にならなかったが、訓練を始めてから数ヶ月経った今ではひなたも騒がずに虫を自分で採ってこられるようになっていた。
「エリちゃん…虫、採ってきたよ」
「……うん」
生き物を目の前にしたとたん、壊理から笑みが消え、緊張した面持ちになる。
「大丈夫。落ち着いて」
「……うん」
通形の声にしっかりと頷きながら、壊理は集中していく。
自分に言い聞かせるように心の中で唱えながら、そっと昆虫に触れる。
そのとたん、足が生え始める。
元に戻った瞬間にパッと手を放した壊理が「はふぅ ~」と脱力した。
「やったね! ほら、虫も元気になったよ!」
「良かったね…虫さん、喜んでるよ…」
「よかったぁ……」
「昆虫の巻き戻しも慣れてきたね」
虫嫌いのひなたは始終青ざめた顔で話しかけ、相澤は穏やかに話しかける。
ここのところの特訓で、小型の虫などの巻き戻しはほぼ成功していた。
「それじゃ次はトカゲ……」
相澤が言いかけると、壊理はさっきより緊張したように身体を固くした。
その様子に三人が心配そうに顔を見合わせる。
トカゲを巻き戻す練習も何度かしている。
けれど、昆虫と比べて爬虫類は、よりリアルに生き物として感じてしまうのか、いまだにたまに失敗してしまう事があった。
巻き戻しすぎてしまう前に、いつも相澤かひなたが“個性”で止めている。
「……少し休憩しようか?」
相澤がそう訊くと、壊理は少しとまどうように眉を寄せたが、ブンブンと首を振った。
「……がんばる」
相澤が持ってきたのは尻尾の切れたトカゲだった。
トカゲは身の危険を感じると、回避するために尻尾を自ら切り捨てる。
また生えてくるので命に問題はなく、今もケースのなかをチョロチョロと動き回っている。
「……いきます」
壊理は緊張した面持ちで、集中しようとする。
そっとトカゲに手を触れる。
けれど、うまく集中できないのか、なかなか“個性”が発動できない。
ひなたは、“個性”で壊理の波長を見た。
壊理の波長は、緊張のせいで乱れていた。
ひなたは、壊理の右手にそっと触れ、自分の波長を送り込む。
すると先程まで不安定だった壊理の波長が、一定の間隔で波打つ正常な波長に戻る。
「大丈夫。落ち着いて。やればできるよ」
ひなたは、穏やかに話しかけた。
すると壊理は、再びトカゲを見る。
「……やる…!」
壊理がトカゲに触れると、トカゲの尾が元に戻った。
巻き戻しを成功させた壊理は、緊張が解けた様子でふぅっとため息をついた。
するとひなたと通形は、顔を見合わせて笑顔を浮かべる。
「わぁ、すごいねぇエリちゃん!」
「やったね!」
二人が壊理に話しかけると、相澤は穏やかな表情を浮かべながら話しかける。
「今日はこの辺にしようか」
「…はい」
相澤が言うと、壊理はコクンと頷く。
するとその時、ミッドナイトが荷物を手に入ってきた。
「今、大丈夫?」
「ちょうど休憩するところです」
「よかった」
とミッドナイトが壊理に近づく。
「エリちゃん、着物届いたわよ。ほら、これ」
なんだなんだとひなた、通形、相澤もミッドナイトが広げた着物を見てみる。
ミッドナイトの実家から送ってもらったものだ。
色とりどりの花が咲き誇っている、華やかな着物。
「一番にエリちゃんに見せたくて。絶対似合うわよ」
「わぁ……」
壊理もその着物に目を輝かせる。
その顔を見たミッドナイトが嬉しそうに続けた。
「あと帯どめも髪飾りもキレイなのよ」
「え〜、見たいです!」
「すごいな~! ミッドナイトが七五三で着たものですか?」
「そうなの。物持ちいいでしょ」
「大事にとってあったんですね」
ミッドナイトが自慢げに言うと、相澤が言った。
するとひなたは、相澤とミッドナイトの間に割り込んで騒ぐ。
「エリちゃんいいなぁ〜! 僕も七五三したかった〜!!」
「仕方ないだろ」
「そうだけど〜!!」
七五三がしたかったと駄々を捏ねるひなたを相澤が冷たくあしらうと、ひなたはぷぅっと頬を膨らませる。
ひなたは、肉体年齢が8歳くらいの時に施設から救出され、相澤に引き取られた日を8歳の誕生日として戸籍を登録していた。
ちょうど七五三の時期にあたる8年間は、この社会に存在すらしていなかったのだ。
人格形成に重要な8年間を社会の中で過ごしてこなかったひなたは、精神的には8歳児同然で、自分ができなかった事をやりたいと駄々を捏ねるのも無理はなかった。
「ねえ今からでもやりたい!! 数え年なら7が入ってるからセーフでしょ!?」
「何だその屁理屈。あと何だその気色悪い動き」
「Yeeeeeeee!!!」
「叫ぶなうるさい」
ひなたが床の上でひっくり返った亀のように丸まり独楽のように回りながら駄々をこねると、相澤がツッコミを入れる。
壊理は、二人の教師と生徒ではなく父娘としてのやり取りを見て微笑んでいた。
すると通形は壊理に声をかける。
「エリちゃん、ジュースでも飲みにいこっか! リンゴジュース好きだったよね?」
通形が言うと、壊理が頷く。
一度息抜きに散歩でもしようかという話になり、壊理は通形やひなたと一緒に散歩をする事になった。
三人で一緒に散歩をしていると、猫の鳴き声が聴こえてきた。
「ねこちゃん……?」
猫の鳴き声が気になった壊理は、鳴き声のするほうに近づいていく。
近くの植木の下を覗くと、真っ白な子猫がいた。
「ねこちゃん」
壊理に気づいた子猫は警戒しているように「シャー」と威嚇してきた。
子猫の後ろ足に赤い跡があるのに気づく。
「あー、この子怪我してるね。おりゃ」
ひなたは、慣れた手つきで白い子猫を拾い上げ、腕の中に抱きかかえた。
フーフーと息を荒げる子猫に対し、ひなたは出来るだけ目を見ないように手の中で撫でて落ち着かせた。
「だーいじょうぶ、怖くない。痛いの痛いの飛んでけ〜! お〜、よしよしいい子いい子!」
ひなたが子猫に“個性”で波長を送り込みながら撫でて落ち着かせると、威嚇していた子猫は威嚇をやめてひなたの手の中で丸くなった。
ひなたに心を許す子猫を見て、壊理は僅かに目を見開く。
「すごい…」
「相澤さんは猫好きだからね」
「本当は獣医さんかリカバリーガールに診せた方がいいんだろうけど、今日リカバリーガール出張だし、今日祝日だから病院も大抵休みなんですよね。先輩、どうしましょう?」
「うーん、そうだねぇ」
ひなたが言うと、通形が考え込む。
壊理は、こんな時自分の“個性”が使えたらと考え込む。
するとその時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「何の話してんの、ひなた」
「あっ、ひー君!」
「こんにちは、通形先輩。エリちゃんもこんにちは」
「こんにちわ」
ひなたが振り向くと、後ろには心操が立っていた。
心操は、ひなたが手の中で大事そうに抱えている子猫を見てハッとする。
「あ…その子、昨日一匹だけごはん食べに来なかった…」
痩せ細った子猫を見て、心操は心配そうに言った。
猫好きの心操は、自分の部屋で飼っているジジだけでなく、雄英の敷地内にいる猫の世話もしていた。
「…もしかして、この子を探しに?」
「まあな。ひなた達が見つけてくれてて良かったよ」
ひなたが尋ねると、心操は安堵のため息を漏らしながら言った。
心操はふと、子猫が足を怪我している事に気がつく。
「足怪我してるな。ちょっと診せてみろ。部屋で応急処置するから」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えようかな」
心操が言うと、ひなたは心操に礼を言い、応急処置をしてもらう事にした。
ひなたも動物の怪我の治療はできるのだが、猫を飼っている心操にしてもらう方が確実なので任せる事にしたのだ。
ひなた、通形、壊理の三人は、教師達に連絡を入れてから、そのまま成り行きでA組の寮を訪れる事になった。
「すいません、すごい今更ですけど先輩って猫大丈夫でしたっけ」
「大丈夫さ! 大好きなんだよね、猫!」
「じゃあ良かった。俺猫飼ってるんで」
「…!」
心操が尋ねると通形が若干大袈裟な身振りをしながら答えたため、心操が安堵の表情を浮かべる。
心操の猫を飼っているという言葉を聞いて、壊理は僅かに目を見開く。
4人はそのままA組寮へ行き、談話スペースのソファーに座って緊張した面持ちで心操が戻ってくるのを待った。
ひなたは、一緒に来た壊理に砂藤作のスイーツと壊理の好物のリンゴジュースを振る舞っていた。
今日は暖かい春の気候に合わせて、珍しく和菓子がお茶会の場で出されていた。
桜餅やイチゴ大福などの美味しそうな和菓子が並ぶ中、ひなたは壊理が好きそうなお菓子を選んだ。
「エリちゃん、りっ…ウチのクラスの力道くんが作ってくれたお菓子だよ。おいしいよ」
「………」
ひなたがイチゴ大福を勧めるが、壊理は俯いたままフォークに手を伸ばそうとしなかった。
そんな壊理を心配したひなたは、恐る恐る壊理に尋ねる。
「…もしかして、イチゴ大福嫌い?」
ひなたが尋ねると、壊理はふるふると首を横に振って話し始める。
「ねこちゃん、大丈夫かな。ちゃんとごはん食べてるかな。わたし、しんぱいなんだ」
壊理は、心配そうに俯きながら言った。
すると通形は、壊理の視線に合わせてしゃがみながら言った。
「安心してエリちゃん。心操くんは、誰よりも猫に詳しいんだ。そんな心操くんが大丈夫って言ってるんだから、きっと大丈夫だよ!」
通形は、笑顔を浮かべながら壊理に話しかけた。
するとその時、ひなたがスマホを見て口を開く。
「あ、先輩。ひー君からです。ちょうど今、怪我の応急処置が終わったところみたいです。今なら部屋来ても大丈夫ですって」
「聞いたかい? エリちゃん。心操くんが猫ちゃんの怪我治してくれたって。おやつ食べ終わったら一緒に様子見に行こっか」
「……うん」
ひなたが言うと、通形が壊理に話しかけ、壊理も頷く。
子猫の治療を終えたと聞いた壊理は、少し安心したような表情を浮かべていた。
談話スペースでおやつを食べた後、三人は心操の分のおやつを持って心操の部屋に向かった。
心操の部屋は、男子棟3階の一番奥の部屋だ。
「お邪魔しま〜す」
三人は、鍵の開いた心操の部屋のドアを開けて部屋にお邪魔した。
すると、部屋の奥から心操の声が聞こえてくる。
心操は、ちょうど子猫に与える用の粉ミルクをぬるま湯に溶かしていたところだった。
雄英の敷地内の子猫を心操が世話する事もあったので、部屋には子猫用の粉ミルクや哺乳瓶を常備していたのだ。
「ああ、すみません先輩。お出迎えできなくて」
「いや、こちらこそ急に押しかける形になっちゃってごめんよ」
心操がミルクを作りながら、バタバタして出迎えられなかった事を通形に謝ると、通形は逆に心操に迷惑をかける事になった事を謝った。
心操は、手の甲にミルクを乗せて温度を確かめてから、子猫にミルクを与えた。
心操が手当てをした子猫は、足に包帯が巻かれていた。
「ほら、ごはんだぞ」
心操は、子猫の口を軽く開かせて哺乳瓶でミルクを与える。
すると子猫は、よほど腹が減っていたのか、哺乳瓶に吸い付いてミルクを飲み始めた。
ミルクを飲んだ子猫を見て微笑む心操を見たひなたは、ニヤニヤしていた。
「…何だ」
「いやぁ、何だかこうしてるとひー君ってママみが強いなぁって」
「何だそれ」
ひなたがニンマリ笑いながら言うと、心操が若干呆れた様子でツッコミを入れた。
ひなたは、心操の部屋のテーブルに余ったお菓子を置きながら言った。
「ひー君、お世話代わるからそろそろ休憩しなよ。りっきーのおやつ持ってきたしさ」
「ありがとう」
ひなたが子猫の世話を代わるよう心操に言うと、心操はひなたの言葉に甘えてひなたに子猫を託した。
壊理は、ひなたの手の中で眠る子猫を見て安心したのか、安堵の笑みを浮かべていた。
するとその時、心操の飼い猫であるジジが、来客である壊理と通形に興味を持ったのか、二人の間に入ってきた。
「にゃあ」
「ねこちゃん…」
ジジが近づいてくると、壊理はまじまじとジジを見つめる。
長めの黒い毛と突き刺すような鋭い目を持ったジジは、どことなく既視感があった。
ジジは、数秒ほど壊理を見たかと思うと、プイっとそっぽを向いた。
それを見た壊理は、ジジに嫌われたかと思いショックを受ける。
「きらわれちゃった…?」
「ああ、違う違う。むしろ逆」
「え?」
心操が戸惑う壊理の誤解を解こうと話しかけると、壊理はきょとんとする。
「人間同士だったら目を見てお話しするよね。でも猫にとって、目を合わせるっていうのは『ケンカするぞ』っていう合図なんだって。だから、背中を向けるっていうのは『仲良くしようね』って言ってるのと同じって事。本当に嫌だったら逃げたり怒ったりするしね」
「良かったねぇ、エリちゃん! 黒猫さんが、仲良くしようって!」
通形が言うと、壊理ははにかんだ。
だがその表情は、どことなく緊張していた。
すると心操は、食べ終わったお菓子の食器を片付け、ジジのおやつを用意しながら話しかける。
「触る?」
「え…?」
「ウチのジジは賢いからね。よっぽど変な触り方しない限りは噛んだり引っ掻いたりしないよ」
心操が言うと、ジジは返事の代わりに尾の先を小さく振った。
どうやら、触ってもいいよという合図のようだ。
壊理は、少しドキドキした様子でジジに手を伸ばそうとするが、自分の“個性”で父親を消してしまった時の光景がフラッシュバックしてしまった。
もし自分の“個性”でこの子が消えてしまったら。
人使さんも、クレシェンドさんも、ルミリオンさんも悲しむに決まってる。
そんな光景を想像した壊理は、手を引っ込めてしまった。
「ごめんなさい…わたし…」
壊理がびくびくしながら俯いていると、ひなたは壊理の肩に手を置いて言った。
「大丈夫。僕がついてるから。この子は消えてなくなったりしないよ。好きなだけ、触っていいんだよ」
ひなたは、壊理を安心させるように穏やかな口調で言った。
すると壊理は、少し緊張しながらも丸まって寝ているジジに手を伸ばす。
丁寧に手入れされた毛並みは触り心地が良く、壊理は安心したような笑みを浮かべる。
「ふわふわ、あったかい」
壊理が言うと、ジジは『だろ?』と言わんばかりのドヤ顔をする。
するとその時、人使が猫のおやつやおもちゃの入った箱を持って戻ってくる。
「良かったね。おやつあげてみる?」
そう言って心操が壊理にジジの大好物のおやつを差し出すと、壊理は若干緊張した面持ちで頷く。
心操は、壊理の手におやつを乗せると、通形にもおやつを差し出した。
「先輩もどうぞ」
「いいのかい?」
「適量はちゃんと測ってあるんで。大丈夫ですよ」
そう言って心操は、通形の手にもおやつを乗せる。
壊理と通形は、楽しそうに話しながらジジにおやつをあげた。
そんな二人を微笑ましそうに見ていたひなただったが、突然ひなたの世話していた子猫がくしゃみをする。
「あっ」
突然くしゃみをした子猫に驚きつつも、ひなたは子猫の鼻水を拭いてやった。
だがその直後、子猫は再びくしゃみをする。
そしてしまいには、先ほど心操が飲ませたミルクを吐いてしまった。
ひなたが子猫を持ち上げると、子猫は苦しそうに呼吸を荒くしていた。
「すごい熱…!」
ひなたが子猫の耳を触って体温を確かめると、耳の中が熱くなっていた。
すると心操は、子猫の口を開かせて覗き、ある事に気がつく。
「これ、猫風邪だよ。ジジの時も似たような症状出たから知ってる」
心操が言うと、ひなたは深刻そうな表情を浮かべる。
猫風邪と言っても、人間のかかる風邪とは別物で、子猫がかかると命の危険がある深刻な病気なのだ。
ひなたは、せめて水分補給だけでもと少しずつ経口補水液を飲ませた。
「でも、俺達が拾った時はそんな様子なかったぜ!?」
「多分、潜伏期間だったんだと思います。ひー君、抗ウイルス剤とか…」
「流石に持ってないよ。こればっかりは、ちゃんとした病院に診てもらわないと…」
「俺、先生呼んでくるよ!」
ひなたと心操はつきっきりで子猫の看病をし、通形は相澤とミッドナイトを呼びに行こうとした。
そんな中、壊理は、ひなたの手の中で苦しんでいる子猫と目が合った。
子猫は、弱々しく、助けを求めるかのようにみゃあみゃあと鳴いていた。
「わ、わたし、救けたい……っ…です……」
通形達が驚いて壊理を見る。
壊理は恐る恐る自分の手を見てから、通形に言う。
「わたしの“個性”で……」
壊理が言うと、ひなたと通形は顔を見合わせる。
そして頷いてから、通形が笑顔で壊理に話しかけた。
「大丈夫。猫ちゃんを治せるよ」
通形は精一杯壊理を励まし、ひなたは壊理に子猫を抱かせた。
壊理がこくんと頷き、腕の中の子猫を安心させるように話しかける。
「ねこちゃん……だいじょうぶだよ……」
手に感じる温もりに、命の重み。
苦しそうに鳴いているこの小さな猫から、苦痛をとってあげたかった。
壊理は“個性”を使うべく集中し始める。
角が光り始め、子猫が驚いたように一層激しく鳴きだした。
驚く壊理の角から光が消える。
その瞬間、心の奥にあの冷たさが蘇った。
そう思うと、とたんに身体が固まる。
心臓が誰かに強く握られているようにぎゅうっとしたその時、ひなたが話しかけた。
「いつも言ってるでしょ、やればできるって。大丈夫!」
ひなたが壊理の肩に手を置いて笑顔を浮かべながら言うと、壊理が目を見開く。
今回は、壊理の“個性”を制御するための“個性”は使っていなかった。
それでも壊理は、いつもひなたが支えてくれた時のように、身体の芯がポカポカと暖かくなるのを感じた。
「──だいじょうぶ」
しっかりと自分に言い聞かせるように呟いた壊理が、再び集中する。
角が光ると、熱で上がった子猫の体温が少しずつ下がっていき、子猫の苦痛の表情が和らいでいく。
それどころか、心操が手当した傷も巻き戻っていき、傷が消えてなくなった。
それを見届けた壊理がパッと手を放し、「……はふぅ~」と大きく息を吐き出す。
「……やったエリちゃん! 子猫が治ったよ!!」
歓喜する通形に、壊理もホッと笑顔を浮かべる。
子猫は何が起こったのかわからずきょとんとしていたが、壊理のもとを離れず「ミャア」と鳴いて、壊理の手をペロペロと舐めた。
それを見た心操が言う。
「それはね、お礼を言ってるんだと思うよ。救けてくれてありがとうって」
それを聞いた壊理が、そっと子猫の頭を撫でる。
「……痛いのなおった? よかったねぇ」
ふふふと嬉しそうに笑う壊理に、見守っていたひなた達が笑みを深くした。
子猫は、心操が用意したキャットフードをペロリと食べ、元気に鳴いた。
その後ひなた達は、相澤やミッドナイトに連絡を入れてから、教師寮に戻る支度をした。
「色々とお世話になったね。ありがとう」
「おじゃましました」
「いえいえ、こちらこそ」
通形が心操に礼を言い、壊理がペコリと頭を下げると、心操は首を手で押さえながら言った。
例の子猫は、ひなたに大事そうに抱き抱えられていた。
するとその時、ジジが壊理に歩み寄り、身体を壊理の脚に擦り寄せてくる。
「ニャア」
ジジが得意げな表情を浮かべながら短く鳴くと、心操が微笑みながら言った。
「『また来いよ』ってさ」
心操が言うと、壊理は嬉しそうにふふっと笑いながら、ジジをそっと撫でた。
「また来るね」
「ニャア!」
壊理が撫でると、ジジも嬉しそうに尾をくねらせながら鳴いた。
三人は、寮にいたA組の生徒達に別れを告げると、一緒に教師寮へ戻っていった。
ちょうど子猫を見つけたあたりの場所まで戻ってくると、ひなたは抱いていた子猫を地面に下ろす。
「さ、お母さんのところにお帰り」
「ミャア!」
ひなたがそう言って子猫を元いた場所に連れて行くと、子猫は気ままに駆け出していった。
「また、あのねこちゃんに会えるよね?」
「もちろん! 楽しみだね!」
壊理が通形を見上げながら言うと、通形は笑顔を浮かべながら答えた。
するとひなたは、通形と握っている方とは逆の壊理の手を握りながら、満面の笑みを浮かべて言った。
「さ、帰ろっか! 今日の夜ご飯はオムライスだってさ!」
「…うん!」
ひなたが笑顔を浮かべて言うと、壊理は笑顔を浮かべて頷く。
◇◇◇
教師寮に戻り夕食を食べ終わった後、壊理は、相澤やミッドナイト、通形やひなたと一緒に七五三の準備を始めた。
ミッドナイトは、壊理に着物を着せて丈を確認した。
これでもし合わないようなら、七五三の時までに着物の丈を調整しなければならないからだ。
「ちょっと肩上げすれば大丈夫そうね」
丈を確認し終えたミッドナイトは、縫う部分にまち針で印をつけながら言った。
するとひなたが、ミッドナイトと一緒に着物の飾りや着付けに必要なものを確認したり、化粧の色合いを見たりと、七五三の準備を手伝いながら言った。
「いいなぁ〜、エリちゃん。きっと可愛いだろうなぁ」
「相澤さんも着物着る?」
「えっ?」
ミッドナイトが言うと、ひなたがキョトンとする。
「実はね、二分の一成人式の時の着物も取ってあるの。ちょうど今のあなたと同じくらいの背丈だったし、ピッタリだと思うわ」
「え、でも…いいんですか? いや、確かに七五三やりたかったとは言いましたけど、でもアレは、半分冗談みたいなもので…」
ミッドナイトが言うと、ひなたが少し慌てた様子で遠慮した。
確かに七五三をやりたいとは言ったが、ひなたも壊理のお祝いを邪魔してまで割り込むのは忍びないと思っていた。
今からでも七五三をやりたいという発言は、半ば冗談のつもりだったのだ。
「いいじゃない、一緒にお祝いしたら。女の子にとって大事なお祝いだもの、そりゃあ今からでもやりたいわよね」
「でも…」
「相澤くんもね、ああは言ってたけど、本当はあなたの事をお祝いしてあげたかったと思うの。着物姿見せてあげたら、きっと喜ぶわよ」
ミッドナイトが言うと、ひなたは恥ずかしそうにモニョモニョと唇を動かす。
するとその時、ミッドナイトがパンっと手を叩きながら言った。
「あっ、そうだ! 千歳飴も用意しなきゃね!」
「あと、お赤飯! 僕、美味しいお赤飯の炊き方知ってるんですよ!」
ミッドナイトとひなたは、壊理の七五三に何をするかという話で盛り上がった。
すると、話を聴いていた壊理がきょとんとする。
「ちとせあめ?」
「ながーい棒みたいな飴よ。舐めても舐めてもなかなかなくならないくらいの」
「なくならないアメ……」
壊理が美味しそうな長い飴を想像して、ちょっぴりよだれを垂らす。
俄然、七五三が楽しみになってきた。
(ミリオさんにも、デクさんにも見てほしいな。…あの時救けてくれてありがとうって)
壊理は二人に見せる時を想像しながら、ふと窓の外を見た。
少し離れたところに見える校舎。
──私もいつか、デクさんたちのようにここで一生懸命がんばってみたい。
そんな事を思った胸が、トクンとした。
「エリちゃん?」
「……なんでもない」
不思議そうな通形に、笑顔で応えて振り向いた。
いつかの未来、ここを制服姿で歩く自分を想像しながら。