そして、授業参観当日。
緑谷が教室に入ると、蛙吹と、その席の横で楽しそうに話しているひなたと麗日が気づいた。
「今日はカレーもちに……あ、おはよ! デクくん」
「おっはよー!」
「緑谷ちゃん、おはよう」
「おはよう、麗日さん、相澤さん、梅雨ちゃん」
麗日のうららかなスマイルに出久はわずかに頰を染めながら挨拶を返す。
「今日は参観日だね~。デクくんのとこは誰が来るの?」
「お母さんだよ。なんか緊張してた」
「ウチの父ちゃんも!」
「緊張ってうつるよね」
そう苦笑しながら教室の後ろを通り、窓側の自分の席へと向かう。
いつもと同じ教室だが、どこか浮き足立っているような雰囲気だ。
あちこちで誰が来るだの、親がどうしたのと話が盛りあがっている。
「緑谷、おはよう」
「あっ、おはよう心操くん!」
心操が緑谷に声をかけると、緑谷が返事をする。
心操も加わり、再び授業参観の話題となった。
「心操くんちは誰が来るん?」
「……母さんだよ」
麗日の質問に対し、心操は視線を逸らしながら答える。
すると何やら憂鬱そうな表情を浮かべている心操を見て何かを察した蛙吹は、直球に心操に尋ねる。
「どうかしたの?」
「いや、来てくれるのは嬉しいんだけど、うちの母さんミーハーなとこあるからさ。やたらと俺ら世代で流行りの格好してくるんだよ。ミニスカートが流行りの時はミニスカートで来るわ、韓国メイクが流行りの時は韓国メイクで来るわ…父さんも強く止めてくれないしよ…正直、恥ずい」
(((そりゃそんな顔にもなるわ…)))
心操が気恥ずかしそうに言うと、三人は心の中で心操に同情する。
心操の母親は、年齢を考えずにやたらと若者向けの服を着てくる悪癖があった。
臍ピアスブームが来た時も臍にピアスを開けようとしていたため、それは流石に心操が全力で止めた。
「親が来るだけいいじゃない。僕なんか、いつもの授業と何も変わんないからね。ハハハ…」
相澤が保護者なのでいつもの授業と何も変わらないひなたは、他の生徒を羨むように笑っていた。
(授業参観って、やっぱりなんか気恥ずかしいよね。あ、でも手紙読むんだった……)
緑谷が微妙な顔でため息を吐いた時、「なんだ」と声がかけられた。
「あ、轟くん、おはよう」
「おう」
乏しい表情でじっと見られ、緑谷は轟がさっきの疑問の返事を待っていることに気づく。
「あぁ、なんでもないよ。ただちょっと手紙を読むのが恥ずかしいなって」
「まぁな」
それは誰だってそうだ、という事だろうかと思いながら、出久は聞く。
「轟くんは、手紙書いたの?」
「あぁ、一応姉貴に」
「お姉さんが来るんだ?」
「あぁ」
「そっか」
そっけない轟の返事に緑谷が笑ったその時、常闇と話していた飯田、上鳴、峰田が気づいて声をかけてくる。
「おはよう! 緑谷くん! 今日は授業参観日和だな!」
「おはよう……あっ、昨日は遊園地どうだった? 行けなくて本当にごめん!」
ハッと思い出す緑谷に飯田は笑顔で首を振る。
緑谷は先日、飯田から遊園地に行かないかと誘いを受けていたのだが、ヒーローイベントが重なってしまったため行けなくなってしまったのだ。
ネイティヴから4枚チケットを貰ったので最初は緑谷と轟とあと一人を誘うつもりだった飯田は、緑谷と轟が私用で行けなくなったと聞き、代わりに上鳴、峰田、常闇の三人を誘って遊園地に行ってきたのだ。
「気にする事はない。いろいろハプニングもあったが、満喫させてもらった。なぁ常闇くん!」
「あぁ……」
神妙に頷く常闇。
だが、峰田が重大な告発をするように言う。
「聞いてくれよ、緑谷! 常闇、ロリコンだったんだよ……!」
「ええっ?」
「なっ……虚言を吐くな……!」
「ふみにゃん…そっか…」
「違う!!」
驚く緑谷に上鳴が苦笑する。
「違う違う、常闇が幼稚園児にコクられたの」
「え、なんで?」
「まぁそれは話せば長くなるのだが、出会いはどこに転がっているかわからない。だが、とりあえず言えるのは、常闇くんはロリコンではないという事だ」
きちんと訂正する飯田に、峰田は食い下がる。
「いいや、二十年後ならわかんねーだろ! いや、むしろ今から理想の女に育てあげる光源氏計画を発動するつもりなんじゃ……!」
「どんな計画だ」
峰田がヒーローらしからぬ発言をすると、心操が軽蔑の眼差しを向けながらツッコミを入れる。
常闇が軽蔑の眼差しで口を開く。
「それをやりたいのは峰田、お前だろう」
「あぁやれるもんならやりたいね!! 犯罪にならないギリギリな感じで!」
「峰田はギリギリアウトだろ」
「ギリギリどころかタルタロス案件じゃない?」
朝から欲望むき出しな峰田に、八百万と話していた耳郎がイヤホンジャックを揺らしながら振り返って言う。
ひなたも、峰田を蔑むような目で見ながら言った。
「うるせえっ、チッパイ二人は黙ってろ」
「ハァ!?」
「誰が痩せた大地じゃゴルァ!!」
「そこまで言ってねえよ」
峰田に鼻で笑われ、鬼の形相になる耳郎とひなたに飯田が首をかしげる。
「チッパイ? とは何なんだ?」
「ちいせえおっぱいの事」
「上鳴っ、んな説明してんなよっ、飯田も聞くなってば!」
「それは失礼した。だが胸は胸だ。大きくても小さくても気にすることはないぞ」
飯田の言葉に八百万も同意して深く頷く。
「そうですわ、耳郎さん、ひなたさん」
そんな八百万の胸は立派だ。
ヤオヨロッパイだ。
「ヤオモモに言われても」
「くっ……おのれ、このヤオヨロッパイめ…!」
「それより、チョコお餅……これが意外とイケましたの!」
「マジで ~?」
「きょーちんも騙されたと思って食べてみなって〜!」
(チョコお餅……?)
聞こえてきた妙な組み合わせを不思議に思いながら、緑谷は席に着く。
そろそろショートホームルームの始まる時間だ。
時間ピッタリに相澤はやってくる。
──はずだった。
「相澤先生、来ないね?」
サッと席に着いていた全員が注目するが、チャイムが鳴り終わってもドアは開かない。
葉隠の言葉に、蛙吹が「ケロ」と首をかしげた。
「遅刻かしら?」
「ひなたちゃん、何か知らんの?」
「知らなーい」
「見本であるはずの教師が遅刻とは……! これは雄英高校を揺るがす、由々しき事態だぞ、皆!!」
一大事だと飯田が立ち上がり腕を機関車のように回しながら叫ぶのを、瀬呂がなだめるように言う。
「まー相澤先生だって、相澤先生である前に人間だし。たまにはそういう事もあるんじゃね?」
「しかし、瀬呂くん! 我々が目指すヒーローとは一刻を争うものだろう!? 救けを求める人にとっては命をかけた時間……一秒といえど遅刻は大罪だ!」
ヒートアップする飯田を見ながら、緑谷は考える。
(確かに珍しいな。相澤先生が遅刻だなんて……)
USJでの
「──何かあったのかな……?」
緑谷の呟きに、前の席の爆豪が舌打ちして前を向いたまま口を開く。
「ボソボソ言ってんじゃねえよ、クソが」
「ごめん、かっちゃん。でもさ」
爆豪は出久の話を聞く気がないように、前を向いたままだ。
緑谷は、もう少ししたら来るだろうと考えていた。
だが、ショートホームルーム終了のチャイムが鳴り終わっても、ドアが開く事はなかった。
流石におかしいと教室がざわつき始める。
八百万が訝しげに口を開いた。
「──そういえば、そろそろ保護者が来てもいい時間じゃありません?」
「そだな。でもまぁ始まるまで時間はもう少しあるし……」
切島が、考えながらも楽観的に答えた。
「でも、まだ一人も姿を見せないのは……」
眉を寄せて続けた八百万に耳郎が言う。
「どこかで迷ってるとか?」
「雄英、広いからねー」
芦戸があっけらかんと笑って言った。
「ひなた、本当に何があったのか知らない?」
「知らないってば」
心操は、流石に実の娘であるひなたにまで何も知らされていないのは変だと思い、ひなたに尋ねるが、本当にひなたは知らない様子だった。
「よし、僕が委員長として職員室に行ってくる。みんなはそのまま待機していてくれ」
飯田がそう言って教室を出ようとしたその時、全員の携帯が一斉に鳴った。
「なんだ?」
緑谷も慌てて携帯を確認する。
「相澤先生からだ……!」
相澤からのメッセージは『今すぐ模擬市街地に来い』というものだった。
雄英の模擬市街地は、αからσ区画まであり、それぞれが一つの街のように大きい。
「市街地? なんで……」
「……あっ、俺わかった! 相澤先生、あっちでまとめて授業……つーか手紙の朗読と施設案内するつもりなんじゃね!? 合理的に!」
頭の上に電球でも浮いたようにひらめいた上鳴。
合理的な相澤先生ならありそうな事だとみんなが頷き、渋々移動を開始する。
「そういう事ならばしかたがない……みんな、手紙を忘れずに!」
飯田が率先して引率し、乗り場で待機していたバスに乗りこむ。
だが心操は、どこか腑に落ちない様子だった。
「相澤先生が本当にそんな事するかな…」
「さあねー、ほら、早くバス乗ろ」
考え込んでいる心操を他所に、ひなたは他人事のように言い放った。
広大な敷地内を、バスに揺られながら進んでいく。
「最初からあっち集合にしとけっての。めんどくせえわ ~」
「ハハ……」
横並びのシートに座った緑谷は、左隣の峰田の率直な愚痴に苦笑するが、ふと引っかかり考えこんだ。
「どうした、緑谷くん」
右隣の飯田に話しかけられ、緑谷は迷いながら口を開く。
「うん……なんか、そういう二度手間な事、相澤先生がするかなぁって思ってさ」
「確かに、相澤先生らしくはないな」
「それ俺も思った」
目をシパシパと瞬きさせながら飯田も頷き、相澤のもとで職場体験をした心操も頷いた。
その横に座っている轟が、何を言うでもなく黙って話を聞いていた。
合理的がモットーの相澤なら、あらかじめ全てを用意しておくはずだ。
「緑谷、考えすぎ、考えすぎ! ハゲんぞ? きっとうっかりしてたんだよ、うっかり相澤だよ」
「八兵衛か!」
向かいでブフーッと吹き出す麗日の隣で、梅雨が言う。
「それ、相澤先生の前でも言えるの? 峰田ちゃん」
「絶対言わねえから、絶対言うなよ!」
「えーどうしよっかなー」
と焦る峰田と、冗談混じりにニヤニヤ笑うひなたを横目に、飯田がハッとして口を開く。
「もしかしたら、何か先生なりの考えがあるのではないか?」
「考え?」
「あぁ、ヒーローが呼ばれる時はいつも突然。だから、そのとっさの対応を今から訓練しているとか」
「あぁ、それはあるかもしんねえな」
「入学当初も『合理的虚偽』とかやってたしな」
轟が無表情に呟き、心操も同意した。
何かと生徒を脅して本気を出させるというやり方は相澤が入学当初からやっていた事なので、今回も何か考えがあっての事だろうと心操は考えていた。
するとその時、飯田が小さく欠伸をした。
「眠いの? めずらしいね」
「あぁすまない、振動に揺られているとつい……昨日、夜更かしをしてしまった。手紙が長すぎると時間をとってしまっていけないだろう? 40枚からなんとか20枚まで絞ってみたんだ」
「にじゅっ!?」
「絞ってそれ!? いや、20枚削ったのもすごいけど!」
驚くひなたと緑谷に、飯田は真剣な様子で首を振る。
「もう絞れない……感謝の気持ちがぎゅうぎゅうすぎて、一文字も削れないんだ……!」
「20枚も書いて一文字も削れないって凄いな…」
「どうりでポケットが膨らんでると思ったぜ」
こともなげな轟の言葉通り、飯田の手紙が入っているポケットはパンパンだ。
飯田が取り出した膨らんだ封筒を見て、「私のサイフもそんくらいパンパンやったらな ~」と笑う麗日。その天真爛漫な笑顔に、緑谷もつられて笑う。
(──やっぱり考えすぎか)
そして自分の書いてきた手紙をそっと取り出した。
(お母さん、ハンカチ持ってきてるかな?)
涙もろい母の事、手紙の内容が客観的に見て大した内容じゃなくても、泣いてしまうかもしれない。
そんな様子を想像して、緑谷は大丈夫かなぁと心配して苦笑する。
──だが、その想像が想像のまま終わってしまう事を緑谷はまだ知らない。
◇◇◇
模擬市街地のバス停に到着した。
だが、そこに相澤の姿はない。
バスは元来た道を戻っていく。
「この中で待っているという事なんだろう。さぁ、みんな行こう!」
「……なんか匂う」
飯田が腕を上げて皆を誘導しようとした時、障子目蔵が自身の大きな触手の先に鼻を複製していた。
「オ、オイラじゃねえぞ!」
「違う……ガソリンのような匂いだ」
「どっかで交通事故とかの演習でもやったんじゃねえの?」
上鳴がそう言った直後、小さな悲鳴が聞こえた。
「なんだっ?」
その悲鳴がやまぬうちに、別の人達の叫び声も聞こえる。
慌てて声のする方へ駆け出し、ビルが建ち並ぶ道路を駆け抜けていく。
緑谷は走りながら、バスの中の嫌な予感が急激に蘇ってくるのを感じた。
ガソリンの匂いが濃くなっていく。
そして、その予感は当たった。
「っ……なんだよ、あれ……」
立ち止まった切島が茫然と呟く。
突然開けた視界の先には、空き地が広がっていた。
本来、そこにあったはずのビルは倒壊したらしく、瓦礫が脇に無残に寄せられている。
ビルの建っていたところには大きな穴。
半径数十メートルはあるようだ。
そして、その穴の中央にポツンと取り残された大きなサイコロのような檻。
一見、宙に浮いているように見えるのは、丸かじりして残されたリンゴの芯のように、削り残された塔のような地面の上に檻が置かれているからだ。
檻の中からあがっていた悲鳴が、意味のある言葉に変わった。
「お茶子ー!!」
「父ちゃん!?」
「焦凍……っ」
「っ……」
「天哉……!」
「母さん……!」
「人使!!」
「母さん!!」
「出久……!」
「──お、お母さん……?」
紺のスーツを着た母親の姿に、緑谷は息を飲む。
檻に囚われていたのは、生徒の保護者達だった。
それぞれ怯えたように檻から子供の名前を呼ぶ。
慌てて駆け寄ろうとして穴の淵まで行く生徒達。
「っ、くさ……っ、ガソリン……!?」
お茶子が穴の中を覗いて顔をしかめる。
穴の深さは8〜9メートルあり、その底に澱んだ液体が浮かんでいた。
「なんだよ、これっ? なんで親があんなとこ……」
「つーか相澤先生は!?」
その時、ざわつく生徒達を冷たく撫でるように機械的な声が聞こえてきた。
『アイザワセンセイハ、イマゴロネムッテルヨ。クライツチノナカデ』
機械で無機質に変えられた声だが、明らかな敵意が籠っている。
緑谷達はとっさに身がまえた。
「暗い土の中って……」
「相澤先生、やられちゃったって事……?」
「そんな、お父さんが…!?」
相澤がやられたかもしれないという事実に、ひなたが目を見開く。
「ウソだよ! なんかの冗談だろ!? もうエイプリルフールは過ぎてんだぞ! つ ーか、お前誰だよ!? 姿を見せろ!」
『サワグナ。ジョウダンダトオモイタイナラ、オモエバイイ。ダガ、ヒトジチガイルコトヲワスレルナ』
「人質……」
突然の出来事に頭が追いつかない緑谷だったが、それでも事態を把握しようと声の主を探してあたりを見回す。
それは飯田や轟も同じだった。
そんな緑谷達に、触手に耳を複製させていた障子が言う。
「違う、この周りじゃない。声はあの檻の中からだ」
「中……?」
『ソノトオリ。ボクハココニイル』
その声を合図にしたように恐れおののいて退く保護者達の後ろから、潜んでいた黒い人影が現れた。
「っ!?」
フードつきの黒マントに黒いフルマスクをつけた人物。
背の高い男だ。
周りの保護者達は檻の隅に逃げる。
緑谷は、その光景に体を強張らせた。
「──っ」
異常な事態に飯田が隙を見て、そっと携帯から連絡をしようとしたその時、男が言う。
『サキニイッテオクガ、ガイブヘモ、ガッコウヘモレンラクハデキナイノデアシカラズ。アァ、モチロン、ソコノデンキクントオチビチャンノ“コセイ”デモムダダ』
男が上鳴とひなたのほうを向く。
「バレてる…!」
「マジか、くそっ……」
(僕らの事知ってる……?)
訝しむ緑谷の前で、男は続ける。
『ニゲテ、ソトニタスケヲモトメニイクノモキンシダ。ニゲタラ、ソノセイトノホゴシャヲスグニシマツスル』
その時檻の中で、がっしりとした体格の人の好さそうな麗日の父親が格子をつかみ、ガチャガチャと揺らして叫んだ。
「あかん! 檻が頑丈でどうにもできひんわ ー!!」
「と、父ちゃん!!」
麗日は穴の淵に立ち、おろおろと叫ぶ事しかできない。
「ああ、人使…! よよよ…」
「母さん…っ」
気が動転するあまり、棒読みな声を上げながらその場にぺたんと座り込んだ。
心操が再三『ちゃんとした服装で来い』といったにもかかわらず、ノースリーブトップスにミニスカートといった十代のトレンドの服装できた母親だったが、心操は服装にツッコミを入れるよりも先に母親の助けを求める声に動揺する。
「た、助けて、百さーん……!」
「お母様があんなに取り乱すなんて……気を確かに……っ」
気が動転しているせいなのか、多少棒読みぎみな母親の助けを求める声に、八百万は動揺する。
八百万の母の隣で、スーツ姿の蛙吹の父親が鳴く。
「ゲコッ、ゲコッ」
「危険音……ケロ……」
ふだん、常に冷静な蛙吹の不安そうな鳴き声に、じわじわと不安が広がっていく。
相澤がやられたかもしれない。
親達が人質に取られている。
──これは現実なんだと。
「お母さん……」
檻の中で不安そうに涙を浮かべている母親を見て、緑谷は血の気が引くのがわかった。
「なんで……なんでこんな事……!?」
そんな緑谷達を追い詰めるように、男の声が響く。
『ボクハ、ユウエイニオチタ。ユウエイニハイッテ、ヒーローニナルノガボクノスベテダッタノニ。ユウシュウナボクガオチルナンテ、ヨノナカマチガッテイル。セケンデハ、ボクハタダノオチコボレ。ナノニキミタチニハ、アカルイミライシカマッテイナイ。ダカラ──』
「要するに八つ当たりだろうが、クソ黒マントが!!」
男の言葉を遮り、爆豪が叫ぶ。
「かっちゃん!?」
「めんどくせえ、今すぐブッ倒してやるよ……!」
そう不敵な笑みを浮かべて、掌で爆発を起こす爆豪。
その勢いのまま、檻へ行くつもりなのか淵の前に駆けだそうとする。
『オット、ヒトジチガイルノヲワスレルナ』
「キャア!」
男が一番近くにいた爆豪の母親を引き寄せる。
その様子に、爆豪が「チッ」と舌打ちして二の足を踏んだ。
その顔にわずかな焦りがあるのが緑谷にはわかった。
「勝手に捕まってんじゃねえよ、クソババア!!」
その爆豪の言葉に、男に捕まり怯えていた爆豪の母親の顔が一変する。
「クソババアって言うなっていつも言ってるでしょうが!!」
その場の空気にそぐわない怒号に、一瞬全員がきょとんとして爆豪母を見た。
「……すげー、流石爆豪の母ちゃん」
「ヘンな感心してんじゃねえ、クソ髪!!」
啞然として呟いた切島に爆豪がキレる。
「爆豪さんっ、私達今、人質だから……」
「あっ、そうね! そうだったわね!」
檻の中では、緑谷の母親が爆豪の母親に困ったように話しかけている。
『……オトナシクシテイロ』
そう言って、男は爆豪の母を突き放した。
「ずいぶん、胆の据わった母上だな」
「うん、相変わらずだな、おばさん……」
驚く飯田に話しかけられて、緑谷は緊張しながらも苦笑して答える。
「でも、お陰でちょっと頭が冷えた。大丈夫、俺達で母さん達を助け出そう」
「うん…!」
心操が苦笑しながらも言うと、緑谷はグッと拳を握りしめながら頷いた。
「……それで、あなたの目的は何ですか」
緑谷は男を見据えて、なるべく落ち着いた声を意識して言う。
男もじっと緑谷を見返してくる。
『……モクテキハ、ヒトツ。カガヤカシイキミタチノ、アカルイミライヲコワスコト。ソノタメニ、ダイジナカゾクヲ、キミタチノメノマエデ、コワシテシマオウトオモッテネ』
「……それだけのためにかっ?」
尻尾を怒りのために震わせながら、憤然と尾白が吐き出す横で、切島が怒鳴る。
「俺達が憎いなら、俺達に来いよ! 家族巻きこむんじゃねえ!」
だが、そう言う切島たちを嘲笑うように男が言う。
『ボクガコワシタイノハ、キミタチノカラダジャナイ。ジブンヲキズツケラレルヨリ、ジブンノセイデ、ダイジナダレカガキズツケラレルホウガ、キミタチハイタイハズダ。ヒーローシボウノキミタチナラネ』
「……あなたもヒーロー志望だったのなら、こんなバカな事、今すぐやめなさい!」
たまらず叫んだ八百万に芦戸が憤慨して続ける。
「そうだよ! こんなことしてもすぐ捕まるんだからね!」
『ニゲルツモリハナイ。ボクニハ、ウシナウモノハナニモナインダ。ダカラ、キミタチノクルシムカオヲ、サイゴニミテオコウトオモッタンダ。キミタチモ、ダイジナカゾクノサイゴノカオヲ、ヨクミテオクンダナ。──サァ、ダレカラニシヨウカ……?』
人質に向かって手を伸ばす男。
怯えて隅に寄る親達。
「やめて!!」
「っ……」
麗日が必死で叫ぶ。
そんな麗日の様子に引きずられそうになりながらも、緑谷は必死で頭を回す。
(お母さん達をあそこから出すには、一緒に中にいる犯人をどうにかしなきゃならない。でも、犯人をどうにかしようとする前に、絶対に人質を盾にされる……)
「……かと言って、犯人に気づかれずにお母さんたちを逃がすこともムリそうだ……檻の周りに死角になりそうなものもないし……それにここから檻までは数十メートルはある。檻に辿り着くまでにすぐに気づかれる……相手は心操くんの“個性”も知ってるだろうから、『洗脳』には引っかからないだろうし…っ、ダメだ、思いつかないっ」
「緑谷、もっと声小さくしろ。気づかれる」
いつのまにかまたブツブツと呟いていた緑谷を隠すように、轟が前に立ちながら声をかけてきた。
「あっ、ごめん、つい……っ」
緑谷が謝ったその時、ひなたはふぅと小さくため息をつきながら言った。
「ひー君、ちょっと犯人に話しかけてみてくれないかな?」
「いいけど…俺の“個性”、向こうにバレてると思うぞ」
「それでも時間稼ぎにはなるよ。僕もサポートするからさ」
「…わかった」
ひなたが言うと、心操が犯人に向かって歩き出す。
「他の皆も、注意を引きつけてほしいんだ」
「わかった、任せとけ!」
ひなたが言うと、クラスメイトは犯人の気を引く方法を考えた。
心操は、犯人を説得しようと試みる。
「…あんた、俺達の事調べてるんだろ? だったら当然、俺の“個性”も知ってるよな。俺は、こんな“個性”のせいでろくな人生歩んでこなかった。いじめられて、避けられて、
「人使…」
心操が訴えかけながら犯人の気を引こうとすると、母親は思わず目を見開く。
犯人が問いかけに答えずとも、心操の方を向けばそれで十分だった。
心操は、最後の一押しと言わんばかりに膝をつき、犯人に向かって土下座をした。
「だから、頼む…! 俺の大事な人なんだ…!! 俺の家族を、奪わないでくれよ…!!」
心操は、犯人に向かって目に涙を浮かべながら懇願した。
犯人の注意を惹きつけるための演技とはいえ、その言葉に一切嘘偽りはなく、周りで聞いていたクラスメイトまでもが思わず耳を傾けていた。
すると、飯田と切島も、心操を援護するかのように犯人に頼み込んだ。
「俺からも頼む!! 俺の母は、俺をここまで育ててくれた立派な人だ!! 手を出さないでくれ!!」
「もうこんな事やめてくれ!! 俺達の、大事な家族なんだよォ!!」
『ウルサイ…ッ』
三人が犯人に懇願すると、犯人は三人を睨みながらも動きを止めた。
するとその間に、ひなたがコソッと八百万に話しかける。
「ねぇ! 一応確認なんだけどさ。ヤオモモって麻酔弾も作れたりするの?」
「麻酔弾…? え、ええ、可能ですが…それがどうかしました?」
「んーや、ちょっと思ってみただけ」
ひなたの発言を聞いていた緑谷は、作戦を思いついた。
「麻酔弾…あっ、そうだ! 麗日さん、葉隠さん、八百万さん! 作戦があるんだ!」
緑谷は、思いついた作戦を三人に話した。
「麻酔弾?」
「うん、なるべく小型で目立たないものを作ってほしいんだ」
「……それが最善ですわね。わかりました」
頷く八百万。
少しして掌から超小型の麻酔針の発射装置を創り出し、それを葉隠に渡した。
「塗装は目立たぬように土色にしてみましたわ。横のスイッチを押すと針が発射されますわ」
「私は葉隠さんを浮かせばええんやね?」
「うん、これができるのは葉隠さんしかいないから」
「ちょっと待って! 今、全部脱ぐからっ! コスチューム無いし!」
そう言いながら、葉隠が制服を脱いでいく。
しかし、透明な葉隠が脱いだところでただ服がなくなっていくだけだ。だが、慌てて後ろを向いた緑谷が「わっ!?」と驚く。
「ひょー……!! JKの生脱ぎ……!! 身体は脳内補充!!」
注意をひきつけていたはずの峰田が、いつのまにかがぶりよっていた。
そんな峰田に蛙吹の舌が伸びる。
「非常事態でもブレないわね、峰田ちゃん」
「ふごぉっ!」
峰田が地面に叩きつけられたのを微妙な顔で見ていた緑谷の肩が叩かれる。
振り返るが、誰もいないように見える。
しかし葉隠がいるのだ。
「準備万端だよっ」
「気をつけて、葉隠さん……!」
「任せて!」
そう言う葉隠に、麗日がタッチする。
するとふわふわと浮いた麻酔針が檻へ向かっていった。
心操達は、必死に訴えかけて犯人の気を引こうとした。
すると犯人は、ガンッと檻を叩きながら激昂する。
『サッキカラダマッテキイテイレバ、カゾクガドウダノミライがドウダノ…! ソレハキミタチガメグマレテイルカライエルコトダロウ!! ボクニハモウ、ナニモナインダ!!』
「あんただって恵まれてるよ、十分。だってあんたは、まだ生きてるじゃないか!! 生きてさえいれば、いくらでもやり直せるんだよ!!」
『ッ………!!』
心操が涙ながらに叫ぶと、犯人は一瞬動きを止め後退りする。
だがその時、犯人の視界に心操の母親が映った。
すると犯人は、自棄を起こしたのか、心操の母親の腕を掴んで引き寄せる。
「キャア!!」
「人美さん!!」
犯人が心操の母親を掴むと、近くにいた爆豪の母親が声を上げる。
犯人は、心操の母親の顎を掴んで脅してみせた。
『ダマラナイノナラ、ヒトリズツコロシテミセシメニスルダケダ!!』
あからさまな脅迫に、生徒達は思わず二の足を踏む。
だが、その時だった。
「ねえ見て! このマントヤバくない?」
『…ハ?』
青山は、キザな動きをしながらマントを見せびらかした。
青山のあまりにも突拍子のなく意味不明な行動に、犯人は思わず間抜けな声を漏らす。
するとさらに畳み掛けるように、峰田達も一発芸を披露した。
「ポ◯デライオン!!」
「もちもち食感がクセになる、ポ◯デリング!!」
「ミ◯タードーナツ!!」
峰田は、自分のもぎもぎを顔のまわりにくっつけてライオンのポーズをし、芦戸と上鳴が後ろから掛け声を上げて某ドーナツ店のCMを再現した。
すると犯人は、あまりにもシリアスな空気に似合わないからか、普段なら笑わないようなしょうもない一発ギャグにプッと吹き出し、周りの保護者も釣られて笑いそうになる。
そして葉隠を浮かせていた麗日と、当の葉隠も、思わず吹き出しそうになる。
だが、峰田達が数秒稼いだおかげで、葉隠は麻酔針の射程まで近づく事ができた。
葉隠は、そのまま犯人の死角から麻酔針を発射した。
だが、葉隠が発射した麻酔針は、犯人が左手の指で掴んだ。
犯人は、掴んだ麻酔針を穴の底に投げ落とした。
「あっ……!」
『ドウヤラ、ミエナイコバエガチカクニイルナ……!』
男が怒りに肩を震わせ、乱暴に鍵を開けて檻の外へ出る。
そしてマントの中からライターを取り出した。
『ヒトリヒトリ、ジックリクルシメタカッタガ、ヤメタ。ミンナ、ナカヨク、ジゴクニイコウ』
「やめ……!」
緑谷の叫びを待つことなく、男はライターを穴に放り込もうとした。
だがライターは、穴の底に落ちる事はなかった。
「っと、っぶねぇ!」
「はーちん!」
ひなたにあらかじめ近くでスタンバイするよう言われていた瀬呂は、男の持っていたライターをテープで巻き取って回収した。
火が燃え上がらずに済み、緑谷はホッとため息をつく。
だがその時だった。
「何ボサっとしてやがんだクソデク! 今が絶好のチャンスだろうがよ! おい、丸顔! 俺を浮かせろ!」
「う、うん……!」
麗日が爆豪にタッチする。
そのとたん、掌で爆発を連発させながら犯人へと向かった。
緑谷はハッとする。
犯人が檻から出ている。
「……っ」
一瞬、燃料の上で躊躇なく爆破を起こす爆豪にヒヤッとする心操だったが、犯人の気を引いている間にひなたが言っていた言葉を思い出した。
──多分これ、ガソリンじゃないと思う。かっちゃんが掌から爆破起こしても引火しなかったし。ガソリンに似た匂いにしてあるけど、燃料自体の引火性はそこまで高くないと思うよ。だから、ちょっとくらい派手に爆破起こしても大丈夫
ひなたは、大きく息を吸い込むと、犯人めがけて爆音を浴びせる。
すると犯人は、全身が痺れる感覚に襲われて、動きを止める。
『グゥッ……!!』
「焦ちゃん!」
ひなたが叫ぶと、轟が犯人目がけて氷結させた。
風の速さで走る氷に抜かされて爆豪が舌打ちする。
「半分野郎……!」
氷は犯人の足元を氷結させた。
『クッ……!』
「この黒ずくめ野郎が!!」
動けない男に馬乗りになり、掌の上で爆発を起こして威嚇する。
「僕達も行こう!」
飯田に促され、立ち上がる緑谷に麗日がタッチする。
「ありがと!」
「父ちゃんをお願い……!」
必死な麗日の様子に、緑谷は頷き、飯田とともに檻へと飛ぶ。
犯人を氷結させながら轟と常闇もそれに続いた。
「僕達も行こう!」
「ああ」
ひなたと心操も、轟と常闇を追いかけた。
檻に辿り着いた緑谷に、母親が駆け寄る。
「出久!」
「お母さんっ、大丈夫!?」
慌てて頷く母親に頷き返して、すぐに爆豪の元へ駆け寄る。
「かっちゃん!」
爆豪は掌から爆発を起こしながら、犯人を地面に押しつけていた。
「こんな雑魚、俺一人で十分なんだよ。クソが」
「勝己っ、あんた、またクソなんて言って!」
「うるせえ、クソババアが!」
檻から出てきた爆豪の母親が、感動の対面も忘れて食ってかかる。
緑谷がその光景に苦笑したその時、爆豪の下で犯人がマントから腕を出した。
その手には何か小さなものが握られている。
「それ──」
緑谷がハッとして、その腕に手を伸ばす前に、男の親指がその手に握られているものをカチッと押した。
直後、緑谷達の下で爆発が起こった。
そして檻が乗っているリンゴの芯のような地面が揺らぐ。
「な……っ!?」
「何した、てめえ!」
爆豪が犯人に詰め寄る。
『イッタダロウ? ナカヨクイッショニジゴクイキダ』
そう言って男が開いた手の中にあったのは何かのスイッチだった。
「爆弾をしかけてあったのか……っ、うわっ……!」
そう言った飯田が揺れる地面にバランスを崩す。
「おい! 下が崩れそうだ! 早く避難しろ!!」
穴の向こう側で尾白が叫ぶ。
その周りでは八百万が作り出した消火器で麗日達が炎を消そうとしている。
だが焼け石に水だ。
「あかん! こんなんじゃ間に合わへん……っ」
「猛烈な炎を消すより、もっと合理的な……そうですわ……!」
八百万は何かを思いついたようにハッとする。
「キャア!」
大きく傾く地面に、保護者の母親達から悲鳴があがる。
炎に崩れ落ちそうな取り残された檻の塔がとっさに手を伸ばしたかのように、轟が穴の向こうへと氷を伸ばす。
氷でなんとか繫ぎとめられている塔。
だが、氷の橋は炎天下のソフトクリームのようにたちまち溶けていく。
「さぁご婦人から先に! 僕につかまってください!」
「で、でも、あっ……」
その間にもリンゴの芯のような地面はさらにぐらつく。
炎は勢いを増して、塔ごと飲みこんでしまいそうだ。
保護者達が不安そうに身を寄せ合う。
緑谷の母親が涙をこらえながら、緑谷を見た。
「出久……っ」
「っ……」
母の顔を見て、緑谷は震えそうな口元で笑った。
「──大丈夫だよ、絶対救けるから」
「出久……」
緑谷は必死で頭を回す。
その時、出久の耳に轟の声が飛びこんできた。
「くそっ……早くしろ……!」
轟が氷結を続けていた。
続けて凍らせることで氷の橋は厚みを増す。
けれど、いたちごっこのように凍らせるそばから溶けていく。
「氷の橋……滑る……滑る……? そうか……っ」
ハッとして緑谷は叫ぶ。
「滑り台……!!」
「どうした、緑谷くんっ? こんな時に!」
「滑り台だよっ、飯田くん! ほら、こないだ救助の授業で……!」
「救助袋か」
轟が訂正する。
「そうか! つまりこの氷の橋を滑って避難するということだな!」
「もう時間がないよ、八百万さんになにか大きなシートを作ってもらって「もうそろそろできますわ……!」
穴の向こうで、上着を脱いだ八百万の背中からシャツを破って大きな布のようなものが出てきた。
「防火シートですわ。さっきから作っていましたの。麗日さん、瀬呂くん、お願いします!」
「はいっ」
「いくぞ、せーの……!」
シートを受け取った麗日がタッチしたものを瀬呂へと渡す。
テープの先にシートをつけて塔へ向かって射出する瀬呂。
「受け取れ、
「アイヨ!」
切り離されたテープをつけたまま飛んできたシートを
「ありがとう! さすが八百万さん……!」
そう言いながらシートを広げる。
「みなさん! これの上に乗ってください!」
グラグラと足元がおぼつかない揺れの中で、保護者達が防火シートの上に乗る。
「葉隠さん乗った!?」
「乗ってる!」
「相澤さんと心操くんもシートに乗っといて!」
「わかった!」
「飯田くんの“エンジン”で引っ張って、僕達が後ろから押すのがいいと思う。轟くんはギリギリまで氷結していてほしい」
「わかった」
氷結を続けながら轟も頷く。
「犯人はどうする」
常闇が言う。
爆豪が犯人を引っ張り上げ立たせていた。
犯人はすでに反抗する気をなくしているのか、大人しくなっている。
「おいていくわけにいかないけど──」
「ヘンな真似したら、俺が爆破する」
その時、また大きく地面が傾く。
「行こう! 緑谷くん!」
飯田が先頭で、シート両端を後ろ手で持ちながら緑谷を振り返る。
「──うん……!!」
「最初から全開だ……トルクオーバー……レシプロバースト……!!」
走り出す飯田の脹脛にあるエンジンから爆音とともに黒煙が噴き出す。
「ぐっ……!」
瞬間、引っ張られた速度に負けないようにと、後ろから押す緑谷と常闇と爆豪。
後ろのシートの両端は
轟は直前でシートに転がりこんでいた。
飯田の疾風のような駿足はあっというまに氷の橋を滑り渡る。
まるで箍の外れた暴走機関車のようだ。
保護者達に叫び声をあげる暇も与えず、飯田の足は穴の向こうの地面を踏む。
「やっ……あっ?」
祈る気持ちで待っていた麗日達が喜びの声をあげようとしたその瞬間、大きな音を立てて塔が炎の中に崩れ落ちる。
それは氷の橋に伝わり、シートが通り過ぎるのを待たずにその下で折れ、炎に飲まれた。
足場を失くした緑谷達はとっさにつかんだシートの端にぶら下がるしかない。
「うわぁ……!?」
「っ……あっ」
その拍子に、緑谷のポケットから手紙が落ちた。
羽のように舞い上げられながら、手紙は燃えて消えていく。
「くっ!!」
シートごと落ちそうになるのを、飯田が察知して踏ん張り引っ張る。
慌てて麗日達も続く。
「せ ーの……!!」
立ち上る炎に飲まれそうになる瞬間に引き上げられる。
だが、その反動で汗で手を滑らせたのか、シートの端にいた緑谷の母親の体が弾かれるように宙に浮いた。
「キャ……!?」
「お母さ……!」
するとその直後、ひなたと心操が捕縛武器で緑谷の母親を巻き付けた。
「「カンイチ!!」」
二人は、声を揃えてニッと笑いながら緑谷の母親をシートへ引き込んだ。
その一瞬後、全員を乗せたシートは無事、こちらの地面に着いていた。
「助かった……」
と呟く緑谷に母親が駆け寄ってくる。
「大丈夫!? 出久……っ」
「お母さんこそ……っ」
大粒の涙を零しながら自分の体をさすってくる母親に、緑谷は顔をしかめた。
(また心配させちゃった……)
けれど、次の瞬間にハッとして犯人の姿を探す。
「犯人は……っ」
犯人は少し離れて立っていた。
『オメデトウ、コレデ、ジュギョウハオシマイダ』
「は? なに言って……」
「捕まえとけ、とりあえず学校に知らせねえと……!」
「それに相澤先生を──」
全員が顔面蒼白になる中、聞きなれた無気力そうな声が聞こえてきた。
「はい、先生はここです」
倒壊したビルの陰から出てきたのは、ふだん通りの相澤だった。
「……は?」
◇◇◇
その姿に目を丸くする生徒達。
飲みこめない事態に、生徒達がそれぞれ困惑する中、何事も無かったかのようにやってきた相澤は、保護者達に向かって言う。
「皆さん、お疲れ様でした。なかなか、真に迫っていましたよ」
「いや~、お恥ずかしい! 先生の演技指導の賜物ですわ!」
豪快に笑う麗日の父親に、責務から解放されたようにホッと息を吐く八百万の母親。
「緊張しましたわ」
「ヒヤッとしました…後ろから掴まれた時、思わず犯人役の方を反射的に背負い投げしそうになってしまって…」
心操の母親が恥ずかしそうに言うと、周りの保護者が苦笑する。
合気道四段の腕前を持つ心操の母親は、つい反射的に犯人役を背負い投げてしまわないかとヒヤヒヤしていた。
その近くで蛙吹の父親が爆豪の母親に話しかける。
「爆豪さんがキレた時はどうなることかと思いましたケロ」
「すみません~っ、つい……」
さっきまで恐怖におののいていたはずの保護者達が、急に和気あいあいと話しだした。
ポカンとしたままの生徒達の顔に、相澤が言う。
「まだわからねえか? わかりやすく言うとドッキリってヤツだな」
「「「「はー!?」」」」
「は、犯人も……!?」
「えー……この人は劇団の人です。頼んできてもらいました」
『エッ……ア、ハイ。オドロカセテゴメンネ?』
犯人は、黒マスクマント姿で可愛らしく首をかしげた。
「マジかよ~っ」
「どうりで手ごたえねえ、クソモブだったぜ。……あっ、て事はアレか!? 触角、てめぇもこのクソサプライズ共犯か!?」
爆豪は、ひなたの方を振り向きながら尋ねる。
するとひなたは、何食わぬ顔でダブルピースをした。
「オーイェス」
「ざけんなクソが!!」
「かっちゃん…!」
ふざけてみせたひなたの胸ぐらを爆豪が掴み、緑谷がそれを止めようとした。
するとひなたは、爆豪に揺すられながらも笑顔で言った。
「ただまあ、皆には秘密にしつつも、全力で挑めとは言われてたよ。手を抜いてるようには見えなかったでしょ?」
ひなたが言うと、爆豪はしてやられたと言わんばかりに唖然とする。
「ちょっと待ってください! さすがにやりすぎなのでは……!? 一歩間違えば、ケガどころではすみません!」
ためらいながらも抗議する八百万に相澤は淡々と答える。
「万が一には備えてある。やりすぎって事はない。プロのヒーローは常に危険と隣り合わせだからな。ヌルイ授業が何の身になる?」
「それは……そうですけど……」
相澤はじっと八百万を見据えて、ゆっくりと口を開いた。
「……怖かったか? 家族に何かあったらと」
「──はい、とても」
八百万は神妙に答える。
「身近な家族の大切さは、口で言ってもわからない。失くしそうになって初めて気づくことができるんだ。今回はそれを実感してほしかった。いいか、人を救けるには力、技術、知識、そして判断力が不可欠だ。しかし、判断力は感情に左右される。お前たちが将来ヒーローになれたとして、自分の大切な家族が危険な目にあっていても変に取り乱さず、救ける事ができるか。それを学ぶ授業だったんだよ。授業参観にかこつけた、な。わかったか、八百万」
「……はい」
相澤が生徒達を見回しながら言うと、八百万が頷いた。
「それともう一つ。冷静なだけじゃヒーローは務まらない。救けようとする誰かは、ただの命じゃない。大切な家族が待っている誰かなんだ。それも肝に銘じておけ」
「「「「──はい」」」」
「で、結果的には全員救ける事ができたが、もうちょっとやりようあっただろ」
「は?」
「犯人は一人だぞ。わらわらしすぎだ。無駄な時間が多い。相澤にあれだけ誘導されなきゃキビキビ動けねえのか。他にいろいろ言いたいことはあるが……まぁギリギリ合格点だ」
「っ」
相澤からの一応もらった合格点という言葉に、頰をゆるませる生徒達。
「今日の反省点をまとめて、明日提出な」
疲れきった生徒達が不満の声をあげるなか、飯田が手を上げる。
「あ、あの感謝の手紙の朗読は……! ドッキリをカモフラージュするための合理的虚偽だったのですか!?」
「改めて手紙を書く事で、普段より家族のことを考えただろ?」
「確かに……!」
食い下がった飯田が相澤の言葉にあっさりと深く納得した時、授業終了のチャイムが鳴った。
「それじゃ、今日はこのまま解散。保護者の皆様、ご協力ありがとうございました」
相澤の礼に保護者が礼を返して、それぞれの生徒が保護者の元へ向かう。
心操の母親は、年甲斐もなくキャイキャイとはしゃいでいた。
10代後半から20代前半にしか見えないほど若々しく、側から見れば姉と弟のようだった。
「人使〜! どうだった!? お母さん、熱演だったでしょう!?」
「母さん演技下手すぎ…おかげで途中で気付いちゃったんだけど。あと、そういう格好で来るのやめてって言ったよね」
「えー…」
心操が母親にツッコミを入れると、母親は唇を尖らせる。
だがその直後、パァッと天真爛漫な笑みを浮かべながら言った。
「でも、ありがとう。助けに来てくれて。カッコよかったよ!」
「………」
母親が笑顔を浮かべながら言うと、心操は首を手で押さえる。
すると母親は、思い出したように手をパンッと叩くと、ニヤッと笑みを浮かべながら言った。
「あ、そうそう! さっきの『だから、頼む…! 俺の大事な人なんだ…!!』ってセリフ、録音するからもう一回言って!? お願い!」
「バッ、二度と言うもんか!」
母親がニヤニヤしながら言うと、心操は照れ臭そうにそっぽを向いた。
相澤は、生徒達が保護者と話しているのを遠目で見ながら、黒マスクマントの犯人役に話しかける。
「中々の役者っぷりでしたね、
『イヤア、アイザワクンニソウイワレルトテレチャウナァ!! ヤッパリ、コノスガタダトミンナニバレナイモンダネ』
相澤が話しかけると、犯人役は頭を掻きながら笑った。
犯人役は、トゥルーフォームのオールマイトだった。
この姿のオールマイトなら一番生徒達に気付かれないだろうと思い、変装をして犯人役に徹していたのだ。
するとその時、ひなたの相澤を呼ぶ声が聞こえてくる。
「お父さーん!」
『ホラ、ヨバレテルヨ。イッテオイデ』
オールマイトが相澤に言うと、相澤は頭を掻きながらも、ひなたの方へ歩いて行った。