「おつかれっつうことで、明日明後日は休校だ」
相澤先生の言葉に、机の下で静かに拳を握ります。
ぐぅ、と。達成感にも似た感情がこみあがってきます。
(……雄英体育祭は、本当に終わったんですね)
ああ、涙がこみ上げてきそうです。
上位者に成って泣いたことはないですが、今なら少し泣けそうです。
(……ラスボスはお婆ちゃんですし、次は裏ボスかと身構えてました)
今日という理不尽を考えればおかしくないと、本気で警戒してました。
解放された喜びに目頭をそっとおさえ、包帯の感触に邪魔される。それでもようやく日常が戻ってきたと頬が緩みます。
改めて、相澤先生のお言葉を念入りに反芻して、本当の本当に雄英体育祭は終わったのだと噛みしめます。
(雄英体育祭……来年は絶対にさぼります)
もう二度と参加しない。
潰れろこんなイベント。学校にも近寄りません。
「プロからの指名等をこっちでまとめて休み明けに発表する。ドキドキしながらしっかり休んでおけ」
本日の成果が散々すぎたんです。得たものは意図していなかった芦戸ちゃんの両手って……嬉しいけど疲労感が半端ない……はい? 指名?
(なんですそれ?)
軽く首を傾げつつ……まあいいです。
休み明けに答えが分かるなら放置しましょう。今は戦利品のことを考えて心を落ち着けるんです。
……そうです。今日からいつでも芦戸ちゃんの両手を好きにできるんです。握ったり頬ずりしたり頭に乗せたり齧ったりしても良いんです。
(人の身体に、自分のものがあるって良いですね)
淡くも支配欲と独占欲が刺激されます。
普段はお揃いの革手袋で隠してもらい、気が向いたら愛でるんです。
芦戸ちゃんが嫌がろうと拒絶はさせません。せっかくだからお風呂で洗ってもらうのもいいですね!
「? 被身子さん、ご機嫌ですわね」
っと。
いけません。気づけばHRが終わっていました。相澤先生も早々に教室から去っています。
「す、少しだけ」
百ちゃんは浮かれすぎている私を「そうですか」と優しい声で受け入れて、くすぐる様に頭を撫でてくれます。
「んぅ」
その感触が嬉しくて、喉を鳴らして頭を押し付けると両手でくしくしされます。あー、その触り方好きです。
「被身子さん、今日はお疲れ様でした」
「ん、百ちゃんも、お疲れ様です」
百ちゃんは優しいです。いつもよりくすぐったく撫でてくれるのが心地よくて、はふぅと百ちゃんの指を堪能していると「被身子ちゃん、おまたせ!」と、お茶子ちゃんも来てくれる。……あぁ、癒されます。日常最高です。
「まったりしているわね」
「今日は頑張ったもんね!」
「いつもより起きてたし」
「ふやけてるなぁ」
「保健室に寄る?」
「ううん、今日は大丈夫ってリカバリーガールが言ってた!」
「……芦戸、怪我酷いの?」
「ん、見た目だけね。動かすのに支障はないよ」
……。
目を開けても閉じても、何も見えない。
「あー腹減った」
「ナッツあるけど食う?」
「指名かー」
「休み明けか……期待薄だけど気になるな」
「トガの靴はどうする?」
「ご安心を! すでに同じ物を用意しております!」
「ヤオママ、流石……」
「じゃあ、スリッパは返さなさいと!」
……。
賑やかなクラスメイト達の様子に、けれど顔が見られない現状に、焦れてしまう。
ほんの少しの物足りなさが、こんなにも飢えを起こすことを知って、困惑して、気づいてしまう。
(……見えないの、ヤです)
彼らの挙動は分かりますが、どんな表情をしているのか分からない。
予想はできても己の主観を信じられない。顔にだけ靄がかかってみえる。……爆豪くんなら分かりやすいのに。
「……」
この、賑やかなクラスの光景をちゃんと見たいと包帯に爪をたてそうになる。
「さあ渡我さん、靴を履きましょう」
「……あれ? もう寝てる?」
不本意ですが、
少しだけ、怒りのやりどころを見失い、つまらない気持ちを抱く。
(……別に、見えなくても支障はないですが)
芦戸ちゃんや、青山くんを毒牙にかけようとした浅慮は許しませんが、2人の視覚を借りたくなる気持ちは、分かりました。
(……私なんかに、構ってくれる優しい人達なんて……後にも先にも今だけの可能性があります)
希少すぎて、眺めたくもなるでしょう。
……
なまじ手段があるからこそ、手を伸ばしてしまう愚かさは論外ですし我慢の足りなさも極刑ものですが……ほんの少し情状酌量の余地があります。
(……今夜は、一発ですませてあげます)
賑やかな皆の声だけでは、満たされない飢えがある。
それは共感するから、次からはクラスメイトと私に迷惑をかけない手段を講じろと。
「……はぁい、ごめんなさい」
しょんぼりした
「……?」
「どうしたの耳郎ちゃん?」
「あ、いや……ごめん。たぶん、気のせい」
それにしても百ちゃんがテクニシャンです。
最初の頃はへたくそだったのに、すごいです。
指先で耳の後ろをこちょこちょされるの気持ち良いです、くすぐったくて唇がむずむずして隙間からふふふって息が漏れちゃいます。
「百ちゃんダメよ」
「……何がでしょう?」
「ダメだぞ」
「……私は冷静です。ええ、私は冷静なんです」
そうですよねぇ、心地よくても心を乱してはダメですよねぇ。
百ちゃんの指先の熱に乱れを感じつつ、己にも言い聞かせる。感情に任せて
「ヒミコちゃん、本格的に寝てしまうわ」
「あ、ダメだよ被身子ちゃん、家で寝よう!」
「麗日、ししょーをよろしく!」
「うん! 被身子ちゃん、一緒に帰ろう」
――――っ。
あ、そうですね。
当たり前の台詞に、何故かびっくりしました。
「……っ」
お茶子ちゃんは、おかしなことなんて言ってません。
ですが、不意打ちの様にお茶子ちゃんの台詞が衝撃でした。
『一緒に帰ろう』
それは、疲弊していた心に新鮮なものとして響きます
痛くはないけれど、胸の奥が甘く刺激される。
並んで帰れるという現状に言語化しづらい感覚を覚える。
「被身子ちゃん?」
「……っ、帰ります」
動揺を悟られたくなくて、耳が熱いけれど包帯で誤魔化せるだろうと、軽く頭を振って立ち上がる。
(……疲れすぎたせいです)
情緒不安定だと、溜息を吐く。……雄英体育祭という異常が終わったから、日常の甘さが際立ちすぎるだけ。
「トガちゃん、またね!」
「また学校で」
「さようなら!」
「途中で寝るなよー」
「よし! その脱ぎたてスリッパはおいらが返しといてやるよ!」
「「「「ダメ(だぞ)(よ)」」」」
「なんでだよ!?」
なんだか、歯がうずうずします。それを片手で隠しながら、手を振る。
「ばいばい、です」
普段、当たり前につかっている台詞に照れが混じるなんて、今日の私はやっぱりおかしいです。
色々と、未熟で若い力に当てられたのかもしれません。
「あ……あの!!」
え?
その時、ずっと緊張して微動だにしなかった緑谷くんが、意を決した様に声をあげます。
松葉杖を不器用につかって立ち上がり、きっとボロボロなのだろう姿で教室を出ようとしている私に、ぎくしゃくと小さく手を振ってくれる。
「ま、またね!! ひ、ひひっひひひ
あ。
そうです、罰ゲーム。
「―――!」
とてもびっくりしました。
律義な緑谷くんの、わざわざ2人きりじゃなくこの場を選ぶ潔さと覚悟に当てられて、動きも止まりました。
その、羞恥が致死量でガチガチに緊張した穴に埋まりたそうな様子に、小さな救いを覚えてしまう。
今日の失敗の数々が小さい事に感じて、それが不思議だと瞳が疼く。
緑谷くん、すごいなぁ。
「……はい!」
頑張っている男の子って、元気をくれるんですね。
唇を隠しながら、弾む気持ちをおさえて緑谷くんに手を振ります。
「またね!
嬉しくて、うきうきします。
待っていてくれたお茶子ちゃんの手をとり、足取りが軽くなりました。
「え? ……ええええ!?」
と、教室を出て少しした辺りで、お茶子ちゃんが声をあげます。
「ひ、被身子ちゃん、待って!?」
「はい?」
教室と私を交互に見てあわあわしています。……やっぱり顔が見たいです。
「い、いつなん!? いつの間にデクくんと名前で呼び合う仲になったん!?」
「? さっきです」
「電撃すぎひん!!??」
なにがです?
様子がおかしいお茶子ちゃんに首を傾げていると、はた、と動きを止めてお茶子ちゃんが考え込む。
「……あの、ね? 被身子ちゃんは、デクくんのことどう思ってる?」
「優しい狂人さん」
「え?」
「ヒーローだけじゃなくて、お医者さんとか誰かを救う系のお仕事はやめた方がいいと思います」
「どういう評価なの!? え、じゃあ私は……?」
「……大好きです」
「私も!! 大好き!!」
ぎゅーっ!! とされました!
その感触と言葉に歯がかちかちします。
「――――いや!? そうだけどそうじゃなくて!? ……うぐぐ!!」
今度は悩みだすお茶子ちゃんと戯れていたら、いつの間にか靴箱を通り過ぎ、後はいつも通りです。
タクシーを待つ間に今日の晩御飯のことを相談して、降ろしてもらう場所を決めながら帰路につきます。
今日は直帰です。そして帰宅したらすぐにお風呂を沸かして、制服を脱いで少しだけまったりタイム。リカバリーガールにはその時に連絡して、明日は登校しろと言われました。……お婆ちゃんは鬼です。
同情するお茶子ちゃんに慰めてもらい、そのままお風呂に入りました。
湯船で背中から抱っこされるのが好きです。夕飯は前日に冷凍しておいた焼きおにぎりです。じゃこと紫蘇と梅とゴマをたっぷり混ぜ混ぜしたそれを、インスタントのすまし汁と一緒にいただきます。
昨日、お茶子ちゃんがよだれを零しながら我慢していただけあって、とても美味しかったです。公園での特訓はお休みにして、お茶子ちゃんが先にベッドに入り、個性防止用の手袋をつけて眠そうに「おいで」と、私を招いてくれます。
満たされて、抱き着いて、贅沢すぎる時間。
心地よさに身をまかせて、眠気に逆らわず目を閉じ―――――そして。
助走をつけてぶん殴ります。
「へぶ!!??」
夢で現実の傷は反映されず、視界は良好です。
あと、
「え!? な、何するんで……片目の鉄兜?」
はい。ほとんどバケツな兜をぺたぺた確認し、
一応、本当に反省する気はあったらしく、いつものテーブルに食べ物は一切載っていません。
「罰として一ヵ月外さないでください」
「……え!? そ、そういう方向性ですか!?」
「今回は本当に怒っているので、精神攻撃です」
「……ぅぐ」
項垂れるバケツ頭を無視して、静かな部屋を見回します。……人形ちゃんも、あの子もいないですね。
「……それで? 芦戸ちゃんはもう来ている様なので、手短にお願いします」
「……そ、そうですね。それなら、しょうがないですね」
「まず、体育祭の時にほざいていた、アデーラちゃんとアリアンナちゃん。2人との関係を吐いてください」
「……愛人?」
????
意味が分からなすぎてぶっ飛ばしました。内臓攻撃のノリでバケツ頭を殴ったので音が反響します。
「いったーいです!! えっ!? 一発だけって言いましたよね!?」
「芦戸ちゃんと青山くんの件がです! ……それで? 愛人ってなんですか? 人形ちゃんいながら何してんですか? 浮気とか最低です本体を削ります」
「待って!? ちょっ本気で待ってください!! 人形ちゃん公認ですし本当は結婚したいけど重婚はまだトガが怒るから卒業まで待って下さいってお願いしてるだけです!!」
「……はぁ?」
「こ、恋人ですけど、私にはすでに人形ちゃん(配偶者)がいるから、名称が愛人に変わってるだけで痛い痛い痛い!!!!」
本当に何してるの????
「え? 理解ができません。私が卒業しても重婚とか許しません」
「そこをなんとかお願いします!!」
「ダメです」
「と、トガ達は同一人物ですよ!? 私がしでかしたことはトガがしたことです!! 責任はとるべきです!!」
「ぶっ殺しますね。開き直るのも最低ですし私はそんな節操の無いことしません」
「ほんとうに?」
スッ、と。
「……なんです?」
「考えてもみてください。トガ達は元人間だから、三大欲求がそのまま続いています。上位者として不完全です。故にこそ完成しています」
「……」
「睡眠欲は、現実と悪夢に分かれている関係で私が1でトガが9です」
「……」
「ですが、食欲は私が9でトガが1。性欲に至っても私が9でトガが1ですよ? ……睡眠欲にあれだけ翻弄されている私が、性欲9の私を責められますか?」
……。
つまり、それが相談であり本題ですか。
「という訳で、自重できる頻度をあげる為に性欲を5対5にしましょう!」
「そこは確約して自重しきってください!」
「ソレができると思っているなら、頭がお花畑すぎです!」
「……ぐっ!?」
「あと、食欲は7対3にしましょう! 最近、小食すぎてクラスメイトに心配かけてますよね?」
「んぐ」
ここぞとばかりに畳みかけられます。
「あと、睡眠に関しては……すでにねむねむキャラが定着してますので、8対2ですね」
「はあ!? ……それ、私だけ変化が大きいです!」
「いーえ! 今までそれで良かっただけです! 弟子もできたんだから明日から現実の私も頑張ってください!」
わ、
今まで、睡眠欲以外を負担させていた事実に拒否しづらいです。
「っ、分かりました。でも性欲は……せめて7対3にしませんか?」
今でもけっこうドキドキするから、抵抗があります。
「ダメです」
「……」
「トガは、自分のことばかりです。性欲9の私に付き合っていた人形ちゃんやアデーラちゃんやアリアンナちゃんや2人のヨセフカちゃんが可哀想だと思わないんですか?」
「待て」
今さらっと増やしましたよね?
「性欲9は、それだけ大変なんです……」
「……」
遠い目をしている片目に動揺します。……今更、もしかして人間的な欲求を押し付けすぎていた気もして、嫌いですが気まずくなってしまう。
「……わ、かりました」
「ありがとうございます。良かったです。最近は少女ちゃんにも手を出しかねなくて危なかったんです」
「は????」
あ、だめです無理です脳が理解を拒みました。
ふざけるな鳥肌たつぐらいどん引きです。意味が分からなすぎて死にたいです。
「……っ」
どうして、自分自身と対話するだけでこうも疲労と眩暈を覚えるのかとしんどいです。
「……話し合い、終わりましょう。まだまだ爆弾はありそうですが、今聞いたら破滅します」
「……は、はーい! ええと、三大欲求に関しては急に反映したらトガがヤでしょうし、徐々に馴染ませていきましょう!」
「……配慮する
それなら、心身が変化においつけそうです。
「……じゃあ、芦戸ちゃんのところに行きます。もう随分と待たせてますし」
全身に伸し掛かる疲労を覚えながら、芦戸ちゃんに会いに行こうとして「あ」と、
「そうでした。13号先生に気をつけてください」
「……はい?」
まさかの名前に、足がとまる。
「気をつけろって、何をです?」
「13号先生の“個性”は、
「……は?」
意味を理解する前に、本能で脳の瞳ごしに
その左腕、その奥底の幼体に真新しい傷がついている。……ッ。
「今でこそ当たり前ですが、“ブラックホール”は、宇宙にあります」
「……」
「天敵は、ミッドナイトだけじゃありません」
「……」
「普通を望むなら、敵に回さない様に立ち回ってください」
「……」
何も言えない私に、
片目だけでも、ゾッとするほどの真顔だと分かります。私は「わかりました……」頷き、背を向ける。
情報量が多すぎて整理がおいつきませんが、最初に浮かんだのは――――
(……あの時、左腕じゃなく心臓をチリにされていたら)
そんなことで、その破滅的な思考が私らしくないと哂う。
ほんとうに、最近の目まぐるしい日常に……変わっていく己を感じている。
ザリ、と。床を踏んでいた靴が気づけば砂を踏んでいる。
「……」
天を仰げば、醜い月に目を細める。
ざあざあと、少し冷えた夜風に揺れる笹の音が心地良く、静かな騒音に掻き消えない「……え?」という声。私に気づいた芦戸ちゃんが、驚いた顔で振り返る。
病衣姿のままの“個性”を失ってピンクじゃない彼女が目を見開いている。
「……トガ?」
「こんばんは、芦戸ちゃん。月がおぞましくてごめんね」
目を見開く彼女に微笑んで、鞘から抜いた刃を走らせた。