プルフォウ・ストーリー0092 失われたエメラルド   作:ガチャM

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宇宙世紀0092年。アクシズ親衛隊の生き残りプルフォウは地球にいた。アフリカ戦線でエースパイロットになっていた彼女は、あるとき特殊任務を命じられた。それは地球で身を隠している要人を宇宙に脱出させるというものだった―。

■デザイン協力 
アマニア twitter @amania_orz
おにまる twitter @onimal7802
かにばさみ twitter @kanibasami_ta
ねむのと twitter @noto999
田舎太郎 twitter @jegotaro
いなり Twitter @inrtbg7
ヒスイ @m_hisui

■設定資料
ティプレ・アン(デザイン:おにまる)
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ジェシカ(デザイン:ねむのと)
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エミリー・バルド軍曹(デザイン:アマニア)
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オスカー・ウィルフォード大尉(デザイン:田舎太郎)
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※Pixivにも投稿しています。


第15話「姫とのコンタクト」

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 プルフォウがミーミスブルン学園に潜入してから二週間が過ぎていた。ようやく学園生活に慣れつつはあったが、だとしても、彼女はとうてい落ち着いた気分にはなれなかった。秘密任務の遂行が目的なのに、未だ何の成果も上げられていなかったからだ。

 だが焦りは禁物だと、寄宿舎のお風呂に浸かりながらプルフォウは思った。

 

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「まったく不愉快だ。パイロットのわたしが潜入任務だなんて。人手不足といったって、素人に三文芝居を演じさせる理由にはならないよ」

 

 湯船にはたっぷりとバスソルトを入れていた。学園での生活は、知らないことや慣れないことだらけで、大いにストレスが溜まっているからだ。

 だが、不条理がちょっとした幸運をもたらすこともある。その一つが、ここでは好きなだけ水を使えるということだ。アイスを食べるくらいにお風呂に入るのが好きなので、これはとても嬉しかった。常に物資不足のヌアクショット基地では、シャワーを浴びるのも気を使うのだ。

 基地の仲間たちには申し訳ないと思いつつ、プルフォウは存分にお湯を使っていた。まるで、それが自分へのちょっとしたご褒美だというように。

 

 プルフォウは湯船からあがると、バスタオルで頭と体を拭いて、裸のままベッドに寝転んだ。こうやって寝ていると幼いころのコールドスリープの体験を思い出してしまう。

 彼女は薄暗い部屋で姉妹と一緒に、一糸纏わぬ姿で人工的に寝かせられていたのだが、それは戦闘訓練と学習、および精神、肉体的な調整を、幼い肉体に定着させるための処置だった。

 

「フン、あのコールドスリープ装置だって懐かしく感じるな」

 

 そうしているうちに通学時間が迫ってきた。プルフォウはベッドから跳ね起きると、急いで下着を身に着けて、ドライヤーで髪の毛をとかし始めた。

 この作業はかなり面倒だった。上手くまとまらない髪の毛に、プルフォウは思わずドライヤーを放り投げそうになった。彼女は少しくせ毛気味で、丁寧にドライヤーをかけたつもりでも反抗するように髪が跳ねてしまうのだ。

 

「ちっ、見てくれだけ繕おうだなんてさ」

 

 プルフォウは自分らしからぬ行為に苦笑した。

 だが、それ以上に苦労しているのはクラスメイトとの会話だった。誰と誰が付き合ってるとか、芸能人の話とか、美味しいデザートの店があるだとか、連中は取り留めのない話を延々としゃべり続ける。

 記憶力は良いから、無理のない会話を生成はできた。あらかじめ流行のファッションやグッズ、話題の映画や芸能人などの情報は頭に叩き込んであるのだ。だが精神的にはかなりの苦痛を伴っている。

 

「子供と話すのは本当に疲れるよ。早く帰還したいものだな。基地は変わりないだろうか。みな無事だといいんだが」

 

 ただし、美味しいアイスクリーム店の情報だけは大いに興味深く、時間があれば行ってみたいとも考えていた。アイスを食べるものも女生徒らしく振る舞うには必要なことなのだ。

 そう自分を納得させつつ、プルフォウはなんとか満足できる形まで髪を整えた。

 

「まあ、こんなものだろう。モビルスーツを修理するよりよほど簡単な作業だな」

 

 プルフォウは身だしなみを整えると、通学用バッグに、コンピューターパッド、ハンカチ、化粧ポーチ、コミュニケーターを詰めこんで部屋を出た。

 軽くリップも塗っていて、これは資料としてエミリー軍曹から提供されたファッション雑誌を熟読した成果だった。言ってみれば簡単な塗装みたいなものだ。モビルスーツの外装を補修したときは、自分で塗装までしてしまうので、そのスキルを応用すれば簡単だった。

 よし、準備は完璧だ。

 

 寄宿舎の門を出て石畳の小道を歩いてゆく。学園は全寮制なので、生徒はみな寄宿舎から通学している。

 小道を抜けて広い通りに出ると、真正面に学園の本校舎が見えた。通りの両側には白樺並木があって、太陽の光を受けて影が動く模様を描いていた。

 景色は驚くほど綺麗で、思わず感動してしまった。自分にそんな感情が残っていたのが驚きだが、あるいは生徒を演じていることが、心に影響を与えているのだろうか?

 

 だが道を歩いていると、男子生徒がじろじろと見てくることに気が付いて、プルフォウは戸惑ってしまった。

 ちっ、まさか自分の格好がおかしいのか? ちゃんと軍曹に習った通りに制服を着ているし、髪もみっともないくらいには整えている。あるいはくせ毛を笑っているのか?

 潜入任務に従事しているので、周囲から浮いてしまうのはまずいことだった。スパイが目立ってしまっては都合が悪いからだ。

 プルフォウは歩く速度を僅かに速めたが、前方から三人の男子生徒が近づいてくることに気が付いた。

 

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「きみ転校生だよな?」

 

 高学年の男子生徒が馴れ馴れしく話かけてくる。年上の男子生徒に囲まれると、さすがにプルフォウも戸惑ってしまった。基地では、自分以外の全ての人間が年上だから、おかしな話ではあるのだが。

 

「え? あ、はい。先月この学園に」

「だと思った。見かけたことがなかったからさ」

 

 プルフォウは、お前は全ての生徒を覚えているのか? と反論したくなるのをぐっとこらえた。

 

「この学園には慣れた? なかなかいい学校だろ?」

「え、ええ。だいぶ慣れてきました。本当に素晴らしい学園ですね」

「転校したばかりで何か困ってるんじゃない? 良かったら助けになるぜ?」

「いえ、そんな。大丈夫です。お構いなく……」

「遠慮すんなよ。上級生の親切は素直に受けなくちゃな」

「でも……」

 

 プルフォウは、じっと見つめてくる男子生徒から思わず視線を反らした。時間の浪費に、内心イライラとしてくるのを感じる。

 

「まだ友達や彼氏はいないんだろ? ひとりだしな」

「狙っているやつは多いんじゃねえの? おまえ唾付けとけって」

「黙ってろよ! 余計なこと言うんじゃねえよ」

 

 男子生徒たちは勝手なことを言って盛り上がっている。プルフォウはその場を離れようとしたが、一人が道を塞いだ。

 

「きみさ、モデルとかしてるの?」

「モデル? モデリングのことですか?」

「してないなら俺が仕事紹介してやろうか?」

「……」

 

 プルフォウは、男子生徒の言っていることが理解できずに困惑した。こいつらは工学科ということか? いずれにせよ、任務に必要のないことはしないつもりだった。

 

「放課後どこか一緒に行かない? 街を案内するからさ」

「すみません、放課後は用事があるんです。時間がなくて」

「その用事が終わってからでいいからさ」

「本当にごめんなさい! 急いでますので!」

「おい、名前だけでも聞かせてくれよ!」

 

 プルフォウは、相手を殴り倒したくなる衝動を抑えながら、男子生徒の間をすり抜けるようにして走り去った。

 なんてしつっこいんだ! 話を合わせてやればいい気になって。任務の邪魔だからどこかに失せろ!

 

 プルフォウは強化人間なので、思い切り走ると普通でないスピードを出してしまう。だから、不自然にならないように速力をセーブした。加えて後を尾けられないように、目的もなく建物に入ったりする、監視を撒くためのスパイテクニックを使ったりもした。

 

「もう追ってこないようだな……。あんな奴らに付き合っていられるか!」

 

 だが、これは良い警告になった。姫様と接触する際は、周囲に溶け込むような、自然な雰囲気を演出しなければならないだろう。他の人間に話を聞かれるのは絶対に避ける必要があるのだ。

 

『姫様の偽名はナツメ・スワンソンだったな。学年は七年生のはずだ』

 

 地球連邦政府は、ザビ家一族を戦争犯罪人として断罪しようと考えているから、ミネバ・ラオ・ザビ殿下は追跡を逃れるために、この学園では偽名を使っていた。

 十二年前の一年戦争当時、ミネバ姫は一歳の幼子だった。彼女の母親でありドズル・ザビ中将の妻ゼナ・ザビ殿下が、そのまま地球連邦軍に投降していれば、あるいはミネバ・ザビは人知れずひっそりと暮らすこともできたかもしれない。だがゼナ・ザビ殿下は幼子を連れて小惑星アクシズに逃れ、そのまま体調を崩して病死してしまった。そして摂政であるハマーン・カーンがミネバ様を担ぎ出した。それが彼女にとっての不幸の始まりだったのだ。

 

 プルフォウは、登校する生徒達に混ざって学園に向かって歩き続けていたが、前方に下級生の一団を見つけた。

 

「姫様がいる……」

 

 プルフォウの感覚がそう告げた。

 彼女も学園に来てから遊んでいたわけではない。学園に潜入した三日後にはミネバ・ラオ・ザビ殿下を特定していたが、それから一週間かけて準備したのだ。

 

 ミネバ殿下の行動パターンを監視、分析した結果、接触するには登校時が一番良いと判断した。殿下は放課後活動として管弦楽部に所属しているが、練習を終える時間が日によってまちまちだった。納得するまで演奏しているようで、かなり練習熱心だということが想像できる。真面目な性格なのだろう。

 

 殿下のことは記憶しているが、十二歳に成長していることを考慮する必要があった。接触するのは慎重に進めなければならない。ジオンの姫ではなく一般人として暮らして数年が経っているので、突然ネオ・ジオン兵が現れれば動揺される可能性がある。繊細な性格なので、ショックを与えないように気をつけろと上官にも注意されていた。本来そんなカウンセラーのような任務はパイロットの役目ではないが、しかし年齢が近いので気を許すということは確かにあるかもしれなかった。

 

 プルフォウはあくまでミネバ殿下に自然に話しかけるために、数日かけて考えた手段を実行に移すことにした―。

 

***

 

 七年生に在籍する十二歳の少女ナツメ・スワンソンは、髪型を気にしながら歩いていた。このところ後ろ髪が少し跳ねてしまうのに困っているのだ。彼女はこれも成長して髪質が変わってきたからなのだろうかと考えたが、ならばいっこうに伸びない背丈も成長して欲しいと思わずにはいられなかった。

 スワンソンは髪型を気にはしていたが、自分で髪をセットしているわけではない。亜麻色の髪の手入れは、いつも侍女にまかせている。

 スワンソンはそういう身分の人間なのである。

 ショートカットにした髪は、クルッと巻かれた前髪が特徴的で、エメラルド色の瞳は高貴さを感じさせた。目鼻立ちが整ったすました顔は、容易に人を寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。

 

 スワンソンがこの学園に転校してから三年が経っていた。八歳までは宇宙暮らしをしていて、勉学のために地球に降りてきたのだ。この学園にはVIPの子息子女が数多く所属しているが、なかでも彼女の待遇は最高レベルのものだった。寄宿舎は最上級グレードの部屋をあてがわれ、警護と身の回りの世話をする侍女もいる。

 そうした待遇にはそれだけの理由があったのだが、このミーミスブルン学園の中で、ごく限られた人間だけがその事実を知っていた。

 

『だがこのような待遇、いつまでも続くものだろうか……?』

 

 それがスワンソンの本音だった。彼女はいつも漠然とした不安を抱えていた。

 スワンソンの本来の人生は宇宙にある。地球は仮の住まいなのに、その宇宙からの情報が一向に地球へと伝わってこないのだ。もしかして、自分は見捨てられたのではないだろうか? そうした疑念をじざるを得なかった。

 

 いつものように、そんなことを考えながらスワンソンが校門を通り抜けたとき、サークルの勧誘をする生徒達が数人いることに気が付いて、彼女は思わず警戒した。サークルの勧誘が本当に多いことにスワンソンは心底うんざりしていた。ほぼ毎週一度は何らかのサークルに勧誘されてしまうのだ。

 男子生徒数人に囲まれたりするとたじろいでしまうが、思い切って無視して歩き去ると諦めてくれる。歩き去った背後で「本当に気取った女だな。あれじゃ友達もいないだろ」と陰口を言われたりするが、 彼女は他人とあまり深くつきあうのを避けているので気にはしなかった。

 

 そう、確かにこの学園に友人はいない。でも所属している管弦楽部で、幼いころから続けているバイオリンの演奏に集中していると、孤独なことはまったく気にならない。

 親しい人間といえば侍女のクラーラくらいで、あるいは自分を姫だと意識している感情が人との交わりを困難にしているのかもしれない。けっして性格が悪いとは思っていないが、人に尽くされることに慣れすぎているのは否定できないのだ。

 

「ちょっといいかしら?」

「えっ?」

 

 スワンソンは早足で校舎に入ろうとしたが、初めて見る上級生がディスプレイシートを手にして話しかけてきたので、思わず足を止めてしまった。

 またか。うんざりする。話しかけてきたのは珍しく女生徒だったが、どうせサークルへの勧誘に決まっている。

 

「なにかわたしに御用ですか?」

「突然でごめんなさい。あなたナツメ・スワンソンさんね?」

「……」

「わたしはマリーベル・リプル。よろしくね。ちょっと話があるのだけれど時間いいかしら?」

「サークルの勧誘ですか? でしたら、わたしは管弦楽部に入っています」

「あ、わかった?」

 

 やっぱり。いつもと同じように断って同じように嫌われる。その繰り返しだ。

 

「わたし今度演劇サークルを作ろうと思ってるんだけど、あなたを一目見て気に入ってしまって。演奏会で見たんだけど、綺麗な子だな~って。お姫様の役なんかぴったりだと思ったな」

「えっ? お姫様?」

「興味ある? ちょっとだけでいいから話を聞いてくれないかな。お願い! 可愛い子に入部してもらえたら嬉しいな」

 

 その上級生は、演劇同好会の勧誘デジタルシートを手渡してきた。シートを見ると、そこには『部員募集! 違った自分に変わりたい人はいませんか? 演技で自分を解放しよう』という宣伝文句が、動くイラスト入りで書かれていた。イラストは姫と王子、馬だが、正直なところあまり上手くはない。

 

 スワンソンは、サークルには興味がなかったが、演劇という言葉が気に留まった。違った自分に変わりたいとは興味深い。確かに自分は異なる身分を演じている。この今の学園生活そのものが演技だといえるのだ。

 彼女は、その奇妙な符合が気にかかった。人生において偶然はあまり信じていない。この女性には別の意図があるのではないだろうか? 

 

 この上級生はまっすぐ自分に近づいてきた。そして『お姫様』と強調したのも気にかかる。悪い人物とは思えないが油断は禁物だ。地球連邦軍の罠という可能性もある。正体がばれたとは考えにくいものの、だとすれば言葉巧みに誘い出すつもりなのかもしれない。

 

 スワンソンは思い切って尋ねてみることにした。

 

「あなたはなぜ、わたしが姫の役に興味があると考えたのですか?」

「そうね、仕草とか表情かしら。あなたはお姫様役として素人ではないと感じたの。……前にお姫様を演じたことはない?」

 

 スワンソンの頭の中で警告音が鳴り響いた。この女性はわたしの正体を知っている!?

 

「演劇サークルの勧誘だから演技をするのですか? 誤魔化しはやめなさい。あなたの意図は別のところにあるのでしょう?」

 

 そう言い放つと、スワンソンは素早く逃げ出した。

 

「あ、ちがうの。待って!」

 

 女の声を無視してスワンソンは走った。

 自分の正体を知って近づいてくる人間などは、まず悪意を持つ人間に違いない。白昼堂々、誘拐するつもりか。とりあえず校舎に逃げ込まなければならない 。

 

「ちょっと、危ないじゃない!」「おい走るなよ!」

 

 周囲の声を無視して、スワンソンは校舎に向けて全力で走った。危機に直面したときは思い切りが必要だ。他人の迷惑など考えていられない。

 小柄な身体を生かして、他の生徒が並んで歩く間を縫って走り抜ける。

だが一瞬背後を確認したのがまずかった。石につまづいてしまったのだ。

 

「あっ!」

 

 体勢を崩して前方に倒れこんでしまうが、運悪く目の前には噴水があった。まずい、このままでは真っ正面から石に激突してしまう!

 スワンソンは頭を両手で抱えて、何度もしたことがある耐ショック姿勢をとった。

周囲から悲鳴があがり、いよいよ激突すると思ったとき、スワンソンは自分の身体が誰かにしっかりと受けとめられたことを感じた。

 ドスッと鈍い音がして、二人はひとかたまりとなって地面に倒れ込んだ。

 誰が助けてくれたのだ? 侍女のクラーラか? だが、彼女はずっと後ろにいたはずだ。では誰か別の生徒か。あるいはこの人間も敵で、自分を捕まえるために?

 思わず見上げると、さっき声をかけてきた女が微笑みながら見つめていた。

 笑う顔が綺麗な顔だと思い、そのとたん、顔が赤くなるのを自覚して俯いた。彼女は自分が噴水に激突しないようにクッションになってくれたのだ。そして、いま自分を抱き抱えている女の青紫色の瞳は、かすかに記憶にあった。

 

「大丈夫ですか?」

「え、ええ……」

 

 スワンソンは女の身体から離れようとしたが、このまま抱かれているのが心地よいとも思ってしまった。

 

「わたしは決してあやしい者ではありません。……あなたの臣下です」

 

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 そういうと、その女はスワンソンを立たせた。

 しかし、この女は後ろから追いかけていたはずなのに、前にまわって自分を受けとめるとは……。尋常でない身体能力だ。やはり?

 スワンソンには思い当たることがあったが、女は制服の埃を払いながら立ち上がると、すばやくその場を離れようとしていた。

 

「あっ、待ちなさい」

「今は状況が悪いようです。また改めて参ります」

「そ、そう……」

「回りくどいことをして申し訳ありませんでした。……姫様」

 

 『姫様』と呼びかけられて、スワンソンの全身の感覚が反応してぶるっと震えた。

 客観的に考えれば、この高度に近代化された宇宙世紀に姫とは非現実的だとは思う。だが、その事実は自分にとってはまぎれもない現実なのだ。

 

「本名を教えてもらえないか?」

「はい喜んで。自分はプルフォウといいます。ジオンアフリカ方面軍に所属する大尉です。証にこれをあなたに預けます」

 

 女生徒はバッグから小さな金属プレートを取り出すと、スワンソンに手渡して素早く立ち去って行った。スワンソンはそれが何であるのかをすぐに理解した。

 侍女のクラーラがようやく追いつき、心配そうに駆け寄ってくる。

 

「ミネバ様! ご無事ですか!」

「ああ、問題はない」

「対応が遅れてしまって申し訳ありません! あの女生徒は何を?」

「クラーラ、心配はいらぬ。彼女は味方だ」

 

 スワンソンの口調は変化し、威厳のある物言いとなる。いや、むしろこれが元々の彼女なのだ。

 

「ジオンのエージェントだと仰るのですか? ですがそのプレート、あるいは危険物かもしれません。わたしがお預りします」

「そうして欲しい。しかし……どうやら宇宙(そら)に帰るときが来たようだ」

宇宙(そら)へ?」 

 侍女が緊張した面持ちになる。だが学園近くでモビルスーツによる戦闘が発生したとき、こうしたことが起こる予感はあったのだ。

 そう、ナツメ・スワンソンからミネバ・ラオ・ザビに戻らなければいけない。彼女はジオンの忘れ形見、ザビ家の末裔ミネバ・ラオ・ザビなのだから。

 

***

 

「マリーベル・リプル!」

「えっ!? ティプレ・アン!」

 

 プルフォウは、トラブルを嗅ぎつけた野次馬たちが集まってきたので、騒ぎの場を素早く離れたつもりだった。だが、副生徒会長のティプレ・アンが鬼の形相で立ちはだかったことに驚いてしまった。

 自分の脚力についてくる!? 一般人にしては相当に運動神経が良い女だ。

 

「驚いたのは私ですわ。あなた、大勢の前で下級生の女子を押し倒すなんて破廉恥な! 恥を知りなさい!」

「わ、私は彼女を助けようとしただけです」

「助ける? 誰から? あの子に襲いかかったのはマリーベルさんでしょう?」

「そんなわけないじゃない、失礼な! ……サークルに勧誘はしましたけど」

「よほど強引に勧誘したのでしょうね。演劇同好会でしたっけ? すでに演劇部はあるというのに新設したいだなんて。主役になりたいのでしたら、たいした目立ちたがりではなくて?」

「私は演技理論にメソッド法を取り入れてるので……」

「意味がわからないけど、部員ひとりでは許可出来ませんから」

「部員は揃えてみせます」

「強引な勧誘をまた耳にしたら、次は生徒会でとりあげますわよ? 気をつけることね。それと教室に入る前に制服の埃を払いなさい。みっともないわよ」

 

 ティプレ・アンは、プルフォウの土で汚れた上着を指差し、馬鹿にしたように笑うと、校舎に向けて歩いていった。

 ギスギスした会話を終えて、プルフォウはふぅっと息をつく。

 

『あいつ、余計なことばかり言ってくるな。邪魔な奴。しかし、下級生の女子を押し倒しただなんて言いふらされたらまずいぞ。エミリー軍曹によれば、生徒という連中は噂好きらしいからな』

 

 この極秘任務は目立たぬように遂行する必要があるので、余計な揉め事を起こしてしまったとプルフォウは反省した。今後は、十分に気をつけて姫と接触しなければ。

 

『それにしても、姫様のお身体は柔らかかったな。まだ子供らしいというか……。いやいや、私はなんてことを考えているんだ! これは軍法会議物だぞプルフォウ!』

 

 プルフォウは妄想を振り払うことに苦労した。腕に残る姫を抱いた感触に気を取られて、時間が過ぎるのを忘れてしまったのだ。

 彼女は時間厳守を重視しているので、これまでブリーフィングや作戦に遅れたことはなかったのだが、この後、一時限目の授業に遅刻することになったのである。

 


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