武闘万世は無個性である。
この世界の総人口の内、約八割は何らかの超常体質――“個性”を持つを言われるが、万世の抱いた体感としては、無個性の比率は五人に一人というよりも、十人に一人というのが近かった。
差別という差別を、受けたことはない。この社会は、個性を使用できる立場の者を原則ヒーローのみと定めているためだ。つまりヒーロー以外は実質的に無個性、ということ。
だから。身の丈にあった夢を持ち、分相応に生きていれば、彼はここまで苦悩することすらなかっただろう。
──ヒーローになりたい。そんな夢なんて、抱かなければ。
万世は小さい頃からテレビのヒーローショーが好きだった。毎週リアルタイムで見ていたし、毎月特番がある日には欠かさず録画もしていた。
それらは現在も、万世の自室クローゼットの中で眠っている。
「お前は俺の子なんだから、ヒーローなんて無理だよ」
父は頭ごなしに万世を否定した。不器用に無個性ならではの幸せな生き方を示したかっただけかもしれない。だが万世にとって、父の言うことは頭で理解できても感情で理解できなかった。
その反発心がむしろ、彼の夢を助長させていくことになる。
「武藤くんがヒーローに? え~無理だよ。ププ、個性無いくせに」
初恋の子には嗤われた。反骨心で乗り越えたものの、実際は辛い経験だった。その日、万世が密かに入浴中に涙していたのは、誰も知らないことだ。
「お前がヒーローになるっていうのはさ、足の不自由な人がサッカー選手になるようなもんだぜ」
親友には馬鹿にされた。
納得してしまった自分を払拭するために、万世はそこで初めて暴力を振るった。
一度螺子が緩んでしまったからだろうか。以来、彼は暴力に抵抗がなくなり、自分を否定するものを逆に拒絶することで自分を保つようになっていく。
どれだけ人に嫌われようと、最終的には関係なくなる。
自分はヒーローになり、社会に認められるのだから、と。
不可能だと分かっていた筈なのに、自分を騙し続けることで、彼は努力を続けられた。小学校中学校と、成績は常に一位を堅持し続け、得意のバスケでは地区大会で準優勝にまで上り詰めた。“無個性”の一点さえなければ、間違いなく彼は優秀だったのだ。
自分なら出来る。自分は他人より劣っている部分を、努力で補えるんだ。そして総合的には、個性を持っている奴よりも優れている!
意を決して、進路希望の紙に『士傑高校』と書いて提出した。本当は雄英が良かったが、流石にそれは強欲すぎるだろうから。
数日後、早朝に担任から呼び出しを受けた。
「何だこの進路希望は。先生を馬鹿にしてるのか?」
──何を言われたか、一瞬理解できなかった。
これまでに理解することを拒んでいた現実を、最悪の形で突き付けられたのだ。
「ヒーローになりたいのか? お前が? お前なんかが!? この忙しい時期に冗談を言うのは辞めてくれ!!」
「……冗、談、なん、かじゃ……」
心臓はちゃんと動いていただろうか。
呼吸はちゃんとできていただろうか。
心ここに非ずといった様子で、万世は担任の言葉を、ただ聞いた。
「お前は何故か成績だけは信じられないくらいに良い。部活でも学校一優秀なくらいだと聞いている。問題は素行の悪さだが……その程度は先生が内申書で誤魔化してやるよ。
――良いか、武闘。お前は最寄りの進学校の特進科に行け。それが一番、お前の可能性を広げる選択だ」
返事は出来なかった。
頷くことも出来なかった。
「──無個性に士傑は無理だ。当たり前のことを言わせるなよ」
促されるままに退出し、しばらくその場で呆然とする。
何分だったか、何時間だったか。ともかく思考をまっさらにして、ようやく理解した。
ああ、俺はこの数分の間に、これまでの約九年間の努力を否定されたんだ。
「あの野郎、自分の成果の為にか……?」
万世は一つの結論に行き着き、それを妄信し、激怒する。
自分の評価を上げるために教師は生徒の進路を支援するものである。
あの男はきっと、武藤万世を進学校に連れて行くことで、自分の評価を高めようとしたのだろう。万世はそうと確信してやまなかった。
「許せねぇ……! 俺を食い物にするつもりなんだな!?」
俺は何の為に今まで、これだけの努力をしてきたのか。
不良だと蔑まれようが俺の頑張りだけは変わらない。報われなきゃいけないんだ! 俺を認めてくれる奴なんて、この社会に一人だっていやしなかったのに! だけど俺はたった一人で頑張り続けた!
頑張ったんだよ! 今までずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと!!
────九年間も!!
気付いた時には、走り出していた。
向かった先は理科実験室だ。
とにかく、全部ぶっ壊したい気分だったのだ。
カーテンにアルコールランプで火をつけて、出来る限りの実験用薬品を部屋中にぶちまける。
椅子を振るって壁に穴を空け、黒板を真っ二つに割り、窓ガラスを割って回る。
自分の詰み上げてきたもの全てが無くなるくらいなら、他の奴らの青春も全部燃えてしまえばいい。
「燃えろ」
「燃えろ!」
「全部燃えろ! 死ね! 消えろ!!」
「こんな学校、なかったことにしてやる!!」
けたたましい火災警報器の音ですら、もはや万世には届かない。
◇◆◇
「全員逃げろ! 火事だ!」
「っ」
遅れて火災警報器が鳴り響いた。
途端に混乱に陥る教室内。三年生の教室は三階だが、ちょうど窓の下には花壇が設置してある。最悪逃げ遅れたとしても、柔らかい花壇に着地すれば骨折することもなく非難できるだろう。
むしろ注意すべきなのは、火元の方だ。校舎全焼なんて冗談じゃない。下手すれば進路に響く。
そこまで考えて、灯守の行動は早かった。
「火は何処ですか!?」
「一回の理科室だ! だからあそこには行かないように……って、オイ! 何処へ行く!?」
火災の発生源を聞き出すと、灯守は全力疾走で廊下を駆けていく。個性を発動させて、避難に成功した自分と理科室に向かうという自分という、二つの可能性を作り出すことも忘れない。
鏡張りのように至天堂灯守が二人に分かれる。片方は教室横の非常階段を降り、片方は理科室へと走る。
「待てよ! 至天堂!!」
「コラ! 待つのはお前もだ拳藤ーっ!!」
拳藤が少し遅れて灯守を追う。
ちょうど彼が個性を使う場面を見ていなかったのか、少女は一目散に理科室へと向かう灯守の方に走り出した。
(単なる事故ならいい。まさか放火じゃないだろうな? ……もしそうなら、アストラルが──)
最悪の事態を想定しつつ、数十秒で火元に到着する灯守。
コンクリ―トの筈の教室が火で包まれていて仰天する。発火性の薬品でも散乱させたのだろうか。カーテンは焼け落ち、床の半分以上が燃えている。
そして、想定は危惧していた形で現実となってしまった。
理科室の中心で静かに佇む男子生徒がいた。
「……君が元凶か」
「あ?」
「校舎に火を着けたのか」
「だったらどうしたよ。個性があるんだろ? だったら火事くらい平気だろうが! 俺らと違って!! 特別な才能があるんだろ!?」
「──」
成る程。
悲痛な絶叫だった。
灯守の胸も、いくらか痛んだ。
「君とは昨日会ったな」
「……ああ、ははは。……思い出した、拳藤といたお前な。雄英受けるっていうお前か。名前は何だったっけな? 至天堂とか呼ばれてたっけ!?」
激憤に隠された僅かな嫉妬と羨望。
それと、後悔を発狂することで隠しているようだ。
灯守は柔らかくした声で万世に話しかける。
「僕も思い出した。君を忘れていたなんて。期末テスト一位の武藤万世、だな」
「……は?」
「僕だよ。
無論、と評するべきか。至天堂灯守は中学入学以来、テストで満点以外を取ったことがない。そんな彼と常に対等だったのは、この学校で万世ただ一人だ。
至天堂灯守と武闘万世。常に満点の者同士、全く名前を知らない筈がない。
万世の方もようやく気付いたらしく、表情が切り替わる。
「……お前だったのか」
「そう、僕だったんだよ。だが、そういう君はどうしたんだ? 凄い奴なのに、何があった?」
灯守は足元のバケツを拾うと、水道に置いた。蛇口を捻り、水を貯めながら話を続ける。
「僕でよければ聞くよ」
「出てけ。殺すぞ」
武闘は手に隠し持っていた果物ナイフを灯守に向ける。簡易な刃物だが、十分に人を殺傷する能力はあるだろう。
灯守は笑みを絶やさない。
「そういう訳にもいかない。このままだと君も火達磨だからな。一緒に避難しようじゃないか」
万世は混乱していた。
眼前の灯守は、ナイフを向けられても尻すぼむ素振りすらない。
直接人殺しをする覚悟はなかったが、どうせ武闘万世に未来なんてもうない。彼の中で禍々しい発想が肥大化していく。
(いっそ、コイツも道連れにしちまうか……)
「──オイ、至天堂! 刺激するな!!」
遅れながら到着した拳藤一佳は火の手がギリギリ届くかといった限界の範囲から、灯守を呼び掛けた。
「大丈夫」
その男の目を見て、万世は感じ取る。
「大丈夫だよ、武藤」
「……っ」
彼は身を案じて駆け付けた女など意にも介さずに、ただ一点を見ていた。見つめられている者だけが、その視線の意味を理解する。
(──コイツ、
常軌を逸している。
達観しているとは思わない。狂っている。
正義感に狂っているとしか思えなかった。
自分の為にだけに、狂ってくれているとしか、思えなかった。
「ナイフは置こうか。君の望みが何であれ、その手段はきっと間違ってる」
「うるせぇ! 我が物顔で雄英なんて受けようなんて奴には分からねぇよ!! 俺の気持ちは! 俺がっ!! 何を思って生きてきたかなんてよ!!」
「雄英? ヒーローになりたいのか」
「悪いかよ!! 誰だって通る道の筈だ!! 俺がその道を通っちゃ悪いのかよ!!」
同級生一人に訴えるような内容ではなかったが、不思議と万世には灯守が同年代の子供には見えなかった。自分たちとは別の所に住んでいて、しかし自分たちと同じ場所で生きている、特別な人間に見えたのだ。
「そんなこと言う奴は間違ってるさ」
否定され続けてようやく気付けた真実。
気付いて自棄になった彼を、灯守はむしろ否定した。
(……嘘だ)
そう思いたかった。
しかし嘘にしては、至天堂灯守の嘘は大きすぎ、暖かすぎた。
「僕はヒーローになる。それも、ナンバーワンにだ。君も一緒に頑張らないか?」
「ナンバー……ワン?」
つまり。
言外にオールマイトを越えると、本気でそう言ったのだろうか。
灯守はバケツに溜まった水を被ると、火の中を歩みだした。淀みない足取りで万世に近づき、互いに手の届く場所にまで到達する。
「友達になろう、武闘」
「ッ」
気付いた時には、ナイフを振るっていた。
「舐めてンじゃねぇええ!!」
「至天堂っ!!」
少女の悲鳴じみた声が聞こえる。
だがもう遅い。
人を刺す感触が確かにあった。確かめるように万世が視線を下ろすと、間違いなく彼のナイフは刀身が灯守の腹部に刺さっている。
殺した――そう思ったが、灯守から返ってきたのは意外そうな声音。
「……やれやれ、浅いぞ。もっと深く刺さないと人は死なない。痛いけどね」
「テメェ……!」
まるで、人の殺し方を知っていると言わんばかりの言い方だった。
「ヒーローになるなら、ちゃんと武器の使い方を考えるべきだ。それは自分の感情を発散するための道具にしていいものじゃない」
「テメェに、俺の! 何が分かるんだ!! 知ったような口ぶりで!! せ、聖人気取ってんじゃねぇ!!」
「君の気持ちは、僕が斟酌できるような安いもんじゃないんだろう。でも、少しだけ分かるぞ。君に何があって、何を感じたのか」
灯守は吐血しながらも、片手を万世の肩に乗せる。
そこから万世は、励ますような力強さを感じ取った。
期待のような何かを感じて視線を上げると、応じるように灯守は言う。
「変わらなくていい。
“それ”には、誰かに許可される必要も、特別な資格も、
武闘万世は、言われて振り返る。
今まで自分が辿ってきた道に、こんなことを言う奴が一人でもいただろうか。
『お前は俺の子なんだから、ヒーローなんて無理だよ』
『武藤くんがヒーローに? え~無理だよ。ププ、個性無いくせに』
『お前がヒーローになるっていうのはさ、足の不自由な人がサッカー選手になるようなもんだぜ』
『何だこの進路希望は。先生を馬鹿にしてるのか?』
…………違ぇ。
断じて、絶対に違う。
現実なんて痛いほどこの身で知った。とっくの昔に知ってることなんだ。だから、教えて欲しかったのは現実の痛さじゃない。
ずっと、俺が、俺たちが、言って欲しかった言葉があった。
「──君は、ヒーローになれるよ」
力なくナイフが零れ落ちる。その際に傷口が開いたのか、滴っていた灯守の血が勢いよく噴き出した。
万世はようやく、自分が誰を刺したのか自覚して青ざめる。
彼はよりにもよって、初めて自分を認め、励まし、一緒に歩もうと本心から背中を押してくれた人物を、刺してしまったのだ。
「し、至天堂、俺は……こんな、つもりじゃ……」
「分かってる」
「でもお前……血がこんなに……」
「はて。何の話だ?」
背後から万世の肩に灯守の手が置かれる。
……あれ、だがおかしい。至天堂灯守の手は、既に万世の肩に乗っていた筈なのに。
「『インフィニットメイビー』」
灯守はそんな現実を、あくまで可能性に過ぎなかった仮定の一つとして吐き捨てた。
「僕は君に刺されてない。だから、君の手には肉を裂く感覚なんて残らない。ただし、今心にある感情だけは残しておきなよ」
万世が握っていたナイフからは、付着していた灯守の血が、綺麗さっぱり無くなっていた。
「……はぁ、ビビった。何だよ、
後には、安堵した一佳の溜息だけが残った。