アストラルの活動制限は約五分。
その日のコンディションによって幾らか上下するにしても、その目安が生命線であることに変わりはなかった。
怪獣の名に相応しい異形者の薙ぎが、蹴りか、頭突きが、突進が、悉くアストラルの肌を掠めていく。
気付けば、巨人の総身によって山肌が削られ、高速道路が倒され、農場が破壊されていた。それでいて巧に逃げ回るアストラルに目立った外傷はない。
しかし、内側からの自壊は不可避である。
活動限界、これだけが。
「はぁ、はぁ、はぁ」
現在、戦闘を初めて二分弱。
両腕はとうに痙攣を初め、両脚はあらぬ方向に捩じ切れたかのような激痛が残っている。
全身の筋肉という筋肉が根をあげ、既にアストラルの精神に肉体が後れを取っているような状態だった。
基本的にアストラルの戦闘は消耗戦である。最も肉体が万全の序盤で相手を倒しきれないと、体力の低下に伴って加速度的に運動能力が削れていく。
「ガガガガッ!!」
巨人は地表を噛み砕きながら、鉄塔の上に陣取ったアストラルへと肉薄する。
平常時の666倍の稼働率を誇る殺人鬼の五感は、相手の動きを筋繊維の一端に至るまで詳細に認識していた。
認識は容易。あとは対応だ。
脳に連結するあらゆる器官が666倍に加速する。
運動に伴う全神経が唸りをあげ、相対的に痛覚に遅延が産まれる。
身体の限界を感じるよりも先に、アストラルが動いた。
「シッ────」
黄金は巨人へと直進した。
直進し――その股の間を潜り抜け、背中へとよじ登る。
岩石のように肥大化した総身への打撃は無意味だろう。
となると狙いは一つ。
──首の、骨を、堕とす──!
「らァッ!!」
爆撃のような破裂音が響く。
的確に急所を、完璧に相手の隙を捉え、それも全力で打ち込んだ。
しかし致命傷ではない。アストラルの拳が突き刺さった頸部だが、衝撃のほとんどが石像のような肌で守られている。相手の内部にまで響いていない。
「く、そ……ッ、硬ェな!!」
「主の、勅命。必ずや──」
「何ボヤボヤ言ってるんだお前!!」
小蠅退治のように無気力な巨人の態度が、アストラルの神経を逆撫でする。
こんなことは初めてだ。殺しにかかっている相手が、全く自分を見ようとせず、危機意識の一つも向けられない。
屈辱だ。
こんなことはあってはならない。
アストラルは、もっと畏怖されなければ。
現実問題、こんな怪物を野放しにしてはおけない。ここで潰しておかないといけない理由は幾つも浮かび上がる。
だが、それ以上に矜持の問題があった。
アストラルのもたらす死は絶対でないとならないのだ。
(殺すコロすころすぶっ殺す! 必ず殺してやる! コイツを絶命させる!)
しかし残念ながら、死力を尽くしたアストラルの攻撃でさえも、どうも有効打に欠けるという現実がある。
唯一有利だと感じる点は、巨人の方に知性が感じられないことだ。
相手の突進の動きを誘導し、カウンターの威力に利用することは十分に容易い。
(……よし、カウンター。それでいこう)
アストラルは巨人の首根から飛び降りると、見晴らしの良い丘の上に着地する。
「ほら、掛かって来いよ!!」
挑発してから、巨人の動きは単調だった。
ぴくりと制止して、アストラルの姿を悠長に捕捉すると、急アクセルを踏んだような突進が始まった。
「オォォォォォォォォォ!!」
(愚直)
狙うのはやはり頸椎。
瞬間的な速度はアストラルに分があり、相手が減速する前に急接近することは可能。
そこで、全気力を込めた拳打を繰り出せばいい。
そうすれば確実に、首の骨をへし折れる。
(────今!)
アストラルは絶好のタイミングを見逃さない。
それが訪れた瞬間、疾駆のために身を屈める。
そして――体内で何かが破裂するような感触がして、視界が真っ赤に染まった。
「ぅ、おえッ」
あまりの腹圧で肺胞が潰れたのか。
それとも血が高ぶり過ぎて動脈が破裂したのか。
ともかく、
(ヤバ。動、けな──)
身体に激震が走った。
巨人の正拳が余すところなく少年の身を貫く。
巨躯が生み出す運動エネルギーが、その一点に終結していた。痛みを感じる余裕などない。まるで半身が炸裂したかのような衝撃を受け、アストラルは山岳めがけて吹き飛ばされた。
森林をなぎ倒しながら減速し、山の中腹辺りで停止する。
別の可能性に逃げようにも、『インフィニットメイビー』によって作られた分身はいつの間にか全滅している。完全にアストラルの落ち度だ。気力に余裕がなく状況判断が遅れ、『回避に成功した可能性』を作るタイミングを逃した。
胸が潰れたかもしれない。腹に穴が開いたかもしれない。頭から脳みそが飛び出たかもしれない。──事前に保険さえ打てていれば、そんな可能性を全て唾棄することが出来たというのに。
だが、この絶大なダメージは今、確定してしまった。今からどれだけ可能性を分岐させても、現在の瀕死状態は無かったことにならない。
(──死ぬかもな、ボク)
アストラルでさえそう思った。
しかし死ねない。だから生きている。
どうして自分がまだ生きているのか、それを説明できる肉体的メカニズムを彼は知らない。
ただ生きねば、という決意で生きていた。
(なんて、規格外)
頭は意外と冴えていた。
下手をすれば、オールマイトより強敵なんじゃないだろうか。
地響きのような足音がする。
必死の余力で瞳を開くと、巨人はすぐそこまで迫ってきていた。
(『シフトナンバー』で逃げることも出来るが……)
しかし、それはアストラルにあってはならない選択だ。死ぬか、殺すか以外の幕引きを至天堂灯守は認めない。
いざという時に逃亡の腹を決めていると、決死の覚悟というものが欠けてしまう。それだけは駄目だ。
もっと我武者羅に、死に物狂いで、毎秒に命をかけて戦うのが“ヴィラン殺し”のやり方なのだから。
だが──埋めようのない筋力差と、芳醇な死の香りがアストラルの眼前に突き付けられている。
この落差は無理をするだけで埋められるだろうか。無理をした先の死を乗り越えることは可能か。
アストラルの表情に焦燥と逡巡の色が浮かぶ。
そんな時、
『……─無茶を──な―……キア』
どこかから、ラジオのような声が聞こえた。
「主!!」
『ヒー……が来…………───は退───機会……また───隠……』
「……」
ああ、そういえば、あの怪獣は首にラジオのようなものをぶら下げていたっけ。
それも、軍が利用する通信機のように巨大な代物をだ。
(もしかして、誰かの指示を聞いている……?)
「──全ては、主の仰せのままに」
暫くして、足音が遠ざかるのを聞いた。
(退け、た……?)
最初に降りた感情は安堵である。ここで死んでは、至天堂灯守の夢は潰える。その最悪の事態だけは避けれたことに、無意識にほっとした。
しかし、そんな自分が死にそうなくらい癪に障る。
退けた? そんなまさか。見逃されただけだ。
弄ばれた、だけだ。
「ッッッッ」
情けない。
情けない情けない情けない!!
見逃されて、軽んじられて、まるで殺す価値すらない塵虫のように唾棄されたまま、蹂躙された山々に放置された。こんなに情けないことはない。
まだ未熟な肉体だから?
子供だから?
だからどうした。だから舐められたまま、この常軌を逸した殺人狂が黙っているものか。
「く、ぞ……が」
土を握る手にすら、力が入らない。
そこを精神で肉体に鞭を打ち、何とか立ち上がる。
「あ、うぇっ」
赤黒い血が溢れた。
「……負け、ただと」
事実を反芻する。
そして、その可能性を拒絶した。
至天堂灯守には無限の敗北があり、無限の勝利があるはずだ。全ては心の指し示すままに現実が齎されるべきだ!
個性の力ではない。僕がそう決めた。
──だから、まだ負けてない。
どちらかが死ぬまでは、勝ちも負けもあるものか。
そして、一度始まった勝負は決着がつくまで止まらない。
「追えよ、ボク」
肉体が駄目なら魂で喰らいつき、相手の命を貪るまでだ。
あの怪人を殺すまで、勝負は終わらない。
至天堂灯守がそう決め、宣言した以上、誰もそれを止められない。
「──言っただろ。ボクが死ぬか、お前が死ぬかだと」
「ッッ!?」
無音で接近してきた黄金に、巨人は動転する。
視界の端から現れたと思いきや、眼球の中に飛びついてきた。
「このアストラルに! 二言はないんだよ!!」
少年は巨人の瞼を引き裂き、右の目玉を抉った。
「ggggグghrrrjhrhォォォォォぉォォォッッ!!」
絶叫する巨人はたまらずアストラルを叩き落とす。
可能な限り五体満足で少年を連れ帰ることが主からの指令だったが、それを遵守する理性が蒸発した。右目が潰され、命の危機を感じ取る。
防衛のための殺傷だ。
「潰れろォぉォオオ゛オ゛!」
「『インフィニットメイビー』」
巨人の足が、地面の少年を踏み砕いた。
トマトのように潰れ、金髪の遺骸が転がる。
自分の可能性の分身が死ぬ様を見ながら、事前に飛翔していたアストラルの一体が、巨人の肩に着地した。
「僕はお前に踏み潰されて死んだ。そんな可能性も、あっただけだ」
踏みつぶされた分身が消滅したのを確認すると、アストラルは巨人の鼻を蹴り折った。
「ウォォォォォォォォォォォ!!」
混乱する暇もない激動。巨人はたまらず落涙する。
右目を潰された上に、鼻の骨をへし折られ、激痛で悶えずにはいられない。
捻じ曲がった鼻筋を抑え、痛みに嘆く。
失った右目に手を当て――はじけ飛んだはずの視力が戻っていることに気が付いた。あれ、眼球潰れたんじゃなかったっけ?
「あれぇぇえええ?」
「オイ、何を呆けてる」
そしてアストラルは巨人の額を、胸部を、股間を、腰を次々と連打する。
──傷を負わせたかと思えば、その可能性を抹消し、別の部位に攻撃を変更する。、
──五体のアストラルはあらゆる攻撃可能性を五方向から的確に加えていく。
──本物の傷も、偽物の傷もありはしない。
──錯覚させろ。混乱させろ。相手の脳を疲れさせろ。
──可能性の痛みを現実の苦痛と錯覚させてしまうくらい、目まぐるしく可能性を回し続けろ。
血の巡りを、筋肉の収縮を加速させ、
身体の内側から太陽を感じる。
コレが至天堂灯守の第三宇宙速度だ。
アストラルは止まらない。
「ボクを視ろ。そして知れ。コレが恐怖だ」
一方的な殺戮が、そこにはあった。
「君は
◇◆◇
それから三分ほどが経過した。
森には閑寂な夜が再び降りる。
あまりの静けさに、巨人が抱えていたラジオの男は黙っていられなかった。
『マキア……?』
邪悪な声音も多少動揺しているように感じた。
――やはり、いる。
巨大な死体の傍らで、同様に死に体のアストラルは考える。
(ボクを襲うように、指示を出していた奴が、いる)
そう考えてみれば、あの巨人は被害者だったと思えなくもない。ただし、その指示に何の良心の呵責も見せず、十五歳の少年を損なおうとしたのだから、今更アストラルの行いに後悔は産まれようもない。
後悔ではなく、新たに殺すべき対象が増えただけだ。
「お友達は死んだぞ。次はお前だ」
『……』
こちらの声が届いていたのだろうか。嫌な沈黙が訪れた。
『ふふふふ、ふふふはははははっ』
「悍ましい笑い声だな」
『成る程。その“個性”以上に、“君”に価値があったらしい。僕が欲しかったのはソレなのに、君もなかなかどうして魅力的だ』
測り知れない余裕の裏打ちが見える声音である。
それだけで、この世に存在してはいけない邪悪が感じ取れる。
「お前に求められても嬉しくないな。名乗れ」
掠れた声で問いかける。
この声の主に辿り着くため、少しでも情報が必要だ。今は自白を誘うしかない。
『拳藤一佳』
「は?」
『親身になってくれる家族のいない君にとって、最も家族に近く類するのは彼女だろう?』
呪われた鐘から響いてくるような恐ろしい音色。ラジオの男は灯守の親族の事情も、人間関係も、社会的に属するグループも、完全に把握しているんだろう。
しかし、弱点を握られていてもアストラルは委縮せず食い下がる。
「お前のような邪悪の輩が彼女に関わってみろ。ボクはお前が想像すら出来ない残酷な死に方を運びに行くぞ」
『落ち着けよ15歳。声に血のような吃音がある。喋るのすら辛いはずだ』
何をどこまで把握しているのか今すぐ詰問したい衝動を抑え殺し、少年は最優先で聞き出すべき情報を導き出す。
「目的は何なんだ」
『そうだね。せめてもの礼儀として教えてあげよう。僕は至天堂灯守が欲しかった』
「どうして?」
『そんな希少な個性を持ってる君が、どうして、だって? 君が誰より自分の価値を理解しているくせによ』
ぴくり、と少年の眉が動く。
話が見えてきた。当初、この男の目的は至天堂灯守の持つ個性だったが、今はあの巨人を撃退するポテンシャルがあった灯守そのものに興味が移った……といったところだろう。
しかし決定打になったのは、戦闘の結果よりもむしろアストラルの発言。
『しかし、驚いた。君が自身を“アストラル”と名乗った時は。あぁいう軽率なのは――様式美と言えなくもないが――ヒーローでもない限り、やめたほうがいいぜ。君が自称しなければ、僕は君をアストラルだと見抜けなかった。
まぁ、君がアストラルであることに気付けなかったら、僕のマキアへの諫言も無かっただろうから、結果オーライ、とも言えなくもなかったけどね。しかし、これは君がマキアに追撃を仕掛けてこなかった場合の話だ。あれだけの怨讐があるのなら、やはりそれは静かに燃やすべきだった』
至天堂灯守=アストラルと気付いたからこそ、少年は男の興味を惹いたのだ。
しかし、同時に灯守の方も、男の素性にある程度の予測を立てていた。タイミングからして、男の当初の目的は曖昧な能力である『インフィニットメイビー』より、“希少な”ワープ系である『シフトナンバー』の可能性が高い。だとすると、男は灯守が先日初めて人前で披露した奥の手を知っている立場の者ということになる。要するに──。
「──お前は一般公開されてない雄英受験を覗き見できるような誰かだな」
『ほう?』
「受験生や学校関係者か、それに近い人物か、或いは雄英に容易く介入できるような情報強者か」
『なるほど。それはご明察、実は僕は雄英教師なんだ。ヒーロー名は“オールマイト”』
「じゃあオールマイト、お前は今どこにいる?」
自称オールマイトの悪党はクツクツと嗤った。
『そんなに僕に会いたきゃ探してみな。もしも君が来たなら歓迎しよう』
「そっちから来てくれてもいいぞ。返り討ちだ」
『ふふふ、それじゃ
プツン、と聞こえると、ラジオは荒波の音だけを垂れ流す鉄屑となり果てた。
「……クソ」
正体を知られ、素性を見抜かれ、闇の底から狙ってくる眼。強がっているものの、それは灯守が経験したことのない恐怖である。
しかも、灯守は口の回るあのような手合いは酷く悪質だと知っていた。
自分よりむしろ、狙われかねないのは自分の周りだと、知っていた。
「人生最悪の日だ」
『ビーストナンバー』を解除し、至天堂灯守は黒髪の中学生へと戻る。しかし彼の個性は、肉体が変貌しても受けたダメージを覆せない。
灯守は血濡れの身体だった。気付いた途端に力が抜ける。
「あぁ畜生、やっぱもう駄目か」
気付けば倒れていた。
標的を失ったため、今度こそ指一つ動かせない。
(全治数年コースだったりするかな、コレ……)
命があるだけマシだと思うことにして、灯守は意識を断った。
目が覚めたのはベッドの上だった。
「……」
不思議と、気絶する直前までのことは詳細に覚えている。
巨人男との死闘に、ラジオの男。道路を幾つもひっくり返し、森林を荒らして回り、山を幾つも半壊させた。
もちろんどれも灯守の仕業ではないが、巨体の骸と、その隣でひっそりと伏す少年。一連の事柄と自分だけが関係ないと証明するのは難しい。
下手に気絶なんてしなければよかった。悔やまれるのは自分の弱さだ。どんな言い訳をすれば、今後も普通の学生として生活できるだろう。
「外科的処置は恙なく終わったよ。その身体、丈夫なんて域を超えてるねぇ」
部屋には灯守以外に、白衣の老婆がいた。医者というよりは、養護教諭をいった風体である。
「ここはどの病院ですか?」
「雄英高校、保健室」
本当に保健室の先生でした。
「……何で?」
「うちの校長が、普通の病院より適切だと思ったのさ」
「はぁ」
病み上がりの倦怠感で、灯守の返事に覇気は籠っていなかった。今は疑問を追求することすら億劫だ。
「ところで。君があんまり寝坊助だから、もう授業始まっちゃってるよ」
「……なるほど」
「入学の手続きや諸々、忙しくなるから覚悟しとくんだね」
「はい」
簡単な状況説明を受けると、灯守は再び瞳を閉ざす。
こんな時くらい、怠惰を貪っても許されるだろう。今は一秒でも早く全快することが、何より重要だ。
そんな言い訳を自分に言い聞かせて、少年は眠りに落ちた。
学校の保健室というのは、自宅のベッドよりも安眠できそうな匂いだった。