「やっと来たか、遅かったな。」
トレーナー「これでも走ってきたんだよ。」
「久しぶりだなシリウス。」
「そんな挨拶をしている場合か?それに、
「シリウスシンボリと呼べ、馴れ馴れしいんだよ。」
「ほら、言い訳なら三行で聞くぞ。」
乱れた呼吸を整えながら、トレーナーが私のほうを向く。
どうやら走ってきたというのは本当らしい。トレセンからここまで全速力で20分ぐらいだろう。
ウマ娘であれば余裕の距離、だけどそれを人間がしかも普段鍛えてもいないトレーナーが簡単に完走など出来るわけもない。
それでも走ってきたというのだからやっぱりトレーナーをここまで突き動かす何かが私とベンチに座っているこの人、シリウスシンボリさんにはあるのだろう。
トレーナーさんの最初の担当ウマ娘でもありチームシリウスをトレーナーと共に立ち上げ元リーダー的存在でもあったシリウスシンボリさん。
私が入った当初のチームシリウスは最強のチームの一角だった。
総勢百名以上が所属していていつもシンボリルドルフさんの率いるチームアークトゥルスと最強争いをしていた。
私も当時多忙だったトレーナーに代わってトレーニングメニューを組んでもらったり、アドバイスを貰ったりとずいぶんとお世話になった。
いやそれだけの言葉では言い表せないほど私にだけ特別目をかけてもらっていた。
それが何故だかは今も分からないけれど。
あのころのシリウスシンボリさんはチームシリウスにとってトレーナーよりもかかせない存在だったのは確かだ。
でも、二年前に行われたトレセンの一大イベントである生徒会長選挙の始まりによってその日常は終わりを迎えた。
代わりに当時有力候補だったシリウスシンボリさんとシンボリルドルフさんとの激しい生徒会長争いが幕を開けた。
トレセン内は二分化し殺伐とした空気が学校中を包んでいた。
学校中の至る所で厳格でルール厳守のルドルフ派とルールによる圧力を嫌うシリウス派による小競り合いが起き、もう皆レースどころじゃ無くなっていた。
だがそんな生徒会長選挙はあっけない最後を迎えることになる。
勝ったのはシンボリルドルフさんだった。
誰かがシリウスさんの学校内での違法行為を理事長に密告し、それを受けた理事長が生徒会長になる資格なんて無いと無理矢理勝負の場から引きずり下ろしたのだ。
そしてそのすぐ後に開催された有馬記念でもルドルフさんに負けた彼女は学校に居られなくなったのだろう。
必死に止めるトレーナーや私たちの声を振り切って一人でアメリカに飛んでいってしまった。
その後もともとシリウスシンボリさんに付いて来ていたウマ娘が大半だったチームシリウスは、トレーナーのことが好きな私とテイオーを除いて全員が辞めてしまった。
何故今になって戻ってきたのだろう。
さっき泣きながら歩いているときに急に話しかけられたときはサングラスにタバコを咥えているシリウスシンボリさんから醸し出される昔と随分変わった雰囲気に驚きこそしたが、
私のことを心配してすぐトレーナーに電話を掛けてくれる辺りそれでもやっぱりあの頃のままだと感じた。
やっぱりこの人の隣は安心する。
これからずっとトレセンにいるのだろうか、それともすぐ帰ってしまうのだろうか。
願わくばあの頃と同じようにまた大勢で笑い合う生活が戻ってきてほしいと思う。
でもそれも夢物語で、今日ヒビの入ってしまった私たち三人の関係はもう戻らないんだろう。
シリウスシンボリさんに移っていた視線をもう一度トレーナーさんのほうに移す。
私の長い回想の間に息を整え終わったようで、言葉も選び終わったのか今にも口を開きそうだ。
ライスとどういう関係なのか、何故私たちに秘密にしていたのか全部聞かせて貰わないと今日は寝れそうにもない。
トレーナー「ごめん!本当に悪かった。二人の気持ちも考えずライスをチームに入れたいなんて言ってしまって。」
「そうだよな、嫌だよな。チームシリウスがどん底に落ちたときでも残ってここまでやってきてくれた二人なんだから」
「今さら新しいメンバーが入るなんて虫が良すぎるよな。」
「でもやっぱりお願いだ。ライスをチームに入れてやってくれ、あの子を見てると放っておけないんだ。」
なんのつもりなの?トレーナー。私が聞きたいのはそんなことじゃない。
ナイスネイチャ「そうじゃなくて!一体どういう関係なのか......を......
シリウスシンボリ「どうした、ネイチャ?いきなり言葉に詰まって。」
気づいてしまった。私とんでもない勘違いをしていた。
そうだトレーナーは知らないんだ。私たちがトレーナーのことをどう思っているのか。
これを聞いてしまったら間接的に好意を伝えてしまうことになる。
それじゃ駄目だ。私の好意がトレーナーに伝わってしまうと親友でありライバルであるテイオーを裏切ってしまうことになる。
テイオーの恋路を応援すると決めたばっかりなのに。
それでも二人の関係はやっぱり知りたい。
これを知るのはテイオーにとっても有益な筈だ。
でももし本当に二人がもう既に付き合っていたら?その可能性を否定できないのが怖く、それを知ってしまうのがもっと怖い。
どうしようと何か方法を考えてみるが浮かぶわけもない。
再び泣きそうになる私の手の上にシリウスさんの手がそっと置かれる。
それは地獄の底に垂れ下がってきた一本の糸のようだった。
私は躊躇うことなくその手をしっかりと力強く握り返した。
それを確認した彼女がその整った顔で私に近づき耳元で囁く。
「私がなんとかしてやるよ。」
その言葉はどんな蜜よりも甘く私の心を溶かしていった。
やっぱりこの人になら私はどこまでも付いていける。
「なあトレーナー、そういえばお前がここに来るまでに一緒に居た娘はどうして来たんだ?確かライスシャワー?だっけ。」
シリウスさんの肩に寄り掛かりながらその言葉を受けしだいに真っ青になっていくトレーナーを見ているうちに私もようやく状況を理解した。
トレーナーがライスのことは今思い出したとでも言わんばかりに動揺している。
そのまま見ていると、そのうちトレーナーは頭を抱えたままライス、ライス、と呟きながら走って元来た道を戻っていってしまった。
「な、これで分かっただろ。」
「あのウマ娘と付き合ってたら置いてくるなんてことはしねぇよ。」
「ここに来た時点でもう結果は見えてたんだ。馬鹿正直に聞く必要はないさ。」
ホッと胸を撫で下ろす。良かった、付き合ってなかったんだ。
「ありがとうございます、覚えてくれてたんですね。あの時の話。」
「可愛い後輩からの相談なんだ、私が忘れる訳ないだろ?」
「でもまだ告白して無かったなんてな、驚いたよ。」
「そうなんです。なかなか言い出せなくて。」
「でも、今だからいうがトレーナーは辞めとけ。ネイチャも見ただろ?平気で寒空の下にウマ娘を置いて来ちまうようなやつなんだよあいつは。」
そう言うシリウスさんの目はどこか遠いところを見つめていた。
どこか寂しそうな目をしているようにも思えた。
居場所を無くし、たった一人で異国へ飛び立って過ごした日々に少なからず心細さを覚えていたに違いない。
ずっと助けて貰ってきた。今だってそうだ。
恩に報いたい。今度は私がその寂しさを紛らわせてあげたい。
心の底からそう思った。
「もういいんです、トレーナーのことは。」
「もともとテイオーに譲るって決めてましたから........
少しの間沈黙が続き、静寂の時がゆったりと流れていく。
やっぱり駄目だ。
抑えても抑えても溢れてくる感情が止まらない。
嫌だよ、譲りたくなんてない。テイオーとトレーナーが結ばれるところなんて本当は見たくない。
でも、仕方ないんだ。後悔の無いように戦って負けたんだから。
もう忘れないといけない。そう戦う前に決めてしまったから。
自分との約束は絶対に破れはしない。
それを破ることは私がウマ娘であるという事実すら否定する。
卑怯な真似はできない、正々堂々で無くてはいけない。
それがウマ娘の本能であり性であり人間とウマ娘の種族を分ける要因の一つだから。
こんな風にウマ娘を作った神様はなんて意地悪なんだろう。
ほとんど一生を厳しいトレーニングと命を削り合うレースに費やし自分に嘘をつけず必ず正しい方向に進んでいく。
そして必ず勝者と敗者が生まれてしまう。
私は勝者になれなかった。
生まれてくるウマ娘の誰もがそのことに疑問を持たずに環境に順応する。
そして必ず自分を育ててくれたトレーナーを好きになる。
今までたったの一人も例外は無い。
いったい私の頭はどうプログラミングされて居るんだろうか。
こんなことを疑問に思うのも生まれて初めてのことだった。
一回でもそう考えてしまうとその考えを否定出来ない。
だってそれが違うとしたら私の心にストッパーが掛かって居なかったのだとしたら、私の気持ちは一度負けたくらいで揺らぐものでは無いはずだから。
譲れるものでは無いはずだから。
夕方負けた直後テイオーを応援しようとした自分が怖い。今思うと自分の本心では無かったように思えてくる。
恐怖で体が動かない。自分のトレーナーを思う気持ちがもし仕組まれていた偽物だと思うと心が痛くて痛くてしょうがなかった。
もう何も考えたくない。
体が震えポタ、ポタと涙の雫が頬を伝い膝に落ちる
彼女の綺麗な手が私の頭を撫で、もう片方の手で私の体を抱き寄せる。
抵抗せずにそのまま胸の中で静かに泣き続けた。
シリウスさんの心臓の鼓動と言葉だけが私を包み込む。
「心配は要らない、私がネイチャも含めて皆を解放してやる。」
「そのために私は戻って来たんだよ。」
「私と一緒に来てくれるかい?」
その問いかけに胸の中で静かに、それでいて強く頷いた。
この気持ちだけは本物だ。