戦え!ナイスネイチャ!!   作:ヘルシー司

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第九話 救出

何も無く全てが無機質な病室の中で、何もすることの出来ない私は窓の外を眺めている。

 

ひたすらに無意味に、ただ何かをしているという事実が欲しいために今日もまた一人一日中窓の外を眺め続ける。

 

真っ白の病衣がずいぶん様になってしまって、黒色の勝負服なんてもう似合わない。

 

こんな状態になってしまってはもう着ることも無いだろうけど。

 

あの日トレセンで気絶して病院に連れられた時の診断で、私はある病気を患っていることが分かった。

 

しかもこの病気は医者によるともう治らないらしく、このまま先の短い人生をベッドの上で過ごすことになるそうだ。

 

厳しい練習と様々なレースを行うには私の小柄な体では相当な無理をしていたらしい、もう体中がボロボロの状態だと言われてしまった。

 

ふと自分の軌跡を振り返ってみる。

 

私は今まで菊花賞、天皇賞春と勝利して来たけれどそれになんの意味があったのだろう。

 

それで得たものはほんの少しの栄誉とトロフィー、そして数えきれないほどの非難の声だった。

 

今までなんのために走って来たんだろう。

 

いつか見返すために、いつかヒーローと呼ばれるために走って来た。

 

でも何も成し遂げられないままそのいつかも失ってしまった。

 

結果的に私は心ない言葉を投げかけられるために走っていたことになる。

 

本当に救えないくらいに不幸で笑ってしまうくらいに惨めだ。

 

でも本当はそれでも良かった。そうして可哀想な子でいることで得られるものが唯一にして最大の幸福だったから。

 

他の全てを失ってどれほど心に深い傷を負ったとしてもそれさえあれば全てを忘れられた。

 

トレーナーさえ隣にいてくれれば良かった。

 

それ以外なにも望んでなんてない。

 

全てを持たない私が唯一欲しかったもの、神様にはそれさえも許してもらえなかった。

 

あの日の夜、意識を失ったまま病院に運ばれて既に三週間が経つ。

 

トレーナーはあの日から一度も顔を見せない。

 

トレーナーどころか誰一人私のお見舞いになんて来る人はいない。

 

唯一の心の拠り所にも捨てられてしまって。

 

毎日涙と嗚咽が止まらなかった。

 

死の恐怖で食事が喉を通らず、ろくに寝れもせず、体は衰弱し切っていた。

 

命が尽きてゆくのを待つだけの生活の中でもう無理して走らなくていいということだけが唯一の救いだった。

 

今は涙はとっくに枯れ果てた。

 

もう今は何も感じ無い。

 

哀しみしか感じられない心なんて持っていても不幸を呼ぶだけだ。

 

哀しみで心が押し潰されてしまわぬように感情を押し殺した。

 

殺して殺して、何度も殺した。

 

そうしてやっと手に入れたんだ。

 

何も感じない、この空っぽの心を、

 

感情なんて初めから存在しない人形のように。

 

ただ何も無い私にも一つだけ残っているものがある。

 

大切で、私の全てだったもの。

 

トレーナーを想うことだけは失くしてはいない。

 

最後までこの想いだけは持っていこう。

 

私が居なくなったらこの部屋も綺麗に掃除されて、私がここに居た痕跡は無くなってしまうのだろう。

 

私という存在がまるで最初から存在しなかったみたいに。

 

まるで意味が無かったかのように。

 

それに哀しいと思う心すら持ち合わせては居なかった。

 

「ライスシャワーさん、体調のほうは大丈夫ですか?」

 

見慣れた影が一つ視界の端に映る。

 

「あー、また残してる!駄目ですよ、ちゃんと食べないと。」

 

ほとんど手をつけていない昼食を看護婦が片づけ始める。

 

「本当に駄目ですよ、こんなところで終わったら。」

 

「私ファンだったんですから....。」

 

返事を返そうにも返せない。

 

今の私は人にかける言葉を思いつくことが出来ない。

 

誰とも過ごさない内に声の出し方すら忘れてしまった。

 

昔はあれだけ喜ばしかった数少ないファンの言葉も今となっては届かない。

 

そのまま顔を上げずに影だけを見ていた。

 

唐突に新しい影が視界に入ってくる。それは見たことのない男の人の影だった。

 

トレーナーかもしれない、懲りずに思わず顔を上げてしまった。

 

そこに立っていたのはトレセンのトレーナーではあったが、所謂お兄様では無かった。

 

それどころか正反対の過去のトラウマを想起させる金髪のいかにもといった風貌の男だった。

 

隣に担当ウマ娘であるウララちゃんを連れている。

 

至る所に貼られている絆創膏が生々しくそれが練習やレース以外でできた傷であることは誰が見ても明白だった。

 

「よお、久しぶりだな。ライスシャワー。」

 

その声に胸がキュッと締まった。汗が吹き出し全身に鳥肌が駆け巡る。

 

捨てた筈の恐怖心が底の底から呼び起こされた瞬間だった。

 

「なんとか言えよ!ライスシャワー!!」

 

腕が伸びてきて乱暴に髪の毛を掴まれ顔を持ち上げられる。

 

不安が確証に変わる、一番言われたくない言葉を大声で宣言された。

 

「俺もう一度お前のトレーナーになったから。」

 

「今度は逃がさねぇからな。」

 

二年前から何も変わっていない、この人はいつも遠慮無しに心の領域に土足で踏み込む。

 

ウマ娘のことをなんとも思っていない。

 

気に入らなければ暴力なんて厭わない。

 

既に完治した筈の傷が傷つけられた過去は消えないと存在を主張する。

 

「いいか?病気なんて言い訳は効かないからな、三日後の有馬記念お前には絶対出場してもらう。」

 

「ちょっと!今のライスシャワーさんはどう見ても走れる状態に無いです。それにその手を離して下さい!」

 

「なんだ?天下のトレセンのトレーナーに何か文句でも?」

 

「いえ、、何でもありません。」

 

看護婦が見ていられず止めに入るがたちまち権力に屈してしまった。

 

「お前は知らないかもしれないが今トレセンは混沌と化していてな、欠員が出まくってるんだよ。」

 

「とくにトウカイテイオーが出走を取り消したことで目玉だった皇帝vs帝王の勝負が見られないと非難の声が上がってるんだ。」

 

「今日にはゴールドシップも背中の怪我で出走を取り消したし、今の有馬記念には皆が盛り上がるお前みたいな悪役が必要なんだ。」

 

「皆がお前に怒りをぶつけたいんだよ。分かるだろ?」

 

「明日からトレセンに来い、退院手続きはしておくからな。」

 

「自殺なんて考えるなよ、不幸を呼ぶライスシャワー。」

 

返事も聞かずに言いたいことだけを言って部屋の外へ出て行ってしまった。

 

返事なんて返せるわけも無いけど。

 

いつのまにか看護婦もいなくなってウララちゃんと二人きりになっていた。

 

「えへへ、久しぶりだねライスちゃん。」

 

ぎこちない笑顔が作られる。

 

少しでも触れたら壊れてしまいそうな笑顔だった。

 

昔はよく心の底から笑う子だった。

 

一緒にトレセンに入学したときは二人でこれからの生活に心を躍らせていた。

 

まだ何も知らなかった私たちはあの人に騙されて付いていってしまった。

 

一年が経ち私はウララちゃんに逃げだすことを提案したけど、もう手遅れだった。

 

ウララちゃんは残ることを選んだ。

 

「何でか分かんないけど、レースにも出させてくれないし暴力も振るうし全然ウララ〜って感じじゃないのにトレーナーのことを考えてると胸の所がジーンって熱くなるの。」

 

「嫌いな筈なのに本当に何でだろうね?」

 

ウララちゃんは泣きながらそう言った。

 

こうして私だけが史上初のトレーナーの付かないウマ娘になった。

 

その日から今日まで一度もウララちゃんのことをトレセン内で見かけたことは無かった。

 

ただどんな生活を送ってきたのかは想像に易かった。

 

「どこでこんな風になっちゃったんだろうね?」

 

「好きな人と一緒に居られてるのにこんなに苦しいのって変かなぁ?」

 

眼から大粒の涙が落ちている。私にはもう無いものだった。

 

「そろそろ行くね、また明日ねライスちゃん。」

 

旧友が部屋を出て行き病室の中で再び一人になる。

 

傷んだ髪と乱れた布団が束の間の安息の終わりを告げている。

 

頭のどこかでこれ以上落ちることは無いだろうと思っていた。

 

これ以上の不幸は起こり得ない、今いる場所がどん底だと思っていた。

 

心が渇き切っていてどれほど心が痛みを覚えても涙が出てこない。

 

医師に次走ったら死んでしまうと言われていたことを思い出した。

 

恐怖と哀しみが心だけじゃ満足できず、その全てを亡き物にしようと迫ってくる。

 

その侵略にどうしても捨てられなかったただ一つの想いだけが抵抗を始める。

 

ずっと開かなかった口がついに開いた。

 

かすれた声にならない声が口をついて出る。

 

求めてはいけない、叶うことはない、それでも願ってしまう。

 

たった一つのささやかな祈り

 

たった一人、あの人に届くように大空に放り投げた。

 

「助けて、、お兄様.....!!」

 

そうして絞り出した言葉に一筋の光が差し込む。

 

病室に新たな影がそっと近づいてきていた。

 

 




書いてる内につらくなってきて投稿遅れました。
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