夏と龍   作:佐伯 裕一

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三、都市からきた一家(上) 香田夫妻の失敗

「それでは皆さん。清く正しく美しく、そんでたまに羽目を外して、一度しか無い中学一年生の夏休みをこれでもかと満喫してください。では、少しのあいだ、さようなら」

 

 担任篠山(しのやま)の挨拶で一学期最後の帰りの会が終わった。

 香田太一(こうだたいち)は以前、一度だけ「ホームルームじゃないの?」と零し、「おーおー。都会モンはシャレとんの」と冷やかされたことがあるため、それ以降、呼称について特に言及することはない。勿論、今回も。

 

 どの生徒も、学校に置きっぱなしだった私物を持ち帰るため、机の上や脇のフックが荷物で満載になっている。

 カリキュラムはある程度把握できるのだから、一学期内で確実に使わなくなった物から計画的に持ち帰れば終業式の日に苦労はしないのに、と香田は級友を少し冷めた目で見ている。

 

 とはいえ、それも終業式当日の風物詩という見方もある。良くも悪くもそのあたりの機微を解さない香田の性格が、『気取っている』としてクラスメイトから目をつけられているのだろう。

 周囲が、一部例外を除いて香田を疎んじている十三歳の群れだという事実を鑑みれば、互いに感じの悪い視線を向け合うのも、褒められたことではなくとも無理からぬ、といったところか。

 

「あ、休暇中登校日を忘れないでくださいね。宿題の進捗をチェックしますから。ちなみに、もし始業式の日までに終わっていない宿題があれば、男女問わず三角定規で尻をしばき倒します」

 

 教室から下半身だけ出た篠山が、背を反らせて頭だけを室内に戻し、言う。

 教室中から「鬼!」だの「体罰教師!」だの悲鳴とブーイングが起こるが、本人は憎たらしいほどのにっこりとした笑顔を見せて、今度こそ出ていく。

 

 篠山は若い女性教師であるが、厳しいときはとことん厳しい。どうかすれば、強面の体育教師よりもずっと恐ろしい。

 その反面、理由(わけ)あってのケンカなどには比較的寛容で、ある程度の決着がつくまで仲裁せずにじっと見ていることもある。

 

 そんな人物だからか、時折、学校長に呼び出されたり、PTA会合で問題になったりはするものの、重い処分を受けたことは無い。それなりに人望はあるのだ。

 彼女に対してその手の議題を上げるのが、大体、他所からこの地へやって来た者であることが多い、という事実も無関係ではない。

 地元で育ち、大学卒業後、地元の中学に教師として舞い戻ってきた篠山には、『地域ぐるみでの無条件の信頼』という下駄が備わっている。強力な護符と言い換えてもいい。

 

 上司にあたる者達からすれば、正直なところ面倒な小娘であろう。

 

 

 

 香田は、この、長期休暇に入る瞬間が嫌いだった。正確に言えば、担任教師の目が届かなくなる瞬間が。

 

 常日頃でさえ、帰りの会が終わった途端に生徒たちはやんちゃぶりを発揮する。

 

 部活に精を出す者はいい。遅れて先輩に説教を喰らってはたまらないと、急ぎ駆けていく。

 しかしどの部にも所属していない、いわゆる帰宅部や、バスで一時間ほどかかる学習塾に通っている者は、多少の時間的猶予がある。

 そのあいだに、香田は冷やかしを受けることがあるのだ。

 日常でさえそうなら、況んや終業式当日をや、である。

 

 これは香田が、小学校三年生の頃、鞆浦町から一山越えた髭守(びもり)町に越して来たときに始まった、憂鬱なイベントだ。

 

 

 

 

 

 香田は、ある地方都市から髭守町へ越して来た。山桜が綺麗な春のことだった。

 移住の理由は、都会で生まれ育った香田夫妻の胸中に燻っていた、田舎暮しへの憧れ。そして、太一が学校で受けたいじめが原因だ。

 とはいえ、比率で言えば七対三と言える程度のもので、太一自身、そこまでいじめを苦にしていたわけではない。

 

 ただ、同じく外から越してきた村上一家と違い、香田一家は致命的に田舎に馴染めなかった。

 あえて理由を挙げるなら、これまた()()だ。

 

 まず、香田夫妻が『田舎』という狭い社会での生き方を理解していなかったことが大である。

 そして息子は息子で、中学校入学早々にクラスのアイドルとなった村上愛子へ初対面の際、「自分と同類」との認識で気安い態度を取ってしまった。

 こちらの比率は、なんとも言えない。

 

 

 

 香田夫妻の田舎に対する思いはまさに憧れとしか言いようが無く、テレビの特集やドラマなど創作物の中の()()()()()()の結晶を、『田舎には存在している真実』と信じていた。

 当然と言えば当然だが、そのような幻想を無自覚に追いかけている認識で、新生活がうまく行くはずもない。

 

 『田舎は自然豊かで、人と人との絆が温かく気質はおおらか。私生活においてもスローライフの中で自分らしい生き方を自由に発露でき、職についても各々の得手を活かして自己実現ができる環境』

 香田夫妻の認識を仮に言語化するならこのような話になるのだが、これが全て真実であるのなら、都会への人口流出など起きはしない。

 端的に言って、香田夫妻は『田舎暮らし』という響きに夢を見すぎていた。

 

 また、越した先の地が()()()()とも言える盆地の髭守町であったことも、ある種の不幸であった。

 

 一口に「田舎」と言っても、それなりに程度というものはある。

 

 北海道の農地のように、家と家の感覚が数km単位で開いている地域。

 村や町単位で同じ名字、似た名字を持つ者が多い地域。

 簡易水道(給水人口五千人以下)すら満足に整備されず、地元の人間だけが知る清流や湧き水を生活用水にしている地域。

 電車(ディーゼル車含む)やバスが非車両所持者にとっての唯一の足であり、それも一日に数える程度しか通らないか、自宅から順路が外れすぎているため元から当てにならない、という地域。

 住宅地と農地が延々広がり、安い土地に目をつけた工場やショッピングモールが、思い出したようにポツポツ存在する地域。

 頭に「都会」というワードを思い浮かべた際に浮かんでくる華やかな諸々の娯楽施設が無く、つまりは『野暮ったい』だけで、生活に困ることはほぼ無い程度の地域。

 ところにより様々だ。

 

 最後以外はいずれもほぼ車社会であるという共通点は存在するにせよ、香田夫妻が幸せな新生活の場に選んだのは、三番目から四番目のあたりだった。

 一番目の例ほど極端ではないものの、有体に言ってド田舎である。

 

 更に問題は、髭守町の閉鎖性や排他性が他所と比べても群を抜いて高い地域であった、ということだ。

 

 後述するが、とある理由から髭守町は最寄りの集落である鞆浦町と地域ぐるみで極めて険悪な仲である。

 髭守町から鞆浦町までは山を一つ越えるだけですむが、他の町村へは更に野山を越えていかなければならない。

 

 そもそも、元々の立地からして、山に囲まれた狭い盆地である。

 歴史的に見ても、その地域だけで生まれてから死ぬまでの全てが賄われていた。唯一の例外は鞆浦まで塩の買付に行くことだが、それも後述する険悪な理由に一役買っている。

 

 

 

 香田夫妻の行動を、いい大人なのだから、と『自己責任』の単語を以て切り捨てることもできよう。

 しかし行政も『田舎であなたもスローライフ』をキャッチフレーズに移住者を募っている手前、それに釣られた夫妻が抱いていた認識の齟齬と、現地に馴染めなかった結果を、全て夫妻の自業自得と言い切ってしまうのはあまりに情が無いだろう。

 

 何せ香田夫妻が田舎暮らしについて調べるには、とにかく人伝に話を聞くか、役場に問い合わせるしかなかったのだ。

 それも、村上一家がいたような東京なら、全国から勝手に『田舎者』が集まるため、情報収集も容易いだろう。

 だが、地方都市というのは、多くはその都市周辺の『ほどほどの田舎』から出てきた者達で形成されている。夫妻が力を尽くしたところで、ド田舎の実態を知ることは叶わなかったのだ。

 

 また、夫妻にとっては都合の悪いことに、隣の芝は青く見えるものだ。

 地方都市内でほどほどの田舎者に話を聞いたところで、その者が住んでいた地域よりも辺鄙な場所は妙に美化され、夫妻の耳に入ってしまった。

 

 ここで「いや、『ほどほど』でも辟易して都市に出てくる人間が絶えないのだから、更に辺鄙な場所では、きっとかなりの苦労と面倒があるに違いない」と冷静に考えることができれば良かった。

 しかし悲しいかな。夫妻は移住を前提に情報を集めており、その目は盲目であった。

 もっと言えば、学校でいじめられているらしい一人息子をごみごみした都市から引き離して、田舎で伸び伸びと子供らしくおおらかに過ごしてほしい、という親心もあったのだ。

 

 

 

 そうして念願の『田舎』へやって来た香田一家であるが、新生活は出だしから(つまず)いた。

 人間関係のほとんどが町内で完結している場に来たなら、何を置いても挨拶が肝心である。

 

 字面だけ見れば何を当たり前のことを、と思えるが、現に香田夫妻は失敗した。町内への挨拶を『マンションへ引っ越した際の隣近所への顔見せ』程度に考えてしまったのだ。

 近隣宅へ訪ねて行き、インターホンを押し、戸を叩いても反応が無いのなら、後日改めて訪問するか、誰か人伝に話を通してもらう。そのように。

 

 だが実際には、家に家人(かじん)が居ない場合、すぐ目の前の畑か、裏の山の浅い場所で作業をしていることが多い。

 そして家人は、見知らぬ者に自分から話かけることは少ない。そして、()()()に自分達へ挨拶もせず去っていく新参者を見ることになる。

 

 理屈で言えば、家を訪ねたのだから、先人を蔑ろにする意などないと理解できそうなものである。

 しかし時として、「自分の姿が見えていたはずなのに無視をして挨拶にも来なかった」という噂が広まることもある。それも恐ろしい速度で。

 

 中には訪問時にそのまま挨拶をすることが叶った家もあった。

 しかし、香田夫妻の挨拶は都市のものだ。粗品を渡しつつ数分話をして御暇(おいとま)する。

 初めて田舎に来た人間に完璧な土地の挨拶を求めるのも酷だが、これにもいくらかの悪感情を抱かれた。

 

 玄関であれこれと身の上話まで曝すように話し、土地のことを聞き、上り框に進められたら腰掛け、更に話を続ける。すると、気付けば数十分程度は平気で過ぎている、などということも()()だ。

 これこそが香田夫妻の求めたスローライフの実態である。

 

 あるのだが、夫妻が行ったその都会式挨拶は「随分とせっかちな人が越してみたい。お茶を勧める暇も無くて、なんや私、随分な失礼を働いてしもたわ」などという皮肉混じりの噂となり、またしても広まった。

 

 もっと言えば、香田夫妻が『屋号』や『隣組』の存在を理解していなかったことも、失敗の原因である。

 都市や、ある程度以上に交通の便が良く自然と開けていった地域には、残っていない風習である。

 しかし、存在するものはするのだ。そして、その地域の人間は、大昔からそれを用いて暮らしてきた。

 

 例えるなら、夫妻は海外に移住するのに、現地の言葉を未習得のまま、日本語を話して生活しようとこころみたようなものである。無謀という他ない。

 

 

 また、香田一家が住むことに決めた家も悪かった。

 元々は周囲の家々と何ら変哲のない家屋であったのだが、調べたところ老朽化が酷かった。役場からも改築、ないしは新築に助成金が出るとのことであったので、夫妻はそれに飛びついた。

 そして、自分達が思い描く夢のマイホームを作り上げた。周囲との景観などは一切考慮せずに。

 

 地味な配色の木造平屋建てが並ぶ中に、一軒だけ、派手な色の屋根を掲げ、レンガ風タイルを貼った壁を持つ、三階建ての家がポツンとあるのだ。

 絵本の中やアニメ映画なら、洒落ていて、どこか雰囲気と存在感のある家として映ったかもしれない。主人公の生家か、重要人物の物か。

 だが、残念ながら香田夫妻が越してきた場所は、紙の中でもフィルムの中でもない。

 

 勿論、隣の家との距離は離れている。日照権を問題にして、トラブルになる可能性は低い。

 しかし、あまりに周囲から浮いている。仕事を引き受け、注文を聞いた工務店も、これには眉をひそめるしかなかった。どうせろくなことにはならんだろう、と。

 

 だが夢見る夫婦としては、家だけは毎日生活する自分達だけの城なのだから、一切の妥協を挟まなかった。

 ただ、それならそれで、挨拶と言う名の()()()はやはり必要だったわけで……。

 

 これが、それなり以上に身内扱いされている住民が行ったのなら、「けったいな家立てて恥ずかしいでしゃあないわ。まぁでも冷やかしに行く分には迷わんでええか。どうね、今度一緒に茶でも飲みに行かん?」とでもなるだろう。

 しかし、出だしから躓いた香田一家のやることとなれば、「やっぱり『外』の人はここでやっていこうって気がないんでしょうね」と偏見に満ちた感想しか得られない。

 

 一応、夫妻にも思惑はあったのだ。

 仕事を発注すれば、地元の工務店との伝手ができる。それはけして悪い結果を生まないだろう、と。

 そして色々と注文をつけている内に、素人考えの無茶な注文なども意図せずしてしまい、それらの摺り合わせから、絆が生まれるのではないか、と。

 

 実際には、妙な客を掴まされた、と考えている工務店の作業員達は、黙々と働き、夫妻の注文を全て了承した。

 摺り合わせも言い争いも、それによる和解も絆も、何も無かった。

 このあたりも、夢見がちな夫妻の失敗であった。

 

 香田夫妻なりに田舎暮らしを満喫しようと工夫して動いたわけだが、その努力は空回り、結果から言えば大失敗に終わった。

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