◆ ◆ ◆
剣士として俺が尊敬している相手の一人に、富岡さんという人がいる。フルネームで『富岡義勇』さん、俺達と同じ転生者だ。そして優れた剣士でもある。……まあ、覚醒修行で未だ覚醒出来ずに悩んでいるらしいのだが。
俺が最初に彼に会ったのは星霊神社での覚醒修行の直前だが、その時に彼が振るって見せてくれた剣は凄まじいものだった。剣速が速過ぎて目に映らないのだ。だが、それですら序の口だ。覚醒して、ペルソナ使いの速度を得てその剣速を目で追えるようになって初めてそれが理解できた。
どれだけの鍛錬を繰り返したのか剣閃に一切ブレがなく、動きが凄まじく綺麗。それでいて型に嵌まった動きというものが一切なく、それこそ流水のように淀みなく動き続ける変幻自在の歩法と、そこから繰り出される精緻精巧精密極まりない受け流しからのカウンター。
それを理解できたのも俺が相応に剣技の心得を持っており、俺のペルソナがミヤモトムサシであり、そして何より横から観察する視点を、後から何度も回想しながら分析を繰り返したからだ。
もし仮に真っ正面から相対していたならば、覚醒者と非覚醒者というハンデがあってすら、一介の挙動に織り交ぜられた最低でも数回のフェイントに幻惑され、体幹に一切ブレがなく放たれる流麗な剣戟でのカウンターが直撃していただろう。最低でも初見で見切れる自信は、今でも一切持ち合わせていない。
そんな富岡さんとは、今でもスマホの通話越しに時折色々と相談したりする。特に剣や戦術に関わる話題であれば未覚醒者だというのにやたらと役に立つアドバイスをくれたりする頼りになる先達だったりするから、今回も富岡さんに相談を……などと思って電話を掛けたのだが、その電話を取ったのは全然別の相手だった。
……いや、そっちもまあ頼りになる相手だし、文句があるわけじゃないんだが。
『やあキリト君。こうして話すのは久しぶりだけど、元気にしてたかな?』
「あれ、その声……ショタオジ!? ええまあ、元気ですけど…………富岡さんは?」
富岡さんに電話を掛けたはずなのに、電話を取ったのは我らがガイア連合の盟主である神主ことショタオジだった。何で彼が富岡さんの携帯に出るのかは分からないが、彼とは星霊神社での修行を終えて『阿修羅』をもらった時以来だから、本当に久しぶりだ。
『ああ、彼ならちょっとキノコ鍋に当たっちゃってね。ちょっと喋れる状態じゃないんだ。だから代わりに僕が電話に出たわけだけど、何か用があるなら伝えておくよ。何なら、僕が相談に乗ってあげてもいい』
「それは助かりますけど、ええと────」
そんなわけで、電話越しに聞こえる亡者の嘆きにも似た苦悶の呻きに全力で聞こえないふりをしつつ、今直面している一通りの事情を説明して、アドバイスを乞う。聞きたいのは俺の推測が正しいかどうか、だが。
『うん、その推測で間違いないと思うよ。実は君が今担当している異界なんだけど、厄介な事に昨日“増築”されたみたいでね。ちょうど、君が天使を討伐する直前の時間の話だよ』
「……増築、ですか?」
『そう。今までは地下一階だったのが、今日になって地下三階にね。異界の主か、それともそれに準じる立場にいる何者か、おそらくは問題の天使エンジェルが、いい感じのMAGの源でも手に入れたんだと思うけど……その様子だと、心当たりがありそうだね』
ああ、しっかりと。となると、やはり俺とリーファが最初に目指すべきは地下、か。一応しっかり準備はしてきたつもりだけど、これで大丈夫かは実際に挑んでみなければわからないわけで。
『無理はするなよ。危険なら引き際を誤らず、すぐ撤退して次に繋げる事。どうせ一山幾らで湧いてくる異界なんだ、命と引き換えなんて割に合わないし、しっかり生き残って、しっかり成長する。これが大事だ。忘れるなよ』
「ああ、分かってる。ありがとうショタオジ」
そんな具合で会話を終えた俺は、駅前のベンチに一人腰掛けて、ぼんやりと頭上を見上げる。
空は青い。多分、人の営みも悪魔の暗躍も、この空にとっては知った事じゃないのだろう。メシアだの何だのいった連中がどれだけ地球を荒らそうが、それは結局たった一つの惑星の表面で軽く暴れているだけの話であって、広い宇宙の全体からすればきっと、些細でささやかな嵐に過ぎないのだろう。
溜息を吐いて、視線を駅前の雑踏に戻す。正午近い時刻にもかかわらず大通りの歩道を行き交う雑踏の密度は高く、これだけの人間がいて行き先も目的も異なるのに、どうして誰一人ぶつかったり進めなくなったりもせず、渋滞も起こさないのか疑問にしか感じられない。
その答えは、要するにどいつもこいつも周りに合わせた方向と速度で歩き続けているからなのだろう。つまるところ、それはこの現代社会で生きていく事と何一つ変わらないのかもしれない。もしそれができない人間は……簡単な話、世間様から転がり落ちて、どことも知れないどこかに転がり着くまで落ち続けるしかないのだろう。
────それこそ、前世の俺みたいに。
溜息一つ、スマホの画面を見て現在時刻と、メールの文面に示された待ち合わせの時刻を確認する。学校の同じクラスに通っているという妹から渡されたメールアドレスから届いたリーファからのメールだが、そろそろ時間も近い。
リーファの金色の髪が見えないかと思わず雑踏の中に視線を彷徨わせるが、今時リーファのような天然物の金髪はともかく、髪を染めている人間など珍しくもない。
「……まだ、か」
さすがに、待ち切れないという事はない。そもそも、まだ時間というわけでもない。気が逸っているのは事実だが。それでも時間を潰していれば時間が過ぎるのは当たり前、というわけで、しばらく待っていると見覚えのある金髪の少女がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
ご丁寧にも霊装であるらしき巫女服を着て、手にも中身入りの刀袋を提げている。前回と同じ格好だが、こうして街中で歩いているのを見ると、よくよく目立っているのが分かる。
「お待たせ、キリト君」
「いや、そんなには待ってないよ。今来たとこ」
まるでデートの待ち合わせだが、そんな甘ったるいものじゃない。これから俺達は異界に行くのだ────殺し合いに、行くのだ。
◆ ◆ ◆
一歩を踏み込む。踏み出すと同時に【アギ】を発動、頭上に撃ち上げた火球を破裂させ、降り注ぐ火の粉に対する反応で敵集団の火炎耐性を把握。
反射や吸収のような危険な耐性持ちはおらず、そのまま踏み込んで密集する敵の合間を縫うようにしてすり抜けながら左右の二刀、ペルソナの二刀を合わせて振るい、剣撃・火炎複合ダメージの【狂焔乱舞】ですれ違いざまに敵を切り裂いていく。
残心を取り、わずかに息を吐く。
足を止めると同時に、腐った肉の焼ける悪臭と共に、背後に置き去りにしてきた屍鬼ゾンビの集団が一斉に崩れ落ちた。想像するのはいつか見た剣戟、その高みには未だに届かないが、それでも今の俺にしては上出来の部類か。
「……お兄ちゃん、すごい」
「いや、まだ全然だよ」
背後でリーファが漏らした呟きはこそばゆいが、あの日見た富岡さんの歩法にも、クラマテングの体術にも、あるいは二刀の技を教わった師匠にもまだまだ遠く及ばない。そもそもこの程度で魔法に頼っている時点で御察しだ。
そのまま周囲に視線を配り、それ以上その場に敵が残っていない事を大雑把に把握。他の敵が集まってこない内にその場を移動し、敵がいない小部屋を見つけてそこで軽く休憩を取る。扉にはエストマの効果がある百鬼夜行除けのガイア連合製呪符を貼り付けてあり、この部屋に敵が押し寄せてくる事はしばらくないはずだ。説明書によると、効果時間は10分程度。
「リーファ、聞いてくれ。実は、君の仲間達が捕まっている場所の目当てがある程度だけど、付いた」
俺がそう言うと、リーファは真剣な表情で頷きを返す。行方不明になったリーファの仲間達、秋山達郎・沢木浩介・上原鹿之助の計三人。いずれもこの廃ビル型異界の二階程度なら問題なく無事に帰還できる程度の、現地人の中では相応に優秀な異能者だった、らしいが。
「まず、あの天使は『聖母候補』だの何だの、要するに“後で利用する”ような事を言っていた。なら、男でも殺されていない可能性がある」
この辺は、これだけなら割と希望的な観測に過ぎないのだが、いくら聖母の胎から生まれた救世主を教祖と仰ぐ一神教系の天使だろうが、雑魚天使の分際で処女懐胎なんて真似を軽々しくできるようなわけがない。
女を母胎として孕ませるためにはどうしても男を連れてくる必要がある。ならば母体としての価値がある女と同様、男を生かしておく価値もそれなりに存在する、はずだ。
まあ、天使にナニが生えている以上それすらも必要ない可能性もあるのだが、それはそれとして異界が増築されているからには確実に存在するはずのマグネタイトの供給源こそが彼らなのだろう、という推測を否定する要素はないからして、決して盲目的に裏付けのない希望を並べているだけとは言えない、と思いたい。
「だったら、問題はその人間をどこに隠すかだ。エストマみたいな隠密行動できるスキルがない限り、ただの天使に異界から人間を運び出すような真似は無理だ。なら、行方不明の君の仲間はまだあの異界のどこかに隠されているんだろう」
それはまず間違いなく、増築された地下部分。既に天使エンジェルの討伐を済ませている以上、敵らしい敵が存在していない可能性もあるが、それは希望的観測だ。既に異界の増築分が存在してしまっている以上、悪魔は自然に湧いてくる。
場合によってはもっと強い悪魔さえ湧いている可能性もあるのだから、エンジェルの存在がなくとも相応の防衛力を持っている事くらい想定しておくべきだ。油断はできない。
目の前には、地下に降りる階段。照明もなく、眼下で折り返している階段の向こうは死角になってその様子はうかがえないが、薄暗いその奥からは生温い風に乗って、何かが腐ったような不快な臭気と共に、どこか調子外れな聖歌の残響が微かに伝わってくる。ここが敵の本拠地である事は間違いなさそうだ。
「危険を理解した上で……行くか? どうする?」
「…………行くよ。最初から、そのために始めた事だから。仲間を見捨てては戻れない」
そんなリーファの姿を眩しいと感じて目をそらした俺は、手を腰のポケットへと突っ込んで、その指先に触れる堅い感触をそっと引っ張り出した。
掌に出てくるのはちょうど掌に乗るサイズの小箱。それを開けば、中に入っているのは銀色の指輪が二つ。シンプルにX字を描くルーン文字が刻まれたもの。ガイア連合製の霊装で、指輪の内側には製作者を示す『Maid in Morgan.』の刻印が刻まれている。
「あっ、あの、お兄ちゃん……これは?」
「天使対策に破魔耐性の霊装。破魔以外にも呪殺・精神・魔力耐性が付与されてるけど、代わりに男女ペアで装備しなきゃならないんだってさ」
性能過剰気味に作られているのは、製作者が旦那に渡すプレゼントのプロトタイプだからなんだとか。前世童貞がメインの“俺ら”には一見難しい前提条件のように思えるが、今時転生者とシキガミの男女ペアなんていくらでも存在するからして、複数作られたものの一つとはいえ競争率は信じられないほど高く、購入できたのは奇跡的と言うしかない。
ちなみにこんな土壇場で渡す羽目になったのは、女の子に指輪を渡すというプロセスが前世・今世合わせての童貞にとってのハードルの高さが問題だったからだが。
「うん……あ、ありがと。ペアリングなんだね、これ」
「そ、そうだな……うん、そういう霊装だったから、そういうものだけど、うん」
これで後で捨てられたら割と悲しいが、ともあれ。指輪を受け取って真っ赤になったリーファは、左手の薬指にその指輪を通す。シンプルなデザインの指輪は、リーファにもよく似合っていた。
「あ、キリト君指輪、付けてあげるね!」
「あ、うん……」
同じように薬指に嵌まった指輪の感覚を確かめるように、俺は左手を繰り返し握り締める。うん、まあ……うん、まあ。こういう時、自分の語彙力の拙さが恥ずかしくなるのだが、それはそれとして何を言っていいか分からない。悲しい童貞の性である。
「リーファは、その……これはすごく言い辛いんだが、捕まってる三人の誰か一人が、その、彼氏だったりするのか? いや、もしそうだったら申し訳ないなって思って……」
「え!? いや、ううん、全然違うよ! そういうのじゃないから!」
地元の異能者同士という事でパーティを組んでいた、というだけの縁だったそうだ。まあ確かに、それはそういうものかもしれないが。
そういう関係である可能性があったのに、こんな指輪を渡すのもどうか、とは思っていたのだが。
……いや、破魔耐性の装備は貴重で、これしか手に入らなかったのだ。メシア教団と正面からやり合う事も多いガイア連合だと、特に。
たったそれだけの理由だからして、本当に、他意はない。ないのだ。
「それなら、キリト君。これが終わったら、その…………そういう関係になるのは、どうかな、私達?」
「えっと、うん、それなら…………よろしくお願い、します」
頭の中で断る理由をグルグル探しながら、何一つ見つからず、流されるように返事を口に出そうとして。こんな可愛い子を相手に、こんなチャンス二度とないぞ、などと不躾な事を思いながら、しかし自分なんかが、という根拠のない罪悪感が邪魔して即答もできず、結果的にどうしても煮え切らないまま、その場の流れで返事を返してしまう。
「うん、絶対、絶対に約束だからね、お兄ちゃん!」
しかし、それでも、指輪が嵌まった左手を胸元に抱き締めるようにしながら、リーファは嬉しそうに微笑んでくれたのが素直に嬉しかった。
「……行こう、リーファ。ここから先は一段と危険な場所になる」
「分かってる。でも、お兄ちゃんが一緒なら大丈夫」
期待が重いな。でも、いいか。
俺は両手の得物を握り締め、リーファを連れて階段を下っていった。
◆ ◆ ◆
俺達が踏み込んだ地下階層は、今まで見てきた地上階とは少しばかり様変わりしていた。壁や天井に剥き出しのコンクリートが露出した廃墟異界であるのは変わりないが、そこに半ば癒着した血管や肉塊が淡く薄赤いマグネタイト光を放ちながら脈動している。
薄汚れたガラス窓の外を携帯式のハンディライトで照らしてみれば、確かに地下であるらしくその向こうは土で埋まっており光源としては期待できないが、壁と癒合した肉塊から放射されているマグネタイト光のため視界に不安はない。
そんな異界の様相よりも何より、最大の変化は敵の種類だ。ガキやモウリョウ、ゾンビにゴーストといった死霊系の悪魔は相変わらずラインナップから外れていないが、その中に新しい悪魔────天使ホーリーゴーストが入るようになっていた。
白いシーツを被ったオバケの背中に、雑にデフォルメした天使の羽根を付けたような、そんないい加減な外見の悪魔。天使としては最下級、エンジェルにすら劣る“善なる霊魂”という概念悪魔だが、低レベル悪魔の中では存外に強い。
とりわけ攻撃魔法が多様で、大抵はザンとブフにハピルマ、時折コウハやハマ、場合によってはレア属性の重力系魔法までが飛んでくる有様だ。
基本スペック自体は低いので一撃で仕留めれば問題ないから回復魔法のディアを気にする必要がないとはいえ、これでも数で襲ってくるのがデフォの天使だ、その多様な属性攻撃を捌くのは中々難しく、レーダー代わりのマッパーまで使えるから的確にこちらの位置を掴んで次から次へと集まってくるため非常に厄介で、簡易シキガミである鎹鴉のサポートで先制できるお陰でどうにかなっているというのが実情だ。
「蹴散らして突破する! リーファ、援護はいいから全力で付いてこい!」
「うん、お兄ちゃん!」
バット型霊装『サトシカリバー』の芯を換装すれば、サトシカリバーの打撃面が薄く黒く呪殺属性のマグネタイト光を帯びる。その刀身を逆の手で握った木刀『阿修羅』と打ち合わせれば、俺の左右の手の得物、そしてペルソナが両手で握る双剣のそれぞれに呪殺属性の陰火が灯る。
合計四本の刃で薙ぎ払うように放つのは範囲攻撃の【ヒートウェイブ】四連射、刀身の振りに合わせて赤黒い血色の光が弧を描き、光刃と化して敵を薙ぎ払った。
「行くぞ……!」
敵がまとめて吹っ飛んで空間が開くと同時、足元に【アギ】、炎の爆発を生み出して加速する。背後にできた空間にリーファが走り込んだのを横目で確認しながら、俺は通路に溢れるホーリーゴーストを片っ端から刈り取っていく。
◆ ◆ ◆
下に降りるごとに、異界の光景は異様さを増していった。
最初の内はコンクリートの上から血管や肉塊がへばり付いているだけだったものが、階を下るごとに肉の割合を増していき、最下層にまで降りると、もはや階層の全てが巨大な臓物の中に呑み込まれたかのように床も壁も天井も一面全て、脈動する肉壁に覆い尽くされていた。
その肉の表面には大雑把に人のそれを象ったような顔のような模様が浮かび、虚ろな呻き声を揃えてその口腔から聖歌を垂れ流している。あるいは、肉塊の表面からところどころ、奇形化した未成熟な翼が生えており、まるで野の草木が枝葉を伸ばすかのように肉塊の床や壁から生い茂っている。
「これは……」
召喚し損ないの半ばスライム化した天使が、異界の構造と融合しているのか。それも一体や二体といった数じゃない。信じられない程の天使が、異界の構造に取り込まれている。
正直、あの上階で遭遇した性犯罪天使の所業を考えるとこれっぽっちも同情する気は湧かないが、構成員を使い潰すという言い方も生温いこのザマがメシア教会のやり方かと思うと本気で寒気がする。
「リーファ、俺から離れるなよ」
トラップよろしく周りの肉壁からいきなり触手が生えて襲ってくる、なんて展開が起きても不思議じゃない。
周りにも注意を払いながらゆっくりと奥へ進んでいくと、肉壁に覆われた通路の奥から、虚ろな聖歌に混ざって悲鳴のような声が聞こえてくる。人間か、それとも悪魔のものか、それは判別できないが、ここまできて初めての変化だ、確かめてみる価値はある。
果たして、進んでいくとその先の空間には大きなホール上の空間が広がっており、その奥に鎮座している直径十メートルほどの巨大な肉塊────アナライズによると『大天使ガブリエル・スライム』、その肉の中に埋もれて囚われるように三人の人間が取り込まれているのが見えた。そこに向かって近付くにつれ、その三人がひっきりなしに上げている声が悲鳴というよりは、それこそ18禁の動画やゲームでもなければ滅多に聞かない嬌声だと分かってくる。
「リーファ、アレがそうか?」
「少なくとも、上原君は。でも、他の二人は…………」
囚われている三人の内、一人はリーファの仲間だった異能者『上原鹿之助』で間違いない。顔も写真と一致している。だが残る二人、同様に触手に嬲られて嬌声を上げている残り二人、長身の少女と、同じく小柄な褐色肌の少女に関しては情報がない。
残り二人はどこに行ったのか、それともまさか、あそこにいるのがその二人のなれの果てなのか。
そう思った瞬間、ふわり、と視界の上から白く輝く一枚の羽根がひらひらと舞い落ちていく。
「残る男性二人の事をお探しなら、その二人で合っていますよ。彼らは、私の権能と大天使ガブリエル様の受胎告知の祝福によりその身を主に捧げるべき純潔の乙女へと変じました。残る一人も後一日もあれば、いずれはその身を正しき形へと変化させるでしょう」
頭上から響く声。血と臓物と翼に彩られた狂気の空間にはあまりにも不釣り合いな、穏やかに澄んだ声。俺たち二人を覆うように頭上から影が差す。震えるような違和感に、反射神経が最善の行動を導き出した。
「っ────リーファ!」
「お兄ちゃん!?」
反射的にサトシカリバーから手を離し、リーファの身体を抱き寄せて床を蹴って、その場を数歩飛び離れる。
頭上から舞い降りるように出現するのは背に二枚の白翼を広げた一体の天使、いかにも無害そうな女の姿をしているが、アナライズ用の装置を起動して表示される結果は『大天使アルミサエル』。
たとえ無害を装っていたとして、腐っても大天使、油断はできない。飛び退く拍子に落としたサトシカリバーに【アギ】を撃ち当てて空中に跳ね上げ、それを掴み取りながら前に踏み出す。現れた大天使を叩き潰すべく四条の斬光が迫るが、それを撃ち落としたのはアルミサエルの後背から伸びた触手の乱撃だった。
「っ────!」
咄嗟に動きを攻撃から回避に切り替え、触手を切り払いながらリーファの所に跳ね戻る。のたうつ肉の鞭を伸ばしてきたのは、背後で男と元男合計三人を捕獲中の巨大スライム────大天使ガブリエル・スライムだ。大天使などとは言い難い巨大な臓物のような大型悪魔は、その巨体の表面を弾け飛ぶようにして無数の触手へと変形させ、こちらに降り注がせる。
アルミサエルの危機に自動反応したのか、武術の常識が通用しない触手を伸ばしての迎撃は想像以上に厄介。音速を越える肉鞭の連撃が織りなす槍衾を初見で突破するのは想像以上の難行だ。
「よりにもよって、大天使が二体……」
追加がいるなんて情報はなかったが、天使異界と化したこの地下階層に新しく湧いて出てきたのだろう。
厄介だ。
小さく息を呑んだリーファが胸元でその拳を握り締める、その仕草が俺の脳裏で妹のものと重なった。何か、大事な事を決めた時の癖。それはリーファも同じなのだろうか、それは分からないが。
「…………その、キリト君、聞きづらい事を聞くんだけど、えっと……あれ、勝てる? もし無理なら、私が隙を作るから……」
「大丈夫だよ。あのレベルなら、問題なく勝てる敵だ。だからリーファは俺がアレを倒す間に、三人を回収してくれ」
眼前の天使になど手は出させない。意識するのはそれだけ。目を見開くリーファを安心させるように肩を叩くと、背中のキャディバッグから得物を引き抜いて構えた。
アナライズは既に済ませてあるし、多少のイレギュラーはあっても安全マージンが取れている程度のレベル差だ、問題はない。勝てるか、と言われれば、まあ勝てる。大天使といってもそこまで脅威的な強さを持つ相手ではなく、普通の天使よりも頭一つ分程度強いだけ。
問題は、そこにリーファを守りながら、人質の救出を頭に入れながら、と言われたら、どうか。どちらにせよ、やるしかないのだが。
「でも、あんなに強い天使が、二体も……」
「ま、よくもまあそんなにリソースがあったもんだ、ってところだけどな」
余裕の笑みを浮かべた大天使アルミサエルの手の中に燐光が集うと、側面にフクロウとワシを彫り込んだ金色の長杖が出現する。それを一振り、二振り頭上で回転させると、アルミサエルは杖を槍のように構えてこちらに向けた。
「ふふ、ここは聖母の為に存在する主の子宮。穢れた現世の住人を男女の区別なく神の子を身籠るに相応しい聖女の躰へと生まれ変わらせるための試練の場なのです。であれば、その場に天使が集うのにおかしい事など何一つありはしません」
「いや、どう考えてもおかしい。主にオマエの頭と言動が」
やるしか、ないか。
アルミサエルが放ってきた【マハザンマ】による衝撃波の乱射を回避し、あるいは二刀で叩き落として破壊して防ぎ切り、足元に【アギ】の爆裂を生み出して踏み込んで、間合いの外からペルソナを飛ばして牽制。
ペルソナの振るう二刀を手にした杖で受け止めたアルミサエルの頭上から俺自身が天井を蹴って強襲、ペルソナを突き飛ばして距離を取ったアルミサエルが長杖を翻して弾き返し。
「不敬でしょう! 天使とは主の意志を代行する使者、仮に道理を知らぬ無知な人間とはいえ、相応の接し方というものがあるのです」
「お前に対する態度なんざ、唾吐き一つで十分だ!」
生身の二刀と、ペルソナの二刀。合わせて四刀、大天使が振るう長杖と激しくぶつかり合って火花を散らす。
片方木刀、もう片方はバットとは思えない衝撃音が異界のホールを揺らし、大気に激震を響かせる。
杖持ち魔法攻撃だから魔法型と見せ掛けて、その膂力は物理型異能者にも劣らない辺りはさすが大天使といったところだが。
「だが近接戦の術理が甘い!」
杖の、そして剣の間合いよりもさらに一歩を踏み込んで蹴りを放つ。地を這うようなローキックからの重心移動で蹴り足が踏み込みへと変化し、相手の足首を踏み砕く震脚へと切り替わる。めきり、と足首関節が砕ける鈍い音が響き、アルミサエルが悲鳴を上げる。
その隙に差し込んだペルソナの二刀は杖で弾かれ、翼を広げた天使は大きく距離を取って広域を薙ぎ払う衝撃魔法を飛ばしてくる。それを蹴り飛ばして足場にし、逆方向への加速を得て踏み込む先にいるのは、巨大な肉塊ガブリエル・スライム。
「しまった、待ちなさい!」
俺の背中に向かってアルミサエルが手を伸ばすが届くわけもなく、背後から撃ち込まれる衝撃魔法を躱しながら巨大スライムへと肉薄し、元が大天使とは思えない程に肥大化したその分厚い肉身に四本の刃を突き立てて【火炎斬】を発動する。
一瞬、スライムの巨体が風船のように膨れ上がり、内側から膨れ上がる圧力に負けて注ぎ過ぎた風船のように内側から破裂する。
その中にいた人間三人を素早く動いたリーファが回収するのを横目で確認し、追い縋ってきたアルミサエルに反転して肉薄。吐息が触れ合うような皮一枚の間合いで、俺は短く得物を構え、コンパクトな一撃を叩き込む。
「おのれニンゲン、所詮は土から生まれた愚かな……────がっ!?」
何か叫んでいるアルミサエルの言葉を無視して、その胸にペルソナが構える双刀の切っ先を突き込んだ。
そのまま一歩を踏み込んで、血反吐を吐くその喉笛に跳ね上げた木刀の柄を叩き込む。めしり、と音を立てて喉仏が潰れ、歪んだ頸骨にバットの横殴りを叩き込んでへし折り、胸板を蹴り飛ばす。
胸元から鮮血を噴き出して吹き飛び転がったアルミサエルは、床の上を転がりながら数回バウンドして、そのまま壁際へと叩きつけられた。その口から、濁った血潮が吐き散らされ、床の上でマグネタイトの塵に分解されて蒸発していく。
これで終わりだ。
ボロ雑巾になって床に転がっているアルミサエルを一瞥し、そしてリーファの様子を確認する。三人を一人で背負おうとして悪戦苦闘しているが、問題はなさそうだ。
バットの方を背中のゴルフバックに収めると、要救助者を一人リーファから受け取って背中に背負う。片手で十分、異能者の膂力ならこれくらいは難しくはない。
「この異界はもう崩れる。行くぞ、リーファ」
「うん。……キリト君、ありがと」
一瞬、花開くように鮮烈な笑みを浮かべたリーファのその笑顔に、思わず心臓が脈打つのを感じる。そこから意識を引き剥がすように目をそらして刹那、反射的に背後に剣を振り抜いた。
カマイタチのように飛んだ衝撃波が行く先には、半身を起こして杖をこちらへと向けていたアルミサエル。
【食いしばり】で耐久し、【ザンマ】を飛ばそうと構えていたその杖ごと総身を両断し、背後の壁ごと深々と抉り斬る。
それに同期するように異界の地下領域全域を揺るがす震動が轟音と共に響き渡り、そこで地下階層が崩壊を始めた。
地上部分とは主が異なるカウントになっていたらしく、アルミサエルが消えた時点で地下階層限定の崩壊を始めたらしい。
予想通りでは、ある。だから【食いしばり】を発動させたのが分かったその時から、脱出ギリギリまでトドメを見合わせていたのだ。
だが、それも既に用済みだ。
当然、崩落に巻き込まれてはたまらないので、リーファと二人で一気に階段を駆け上がり、背後で崩落していく異界から逃走する。武器らしいアルミサエルの杖くらいは拾っておけば良かったかもしれないが、そうやって後ろを振り返っている余裕も既になく、強いて言えば収穫はマグネタイトくらいか。
「リーファ、一人受け取る」
「いいよ、それよりキリト君は護衛をお願い。私じゃ対処できないかもしれないから」
「ああ、分かった」
リーファの頭上から現れたホーリーゴーストを飛び回し蹴りで粉砕し、そのまま二人して地上階へと飛び出した。相変わらず景気の悪い廃墟異界なのは変わらないが、それでもこれで一息ついた。
とりあえず出会い頭に襲ってきた幽鬼ガキを背後に蹴り落とすと、ガキを呑み込んだまま地下へと降りる階段が崩落し、そのまま跡形もなく消滅する。
「……危なかった」
「間一髪だったね」
二人して安堵の溜息を吐き、その場に座り込む。これでもまだまだ異界の中だ、あまり気を抜くわけにはいかないのは分かっているが、それでも一仕事済んだ。
思わず笑いがこみ上げてきて、顔を見合わせて笑ってしまう。
すぐ傍には回収してきた三人が意識を失ったまま転がっているが、どうやら命に別状はなさそうだ。とりあえずこれでクエスト達成、という事で、次からは異界攻略に本腰を入れていく事になるんだろうけど。
「……あ、そうだキリト君」
「な、何だリーファ!?」
声が上擦ったのは、リーファが急に抱き着いてきたからであり。
「これからよろしくね、彼女として。そういう約束だったよね」
「……あ、ああ。うん、よろしく」
そういえばそういう約束だった、と今更ようやく思い出す。あれ、本気だったんだなあ、と。正直、その場限りの冗談みたいなものだと思っていたのだが、女の子とは分からないものだ、と現実逃避じみた思考を空回りさせながら、失礼な生返事を返してしまうのが童貞の悲しさというものか。
◇ ◇ ◇
────どこかで、羽音が響いた。
ばさばさと羽音を響かせて降下してくる一羽の鷲は、滑空から美しい褐色の翼をすぼめて止まり木の上に止まると、そこで翼を畳んだ。
その羽音を耳にして、年若い妖精の娘の膝の上に足を置いたままベッドの上に仰臥していた老人は笑みの形に顔を歪めた。
「よし、よし、よし。我が継嗣、我が愛しい養い子スェウ・スァウ・ゲフェスよ。杖は取り戻せたかね?」
老人の言葉に応えるように、猛禽は口を開いて、その手の中に一本の小枝を落とす。受け取った老人の手の中で、掌に乗る程度の大きさだった小枝は燐光に包まれて形を変え、側面にワシとフクロウが彫り込まれた金色の長杖へと変化した。
その杖を握った瞬間、老人は見る見る内に生気を取り戻し、別人のように筋骨隆々とした体躯へと変じて跳ね起きるように立ち上がる。
「ふ、は、は、は、は、は! 素晴らしい! これが力ぞ! これが若さぞ! 戻ってきたぞ、あの忌々しい天使めに奪われていた我が権能の象徴が! よし、よし、よし! 実によし!」
興奮冷めやらぬ、という体で寝台から立ち上がった翁姿の高位悪魔は、高々と哄笑すると高々と音を立てて杖の先端を床に叩きつけた。
一瞬でベッドが形を変え、豪奢な黄金の玉座へと変わる。そこに腰を下ろした老人は、玉座の背もたれへと深々と座り、満足げに顔を歪めた。
「よし、よし、よし! 何と、我が生贄に相応しい乙女までも見つけてきたとは、流石は我が養い子だ! よし、よし、よし! では早いところ、かの乙女にも我に身を捧げる栄誉をくれてやらねばならぬなあ!」
高々と笑い、杖を床に叩きつけると、彼の前には数十体の妖精の戦士が整然とした隊列を組んで立ち並ぶ。
その力は未だに全盛期には届かず、老人が理想とするほどの力には程遠いものの。
「使者を差し向けるには未だ力及ばず、か。だが、それも時間の問題ぞ! 待っておれ、いずれ憎き天使共を根絶やし、再び我が王国を地上に築き上げてくれようぞ」
老いた妖精王の哄笑が異界に響く。それを知る者は未だ、いない。
◆ ◆ ◆
終わってみればあっという間だった。十二階にいた異界の主はそこまで苦戦せずにあっさり倒せたし、後始末にも俺自身がやるべき事はほとんどなかった。天使に誘拐されていた三人も、出張してきた武器密輸課のトラポート使いに搬送されてガイア系列の病院に運ばれ、数日後にはあっさりと復活したらしい。性別は戻らなかったようだが。
そういう意味では大した事件じゃなかったわけだが。
それ以上に大事な事が一つだけ────前世今世合わせて、生まれて初めて彼女ができました。……こういうのを、ハニトラに捕まったと言うのだろうか?
今までは割と、メシア教アンチ回には必ず良心的なメシアンを介在させてたけど、今回はそういうのがいなかった。
出る幕がなかったともいう。
なお、富岡さんは覚醒修行ハードモード一日目。
~割とどうでもいい設定集~
・天使エンジェル
前回登場したレイパー天使。レイパーでポークピッツとかいう二重苦。
エンジェルの癖にネクロマとか持っていた他、電撃・精神無効、ルナトラップなども持っていた。それ以外にも異界の主を介在させずに勝手に異界の改築などを行っていた辺り、素行と頭の構造以外は割と優秀。
・大天使アルミサエル
子宮を司る大天使。その権能をガブリエルの受胎告知の権能と合わせる事で、男だろうが問答無用で性転換させてしまう。
見た目は普通だが、頭はおかしい。なお見た目は女性型だが実際には両性具有でありポークピッツ。
天使異界と化した廃ビル異界地下階層に湧いて出ており、ガブリエル・スライムと共に地下階層の隠しボスの座に収まっていた。
・大天使ガブリエル・スライム
御存じミカエルと並んで最も有名な大天使……のスライム。エンジェルとアルミサエルの性犯罪コンビの手で召喚されるも、GPとかMAGとか色んなリソースが足りないにも程があるため、こんな無様な形での召喚となった。
最重要の受胎告知の権能を除き、それ以外の権能とかスキルとか耐性とか色々なものが根こそぎ全部オミットされているので、実はムド一発で即死していた。
スライム化している癖に種族が外道になっていないのは、曲がりなりにも大天使の権能を保持しているからであり、霊的・魔術的にはスライムというよりは生きたまま蠢くだけの大天使の肉塊といった方が正確。
知性もないので単なる孕ませ触手担当のローパー扱いになっていた。
・秋山達郎
元ネタは『対魔忍』シリーズ。寝取られる人。
リーファの元パーティリーダーで現地人異能者。物理系の異能者であり、スキルは『一文字切り』『トラフーリ』。
パーティリーダーなのはトラフーリ持ちであり、勝てない相手とぶつかった時にさっさと逃げ出す判断を行うため。エンジェルとぶつかって負けた時に逃げられなかったのは相手が逃走無効化のルナトラップを持っていたため。
触手に犯されて肉体的にもメス堕ちし、長身黒髪美少女になった。原作では幼馴染と姉がメス堕ちしていたが、こっちは自分がTSメス堕ちする羽目になったわけだが、果たしてどっちが幸せなのやら。
・沢木浩介
元ネタは同じく『対魔忍』。
リーファの元パーティメンバーで現地人異能者。二丁拳銃からの『雷電乱撃』で敵を薙ぎ払うパーティのアタッカーだった。
割とあっさりメス堕ちし、褐色肌貧乳小柄美少女になった。
・上原鹿之助
同じく元ネタは『対魔忍』。
リーファの元パーティメンバーで現地人異能者。攻撃スキルは『ジオ』一つのみと貧弱だが、ペルソナ『ヴォイニッチ』により支援系や便利系のスキルを使ってくれる、パーティに欠かせない人材だった。
尻に触手を食らっても一人だけメス堕ちしなかったが、意味があったのかどうか。
リーファのパーティはリーファ本人も含めて偶然にも攻撃手段がほとんど電撃系で固まっていた。ついでにいざという時の為のトラフーリもルナトラップで無効化されるため、電撃無効でルナトラップ持ちのレイパー天使は本当に天敵だった。
なお、実はリーファ本人が突出して強い感じのパーティで、レアリティ的にはリーファのみSR、他はR止まり。
リーファ自身はステータス的には後衛型かつ回復役を兼ねた魔法攻撃タイプだが、本人が剣術をやっている事もあって秋山達郎と並んで前衛を張っていた。