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今世の私の人生における最初の転機は、父がメシア教会に入信した事だった。
割とどこにでもある、とりたてて特徴もない定食屋の娘として生まれた私こと『愛清フウカ』が、今回の人生において最初に出会ったオカルトだった。
決して裕福ではない家財どころか、家族であったはずの私や母を生贄に捧げようと包丁片手で迫ってくる父の背中にへばりついた天使は、覚醒してその姿を直に目にする事ができた私に気が付いて大喜びし、目を血走らせた父に私を犯すように命令していた。
それを遮ったのは、ガラスを割って家に飛び込んできた一匹の獣だった。物質化も不完全なまま顕現した狐尾の蒼白いマグネタイト光を曳いて現れたその“獣”は、私などには目もくれず、壁や天井を蹴って室内を駆け回り、一直線に天使へと襲い掛かるとその口で天使の首を喰い千切って、残る体を爪で八つ裂きにした後、満足そうに帰っていった。
その“獣”の姿が、私には人間の女の子のようにしか見えなかった。
それが第一の転機だとするなら、第二の転機は私が月詠学園に入学した事だろうか。
事件後、正気に戻った父は離婚して、私は母に引き取られ、母の実家があった山梨で暮らすようになった。精神を病んだ母の代わりに面倒を見てくれた祖父母の人脈でガイア連合を紹介され、黒札認定を受けて晴れてガイア連合の一員となった私は、異能者の受け入れも行っており、また高度な霊的防衛機能を持った月詠学園に入学し────運命の人に出会ったのだ。
桜の下を歩く一人の少女。
その美しさに、一目見ただけで魅了された。
綺麗、と可愛い、の二つを掛け合わせると、ただひたすらに可憐。そんな事実を体現したかのような容姿。
耳に心地よい柔らかなアルトの声。
流れ落ちる黒絹のように滑らかな髪。
性的に未分化な幼い肢体を包むのは、新雪のように穢れ一つない白い膚。
何より強烈なのは、その眼だ。細い月のように形のいい眉、綺麗に整った睫毛の下に見えたぱっちりの大きな瞳。そのぬば玉色の輝きは、それこそ黒水晶から削り出した星の粒にも似ていた。
これでも私は今世は女、前世も女という転生者であり、性的嗜好も至ってノーマル、心臓が高鳴ったり、あるいは欲情したりするのも普通に男性相手であり、同性である女の子に恋をするとか、そんな事になるなんて考えた事もなかったのだが。
そんなものが一瞬で打ち崩されるくらいに、彼女の美貌は圧倒的だった。女神だの妖精だの人智を越えた美しさを持つ悪魔の存在も知っていたが、それらを含めても彼女ほどに美しい存在はいなかった。
“彼女”が女の子ではなく実際には男性であり、いわゆる“男の娘”という存在だと知ったのはそれより少し後の話で、それを知った瞬間の動揺が今でも忘れられない。
知ったその瞬間に、ついつい思ってしまったのだ────私が女の子で、彼というか彼女というかが男の子であるなら……彼女と、その……“繋がる”事ができるんじゃないか、なんて。
世界の見え方が変わってしまったというか、崇拝とか庇護欲とかそういった、彼女を見るたびに抱いていた純粋な感情の中に下卑た欲情の熱が混ざり込むようになったのは、それからの事だ。
何度も妄想した。あまりにも女の子にしか見えない“彼女”に男性として抱かれる事自体が想像できず、結果として私の方が彼女を抱いて犯すような想像しかできなくて、結果的に自分で自分の性癖を歪めてしまった理由の一つになってしまった。
一目惚れとかゲームやラノベの世界じゃないんだからそんなの現実にあるわけないし、相手の外見しか見ていない一方的なものだとしか思っていなかった。だからそれが現実のものとなってみれば悩みもしたし、困惑もした。自己嫌悪だって、した。
ましてや、あんな綺麗な存在に欲情するなど。
そんな彼女が、あの夜に私を救った“獣”の正体だと気付いたのは、そんな感情はもうどうしようもない、と私が結論づけてから少し経った頃だった。
立花アリス────それが彼女の名前だった。
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ガイア連合山梨第一支部に設けられた修練場。見た目や構造そのものは一般的な市民体育館と大差ないが、一線級の異能者の全力攻撃に耐えられるだけの強度を備えた頑丈な建造物だ。
見た目通り体育館的な用途を持つ施設で、普段から自己鍛錬がしたい一般黒札へと解放されており、今もちょうど二十人ほどの黒札やシキガミ達が思い思いに鍛錬を続けていた。鍛錬している黒札達の実力はそれこそピンキリで、あちらには異能に覚醒したばかりの初心者がいるかと思えば、こちらでは普段は星祭神社で鍛えている修羅勢が演舞していて、気が向いたら周囲の異能者に軽く(星祭基準で)指導をしているといった具合。
その一角。
対峙している“少年”が二人。
片方、小柄で小太りな少年『有田春雪』君。小柄な体格や温厚で優しげな顔立ちから、まるでころころと太った子豚のマスコットのようにも見えるが、そんな見た目に反して脂肪の下には分みっしりと厚い筋肉が詰まった、ハリウッド映画に出てくるような屈強なデブ。パワーだけでもない、俊敏さにも秀でた実戦向きの格闘家。
通称は子豚ニキ、または銀鴉ニキ。正反対の印象を持つ二種の獣の名を冠した物理系異能者だ。
そしてもう片方────立花アリス。私が大絶賛片想い中の、どこからどう見ても美少女にしか見えない完璧以上の美貌を誇る“男の娘”だった。
驚いた事に両者やり方は違えど、二人とも壁に垂直に立ったまま向かい合っている。
「はーいはい、それじゃ始めてな!」
組み手を始めようとした二人を監督していた星祭修羅勢のドブカスニキが声を掛けると同時、弾かれたように先手を取ったのはアリスの方だ。どうやら重力は通常通りに働いているらしく、下方である横方向へと垂れ下がっていた綺麗な黒髪が一瞬だけ散るように空中に踊り、それを流星の尾のように背後へと曳きながら、床として立つ壁面を小刻みに叩くようなステップで高速で走り抜け、アリスは一気に距離を詰める。
そんなアリスの姿をぼんやりと見上げながら、仔犬の姿に変化したシキガミ『ザイダベック』を抱いたまま、膝を抱えて座っていた。
「……綺麗」
見上げる私の事など知らぬかのように、アリスは子豚ニキと激しい試合を繰り返していた。攻勢に出ているのはアリスの方で、手指を中心にマグネタイト操作で形成した鉤爪を伸ばし、接敵と離脱を繰り返している。遠くから見ている私の目でも追い切れないほどのスピードだが、有田君はそれを的確に受け流し、捌き、打ち落としているようだ。
何よりふざけているのは、有田君の方はハンデ付きだという事だ。黒目がちなその両眼は閉ざされており、視界に頼らず、聴覚や皮膚感覚で捉えた大気の流れ、気配を感じる第六感、何より周囲に薄っすらと展開した生体マグネタイトの力場によってアリスの動きを完全に把握しているようだった。
有田君も、あれでアリスの半分以下のレベルしかないらしいから、格上相手にあれだけ渡り合っているという事になるから相当なものだ。
そうやって膝抱えて見ているだけの私の様子が気になったのか、ちょうどドブカスニキが近づいてきたところ。ガイアニでアニメーターの仕事をこなす傍ら、星祭修羅勢の一人として星祭神社で修行する糸目の彼は、よく似た顔の漫画の登場人物とは真逆の、女の子にも後輩にも優しい好青年だ。
「おっ、給食ネキやん。そんなところで何やっとんの?」
いまだに中学生と間違われる見た目通り、異能者として覚醒してはいても私に戦闘能力はない。ほぼゼロだ。
まあ私が目指しているのは料理人であるし、生産系の技能に関しては問題ないのでその辺に不足を感じた事はないが、それはそれとしてレベル上げが大変なのは事実。基本的にはシキガミであるザイダベックの御世話になるのが基本だ。
そんな、戦闘系の素質がなく、戦闘系異能者を目指す気もない私が修練場に通いながらも、真っ当に修練の一つもせずに他人の組み手を観察している理由はといえば。
「アリスの体操服姿が見れるの、ここだけなんですよ」
本当に恥ずかしい理由なのだが、それだ。
能力に個人差が大きい異能者向けの霊装機能のニーズと、月詠学園設立に関わった黒札連中の趣味、それらの都合によりカスタムが可能な仕様になっている制服とは逆に、割と手抜きで設定された感が強い月詠学園の体操服。丸首タイプの白の体操シャツにハーフパンツを合わせた、それこそどこにでもありそうなオーソドックスな体操服だ。
だが、だからこそ、そんなシンプルさが逆にアリスの美しさを引き立てるような形になっていて、紺のハーフパンツの裾からすんなりと伸びた白い足や、ポニーテールに結い上げた事で露出したうなじが、まるで翼を畳んで水面に屹立する白鷺のように美しく、緩やかな曲線美を描いている。
学校では普段から病弱設定で押し通しているアリスは基本的に体育の授業には参加しないから、そんな彼女の体操服姿を見られるのは、この修練場くらいのものだった。
「あー、あの子が目当てなんか、君。まあ、そういう事もあるよな。分かる分かる」
「それ、本当に分かってます?」
「僕だって惚れた相手くらいおるさかい」
「……それは知ってますけど」
炸裂する圧縮大気を踏んで跳躍を繰り返す普段の動きとは足場の取り方も何もかもが違い、しかしその不利を感じさせない鋭い動きで、アリスは有田君へと迫っていく。小刻みに足を動かし、常にどちらかの足が床に触れている状態を保ちながら、毒蛇が這い進むように高速で接近しては、マグネタイト光の鉤爪で払い、掻き、抉り取る。
速い。
まるで動きが見えない。これだけ離れた場所から見ていて、数拍遅れて視線で追うのがやっと。そして何より、何をやっているのか、行動の意味が理解できない。
「…………あれ、何やってるか分かります? 壁の立ち方とか」
「ハルユキ君の方は、普通に重力魔法の応用やね。重力の向きを変えて、足元を床にしてああやって立ってる。んで、給食ネキお目当てのアリスちゃんの方は……ほら、あれ分かるか、NARUTOのチャクラコントロール。あれのチャクラを体内のMAGに見立ててな、足裏の生体マグネタイトを操作して足場の吸着と反発を繰り返して、壁に貼り付いて走ってるんよ。物理法則変換より下の技術とか言われがちやけど、体内だけで完結する分だけ隠密性が高いって」
「なるほど……私じゃ再現できない高度な技術って事だけは理解しました」
射程において優位なのは手の動きに合わせて伸縮するマグネタイトの鉤爪を操るアリスだが、手数という面では重力魔法で地上同様に動く事ができるため四肢全てを攻防に回せる有田君が有利。だから自分の優位性を相手に押し付けられる方が勝つ、はずなのだが。
「アリスちゃんの方が普通に有利やな。レベル差もあるけど、それ以上にハルユキ君は目を閉じとるさかい。リーチの短いハルユキ君が勝つには、アリスちゃんの懐に踏み込まなアカン。せやけど、目ぇ閉じてるハルユキ君は積極的に踏み込めんからな」
「何でわざわざ? 目を閉じる必要性は?」
「『写輪眼』、知っとるやろ。探求ネキが作った、霊才に魔眼の力を追加する術式や。あれ、ハルユキ君も入れたみたいなんやけど、そうすると今度は色々と見え過ぎるせいで他の感覚が疎かになっとるって御師匠のシエラ婆に言われたみたいでな。せやから、ああしてあえて視覚を潰して組手してるワケ」
写輪眼、か。
聞いた事はある。あれを使えば、私も多少は戦えるようになるだろうか。
有田君みたいに、アリスと正面から向き合って、あんな風にすぐ傍で。
「一応な、念のために忠告しとくけど……自分の本分は忘れん方がええと思うで。そら最低限、レベル上げるためにも戦う力は必要やけどな、せやけど人間、できる事には限りがあるさかい、自分にできる事とできない事くらいは把握しとかんと。時間とか金とか足りなくなるで、兼業修羅勢のワイみたいにな」
「……分かってますよ、そんな事」
私は弱いので。
基本的にドン臭くて動きが鈍い。異能者としての身体性能は精密動作性と耐久性に全振りで、攻撃は当たらない。護身用にしている銃も止まっている的にしか当たらない。
魔法絡みの適性は回復・補助系統で、攻撃性は皆無。
瞬間的な判断力が重要になる戦闘ではスピードに頭が付いてこない。
戦闘力でいえば、レベル相応以下だ。
「はぁ……マグネタイトのコントロールだけなら、それなりにこなせるんですけど」
こんな風に……と手慰みに掌に集中させたマグネタイトを普段やっている通り、順番に包丁や菜箸の形に変形させていき、一通り順番を巡らせたらそれらの構成を解除して、構成マグネタイトを球状に変化させ、掌上で少しずつ圧縮しながら乱回転させていき────。
「って、さりげなく給食ネキもやるやんか。その【螺旋丸】だって、その精度と速度ならもう少し練習するだけで実戦に使えるようになるで」
「私の場合、出しても当てられないんですよ。体育の成績、どれくらいだと思ってるんですか」
「“当たらなければどうという事もない!”っていう、例のヤツやな」
この場合、攻撃を当てられないのは自分の方なのだが。
「お、また新しい事始めたな。今度は……アレか、【逕庭拳】」
「『呪術廻戦』ですよね。確か、殴った後に遅れて打撃が発生する……でしたっけ?」
「ま、そんな感じかな。再現元に関しては置いとくとして、理屈としては単純や。攻撃に合わせて【ザン】とかその辺の衝撃系魔法を仕込んどる……というか、衝撃自体を重層化して貼り付けてる感じやな。地味に高度な真似をしおってからに、大したもんやわ」
手刀、貫手、掌底と軽いフットワークから繰り出す回転の速いコンビネーションを弾き、捌き、打ち落として攻勢に転じようとしたハルユキ君の手元で【逕庭拳】の衝撃が爆ぜる。手を弾かれて開いた防御の隙に捻じり込まれたアリスの小さな手がハルユキ君の胸倉を掴み、妖獣の腕力に任せてグルリと回転、そのまま真っ逆様に、本来は壁である足元に叩きつけ。
それを重力加速で振り切る事でアリスの手から逃れたハルユキ君が鮮やかな蹴りのコンビネーション、前蹴り、横蹴り、突蹴りと織り交ぜてから震脚を踏んで前進し、全身の重量を一点に収束させて身体ごと叩き付ける掌底の一撃を、やはり足狙いのローキックからの【逕庭拳】が即席の地雷となって阻む。
「やっぱ、あの娘強いなぁ」
「修羅勢のドブカスニキでもそんな風に思うんですか?」
「修羅勢いうても、ワイ星祭の中じゃ格下もええところやからな。それにあの子、どう見てもアレやろ。運命愛され勢だけはアカンて、ウチのセツニキもしょっちゅう言うとるからな」
私は、強くなれない。異能者としての性質が根本的に戦いに向いていない。
料理人としての役割に不満があるわけでもない。
だが、せめて、あの中に混じれる程度には強くなってもいいんじゃないか。
消極的にでも、そんな身の程知らずの願いを抱いている────。
「ワイが見るに、給食ネキも決して才能がないってわけじゃないと思うんやけど……その致命的な鈍臭さをどうにかできれば……まあ、芽はあるか? だとするなら……」
「ドン臭いとか言わないで欲しいんですけどね」
まあ事実だが。
「うーむ、アレとコレと……それから、もう一手間くらい欲しいんやけど…………才能がない訳じゃあない、はず。せやな。給食ネキ、やっぱ【写輪眼】とか入れてみる気、あらへん?」
頬を膨らませた私の事も目に入らないといった様子で、ドブカスニキは何やら考え込んで……やおら、顔を上げた。
「【写輪眼】ですか? まあ確かに便利そうですが、なぜ?」
「動体視力向上のため、やな。で、体が動かん問題は……うん。後輩の為や、ワイのとっておき、教えたるわ」
ドブカスニキの“とっておき”。
「確か原作再現の術式────【投射呪法】」
「そう。術が得意でも、殴り合いが得意でも、それだけで使いこなせる術式やない。せやけど、いくつかスキルを詰むなりギミックを用意するなりすれば、決して行けない事もないと思うで。まあ、その辺を揃えるのは給食ネキの仕事やけど。────で、どうする?」
そんな風に聞かれた私は。
「……………………ちょっと考えさせてください」
そんな中途半端な答えしか出せないのであって────答えを出せずに悩み続ける私なんて何一つ関係なく、試合は進んでいく。
「うん、速い速い。ハルユキ君も速いけど、アリスネキはそれ以上に速い。壁走りで動きに枷付けても、その上で速いからやってられんわ。あれで耐性も攻撃力も完璧なんて、やっぱ才能あるんやなぁ」
「そう、ですね……」
二人がぶつかり合う度に、修練場の空気が破裂する。音速超過、あるいはそれ以上の速度でぶつかり合う二人の速度は、私の動体視力を完全に上回っている。あまりにも速過ぎて目で追う事すらできず、ただぶつかり合った瞬間の衝撃だけが幾重にも重なり合う波紋のように拡散し、空間を揺らしていく。
「って、あ……」
気が付けば、アリスが限りなく馬鹿な事をやっていた。
体操シャツの裾に手を掛け、そっとたくし上げる。体操シャツの裾が少しずつ上がっていくにつれ、服に隠されていた形のいい臍から脇腹、そうして最後にはシンプルな下着に包まれた幼い乳房の下半分までが少しずつ露出していく。
それに釣られて思わず有田君は目を見開いてしまい、その膚に目を焼かれたように硬直してしまった有田君の間合いの内側へと一瞬で踏み込んだアリスの手から放たれた裏拳が、有田君の下顎へと綺麗に突き刺さり。
「あー……勝負あったな、こりゃ」
アリスの拳から伸びたマグネタイトがよろけた有田君の顎にガムのようにへばり付き、朦朧とする意識をどうにかして支えようとした有田君が後退るのに合わせ、伸びた生体マグネタイトの筋が糸のように絡み付いて捕縛する。それに引き戻されてくる有田君の顎を、先程の再演のようにアリスの拳が正確に撃ち抜いていた。
多分、あの辺も原作再現の技────というか、そんな事はどうでもいい。
「な……にやってんですか、あのおバカ娘!」
意識を失った有田君が本来の重力の向きを思い出したように横方向に────本来の下である方向へと落ちていく中、はっと我を取り戻した私は、反射的に叫んでいた。
「ふむ、娘と呼んだって事は給食ネキ的にはアリスちゃんは女の子って扱いで確定なんか?」
「そんな事はどうだっていいんですよ! それよりあんな真似! もう少し恥じらいをっていうか、止めないでいいんですか!」
「修羅勢的には、どんな手を使っても勝てばよかろう、負けた方が悪い、やさかい。それに、あの程度の軽い色仕掛けで隙晒してる時点で落第、反省ものやね。あーカワイソ、婆様にどやされんのは確定やな」
私とは対照的に淡々としたドブカスニキの対応に、冷静さが戻ってくる。
……我ながら馬鹿な事で騒いでいた。
いや、私自身が言っている事は比較的真っ当なのだろうが、騒いだ理由がそもそも、アリスの柔肌を見せられた有田君への嫉妬と、そしてそれに目を奪われた自分に対する気恥ずかしさという子供じみたものだったのを隠すため、という時点で間抜けにも程がある。
「ま、気持ちは分かるで」
「……そうですか?」
「そりゃ、そうや。ワイかて惚れた女の一人や一人くらいおんねんからな」
一人や二人、ではなく、一人しかいないのか。
まあ、そういう人なのは知ってる。有名だし。
「……放っておいてください。殴りますよ」
「あはは、まあまあ、そう怒らんといてな。ほら、あっち見てみ、アリスちゃんに新しい挑戦者やで」
「あっ」
言われて視線を向けると、有田君と入れ替わるようにしてアリスの前に立った女の子が一人。今日のアリスと同様に黒髪をポニーテールにした女の子、確か有田君のシキガミで、名前は『ヒカル』だったか。格闘系と重力制御の組み合わせという、有田君の能力と完全一致するスキル構成をした珍しいタイプなのは、本来の姿が武器型ならぬ鎧型であり、その本分が能力の増幅装置であるから、らしいが。
「あれ、何て言ってるのか分かります?」
「うん、どれどれ……ええと『主が負けたのは主自身の節操のなさ故仕方なし。だが主の敗北は我が敗北になる故、放っておくわけには行かないのでな。一手、馳走させていただく!』やて」
仕方なし……などと格好つけている割に、その眼には怒りの炎が燃えているのが見て取れる。
「めっちゃ怒ってますね、アレ」
「うーん、やっぱご主人サマに色仕掛けされたのがムカついたんやろな。まー、主とシキガミゆえ仕方なし、やな」
そもそも有田君他、アリスの男友達三人が借金してまで嫁シキガミを欲したのって、このままだとアリスの影響で性癖が取り返しのつかない事になってしまうから、だったはず。その辺を考えると、シキガミ的には自分の存在意義を全否定されたようなもの、になってしまうのかもしれない。
「お、始まったで」
私達が見守る先で、最初に動いたのはヒカルだった。手加減するつもりなど欠片もないらしく、離れて見ている私の目でもほとんどコマ落としのようにしか見えない高速移動で、一瞬後にはアリスの眼前へと移動して、すらりとした長い脚が三日月の弧を描いて振り下ろされる。
「それにしてもアリスちゃん、おもろい事やっとったな。あれ、ひょっとして【伸縮自在の愛】かいな?」
「あれですか、私も知ってます。狩人同士を掛け算したタイトルのジャンプ漫画のですね」
「合っとるけど、そないな風に言わんといてな。BL作品やないんやで、一応な。あれを再現できる人はセツニキを筆頭に黒札なら何人かおるねんけど……術式とかその辺抜きでMAGの属性付与だけで再現しとんのはワイも初めて見たわ」
オーラにゴムとガムの性質を与える能力、それを全身の生体マグネタイトに置き換える事で再現したもの。術式による変換ではなく、気功術的な理論での属性変換に近いのは、見ていて何となく分かる。
「いやぁ、本当に器用やなぁ。宮城の幼女ネキといい、最近の若い子は色々と何でもできる子ばっかりで、ホント羨ましいわぁ」
「それ、私に言いますか?」
「いやいや、給食ネキだってワイから見れば相当なもんや。【螺旋丸】なんて難易度も結構なもんやし、【伸縮自在の愛】が術式やない事を初見で見抜けるのだって、大したもんやと思うで」
普段なら空を跳ねるような独特の軌道で回避するところ、手刀を立てて受け流したアリスはそのまま間合いの内側へと踏み込んで膝蹴り。合わせた両掌で受け止めたヒカルは身を翻して試みる反撃はコンパクトな直蹴り、しかしゴムの性質で収縮したマグネタイトによって軌道を変えられ、その懐へとアリスはさらに踏み込んだ。
肩で出足を押さえながら、腹腔に肘。それを弾いてヒカルのショートジャブ、肘で捌いたアリスの膝から伸ばした鉤爪からの【麻痺ひっかき】。
「あちゃー、アリスちゃんのあれは本当にやりづらいわ。こうやって見とるだけで分かる」
「瞬間ごとの判断力が回らないと扱いづらそうですけどね」
つまり私には無理、という意味だが。
「それを差し引いても、やで。素手の打ち合いに雑にゴムガムの妨害を挟まれるだけでも死ぬほど面倒なるで」
「そういう考え方もありますか」
まあ、それも素手戦闘で相応の技量を持っている前提に限られるから、私にはあまり意味のない話だが。
ともあれ。
この状態で近接戦は無理と判断したのか重力魔法での射撃戦に切り替えたヒカルに、アリスは距離を詰めようとはせず中距離での魔法戦で応戦する、が。今度は糸状に変化させたマグネタイトを操り攻撃に利用し始めたアリスに、やはり大苦戦する羽目になっている。
「うーん、今度は……えーっと、アレだ【念糸縫合】かいな。しかも地味にゴムとガムの性質とも併用できる、と。やっぱ器用な事してんなあ」
「まるで蜘蛛の糸ですね。貼り付くから相手に触らせただけで妨害になるし、弾力性を生かして移動にも使えて……しかも五感と切断系の物理スキルまで伝達できる、ですか」
「それだけやないで。地味に衝撃魔法に混ぜる事で糸を加速して飛ばしとる。糸を上手く操作してて切れ味もええ。怖い技やなあ、本当に」
糸を回避する事を諦めたヒカルは、今度は重力魔法で周囲の糸を引き寄せて無力化しようとするが、まあやはりと言うべきか、あまり上手くいっていないようで。遊ばれている、というよりは、ヒカルを実験台にして何をどこまでできるのかアリスが試している、というのに近いか。
諦めて再び近接戦に転じたヒカルが旋風のように身を翻し、一瞬で距離を詰めようとして、しかしゴムのように収縮する蜘蛛糸に足を絡め取られて急停止、反射的に体勢を立て直した時には、その眼前に既にアリスが迫っており。
四肢をフル活用して刻むような細かな打撃の撃ち合いと共に始まり、アリスのゴムとガムの性質を併せ持つマグネタイトを纏った妨害に思うように動けないヒカルだが、それを前提に攻撃を受け流し、コンパクトに曲げた膝から繰り出す前蹴りにて急所を狙い────。
「おっ、これは決まったかな?」
唐突に、アリスの身体に触れてもいないその足が横に弾かれ、そして。
がら空きのガードの合間を潜り、踏み込んだアリスの掌底がヒカルの顎を撃ち抜いた。その一撃で意識を刈り取られ、本来の重力を思い出したかのように壁から落下していくヒカルを、既に回復していたらしい有田君が両手で受け止めた。
勝負あり、だ。
「何や、何か悩んどるの?」
「…………まあ、少し」
そんな言葉に、ドブカスニキは少し迷ったように間を置いた後、口を開いた。
「まあ、それも仕方ないと思うで。好きな子のオッパイに目を惹かれるのは、当然の事やとワイは思う」
「……そう、ですか」
…………気付かれていた。
羞恥に赤く染まっていく頬を押さえて、私は視線を逸らせた。これはちょっと、どうしようもなく恥ずかしいのだが。
そんな私を放置して、ドブカスニキは物凄い勢いで語り始める。
「そう。女の子のオッパイはええもんや。男の夢や。白くて、ふんわりしとって、そいでもって美しい。目を惹かれるのも当然の事や。サイズ、質感、曲線、サイズ、柔らかさ、重量、色合い、サイズ、その他諸々、そして何よりサイズ……否、諸々の一言で片づけたらアカンくらい、語るべき事は山ほどある。せやけどな、何より一番大事なのはそれが誰のオッパイかっていう事や。確かに社長はポンコツで頭もそんなに良くないし失敗も多いけどな、義理人情には厚いし、面倒見ええし、仕事だって丁寧で真面目で誠実や。あの人、毎朝毎朝社員の誰よりも早く出社して会社前の掃除してるくらい真面目やけどな、社員全員の顔と名前覚えてて全員に挨拶してくれるんや、あれがないともう毎日テンション維持できる気がせえへんわ。前に一度捨て猫拾った時なんか、育て方分からんくて泡食ってショタオジに電話しようとして社員総出で止めたけど、あの時の社長はホンマ可愛かってんなぁ。そう、それで社長はこう胸も結構デカくて腰のくびれもしっかりあってスタイルもええねんけど、あのスタイル本当にどうやって維持してるんか分からんなあ、やっぱ天然っていうのか黄金律っていうのか本当素晴らしいわぁ尻のラインも綺麗やし。でもやっぱり男は尻より胸サイコーっていうかやっぱり社長の胸が一番サイコーっていうか結局最後にはそこに行き着くというか社長のオッパイはサイコーというかやな、つまり────」
単純に、勢いで押されたというのもあるが。
そこまで語られる頃には、恥ずかしいとかそういう感情もちょっと過去のものになっていたりなんかして。
しかし。
何というか、その。
「つまり! ワイが揉みしだきたいのは! 社長のオッパイだけやぁ~~~~~~!!!!!!」
……何と言ったらいいのか、分からないのだが。
ドブカスニキの背後で、白目を剥いてプルプルと震えている女性が一人。ちょうど高校生の頃に使っていた体操服をタンスの奥から引っ張り出してきました、みたいな恰好をした彼女が、確かガイアニの社長の陸八魔アルさんであり…………ちょうどさっきまでドブカスニキが熱く語っていた当の本人であり。
「は、はわ、はわわわわわわわわわ…………あわわわわわわわわわわわわわわわ………………」
はっと我に返ったドブカスニキと、顔を真っ赤にして後退ったアルさんの視線がばっちりと合った。
何というか、本当になんて言ったらいいのか……うん、何と言えばいいんだろうか、本当に。
「は、はわわ、あわわ、あうあうあうあう…………ご、ごめんなさぁあああああああい!」
「ち、違うんです社長! 社長、ワイはそんなつもりは、ま、待ってくださぁ~~~~~~~~~~~い!!!!」
脱兎の勢いで逃げ出すアル社長を追い掛けて、ドブカスニキも走り去っていく。置き去りにされた私は、二人が走り去った方向をただポカーンと見送るしかなかったのだった。
元は割と普通な黒札の予定だったこの子がこんな方向性に行くとか。
~割とどうでもいい設定集~
・愛清フウカ
元ネタは『ブルーアーカイブ』。
給食ネキ。
調理部所属の黒札。非戦闘系の調理部員。異能の方向性としては回復系だが、料理系は彼女の適性からして間違いではないが最適解でもない。
シキガミはザイダベック。基本形態としてキッチンカーの姿を持つ車両型シキガミだが、普段は低位の【変化】スキルによって子犬の姿になっている。
終末後は膳王飯店にて働いているが、それ以前は普通に学生生活を送っていた。学生時代も普通に調理部所属。
月詠学園所属の学生で、立花アリスのクラスメイト。
アリスと出会って性癖がぶっ壊れた。
・有田春雪
元ネタは『アクセル・ワールド』。
通称子豚ニキ、または銀鴉ニキ。
素手格闘系の黒札。比較的普通の戦闘系。格闘物理以外にも重力系魔法を使う。星祭のシエラ婆の弟子。
シキガミはヒカル。見た目は『装甲悪鬼村正』の湊光であるが、本来の姿は『【カオ転三次】TS^2ようじょの終末対策』のカジオーネキが使う二代目村正原作再現仕様の変形型デモニカのさらに試作品を素材として、デモニカではなく鎧型シキガミとして完成させたもの。
半終末期時点の現在では学生であり、愛清フウカ、立花アリスのクラスメイトの一人。アリスと仲がいい男子生徒黒札三人の一人。
・ドブカスニキ
『呪術廻戦』の禪院直哉みたいな見た目の黒札。
星祭所属の下位修羅勢であり、同時にガイアニ所属のアニメーターという割と複雑なようで単純な兼業修羅勢。兼業ゆえに努力値が足りず星祭の中では最下位に近いが、ガイアニの中では最強に近い実力者。
趣味は後輩の前で格好つける事で、危ない場面では率先して動くし、面倒も見るし、割と気前よく奢ってくれる。人生半分くらい見栄と格好付けで生きているが、それがほぼプラスにしかなっていない。見た目に反して普通に面倒見もいいし優しい好青年なので割と慕われている。
アル社長にベタ惚れなのが外から見て丸分かりなので、ある意味安全圏扱いでもある。なお社長当人は全然理解していない模様。
素手格闘系のスタイルだが、割と器用に術式も使う。得意技は原作をほぼ完全に再現した術式【投射呪法】での高速戦闘。
速度でゴリ押ししているように見せ掛けて術式で器用に対処していくスタイルだが、普通に速度に対応してくる物理特化型などとは相性が悪い。
元々は塵塚怪翁様『【求む】カオス転生でダークサマナーが就職する方法』にて登場した京都の地元霊能組織『京都ヤタガラス』内部の名家の産まれ。
当初は呪術廻戦の世界に生まれたと勘違いしてヤベーヤベーと思いつつ鍛錬していたものの、その内にメシア教会だのファントムソサエティだの呪術の世界に存在し得ない固有名詞に気付いてメガテン世界だと気付く。
その後は色々と頭を悩ませつつもガイア連合の存在を知ったので色々と悩みが解決して、とりあえず以前からそれとなく虐待から庇っていた従妹二人とその母親を華門神社に逃がしつつ、自分は山梨へと脱走、ついでに本家は爆破してきた。
その後、山梨に行った先でアル社長に出会って一目惚れしてガイアニに入社、アニメーターとなる。さらにその後、社長と後輩たちにいいところを見せるために星祭修羅勢に参加した。
後々、京都に置いてきた従妹二人がハイライト消えた目付きで山梨まで追い掛けてきて色々と大変だったり。
・逕庭拳
元ネタは『呪術廻戦』。
殴った後に遅れて打撃を発生させる。実際には打撃や接触に合わせて【ザン】系の衝撃系魔法を仕込み、遠隔操作や感圧接触で起爆している。
殴る以外にも足元を踏んだりするだけでも設置できるので、原作からはかなり掛け離れた性能になっている。
衝撃そのものを重層化して同時複数発の爆発を仕込んでおけるので見切るのも困難。
・伸縮自在の愛
元ネタは『HUNTER×HUNTER』。
全身のマグネタイトにゴムやガムの属性を付与する概念付与術。術式とは異なる属性転換術であり、実はどちらかといえば生産系技術にも近い技。
“シンプルな技を再現するならシンプルな術理を”との考えから、術式を一切使っていない。
単純過ぎる癖に応用範囲が無駄に広いのは原作通り。
・念糸縫合
元ネタは『HUNTER×HUNTER』。
マグネタイトを糸状に変形させて操作する術。原理的には黒焦げ様『【カオ転三次】 終末に向けての準備するとある転生者の話』にて人魚ネキがマグネタイトを刃や槌の形に変形させている技の延長。
やはり無駄に応用性が広く、【伸縮自在の愛】と組み合わせれば粘性・弾性・伸縮性を獲得し、ほぼ蜘蛛の糸のような扱いができる。
アリスの場合、本来は物陰から糸を伸ばして敵の首に絡めて首を刈り取るような使い方がメイン。