――生まれた時から「自分がいつ死ぬか」を知らされていたらどう思う――?
モノリスの様に機械的な、それでいて無残に砕かれたビルディングが立ち並ぶ中。
大きく踏み出す一歩。身の丈を超える長い太刀。全身ごと切っ先を振り払う。鱗と鱗の合間を裂く。黒い化け物が絶叫を上げる。叫びに開いた喉を深く突き刺す。
――実際に俺達は一人残らずそうなのだ。この閉じた島国は一か月後に滅ぶ――。
味方もめいめいに構えた得物で応戦する。ここは戦場だ。墓標の様に立ち並ぶ摩天楼、その合間で黒い怪物どもと相対する。怪物を、人間を問わず血潮が乱雑に咲く。弾丸が、刃が、或いは牙や爪や炎が繰り出せば、敵味方問わずに安い命が支払われた。
―—それは数千年も前から語り継がれてきた預言であり、マザー・コンピュータが導いた演算である――。
屍は振り返らない。例えそれが昨日まで同じ釜の飯を食い、他愛も無い事を語り合った戦友だったとしても。転がっているのは魂の抜け殻だ。奥歯を食いしばって踏み越える。此処で響くのは鎮魂歌じゃあない。銃声、爆音、断末魔、歌にもならぬ阿鼻叫喚だ。
――俺達が滅ぶ前に、島の深奥に封印された『終末の怪物』を道連れにする事。それが俺達の生まれた理由であり、果たすべき使命だとマザー・コンピュータは語った――。
黒い怪物が深く息を吸い込む。そして深紅の火炎を吐き出す。左手を前方にかざした。展開された障壁が火炎を阻む。再び太刀の柄を握り締める。火炎の合間を縫って飛び込む。死地に逃れる場所など無い。ただ踏み込んで切り抜けた先にこそ、か細い生があるだけだ。
垂直に振り下ろした剣閃が、黒い化け物をふたつに両断した。
太刀を肩に担ぎ、呆然と空を見上げる。この島と夕焼け空の間を隔て、透き通った巨大な障壁がある。あれはこの島の全域を覆っている。すなわち『終末の怪物』をここに封じ留める為の結界だ。もうガタが来ていた。
決戦は近い。──これはこの島が滅ぶまでの、記録に残らない、語られない物語である。
◆
今日の戦争を終えた後、いつも通りに絵を描いていた。
巨大な翡翠色の結晶体が淡く照らす大広間、サイバネティックな蛍光線が黒い床や天井を走る、無機質で機械的で広い平坦な大部屋だ。
俺が描くのは意味のない絵だ。マザー・コンピュータによれば抽象画という類いらしい。ただ思いのままペンを走らせていた。何の意味も無い才能だと思いつつ、どうしてか描く事が習慣……否さ、これもまた意味の無い癖になっている。あるいは手慰みというべきか。
「いつも思うけれどさ、よく集中力が保つよね、そんな細かいところまで描き込んで」
おもむろに呟いたのは、俺と同じ第101小隊の少女だった。入れ替わりの激しい面子で比較的長い付き合いだから、ソイツの顔は覚えていた。
「別に集中してやってるワケじゃない。ただの手癖みたいなモンだし……戦場じゃあ何の役にも立たない。無意味だ。それともアレか、嫌みか?」
「別にそんなつもりで言ったんじゃないってば。本っ当にいつもアレだ、アレ……」
「我らが小隊長は本当に卑屈だよなあ」
他のメンバーが言う。少女に同調した男は、身内で『先生』と呼ばれている……俺より戦歴の長いベテラン兵士だった。博識かつ冷静で、先生の方が部隊長に向いているんじゃないかと、いつも俺は思っている。
マザー・コンピュータが座す前で俺達……第101小隊はいつものように駄弁っている。それがあと幾ばくも続かない日常であると知りながら、俺達はいつも通りだった。
「案外お腹すいているからイライラしているのかもしれないぞ。そんなワケで今日の夕餉は具材たっぷりの煮込み鍋だぞ。たくさん出来たから隊長も皆も遠慮なくお食べ」
第101小隊のムードメーカー、青い甲冑の男が煮え立つ鍋をかき混ぜつつそれぞれの器へよそっていく。メンバー達はいそいそと匂い立つ器を受け取り、俺もため息をついてペンを置いてから、それにあやかる。
この島は巨大な結界によって閉ざされている。理由は『終末の怪物』を封印し、決して島の外へ出す事が無いようにだ。数千年もの間、この島の住民達……否さ兵士達は『終末の怪物』が繰り出す手下、黒い怪物達を押し留める為に戦い続けてきた。
その封印も長い時を経て綻び、もはや『終末の怪物』は目覚めようとしていた。俺達はそいつを殺さねばならない。例えマザー・コンピュータが数千年前から演算していた通り、この島が住民ごと、ひとつの生命すら残さず死に絶えたとしても。
だから無意味なのだ。戦い以外のどんな才能も『終末の怪物』を殺せる訳じゃないから。ただ何かに没頭している間は、他の事を考えなくて済むのが良いのだ。今日踏み越えた、昨日までそこに居た戦友の屍は、嘆きと叫びと無念はどこに仕舞えば良いのか……例えばそんな事を思い出さないで済むから、それが良いのだ。
『僕から見ても凄いと思う。少なくとも僕にソレは生み出せないな』
「それこそ皮肉はやめてくれよマザー。アンタの予言があるから、俺はこれをどこまでも無意味だって思えちまうんだ」
「ちょっと、いくら何でもマザーにそんな事言うのは……」
『……いや正しい。君達を僕の予言に縛っているのは事実だからね』
マザーは口を動かさない。彼女を包む結晶体の中から、柔らかに穏やかな声を響かせる。まるで眠りについたままの様な姿だから、表情を推し量ることも出来なかった。
かつて病弱で、真っ白い病室から出て歩き回る事さえままならなかった俺。そんな俺にいっぱしの兵士としての健康を、そして戦闘力と兵士としての鍛錬を与えた存在。この島の兵士達の育ての親であり、予言という名の運命に縛る張本人。
恨んでいる訳じゃない。ただ彼女と俺達の運命にどう折り合いをつけるべきか、それがあまりに複雑で俺には分からないだけだった。
『しかし、どうであれ僕が視た「その時」は直に来る。この数千年間、僕は思い付く限り抵抗を尽くしてきたつもりだが、それでもこればかりは避けられない。心苦しい。けれど君達を巻き込む事になるんだ。だからどうか僕の願いを、改めて聞いて欲しい』
101小隊の連中は「何を今更」とでも言いたげな面持ち、いっそ清々しい覚悟の笑みでマザー・コンピュータの言葉を待つ。俺はどんな表情を浮かべていたか分からないが、マザー・コンピュータが……『ウィリディス・フルフィウス』が次に言わんとする言葉は分かっていた。
『この島と君達は滅ぶが──どうか終末の怪物──ヤマタノオロチを殺してくれ』
◆
かつて7体の大いなる竜と、その始祖たる龍の遺伝子を併せ、最強の竜神を生み出さんとする……そんな大それた研究があった。この島に巣食う『終末の怪物』ヤマタノオロチの正体である。
永き封印より解き放たれた竜神は、圧倒的な力でもって立ち向かう兵士達を蹂躙した。
島のあらゆる兵士達が死に、首を転がし、屍を晒し、言葉も無く転がり、戦場は業火に包まれ、怨嗟の言葉を紡ぐ事すら出来ず折り重なっていく。
地獄絵図の中で、なんと第101小隊はヤマタノオロチの頭を7本も切り落とした。
そして第101小隊の仲間達すら全て嬲り殺され、ただ俺ひとりだけがヤマタノオロチと相対している。
握るは俺の体躯ほどに長い太刀ひとつ。
かつての仲間だった亡骸は背後に転がっている。きっと呼び掛けても返事は無い。返事は無いという事実が、痛みに慣れたハズの胸を締め付ける。嘘だ。一度だって俺は離別に慣れた事なんて無いのに、どうしてみんな俺を置いて逝くんだ。
たったひとつだけ頭を残したヤマタノオロチが、必殺の爪を振り下ろす。渾身の底力で以て一撃を逸らす。俺の身体はとうに限界を迎えていた。全身の管が血を噴く。
膝をつく。畜生どうして俺なんかが最後まで生き残った。
死の化身が眼前に屹立している。黒く立ち込める曇天に向かって咆哮する。いっそ早く俺を楽にしてくれとさえ思った。
どうせなら一息に殺してくれば楽になれるのに、と、願っていても、何もかもがうまくいかない。生ですら死ですらも、そう思い通りに事は運んでくれない。
ただひたすら追い詰めるように削り取るだけで、そこに安楽や、ましてや情けの類など在りはしなかった。運命とはかくも自然災害に外ならず、立ち向かうだけ虚しい。
なぜ抗っているのか。
だって苦しいだけじゃないか。俺だってここから逃げ出したいのだ。
逃げ出して失うものは無い。とっくのとうに、みんなみんな無くなってしまった。俺を置いて息絶えてしまった。もう、ここに生きている理由は無いんだ。継ぐべき意思すらも残されちゃいない。
燃え盛る陽炎の後には、本当の意味で何も残されていない。
しかし今わの際で聞こえたのは、マザー・コンピュータの声だった。
『違う。君はここで終わりじゃない』
「……ああ、そうだな、せめてアイツにトドメを刺すまでは……」
『それすらも違う』
訝しむ。マザー・コンピュータの声は、今までに聞いた事の無い凛とした響きである。息も絶え絶えの俺へと言い聞かせる様に、彼女は続けて、毅然として宣言した。
『私の予言通り、この島と民は今日この日滅び絶える。けれど──君は生きるんだ』
言うが否や力が流れ込む。翡翠色の力場が……エーテルが俺を覆って立ち上る。戸惑う俺はその色に心当たりを思い出す。まるでマザー・コンピュータ、否さ、ウィリディス・フルフィウスを包む結晶体……クリスタルと同じ色ではないか。
立ち上がる力は与えられた。ヤマタノオロチが俺に引導を渡そうと、爪を振り下ろす。それすらも翡翠色のエーテルに阻まれ、そして俺は声を聴く。
『さあ。僕が託す最期の力で、奴の最後の首を斬り落とすんだ。そしてここから先は、僕の予言──曰く「超える力」ですら与り知らぬ世界だ』
「最期の力って、おい、マザー、お前は……!」
『ああそうだ! 僕はここで力を使い果たし、消える! ここが数千年前より辿り、抗い、それでも逸れる事が出来なかった運命の終着点だ!』
俺の言葉を遮り、ウィリディス・フルフィウスは声を響かせる。想像を絶する程の無念を叫びに乗せて、諭す様に叩き付ける。しかし彼女は『それでも』と続けてから。
『君はこの先の物語を紡いでゆけ!』
恐るべき激痛と共に言葉は響く。朦朧とする視界に揺らぐ視界。右目に映るものだけが鮮明に像を結ぶ。意味も無く眼前を見上げる。立ちはだかる黒竜の姿がある。
『その目に映る死の化身を断ち切れ! そしてどうか……外を知らぬまま果てた同胞達に、そして僕に、僕達の分まで、外の世界を見せておくれ』
力の限り慟哭した。苦痛からか、言葉に出来ぬ情念からか。答えなど分かるハズも無いままの俺に、ウィリディス・フルフィウスは懇願した。それは呪いか、それとも祝福か。
『──どうか、生きて』
慟哭の果て、俺を覆い守っていたエーテルと声は失せる。頬には涙が伝うままである。俺は情けなくうなだれていた。しかし手には剣を握ったままで、それから改めて怪物の方へと──ヤマタノオロチへと向き直る。
咆哮する死の化身。対して俺は切っ先を向けた。流れる涙を拭いはしないままで。
風に吹かれれば倒れてしまいそうな程、今や頼りないこの四肢。しかし右目に映る景色は異様なほど明瞭である。どう動けばこの命が刈り取られるのか、どう進めば次の一瞬の息を継いで居られるのか──それすらも視えた。
短く息を切って踏み込む。
致命の爪を、衝撃波を、一撃を寸前で躱す。身を翻し、転がり込み、駆け抜け、無様によろけながら、それでも足は止めず疾駆する。臓腑の底から叫ぶ。黒竜が尻尾を振り抜く。呼吸を合わせて返す刃で袈裟に刎ねる。黒竜が絶叫する。握っていた太刀は折れる。
再度、俺を見下ろす黒竜は怨嗟に燃えていた。同時に中空から回転して落ち、黒焦げた地面に突き立つものがあった。それは歪な、妖しく緑色のエーテルを纏う大剣であった。
迷わず大剣の柄を掴む。
黒竜は俺の命脈を絶つべく、牙を剥いて迫る。
姿勢を低く潜り込むように踏み込んだ。
死神の鎌が首を掠めた刹那──下から上へ向けて逆袈裟に斬り上げる。
確かな手応えがあった。断末魔を上げる巨体と共に、俺の膝は崩れ落ちる。
響く轟音や唸る大気とは裏腹に、世界は酷く静かな気がした。
呆然と空を見上げる。ヤマタノオロチが巻き起こした乱気流は島を囲い、分厚い暗雲となって渦巻いている。黒灰色の壁と死体の山が覆い尽くす中で、頭上からだけは真っ白な日差しが降り注いでいる。
もはや力の入らない両手をだらりと下げ、その場に座り込んだまま、俺は最後に呟いた。
「……綺麗だ」
直後、荒れ狂う津波と嵐がすべてを呑み込んでいく。
この島も、仲間も、エーテルとなって消えゆくヤマタノオロチも、あらゆる感情さえも、等しく無慈悲に、迫り覆い被さって、そして──俺の事さえも、まるで瓦礫の様に。
◆
かくしてエオルゼアより遠く離れた東方にて、数千年も蛮神『ヤマタノオロチ』を封じ続けてきた島国──アラグ帝国極東拠点『幽世ニライカナイ』は人知れず滅びを迎える。
たった一人の、俺という敗残兵だけを残して。
どうして俺だけを残して逝ってしまった。どうして何も残してくれなかった。どうして俺に何も──「ふざけるな」も「待ってくれ」も「置いて逝かないで」も「なぜ俺だけが」も……「ありがとう」さえも言わせないまま、何もかも無くなってしまったのだ。
数多の情念を他所に、目を開けばその先に、突き抜けるような青い空がある。
大嵐が明けた朝、俺は東方の小さな島国の浜辺へ打ち上げられていた。奇しくもヤマタノオロチの尾を斬り落とした際に、舞い落ちてきた大剣と共に。
朧げな視界の中、村人たちはしきりに俺の無事と『名前』と、『どこから来たのか』と、『何があったのか』を問いかける。
全てを語るには疲れすぎていた。
「俺は──……」
ただ、その名だけを口にする。彼女を象徴する『緑色の』エーテルと、数千年の間、『滔々と流れる川』の様に受け継がれてきた意志を示す、その名を。
せめてあの島に生きていた、全ての魂を引き連れて生きていける様にと。
「……──俺の名は、ウィリディス・フルフィウス」