水の都とことり   作:雹衣

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第11話

「……誰?」

  私は恐る恐る後ろへ振り向きます。そこに居たのは……。

「……猫?」

 スラリとした体躯の一匹の黒猫さんが床に座っていました。この黒猫さんを見た途端、私は気が抜けたような、ほっとしたような感覚が体に広がります。良かったぁ。怪しい人とかではなかったみたい。

「でもどこから入ってきたんだろ?」

 私は思わず疑問を口に出します。私の記憶ではARIAカンパニーにこんな猫さんを飼っている記憶はありません。アリア社長?という猫さん(猫……だよね)だけしか飼われていないはずです。それにARIAカンパニーの室内からやってきました。どこかの部屋の窓が開けっぱなしで、そこから入って来ちゃったのかなぁ……。

 私がそんな風に考えていると、その黒猫さんは私の方へ警戒するそぶりを見せずにのそのそと歩いてきます。そして私の前のテーブルにぴょんと飛び乗っちゃいました。人懐っこい子なのかな?

「……」

「……」

 私と黒猫さん。その間で無言が暫く広がります。その黒猫さんは私たちの前に広がる青い海をじーっと眺め続けています。私はその黒猫さんを見つめていましたが、不意にあることを感じました。

「ねえ、私とどこかで会った?」

 この黒猫さんとどこかで会ったような。既視感? そんな感覚が私にありました。黒猫なんて珍しくない。なのにこの黒猫さんを見てると何とも言えない不思議な感覚が心の中に広がっていきます。この感覚を一言で言うなら……。

「懐かしい……」

「にゃー」

 私が呟いた瞬間、黒猫さんは立ち上がって、カウンターから外へと飛び出します。そして外のデッキをしなやかな体を伸ばして、ネオ・ヴェネツィアへと駆け出していきます。

「あ、待って!」

 外へと出ていった黒猫さんに私は思わず声を掛けてしまいました。しかし黒猫さんは無視して、ARIAカンパニーとネオ・ヴェネツィアを繋ぐ桟橋を走っていきます。

 私の体はその黒猫さんに引っ張られるかのように椅子から立ち上がって、追いかけ始めます。ゴンドラで案内しているアリシアさんを待たなくちゃ……なんて一瞬思ったけれども、何故か黒猫さんの事が気になってしまい、足が勝手に動いていきます。

 ARIAカンパニーの扉を開け、私は黒猫さんの小さな背中を追っていく。

 それはまるで何処かへ誘われているかのように……。

 

 

 

 黒猫さんは何処までも走っていきます。ネオ・ヴェネツィアの小道を走り、橋を渡る。私はそれを精一杯走って追いかけます。黒猫さんは、私の事を意識してるのかしてないのか、とても速く走っているのに、小さな背中だけは私は追うことが出来ています。

 少し横を見ると、アクアの青い海が建物の間から時々顔を覗かせては消えていきます。その浮かび上がっては消えていく風景は昔見た、古い映画のフィルムみたい……なんて感想を抱いてしまう。現実と非現実の緩やかな境界線、その線の上を歩いているような曖昧模糊。連続する風景に心奪われて、何処か夢のような浮遊感。何時の間にか自分の足音以外の音が聞こえなくなっていました。

 黒猫が狭い路地へ曲がったのを見て、私も釣られて入っていきます。路地の中は昼なのに光が届かず、真っ暗です。幅は人一人が横になってギリギリ入れるか入れないか……といった所。私は少し躊躇して、この路地に入りました。

 体を横にして、必死に歩いていきます。暫く歩くと、さっき入った場所がもう見えません。そのことに少し恐怖を感じながらも、進んでいきます。なんだか、ここから先は……行ってはいけない。そんな事を心の何処かで感じてしまう。

 暫く進んだ後、私の視界が突然明るく開け、突然の光の明るさに私の視界が真っ白になってしまいます。

 それでも進んでいると、狭い路地から突然抜け出せました。しかし、視界がまだ白く周りを確認できません。

「……ここは」

 徐々に目が光に慣れ、周りを見れるようになった時、私の視界には噴水が見えました。ここは建物が立ち並び、その足元に空いた小さなスペース。そこに簡素な噴水が置かれ、水の綺麗な音を奏でていました。

 私は暫くその噴水を眺めていましたが、本来の目的を思い出して辺りを見渡します……どうやら黒猫さんは私がぼーっとしている内に何処かへ逃げてしまったみたいです。

「……逃げられちゃったかな?」

「何を追いかけてたの?」

私は突然声を聞き、振り向きます。すると噴水の所に黒いワンピースを着た女の子が何時の間にか座っていました。彼女は私の方を向くと、不思議そうに首を傾げます。

「お姉ちゃん不思議な匂いがする……何処から来たの?」

「え、何処から……それは、ARIAカン」

 そこまで答えて、私の口が止まりました。私は「何処の」人間なのだろうか。私は火星の……アクアの人間じゃない。ARIAカンパニーの制服を今着ているけれど、私はARIAカンパニーの人間ではまだ無くて……。音ノ木坂に帰りたいけれど、私は穂乃果ちゃん……皆が頑張ってる「μ's」から抜けようか悩んでて……。

 

 私は何処に居るの?

 

 私の心の中に一つの言葉が降ってきてしまいました……私は何処に居るのだろうか?

「……」

「……そっか、お姉ちゃん」

 私が固まった所に女の子は何かを察したみたいに優しく声を掛けてくる。その表情は明らかに年下なのに、何処か大人びて見えた。彼女は私の前まで歩いて来ると、指で横を指した。そこには、私が入ってきた路地とは別の路地がある。

「お姉ちゃんは、まだここには来ちゃいけない……もしかしたら、今のお姉ちゃんでも、最悪の結果は回避できるかもしれない。でも……まだ駄目」

「……あなたは?」

 女の子の不思議な言葉には何も言えず、私は一つ質問をした。女の子はそれに答えず。私の背中をぐいぐい押してくる。

「え、えぇ!?」

 何故か女の子のその腕に抵抗できず、路地にほっぽり出される。女の子の方を向くが、そこには路地の暗闇のみで何も見えない。逆に路地の先の方には細い光が見えた。

 足が光の方へ向かっていく……まるで自分の足ではないかのように、夢の中で歩くように力なく。

 でも光が近づいて来ると、足に徐々に力が入って来て、光に触れた途端――。

「……」

 私は大きな道に出ていました。周りには沢山の人の波。ざわざわと聞こえる喧騒。その様子を黙って……驚きのせいで口を開けながら見ていました。後ろを振り向いて路地を見ますが、そこは至って普通の路地。あの噴水の所に繋がっている気配は有りません。

 何気なく、人の波に入っていきます。隣の女性二人が、パンフレットを持ちながらネオ・ヴェネツィアの観光名所について語っています。前の男の人は大きな袋を何処かへ運んでいます。彼らは皆、ちゃんと居る。観光、仕事……理由は様々なだけど、ちゃんと知っている。

 

 私は何処に居るの?

 

 先ほどの疑問が頭をよぎります。……私は、何処に居るだろうか。

「……あれ、ここ何処?」

 そして、いま私は何処に居るのでしょうか? 思わず辺りを見渡しますが、灯里ちゃんと来た覚えは無い場所です。

 ……ど、どうしよう。

 

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