水の都とことり   作:雹衣

51 / 56
番外編第4話

「んん~」

 屋根裏部屋の丸い窓を開け、ネオ・ヴェネツィアの海を眺める。ネオ・ヴェネツィアの朝焼けとどこかから流れる生暖かい空気に私は思わず顔を綻ばせる。

「もう春だねぇ」

「はひ、春です」

 朝日を浴びて私は灯里ちゃんとどこかのんびりと呟く。

 そう、長い冬もすっかり終わりもう春。ネオ・ヴェネツィアも徐々に暖かくなっている。 

「……今日、アリスちゃんも片手袋(シングル)かぁ」

 灯里ちゃんは感慨深そうに呟きました。

 昨日、アリスちゃんのミドルスクールでは卒業式がありました。そして今日は片手袋(シングル)への昇格試験。

「アリスちゃんの昇格試験かぁ」

「アリスちゃんはミドルスクールと片手袋(シングル)の両立は大変だからってちょっと先延ばしされていたみたいです」

「その瞬間に立ち会えるなんて、なんかドキドキしちゃいます」

「はひ、私も楽しみです」

 本来の昇格試験は教えている先輩の水先案内人(ウンディーネ)と2人っきりでやるみたいです。けれども、今回はアテナ先輩がサプライズでアリスちゃんを驚かせたいと私達に教えてくれました。なので私達は今日ゴールの所に先回りして待機してる予定です。

 制服に着替えながら私は昨日見たアリスちゃんの姿を思い出します。水先案内人(ウンディーネ)の練習に注力できるといつもより熱く語っていて、(ゴンドラ)の練習にとっても気合が入っていたアリスちゃんの姿を思い出して2人で笑い合うのでした。

 

 

 

「とうとうアリスちゃんも片手袋(シングル)かー、まあ後輩ちゃんなら心配ないでしょ」

「そうだね、アリスちゃんとっても(ゴンドラ)の運転上手だもの」

 お昼、私達は藍華ちゃんと合流して(ゴンドラ)で目的地……昇格試験のゴール地点まで向かいます。藍華ちゃんは(ゴンドラ)をオールで漕ぎながら訳知り顔で頷いています。

「ま、私が来るんだから、受かってくれなきゃ困るってもんよ」

 そう言って心配なさげに言っているけれど、さっきからずっとアリスちゃんの話ばっかりしています。

「でも本当に楽しみだねー」

「とうとう後輩ちゃんも私達と同じになるのね。でも灯里分かってるよね。私達もすぐに一人前(プリマ)になるわよ!」

「はひ、アリスちゃんも頑張ってるからね! 私達も頑張らないと」

 そう言って気合を入れる声を上げる灯里ちゃん。その様子を見て私は思わず以前……アリシアさんと2人で二つ名を決めていた時のことを思い出します。

 アリシアさんのあの時の反応的に灯里ちゃんもそろそろ一人前(プリマ)になるのだろう。それに藍華ちゃんも灯里ちゃんと遜色ない……むしろ(ゴンドラ)の運転だけなら灯里ちゃん以上かも。

 となると2人が一人前(プリマ)になるのもそう遅くないのかもしれない。

「……ふふ」

「ことり、あんたもよ! 後輩ちゃんが片手袋(シングル)になったら両手袋(ペア)はことりだけなんだからね」

「そうだね。頑張らないと」

 藍華ちゃん達には一人前(プリマ)の話はしません、アリシアさんが灯里ちゃんに秘密にしているのだし、こういうのはアリシアさんが言うべきだよね。

「……そっかぁ、皆進むんだね」

 私は思わずそう呟いた。

そう、今は春の季節。新しい事が始まるそんな季節なのだから。

 

 

 

「……?」

 風力発電の風車が並ぶ野原……以前、私と灯里ちゃんで何度か来た水路。そこに3人で来たんだけど……。

「あれは……(ゴンドラ)協会の人、それにオレンジぷらねっとの……?」

 藍華ちゃんが野原に立っている人たちを見て呟きました。野原にはスーツを着た人たちが数人立っています。

「……? なんであそこに?」

「あれ、灯里ちゃん達の時はいなかったの?」

 私は何気なく質問する。藍華ちゃんも灯里ちゃんも(ゴンドラ)協会の人達に驚いているけれど、その理由が私にはピンと来なくて灯里ちゃんに質問します。

「はひ、私の時はアリシアさんと2人きりでした。協会の人は居なかったと思います……」

「『思います』というか、いなかったわよ。両手袋(ペア)なんてネオ・ヴェネツィアに何人いると思ってるのよ」

「そ、そうだよね」

 不思議そうに顔を見合わせる灯里ちゃんと藍華ちゃん。2人が戸惑っているとこちらに気付いて会釈や手を振ってきます。

 (ゴンドラ)が近づくと1人……白髪で眼鏡をかけた女性が上品に微笑みながらこちらに近づいてきます。

「あら、あなた方がアリス・キャロルさんのお友達ですか? うちのアテナからお話は聞いておりますよ」

「あ、はい。どうも」

 女性に話しかけられ藍華ちゃんが緊張しながら言葉を返します。灯里ちゃんと私は目をぱちくりしながらこのちょっと不思議な状況を見守ります。

「えぇっと、本日は一体どんなご用事で?」

「ふふ、もちろんあなた方と同じ、昇格試験を見守りに来たのですよ」

 にこやかに笑う女性。その後ろにいるふくよかでひげを蓄えた2人の協会の人もそれに釣られて笑みを浮かべます。

(ゴンドラ)協会の人も一緒にですか?」

「ええ、ささ、皆さんもここで待ちしましょう。食事などはこちらで用意いたしましたよ」

 そう言うと女性はちょっと野原の一点を指さします。そこにはバーベキューコンロやちょっとした机が置かれておりお肉や野菜が置かれています。

「わぁ」

「い、良いんですか!?」

「ええ、もちろん」

 コンロの近くに近寄る2人、それを見守る3人の意外な待ち人さん。私はその3人を不思議そうに眺めます。

 藍華ちゃんの反応的に(ゴンドラ)協会の人が片手袋(シングル)昇格試験を見に来るのは滅多にない事みたいだけど……。

 うーん、アリスちゃんは最年少の両手袋(ペア)みたいだし、一目見ようと見に来たとか?

「ことりちゃーん、ことりちゃんもこっちで食べよー」

「早く来ないと全部食べちゃうわよー!」

「あ、うん。私もそっち行くー!」

 2人に呼ばれ私はいったん考える事を止めて、2人の元へと向かいます。

 でもアリスちゃんの晴れ舞台だもの。きっと悪いことは起きないよね。

 

「あ、アリスちゃん達だ!」

 (ゴンドラ)協会の人達と共にバーベキューを舌鼓していると灯里ちゃんが一点を指さして声を上げます。

 その指先に皆目を向ける。そこには一隻の(ゴンドラ)がこちらへと向かって来ているのが見えました。そして(ゴンドラ)の上には見覚えのある2人の姿……アリスちゃんとアテナさんがいました。

「もう、全く心配させて……」

アリスちゃんの姿を見かけた途端、藍華ちゃんの顔が綻びます。口ではそう言っているもののずっと心配していたのがバレバレで私と灯里ちゃんは顔を見合ってクスクスと笑い合います。

「な、なによぉ」

 そんな私達を藍華ちゃんはちょっと頬を膨らませます。

 黄昏時の赤い光を浴びながらゆっくりと向かって来る。そして顔が分かる程に近づいて来るとアリスちゃんが私達の姿を見て驚いているのがよく分かりました。

「今日は一日ありがとうございました。水先案内人(ウンディーネ)さん」

 そして私達の前に(ゴンドラ)が止まった瞬間、アテナさんはゆっくりと立ち上がります。

 その表情は、何か深く考えているように……どこかまだ悩んでいるような憂いを一瞬帯びていました。

「最後に1曲お願いしてもいいですか?」

 そうアテナさんは提案します。その言葉を聞いた私達は思わず喉をごくりと鳴らします。

 「天上の謳声(セイレーン)」と評されたアテナさんがアリスちゃんに歌のリクエストをした……それも(ゴンドラ)協会の人達の前で。

 多分、これが昇格試験の最後のお題。皆それが分かって黙ってしまいます。

「……」

水先案内人(ウンディーネ)さん?」

 アリスちゃんはそんな沈黙の中、口を閉ざします。赤々とした陽光を浴びて、長い髪を揺らすアリスちゃんはこの緊迫感の中で、微笑みました。

「お客様はこの火星にその名を馳せる…水の3大妖精をご存知ですか? 実は私――こう見えてもその1人…天上の謳声(セイレーン)の一番弟子なんです」

 そう呟いた瞬間、アリスちゃんは歌い始めます。……軽やかに、透き通る綺麗な声で紡がれる舟謳(カンツォーネ)。アテナさんもよく歌っている聞き馴染みのある旋律……。

 いつもどこか人見知りなアリスちゃんだけど、そのイメージを覆すような堂々とした歌。

 ……それをアテナさんは嬉しそうに、どこか驚きを持って愛おしそうに見つめていました。

 謳が終わった瞬間、思わず拍手をし始めてしまいました。灯里ちゃんも顔を赤くして目を潤ませながら拍手を始めてしまいます。藍華ちゃんもその様子を見て笑いながら拍手をし始めます。皆の拍手……それはアリスちゃんの成長の確かな証でした。

「お客様……私、昔から謳は上手くなかったですけれど、子供の頃は歌うのが大好きだったんです。お客様の言葉がその頃の気持ちを私に思い出させてくれました」

 アリスちゃんそう言うとアテナさんに微笑み頭を下げます。

「ありがとうございました!」

 頭を上げたアリスちゃんは飛び切りの笑顔をしていました。

 

 

 

 その後に起きたことは驚きの連続でした。

「アリスちゃん、手を」

 アテナさんがアリスちゃんの手を取り片方の手袋を脱がせる。

 

 ――そして

 

「おめでとうアリスちゃん……いいえ、黄昏の姫君(オレンジ・プリンセス)。今日から貴方は一人前(プリマ)水先案内人(ウンディーネ)です」

満面の笑みを浮かべて、アテナさんは残っていたもう一方の手袋を抜き取りました。

 それは前代未聞、史上初の飛び級昇格、アリスちゃん含め4人は思わず驚きの声を思わず上げてしまいます。

 (ゴンドラ)協会の人達はそのことを知っていたみたいで驚く私達を微笑ましそうに眺めています。

「あ、アテナ先輩っ……!」

 感極まったアリスちゃんはアテナ先輩に抱き着きます。

「アリスちゃん!」

 灯里ちゃん達がアリスちゃんに駆け寄って2人に抱き着いて来る。

 3人で泣きながらも嬉しそうに抱き着いているのを私とアテナさんは少し離れて眺めます。

「アテナさん」

「……なに、ことりちゃん?」

「アテナさんが前悩んでいた事ってこれの事ですか?」

 『アリスちゃんが成長するのが怖いんですか?』、ふと少し前にアテナさんに私が言った言葉を思い出します。多分、あの時のアテナさんの悩みはこの事だったんだと私は分かりました。

「……そうね、そう。アリスちゃんはいつもすっごく駆け足で進んでいっちゃうの」

そう言うアテナさんの言葉はどこか寂し気で……けれどもとてもさっぱりした笑顔を浮かべていました。

「でも、アリスちゃんらしい」

「……そうですね。とってもアリスちゃんらしい」

 そう言うと私とアテナさんはアリスちゃん達を眺めます。

 視界の先では野原に転がりながら笑い合う3人の姿がありました。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。