水の都とことり   作:雹衣

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番外編第5話

 またネオ・ヴェネツィアに夏がやってきた。私にとって2度目の夏。制服も冬服から夏服へと変わりました。

 そんな装いを新たにした私達は今日も今日とて練習しています。とはいえ去年とは違うことが1つ……アリスちゃんが練習にはいないことです。

 アリスちゃんが一人前(プリマ)になった後、ネオ・ヴェネツィア中でアリスちゃんの事が話題になりました。最年少にして飛び級をした水先案内人(ウンディーネ)。「天上の謳声(セイレーン)」の弟子にして天才少女。すぐアリスちゃんは引っ張りだこになりました。

 そのため、練習してるのは私と灯里ちゃんと藍華ちゃんだけ。……アリスちゃんは一人前(プリマ)になったのだし参加しないのは当たり前だけど、なんだかそのことを考えると寂しくなっちゃいます。

「よし、次はことり! 今日はいつもの水路から少し離れた所に行くわよ」

「うん、了解!」

 私は藍華ちゃんに言われオールを握ります。席に座る2人に見守られつつ(ゴンドラ)はゆっくりと漕ぎだします。

 アリスちゃんが一人前(プリマ)になってからというもの、藍華ちゃんもいっそう気合がはいったみたいで以前にも増して熱心に練習しています。

 最初はアリスちゃんが先に一人前(プリマ)になったのを見て焦っているのかと思ったけれども……。

「なに? ことり」

「ううん、何でもない」

 少し藍華ちゃんを見つめると不思議そうに藍華ちゃんに見られ返されてしまう。その彼女の姿にはあまり焦りとかそう言うのは見られない。どちらかといえば……イキイキしてる?

「ことり、ちゃんと前見る! 注意散漫禁止!」

「う、うん!」

 藍華ちゃんに言われ私は操縦に集中する。ネオ・ヴェネツィアの夏の空には大きな入道雲が立ち上っていました。

 

 

 

「……あれ、晃さん?」

 皆との練習の後、ネオ・ヴェネツィアの街を歩いていると見慣れた赤い制服姿を見かけました。道端のベンチに座っているのだけれども凛としてるって表現が似合う真っ直ぐな背筋。プライベートなのだけれどもシャキッとした姿……藍華ちゃんの先輩である晃さんです。

 晃さんは私には気付かず一冊の雑誌を読みつつ少し気難しい顔をしています。

「晃さん?」

「……ん? ああことりか」

 晃さんが私に気付くと雑誌を閉じます。その表紙には私達にとってなじみ深い女の子が映っていました。

「あ、アリスちゃん!」

「ん、ああそうだな」

 雑誌の表紙を晃さんが見てまた複雑そうな表情を1つ。私はそんな晃さんの普段とは少し違う表情に首を傾げつつも隣に座ります。

「……どうかしたんですか?」

「いや、気にするな大したことは無い……ことり、藍華の様子はどうだ?」

「藍華ちゃん?」

「そうだ、練習の時とか、それ以外にも……一緒に昼飯を食べている時とか」

「ううん……そうですね」

 晃さんに言われ私は上を見上げ藍華ちゃんの様子を思い出します。今日も朝、一緒に練習していたけれどもいつも通り、むしろ調子が良い位に元気だった気がします。

 それ以外の時も一緒にお昼を食べたり、カフェに寄ったり、色々遊んでいたけどとりたてて言うような気になる事は……。

「ずっと元気で真面目ないつもの藍華ちゃんだったと思いますよ」

「なんか気になる点とかは無かったか?」

「うーん……」

 晃さんに再度言われ私は困ったように声を上げてしまいます。藍華ちゃんよりはどっちかというと晃さんの方が普段とはちょっと違う感じがします。

 ……なんというか、何かに迷っている? いつものすっごくビシッとして真っ直ぐな晃さんとは違って悩み事が顔に出ています。

「特には無いと思いますよ……その晃さんどうしたんですか? 藍華ちゃんと実は喧嘩でもしたとか?」

「ああ、いやそういう訳じゃないんだ……そうだな、少し昔の話をしようか」

 晃さんはそう言って少し視線を逸らす。そして一度思い出すように目を閉じると、ぽつりと呟き始めました。

「藍華と本格的に知り合ったのは私が一人前(プリマ)になってすぐの頃だ。彼女の母親で、総支配人である藍麗さんから直々に頼まれてね、私は藍華の傅役になった」

「傅役?」

「お守みたいなものさ……最初の頃の藍華はそりゃあ不安定でね、周りに対して拒絶の気配を漂わせて常に孤独になろうとする。そんな奴だった」

「藍華ちゃんが……?」

 晃さんの語る藍華ちゃんの姿が全然想像できず思わず声を上げます。それにつられて晃さんも「そうだったんだよ」と懐かしむように頬を緩める。

「あの時は随分大変だった。離れようとする藍華のお守の為にずっと後ろをついて行ったり、時には家出に付き合って一晩中に(ゴンドラ)を漕いだりしたもんだ」

「一晩中ですか!?」

「ああ、一晩中さ」

 私の驚きの声にサラリと返す晃さん。藍華ちゃんの家出という話にも驚きだけれども、一晩中ゴンドラを漕ぎ続けるということに私は凄く衝撃を受けちゃいました。本格的に練習している今でも半日も漕ぎ続ければすっごく疲れてしまいます。それを一晩中だなんて……。

「ああ、ことりもそれ位出来るように体力を付けなくちゃな」

「あ、あはは……精進します……」

「……話を戻すか。普段は私に見せる態度は中々ふざけたもんだが、藍華はああ見えて真面目な奴だ」

「はい、知ってます」

「だからな、あの時は色々と重荷が彼女にのしかかっていたんだ」

「……」

 水先案内人(ウンディーネ)の老舗「姫屋」の総支配人の娘にして跡取り娘。今の藍華ちゃんの姿からは想像も尽かないけれど、その立場はすっごい重責になってもおかしくありません。

「その頃を知っているからかな……少し心配になってしまったのさ」

 そう言うと晃さんは目線を下ろします。その先には先ほど呼んでいた雑誌……そしてそこに写るアリスちゃんの姿。

 それを見て私は合点がいきました。藍華ちゃんよりもずっと若くて異例の飛び級で一人前(プリマ)になったアリスちゃん。勿論アリスちゃんが悪い訳では無いけれど……真面目な藍華ちゃんがこの状況になったらどう思うか。以前の姿を知っている晃さんなら心配になってもしょうがないかもしれません。

「……大丈夫だと思いますよ」

「ことり?」

「私が見ている限り、藍華ちゃんはすっごく精力的に練習してます。心配になんてなってません。むしろ追いつきたくてすっごく頑張ってます」

「……そうなのか?」

 私の言葉を聞いて晃さんは少し目を見開く。いつもの晃さんのイメージとはちょっと違う表情に私は思わずおかしく感じながら言葉を続けます。

「はい、今日だって藍華ちゃんは凄かったですよ。なんなら藍華ちゃん本人に聞いてみてください。多分ビシッと返してきてくれます」

 私が自信満々にそう伝える。実際今の藍華ちゃんは堂々としています……もう何時一人前(プリマ)になってもおかしくない位真っ直ぐに背筋を伸ばして彼女は立っている。最近の練習の時の彼女の姿を知っている私はそう確信していました。

「そうか」

 私のその表情を見て、晃さんはそう呟きました。小さくけれど私の耳にははっきり聞こえたその声には納得の響きが混じっていました。

「あのわがままなお姫様も、いつの間にか立派な女王様に成長していたんだな」

 そう言うと晃さんはベンチからゆっくりと立ち上がりました。彼女の長い黒髪が風に揺れるカーテンのように美しく靡きます。

「ことり、ありがとう。少し色々と自分の気持ちの整理が出来た。あいつが本当に成長したのか確認してみる事にしたよ」

「確認?」

「ああ、一人前(プリマ)昇格試験を受けさせる」

 晃さんはそうサラリと言いました。あまりの突然のその言葉に私は思わず目を見開きます。

「え、ホントですか!?」

「ああ、何時にしようか少し悩んでいたが、ことりの言葉でもう充分一人前(プリマ)としてやっていけると確信したよ。本当に助かった」

 そう言うと晃さんは私に笑みを浮かべます。その表情は何処か晴れやかでまるで真紅の薔薇(クリムゾン・ローズ)のように情熱的、けれども後輩の為を想う愛がハッキリと見えました。

 

「しかし、随分懐かしい話をしたな、あいつの家出に付き合った時、顔には出さなかったがさすがに一晩中は凄く疲れたもんだ……そうだ、あいつの一人前(プリマ)試験は一晩中(ゴンドラ)を漕がせてみようか」

「え!?、流石にそれは過酷じゃないですか?」

「冗談だよ、冗談……まあ、あいつが『晃さん試験簡単すぎます! もっと本気で凄い試験をー』とか言い出してきたら話は別だけどな」

「あはは、流石に冗談ですよね……びっくりしたぁ」

 

 

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