雪は方円の器に随う   作:凍り灯

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雪は豊年の瑞

 

俺が"領域展開"を会得したのは、呪術高専を卒業してから2年後…22歳になった年。

 

元々結界術と強い結びつきのある術式のせいか、領域を()()()()()と言うことに関してはノウハウがあったのは間違いない。

だがそれだけで辿り着くわけもない。なんせ、領域展開は術式の極致、一級術師ですらそこに辿り着く人間は稀なんだ。

 

例によって俺もその範疇(はんちゅう)から抜け出せなかった。

 

領域展開のような結界を作り上げることは出来ても、それはあくまで普段の術式の延長でしかなかったのだ。

生得領域…心象風景とも解釈できる、俺の中に拡がる「世界」、それを具現化することが出来なかった。正に()()だけのものでしかなかったんだ。

 

水風船にさらに大量の水を入れて大きくしても、同じ水風船でしかない。術式の出力を高めただけでは意味がない。

俺はその水風船の中にスノードームを作るような芸当をしなくてはいけなかったのだ。

…だけどどうしても、そのイメージがついてこなかった。

 

 

 

―――――青森県内陸部、豪雪地帯に指定されているその山奥の町での任務。

それがきっかけとなり、俺は自らの領域を会得するに至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雪はどうにも嫌なことを思い出す。

かつて冬の山で遭難(そうなん)し、死にかけた。

高専に入ってから笑い話として話せば、あいつらとの任務先でスノードームを嫌がらせで贈られたっけ。

 

懐かしい。

まだそんな昔でもないって言うのになぁ。

 

 

 

 

 

「"帳"を下ろします。お気をつけて」

「はい。黒石さんも」

 

言葉少なに壮年の補助監督の元を離れ、廃校へと歩みを進める。

 

場所が場所だ。(ろく)に雪かきがされていない道を厚手のブーツで圧し潰しながら掻き分けて進まなくてはいけなかった。

東京にいる時と同じ格好をするわけにもいかない。しかし動きを阻害しなことも考えないといけないために、スキーウェアのような防寒具を身につけず、登山用のレッグカバーによってブーツに雪が入らないようにするだけに留めている。

 

廃校周辺で深雪が乱れた跡はない。

呪霊も冬ごもりや冬眠でもするんだろうか?

下らないことを考えつつも警戒は(おこた)らない。

 

何の問題なく玄関先へと辿り着いた俺は、預かっている鍵によって入り口を解錠、なるべく音を立てないように身を滑り込ませる。

 

校内は昼とは言え暗い。

この今にも雪が降りそうな曇り空のせいでもあるが、多くの窓がベニヤ板によって塞がれているからだろう。どうやら町の不良たちが割って回る()()をしたことがあったせいでそうなってるらしい。

 

その不良のやんちゃのせいで校内だというのに隙間風の音が酷く、また寒い。全く良くやってくれたものだ。

 

暗い校内で白い息を吐き出した俺は広い玄関内の下足箱の影でしゃがみ、コートの内側から正方形に綺麗に畳まれた紙を複数枚取り出す。

くしゃりと僅かな紙の音を立てながら広げたそれらに、ゆっくりと呪力を注ぎ込んで(ふく)らませた。

 

「まずは一階」

 

計5個になった真っ白な紙風船のようなものを転がす。

…すると、それは斜面を雪玉が転がるような動きで独りでに転がって動き始めた。

 

―――――式神『(かぶら)

携帯性とコストの良さから俺のような3級以下の術師が扱うことが多い式神だ…逆に、2級以上であればまず使われない、"弱者の道具"でもある。

 

簡単な決まった命令をこなすだけの式神であり、その役目は「敵の発見と囮」である。

 

呪力を入れることで動き始め、某自動掃除機の如く床をあちこち転がり周り、一定以上の呪力がある存在に対して反応、その場で飛び上がり破裂するというものだ。

俺の場合は術式である"結晶方円法"を付与しているために破裂の際に細かい雪を一面に吹き散らす効果もある。

発見した際に音だけでなく視認性を求めた結果だ。これは目くらましに使えることも稀にある。

 

移動中の車内で既に組み上げておいた3級呪具『穂霜(すいそう)』の刀身を地面に寝かせ、耳を澄ませるも…反応はない。

 

やがて"鏑"は階段を昇り始め………そして数分後、一つも欠くことなく手元へと戻ってきた。

 

「目につく範囲ではいないか…」

 

であれば扉の閉められた部屋、理科室や美術室などの特別教室の準備室とかにいることになる。

鍵のないところは全部開けっ放しにしていると市の職員に聞いていたからだ。

 

"鏑"を二つを残して折りたたんで回収し、懐へと仕舞う。

一つは俺の背後を追随させ、もう一つは左手へ。

 

念のためドアの開け放たれた教室も一つ一つ周り、閉じられたドアは借りたマスターキーで開けた後、俺が入る前に左手の"鏑"を投げ入れて警戒する。背後をコロコロと転がってついてくる"鏑"も今投げ入れた方もどちらも不意打ちの警戒用だ。

 

…だがどの部屋にも呪霊はいなかった。

 

そういうこともあるか…?

元々これは"調査任務"だ。どんな呪霊がいるか、そしてどれだけいるか?それを調べ、可能ならば祓うという内容。

運が無ければ強力な呪霊にぶち当たり死ぬこともある。実際にそうなりかけたことも一度や二度ではない。

とは言え、俺でも十分に祓える程度の低級呪霊が大抵だ。

 

 

今回はその低級呪霊すら見えない。

 

 

それが俺の心に不安を積み上げていく。隙間風がベニヤ板をガタガタと鳴らす。

俺は不安を抱えたまま1階へと戻り、渡り廊下を通って体育館を、そして武道場を調査しに向かった。

 

 

…やはりいない。

 

 

なんらかの術式の可能性も入れて残穢(ざんえ)も探っていたがそれもなく、であれば結局今回は完全な空振りということになるな。

珍しいことだ。何かあるのだろうか…?

 

 

「お疲れ様です、椴之根(とどのね)さん」

「黒石さんもお疲れ様です…今回は空振りみたいなので複雑ですけどね」

「危険な呪霊と当たるよりよっぽどいいですよ」

「それは同意します」

 

待機していた壮年の男性である黒石さんと苦笑いを交わし合う。

外はいつのまにか雪が降り始めていて、湿り気の多い雪から身を守るために黒石さんは傘を差しだしてくれた。

助かる。

 

「"帳"を上げます…おや?式神がまだ残ってますよ?」

「あ、しまった。後ろを追わせているのを忘れてました」

 

後方警戒用に転がしたまま仕舞い忘れていた"鏑"が足元の雪に紛れながらも転がってきていた。

 

 

帳が上がる中、それを持ち上げ―――――途端、"鏑"は破裂し、俺は反射的に黒石さんの腕を掴んでその場をはね退いた。

 

 

「っえ…!?」

「…っ!」

 

雪の中へと放り投げた黒石さんは困惑し、俺もまた困惑している。

 

今の今まで俺たちのいた場所に(たたず)む2m程の呪霊がそこにいたのだ。

 

人間のような形状のそいつは、凍死体のような紫紅色の体色をしており、体の各所に雪が吹き付けられたように白い見た目をしている。両腕は長く、また首も長い。顔は全てを雪のようなものに覆われており、その形状はまるで蛇、目のない白蛇だ。足首から下は手の平のような形状をしていた。

 

その白蛇が、避けた口から白い息を吐き出す。

その姿を見たからなのか、黒石さんはぶるりと震えたのが見えた。

 

すぐさま"穂霜"を両手で構え、叫んだ。

 

「黒石さん!こちらで引きつけますので帳を再度下ろしてください!」

「わかりました!学校の方へ誘導するのですね!?私は帳の外へ出て近場の術師に連絡を取ってみます!」

「お願いしますっ!!」

 

黒石さんはこちらの意図を全て読み取ってくれた。

ここでは足場が悪すぎる。

それに、間違いなく2級以上の呪霊…下手をすれば1級以上もあり得る…!

 

何故今まで出てこなかった?

他の場所から来たのか?

そもそも何故こんなやつに気が付けなかった?

 

そんな疑問を追いやって、右手に呪具を持ったまま左手でコートの内側の呪符を握りつぶしながら放る。たちまち呪符から虫のような低級呪霊である『蝿頭(ようとう)』が複数現れ、呪符に刻まれていた命令通りに呪霊の回りを飛び回った。

その間に俺は廃校の方へと走る。黒いスーツに大量の雪をへばりつかせたままの黒石さんは逆方向へ。

 

呪霊は飛び回る蝿頭に対して大きな反応はせず、ただ長い両腕で一匹ずつ捕まえては握りつぶしている。

奇襲を仕掛けてきた割にはどうにも落ち着きすぎていないか…?もっと好戦的なものだと思っていたが違うらしい。万一にも黒石さんの方へ向かわれるとまずいな。

 

と、思った直後、呪霊は蝿頭を潰し終え、迷わずにその目のない白い顔をこちらへと向け、歩き出す。よし、黒石さんの方へ行く心配はなさそうだ。

 

歩みは遅い。せいぜいが早歩き程度の速度だ。

よく観察すれば呪霊の通った後の雪は全くへこむこともなく、綺麗なまま。まるで舗装された道を歩くように両足の()()がぺたぺたと音を立てる。

 

そして余裕を持って玄関から校舎内へと滑り込んだ。しかし心に余裕など全くない。

 

あまりに不気味なのだ。

 

まだ今まで俺が対峙してきた呪霊のように、獣みたいに襲い掛かってきてくれた方がやりやすい。

意図が読めない。そんなものはないのかもしれないが、雪の中を静かにするりと近づいてくる姿には今まで感じたことのない恐怖を駆り立てさせるのには十分だった。

 

ぺたぺたぺた。

 

俺は廊下で"穂霜"の普通の刀剣よりも長い柄を腰のあたりで両手で持ち、槍のように構えながら距離を取りつつ様子を見る。決して遅くはないが早くもない速度を維持したままだ。呪霊から白い息が漏れた。

 

いつまでもこのままではいられない。いくら長い廊下と言えどすぐに行き止まりとなってしまうだろう。それに、廊下では"穂霜"の長さではいささか戦いづらい、つまり、広い場所が必要だ。

ちょうど、このまま下がり続けていれば行き着く()()()がある。

 

「体育館は施錠したから…」

 

ドアが壊れていて開きっぱなしの武道場。そこまでこのまま誘導する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

穂霜(すいそう)』は素槍の穂先をそのまま使っているために、刀身は一尺四寸(約42㎝)ほどあり、持ち手になる柄がほぼ同じ一尺五寸(約45㎝)となっている刃と柄がほぼ1:1の少し奇妙な呪具だ。

 

"半棒術"、古くは"短杖(たんじょう)術"とも言われた武術と、"長巻(ながまき)術"、他にも中国の槍術等を取り入れた我流によって振るっている。

 

中国方面まで手を出したのは戦国時代以降、槍の需要が減ったことにより短槍を扱う流派はことごとく消え失せてしまっていたからだ。それは呪術界でも同じことで、だからこそ俺は日本の外に目を向けねばならなかった。

得物を変えればいいのかもしれないが、経済的な問題と、3級とは言え呪具による恩恵を得られるという魅力を考えた結果今のスタイルに落ち着く。

 

そもそも柄を短くして剣と同じ要領で何故使わないのか?

それはこの刀身が槍の穂先を使っているからに他ならない。槍の穂先は刀の刃より重く、また"切り払う"ことも出来るが"突く"ことこそが本領。だからこれは剣というより"短い槍"というのが正しい。全長が3尺(約90㎝)ぐらいしかないので"槍"と言うには無理があるかもしれないけど。

一尺五寸という柄の長さは片手で振るうことが出来、且つ両手で体重を乗せての切り払いや刺突が可能なラインを模索した結果であったのだ。

 

 

武道場へと飛び込んだ俺は中央付近で振り返り呼吸を整える。

…間もなく呪霊は武道場の入り口を潜り、姿を現した。

 

ぺたぺたぺた

 

始めと変わらず等速で近づいてくる呪霊は、生物的と言うよりは機械的な不気味さを感じざるを得ない。目のない真っ白な顔が余計に無機質さを強調している。

 

俺は短い合間に膨らませて置いた"鏑"を3つ放ち、残りの蝿頭の呪符をも全てくしゃりと握りつぶして放り投げた。

 

取るべき戦法は一つ。

何かをさせる前に"穂霜"でもって一撃で祓う。

 

刃が通らない可能性は考えない。意識を乱させ、"鏑"と付与した術式の合わせ技である"雪の目潰し"が効いた瞬間に仕留める。

突き刺しさえすれば"穂霜"を通して触れているも同じだから、仕留めきれなくても術式の"結晶方円法"で内側から凍結させ、動きを阻害することは可能かもしれない。俺の術式程度で通用するかどうかの不安もこの際無視した。

 

手早く仕留めなくては死ぬ。

本能がそう警鐘(けいしょう)をずっと鳴らしているのだ。

時間を稼いで応援を待つというのは現実的ではない。何時間も逃げ続けられないだろう?

 

呪霊が足を止める。蝿頭に意識を移したらしい。

ひょいと掴んでは潰していくのを見ながら、転がる"鏑"の後ろを追って接近した。

 

直後、目のない白蛇のような顔がこちらへとぐるりと向けられる、いや、"鏑"を見た。俺が横へとずれるも呪霊は"鏑"を見たままだ。

紫紅色の腕が"鏑"へと延びる。

 

 

―――――破裂した瞬間に首を突く―――――

 

 

―――――そう思った直後、呪霊の裂けた口から()()()()()()、俺は全身に寒気を感じて身体を()()()()

 

 

術式かッ!!

 

その確信に辿り着く前に反射的に"穂霜"を両手で突き刺そうとして、

 

 

 

「あ、れ…?」

 

 

 

まるで冷えすぎた身体のように筋肉が硬直してしまい、膝が曲がらずに俺は武道場の床へと倒れる。

膝だけではなく、腕も、指も例外ではなかったために"穂霜"から指一本すら放すことも出来ずに転がることになった。だから"穂霜"による自傷を避けるために仰向けにならざるを得なかった。

 

 

寒い。

 

 

辛うじて、首を動かして呪霊を見る。

 

見れば"鏑"をその長い両手で握りつぶしていた。

それが術式発動のトリガー、だったのか…?

避けた口からは先ほどより多くの白い息が溢れ、その度に俺の身体が冷えていくのを感じる。そこでようやく、みるみるうちに俺の身体が白い雪で覆われていっているのに気が付いた。

 

『何故黒石さんを狙わずに俺を迷わず狙ったのか』

『今の俺と同じように、黒石さんの黒いスーツにへばりついていた大量の雪』

()()()呪霊の吐き出す白い息。あの時目に見えて大きく震えた黒石さん』

 

 

あぁなんてこった。

あの時、既に黒石さんはこの呪霊の術式に捕まってしまっていたのか。

 

 

ベニヤ板の打ち付けられた窓ばかりせいで気が付けなかった。

"帳"が下ろされていない。それはつまり既にもう黒石さんがそれが出来ない状況にあるということ…

発動条件は何だ…?俺に対しては式神がトリガーになったのだと予想できるけど……"帳"…そう、か…

 

 

「手で、触れた呪力、を、通じての…体温、の吸収…?」

 

 

温かい息は低い気温の外気によって急激に冷やされることで、小さな水滴となり、その結果白い息となる。

 

呪霊が呼吸するかどうかはわからないが、生存のために呼吸が必要ないのは間違いない。

わざわざ息を吸って吐き出す必要などないのだから、つまりあの白い息が出るのには生物的な理由ではなく、何か()の要因のため。

 

例えば術式効果の副産物。

あれは息を吐き出し始めたタイミングからみても「他所から奪ったもの」の可能性が高い。

俺たちから奪って、でも呪霊だから「熱」など必要ないから吐き出してしまってる…?それは、今はどうでもいい。

 

 

―――――この身体にはりついた雪のようなものが見た目通り体温を奪っているのか。

 

 

最悪なことに、水分すら奪われていそうなんだ。

でなければ呪霊の吐く息が白くなることもないだろう。この寒さに加えてのだるさはそういうことなのだろか、"脱水症状"までとは恐れ入った。

 

 

俺は"鏑"、黒石さんは降ろした"帳"にそれぞれこめた呪力に触れられたことによって呪霊の術中にはまったのだ。

 

 

あぁ寒い。

 

 

"穂霜"はいつの間にか落としていたのか手の中になく、目の前が白く(かす)む。

呼吸は震え、今にも途切れそうだ。

 

 

「寒、い   」

 

 

寒い。

 

 

身体が白く染まっていく。

 

雪はどうにも嫌なことを思い出す。

かつて冬の山で遭難し、死にかけた。

 

白く、何も見えず、何も感じなくなっていく。

足元から凍り付いていくような絶望。

その白い絶望の中で俺は自らの術式を知った。

結局それはなんの助けにもならなかったが、運よく俺は人のいる所へ辿り着いたんだ。

 

高専に入ってからそれを笑い話として話せば、あいつらとの任務先でスノードームを嫌がらせで贈られたっけ。

 

『術式を知るに至った経験が、何よりも術式を行使する際の精神的ブレーキになってるんでしょ?ほら、キレーだよー、怖くないよー』

『しょぼい術式ならせめて見た目だけでも整えちまおうぜ?これみたいにさ?こけおどしぐらいなら出来るんじゃね?…待て、落ちつけ。そのスノードームは殺人用じゃない』

 

 

彼らはもう、いない。

 

 

残されたのは実力のない俺だけだった。

 

雪山で行く先を失ったかのように、俺はずっと彷徨(さまよ)っている。

疲れたんだ。

あぁ本当に、疲れた。眠ってしまおうか。そう思ってしまう程に。

 

 

でも、どうせなら―――――

 

 

心の中のどこかで、"枷"が外れる音がなった気がした。

ずっと内側で(くすぶ)っていた白い雪、自身の術式への"恐怖"が剥がれ落ちる。

 

それがトリガーだった。

 

 

 

 

 

―――――嫌な思い出と言うのは得てして忘れがたい。トラウマになる程であれば尚更に。

それは脳の奥底に刻まれた術式を刺激し、発現させるに至った。

同時にその()()こそが彼の"生得領域"…つまり心象風景として確立されてしまったのだ。マイナスの呪力の根源たる彼の負の源泉となってしまった。

これは「負の経験」と「術式」の親和性が高すぎた故に起きてしまった弊害(へいがい)

しかし呪力を生み出す時に必ず心の中に現れるトラウマは、卓越した術師であれば質の高い呪力へと変えることも出来ただろう。

しかし彼にはそれが出来なかった。克服(こくふく)できなかったのだ。

 

それは今も変わらない。

彼は「克服」するのではなく、「諦観(ていかん)」という形で恐怖を忘れてしまったのだから。

 

…その感情こそが彼に、未熟なままその領域へと足を届かせる要因となった。

 

 

 

 

 

仰向けに倒れたまま、俺は震える手で祈るように両手を組む。

まるで両掌の中に手のひらサイズの、あの、いつかの球体(スノードーム)があるかのような隙間を残して。

 

 

 

「領、域展開」

 

 

 

 

 

霞薄氷(カスミウスライ)

 

 

 

 

 

そして全てが白く霞んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「運が良かったですね。私も、椴之根(とどのね)さんも」

「全くです」

 

黒石さんは俺と別れたすぐ後に一度帳を下ろし、そこから外に出て連絡を取ろうとした所であの呪霊の術式によって倒れたらしい。

運がいいことに田舎とは言え道路沿いで倒れたおかげか、通りがかった一般人に見つけて貰ってその場しのぎであれど身体を温められた。それが俺が呪霊を()退()するまでの間の命を繋いだ。

 

…そう、撃退だ。正確には休眠状態。というか()()()()になったのだ。

 

原因は体温を奪ったから。詳細は後。

 

「推定1級呪霊と戦って生きてるなんて、未だに信じられませんよ」

 

今回の呪霊は複数の畏れから生まれた呪霊だ。

 

青森には「岩木山神社」と呼ばれる、白雲大龍神という龍神様の荒魂が(まつ)られている神社がある。蛇は昔から神の使いと知られているのは有名だが、かの呪霊がその蛇の要素を含んでいたのはそういうことだったのだろう。

この岩木山神社における水神信仰が一つ。

 

次に「モンジャ」と呼ばれる、津軽地方の海岸に伝わる怪異。

海で死んだ人間の魂が家に帰って来るという言い伝えらしい。

「モンジャ」は「亡者」を意味しており、地方によってこれは「モジャビ」であったり、「モレビ」(どちらも"亡者火"の意味)であったりと言うらしいが、人型であったためにこれらの伝承が作用したのではないかと思われている。

 

 

最後に、恐らく最もかの呪霊を構成する要素を占めていたのは「()」に対する畏れ。

 

 

今回訪れた地域は、日本の中でも特に豪雪地帯と知られる場所。

青森における「信仰」と「伝承」と「自然」に対する畏れが、かの呪霊を生み出したのだ。

 

「ほんと、よくどうにかなりましたよね…」

「そこはもう実力として誇ってしまいましょう」

 

並んでベンチに座った黒石さんはコーヒーを啜りながらけろっと言った。

実力って言っても…すごい歪な領域展開だからなぁ…

 

 

―――――「休眠」或いは「冬眠」と言っていたことから分かる通り、俺の領域展開ではあの呪霊を祓うことは出来なかった。

 

それは練度不足もあるが、死の間際で(おぼろ)げな意識の中で構築()()()()()()縛りのせいでもある。

簡単に言えば本来領域展開にあるはずの「必中」と「必殺」のうち、「必殺」が省略されていたからだ。

加えて「必中」の部分も対象が人間や呪霊ではなく「空気」なんてものになっていた。直接相手を害さないせいで人間ならともかく呪霊では効きが悪かったのだ。

こうなってしまったのは「自滅覚悟」というあの「諦観」のせいだろうか?だからこそ俺は自身の術式によって凶器と化した「とても冷たい空気」を吸う羽目になったわけで…よく生きていたもんだ。

 

…それらのマイナス要素をしてようやく領域展開が出来た…というより、領域展開を無理やりするために勝手にどんどん引かれていったというのが正しい。

やったのは俺なんだろうが、意識を失いかけていたせいで「いつの間にか縛りが成立していた」状態なのだ。検証が必要だ、早めに縛りの内容を解明させないと痛い目に合うだろう。

生き残ったのだから、文句は言えない。

 

あぁともかく、練度不足と縛りによってあの呪霊の命には届かなかった。

 

 

で、だ。

呪霊が休眠状態になったのは簡単に言うと体温を奪ったから。

呪霊にあるのか?と言われると一応あるがそれが何かしらに作用することはほとんどない。生き物の形を取る上でのおまけのようなものだ。だから俺もそれらがまさか関係するとは考えてもいなかった。

今回はこの「おまけ」が俺の命を救う。

 

龍人様の水神信仰、その神の使いである蛇。

 

蛇は変温動物であるが、気温が5℃前後になると冬眠を始めるらしい。(ちなみにあの日の気温は3℃だった)

どういうわけか、呪霊だというのに俺の領域内で急激に冷やされたために休眠状態に移行したのだ。

 

…もしかして体温を奪っていたのは冬場に活動するためでもあったのだろうか…?

蛇としての要素が強かったから?

それとも何らかの縛り?

 

わからないことは置いておく。

そういうわけで実力で勝ったというよりは、運が良かっただけでしかない。

どうにも複雑な気分だ。領域展開が出来るのに、現状1級でも通用しそうにないとは…しかも発動すれば共倒れ。

 

買った温かいココアを飲みながらう~んと(うな)ってしまう。

 

ちなみにだが、かの呪霊は校舎内、それどころか周辺地域の呪霊を始末していたらしい。だから低級呪霊さえいなかった。

どうやら一定以上の呪力がある存在に攻撃する習性があったらしい。呪霊と言うには異質だ。

"帳"が上がるまで大人しかったのは、"帳"の効果によって内部の呪力への認識諸共遮断していたからだ。その代わりに帳自体に呪力を感じたために、結界の外で帳に無意味な攻撃をしていたと予想されている。

どうにも頭が悪そうだが、それでも極端に頭が悪いというわけでもないので、"帳"が上がって俺たちを見た直後は術式を発動させて"帳"の呪力の大元である黒石さんを排除しにかかったというわけだ。

 

黒石さんもまた本当に運が良かったと言っても過言ではない。

そんな話をすれば、黒石さんも流石に苦笑いだ。

 

「とにかく今は生きていることを喜びましょう。…というわけでどうぞ」

「…はい?」

 

渡されたのは封筒。

見覚えのある封筒だ…そう、3級術師に上がった時にもらった封筒に似ているような。

 

「昇級のお話が来てます」

「まじですか」

「おめでとうございます」

「ありがとうございます?」

 

う~ん。

いいんだろうか…いやでも確かに、領域が出来る人間が3級ってのは全く恰好が付かない。

世間体(?)的にもきっと良くないのだろう。

 

ピリッと封筒を開けて中を見る。

どうせ知られても問題ない内容だろう。そう思っていた。

 

「これで晴れて2級術師の仲間入りですね」

「――――――――――そうですね。死なないように全力を尽くします。それと、今回も面倒な手続きがあるみたいなのでもう俺は行きますね」

「えぇ、お互いにまた生きて会いましょう。お気をつけて」

「はい、また」

 

 

慎重に封筒を鞄に入れ、帰路につく。

―――――その背中は、黒石さんから見ても不安で揺れているのがわかったらしい。

 

 

俺は改めて家に帰った後、その内容を読む。

簡単に言えば、こんなことが書いてあった。

 

 

一つ、俺を2級相当の能力があると判断し、2級術師として認定する。術師からの推薦、及びそれに伴う二級以上の術師の監督の下で行われる任務は免除とする。

 

二つ…

 

 

 

 

 

俺をあの「呪術総監部」へと()()する(むね)が記されていた。

 

 

 

 

 

"水は方円の器に(したが)う"

 

俺は自分で環境を"選ぶ"ことなど、させてはもらえなかった。

 

 

 

 

 





続いてしまった。続いたというか昔に戻ったというか。
設定は作ってたのでその分吐き出した感じです。
なのでこれ以降やるかはちょっとわからないです。期待せずに!!

あとサブタイトルの「瑞」は「しるし」と読みます。


▼椴之根 恭弘【トドノネ ユキヒロ】

中学生の頃に登山にはまり、そこで挑戦した冬の登山で遭難、死にかけたことが術式を開花させるトリガーとなった。本来であれば術式は表に出ないはずだった。
呪術高専では女子1人と男子2人の3人だったものの、2年の時に女子が死亡、5年の卒業間近で男子も死亡、1人だけの卒業となる。
スノードームは思い出の品であり、悲しい記憶を呼び起こす品でもあった。

当時五条が最強になった年であり、夏油のフォローは欠かしていなかったが、5年の時も忙しく、あまり会えてなかった。
なので翌年の夏油の離脱は彼にかなりの精神的ダメージを与えている。

それから2年後が今回の話。

その後22~25までの3年間、呪術総監部の「(そそぎ)」にて呪術界の裏を走ることに。
26の頃に呪術高専に教師として派遣され、同時に五条から敵か味方かを問われる。言うまでもなく五条側へとついた。伏黒との出会いもこの辺り。
伏黒の身の回りの問題を五条が彼に丸投げしたので、伏黒にとって親戚の優しいおじさん(お兄さん?)みたいな認識だった。ちなみに授業参観には出た。なんか伏黒君みんなに怖がられてない?


▼鏑【カブラ】

術師であれば誰でも買える折り畳みの簡易式神。
ル〇バと同じ感じで動く。
見た目はただの紙風船。認知させた呪力以外の接近に反応し、飛び上がって破裂する。
椴之根は自身の術式を式神の内側に行使することで「転がる紙風船」を「転がるスノードーム(紙)」にした。


▼穂霜【スイソウ】

椴之根の愛用する呪具。刃と柄がほぼ1:1になっている。
槍の穂先なので「穂」と、雪や冬への苦手意識をなくすために冬の季語から選んだ「(しも)」(槍の"そう"とかけてる)を取って名付けられた。
制作者の銘はないが、戦国時代に作られた物だと判明している。
出番なし。没にした部分でちゃんと活躍はしてた。哀れ。


▼蝿頭呪符【ヨウトウジュフ】

封じ込めた4級以下の呪霊、蝿頭を顕現(けんげん)させて使役する呪符。
「指定した相手の回りを飛び回る」という簡単な命令が組み込まれていた。
呪力をこめて握り潰すと発動する。


▼推定1級呪霊:水涸主【ミズカリヌシ】

信仰の「蛇」と怪異の「亡者」と自然の「雪」に対する畏れの集合体。一言で表すならば白蛇人間。
推定1級となってはいるが、やや頭の悪さが目立つために後に準1級と認定される。
いろいろ混ざったせいで逆に弱くなってしまった呪霊。

術式は釘崎の芻霊(すうれい)呪法に近いが、例え残穢であっても術式が等しい効力で発動し、発動対象の呪力の大元である術師の体温と水分を吸収する。
この吸収によって豊富な水分を持っていたために椴之根の領域がよく効いた。祓えなかったけど。
術式は呪霊に対しては使っていなかったために残穢が見つからなかった。あと足跡も残さない。

特定地域内の呪力のある存在を呪霊問わず狩っていた。その立ち位置から産土神(土地を守護してくれる神)とも言える存在。呪霊というより花御のように精霊に近い。花御が植物と近しいようにこの呪霊も蛇に近く、その生態を模倣していた。無駄に術式を発動して残穢を残したり、足跡を残したりしないのも生物的な捕食者的理由。
この低温で休眠する習性を考えた結果、祓われずに高専にて回収された。


▼黒石さん【クロイシ】

40代くらいの補助監督。
結構ベテランだけどそろそろ年齢的に厳しいかなと思ってる。


▼領域展開について

術式は相伝されますけど、生得領域…つまり心の中や心象風景などは相伝ではなく、あくまで「個人のもの」でしかないのでは?と思いました。
そこまで相伝されたら流石に怖いと思ったからです。(あり得そうですけど)

じゃぁ生得領域ってどういう風に形成されるの?って考えた時に、やっぱり術式を扱う(或いは呪力を扱う)上で得てきた経験とかトラウマとかが元に出来上がってくると面白いなぁと思ってました。(願望!)

今作の主人公は一般家庭の出身で、「雪山での遭難」をすることによって死に近づき、本能から本来発現しなかった術式を見出すことになります。それが彼の最初の生得領域の原型です。
しかし本編に書いた通り彼の術式である「結晶方円法」は「雪山での遭難」という経験(トラウマ)と似てるところが多すぎて精神的ブレーキを常にかけてしまうようになってしまいました。
それが彼の術式がしょぼい理由です。(ただし、完成していてもあくまで「雪の結晶を作る」という術式でしかないので遠距離では吹雪かせて目くらましがせいぜい)

そして偶然にも呪霊の攻撃が「雪山での遭難」というトラウマ(亡き同期から貰ったスノードームも強く影響)と生得領域とに被る事態が発生した結果、術式が刺激されまるで爆発するように領域展開を数段飛びで使えるようになってしまった…という設定です。
本来は「克服」によりステップアップしていくはずのものを「諦観」という「生存」や「完成」に対する「妥協」によって歪な領域を得ます。

稚拙ですが、心象風景(生得領域)の形成とそれに伴う生得術式との関連性みたいなのが今話のテーマでした。
だいぶ穴だらけですけどノリで流してください。


ちなみに前話でちょっと触れた「域展開は最初は四角だった」は…最新話を知っている人なら分かりますよね多分。あれと同じ理由です。今回ので変な癖がついてしまったんです。
後に五条に癖を直されて他と同じように球状になりました。

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