雪は方円の器に随う   作:凍り灯

8 / 8
サブタイトルは"はぐれのばん"と読みます。
つまり番外編ですね!彼らの過去の日常をちょっと覗いてみましょう。


あと、映画得点の0.5巻の書下ろしのネタバレがガッツリあります。
知っている方と気にしない方だけどうぞ。まだ持ってなくて直接冊子で読みたい人は…メルカリとかでどうぞ。(オイ)







【逸の番】 忘れ水を追う

 

 

 

 

 

―――――やっぱり夏はクソだ。

 

 

七海君の喋り方がうつってしまったが、そうだと言わざるを得ない。

 

例年の"夏の風物詩"を終えてまだ日も浅い、暑さもピークに近い季節。

街であれば下火になりつつあるはずの(せみ)たちは、この山奥ではまだまだ元気一杯。日も沈みかけているというのに最終公演だと言わんばかりに頼んでもいない大合唱を奏でてくれている。まったくありがたい限りだ。

 

…つい昨日のことだ。高専の教室、職員室及び寮のある棟の冷房が壊れた。

この夏真っ盛りの時期にである。

 

あぁうん。そうだ、俺には術式があるさ。"結晶方円法"は火にかけるならばともかく、暑い気温程度では今では溶けない。

当然、こういう時の解決策は俺の術式がうってつけだ。どこでも冷たい雪をお届け出来る。だから勿論やった。やり過ぎた。その結果がこれ。疲労困憊で職員室のデスクでくたばってる現状の出来上がり。

 

―――え?冷房壊れたの?それやばいんじゃない?

―――あぁまずい。業者は最低でも5日後だそうだ。

―――死ぬよ?ここでみんな暑さで死んじゃうよ?

―――…いや、待て、椴之根(とどのね)の術式でどうにかならならないか?

―――あ、いけますね。

 

そして職員室は夏の夜の蒸し暑さから解放された。

各所に溶けない雪の積もった桶が置かれ、そこへ扇風機をフル稼働することによって。古典的ながらもこれがまた涼しい。

溶けることもないから、なんなら冷房よりエコで節電にもなる。

 

これには五条君も夜蛾(やが)学長もニッコリ。

 

―――生徒の部屋にも配ってきますねー。

―――いってらー。

―――…

―――考えるまでもないことだけど。明日の教室もやばいんじゃない?

―――あぁ………

―――ここは我らが希望の星、ユキヒロセンセイに頑張って貰うしかねーっしょ。

―――苦労をかけるが…止むを得ないな。

―――戻りましたー…あれ?どうしたんです?明日は俺の受け持ちの授業は取り止め?雪冷房システム?全空気循環式?冷水循環式?椴之根冷房システム??え…え…?

 

…逃れられるはずもなく、俺は翌日、朝からクソ暑い部屋を巡っては術式で冷やし、走っては術式で冷やしを繰り返した。(夜の内に出来なかったのはその後すぐ任務があったからだ)

冷え切る前に俺は部屋を飛び出し次へ行くを繰り返す…早くしないと暑さで苦しむ人が増えると思ってはそれ急ぎ足。廊下までは当然冷やされていないから、つまりどこにいてもずっと暑い気温に(さら)されていた。

暑い暑い暑い。

 

暑い…

 

汗で廊下に現代アートを描いていれば、そんな俺のことを嗅ぎ付けた別の棟にいた術師やら関係者がやってきては物欲しそうな目で両手に抱えたバケツを差し出してくる。

 

………そんな表情の人たちを放置できるはずもなく、俺は顔を引きつらせながらも術式を行使した。

 

 

 

で、呪力が切れた。

 

 

 

後回しにしてたから部屋(夜勤用の高専の仮眠室だ)はまだクソ暑い気温のまま。

昨日の夜はどう過ごしたって?

…いや、勿論雪を積んでおいたけど、今日の朝ミミズみたいに地面で干上がってた猪野(いの)君に渡してしまった。

 

―――スンマセン椴之根さん、助かりました…

―――いやいや。それにしてもどうしてここに?

―――人を探してまして…高専にいるのは分かってたんスけど、見つからなくて。

―――…七海君ならついさっき車で出てったよ?

―――えぇ!?またすれ違った!あざッス!!出直して来ます!!

 

必然、部屋は天然のサウナになったので人間の住める環境ではなくなっている。

だから今は呪力が回復するまで涼みきっている職員室に避難しに来ている、ということだ。

 

 

3時間前から。

 

 

地平線の向こうの太陽も見えなくなった時間帯だが、困ったことに術師たちに共通の定時はない。むしろ夜に活動をメインにする人たちも多い。そう、つまりこの時間になっても桶持ち呪術師が出入りしてくる。つまりつまり回復し始めたなけなしの呪力が持ってかれる。あぁ、だから部屋はまだまだ暑いまま、俺はこの時間まで職員室に取り残されていた。

 

あれ?まだ先だけど夜任務だよね俺?別の意味で呪力をどうにかしないとまずい。

ていうか最近家に帰れてないな…そっちの室温も想像したくない。ていうか、こんなんなら素直に一度家に帰って冷房の効いた部屋で休めばよかったじゃん。

 

…まぁ、うん。

 

あー涼しー…

 

 

ゆっくりと首を振る扇風機が送り出す風が定期的に髪の毛を跳ね上げさせ、重しの乗せられたプリントたちがパサパサとはためく。

意味もなく、首を振り回している扇風機が再びプリントを(おど)らせるまでの間隔を数え、それに飽きたら蝉の鳴き声の一息での最大回数は一体何回になるのかを数え、そしてそれにもすぐ飽きた。

 

いつまでいることになるんだろうなぁ、なんてぼんやり考えていれば近づいてくる足音が。

 

「おう、お疲れさん」

「…あ、日下部(くさかべ)さん、お疲れ様です…」

 

ぐったりと突っ伏す俺の顔の前に、日下部さんが何かを置く。

それは良く冷えてるとわかる缶コーヒーだ。

 

「え!ありがとうございます!すいませんわざわざ…」

「気にすんな。冷房がぶっ壊れてんのにここまで快適にしてくれたとあっちゃな」

 

プシュッ、と缶から空気の抜ける音が鳴る。

 

日下部さんは術式なしで1級にまで上り詰めた猛者(もさ)だ。当人は命の掛け合いを心底ヤダヤダ言ってるがそれでそこまでの実力を持ち合わせているのだ。

むしろその呪術師らしくない姿勢が俺にとっては親しみやすい。

 

「まぁなんとかできて良かったですよ。俺も暑いのは勘弁ですから」

「朝から晩まで、冷房があるっちゅぅ理由で車ん中で仕事する羽目にならんでよかったぜ…この際無駄に格式ばった建物を全部近代仕様に変えて欲しいもんだ」

「そうですね。保守派の人たちの家の冷房が壊れて暑さで頭が沸けばそうなるかもしれませんね」

「その前にお前が引っ張られてくだけだろ」

 

悲しいことに家電扱いなのは最早共通認識である。

 

「いやぁごもっとも…あ、そう言えばですが」

「なんだ?」

 

デスクに突っ伏す俺と、デスクに足をかけて椅子に深々と背を預ける日下部さんの視線が合う。

 

「生徒の普通科目の成績、見ました?」

「あぁ…」

 

そこで日下部さんは俺が何を言わんとしているか気が付いたのだろう。俺の続く言葉を待たず、結論付ける。

 

「誰も術師以外の道を行くわけがないだろうよ、特に今の1年共はな」

 

心底、理解出来んと言わんばかりに気怠そうに彼は言った。

そうして、禁煙のために舐めている棒のついたキャンディを(くわ)えたまま古ぼけた木製の天井を見上げる。これまた年季の入った椅子は日下部さんが体重を乗せたために背もたれがギシリと音を立てた。

 

「日常の会話すら制限される呪言使い、禪院(ぜんいん)家のはねっかえり、学長の呪骸(じゅがい)―――――そして特上の呪いに憑かれた被呪者」

 

淡々と挙げられた言葉が指し示すのは、言うまでもなく今年の一年生たちのこと。

 

…俺があのように切り出した理由は彼らの成績が悪いから困っている…というからではない。

可もなく不可もなく、及第点よりまぁ良いか、といった感じだ。つまり勉学に身が入ってないのは明らかで、突然こちらの世界に引き込まれてしまった乙骨君でさえそうなってしまっている。

何もテストの点数とかでそう決めつけているわけじゃない。実際に教えている俺の観点から総合的に見てそう判断している。

 

当然と言えば当然だ。俺の担当教科は術師をやる上でほとんど関係がない。

 

これらは基本的には将来術師をやらない選択肢を取る人たち向けのものだからだ。であれば彼らは最低限のラインさえ抑えておけばあとは必要ない物。

俺だって言ってしまえば成績は重要視してないんだ、術師になる上でこれらが必要になるとは思わない。気になってるのはそこじゃない。ただ、子供たちがこの呪いの蔓延(はびこ)る世界へと身を投げ出している現状に、勝手に悲しみを抱いている、ただそれだけ。

 

俺は心の奥で彼らがこの呪術界から去ってしまって欲しいと願っているのだ。何の関係もなく、或いは"窓"としてでも構わない。血みどろの呪い合い、その螺旋(らせん)から降りて欲しいと。

きっと余計なお世話なんだろうけれども、そう思うのだ。

 

「ま、諦めるこった」

「…ええ、わかってます…」

 

結局俺はまた諦めるしかない、これは俺のエゴ。叶うことのないどうしようもないエゴ。

 

彼らは()()()()

避けられないのならば、せめて俺が生徒たちに出来ることなんて、それこそここにいる間は不自由なく過ごせられるようにしてあげることしか出来ない。己の無力さには、いつだって辟易(へきえき)してばかり。本当に、嫌になる。

 

「…日下部さんはどうなんですか?」

 

扇風機の羽が回る音、風で薄い紙が波打つ音。

窓の外からは蛙やコオロギが鳴く音が入り込んでくる。

その少しだけの間訪れた賑やかな沈黙がもどかしくなった俺は日下部さんにそう問いかけた。

 

咄嗟(とっさ)とは言え、なんとなく気になっていたことだ。

 

日下部さんは1級術師だ。

最早やめたくて簡単にやめられるような立場ではないが、出来ないことはない。それは俺が総監部としてちょっと根回しすることも出来るから言えることではあるのだが。その事実を彼は知らないが。

 

「お前こそどうなんだ」

 

その盛大に溜息でも吐きたいと言わんばかりの表情は言外に、「今更やめれんでしょう」と彼は語っていた。

 

そうした表情で発した言葉は気怠そうに、けれども確かに内に俺を気遣う色が入っていた。それに気が付いて思わず苦笑い。

俺は、それだけで何故かとても嬉しくなってしまった。

 

「案外、気に入ってるんです。教師」

「あー俺もここで適当に教えるだけで金もらえんならそれがいい。あぁ~ずっと教師だけやってきてーよ~」

「いやぁ、ほんとそう思いますよねぇ~」

 

だらだら、のほほん。

 

夜も深い職員室で俺と日下部さんはぐちぐちと愚痴を言い合う夏のひと時。

その後に続いた脳が死んだような会話はこの後、缶コーヒーの空き缶が5本追加されるまで続いた。

 

 

 

 

 

―――――そんな会話をしていたのも半年も前のこと。

 

夏油君が起こした"百鬼夜行"の後始末も粗方終わり、年も明け、桜が芽吹く季節を手前にした職員室。変わらず俺はこのデスクに座って仕事をする。

 

1年の真希ちゃんたちは誰一人かけることなくこの春を迎えられそうだ。

その現状に安堵(あんど)しながらデスクの端に置かれたスノードームに目を向ける。

 

()()の存在は褒められたものではない。

 

 

これは夏油君の為の(とむら)いの()だ。

 

 

彼を許してはならない。

夏油君らによって死んだ補助監督や術師はそれなりにいる。中には顔見知りだって当然いた。

あぁけれども。けれどもあんまりじゃないか。

 

彼もまたこの世界の被害者だった。

 

許してはならない。それは当然のことで、けれども同時に自分の姿と重なる。

強さも意思も志も何もかも違うけれど、ただこの世界で生きていくには僕たちには耐えられなかったのは同じだろうから。

俺があの時、使命感や義務感から逃げてもいいのだと言ってあげていれば何か変わったのだろうか?いや、きっと変わらなかったのだろう。

それでももしかして…なんて考え始めればきりがない。

 

と言っても、無力感や勝手な罪悪感、同情心や共感など、そういった類の感情はあるものの、俺は彼の言う"大義"には共感出来ていたわけではない。

臆病な俺は、自分の意思で手を汚す道を選べない。誰かにレールを敷かれて初めてそれに耐えられる。俺はもう、無暗に人を殺したくないよ。それが正しいかどうかではなくて、嫌だったんだ。甘ったれてるよな。

 

 

『椴之根さん。あなたも私と一緒に来るべきだ』

 

 

そう言った時の、夏油君の顔を思い出す。乙骨君に向けていた張り付いたような笑みが一瞬だけ剥がれたのは果たして俺の気のせいだのかそれとも…

 

ごめんね、夏油君。ごめん。

感情的な問題は勿論だけれど、俺はもう、俺が見た(五条)に突き進むと決めてたんだ。

ここで見つけたんだ。

君に終ぞ見せることのできなかったあの夏の景色の中に。

 

きっと俺は君の元にいたとしても、いつか耐え切れずに自らに刃を突き立ててしまうだろう。総監部にいた時ですら何度かそう考えていたのだ、俺は君ほど強くは在れないから。所詮は春が来れば溶けてしまう程度の命でしかないんだ。

 

ゆらゆらと雪が舞っては落ちるだけのそれをもう一度見て、すぐに俺は窓の外へと視線を向ける。

 

あぁ、もうすぐ春が来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…センチメンタルになっていたのに廊下が慌ただしい。

 

誰かが走っているようだ…何だろうか?

 

一応、大丈夫だと思うけれど廊下へと出てチラッと確認する。何か担いでる人影…気にする人なんてこの学校にはいないけれど、それでも言っておこう。

 

「廊下は走らないようにね~」

 

キキィッ!!っと俺の前で一瞬止まった人影。

それはでかい魚を担いだ狗巻君だった。

 

「………え?」

「鰤」

「ぶり」

「鱧」

「はも」

 

でかい魚を担いだ狗巻君だった。

…でかい魚を担いだ狗巻君だった。

 

満足そうに魚の名前を告げてスタスタと廊下の奥に消えていく狗巻君。

俺はふぅっ、と軽く息を吐き。冷静になる。

 

 

「………………え?」

 

 

 

―――――所変わらず数日後の職員室。

 

間もなく迎える新年度を前に、日下部さんに彼ら一年生たち、いや、新二年生たちの引継ぎ作業を行っていた。彼は来年度から真希ちゃんたちの担任になるのだ。

本来ならばこれは五条君の役目だが、ほぼ副担任レベルで彼の行動をカバーしてた俺がやっている。理由は最早言うまでもあるまいて。

 

一人一人の性格や考え方、術式についてや単純な趣味趣向も含めて余さず伝えていく。五条君があれだから分かりづらいけれど、高専の教師は生徒を一人一人事細かにケアする必要がある。心の問題だ。繊細な人間は(イカレてないと)やっていけない世界だが、だからと言って投げっぱなしでは意味がない。

教育者として当然のことかもしれないが、人間の生き死にが大きくかかわるここでは特に細心の注意を払うべきなのだ。担任は少なくともそれを把握しなくてはいけないので日下部さんには頑張ってもらいたい。彼らは俺よりもよっぽど強いメンタルを持ってるからあまり心配はしてないけれど…はい、面倒そうな顔しないで下さい。後で覚えてるか確認作業しますからね?

 

別に五条君がしてないわけではない。彼は片手間でもそれが出来てしまうから周りからは分かりづらいだけのだ。

 

作業が一段落して「問題児しかいねーな」なんて言う彼に「問題児以外っていないと思いますよ?」「お前がいたじゃねーか」「呪術界的には問題児ですよねある意味」とか話しながら、ふと、ちょっと気になってたことを聞いてみることにした。

 

「そう言えば知ってますか?」

「あん?」

 

キャンディの袋を開けながら日下部さんがこちらに視線をよこす。

 

「どういうわけか最近、彼らにグルメブームが来てるみたいで…この前なんて狗巻君がでっかい魚を担いで廊下を横切ったんですよ」

「………ほーん?まぁ生活力が上がるのも良いことだと思うぜ」

「お金を無駄遣いしてないか心配なんですよね」

 

日下部はスッ…、と自分のデスクの上にあった「プロもびっくりの巻き寿司を作るためにはっ!?」というタイトルがでかでかと書かれた本を書類の影に隠した。

 

椴之根の言葉が耳に入った他の職員も読んでいた本を引き出しに何も言わずにしまっていく。

当人のいない五条のデスクの上には「何だこの味はぁ!?あなたの知らないスイーツWORLD!?」と書かれたスイーツの特集本が乗せられていた………それはいつも通りだった。

 

 

RRRRRRRR!

 

 

と、そこで着信音。発生源は椴之根。

 

 

「あ、すいませんちょっと失礼します―――――もしもし?」

『庵よ、久しぶり。ねぇ椴之根君、今度任務でそっち(東京)に行くんだけど、また食べ歩きしない?』

「いいですよ?」

 

 

通話終了。

 

速攻で通話を終えた俺に対して、日下部さんは「早くね?」という顔を俺に向ける。

 

「…誰だ?」

「歌姫先輩ですよ。今度こっちに来るみたいです」

 

その答えに、日下部さんはへー?だの、ほー?だの頷きながら(いぶか)し気に俺を見る。

 

「………で?お前に連絡したのか?わざわざ?」

「家入ちゃんにもいってると思いますよ?」

 

俺はそう言いながら薄い手帳に書かれているスケジュールを確認する。

うん、この日なら空けれるな。総監部には適当な言い訳をしておこう。

 

「おまえなぁ…」

「いいんです、これでいいんです。俺も先輩も」

 

俺は手帳から視線を外さないままそう言った。

それに対して日下部さんは溜息を吐きながら後頭部を搔いている。そうして、言うことを聞かない頭の固い生徒の主張に折れたかのように言うのだ。

 

「―――――ま、お前の決めることだわな。せいぜい後悔のないようにするこった」

「あはは」

 

このままで、いいのだと思う。

 

きっと俺はあの人を置いて行ってしまうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東京のどこかの駅前。

 

待ち合わせにはちょうどいいオブジェが(たたず)む広場のあるベンチの前で、俺と歌姫先輩はどこででも聞けそうな常套句(じょうとうく)を互いにを交わす。

 

「結構久しぶりね。待った?」

「はい、お久しぶりです。そんなに待ってませんよ?」

 

2時間前からいたとか言えなかった。

俺たちは自然に並んで歩き出す。170㎝近い彼女と、170をやや超えた程度の俺ではほとんど目線の高さは同じ。互いに見上げず見下げず、丁度いい。

 

「実は今回は事前に決めてたとこ以外にも良さげな店の候補がたくさんあるんですよ。余裕があれば行ってみません?」

「ほんと?そうね、出来るだけ行ってみましょ」

「ほらこれ、どれも生徒が教えてくれたんですよ。統合したら立派な食べ歩きマップが作れました」

 

そうやって事前に用意していた地図アプリの画面を笑いながら見せる。

すると歌姫先輩は僅かに眉間に皺を寄せて困ったような顔をした。

 

「…ねぇもしかして()()()()…?」

「………あぁ、はい。()()()()です」

 

察した。

グルメの嵐は呪術界を飲み込んでいたらしい。

 

歌姫先輩曰く、この前は藤堂君がヒグマを狩ってきたとか。

熊肉は意外にも旨味が強くていける。なんてことを言えば少し引かれた…いえ、ほら、総監部でいろいろな訓練があったもので…なんでも食べましょうチャレンジとか。

熊肉はジビエ料理でもあるので("ジビエ"とは狩猟で得た野生鳥獣の食肉のことだ。フランス語だよ)マシな方ですよ?ちなみにこれらに関しては深い所まで話すと五条君にも引かれたことがあるので、以降詳しくは伝えないことにしている。

 

しかし、一体このグルメの嵐はいつになったら過ぎるのか。仮眠室で休んでいても包丁のトントンという小気味よい音が延々と聞こえて来るもんだからノイローゼになるかと思った程なのだ。

 

「1年~4年までみんなそうなんですよねぇ…卒業を前にして呪具ではなく包丁が充実していくのを見るのは不思議な気分です」

「こっちも同じね…増えてるのは漆塗りの食器だけど…」

「どっちも消費がやばいですね」

「ヤバいわ。お金がないって最近も泣きつかれちゃってね…」

「それはお疲れ様です。いえ、こちらもそういう気配があるんで全く油断出来ないんですが」

「聞いてないの?1年生たちの話」

「え?何ですか?」

 

昨日まで数日間出張だったので知らなかったが、聞けば真希ちゃんたちはなんらかの理由で(もうお察しだが)お金がなくなったからバイトを探していたらしい。それで家入ちゃんの紹介でコスメショップの店員のバイトを始めたとか。

どうやらそのことで俺のことも探していたようだが、これに関しては間が悪かったと言うしかない。一応紹介できそうなとこはいくつかあったんだけどね。

 

「後で行くとこのよ」

「あぁ、昨日言ってたとこがそうだったんですね…ちゃんとバイト出来てるかな」

 

ここで一つ気になることが。

 

「パンダ君もですか?」

「ええ」

「…差別とかするわけじゃないですけど、コスメショップにパンダ君ですか?」

「…ええ」

 

この話は終わりにした。

 

幾つかオシャレなカフェを飲み歩き、最近有名な屋台に並びつつ世間話に花を咲かせる。

五条君が俺に無茶ぶりさせてないかとか、(ぶり)なら1年たちが素潜りで捕まえたとか。

 

あと、家入ちゃんとノリで"クエ"を頼んだらしい。魚の。

 

「…高級魚じゃないですか!」

(さば)けないのよ。椴之根君出来ない?」

「料理は出来ますけどそれくらいでかい魚を捌くのはちょっとやったことないですね…」

「そっかぁ…出来たら椴之根君の家に硝子と突貫しようとしたんだけど」

「逆に捌くための道具一式持ってる人いますかね」

「この業界(イカレの巣窟)よ?」

「いますね」

 

クエを一体どうすればいいのか…?そのことについて話してる間に目的のコスメショップに到着する。

出迎えてくれたのはやはりというか1年たち。

 

「あ、いらっしゃ―――――」

「「らっしゃあせぇぇえ˝えっ!!!!」」

「五目」

「ラーメン屋かよ」

 

真希ちゃんとパンダ君がうるさかった。思わず歌姫先輩も一言。

 

確かに。みんなバイト用のエプロンを身に着けてるせいか段々とそう見えてきた。乙骨君がこの前仮眠室の横のキッチンで「麺を床に叩きつけるように湯を切る、麺を床に叩きつけるように湯を切る」と死んだ声で永遠に湯切りの練習をしてたらから余計にその印象が膨れ上がってくる。ノイローゼにはなんとかならなかった。

 

声圧につい仰け反ってしまった俺はしれっと切り返す。

 

「パンダラーメン店って人気出そうですよね」

「夜中やるタイプのやつが受けそうだわ」

「グルメ雑誌のラーメン屋の紹介でパンダ君が腕組んで写ってたら絶対行きますよ」

「まさに客寄せパンダね」

「そこ二人っ!!いちゃついてんじゃねーーーっ!!」

「言いがかりだろそれは」

 

パンダ君の怒涛(どとう)のツッコミに急に冷静になった真希ちゃんが言い返す。

よくわからなくなりつつあった雰囲気を払い飛ばし、改めて歌姫先輩は彼らに向き直った。

 

「で?だいたい察しはついてるけどなんでアンタらバイトなんか始めたのよ」

「実はかくがくしかじかで」

 

パンダ君がかくがくしかじかと言う。

なるほど!俺も歌姫先輩も、我が意を得たりと言った顔で口を開くことにした。

 

「へぇ~やっぱビットコインって買った方がいいのかしら」

「ダイハツのムーヴのCMも今や10年以上前ですもんね~」

「おい、誰も話し噛み合ってねーぞ」

 

違ったらしい。

 

「歌姫先生と椴之根先生は?」

 

もう一度仕切り直そうとしたのかそれとも無意識か、乙骨君が俺たちに来店理由を聞いてくる。

さもありなん。

わざわざ彼らのいる所に来たのはバイトの様子を見に来たなんて理由ではない。

 

「せっかく東京きたからね。硝子に貰ったクーポン使っちゃおうと思って」

「俺がいるのは、さらにそのついでに色々食べ歩きしようって話になってね」

「あ、ということはもしや歌姫先生は東京へは任務で?」

「そ」

 

パァ!

それを言い表すならばこれだ。

悪意なき眩しい笑顔とはこれを言うのだろう。彼は今時中々見れないようなそれをやってのけた。

 

「お二人ともお疲れ様です!椴之根先生もつい昨日まで出張でしたものね!」

「アンタ本当に五条の親戚?いい子ね……」なんて零してしまう歌姫先輩に苦笑いをしてしまう。

血筋が全部ああなら五条家は悪魔の巣窟か何かだろう。(よく考えればこれはだいぶ失礼だったかもしれない)

 

その後スイッチが入ったのか歌姫先輩が真希ちゃんたちにスキンケア道を熱弁し始める。「加齢と含水率は反比例すんのよ……覚えておきなさい…」「ミイラも?」「殺すぞ」そんな和気あいあいとしたやり取りをBGMに、ピックアップしていく商品をこっそりカゴに入れて精算していく。

乙骨くんはその姿を見て「これが出来る男の人っ…!」と戦慄していたが過分な評価です。

 

先輩がデコルテをゴリアテと間違えた真希ちゃんにブチ切れたりしたが概ね平和だ。(デコルテは首筋から肩周りにかけてから胸元の部分のことを言うよ。てか今日皆テンション高くない…?)

そしていつの間にか、パンダ君は(はも)の湯引きの話をし始めている。バイトしてくれ君たち。

 

…だが、ここで俺と歌姫先輩は気が付く。俺たちの中でニュータイプ的なあれが走った。

 

「そう言えば、椴之根君がアンタらが料理に()ってるって聞いたわね…」

「先輩…これはもしや…いけるんじゃないですか…?」

「つーかさっきも俺がかくがくしかじか教えたろ??」

「かくがくしかじかで伝わるわけないでしょ」

「純粋に大喜利を仕掛けられたと思ってた」

 

歌姫先輩はパンダくんに答えながらどこぞに電話をかけ出す…相手はやはり家入ちゃんのようだ。真希ちゃんたちが疑問符を浮かべているのを置いてけぼりに、ピッと電話を切った彼女はキメ顔でこう申し上げた。

 

「今夜は"クエ"よ!!」

「知らねぇよ」

「大丈ー夫!!調理と洗い物だけしてくれればいいから!!」

「全部じゃん」

 

要は魚を真希ちゃん達に捌かせようという魂胆(こんたん)なのだ。なんだかちょっと悪い気はするがそれはそうとクエ鍋食べたい。

 

と、先輩を見る目が冷めきっているパンダ君と真希ちゃんに俺はフォローを入れておく。

 

「あぁ俺も手伝うし、欲しい食材の費用も全部払うから好きなものを買いなよ」

「「あざす!!一生ついてきます!!」」

 

真希ちゃんとパンダ君の魂の叫びはいかに彼らが困窮しているかを表していて、俺はあはは…と、乾いた笑いをあげるしかなかった。乙骨君は今日のテンションに完全についていけておらず、狗巻君は五体投地(ごたいとうち)していた。

 

「―――――やっぱり私も手伝うわ。食材食費だけ渡してはいお終いじゃダメよね」

「あ、助かります」

「鮮やかな転身だったな」

「しゃけ」

 

 

真希たちは脳内のメモ帳に「歌姫先生は椴之根先生に先輩ぶっていたい」と書き込むのだった。

 

 

バイトの終わる時間や買い出しの時間を相談し、(バイトしなよ…?)取り合えずまた連絡すると言うことで歌姫先輩のバッグに買ったコスメをッス…と入れつつ解散しようとする。

 

けれども、俺はクエに頭を持っていかれていたが、ハっと間一髪で予定を思い出すことになる。

 

「あーすいません先輩。今日の夜なんですけれど恵君とこに行かなきゃなんで…」

「…あ‥そう言えばそうだったわね…」

「買い出しまでは大丈夫なのでそこまではこなしますよ」

「恵んとこ行くのか?いいじゃねーか。そこで飯食おうぜ」

 

ちょっと(しぼ)みそうだった空気を持ち直したのは真希ちゃんだった。

 

「それよ!」

「え?う~んいいのかなぁ…あまり恵君が大所帯が好きかわからないからな」

「どうせあと一月もせずに高専来るんだからいいじゃないスか」

「"恵君"って?」

恭弘(ゆきひろ)が面倒見てる来年度からの新入生だ。ほら、"伏黒"って悟も言ってたろ」

「あ!あの伏黒君ですね!」

「五条君が保護者なんだけどね、書類上」

「おかか」

「うん、五条先生だから…」

 

真希ちゃん以外も恵君の家に行くのは乗り気みたいだ。乙骨君も狗巻君も興味津々みたいだし。

出来れば恵君の意思を尊重してあげたいけど…

 

「…取り合えず電話して聞いてみるよ―――――あ、恵君?俺だよ俺」

『五条先生ですか』

「椴之根恭弘です。人違いですが?」

『じゃぁ急に俺俺詐欺みたいなこと言い出さないでくださいよ…』

「いやごめん。なんか周りの人のテンションに合わせなきゃいけない気がして」

「名前言う時、めっちゃ真顔になったなセンセイ」

 

咳払いを一つ。

 

「実は真希ちゃんたち高専の1年の4人と俺含めた教師3人でクエ…あー高い魚のことな?それを捌いて食べようって話なんだけど、恵君もどう?」

『真希って…禅院先輩たちがですか?』

 

その言葉をスピーカー越しに聞いた真希ちゃんが俺の手から携帯を奪い取る。

 

「名字で呼ぶなって言ったろうが。恵、おまえん家借りるからな」

『禅院先…真希さん、いえ、嫌というわけじゃないんすけど…教師三人…?ユキヒロさん以外に他に誰がいますか?』

「悟のやつはいねーぞ」

『掃除して待ってますね』

 

ピ。

 

「おし」

「真希さん、おし、じゃなくて」

「決まりね」

「先輩?色々と言うべきことはあるんだろうけれど、まぁ、うん、いっか」

「しゃけしゃけ」

 

こうして、実はせっかくだから五条君も呼ぼうかな…、と考えていた俺の案は人知れず闇へ葬り去られることとなる。

そんな俺の内心を他所に、調理人も場所も確保した歌姫先輩は「よし!」とウキウキな表情で(きびす)を返して出入口へ立つ。

 

「じゃ!私たちはカラオケ行って来るから!!終わったら連絡しなさいよ!」

「歌姫はともかく恭弘が歌うイメージがつかないな」

「意外とアイドルソングとか?」

「京都の変態(上裸野郎)と一緒にしたら失礼だろ。演歌かもしれねぇ」

「チキンライス」

「おにぎりの具材じゃねーだろそれは」

「最近はまってるのはジャミロクワイとかエルトンジョンとかかなぁ」

「まさかのエゲレス」

「―――――あ、いいんですか椴之根先生、歌姫先生、もういっちゃいましたよ?」

「…え!?歌姫先輩っ!?」

 

話してる間に「酒が飲めるぞ~!」とくるくる走り出してしまった歌姫を椴之根は「度数が高いのはダメですからね!?」と言いながら追いかけていく。

やいのやいのと騒ぐ三十路先生らはこうして去っていった。

 

「いーじゃない!?硝子とも久々なのよ!?」

「過去を(かえり)みて下さい。あの時の家入ちゃんの顔は忘れられませんよ」

「うっ…!?全然覚えてない…!?」

 

そんな二人を遠目に見て、1年たちは思うのだ。

 

「恭弘も歌姫も、なんかもう堂に入ってるよな」

「あの距離感で慣れ切った感がすごいよね」

「こりゃ骨が折れるな」

「しゃけ」

 

ちなみにだが、このバイトが東京の最低賃金を下回っていることを知って労働はクソだと思い始めることを彼らはまだ知らない。

 

 

 

 

 









まず、多くの方にお気に入り登録、及び評価と感想をいただけて大変うれしい限りです。
今回は映画のこともあり現2年を題材にしつつ番外編を書かせていただきました。逆に虎杖ら1年との絡みが少ない気もするのでどこかでまた番外編という形でやらせていただく…かもしれません。

その時はまた、生あたたけー目で読み流して貰えると助かります。


それと、言い忘れていましたが、この作品のイメージソングはOPが日食なつこさんの「whitefrost」で、(あれ?他の作品でも同じ曲あげたような…)EDも同アーティストより「あしたあさって」となってます。

「あのデパート」があるキャラクターのイメージ曲として単眼猫さんはファンブックにて挙げてましたが、私は呪術廻戦から日食さんを知ったのではなく、日食さんより呪術廻戦を知った口です。逆なんですねぇ!

今回番外編を書く気になったのもアルバムリリースでノリにノった結果だったり。聞いてくださいよぉみんな。(布教)



▼椴之根 恭弘【トドノネ ユキヒロ】

高専認定の人間冷房。
機械は稼働すると発熱するという定めから逃れられなかった。

出来るならば子供たちにはこの世界に来て欲しくないと思っているが、それが叶うことは滅多にない。
夏油のことと言い、本当にままならないことばかり。

0.5巻で活躍(?)した歌姫との距離感というか関係を書いてみただけの話し。
ストレスなく一緒にいられるという所は共通認識。それが余計に、関係の変化に歯止めをかけていた。
それはそうとクエ楽しみ。


▼日下部 篤也 【クサカベ アツヤ】

教師仲間。乙骨らが一年の時も二年の担当だったのかな?一応そういう認識。
術式なしがメインの立ち回りになってることや、呪術界ってヤベーよな超コワーイと本音の部分でそれを共感でできる椴之根のことはいい後輩だと思ってる。


▼庵 歌姫【イオリ ウタヒメ】

学生時代の先輩後輩感覚が互いに未だ抜けてないとこがどこかある。(椴之根の"先輩"呼びのせいかもしれない)
わかっている。わかっているけれど、このままでいいとも思う。
それはそうとクエ楽しみ。


▼乙骨 優太【オッコツ ユウタ】

湯切りの練習が椴之根の精神にダメージを与えていたことを知らない。
至高のラーメンを作り出すことを目標にしてたら財布は死んだ。


▼禪院 真希【ゼンイン マキ】

歌姫さんって、椴之根さんといるとテンションおかしくなるのか?(多分関係ない)
包丁色々買ってたら料理と関係なく刃物にはまって財布は死んだ。


▼狗巻 棘【イヌマキ トゲ】

接客難しくね?って着替えてから気が付いた。
今では素潜り特級。だが遠征費で財布は死んだ。


▼パンダ【パンダ】

互いに変な気の使い方をしてるせいでその距離感なんだなーと気が付いてる。
金ないなら笹食えばいいと思ってるだろ?嫌いなんだ、笹の葉。


▼家入 硝子【イエイリ ショウコ】

なんかバイト紹介しただけでいい飯食えることになった。
やったぜ。


▼伏黒 恵【フシグロ メグミ】

ユキヒロさんいるならまぁ大丈夫だろう。いっスよ。
彼は歌姫の酒癖の悪さを知らない。


▼五条 悟【トウホウ ノ アツリョク】

なんで呼んでくんなかったの!!

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