タマモクロス、世界はそれを愛と呼ぶんだぜ 作:Avigale
やっとトレーナー課程を卒業し、中央へトレーナーとしての就任を果たした僕だったが、人生はいつも通りうまくいかない。
座学では上位だった僕も実践となれば足がすくんでしまう。
同期は既にトレーナーとしてウマ娘と契約までしている者もいるというのに、僕は何をしているのだろう。
人間、ウマ娘、コミュニケーションと言うものは文面通りのものではない。
僕は文面通りのものではないものが本当に苦手だった。
先ほどの選抜レース、1位になったウマ娘にはスカウトが殺到している。即席のメニューまでメモ帳に書いてから、あの「オグリキャップ」と契約しようとしている。
僕も彼女に向かおうととしたが、人の波に飲まれることすらできなかった。
僕はなんて情けないのだろう。ぼんやりとトレセンの校内を歩き続ける。
そもそも、僕は女性が苦手だった。女性と話すと途端に怖がってしまう癖が、中学からついてしまったのだ。
校舎の陰に差し掛かるところで、声が聞こえてきた。
どこかで聞き覚えのあるような、そんな声だった。
「なんでや……」
「なんで勝てへんのや……」
叫びかけるようなそんな声で校舎の陰にある水道で頭をずぶ濡れにしている少女がいた。
少女には耳と尻尾がついていた。
「ウチ、なんでもした! ホントになんでもやったんや!」
少女の叫びは悲痛だった。
「それなのに、ウチ、この程度なんか……?」
僕はその悲鳴ともとれるような叫びを聞いてハッとした。
彼女らは、"ウマ娘"は、間違いなく努力して、苦労して、力を振り絞って入ってきたのだ。
それなのに、自身の力をすべて使い果たしても、勝てないという現実と向き合う……
それはどれだけつらいことなのだろうか、僕は理解したつもりでしかなかったのだ。
夕日差す中、僕の影に気が付いて、少女が振り返る。
「……聞いとったんか、すまん、忘れてくれや」
彼女はそう言って頭を振り、水滴を散らす。
「忘れられないよ」
「何泣いとんねん、見せもんちゃうで、サッサと帰りや」
僕は自然と泣いてしまっていたようだ。
「悲しいよ」
「何が悲しいねん、言うてみい」
「君が勝てないことが」
「は?何やねん、同情かいな、そんなもん要らんで」
「そして、僕に君を勝たせてあげる力が無いことも悲しい」
「何言うとんねん、それはお前の力不足や……」
それを言いながら、彼女はウッとうろたえるような表情をした。
彼女自身につきつけられる最も模範的な答えも、全く同じだったからだ。
「どうしたらいいんだろう……?」
「泣いてる暇あったら、頑張りや」
「その言葉、君にも送りたいよ」
「……はぁ、ありがとさん」
その言葉を送った後、彼女は少し考え込むような素振りを見せた。
ぶつぶつと呟くような声で何かを話している。
「……オグリは今回のレースで確実にトレーナーと契約する。ってなると次に出るのは契約済のウマ娘のレースに出る」
「ってーとオグリとやり合うためには、ウチも契約せんとあかんちゅーわけか」
「どうしたの?」
「……なぁ、アンタ、うちと仮契約するつもりないか?」
「いきなりどうしたの」
僕は鼻水をズビズビすすりながら答えた。
「ウチ、オグリと戦いたいんや、せやから、ウチにもトレーナーが必要なんや」
「名前だけでええ、アンタ、ウチと仮契約してくれへん?」
「……君みたいな子に、僕は不釣り合いだよ」
「何言うとんねん、ウチみたいな着外のドアホに、ウマ娘ひとり捕まえられへんバカや、ぴったりやろ」
「そうかなぁ」と僕はティッシュで鼻水を拭いた。
「ホンマに名前だけでええ、メニュー考えんのも最低限でええ、自分でやるからな。どうや?」
彼女はニッと笑っていた。
彼女の顔を夕日が照らし、彼女の眼は光り輝いていた。
とても暖かく、そして優しい。そんな顔だった。
「わかった」
彼女は手を伸ばして、握手を求めてきた
彼女の手を優しく、しかししっかりと握り返す。
「僕はカズラ・シャダイ、カズって呼んでくれたらうれしい」
「変な名前やな、カズ」
「……そういう君はどうなの」
「ウチか?うちの名前はな!」
「人呼んで、白い稲妻。 ""タマモクロス"" や!」
タマモクロスと分かれて、(彼女が寮とは反対方向に行ったのが気になるが)自宅に戻る。
僕の瞳にはタマモクロスの笑顔と温もりが焼き付いていた。
タマモクロス、タマモクロス、タマモクロス。
彼女の声が頭の中に反響している。
明日から彼女のトレーナーになるというのに、メニューの一つも浮かんでこなかった。
僕は、それでも考えて、考えて、考えて、考えて…… 結局何も思い浮かばなかった。
ただ、タマモクロスの瞳に映った夕日の残りが、僕の脳をフィルムみたいに焼きつけていた。
……朝になってしまった。
僕は眠れずに1日を越してしまった。
彼女のことを考えていると、時間が過ぎ去ってしまうので、日中の仕事もままならなかった。
授業が終わり、練習の時間になると、タマモクロスは言い合わせた場所、つまり練習場に来てくれた。
「おいおい、目の下真っ黒やで、シャキッとせいシャキッと」
タマモクロスが僕の背中をバシッと叩く。電流が流されたかのように僕はシャピーンとしてしまう。
「アッハッハ、おもろ、びっくりしすぎやで」
その時、何かが思い浮かんだ気がした。
ちょっと見てみようと思う。
「で、今日のメニューは?」
僕はちょっと考えながら「時間かけて入念に準備体操、ウォーミングアップ、そのあと全力で走ってみて」と言った。
「お、おう、分かった、手伝ってくれや」
こう言ってはあれだけど、いつも気の抜けた僕の言葉とは違って、しかとはっきりとした口調で話したので、タマモクロスも驚いている。
入念な準備体操を終え、ウォーミングアップを済ませた後、彼女を全力で走らせた。
「勝つ、勝つ、勝つ……」
同じように練習をしている隣のウマ娘を気にかけながら走っている?
それではいけないと思った。他者に集中しすぎては、彼女自身の走りに集中できないはずだ。
……もしや、と思った。
「はぁ、はぁッ、ハァ」
タマモクロスは2500mを全力で走り切った。
「どうやった?」
僕は跳ね返すように言った。
「全然ダメだよ」
「多分だけど、君は君の走りっていうものができていないと思う」
そんなことを言うものだから、タマモクロスは頭にきたようだ。
「……なんやとコラ、仮契約やからって調子乗ってんとちゃうぞ」
「違うよ」
「多分だけど」
「なんやねん多分って!ちゃんと確証持って話せや!」
「……君は、君が走りたいように走れてないんじゃないってこと」
タマモクロスは考え込むようにアゴに手を当て、空を見上げた。
空は澄んでいて、雲一つなかった。
「……言われてみればそうや」
「うん、君の走りはレースに""支配""されている」
「レースに""支配""やて?ずいぶんな言いようやな」
「ただ""速い""だけで勝つには、あまりにもスピードが要るんだ」
「速さを、それを支配しているレースを""コントロール""して、適切なスピードを出力しないと、勝てない」
「……ふーん、なるほどなぁ」
タマモクロスは少し合点が言ったようにアゴから手を離した。
しかしその指はピッと立って僕の方を向く。
「せやかて、そんなに言うても、コントロールする方法があらんと、レースも動かん」
「ハンドルがないと車も動かんやろ?」
確かに彼女の言う通りだ。僕は"方針"は示せても"方法"は示せない。
僕の弱いところを突かれた。
「……考えてみる」
「まぁ、考えて出てくるような答えやったらええな」
タマモクロスは走り出して、他のウマ娘と並走トレーニングに向かってしまった。
さて、僕に何ができるだろう?
タマモクロスの練習を見終え、彼女は帰るようだった。
彼女を見送り、僕も帰路についた。
交差点の前で、彼女からのメッセージが届き、ふと足を止める。
その瞬間、赤信号だというのに目の前をトラックが駆け抜けていった。
足を止めなければ、今頃僕は……
そんな風にぞわりとしていると、彼女からのメッセージが追加で来た。
「明日はどないするん?」
僕は「ちゃんと考えておく」と返すと彼女からすぐに返信が来た。
「アホ。」
僕はスマホをロックして再び歩きだした。
歩いていてふと思いついた。
あんな勢いで走っていて、ドライブレコーダーは作動しないのかな?
僕の家の車のレコーダーは些細な衝撃で録画が始まり、すぐに容量がいっぱいになる。そして、それはピントが合っていないのだ。
トレセンに入ってから、徒歩通勤になり、めっきり運転することもなくなってしまったなぁと思う。
ピント?
「トレーナー室を借りたい」
僕はタマモクロスにそう告げた。
「トレーナー室やて?そんなん借りんでもええ、ウチにあるからな」
「必要なもんは持ってきいや」そうタマモクロスが言って、連れられてきたのは市内の古い古いアパートだった。
僕は信じられなかった。ここが彼女の家なのだ。
寮とは反対方向に向かう理由も、ここにあったのだ。
「ウチ、恥ずかしながら貧乏やさかい、寮には入れんかったんや」
1K、一人暮らしなら十分だろうけど、それにしても狭すぎる。
タマモクロスは部屋に入って電気をつける。
蛍光灯のひもを引っ張った瞬間、根元からプチンと切れてしまった。
「……ま、こんなこともあるやろ。で、なんやねん特別トレーニングって」
……気を取り直そう。僕は家に帰ってから、練習メニューを考えた。
教科書をひっくり返していろいろ考えてみた。
やるべきことは一つなのではないかと思った。
「それがこれか?」
「うん、これだよ」
僕はタマモクロスに原稿用紙と鉛筆を渡し、パソコンを向ける。
僕がタマモクロスにやらせるのは、""録画を見ること""だ
「多分なんだけど」
僕はまたお決まりの文句から始めてしまった。
「また多分かいな」
やはり、関西人のタマモクロスのツッコミセンスに引っかかってしまう。
「えっとね、君に必要なのは、レースの全体を見ること。これをレースの分析から学んでほしい」
「それで、作文か?国語の授業やないんやで」
「ううん、君に学んでほしいのは、レースという""文法""だよ」
僕は詳しく話す。
「レースは不定形のように見えて非常に定型に即している、これは分析すれば、どんなレースも定型に落とし込めるということだと思う」
「だから、君には類型からレースを分析し、そこからスピードを出力できるようになってほしい」
「ほーん」
タマモクロスはやる気なさげだ。
僕は昨日の夜、レースの中でも特に先行策、差しで勝利した映像を抜粋してきた。
一本目のレースを見終わった後、まずは満足するまでレースについて書かせてみた。
「出来たで」
タマモクロスが原稿用紙に書いたのは"ウォッカが勝った"。ただそれだけ。
僕はやり直しを言い渡した。
タマモクロスはレースの映像に興味がないわけではなく、それを分析し文章として出力することを苦手としているようだった。
「アンタが言いたいんは、こうガーッいうてギュゥー伸びてスカーッ!と勝てばええんやろ?」
彼女は根っからの感覚派なのだろうか?たまに彼女の言っていることが分からなくなることがある。
「ずっとカメラの映像ばっかりで飽きてくるわ、ウチ走りたいわ」
そんなことを言うタマモクロスだったが、僕はレースを見せ続けた。
「カメラかぁ」
僕はそうつぶやいたが、その通りだったのだ。
「カメラだよ! タマモクロス!」
「レースを俯瞰的にみるんだ、空から見てるみたいに!、カメラで撮ってるみたいに!」
「はぁ」とタマモクロスは息を漏らす。
「君は視野が狭くなりがちだ、勝ち馬にしか興味を持っていない」
「カメラには""クローズアップ""と""ロングショット""があるね?」
「クローズアップは物体に近づけて撮ること、ロングショットは多数の物体を遠くから含めて撮ること」
「それくらいわかるで、何が言いたいんや?」
「それをイメージするんだよ!」
「まずはレース全体をロングショットで捉えて、先頭へとフォーカスしていって、最後のクローズアップに残るんだ!」
「それができたら苦労せん!」
タマモクロスは立ち上がって反論してくる。
「苦労するんだ」
僕の頭がスンと静かになる感覚がした。
「苦労して、最も能率的に、最も効率的に苦労して、やっと勝てるんだ」
タマモクロスはなんだか怖気づいたような表情をして、うろたえている。
「ぐだぐだいうのは効率的じゃないよね?理解るよね?」
タマモクロスは畳に座る、「アンタのそういうとこ、正直怖いわぁ」
何かに怖がるようにタマモクロスはすくみあがった。
怖がらせてしまっただろうか?僕にはその自覚があまりなかった。
「でもまぁ、言いたいことは理解ったわ、だいぶな」
遠くでチャイムの音が鳴る。学園のチャイムの音だ。
「もうこんな時間か、カーッ、体動かさんと鈍るで、一緒にランニングしよや」
彼女は制服を脱ごうとする。
「……止めんのかいッ!ツッコミ入れろやそこは!」
「え、何が?」
「花の乙女がなに、人前で服脱いどんじゃい!おかしいやろそこ!」
僕は全然合点がいかなかった。
1分程度考えてふと気づいた。
「あー、そっか、女の子だもんね」
「……なんやねん、お前」
タマモクロスは少し失望したような顔をしている。
(ウチのこと女として見れてないんか……?)
タマモクロスは何かつぶやいたようだったが、僕には聞こえなかった。
僕は立ち上がって外に出る。「着替え終わったら呼んでね」そう告げた。
「一生呼ばんわ」
そう言って彼女は僕を部屋から追い出した。
軽いランニングを終えて、僕たちはまたタマモクロスの家に帰ってきた。
「ふぅ、まぁ、これくらいやろ」
そんなことを言うタマモクロスだったが、汗一つかいていない。
彼女の持つポテンシャルは間違いなく本物なのに、どうして彼女は勝てなかったのだろうか?
そんなことを考えていると、彼女は冷蔵庫に向かった。
「喉渇いたしジュース飲も」
彼女はジュースと言って冷蔵庫から何かを取り出した。冷蔵庫の電気は点いていなかった。
ベコベコの紙コップを取り出し、タマモクロスはそれを注いだ。
それは飴玉を溶かした水だった。
冷蔵庫には、それと、もやしの袋しか入っていなかった。
僕はぞっとした。
思ってみれば彼女の体格は非常に細かった。
いや、最初から分かっていたのかもしれない。
「ちょっと待ってて」
僕は急いでスーパーに行って大量に食材を買い込んだ。
彼女が勝てない理由、その一つが解明できた気がする。
「……なんやねん、これ」
「ご飯だよ」
「ちゃう、こんなに買ってきてどうすんねんってことや!」
「君は食べてないだろ!アスリートが食べなくてどうするんだ!」
僕は彼女にキッとした表情を向けてしまった。
彼女はドキッとして狼狽えた。
「……せや、ウチはまともに食っとらん」
「じゃあ、食べよう」
「食費は僕が全部工面する」
「……ええんか?」
タマモクロスは泣きそうになりながら確認してきた。
「ウチ、腹いっぱい食べてええんか?」
「いいんだよ」
彼女は泣きながら僕に抱き着いてきた。
僕は彼女よりちょっと背丈が大きかったから、ちょうど胸の位置に顔が来た。
ジャージが鼻水と涙の混ざった何かで濡れていく。
僕は彼女をゆっくり抱きしめた。
泣き止んだタマモクロスは先ほどの顔をすっかり変えて「料理やったら任しときや!」と張り切っている。
僕は彼女と、この1Kの部屋の、せまいせまいキッチンで、体をたまにぶつけながら、笑ったり、怒ったりしながら、食材を全部使って料理した。
「……出来たな」
押し入れから引っ張り出してきた大盛のカレーを見て、タマモクロスは神妙な顔つきをしていた。
「……ほんとに、全部食べてええんやな?」
あんまり慎重に聞いてくるものだから僕も少し緊張してしまう。
「どうぞ」と言った瞬間彼女のスプーンは猛スピードで動き始めた。
その瞬発力と言えば、まるで稲妻のようだった!
食事中の彼女の笑顔は、満面の笑みを言葉で表していたようだった。
僕は言葉で表したような彼女の笑顔が好きだと感じた。
「アンタも食べや!」
そう声をかけられて、僕もスプーンを動かした。
「洗い物なんて久しぶりやなぁ」
彼女はちょっと膨らんだお腹をさすり、腕をまくって洗い物をしようとする。
「僕がやるよ」
「タマモクロスの手が荒れたら可哀そうだよ」
そういうと、タマモクロスは顔を赤らめて、「じゃあやったれや!」と言ってスポンジを投げてきた。
僕がそれを顔でキャッチすると、タマモクロスは布団を敷いて横になった。
「横になってもいいけど、寝ちゃだめだよ」
僕はタマモクロスにそう言った。
「睡眠すると胃と腸の機能が低下して、消化に悪い」
「そうなんや」とタマモクロスはゴロンと転がった。
「今まで、食ったらすぐ寝とったから、分からんかったなぁ」
タマモクロスの部屋には、本当に何もなかった。
テレビも、ゲーム機も、パソコンも、何にもなかった。
暇となったら寝るしかないのだろう。
「明日、生活用品を買いに行こう」
タマモクロスはこちらに顔を向けずに、「ホンマにええんか?」
「いいよ」僕は振り返らずに答えた。
「アンタ、幸せになれへんで、人にばっかり物あげとったら」
「それでいいんだ、誰かが幸せになってさえいれば」
「バカな男やなほんま」
洗い物を終えた彼女に、「なにかしたいことある?」と聞いてみた。
「せやなぁ」
ふーむと彼女は考え込んでいる。
「あー、音楽聞きたいな、アンタの好きな曲」
「?」
「ウチ最低限のモノしかつかっとらんから音楽とか聞けんのや、聞かしてや」
「そっか」と僕は呟き、ウマチューブのランダム再生を試した。
僕は何か特に好きな音楽があるわけではないから、そうするのが一番だった。
流れてきたのは「愛してる愛してほしい」
サンボマスターというバンドの曲だった。
僕は、この曲を聞いたことがなかった。
僕には、バンドの彼らが全力で演奏し、気持ちを伝えようとする姿に、少しだけ勇気づけられた。
僕はタマモクロスの事を信じているし、タマモクロスにも、僕のことを信じてほしいと思った。
「ええ曲やな」とタマモクロスも呟いた。
彼女と聞けて良かったと思う。
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