怪物は謳う。皇帝の神威を讃えるように。
強者たちは、不純物を排除した純然たる闘争に酔い痴れる。
マルゼンスキーがシンボリルドルフへバースデープレゼントをサプライズするお話。
※直接ではないもののルドマルルド要素あり
「それじゃ改めて。かんぱーい♪」
「乾杯」
シンボリルドルフ、二十歳のバースデー。
美しい夜景の見えるレストランで、二人のウマ娘が静かにグラスを重ね合わせた。食後に運ばれてきた年代物のワインが注がれた杯は、乾いた音を立てて祝福とした。
「このレストラン、いいでしょ?料理は勿論、この夜景が本当に絶品なの!」
「全くだ。随分と近くにこんな素晴らしいものがあったことに気付けないとは、私もまだまだ視野狭窄だな」
「でも光栄だわ。てっきりあなたはそっちのトレーナー君と夜を過ごすものと思ってたけど」
「なに、気にすることはないさ。トレーナー君には日付が変わったその瞬間に祝ってもらった」
「……なーるほど」
幸せものめー、というからかうような声をルドルフは気安く受け流す。二人は血のように赤く水晶のように透き通るワインを口に含み、全身へ染み渡らせるようにして飲み込んでいく。そして互いの顔を見つめ、小さく笑った。
「嬉しいわ、ルドルフ。あなたの大切な日の最後の時間をあたしにくれるなんて」
「何を言う。礼を言うのは私の方だよマルゼンスキー。今日は本当に、大勢のウマ娘たちに祝ってもらったよ」
「そうよねぇ。だからね、あたしからもとびっきりのプレゼントをサプライズしちゃいたいと思って」
「…このレストランでのディナーがプレゼントではなく?」
「いやねぇルドルフ。まだまだ夜は長いのよ?」
ルドルフが手元の腕時計に視線だけを落とせば、時刻は20時を過ぎたばかりだった。
「もうターフは取ってあるんだけど。なんちゃって」
悪戯を仕掛ける童女のように、或いは人を誑かす悪魔のように。
マルゼンスキーは、にっこりと笑いながら告げた。
◇
ヘイタクシー!と勢いよく手を振りマルゼンスキーがタクシーを止める。二人して乗り込むと、マルゼンスキーは一枚のメモを運転手へと手渡した。
「ここまでいいかしら?」
「…承知しました」
運転手は静かに車を走らせる。最初の信号で停止した時、老紳士はそっと口を開いた。
「失礼でなければ良いのですが…貴女がたは、もしやマルゼンスキーさんとシンボリルドルフさんでしょうか?」
「おや…」
「正解! やっぱり有名なのね、私たち」
「ご謙遜を。かの『怪物』と『皇帝』の偉業の数々、知らない者の方が珍しいでしょう」
他愛もない話を繰り広げつつ、タクシーは走り続けること二十分。ようやく目的地についてタクシーは停車し、扉が開かれる。
「目的地はこちらになります。では、良い夜を」
「ありがと!さ、いくわよルドルフ!」
「ああ。だがマルゼンスキー、ここは…」
二人の目の前に広がるのは、とあるレース場。
だが今はレースを開催するような時期ではないし、何よりこんな夜中にレースがあるなどと聞いたことがない。訝しげな視線をマルゼンスキーへ向ければ、彼女はにっこりと微笑んでとんでもないことを言い出した。
「貸し切っちゃった」
「…は?」
「せっかくあなたのバースデー、しかも二十歳の誕生日なんだから特別なものを渡したいじゃない?」
何故?と問う暇もなかった。マルゼンスキーに引っ張られ、あれよあれよとシンボリルドルフはレース場の中へ連れられていく。どこで拾ったのか、或いは元から置いておいたのか、いつの間にかマルゼンスキーの手には真っ赤なスーツケースがあった。中身は二人の足にピッタリ合うように調整された、蹄鉄。
今の服装は、走ることに適した装いではない。だが、それでもこの誘惑を跳ね除けることはできなかった。
「……マルゼンスキー、君は」
「ここにいるのはあたしとあなたの二人だけ。二人だけの夜、二人だけのターフ。二人だけのレースよ」
レース、という単語でルドルフの背筋を稲妻が駆け抜ける。ウマ娘としての本能が求める、脳髄を焼く言葉。
「私、マルゼンスキーは今夜」
対等な視線。
『怪物』は、『皇帝』を真正面から見据えた。
宣誓であり宣戦布告の言葉を怪物は抜き放つ。
「あなただけの為に走るわ。シンボリルドルフ」
理性の全てが焼き切れる音が聞こえた。
沸沸と湧き上がるこの感情は、果たして歓喜か。或いは。
ああ、きっと自分は今ひどい顔をしている。我欲と本能に飲まれた獣のように顔を歪めている。けれど今のシンボリルドルフには、不思議と一欠片の自己嫌悪もありはしない。誰もが羨む『怪物』を独り占めできるなど、いくら金を積んだところで手に入ることのない至上の財宝に違いない。
胸中を埋め尽くす感情に明確な名前を与えられぬまま、ルドルフは獰猛に微笑む。
「…そうだな。では、私だけの為に走ってくれ。マルゼンスキー」
「いいカオするじゃない。滾っちゃうわ」
そう囁くマルゼンスキーの瞳もまた、粘ついた執着の色に染められていた。
皇帝が怪物を独占すると同時に、怪物もまた皇帝の視線を一身に浴びることになる。
威光と共に皇帝の刃が怪物を討ち取るか。
万象を喰らう怪物が皇帝の神威を剥ぎ取るか。
これは観客も、他のウマ娘も、トレーナーすらも介在しようのない二人だけの戦いだった。
──もっとも。あらゆる枷を取り払われた今、そこにいるのは二匹のけだものに過ぎず。
常に畏敬と共に語られる二人のウマ娘は、極上の闘争を前にただ歓喜していた。本能を覆う何もかもを脱ぎ捨てて、皇帝は怪物と踊る。怪物はそれに応えるように、優雅に顎門を開いてみせる。
類稀なる二人の強者は、同時にこう思った。
嗚呼、これではどちらが怪物か分かりやしない。
◇
当然ながら公式試合ではないレースに、「もう一回」は無制限である。
「あーーーー楽しい!なんにも気にせず走るって気持ち良いわねー!」
バシャバシャと持ち込んだペットボトルの中身を頭から浴びるマルゼンスキー。はしたない、などと指摘するような気分ではない。ルドルフもまた、手元にあるボトルの残りを頭から浴びた。これまでやったことは一度もなかったが、なるほどこれは存外気持ち良い。
だが生憎と、この程度では火照りが全く引きそうにない。
何度走っただろう。何度コーナーを曲がり、何度最終直線を駆け抜けただろう。これまで幾度となく走ったレースとは何もかも違う今の感覚が、麻薬のようにルドルフへと浸透していく。
「満足してるところ悪いけど、まだまだ終わりじゃないわよ?」
「む」
「貸し切りって言ったでしょう?夜は長いのよ」
「…ははっ、なるほど」
狂気すら滲ませて、二人は気が済むまで走り続けるだろう。ウマ娘という生き物は、いくつになっても走ることが大好きだから。そうせずにはいられない魂の持ち主だから。
結局、皇帝と怪物は朝日が昇るまで遊び続け──芝と汗と泥に塗れて、仲良くまたタクシーに乗ったのだった。