SAO_Another【Hero Alternative】   作:かてん

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ハーメルンでは初めて投稿させていただきます。
基本的に、三話で文庫本一冊くらいの内容で書きます。

文字で起こせないような”設定イラスト等々”は、Pixivに上げるつもりです。

原作改変ではありますが、アンチ・ヘイト作品ではありません。
10年前から煮詰めに煮詰めていますので、そういった方向性はまったくないです。
『SAOのサチ生存ルートスピンオフ』として、お楽しみください。

……まぁ、オリキャラはひどい目にあいますが…。
イブキ(希望CV:谷山紀章 様…で、、お願いします!)




001_邂逅・前編

[stage...Last]

 

 ヒーロー【hero】

勇士、英雄、勇者として人々の羨望を集めるもの。

正義を示し、平和のために戦い、励み、人々に安寧を与えるもの。

あるいは物語の中、"主人公"と言う意味も持つ。

 それは、幾たびの苦悩を味わおうとも決して折れぬ心を持ち、果敢に苦難に立ち向かう者。

立ち向かおうとする者。

怨みを撒き散らしながらではなく。

罪に苛まれることもなく。

人であることを、捨てることもない。

 そんなものはヒーローなどと呼べるはずもない。

それゆえ、この物語にヒーローはいない。

 これは青年が、そのどちらの意味にも成れず、化け物なりて死を選んだ話。

取るに足らない端役の死に際。

 ヒーローになれなかった、ヒーローの代わりの物語だ。

「後悔しかないが…なるほど。これが俺の役目か…」

 

 

 鐘の焉り響く夕暮れの街。

四角く切り取られた石で作られた建物や街道の街。青銅にも似た石色がこの街の主な印象、主な色であった。

 今は、夕暮れがそれらを赤く染め、輝かせ、大勢の人間の声が木霊している。

歓喜を叫ぶ声。歓声を擧げる人々。

 皆、終りを告げる鐘に誘われ、街の中央に集ったのだ。

幻想的でありながらも、その実は大量の死を内包した恐怖の世界の終わりに…。

 正確に言うならば、終わりを告げたのは声であった。

世界中に余すところなく響き渡った声。

『十一月七日、14時55分。ゲームはクリアされました』

数度、繰り返されたそれを、聞き逃す者はいなかったであろう。

いや、例え一回きりだったとて、この事実はすぐ広がったはずだ。

「終わった…のか…」

「やったんだ…ははは…!誰かがやってくれたんだ!」

「終わった!終わるぞ!みんな終わるぞ!みんなぁ、この世界から解放されるんだぁ!」

 繰り返させる布告に加え、誰かが布告の内容を繰り返し、これに歓喜した者が新たに加わり大衆へ告げる。

 そしてより多くへと伝えるために街の教会や塔などに設置させた鐘を鳴らすものが現れた。

うれしくて、という理由ももちろんあるだろう。

そうやって様々な鐘の音が、街中に響き渡る。

ガラーン、ガラーンと、

「”エスエーオー”が終わったぞおお!みんな元の世界に帰れるんだああ!」

歓声とともに。

 街中央に募った人々は、泣き、笑い、踊り、様々な形ではあったが、そのすべてが一様に喜びを表現していた。

 

―――一つの例外を除き。

 

 中央から外れた場所。夕暮れの光が影を落とす場所があった。

天空に浮かぶような街の、中央から端へ向かって歩き、いくつかの階段を下った細い小道。

 小道はこの街の一番、外周に位置する。小道と言えども、まるで城の中の長いテラスのようなもので、街と同じ石で作られた手すりの向こうには茜色に染まる空が広がっている。

手すりから頭を出せば、真下に向かっても茜空が続いているのがわかる。

ゆえ、手すりというよりは、低い外壁と表すほうが近い。高さは、成人男性の胸下あたり。

 その手すりの上に立ち、眼前、眼下に見える虚空へ、臨む青年がいた。

 傍らには一振りの曲刀が石畳に放棄されている。半円を描くほどに刀身が反った釼だ。

それは、青年にとってのシンボルの一つであったが曲刀。が、今や無用の長物。

 柔らかな笑みを湛えた彼。

しかし階段上、中央広場の人々とは対照的なほどに、暗く、冷たく。そして、哀しい。

 そして一歩。

空虚へ踏み出し、体は落ちてゆく。

 青年の存在全てが、意味を失う。

積み続けた研鑽も。鍛え続けた武具も。納めた技も。得た称号も。

 青年は落ちてゆく。

暮れの空の中、茜色の光の中。風に溺れ、空を抱き、薄雲も通り過ぎ。

青年は堕ちてゆく。 

 次第に、柔和な哀しい笑みは崩れていき、ただ一つの感情をぶちまけながら、たった一人で死に向かう。

体は自由落下の最中、緩やかに、止水に漂う木の葉のように向きを変えて。

やがて、数分と待たずに彼は光と成りて。

終に、何もかもが消えた。

 不意に振り返った彼女でさえも、青年の死を見ることはなかった。

誰にも気付かれることのないまま。

誰にも看取られることのないまま。

なにもかも、残らなかった。

「イブキ…?」

 全ては、夕暮れの空から消え散った。

 

 

 


 

 

 

[stage...1]

 

 日暮れ。

傾き落ちた太陽が茜色の光を広げ、景色に赤の彩を加える。

流れる川は朱色に輝き、地に混じる岩は丹色を帯び、苔や草木の葉は緋色を纏う。

それらすべてを抱く草原は、すべて赤い陽光を得た澄明に包まれていた。

 そこに動く二つの群も例外ではない。

「いづッ!?」

「おいテツオ!あんま前に出んナ、死ぬゾ!」

 岩は遠く、川も遠く。丘もくぼみすらない完全な平地。

男女から成る六人組の若者は、一種類の怪物に囲まれていた。

 怪物は緑の肌を持ち、小柄で原始的な武器を握る。頭には【ゴブリン】という化け物の名を示すプレートが掲げられていた。

囲むゴブリンの群は十数体に対し、囲まれた人の群は僅か六人。

二倍以上の数と、遮蔽物がなにもない開けた場所での包囲という不利な状況を強いられている。

 壁があるなら背水の陣が組める。攻めの向きを、たった一つに定めさせれるため、防ぐことが得意な者が前に出れば、陣形が崩れる事はない。

木々があるなら盾にできる。巨木を挟めれば、障害物として撹乱し、逃げることも容易。

 しかし、六人組の彼らは中央に固まり、お互いに背を預ける形に成らざるを得なかった。

 四方八方から攻め立てられ、それでも武器を振るい敵との間隔を保つ。

HPの減少。精神力の磨耗。

 幸い、脱落者はまだいないが、それは時間の問題であり、擂り潰されていくように現状は悪化してゆく。

「おいみんな、回復アイテムは?」

背の高い短髪の青年。この中のリーダーであるケイタが手にした槍で敵を突いた後、そう問いながら回復ポーションを飲み干し、ボルドーの服の袖で口を拭った。

 彼にとってそれが最後。残り一個の回復アイテムだ。

「中ポーションが1個だけ」

「拾った薬草が2つだけだナ」

「無い、オレは」

「一つあるけど小ポーションだねー」

「私もそれくらいしかないよ…」

 このダンジョンへ来たのは朝。今、太陽は頭の上を通り過ぎた場所にいる。

彼らは”狩り”をした帰りであり、回復薬等の携行品は現在それぞれが言った通り。ジリ貧もいいところだ。

まさに絶望。そこにいた者、例外なく生きた心地がしない。まさしく死地そのものである。

ポーション。回復薬。草原。槍。ゴブリン。

 今、彼らが行っているのは、戦いであれ、ゲームである。

 コンピュータで作られた仮想の世界。足で踏む大地は仮想世界に作られた天空に浮かび聳える鋼鉄の城の中だ。

全百階層。この総ては、人によって作られたものだ。

すべてを覆う茜に澄んだ大空も。生い茂りすべてを飲み込まんばかりの広大な自然も。

目の前にいる怪物も。

傷つく自分の肉体もさえも。

すべて作り物。紛い物である。

 化け物は殺しても、目の前から消えるだけであり、仮想世界にいる全体的な総数は変わらない。減った分だけ自然と増える。すべてに限った話ではないが、また新しい個体が生み出される。

怪我を負っても、負わされても、痛みはなく。体に負った傷は数秒後には消え、体が欠損したとしても専用のアイテムや回復で修復ができる。

 

 だが、死だけは本物だった。

 

 なぜか。

問われれば 五か月前まで振り返ることとなる。

 ソード・アート・オンライン。。この世界の名称であり、このゲームに名称でもある。

単語の頭文字を取り、通称『SAO』と呼ばれていた。

 このSAOを開発した茅場 晶彦という人物がいる。

SAOにおいては創造主に等しい。

 その創造主から、プレイヤー全員へ通達があった。

内容はこうだ。

『この世界で死んだら、現実の世界でも死ぬ。ログアウトはできない。解放条件はSAOのクリア』

イベントだと吐き捨てる者もいた。

馬鹿らしいと踏みつける者もいた。

 だが多くの人々はゲームウィンドウから『ログアウト』の項目が消えていることや、ゲーム内の姿が自分が作り出したアバターから、現実に存在している本当の自分の姿に変わってしまったことなどから、ある種の洗脳を受けたかのように彼の言葉が真であることを感じた。

 ご丁寧に、死んだ際にどう死ぬのかも説明があった。

仮想世界SAOに入るため使う装置――ナーブギア。

ナーブギアはヘルメットを模し、使い方は察せられる通り頭に被り、起動させる。

死亡の判定が出た際、このナーブギアから高出力の電磁パルスを流し、脳を破壊する。

こうした原理によりSAOにて死ねば、現実での自分も死ぬようにされている。

否、死ねば殺すように作られている。

 この世界から逃げ出すことはできない。

「――」

 記憶をなぞる、この世界の死を思い返しながら、一人の少年がゆっくりとした深い呼吸を行う。

片手でも攻撃が行えるように、左手一本で携える大刀は、自然と中心を超えやや短めに持ち、脇に挟んで刃を持ち上げる。

灰色の服越しに胸を掴み、何度か息を息を吐いて自分を落ち着かせる。

 そうする必要があったからだ。

今は存在しない心臓を抑えつけるように。恐怖を抑えつけるように。

 いや違う。”ように”ではない。確かに”そうしていた”のだ。

今は存在しない心臓を抑えつけ。恐怖を抑えつけ。

 短く、浅く、不規則に繰り返されていた呼吸は小刻みに繰り返され…。

そして段階的に、徐々に徐々に、長く深いものへと強制的に変化させていく。

ただ、その変化は焦るように速い。

 彼の心に、一つの覚悟が生まれることに比例して……。

「上等…」

 少年は顔を歪ませ笑みを作った。

引き攣っていたかもしれない。怯えを無理やり抑えた不細工な笑みかもしれない。

自分でも笑顔がぎこちないのはわかっていた。

――ギャギャギャギャギャギャ! ッギブ!?

 だが一瞬、頭によぎった弱みは、襲い掛かってきたゴブリンを大刀で突き飛ばすことと共に消した。

突いた大刀を引き、彼は構えを改める。低くしていた身体を持ち上げ。大きく前へ開いた足を肩幅程度に正し。倒していた大刀を立てた。

 黒い髪、灰色の服に身を収める少年――イブキは、真紅の瞳を鋭く細めて敵を見据える。

「何か勝算があるのか?」

 隣で槍を握るケイタは彼に訊いた。

彼も彼で、今しがた目の前まで盾を構えて迫ったゴブリンへ二撃ほどお見舞いしたところだ。

足を突き、前屈みに身を伏して見せた頭を貫き、HPが0になったゴブリンの体は輝きだし真っ白になると、ガラスのように砕けた。

これがこの世界の死である。

 疑問を口にしたのは、ゴブリンが砕け、完全に死亡が確認された時である。

厳しい表情を浮かべているが、イブキの笑みに表に出さない期待を抱いたはずだ。

 だが、イブキの笑みは、

「あぁ…」

覚悟を決めた死の笑みだった。

「オレが突攻して包囲を崩す…。お前らはそこを一気に突破しろ」

「っな!?」

 大刀を持ち上げ大上段まで持ち上げて、イブキは再び笑った。

人間覚悟ができると笑えてくるモンだなと、喜びも嬉しさも含まない笑みを零す。

「オイッ!お前は死ぬ気か?!」

「一人の犠牲で五人は助かる…良い話だと思うけんねぇ?」

 彼は戯けるような口調だが、その提案は冷たく凍えるほど冷徹なもの。顔は動かさず、視線だけで隣のケイタを一瞥する。その時もイブキは笑っていた。

「ふざけるなよ、おい…!」

 だがそんな彼をギルド『月夜の黒猫団』団長であるケイタは許さない。

団長である彼は犠牲を許さない。怒気を孕んだ声は静かに、諭すために使われる。

「六人で生き延びるんだろ。いつもの日常を取り戻すンだよ…お前がいなきゃ『いつもの』じゃないだろ、おい…!」

 顔は敵を向きつつ、だが最後には我慢の臨界が崩壊し、僅かに顔面をイブキのほうへ傾けた。彼にしては珍しい皺の寄った眼光にて犠牲を言い出す者を突き指す。

声を荒げることはなかったが、それでも低く喉を鳴らす獣のような怖気は感じられる。威圧する声色だ。

 とはいえ、イブキの笑みはケイタの言葉が終わるまでは保たれていた。

そして言葉が終わりに、笑みのまま小さく舌打ちをしたイブキはその舌打ちをきっかけにと、笑みは曇り、表情に厳しさが表れて行く。

それでも厳たる目は依然として敵へと注がれる。

 団長たる彼が仲間を大切にすることはよく知っていた。彼はSAOに来る以前からこういう気質である。

悪いことではないうえ、ケイタのその優しさはイブキ自身も嫌いではない。美徳だとすら感じている。

 心の中でイブキは笑った。死の覚悟ではない、もっと優しいものが一度だけ口の端に見え、唇に隠した歯の喰い縛りを緩めさせる。

誇らしい気持ちではあるが、この状況でそれは甘さとなって危険を促す。

 喰い縛った歯を見せ、息を吸い込み、荒げた声を作る。

「そうでもしなきゃ助からねぇだろうがッ!」

それを踏ん切りとして、決意として、

(今だ…!)

心ではなく、脳の本能的な選択が脊髄に達し、足を一歩前に出ようと身が振った。

 まず上体が傾き、顔面が先に前へ進む。

「うッッせぇぞ、オイ!この馬鹿野郎がッ!!」

 そこへ狙い澄ましたタイミングで肘鉄が彼の頬に突き刺さり、怒声は意識を激しく打つ。

「ッぐえ!?ええ!?」

 足が止まった。

肘鉄にダメージはない。もとより無手での攻撃は、スキル等を使わなければ、ほとんどの場合ダメージ『0』だ。

そして今、イブキは一度も手を上げたられたことのない、上げたところもみたことないケイタに初めて”手を上げられ”た。しかも肘鉄。しかも体重はちゃんと乗っかっている。

「ば、ばかやろう?!」

逆に声を張り返された衝撃も相まって思考は完全に真っ白にクリーンアップ。

 思い描いていた思惑は…。

自分が出せるだけの怒声を上げて、ケイタが呆気に取られてる間に駆け出そうとしたが…。

その実、呆気にとられたのはイブキのほうであった。

 ケイタは仲間内で悪さをした連中には呆れた顔で「おい、馬鹿」と告げたのち、説教したりすることはあったが…。

 彼から、頭ごなしに怒鳴られることはなかった。ましてや殴りつけるにも等しいような暴言を当てられたことはない。

今のように。

実際に殴られることも、蹴られることもなかった。

「絶対に一人として欠けさせてたまるかよォ、オイ!」

 怒声を怒声で返した彼は自身の武器を構え直す。

「あ、あの…口癖の”おい”が、いつもより乱暴なんですが…」

「うるせえ、馬鹿が!」

 イブキへの訴えはもはや独白へと変わり、

「生きて帰る。全員で帰るんだ…!」

彼の意気に飲まれかけていた。足も止まり、思考は真っ白になったところから完全にストップ。

本来の”こうしたかった”という理想はそこには無く、現実は真反対に動く。

 現実の世界において、ここまで強く当たるケイタは見たことないからなおさら慄く。

我に返り、敵をよそに反論のための口を開いても、

「あ…えぁ…。だ、だけどな……その…あっ、あれだ!…ど、どれだ…?」

尻込みだ。

 次の言葉を探している間に、

「どうした、どうした?自己犠牲発言したのか、またイブキが?」

言い争い…というか、途中から半ば説教に発展したケイタとイブキへ茶々が入った。

 二人の会話……というより、二人の叫び合いを聞き、特徴である細目を僅かに開けたテツオが会話に割って入る。ハンマーを盾と一緒に持ち、紫のインナーの襟首を直して。

 夕暮れ時の、騒音など無縁の草原にはさぞ声は通りやすかったであろう。それに背を合わせるほど至近距離にもいる。

「ニッハッハ、いい加減聞き飽きたナー。なッ、ササマル」

 テツオに続いて会話に参加したのは、黄色のニット帽をかぶり、ナイフを構えたダッカー。

「まったくだよ、ダッカー。イブキくんには困ったもんだねー」

その彼に話を振られ、ズレた帽子を後ろへ戻したササマル。彼も横槍入れに参加した。

 それを聞いてイブキが、呆れて息を吐く。

注意深く聞き、注意深く見ればわかる。声も身体も震え、強がる笑みは無理やり作ったために、とても深く、自然体とはかけ離れている。

精一杯の強がりだ。

二人の掛け合いが聞こえているならば、本当はイブキの案に縋りたいはずだ。人間とはそういうものだ。

 生きたい、という感情は強いはず。それが本能というものだ。

逃げ出したいはずだ。

叫び出したいはずだ。

助かりたいはずだ。

生きたい…生きていたいはずだ。

「……お人好しどもめ…」

 一度意識を目の前に戻す。ため息を吐き、直後に襲ってきたゴブリンへあてつけるような一撃を相手の頭蓋に振り下ろした。

だがその態度とは…口に出た悪態とは裏腹に、嫌味を零す彼の口元では少しばかりの笑みが見える。

目じりに、因却を露わに歪ませるものの、胸中にある彼らへの信頼が口を綻ばせる。

「死にたいんならねー。せめてあと五十年くらい生きてからにしなよー」

「なんだ、ササマル?人を自殺志願者みたいに言いやがって―――ん?」

 言われっぱなしも癪に障るので何か言い返してやろうとしたが、不意に腕を握られたイブキはそれに伴い意識も引っ張られた。

振り返ってみると、パーティの紅一点であるサチが、肩を震わせていた。

 そのことに「あ…」と心で呟く。

自分がさっさと駆け出さなかったことを嘆いた。

後から思えば、一番危惧しなければならない事柄だたかもしれない。

「だめ…死んだらダメだよ…。ここで死ぬと……現実でも、死んじゃう……!」

 綺麗な藍色の髪が、彼女の目を隠す。

が、それでもわかる。彼女が泣いていることに。

どうやらテツオの発言を真に受けたらしい。もしくは、ケイタとイブキの会話を聞いていたのか。

 弱く震えた手は何度も衣服を手繰り、瞳に満たす感情に堪えるも、所々言葉を詰まらせる。それでも彼女の一言一言に引き留めるための強さを感じる。

それ以上の優しさも。

 一言一言は引き留められた彼の胸の奥に深く突き刺さり、足を凍てつかせていった。

自分が死ねば。

自分が犠牲になれば。

などという言葉は、冗談であってもサチはこの類の発言を嫌う。

 彼女は臆病であり、だから人の死を嫌う。

この世界に来てから、死への拒絶はより一層強くなった。

だからイブキは早々に駆けだす必要があったのだ。

「無茶したらダメだよ。精一杯、生きようよぉ…」

最後についに零れてしまった涙で濡れた顔を上げて、みっともなくとも、それでも力強く彼女は力強く言い切ろうとした。

結果的には失敗し、懇願する形にはなったが、

(…サチ)

イブキを止めるには十分だった。

 こうなったらもう駄目だ。死のうとする気なんざ、さらさら起きない。

さっきした覚悟も、抱いた嘆きも、何もかも消えた。

 ただ申し訳なく眉を歪め、後悔を表した眼差しで、ただサチを見つめる。

「お、オレは…」

罪悪と万謝に心を焦げてゆく途中、彼女の手に触れようとして、

「あーあーイブキがサチ泣かしター。オレっちは知らねーヨー?」

心臓が跳ねた。何だったら口から飛び出した気持ちで。仮想世界だからあるはずがないのだが…。

少し赤くなりながらも頭を振り、眉間にシワを寄せ、首を振ってサチから顔ごと視線を逸らす。

 声の主は今カラカラ笑ってるダッカーだった。しんみりした空気をぶち壊してくれた。

ついでにイブキの尊厳も壊された。パカーンと。

その本人は、ムキーッ!と別の理由で赤く茹で上がっているが、内心は、

(武器落とさなくてよかったぁ…)

とか、思っている。

「ケッケッケ。死地ですよここは。イブキくん?」

「いいんじゃないのー?これでイブキくんは飛び出させなくなったしねー」

 テツオはともかく、ササマルまでいじくる始末。

「キィィ!うるさ――あぁ…」

 茶化された彼は諦めたように…いや、明確に反論するのを諦め、うんざりした顔に左手を当てた。気恥ずかしそうに。

反論しようとしたが、事実である。

事実なんだよなぁ…と、思えば思うほどそう思う。ドツボに嵌ってゆく。

「なんだ…。まーそうだなぁ―――ん!?」

――――ギギイイイイイイィイィイイイイイィイイ!!

 ゴブリンの一体が棍棒を振って仕掛けてきた。

見えたのは向き合ったサチの向こう側。彼女の背を襲いに行く形。

「ケイタ、背中頼む」

「応」

 小脇に抱えた大刀は外側を、つまりイブキ後方の敵側に向けていた。

ちょうどいいとばかりに、抱えた柄を滑らせ、長く持った大刀をしっかり持ち直した後。脇と手のスナップにて、テコを利用し振り上げる。

振り上がった刃はさらに弧を描き、

「しっつれーぇ?」

「あ。」

同時。サチに捕まれていた腕を引き、彼女を自分へ寄せて攻撃の道を作る。掴まれた腕事態も、下から抱えるか、包むようにして彼女を導き、庇う。

 真上。

時計で言えば十二時まで振り上がった大刀は、そのままサチの後方へと振り下ろす。

刃…というよりは、鍔を使った打撃だ。一番大きく太い個所をゴブリンの頭に叩きつけてやった。

脳天直撃した打撃はゴブリンの首を方へめり込ませた。

たたらを踏んだゴブリンは前へよろけ、

「うリャッ!」

トドメはダッカーが、逆手持ちした刃を胸に突き立て、終わらせた。

「なんだ…。そう言われると―――」

「覚悟が揺らぐか、おい?」

 言葉を取られた。

不敵に笑んだケイタを、彼は一瞬だけ不意に恨めしげな視線をくれてやる。

どうやら怒りが静まったらしいく、口調は落ち着いた雰囲気の、いつものケイタのものだ。

 それに安堵しなかったといえば嘘をつくことになるが、揶揄われたことにイブキの左右の眉は不満ありありと寄る。

 バツが悪そうに舌打ちをしてやった後に、

「ありがとな…」

「!…。うん…」

自分の腕の中にいる彼女へ短い礼を告げた。

 まだ掴まれている腕をゆっくり下げる。手を離してもらうために緩く誘導する。

 子供からぬいぐるみでも預かるように、彼女に手は僅かに掴んだ腕を追ったが、やがてスルリと解放した。

イブキはなるべく穏やかな顔を作り、表情で「もうしない」ことを訴える。

「よっ」という掛け声一つで再び振り上げた大刀を、振り返りつつ振り下し、元の配置に戻った。

ケイタの隣、サチの背後に。

 すると途中から、

「にひひ」

半眼に口角を上げたイタズラっぽい笑みに変えた。余裕綽々と言い張るような笑みだ。

 敵からしたらその笑みは不敵にして不気味だったかもしれない。

感情のないプログラムであるため、大した感情はないが…。

「まぁ、なんだ。他ならぬウチのお姫様からのお願いごとだ、聞いてやらなきゃな、ケラケラGYAHAHA」

顔は相変わらずへらへらしている。

 彼の顔つきは、強面なほうではある。

黙っていれば、さぞクールでドライな人間に見えるだろう。

だが彼は結構、お調子者だ。

「女の子の味方だねぇ、さすがイブキくん」

 盾で攻撃を弾き、ゴブリンの脳天にハンマーを食らわせたテツオはイブキを茶化す。

「なんだ悪友。その女タラシみたいな言い方はやめてくれませんかねー?」

 イブキをからかうのはいつもテツオの仕事だ。

こちらを見ないまま、彼は目じりを持ち上げ、ニヤけて、

「事実。いつも やさしいだろ、女の子には。この女ったらしめ!」

「な、ん、だ、と、テツオ!テメーだって女子の前では若干、斜に構えてるくせに!」

「してねえよオレは!お前ほんと顔怖いのに馬鹿だよな!」

「怖くないです~!いっつもヘラヘラしてるから緩和されてるってサチ含めた女子グループに言われました~」

「それ単に馬鹿にされてるだけだろ、女子専用パシリ!」

今。後ろのほうで「ば、馬鹿にしてないよ!?」と抗議の声が上がった。

ただ聞こえてなかった。

「なんだテツオ、てめぇ!オメェだって似たような立ち位置だろうが!家庭科で材料少なかった時、誰と材料買いに走ったか忘れたか!」

「うるさイうるさイうるさイ!緊張感のない奴らダ、頭叩けば治るカ!」

「同情してやればいいんじゃないかねー?」

「るっさい!(イブキ)」「うっさいわ!(テツオ)」

 二人は怒っていたが、敵に囲まれてる中でも仲間に小さなと笑いが起きた。

悪友二人にも、顔だけ互いの顔をチラリ一瞥したのちに、敵を臨みながらも口が笑みに緩んだ。

 とはいえ、恐怖はまだ付いて回る。それでも、虚勢と言えども、気休めと言えども、奮い立つには十分な事だ。

「むぁったく…。囲まれてるっていうの―――」

 と、ここで。

「―――に?」

敵の方を向き直し、武器を構え直したイブキが一瞬だけ視界に黒い”なにか”を見た。

「なんだ…今。…影?」

人の形をしていた気がしたが、それすらも捉え切れてない。

 それがなんだったか考える間も、疑問を拭う間も無く、次の刹那。

 

――――パキィン…!

 

眼前に犇めき合い、取り囲んでいたゴブリンの数体が光となり割れ、散っていった。

「なんだ!?」

 突然の出来事に、イブキは不意に驚愕を声で表し。

ほかの仲間もその光景と事象に気づき、驚きを隠せなず構えすら忘れ、警戒すら解いて目の前の現実にただ呆けるだけ。

「ん?」

 まるで桜吹雪の如く舞うゴブリン“だった”ものの青い破片、死亡のエフェクトが舞う中に視界に移った黒の正体を見つけた。

 それは人だった。

黒いコートを着た少年。おそらく、直前にイブキが目にした影の正体だ。

黒衣の少年による強襲はゴブリンの群れを蹴散らし、包囲の一角が崩れた。

 敵も慌てて反撃しようにも、黒衣の少年はあまりに素早く、粗末な武器を振り切る前に黒い剣の一刀に…そう、たった一刀に小鬼どもはいともたやすく斬り殺されてゆく。

 少年の剣の所作は見事なもので、片手剣一本だというのに、その攻撃は『苛烈』の二文字を具現化したように激しい。

隙をついて攻撃しようものなら、

―――ギャアアァァアアアアアアッ!!……ッガ、ギ!?

突きか薙ぎ払いにて攻撃を潰し、返す剣で殺す。

猛攻を基本とした剣は、しかし雪崩や荒波に似た力強さは印象に無く。あまりに正しく、スマートに切り結ぶ剣は、吹き抜けてゆく一陣の疾風に近い。

質実剛健にして―――否。質実剛健ゆえにみられる優美な様だ。

 目まぐるしく変わる現実への戸惑いは、徐々に黒衣の少年が魅せる剣への憧れに取って代わっていた。

「大丈夫か、君達!」

 包囲の一角に立ちふさがる最後のゴブリンを切り結び、少年は叫ぶ。

剣にて道を開いた彼が、ゴブリンを掻い潜って黒猫団団員達まで駆け寄ってきた。

 しかし、あまりの突拍子もない出来事にその場にいた全員、返事を返すものはいない。

即座に返事を返すことができなかった。

「敵が囲み直さないうちに街へ戻るぞ、急げ!」

「あっ、あぁ!…行くぞ!!おい、みんな走れ!」

 最初に我に返ったのはケイタだ。

団長であるが故か、一番初めに我に返った彼は他のメンバーを奮い立たせる。

 その声で全員は気を取り戻し、残りのゴブリンをけん制しつつ、街へと引き返していった。

 

 

 


 

 

 

[stage...2]

 

 SAO第十一層に、『タフト』と主街区がある。

 ギルド『月夜の黒猫団』が拠点にしている宿屋がある。名前を『グラスランナー』。

二階と三階を宿屋として部屋を貸し、一階に飯屋を営んでいる。さすが、盃(グラス)が走る(ランナー)だけに、店の自慢は豊富な種類のドリンクだ。中にいる客が持つグラスのほとんどは違う飲み物で満たされている。

 客は一様に喉を潤し、飯を掻っ込み、談笑に華を咲かせていた。酒のせいで剣呑な雰囲気の場もあるが、ひとまずそれは置いておこう。

 さて、そのうち一つ。同じくテーブルを仲間と一緒に囲む一団が、一人の少年に対して乾杯を捧げる声が聞こえた。

「すまない、命拾いしたよ」「ほんと、マジで助かったゼ。サンキュー」「ありがとな、助けてもらって」「助けられたねー」「感謝するよ、ありがとう」「ありがとう、本当にありがとう」

無事に街に帰還した黒猫団はその夜、助けてもらった黒コートの少年――キリトに対し、感謝の意を込めて、ちょっとした宴を催した。

みんな、彼に対し一斉に思い思いの感謝を口にする。

が、彼はただただ、

「あ、あぁ…」

とだけ声を漏らすだけ。

グラスを持ったままほとんど動かない様子は、当惑と遠慮を掛け合わせたようである。

 理由は見て当然。聞いて当然。不特定多数の人物が集まるこんな世界とはいえ、見ず知らずの人間6人から盛大に感謝されたら当然なのかもしれない。内一人は目に涙が湛えられていた。

ちなみに、今回のパーティの主役は言わずもがキリトであるために、彼だけ特等席に座らされている。

「た、大したことは…」

「いや!本当に助かったヨ。あのままだと、特攻しようとした体育会系文化部のアホがいたからナ」

 口元を歪ませて不満をありありとわざとらしく浮かべた顔のダッカー。彼は半眼に閉じた目で、ジトッとした視線を、特攻しかけた張本人に送った。

「はいはい、悪かったって…。もうしねーから…」

件の張本人は少し拗ねたような顔をして、気まずそうに頭を掻く。最後の抵抗として顔を背けながら。

 だが実際、誰かやらないと全滅していたところかもしれない。

(そこだけは、わかって欲しいものだ…)

「怒られてらー、イブキ。へへー」

「なんだ茶化すなよ、悪友」

 相も変わらず、目は細いくせに口だけは動きやがる…と、そんなように顔を不機嫌に歪める彼に、おちょくった笑みを絶やさないまま悪友呼ばわりされたテツオが肩に腕を回す。

顔で悟られたか、「反論してみろ、悔しかったらなー」とか、のしかかられながら言われている。

 何も言えないのがわかっている。不機嫌さをより露わにするのも性格で読まれているはずなので、結局できたことはグラスの中身を全部呷るくらいだ。

平たく言えば無視だ。

「でも、すごく怖かったから。助けに来てもらった時、ホントに嬉しかった」

そういって、目の滲んだ涙を拭うのはサチ。

 彼女は外見通り、大人しくて怖がりな性格だ。戦う事にも、恐怖を感じている。

誰でもわかるあたりまえなことだが、まずこんな経験自体が無い。あるわけがない。恐怖は付きまとうはず。

 今回は運がよかっただけ。もしもキリトが現れなければ、少なくても一人が…下手打てば、全滅もあり得た。故に、今日感じた恐怖は今までで一番大きいかもしれない。

「あ…うん……ええと」

 彼女の涙は、余計にキリトの生返事に拍車をかける。

傍から見る分では、なにか言葉を作ろうにも、初めて対面する彼女へふさわしい言葉がみつからないようだった。

(その原因も、突き詰めればオレか…)など考えているイブキを、

「ん、なんだ?」

 いつの間にか近くにいたササマルが肘で突く。

彼は手を添える代わりに、口元にグラスの腹を近づけて言う。

「あぁゆうことになるからさー。今後は考えて行動しなよー?」

きっちりと彼に釘を刺してきた。ちゃんと小声で。

(さすが、この中で一番察しのいい奴…)

 褒めたが、皮肉のつもりなので声には出さず、それ以前に反論する資格がないため、

「あぁ、わかったよ…すいませんでした」

テツオよりは多少なり真摯に対応したイブキ。それでも彼は呆れた笑みを返された。

「まぁでも本当に死ぬかと思ったゼ。いまだに思い出すと手が痺れるような思いだシ~…」

「罠があるなんてなー、あんなところに」

 なぜあの状況になったかは、至極簡単。

振り返ってみれば単純なことで、ダンジョンでの狩りを終えて帰る際、警報トラップを踏んで周りのゴブリンが全部集まった、と。こういうわけである。

 恐怖を忘れ笑いに変える逃避。もしくは過ぎたことと頭にわからせるために、その場にいる黒猫団の面々の話題は、そればかりだ。

とはいえ、キリトは先ほど会ったばかりだ。こちらの輪に混ざることができず、面喰らった顔のまま。

 そのことに気づいたのか、談笑の最中、

「ところでキリトさん」

「ん?」

ケイタが彼に耳打ちで何か聞いている。

(あいつのことだから、レベルでも聞いているんだろ…)

テツオを押しのけたイブキは口元にグラスを傾け、残る最後の一滴を飲み干す。

「そうか…わかった!じゃあさ、キリト。良かったらうちのギルドに入ってくれないか?」

「え…?」

 そういってケイタはサチの頭に手を置く。

「コイツ…サチって言うんだけどさ、前衛に転向させようと思うんだが…勝手がわからないからさ、コーチとかしてくれないか?」

「なに?」

言いながらサチの頭をポンポン叩く。一瞬、和むイブキだがケイタの言葉に若干、厳つい声を上げた。

「そんな話、初耳だぞ?」

 なるべく顔に出さないよう努めたが、イブキの眉間にシワが寄った。彼自身、女の子が危険なことをするのを見過ごせない質なのだ。色々心配を焼くことも多い性格なため、女子から男として見られないこともあったそうな…。

「あぁ、そうか。イブキは知らなかったねー」

 答えたのはササマルだ。

一口だけ、飲み物で喉を潤してから、彼は話し始める。

「実は前衛を多くしようって話が出てねー。後衛で武器の熟練度が低いのはサチだったから、いま武器を変えてもデメリットが少ないと思ったからだなー」

「それでサチ…なのか?」

 だが、まだ納得しきれてないイブキ。今度は口をへの字に歪む。

「あー、そうだったのカ」

「サチがねー、ほー」

「なんだ、お前らも知らなかったのか?」

うん。と、揃えていったのはダッカーとテツオ。

「なによ〜、人をミソッカスみたいに…」

「え?」

抗議の声が上がり、全員が聞こえた発生源を見る。

 言わずもがサチだが、彼女はムスッとふくれた顔で文句を言う。…でもゆるい。威厳はない。ないよ、そんなの。

「だってさー、急に前に出て接近戦やれ、って言われてもおっかないよ」

 そりゃそうだ、とさすがに今度は呆れ顔になった者がいる。こちらも言わずのがイブキだが…。溜飲を下げるため、グラスの中身を一息であおった。

「盾の陰に隠れてりゃー良いんだって…」

 現在、前衛を務めているテツオが笑いながら告げた。

「それ囮っていわねーか?キツネ」

 今ので飲みこんだ溜飲がまた少し上がったイブキが、さも興味なさそうな素振りで呟く。呟くが、声の大きさからしてあからさまに聞こえるトーン。

「え?――って細目だけだろ !誰がキツネだ」

 彼に突っかかるが、スタンスは変わらず、目の前の青魚のオーブン焼きを皿に取って啄み始めた。

なんだったら今しがた口に入れた箸を歯で噛んで持ち上げ、半眼に潰した目をさも意味有り気に向けて咥えた箸を上下に振った。

 イラっ。

自分の平静に歪が入ったことを確信したテツオが、イブキの横腹へ貫手…つまり平手による突きをかます。

確かにヒットした貫手は彼の体を、ビクッ!と条件反射を引き起こし。

テツオが変わって他所を向く。

 他所を向いた膝裏を今度はイブキが足裏で蹴る。蹴りつける。「う…!」と呻く声を漏らし、膝裏を蹴られて若干だけ体が落ちる。

体勢を立て直し、お互いが顔を見合った。

手にした皿とグラスを置く。

 後、取っ組み合いに発展。

「おいおい…。お前は昔から怖がりすぎるんだよ」

 サチの頭から手を外したケイタは、やや苦笑を混ぜながら息を吐いた。横で勃発したケンカを流すあたりさすが団長ではあるが、慌てつつ指を指して確認を取っているのはキリトくらいである。

「仲間内で遊園地とか行っても、女友達と行っても、お化け屋敷だけは絶対に入らないやねー」

 ササマルも手近にあったピーナッツに似た野菜の揚げ物を指ではじいて口に入れたあと、ぼんやりと口を挟んだ。

「だ、だって…女の子だもンな」

 面白そうだったと、二人に合わせてイブキも茶化し始めた。(現在、テツオから受けているコブラツイストに対抗しつつ、人差し指で口の端を引っ張ってやっている。)

といっても、自分をごまかすためではあった。下手に横やりを入れたせいで、どことなく会が盛り下がっている。せっかくの宴を、自分のせいで台無しにするのも忍びない。

「ぶ〜…」

 心ばかりのサチの抵抗はギルドのメンバーを和やな笑いを誘った。

 ちなみにキリトはまだ入団を迷っているご様子。

「あーだが、なんだ…。でも、ほんとに嫌なら俺が変わる」

 タイミングをはかって、イブキは呟くよう不意に言った。

彼自身、宴を汚すよりもサチが前に出る方が本当に忍びないらしい。

加えて、この時すでに、テツオへはおざなりに謝り、締め技から緩やかに抜け出していた。

「え?あ…うん…」

彼の提案は、サチを少し下を向いた。

「でも、それだとイブキが…」

 前に出ることに…。

おそらく彼女はそういうつもりだったのか。いや、そういうつもりだと勝手に仮定し、

「いいじゃねえか」

 言葉を遮る。

腕組みし、わざとらしく顎をしゃくったあと平然とした態度で述べる。

「女の子を前に出せるわけにはいかねーじゃろ?」

 ちゃんとまっすぐ彼女を見て、自信に満ちた態度で告げてあげる。言葉にお茶目が含まれていても、わざとらしく眉をゆがませた相手を試す表情でも、眼差しだけは至って真剣である。

が、小さく息を吐いて、恨めしげな目を細めた文句ありげな顔でケイタに視線を送ってやった。

 サチはというと、下を向いて考え込んでいる。

提案をした彼はそれを見て逆に追い込ませてしまったかと後悔。

それでも…と、前に出すよりはマシ…かなー。などと歯切れの悪い言い訳で自分の行動をたてる。そう努める。

 しかし彼女が出した答えは、

「ありがとう…。でも、いつまでも守られているわけにはいかないよ…」

否定であった。

彼女の少し遠慮した物言いは、それでも前衛に移るということに少なからずの抵抗を感じた言い方であり。

 それはやりたくないという裏の感情…ではない。

やらなければならないという、勇ましい覚悟であった。

「ん?…おぉ、そっか。はっはっは、勇ましいな」

 組んでいた腕を解いて腰に当てると、イブキは軽く笑う。

(ん!?ちょっと待て!ちょっと待て!!このままだとサチが前衛になるぞ!?なんか、なんか無いか?!)

 表情を崩さず、心の中で忙しなく思考を回転させた。焦るせいか、何も浮かばない。

背中に汗を掻く思いをしながら、周りの喧騒が聞こえる沈黙が続く。

「…あ。おい、だったらお前も転向するか?イブキ」

「お?いいんじゃないかねーケイタ。イブキがいいならだけどー」

「え?あ、お…おお!そうだな。だったらそうするか!なんだ、それでもいいのかよ」

 ケイタの提案に、ササマルの言葉に、イブキはこれ幸いとした気分でそれに乗った。

まさに渡りに船といったように。

「よし!オレがしてやるぜ、お前のコーチは。イブキ!」

「あ、オレもキリトに教わるから」

「なにをー!」

「ぐえーーー!?」

 しれっと告げたイブキへ、わざとらしく怒ったように場を茶化すテツオが首を絞めにいく。

また一つのテーブルで笑いが起きる。キリトも彼らの掛け合いには笑みを浮かべていた。

最中、イブキは相手にしかわからない程度に目を伏せて会釈する。もちろんその間も組み付かれているが。

(すまん、ケイタ…)

 イブキの目配せは、ちゃんと伝わったらしく、呆れた笑みで肩を竦めて見せた。

口には出さなかったが、「しょうがない奴だよ、お前は」そう言っているようである。

そしてケイタはイブキへ促すように視線だけササマルのほうを向いた。

察するにササマルにも例を言っておけということらしい。ササマルもこっちを見て笑ってた。あまつさえ手も振っている。あちらも察しての行動らしい。

「イブキはそれでいいの?」

「ん?」

 それでもイブキのことを考慮してくれていたサチ。彼もそのことを、痛いくらいわかった。

テツオの締め技を食らいながらも、

「なんだ、気ぃ使ってるのか?上等だよ。前の方が性に合ってそうだしな!」

「同意だわ、前のほうが性に合ってるの、なああ!!」

「グゲェ!テツオはまた人を脳筋みたいに…!と、そうでなく…。それでいいか、ケイタ?」

「おいおい、今更だな。構わないって」

「ごめんね……ホント、無理しなくていいから」

上目遣いで、本当に申し訳なさそうに言うサチの姿は、愛らしさがあった。

 思わず黙る。沈黙と抵抗の力が消え、察したテツオがイブキを置き去りにする形で技を解く。

置き去りにされた方は、見とれてしまいそうになる自分を必死に奮い起こして、抑える。

「俺がやりたいからやるっつってんだから、謝る必要はないって…」

 それでも顔が緩みきってしまいそうだったので、腰に手を置き顔はそっぽを向いた。

顔の赤みが増したイブキは、口の内側を噛んで死ぬ気で耐えている。痛みはないので表情筋をしつけである。

「うん、ありがとう」

 サチは優しく微笑んだ。

「マスター、ここスピリタスって置いてたー?」

「「やめとけ」」

「我慢しろよ、オレンジジュースで」

「っぐぼぉ!?」

 スピリタスを所望した口に、オレンジジュースの瓶が突き立つ。犯人はテツオ。

ネタなのか、ノリなのか。突き立てられたままの瓶はそのままに。いっぱいいっぱいの顔をしながらも喉から下へと飲み込んでいく。

 その様子にササマルはカラカラ笑い、サチとダッカーは「スピリタス」がわからず、頭の上に疑問を作る。

後、テツオの策略により、零さなかったが盛大にむせた。

「背中、ドン」

「っう!?ごっほがはぁぁ!」

 

 

 閑話休題。

前衛強化の提案にイブキとサチは同意し、話がまとまった。

「あ、そうそう。俺達リアルでは、同じ高校のコンピ研の仲間なんだよ。みんないい奴だし、キリトもすぐ仲良くなるぜ、な?」

 全員は、声を揃えて頷いて見せた。

「話を聞くと年下らしいけど、なんだ、あんまりに敬語とか気にする必要ないからな」

「年下っぽい奴もいるしなー。年上なのに、君よりも」

「おい、なんでこっち見てるんダテツオ」

「ほらそこ、変な事言わないの」

ダッカーの背の低いことを冷やかしていると、珍しくサチが咎めた。

解説にケイタが、

「おいおい…サチが言ったってことはホントにちゃんとしなきゃいけない場面だぞ?変な茶々をいれるな」

「わかりました、はい」

「…あれ?そういえばサチも背のことは―――」

「何かいうことがあるの、イブキ…」

ジロリ。

「誠に申し訳ありませんでした」

「よろしい」

 腰は直角。サチに対しての礼は、それはそれは見事であった。

クオリティが高いというより、めちゃめちゃ手馴れているに近い。

「いつもの光景だねー、これ」

 ササマルが笑った。いつもより愉快に笑う。

それぞれが反応を示しつつも、みんなそれぞれに笑いは含まれていた。

 キリトも例外でなく、少なくとも楽しいと感じたはずだ。

 だからだろうか。

「じゃあ、入れてもらおうかな…」

もしくはみんなの気持ちが伝わったか、

「…よろしく」

少し控えめだがキリトは承諾の笑みを返してくれた。

「あはは、うん!よろしく!」

「これから、これからよろしくね!」

「頑張ろう、一緒に!」

「よろしく頼むわ、コーチ」

「頼りにしてぜ!」

 黒猫団メンバーは例外なくキリトを歓迎する。

 その夜、ギルドメンバー全員が大いにに盛り上がった。

「でも頼むから、テツオとかイブキみたいに悪ガキになるなヨ~」

「なんだ、ダッカーお前だってこっち側だろ?」

「そうだそうだー 、迫害するなー。オレら二人をぉ」

「だが事実だろ、おい…」

「あー、なんだ…。否定できんな」

「そうだな、確かに」

「まったく、その通りです…!」

「「サチまで敵に回った…」」

 

 

「あ。じゃぁ一応ちゃんとは自己紹介しておくよ。…おーい、全員静粛に~~」

 持っていた食器を置き、手のひらを添えてキリトの視線を促す。

「こいつはササマルっていって、わりと常識人だ。基本的に緑の服ばかり着ている。装備は槍」

「ササマル。よろしくどうぞ~」

 振り向く際に若干ズレた帽子を直し、はみ出すくせっ毛を撫でつけたササマルは手を軽く上げた手を握ったり開いたりしている。俗っぽく言えばグーパーグーパー。

「よろしく」

「ササマルは大体、語尾が伸びる」

「口癖ってやつだ、ね~~♪」

 今のは明らかに語尾を歌い上げた。

「それで……さっきも言ったけど、こっちがサチ」

「サチです。改めて、よろしくね!」

 顔だけから、姿勢もキリトのほうに向けたサチが、浅くだがしっかりと腰を折り挨拶を送った。

切り揃えた藍色の髪は揺れ、彼に向けた笑顔にアクセントをつける。

「武器はロッド……だけど、今からは剣と盾だね。そっちのほうも、よろしくお願いします」

「あぁ、よろしく」

「俺はさっき軽くしたっけ。一応言うと、武器は戟。カテゴリーは槍だな。それで、残りだが…」

「「「ん?」」」

 残りの三人(残った骨を食むダッカー、の皿からローストビーフを盗み取るテツオ、の皿にある赤いソースにタバスコを混入させるイブキ)を見て。

 呆れ。

「黄色が能天気。紫が細目。灰色が強面だ」

 三人には手のひらではなく、わざわざ手をグーにしてから人差し指だけ立ててから団長は半笑いでからかった。

「ッブ!」

「ップフ」

「ッン!…フフフ」

 今ご紹介した人とされた人以外、全員吹いた。

「「それ外見だけだろ!」」

「なんだっテ、ケイタ!!……て、どういう意味ダ、紫と灰色」

 でかい方二人がそろったが、二人より頭一つ小さい能天気は、全員を相手取った。

「テツオ!前衛、ハンマー持ちだ!細目で紫のインナーは着てるがよ、確かに…」

「イブキ!中堅!大刀!灰色だがよ、灰色だがよぉ?怖い顔は気にしてんだ!」

「いつも眉間にシワが寄らないように少しだけ眉あげてるもんねー?」

 サチのフォローにイブキが撃沈。膝を付き、手を付き、頭を落とした。

絵で描いたらならば、きっと真っ白に燃え尽きている。

唯一踏んばた所は、手をついたのは床ではなくテーブルだ。指を引っ掛けているが正しいか…。

彼の肩に、テツオが手を置いた。

「え!?あぁ、えっと…オレっちは―――」

「黄色だ、こいつが(テツオ)」

「おう、能天気だ(イブキ)」

 ダッカーに二つの指先が集まった。

「うるさイ!うるさイ!」

「えーと、ナイフ使いで(イブキ)」

「前衛半分。中堅だな、たまに(テツオ)」

「オレっちに言わせろよおおお!」

 まるでコントのような掛け合いだ。

ダッカーがテツオとイブキに襲い掛かる。

それを見ていた四人はついに吹き出し、笑いは酒場の暖かい光の中に木霊した。

 

 

 


 

 

 

[stage...3]

 

 翌日のこと。

木々が快晴の空を覆い木漏れ日が点在する大地に、ギルド『月夜の黒猫団』は立っていた。

 ギルドメンバーはサチとイブキの前衛の訓練のため、第20層《ひだまりの森》にてモンスター狩りを行っている最中である。

 サチは【ロッド】、イブキは【偃月刀】をいつも装備していたが、いま携えているのは盾と剣。

【アイアンソード】と【カイトシールド】をサチが、【ショートソード】と【バックラー】をイブキが握る。

実はイブキの装備は安価であり、サイズも一回り小さい。

「こっちのほうが動きやすい」

が、この一点張りで装備を選び、あまつさえ勝手に買った。ゆえ、残った資金はサチの分へ上乗せされた。

 とはいえ啖呵を切った分、イブキは言葉通りの立ち回りで戦い、それなりの戦果を納めていた。彼は右が利き手のため、左手で盾を扱うのは難儀していた。それも、初撃のみを集中して盾で往なし、接近したらば剣を主に使う、といった住み分けを行うことで、克服と言えずとも、基本となる戦闘スタイルは掴めたように見受けられた。

「へこむんだがな~。そう安々と使いこなされるとよ~、こっちが」

「あぁなんだ?あんなん相手の攻撃を盾で殴ってるだけだぞ」

 たびたび、コーチと生徒でこんな会話が行われては、

「おいおい。揶揄いあってないで、次行くぞ」

「へーい(テツオ)」「うぃー(イブキ)」

こんな感じで。都度、ケイタあたりが治めていった。

 午前10時から開始し、二時間イブキがメインに立ち回ったのち、昼食を挟み、訓練を再開。

時刻はそこから約一時間ほど経ち、現在13時。

 順番は変わり、サチの番なのだが…。

 

―――キシャアァァアアアァァ!!

 

 会敵は、人の体を優に超えた巨大なカマキリ。頭の上の英語は【マンティス】と読める。

三体いたところを減らし、一体だけ前衛転向組の特訓のために残した。

 マンティスは味方の敗北には気に留めず、目の前のばかりに、吠えて威嚇する。

「ヒッ!?」

 相手の目標はサチだ。

恐怖を抑えつつ、彼女はおずおずと前へ出た。

 その彼女の虚勢にもならない行動に、身を固く強張らせる者がいた。

すぐに手を貸したい。だが、彼女のためにならない。ある程度、様子を見なければ、と。

ジワリと懐いた思考を止めるよう、耐えるよう手を強く握ったのはイブキだった。

(……クソッ…)

 目標が彼女であることと、手を貸せない事を心で毒づく。

だが彼の性格上、堪え難いモノがある。

加えて、これが本物の死を与えるデスゲームなのだと分かった上…であれば、余計に剣を代わりに振るう欲が搔き立てられていった。

 マンティスが彼女に咆哮してから、左手も強がりはじめる。

「イブキ」

 肩に当たる感触。そして小さく呼ぶ声がして振り返った。

そこにいたのはササマルだ。肩の感覚は、彼が肩をノックしたから。

 言おうとしていることはわかる。いや、ササマル自身も、呼ぶことでどれほど伝わるかは理解しているはずだ。

故、名を呼ぶ以外、それ以上のことは何も言わなかった。

 だから、

「わかってるってんだ…」

憎まれ口だが、了承に返事を返した。

 頭はわかっていても、心が疼くような事柄は存在する。虫が体に這うような気持ちだ。

だがこの掛け合いにて、頭のほうの理解上回った状態が作れたであろう。

震えは止まらぬものの、駆けだすまでには至らず。

彼女の怯えた顔を一瞥し、両手だけでは足りぬと歯も食いしばって現状を耐える。

 だが怯えきったサチは、マンティスの攻撃に剣を落としてしまう。

「キャッ!?」

彼女は必死に盾にしがみついた。

 心の理解が、頭の理解を超えた。

(…もう、無理――)

「サチ、一度下がるんだ!」

「サ―――」

 だがキリトも同じ気持ちだったらしく、イブキよりも早く動いた。

彼がサチを庇いながら、後退させる。マンティスの攻撃を跳ね返し、

「テツオッ!」

「応よ!」

素早くスイッチ――つまりは、配置の前後を素早く入れ替えること。これにて、テツオへトドメの一撃を促す。

「おりゃあぁ!!」

 狙い通り、テツオのハンマーが空を薙いでマンティスへ激突。

ゴギャッ!という鈍い音と共に、マンティスはくの字に折れ、瞬時に撃退された。

「……」

一方のイブキはおあずけをくらったような子供みたいに、その場にただ突っ立っていただけに終わる。

「ごめんね、キリト…迷惑かけちゃって…」

「気にしなくていいよ。まだ始めたばかりだから、慣れなくて当然さ」

安堵するサチへ、寄り添ったキリト。

 二人の会話は、とても微笑ましく見えた。

だが反面、妙な悔しさも込み上げてくる。

(ハぁ…?)

 妙だ。とても妙な感覚だった。そんな感情は、今までに感じたことが無い。

いうなれば、嫉妬に近い。

本気で感じた感情の中では、彼からもっとも縁遠い感情だ。

ゆえ、そんな感情を抱く自分に気づき、自嘲気味に笑った。

(俺がか…?)

眉を歪めて、口端を歪めて。

「くだらねぇ…」

ほぼ真顔のまま、目だけを伏せて僅かだけ顔を振った。表情はなるべく平静を装う。

心の中では、自虐で酷く皮肉めいた顔に歪んだであろうな。

 落ち着いたところで、視線を彼らに戻す。

「ん?どうした、イブキ?」

と、キリトが彼の視線に気づく。

 それにつられてサチも疑問を、浮かべた顔でこちらを見た。

「いやぁ、なんだ。なッはッはー。ずいぶんといい雰囲気だにゃーと思ってにゃー」

 イブキはヘラヘラと笑って茶化すことで、誤魔化した。

たぶん、仲睦まじい二人に対して。

いや、その場にいた全員に対して。本当に、その場にいた”全員”に対して。

「なっ!?」

「え!ちょっと…!?や、やめてよ、もう!」

 二人が赤らめるのを見て、イブキは軽く笑って流した。よりニヤついた笑みは小憎たらしさを増して、揶揄いに出る。

先ほど抱いた感情は間違いだと、断じるように。断じるつもり…いや、忘れるつもりで

「っむ…!」

だからか。自分を笑う者の声にも気が付いた。

 その主もわかる。地声が高い分、聞こえた笑い声はさらに高い。

「ニッハッハッハ!」

キッと、縛った唇を開けて、噛みしめた歯を見せて、声の主へ半眼にて牽制の視線を撃った。

「なんだ?何笑ってんじゃ、ダッカーぁ…!」

 だが、声の主は悪びれず、反撃に言葉で打ち返す。

「どうしたよ、イブキ。嫉妬カ?」

「そう見えるのか?俺がラブコメ好きなのはお前も知ってるだろ」

「そういえば漫画多かったな、そっち系の」

 テツオが仲間に加わった。

「お前はギャグとバトルばかりだからな、テツオ」

「ハッハッハ、少女漫画はイブキだけだからナ」

「少女漫画とラブコメは違うし、こんな厳つい顔で少女漫画なんて買えるわけねーだろ」

 自分で言って少し悲しくなったイブキは、自分の厳つい顔を手で伏せた。無論、顔を隠すため。

ちなみにその肩に手を置いたテツオが同情していた。小声で「おちゃらけてるから緩和されてるんだろ?」と呟く。

しかし、気に食わなかったのか。肩を振ってすぐその手を払う。極めつけに怒りの面を向けだが「悪い悪い」と笑われただけであった。

「ラブコメはナー。あんま見ないジャンルだからなー」

「って、なんだよダッカー。オメーの読んでたライトノベルにもあっただろ」

「おウ!そういえバ」

ダッカーが仲間についた。

「イブキから借りた中にもあったナ。そのあと返して、自分で買ったっケ。そっから多少だが本棚に置いたんだっタ」

「よし許そう」

 男の固く熱い握手を交わすイブキとダッカー。厳しい顔をしているが、その握手が友情を語る。展開としてはおちゃらけた部類ではあるが…。

「そういえば、色恋も含まれてたなー、オレの持ってるもの中には」

固い握手をした彼らが、回想から納得の声を出した。

「あー、あったなー。なんなら、今の状況だとそっちのほうが近いのか?」

「似ているものは、えーと…」

「あんとき連載してたやつはどうダ?」

「それだわ!」「あ、それだ!」

「無駄話はそこまでだ。サチが怒りださないうちに次、行くぞ」

「「ひえ!」」

 ケイタの言葉にテツオとイブキの悪友どもが見てみれば、武器握りしめるサチがこちらを見ていた。

 察するにダンジョン内ではフレンドファイヤー…つまり、味方にもダメージが発生しまう。なので殴るに殴れない、仕方なく最大のアピールをした。…という、感じだ。

 顔の赤みは怒りなのか、恥ずかしさなのか。

どちらにせよ。これ以上続ければどちらか、もしくは両方の理由で爆発することはわかる。

「あぁ、よかっタ。オレは範囲外ダ」

「あいつの説教食らいたいのか?違うならそろそろ黙った方がいいぞ」

「うひイ!?そうしとク」

 ダッカーにツッコミを入れた後、あいつもといサチに背を向けながら、おずおずとテツオとともに歩き出すイブキ。

「まったく…」とお怒りと共に息を吐くサチ。

 ケイタもササマルも笑うか呆れるかしていた。

キリトもそれを見て苦笑いする。

 背でそれを見ながら、一瞬だけ真顔に戻ってから、

「はッ…」

という安堵に似た息をイブキは吐いた。隣のテツオにも聞こえないくらい、小さく、手早く。

慎重に。

 

 

 そして次の戦闘。

現れたのは、またもマンティス。

数は一体であるため、そのまま特訓に入れる。

「さて、今度はどっちだ?」

 ケイタが槍で軽く牽制しながら、そういいだそうとしたとき。

「オレだ」

 直前、言うが早いかイブキが走り出す。牽制の槍を抜き、剣を鞘より抜き放つ。

その行動にメンバーは全員、気を弾かれた。

「おいイブキ!?」

「突っ込むな不用意に!バカ!!」

ケイタは驚き、テツオが叫ぶ。

 軽率な上に自分勝手な行動だというのは、彼もわかってるつもりだった。だが彼は動かずにはいられなかった…。

みんなからは見えない…見せたくもない、このドロっとした醜い感情を、冷徹な自分への怒りでさらに隠す。

「ッハ!!」

 構えたショートソードを横一直線に薙ぎ払う。イブキの攻撃はマンティスの左腕の鎌を払いのける。

腕を広げるような格好で仰け反るマンティス。

そしてそのまま、空いた土手ッ腹に突きを繰り出そうとした時。

(なんか悪いな。八つ当たりしちまってよぉ!)

―――キシャアアァァァァアアア!!

 怒り狂うマンティスは、そのショートソードに右腕の鎌を振り下ろした。

「なんッ―――!?」

意表を突かれた攻撃に、ショートソードを叩き落としてしまうイブキ。

「「イブキ!!」」

 聞こえた声は全て身知ったギルドメンバーの声だ。全員が反射的に彼の名を呼ばわる。

それと同時に、ドッ、という土を蹴る音も重なる。駆け出したのはキリトだ。声よりも行動することが先に頭に出た、というところだ。

 しかし不幸にも、彼がいるのはイブキから一番遠い位置。

この分だと間に合わない。

他のみんなは驚愕して反応が遅れている…。

 マンティスは嘲るかのように行動を続けた。殺すための行動を続けた。

繰り出した右の鎌を引き、眼前の獲物の盾を払った。

今度はイブキが手を広げる形となった。そしてそのまま、鎌は振り上げられる。

違う、振り上げる過程で盾を打ち払ったといった方が正しい。

 鎌の狙いは首。

付け根を狙って突き立て、刈り取る軌道。

瞬きも半ばで終わるほどの時間だけ照準をつけるように振り上げた鎌を最上の位置で一度止め、目標へ目がけて一気に、一つの叫びの合間に振り下ろす。

「ッチ!!」

 しかし、自分で突っ込んでやられるわけにはいかないと、そうして彼は悪あがきを始める。

払われた盾の勢いを利用し、コマのように回った。

体が一周したタイミングで鎌は彼の眼の上直前まで迫る。

 だが一回の瞬きの間に、鎌は一周し帰ってきた赤い盾に阻まれ、体を切り裂くこと無く、弾かれた。

赤いのは盾の装飾ではない。

盾スキル【ディフェンド】の輝きだ。盾を持つことができ、ある程度の僅かな熟練度さえあれば誰もが使える盾のスキル。片手剣で言えば、【スラント】と同格である。

 防御専用のスキル。攻撃力は無論ないものの、この状態の盾で攻撃を防げば、限度はあるものの完全なる防御を与える。

体を一周させる合間にこのスキルを立ち上げただけだ。

攻撃は盾にぶつかり、マンティスの体は後ろに傾く。”ただ攻撃を弾くだけ”のスキルによって、鎌の腕は後方へと押し返される。

攻撃を凌ぐことには成功。

 だが、【ディフェンド】の衝撃は使用者にも同じだけの衝撃、ノックバックが与えられる。

「ぐ、うぅ!」

同様に、盾持つ左手が後方へと弾き飛ばされてゆく。

「まだだ!」

 イブキは咆えた。その強面に似つかわしく、眉間に皺を刻み、奥歯を晒すほどに歯を向いて。

荒く上げた声と共に、後ろへと盾へ連れる体を一歩退く脚で、地面を強く踏みつけ、これを軸に無理やり軌道を動きに添わせる。

退く二歩目を踏み込み、力任せに体を回転させ。

まるで酔っ払いが後ろへふらつくような動きだが、衝撃が弧を描く。

 盾を持つ腕が軌道に乗った瞬間。

「舐めんじゃ――!」

その勢いは前へ向かった。

「――ねぇぇぇえあ!」

盾越しの拳でも、ただの打撃でも体勢を崩すくらいなら、と。

全身全霊をかけて腕を振るった。

「なんだ?」

 そこでイブキは、ある異変に気付いた。

スキル解放時は、そのスキルの重要な部位が光る仕様になっている。

とは言うが、盾スキル【ディフェンド】の効果は終了したはず。今は効果のないただの盾だ。小さく丸い、ただのバックラー。薄い鉄の丸だ。

 しかし、未だ”盾”は輝いていた。

ゴキィィ!!

 一瞬、驚いて躊躇してしまったが、今更そんなことで勢いを留められるはずもなく。マンティスの横腹に盾は激突する。

空気を震わせ音。マンティスの体が砕ける音が混ざって、小気味よく鈍い音が響いた。

重い音を響かせ、5m程度吹き飛ばされた。

――ギ…ギキッ…!?

マンティスは苦しそうな呻き声をあげて、その場で悶えた。

盾スキルは切れたはず…もしかして【ディフェンド】が終わったのは見間違えだったのか…。

思考するが、態度は驚愕のままにイブキは頭に浮いた考察を否定した。

【ディフェンド】は防御のスキル。相手の攻撃を防ぎ、ノックバックを与えて退ける。

これが【ディフェンド】の効力であり、SAO内での説明である。

 だが、威力が大きすぎる。

否、”威力がある”時点でこの事象はありえない。盾だけで、”盾のたった一撃だけで”、死にかけるわけがない。

これに攻撃力などというものはない。

そもそも武器でない、武具であるため、SAOではこれで殴ろうが折ろうが砕こうがめり込ませようがダメージはない。

物理的に殴ることはできても、折ろうも砕こうもめり込ませようもできない。

疑問は彼の頭をぐるぐると廻ってゆく。

「なん…だ…?」

 呆気に取られたイブキは、苦しむマンティスをしばらく眺めてしまっていた。

奴はいま、痛みに立ち上がろうとするのを何度か失敗しているが、それでも多脚の数本と片方の鎌で上体を上げることだけは達成している。

 モンスター限定だが、”痛み”という概念がこの世界にも存在はしているらしい。

これに苦しみながらも、半ば立ち上がり、戦闘を続けることを目指そうとしている。

(あ…!まずは倒さねーと、か)

 ハッと気づき、ショートソードを拾って何とか立ち上がったマンティスの頭を割った。

マンティスは声も上げず、絶命して倒れゆき、背を地面へつける前に、ガラスが割れたように霧散して消える。

 とりあえず、目の前の危機は去った。

「…はぁ」

安堵の息を吐き出して、時間を得た。

腰につけていた鞘に、左手を添えてショートソードを納める。

 今まで槍の類しか扱ってこなかった彼にとって、小さい鞘の穴に剣を差し入れるのは少し手間だ。

秒単位の時間をかけて、剣先端と鞘の鯉口の両方を視界に捉えて納めた。

すべての刃を鞘に隠れたのを確認したとき。視界の端には左手のバックラーが…。

 これに気づいて、視線はバックラー、盾に注がれた。

左手を剣から外して、盾は胸の前、眼前までもっていく。

(なんだったんだ…?)

 未だ不思議を解けないまま、イブキは立ち尽くし。

一度だけ消えたマンティスの方を見て、今し方起きたことを思い出し、そしてまた盾へ眺める視線を移した。

それも、束の間だった。

「なぁ、イブキ…」

 声に、イブキは体を震わせた。

声の主はリーダーであるケイタだ。

十中八九、特攻についてなんか言われるであろう…。

恐る恐る後ろを向くと、キリトとサチ抜いた四人がゾロゾロとこちらに向かってくる。

(なんだよ勢揃いかよ!?)

驚きのあまり、庇うように片手をあげた。

小声で狼狽え始める。

「いや〜、その、なんだ…」

必死に言い訳を考えるが、何も思いつかない…。

 彼らはイブキの目の前まできた。

突如ケイタがイブキの肩をガッと掴む。

(ひぇぇ~~~!)

不意に体が強張る。

怒られる。絶対怒られる。間違いなく怒られる。有無を言わさず怒られる。

 意味合いは全くの別方向であるが、やってることは数日前に包囲されたときの提案と同じだ。

今回は提案どころか勝手にやったぶん、なおたちが悪い。

「す、すみませ―――」

「おまえ!今のどうやったんだよ、オイオイオイ!」

「…へ?」

 まるで子供のような瞳で、ウキウキしながら聞いてきた。

「とぼけんなヨ!今、盾が光ってたよナ!」(ダッカー)

「すごいじゃないか!”盾”のスキルかー?」(ササマル)

「教えてくれよ 、なぁ!盾持ってるからさ、オレもよぉ!」(テツオ)

「お?お?なんだなんだ?!」(イブキ)

 他の三人も、興味津々な面持ちで口々に感想を告げる。

叫んでいたに等しいほどの音量は、面を食らうもイブキに呆気に取られながらも咄嗟に耳を覆わせた。

「多分、このゲームには盾でも使える体術系のスキルがあるのか…それとも攻撃ができる盾スキルがあるのか…」

 顎に手を当てながら、キリトが冷静に分析する。

それでも、口元には隠しきれない興奮があった。

「いや…オレは盾なんて使ったのは今日からだぞ?」

「条件が揃えば誰でも使えるものさ。俺もそういったことがある」

論破された…。

緩やかに面を喰らったような、驚いて動きを止めた猫みたいな顔をしている。実際、動きも止めている。

「…あ、か、確認する!」

その呆気にとられていた途中に、キリトの言葉が遅れて頭まで届き、ステータスを開いた。

慌てているのか、二回ほどステータスを開いてはメイン画面に戻り、一回だけアイテム欄を開いた後、三回目のステータス画面到達から習得スキルを確認できることを思い出して画面を移動させる。

「あった。習得済みの盾スキル…ブレ…ブレイ……いや、【Blast(ブラスト)】…か」

「すごいな、イブキ。もうスキルを一個習得か…!」

感心しながらキリトはそう褒めたが、偶然もいいところだ。

 どうやら突攻のことで咎められることはなさそうだなと、先んじて胸をなで下ろすイブキ。

「すごいよ、イブキ!こんなの見たことないよ!!」

 寄ってきた3人と同じくらい目をキラキラさせながらサチがいつの間にか近づいていた。

間抜けにも、声をかけられた本人は、まさにその声に思わず体がビクッ!となる。肩が上がって、首が埋まった。

「えッ!?…あー、まぁなんだ…あ、ありがとう」

戸惑うイブキだったが、内心は少し嬉しかった。

(でもなんか…)

 その心の中には違う種の、悔しさがあった。

そんな気恥ずかしさが混じつつ、盾を持ち上げて眺めたり、振ってみたりする。

素直にすごいと思われて眺める視線は、沈黙と共に続く。

 だが…。

妙に静まりかえる周りの視線が、自分に向いていることにイブキは妙なむずがゆさを感じた。

「と、とりあえず、いったん帰るか。スキルについて少し調べたいし…」

 その妙な居心地の悪さに苦し紛れに出した言葉に、

「そうだな、今日はここまでにしようか」

ケイタが同意してくれた。

 彼の同意には、素直に安堵した。ふぅ、と、助かったとばかりに。

今度ばかりは気にせずに息をつく。

 というより、不意についた吐息だった。

「あ。じゃあ皆は先に帰っててくれ。オレは街に寄ってくる…。今のことを調べてみるわ」

「わかった、おーい、みんな。帰るぞぉ」

ケイタが先導し、月夜の黒猫団は一人を除いて帰路へとついた。

 

 

 日は昼過ぎから、夕暮れを超えて、夕闇が訪れようとしていた最中の時間だ。

遠くの空に夕日の名残りが薄く横に長い赤光となって現れており。

人々の頭上は晴天の青と夕日の茜が混ざったような薄い紫色の空が星をアクセントにして広がっていた。

(さすがにみんなは宿屋に着いてるだろうな)

 イブキは第三層の迷宮区に一人で来ていた。

目的は、さっきの感覚を忘れないためにも、自分のペースで訓練がしたかったというところがある。

 とはいえ、あまり仲間内で差が開いてしまってものちのちバレた時にイザコザが発生する可能性があった。

自分一人で対応するにも相手モンスターが弱くなければ死ぬ可能性がある。

それゆえ、第三層という下位層を選択した。

――ゴッ…。

もっとも、情報調べのついででもある。

――ベキッ…。

あわよくば、情報屋に盾のスキルの情報を売ろうとしたが既知のスキルであった。

盾スキルの中の、カウンター系のものらしい。スキルを立ち上げてタイミングよく防がなければ発動しない。

発動すると、盾からは火の粉程度の小さな光が発生し、カウンタータイミングになると盾全体が一気に光る。

このタイミングで攻撃をパリング…つまるところ相手の攻撃を弾けば、発動条件が満たされ、あとはモーションに従い、相手に攻撃する。

小さな光が発生している時間はスキルによって変わる。

上位の強力なスキルであれば長く、下位のスキルであれば威力は弱いが短い。

――ボゴ…。

 発動には手間がかかるため、熟練している者は少ないが習得しているものは少なくはない。

そのうえカウンターが失敗するとペナルティもつくため、だれも極めようとはしない。

 習得者のほとんど偶然。イブキと同じく偶然、たまたま会得したものであり、会得者は情報を売るだけで使うことはないとか…。

 スキル無しで普通に殴ると、攻撃力は自分の筋力パラメータが反映されるらしくので、高が知れてる。

――ベキャ…。パリィィン…!

「ふぅ…やっとか」

そのため、一体を倒すのにかかる時間が長い。

こんな悠長な闘い方では日が暮れてしまう。

「ん〜…」

 一度、比較的安全なエリアまで下がりつつ、彼は顎に手を当てて唸った。

今しがた倒したネズミの化け物は遠くに闊歩している。相手にちょっかいを出さなければ一部のモンスターを除いてわざわざこちらまできて、襲ってくることはない。

これを眺めつつ、先ほどまでの戦いを思い出し、思考を巡らせた。

なにかいい方法はないモノか、と…。

壁に、肩から凭れ掛かり、一つずつ状況を整理して考える。

 今は盾以外、武器は装備していない。故に、徒手か盾による純粋なシールドバッシュを使い、相手に攻撃していった。

その直前に戦った一体では、昼間に装備していた【ショートソード】をちゃんと携えていた。

一体倒しては剣を外し、一体倒しては剣を持つ。これの繰り返しだ。

 なぜか? 一種の実験である。

初めこそ、剣を持たずに盾を構えて殴っていたが、ダメージが稼げない。

 このSAOにおいて、シールドバッシュとパンチ・キックといった素手での打撃はスキルなしには全く意味をなさない。

それはすでに周知の事実だったが、少なからずダメージは与えることができる。

シールドをメイン武器と添えるため、それが許容かどうか知りたかった。

結果は、前述したとおりである。

 そこで思いついたことが一つあった。

『ならば、ステータス上の攻撃力を上げればどうか?』

そういう考えに至ったため、着けたり外したりの繰り返しだ。

 答えとしては、概ね思惑通りであった。

盾のみよりも、武器を装備した状態のほうが攻撃力はあがった。

敵を倒すに至る攻撃回数も、減らすことはには成功した。

結果だけ見れば成功ではある。

 …のだが。

結果は成功であっても、期待に副うものではなかった。 

ダメージの上下は微々たるものである。確かに多少ダメージは多くなってはいたが、差としては多くとも10ポイント、少ない場合は5ポイント程度の付加である。

 せいぜい、5回で倒せる敵が4回、運が良ければ3回で倒せるようになったもの。今はそれも通用するかもしれないが、敵が強くなれば変化は霞む。

 それにしたところで、まず現状の段階で”盾で殴る”よりも、”剣で斬った”ほうが事が早い。

「やっぱり、盾をメインに添えることはできないか―――ん?」

 ならばと別の方法を試そうと、もう少し続けようと決意したタイミングだ。

そのタイミングで、視界の端に手紙マークのアイコンが点滅しているのに気付いた。

 送り主は、同じギルドメンバーのリーダー。団長のケイタ。

「なんだ?早く帰ってこい、ってか?」

足は、踵を返して帰還用の設置物へと歩みを進め、起動させる。

 おおよその内容を想像しつつ、もしその結果だった場合の行動を前倒しで行う。

ただ用件を確認した瞬間。

「なんだって…!?」

 それを見て彼は、一も二もなく走り出した。

道中。立ちふさがるモンスターに構うことなく、避けて走って、走って走って。

急ぎ街に戻り、今度は人を避けて走った。

途中ぶつかったり怒鳴られたりしたが、それはすべて置いていった。

 ケイタから送らられたメッセージ。

その内容はこうだ。

 

『サチがいなくなった。そっちに行ってないか?』

 

 

 


 

 

 

[stage...4]

 

「まったく…。ほんとうにどこにいったんだ、アイツは…」

 夜の帳が下りきった街の、一つの宿屋の前。

落ち着かない様子で辺りを見回す者がいた。

カツカツカツカツと、体重を交互に左右の足にかけては、浮いたほうの足で何度も地面をノックする。

腕組みをする手は何度も解いては組み、解いては組みを繰り返す。

 鎧の装甲を外したケイタが、紅色の私服姿で立っていた。

仲間の一人が突然姿を消したことにやきもきしつつ、今はほかのメンバーが彼女を見つけたという報が来ることを願いつつ、別の仲間を待っている。 

「ケイタぁ!」

 その仲間はきた。

人混みに難儀しつつも、速度をほとんど保ったまま、彼の前にたどり着く。

「ッ!?イブキか!」

 仮想世界に動悸や息切れなんてものはない。

直前で止めた体が前に出て足がもつれたが、倒れるとまでは至らせず、傾いた状態までに留めさせる。

「ケイタッ!!サチがいなくなったってどういうことなんだ?!」

体を起こすやいなや、状況の説明を求めた。

彼は目に見えて焦っている。半狂乱になりながら、半ば脅迫に近い様相で詰め寄る。

「わからない…。夕飯に呼んだが、反応がなかったんだ。ほかに誰も見ていないし、誰もなにも聞いていない」

「どういうことだ…?」

わからない。

彼女がなぜいなくなったか。なぜいなくなるのか。

 頭から足先まで。徹頭徹尾事情がわからない。

今の時点から以前を振り返れど、消える理由はわからない。

「くそ…。なんでまた…」

 ただ…一つこじつけるとしたら、

「…一つ、考えられることがある」

「っ!?それはなんだ…!?」

「今日のこと、気にしてなかったか…?」

「今日…。前衛転向の訓練のことか?」

あぁと答えるケイタの言葉で、イブキの頭の中に連鎖的に回答と予測が立てられていった。

「まさか!うまく戦えなかったのを気にして…?」

「あぁ…。まさかとは思うが、だがその場合だと…」

「一人で…ダンジョンに向か―――ッ!?」

一人。モンスター。多勢。

そして、死。

言葉の途中。イブキ自身が自分の言葉に、一瞬にて出てきた思考、想像に息を飲んで手を当てた。口に手を当て、遮った。

もし強いモンスターに遭遇したら、罠にかかっていたら――体力ゲージが無くなったら…。

死んだら…。

「ンン…!?」

 小さく声を漏らし、イブキの体がくの字に曲がった。

そんな不安が体をめぐり、心を掻き乱す。

体の芯が冷えていき、吐き気までこみ上げる。

 肉体と切り離された仮想世界とはいえ、脳とは直結だ。

得る感覚は、現実と寸分違わない。

「オイ、落ち着け!そう決まったわけじゃない!」

「…あ、あぁ」

 動揺の深みに自ら嵌り、陥り、平静が乱れた彼は告げられた言葉に揺す振られ、彼に肩を揺さぶられ、思考が打ち切られた。

「わかってる…。あぁ、わかっている」

「とにかく探すぞ!」

「あぁ、わかっているよ!」

 イブキは再び走り出し、それへケイタが続く。

必死に声を張り上げ、サチの名を叫んだ。

叫び続けた。

現実だったら喉が潰れているであろう、大声で…。

(クソッ…どこだ…!)

街中探した。

多くの声で賑わう商店街も。夜になり疎らに人が行き交う広場も。防具屋も。裏路地も。街門も。

(早く…早く見つけねぇと…)

 だが彼の願いとは裏腹に彼女を見たという情報すらない。

焦燥感が頭をめぐり、心を焦がした。

(なんだよ…。まさか、マジでダンジョンに…!?)

 だが事態は彼の望み通り、早急に事は片付いた。

「え?」

 30分くらいしてキリトからのメッセージは、焦燥した分が間抜けな声となって出た。

サチが見つかったとのメッセージが入ったのだ。

戻ってみたところ、サチとキリト、それにテツオ達の三人もいた。

三人も疲れが見て取れる。

SAOに疲労はないため、気疲れの部類だ。

 それを見て、同じくしてイブキとケイタも全身の力が抜けた。

「なんだよ、も〜」

「あ〜、良かった」

お互いの体にもたれかかり、それを見て周りが小さい笑が起きる。

「あんまドキドキさせないでくれ…し、心臓に悪いわ…」

 ぐったりしながらも、イブキは安堵感を感じた。

聞いたところによると、見つけたのもキリトだった。

「ごめんね、みんな…心配掛けて」

 サチが申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「いいよ、無事だったんだから」

イブキは立ち上がり、土ほこりを払いながらそういった。

そう言っただけで。

 立ち上がったら、後ろ頭を掻いたり、あくびをしてため息をつくだけ。

「だが――」

しかしケイタは違った。

立ち上がったケイタは、

「――なんで急にいなくなったんだ?」

そう聞いた。

真っ直ぐ、彼女を見て、見据えて。

 彼は基本的に甘い。大抵のことは軽い忠告のみで終わる。呆れるも許すケースが多い。

 ただ、

「団長として、聞きたい」

筋が通らないことには怒った。

当然といえば当然だが、正しくあるのは難しい。

 彼が団長となった理由。一番はそれだ。その支持ゆえ、仲間は彼を選んだ。

 だが、その正しさはいまの彼女には厳しすぎるらしく、

「それは…」

(…ん?)

 彼女の声が濁った。濁ったのを聞いた。

「どうなんだ?おい?」

その質問に、サチが動揺してたことに気づいた。

自分の失敗を咎められているように、彼女は口籠る。両手を合わせ、片手で片手を揉んで。

「キリトが見つけたからいいものを…。ダンジョンまで探しに行こうかと――」

「ま、まぁいいじゃないか、別に」

 訳を知ってるのか。咄嗟に話を終わらせようと切り上げたのは、

「キリト…」

彼は両手を軽く差し出し、宥める。

顔は遠慮気味に笑み、なるべくなるべく穏便に。

「だが、キリト。勝手を許すわけには――」

「なんだなんだなんだ?!」

 大きく。わざとらしくでも、大きく。

そしていきなり。注目を向かせるためにも、突然に。唐突に。

「こんな世界にいるんだ。野暮なこと言いっこないだぞい。無事だったんだし、さぁ部屋戻ろう。とっとと寝よう。オレは朝弱いんだぞー」

サチの気を汲んで。キリトの行いに察して、イブキ自身も話題を逸らすことに努めた。

「おいイブキ――おわ!?」

少々強引と思いつつも、彼はケイタの肩に腕を回して頭近づける。

「お前も朝あんま強くなかったろー。中学の修学旅行。帰りのバスだっけ?朝遅れそうになって一緒に走ったの」

「そりゃお前とテツオだろ、オイ!確かに走ったが、俺は起きててお前らが寝ぼけてたんだろ。それに付き合わされただけだ!」

「巻き添えかよ、オレも」

 迷惑そうにテツオがつぶやく。

呟いたものの、事実ではあるうえに当時のことを悪いとは思っているため、イブキに対しては呟けるが、ケイタにはなにもいえない。口調に多少なり現れた。

「じゃーおまえは夜が弱い方か。ならなおさら寝よー寝よー。寝よーぜ、団長さまー」

「…そうだな」

 イブキに続いてだれか彼の意見に賛成を示した。

言い出した本人ではあったが、内心ドキリと驚き、しかし表には出さず声のほうも見た。

「こっちも眠い…昼間動き回ったし、とりあえず休まないかー?」

声の主はササマルだ。

 先日の宴といい、今といい。彼の察しの良さには毎度、助けられる。

案外、イブキがわかりやすいだけなのかもしれないが…。

(あいつには毎度、あたまが上がらない…)

「賛成さんセー。オレっちもササマルに賛成するゼ」

 また新しい声が生まれた。

ダッカ―だ。男にしては高めの彼の声はどこにあっても耳に届きやすい。大きなあくびをしながら、ぞろぞろと宿屋に戻ろうとする。

 テツオもなにも言わずそれに続く。

何も言わないが、チラリと、一度だけイブキのほうを見た。

顔はあくびを掻いて歪めているが、心なしか口の端が吊り上がって見える。

(あいつのことだから、きっとバレてんだろうな。オレの腹ん中)

なんやかや一番付き合いの長いと、皮肉気に一度笑った。

「ん?」

 顔を歪ませて困ったように笑ったら、頬を軽くノックされた。手を上げたら当たったくらいの軽さ。

不意な事だがそこまで驚くことはなく、片目を閉じて若干体が後ろに揺れた程度の反応を返し、

「ん?」

 視線を向けるとケイタが笑っていた。

相手を安心させる、けどちょっとからかった笑みだ。だが眉には咎めるような鋭い目と皺が刻まれている。

口に言わずともわかる。「今回だけだぞ」。確かにそういっている。

(こいつにもか…)

 頬に当たった手を、こちらも手を上げて当てて返す。それが返事。

わかってるよ…と、同じ無言の返事を返す。

「サンキュ」

礼だけは、小さく声に出した。なるべく、なるべく。ケイタにのみ聞こえる音量で。

「不器用め」

「…ッチ。前言撤回だ」

 そっぽ向いてぐったり疲れてやったが、ケイタの表情の八割ほどはイブキへの呆れに変わっている。

バツが悪い。取り繕うために頭を掻こうと手を上げ、不意に視界の半分が埋まった。

埋まった視界を疑問に思ったことと、そのことから思い出したのはほぼ同じタイミングだ。

「あっ…。と、オレはまだ用があるんだった」

視界を覆ったのは細かい木の板の連なりだ。腕につけていた盾の裏面が視線を隠し、盾スキルを調べていたことを思い出す。

まだスキルを使った戦い方や関係するステータス。それ以前に有用性があるかどうかもまだわかっていない。

それに、場合によっては【ショートソード】の錬成が必要になるかもしれない。

「少し、また出るわ」

「おう、お前までいなくなるなよ?」

「るっせーわい」

そう言い捨てた台詞を返し、彼は右に差した剣に手を添えて駆けだした。

 

 

 イブキは月夜の黒猫団が拠点としている街へ戻ったとき、時刻は0時17分と翌日に僅かに差し掛かっていた。

すでにみんなは寝静まってることだろう。

そう思いつつも、静穏が満ちる街に無遠慮に足音を響かせている。

 空から落ちる満天の月が進むべき道を照らしているからだ。迷うことなく月の色に僅かに色づく石畳は自発光しているようなやわらかい光に包まれている。

月光は彼にも平等に降り注ぐ。仄暗い光はイブキをとらえ、纏り、彼の髪も目も肌も、全身を月の光で彩らせた。

歩調は少し速めだが、無関係に月が照らす。

コツコツという靴音は、孤独に響く。一人だと感じさせる。怖いほどに。

 歩き続けるうちに、拠点代わりの宿屋に到着した。

宿屋の一階は食事処であり、その上に乗る二階と三階に宿泊用の部屋がある。

宿の部屋は横に三つ並んだ一人部屋が廊下を挟んで二列、配置されている。

 この六つの部屋と廊下を”宿泊スペース”と便宜上呼称してまとめる。

宿泊スペースの隣には、もう二部屋とその分の廊下を延長できるほど空間がある。

 便宜上は”余剰スペース”と呼ぶこととする。

余剰スペースとは言うものの此処には 階段があったり、七つ目の部屋があったりと、名ばかりな呼称だ。

ただこの七つ目の部屋。一番隅に配置された部屋は宿泊部屋ではない。

 〝現在〟の話ではあるが…。

「六人も泊ってるんだ。うちとしては一階の飯屋で食ってくれたらありがたいが…。そんなことしてたら金がいくらあっても足りんだろう」

 ギルド月夜の黒猫団が継続した宿泊契約を結ぶ際に、宿屋の店主が気を利かせて七つ目の部屋を無料で貸し出してくれた。

もともとこの部屋は天井が階段のために狭くなっており、料金は安く設定されている。

今は月夜の黒猫団の調理場兼食事場。ミーティング等があった場合にも、行うのはこの部屋だ。

 イブキの部屋は二階宿泊スペースにある。

二階に三つ並ぶ部屋の真ん中。そこが彼の部屋だ。

あの部屋から外を覗けば、いま彼が立っている場所もその奥にある水路も見える。

 反対側の部屋から外を見れば大通りを窺うことができた。住宅も点在するが商店も軒を連ねている通りだ。

この店は街の主だった街道にあり、街道同士の合流地点には噴水が設置されている。

宿屋一階、食事処の入り口は大通り側。噴水のほぼ真ん前に位置する。

――キィィ…。

 木でできた扉を開けると足元は石畳から板張りに変わり、扉の外から月明かりが落ちる。

彼はその扉を開けたまま立ち止まり、一階の店内を見渡した。

 長方形のテーブルが点在し、営業時間外の今は椅子が上に置かてある。右を見れば、楕円型の一番大きなテーブルが配置され、さらに奥にカウンターが見える。

カウンターの隣の壁から、背後に回るように二度に分けて上る階段が二階へと至る。

テーブルの配置を今一度覚え、誰もいないことを確認してから扉を閉じた。

 仄暗い明るさを生んでいた月明かりは遮られ、部屋は黒一色となる。

記憶を辿りつつ、手探りで障害物を避けながら、一歩ずつ確かめながら、階段の前までついた。

最中、極力足音を殺すように努めた。

 さっきまで大きく、自分がいることを示せるほど大きく靴を鳴らしていたのは誰なのか。

それにSAOにおいて、部屋というものには、基本的に遮音が成されている。

 本来なら、仮想世界を利用しただけのゲームの世界。

従来のMMORPGのように不特定タスの人間が利用することを想定した、”ただのゲーム”だ。ゆえ、プライバシーは守られる。

 とはいうものの、スキルを使って中の様子を探る悪趣味な輩もいる。

もっとも、彼はそんなスキルは持っていないうえ、気にしているのはそこではない。

 ただの保険だ。

万が一、誰かが部屋から出てきたとき、バレないように。

なぜか?怒られるから…。

誰にか?一部仲間にだ…。

どうしてか?遅くなったからだ…。

 今、バレなかったとしてもたぶん次の日に小言を言われるだろう。

それくらいならばまだ、はいはいと聞き流すが、現行犯で捕まると説教が始まる。

それは避けたい。

ゆえ、静かに静かに…。

「っ?」

 と、言ったそばから何者かが現れた。

階段の上は、先に述べた通り、この家屋の宿屋としての部分だ。

 まず5~6段程度の階段が、踊り場まで伸びている。

その踊り場まで着いた後、左側に二度目の階段があり、この階段は二階まで伸びていた。

 姿に気づいたのは踊り場に足をかけようとしたときだ。

階段の上で影が揺れた。

一瞬だけ慌てたが、シルエットの形からして女性であろう。

 僅かな間に捉えることのできた情報から、ふわふわとした印象のワンピース。詳しいデザインは見て取れなかったため、予測に過ぎないが、就寝用のものだ。

要は寝間着だ。

 ただそれよりもイブキが気にしたのは髪型だ。シルエットから読み解く髪は短く切り揃えられている。

髪型の知識に疎いイブキもボブカットだったのがわかった。

 その髪型だけ知っていた。

理由は、サチがその髪型だったため。

彼の意志と関係なく、何度か耳にして勝手に脳が覚えた。

ダッカーはともかく、ほかのメンバーなら…おそらくテツオでも知っている。

 ただ…。

つい先ほどまで探されていた彼女がこんな夜中に行動することに対し、少々心配を焼いた。

何事かと思ったが走って追いつくことはせず、脅かさないようにただ普通に階段を上がる。

 といっても、普段よりも上の方向へいぶかしむ顔を向け、注意はする。

二階へたどり着き、次の階への段へ足をかけたところで、

 

――コンコン…。

 

ノックの音が頭上近くで降ってきた。

「ッ!?」

 今度は息をのんだ。

声こそ出さないものの、予想よりも早く、予想よりも近くで音が聞こえ、イブキの両肩は猫のように飛び上がる。

 咄嗟に、手すりに体を這わせて、身を隠す。身を隠すまま、背中を擦りつつ上への階段を数段上がった。

「―――。」

 誰かと喋っているのか。

扉越しに声をかけるくぐもった音を微かに聞いた。

ガチャリ…。

 扉が開き、彼女は扉越しから、面と向かってその人物と話す。

二階をほぼギルド月夜の黒猫団が貸し切っているが、三階には全く関係のない宿泊客がメインで泊っている。

サチが夜に関わるものはいなかったはず…。

しかしこれは数日前までの話だ。

(!…今のは…)

三階の階段を上ってすぐの部屋にイブキも知る人物がいる。

正確に言えば、ギルド増員に伴い、追加で継続契約を結んだ部屋だ。

 部屋の主は、

「キリト」

ハッ、と息をのむ。

イブキの思考は、聞こえた声、耳にした名前に打ち切られた。

「ごめんね。こんな夜遅くに…」

「別にかまないよ。こちらこそ、なにもおもてなしできないくて…」

「ううん、いいの…押しかけちゃったのは――――」

……パタン。

 ドアは閉まる。

ほんの少しの間、廊下の暗がりを照った部屋の光は再び木の扉に阻まれた。

 今、夜の闇を照らすのは階段の上がったところと、下がったところにある窓。

窓から漏れ出す満月から降りる月明かりのみ。

階段の半ばにいるイブキに、その明かりは届かない。

段に腰を下ろし。己の膝に肘が当てて、合わせた両掌が唇に触れている。

 その唇は暗闇の中で、

「ふふ…」

笑っていた。

「ふはは…」

心底楽し気に、笑い声を漏らす。

場所が仄暗いためなのか。

不気味にも聞こえるが、本人は本当に楽しそうで…。

嬉しそうであった。

「そうか…」

全部、悟れた気がした。

それでなくても十分すぎた。

「こいつは、素敵だな…」

 サチとキリトの関係に。もしくはサチがそれほどキリトを信頼しているということに。

今までできなかったことだ。

今まで与えられなかったことだ。

(SAOに来てから…あいつはずっと怯えていたからな…)

よいしょと、重くなった腰を上げて自室へ向かうため、階段から歩を下げる。

「心休まる場所を…ようやく見つけたんだな…」

張っていた気を解き、心配だった心をなだめる。

「よかった…」

息を吐きながら、言葉がついてでた。

若干の余韻に浸ってから、ゆっくりと階段を降り始める。立ち去る。

その間にも、彼に月明かりが照ることはなかった。

 

 

 自室に戻ってドアを閉ざす。

明かりはない。

当然だ。ここはイブキ本人の部屋であり、彼が灯さなければ明かりはつかない。

 彼は閉じたドアに背を預け、ゆっくりと身体を落とす。

目の前に窓があるが、月の位置からその光が入ることもない。

 階段よりも僅かに暗い室内で、ドアに凭れて疲れたように息を吐いた。

足は下がる身体に合わせて伸ばす。手も力を抜いて腿に掛ける。腰を降ろし、頭も後ろのドアと右肩に重さを任せた。目も閉じて、身を預ける。

影は増して落ち、表情は読み取ることは難しい。

まるで壁に座らせた人形。

張り詰めた気配は見ての通り無く、いっそ生気がないほどに力を抜けている。

 違和感として。

リラックスしている…とは、どこか言えない。空っぽというように、どこか目は夢を見ているようで…。

(しっかり守れってくれ…キリトくんや)

心は清々しく。迷いが晴れたような…。

いや…迷いが、喪失したようで…。

「オレってやっぱ、こっちの方が合ってるんだよな」

そうやって誰に届くわけでもない言葉を口にする姿は、ある種の弁明にも聞こえた。

あるいは、暗示とも。

「フッ。フフ…」

 くしゃっと、不意に咲く笑顔からは、また楽し気な声が。

ついには瞳を手で覆って笑いだす。

大きく…とは、決して到達しないが。

カラカラ。カラカラ、と。

壁掛けの人形は壊れたように。

優しく。微笑むように。

笑う。

「オレは…」

 一頻り笑い、閊えた息をフッ…と吐き出す。

また呟いて、―――

「俺が…!」

―――笑みが消えた。

「もっと強くならねぇとなぁ…」

 片膝を持ち上げる。

影から外れて、見えた瞳にいつものお茶らけた彼はいない。

彼はいない。

「あの二人がちゃんと現実に戻れるように…!」

 歯が見えた。

唇の微かな隙間から、歯が見えた。

 笑みから見える笑みではない。

憎むように。

怒るように。

決意するように。

まだ見ぬ敵を見据え、この世界を威嚇するような険しい表情を浮かべて。

 持ち上げた膝と、後ろのドアに手を突き、立ち上がる。

アイテム管理用の収納ボックスと手持ちにあたるアイテム欄を確認したのち。

足早に宿をあとにした。

(強く…強く…)

一つのことだけを思って。

(強く…!)

ダンジョンへ。

(もっと強く…!!)

眠らぬ者が一人。

 灰色染の生地で作られたインナーに身を包み、手と足、それから左胸には月光が鈍く反射する薄い鉄の装甲。

手が握るのは、右が盾。左は拳だ。脛当てを着けた足は歩く度に踏みつける力が強くなるように感じる。

 覚悟を決めて空気をめいっぱい吸い込む胸は、胸当てのベルトはきしむ。

(手っ取り早く強くなるには――)

手っ取り早く強くなるには、強い敵と闘うこと。

その分、リスクも大きい。

 しかし、チンタラやっている暇はない…。

だから彼は、自身一人でも対応できるギリギリの強さでレベル上げで行おうと考えたのだ。

 時間帯から、アイテムを仕入れることはできない。道具店は当然閉まっている。不定期に不特定多数の者が行う露店でさえも、予想通り開いてはいない。

手持ちの回復アイテムがどれだけあるかは先ほど洗い出した。

次に装備を確認する。

今、【ショートソード】は錬成中のため。今日編み出した戦い方に合わせた武器に作り変えるため、鍛冶屋に出した。

 剣の代わりに、たまたまドロップした【ファルシオン】を右腰に下げている。

武器が壊れた際、念のため余分に一つ武器を入れておくようにしていた。今、これが、その余分に当たる。

 ただ、【ショートソード】は【片手剣】に当たる。

【ファルシオン】は【曲刀】にカテゴライズされる。

どういうことかと言えば、今日一日で少なからず習得したスキルはすべて使えないということだ。

 とはいえ、彼が今持つ武器はこれ以外に持ち合わせていない。

だが、

「上等だ…」

街の転移門の前で呟いた。

顔に一部の隙はない。

 むしろ言葉とは裏腹に、よりいっそ引き締めた心持がうかがえる。

(地力すら上げてやる……スキルなんかなくても、どいつだって倒せるほど…!)

月光満たす夜の街に、別の光が…転移門の光が輝いた。

光が収縮し、消える頃にはイブキは当然おらず。だれもそこにはおらず。

当たり前に、夜は静寂を取り戻した。

 

 

「ありがとう…キリト」

「え?」

 唐突に言い渡された感謝の言葉に、若干面食らった声を落とした。

声の主はキリト。

感謝の主は――

「どうしたんだ、サチ。いきなり”ありがとう”だなんて…」

 自分はベッドに手を付き腰かけ、目の前の椅子に座るサチへ言葉を返す。

すると、サチは顔を横に振る。

ゆっくりと。

「いきなりなんて事、ないよ」

少し恥ずかしいのだろうか。

視線は少し下へ落ちてゆく。

「こうやって話してると、とっても安心するの…」

視線の先には自分の手がある。

「ほかのみんなとは、違う感じがする」

やはり気恥ずかしさからか、手遊びを始めた。

 だが、この言葉だけは真面目に伝えたかったのだろうか。

遊ぶ手を制し、膝へ置き。

「本当にありがとう。キリト…!」

真っすぐキリトを見て、言葉を贈った。

その頬はわかるか、わからないか程度に、桜に似た色に染まっていく。

「あ。いや、その…。困ってるときはお互い様だよ…」

 かく言うキリトも気恥ずかしさがうつったのか。

手首を鼻に当てて顔を隠した。

「……」

「……」

 僅かな沈黙は、顔を赤らむほど熱くさせるのに十分であった。

「な、なんかごめんね!あ!そろそろお部屋、戻らないと!寝不足になっちゃう」

焦り、焦り。

「へあ!?そ、そうだね!」

キョドり、キョドり。

なんとも初々しくも、いじらしいやり取り。

 ドッキリ番組よろしく、部屋にカメラでもあったら、見ているほうが恥ずかしく、そして何よりもどかしいこと請け負いだ。

「そ、それじゃ…!」

 いまだぎこちない動きで部屋から去るサチ。

それから、

「あ、あぁ…!」

いまだぎこちない動きで彼女を見送るキリト。

「……」

「……」

「あ、あの…」

「ん?ど、どうしたサチ?」

 いつまで経っても去ろうとせず。

扉がつく壁に半分身体を隠しながら、まだなにか言いたげに言葉をこぼす。

「明日も来ていい…かな?」

 少し目を伏せながら、彼女が言った。

不安そうに。

 とはいえ、キリトの性格から答えは決まっているようなもの。

かといっても、彼には迷惑を掛けているかもしれないという一抹の不安がぬぐえないでいた。

「つったって、キリトなら普通にオーケー出すだろう」

 ほかのギルドメンバーがいたら一様に声を揃えて言うであろう。

いや…。

 イブキとテツオに至っては、焦れて悶えて、サチをキリトへ放り投げ、部屋のドアを外から鎖で厳重に施錠…くらいまでやると思う。

 あの二人はラブコメは好きだが、ラブロマンス少女漫画は苦手だ。

なぜなら読んでいると、もどかしさのあまり、

「早く告白しろッ!」

と、なんとも情緒に欠けることしか言わなくなる。

 しかし…。

「ぁー…」

皮肉なことにも。

キリトの抱えるある問題が、返答の声を僅か濁した。

 即答でないことに、不安の色が濃くなるサチに、

「大丈夫」

微笑みを返した。

「俺は、かまわないよ」

 不安は濃くなった分、反転して、より濃い安堵へと変換された。

微笑は、彼女を満たした。

「うん…ありがとう」

「いや…大丈夫だよ」

 大丈夫。

サチはこの言葉が好きだった。

 恐怖と脅威しかないこのSAOにおいて、縁がない、在りはしない言葉と思っていたからだ。

意識的にか。意図せずか。

彼はその言葉を使ってくれる。

彼は、安堵にあふれていた。

多くの”大丈夫”にあふれていた。

「おやすみ」

「うん、おやすみ」

パタン…。

 静かに閉じられた扉が光を遮る。

近くにいる。

明日また会える。

 そう思っていても、暫時の独りの時は寂しくもあった。

「早く寝ちゃお…」

そう呟くのは心細さを軽くするためだったのか。

とは言え、寂しさは大きなキャンバスに一つだけ落ちた小さな滲みに等しく。

ベッドへと潜った彼女は、思いの外すんなりと眠りへと落ちていった。

 SAOに来てから、実に数か月ぶり。

思い返せば、懐かしく思えるほど久しい安眠であった。

 

 

 


 

 

 

[stage...5]

 

 夜の森は、日の光の代わりに月明かりが木々の間、葉の隙間から漏れ落ちる。

昼間にいた場所、《ひだまりの森》へ再来した。

あたりは街と同じく静寂に包まれている。昼間と同じでひっきりなしにモンスターが徘徊しているのかと思ったが、そうでもないらしい。イブキは周りを見ながらそう思った。

ガサッ―――

「――ッ!?」

音が聞こえた即座、腰を落として【ファルシオン】に手を掛けた。

 音がした方に意識を集中させる。

様々な身長の木々と雑草が混在するそこは、音の主を完全に隠している。

のち、こちらに気づいたのか。それは奥からのっそりと、姿を現した。

―――キシャアアアアアァアァァァァアアアァァ!!

音の主は、月光に照らされた姿は、 昼間に見た【マンティス】だった。

思い切り息を吸い込んでから発した戦う気に満ちた咆哮を上げ、両手を広げて、彼に臨む。威嚇する。威圧する。

 しかし威嚇され、威圧された当のイブキは、別種で無ければ強化個体でもない敵に、少々うんざりした顔で構えを崩した。

「またお前かよ…」

此処にはマンティスしかいないのか…とでも言いたげに溜息を吐くと逆手で柄を握る。

「さすがに飽きたンだけど、な!」

叫ぶと同時に走り出し、腕に力を込め、盾から紅い光粉が散り始める。

雄叫びをあげて振るわれたマンティスの鎌。

狙いは脳天。処刑人が罪人の首を落とす軌道で鎌の切っ先を突き立てようと振り落とす。

その鎌を頭のすぐ上に掲げた盾で器用に鎌を弾き。

同タイミングで、爆発的に盾の光が燃え上がった。

「ッツァア!」

カマキリの化け物はノックバックを食らい、そこへ容赦のない裏拳を放つシールドバッシュが細身の胴体を打ち抜く。

鈍く重い音と逆巻く土煙が吹き飛ばされるマンティスを追い、距離にして十メートル前後のところで虫の巨躯が重力に負けて地面に投げ出される。

立ち上がる暇は与えず。

 自分が出せる最速を持って距離を詰めた。

無常冷徹なほど油断無く。

腰から逆手抜きした曲刀の軌道を、そのまま薙ぎ払いに利用する。ある種の居合抜きだ。

と言っても、形だけの抜き打ちは素人臭さがありありと伺える。もしも現実で行っていれば、そのうち鞘に添えた指ごと相手を斬ることになるであろう。

 それでも持ち上げたマンティスの頭は、口を境に上顎から上を身から斬り飛ばされた。

苦悶の叫びは声にはならず、しかし読み取れる表情からむしろ大音声の絶叫を感じさせる。

蟷螂は体が倒れる前に、まず斬り飛ばされた頭が宙で砕け、巨躯が崩れて、光となって散った。

「…ッ!?」

 マンティスが死んだ直後。

視線を向ければ、暗闇の中、茂みの向こうに、数体のマンティスの目が赤く光るのがよくわかる。

不意に出た表情ではあったが、灰の彼はむしろ得意げに笑みを深く刻み、口角は深く裂け、

「なんだ?さぁ、さっさと来いよ…」

覘かせた犬歯を、噛み締めると、口元を下げた。

「根こそぎ狩り潰してやる…!」

吠えながら盾を払うように一回振るうと、ファルシオンを振りかぶりながら特攻。唸り声と共に駆ける。

呼応するよう、三、四体のマンティスが飛びたしてきた。

「ッチ―――――――― っかぁ!?」

一度止まってしまったのが悪かったか。

跳躍したマンティスを迎えようと静止し構えた直後、蟷螂の多脚の一本が彼の頬を打ち抜き、吹き飛ぶ体で緑の地面を削った。

「ッケ、虫が蹴るとはな…」

文字通り、蹴り飛ばされたイブキが口の砂を吐き、悪態を吐き、

「ッアアァァァアアアァァアアアアアァ!!」

―――シャアァアアアアアァァアアアアアァアア!!!!

吠えた声は一人きりの夜天に広がる。

 敵を殺すという意思の咆哮。それ以外に含まれる感情などあるわけがなく。

ましてや、相対する心のない紛い物の化物なぞが、その真意をわかるわけもない。

 声は音となり、空中の暗闇に吸われ、消えてゆくだけ。

繰り返し、繰り返し。

咆哮は闇に消える。

 

 

 日付は2023年4月11日。

時刻は丁度、翌日を迎えた直後の午前0:00ごろ。

犠牲の初めの一歩である。

 

 

 

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