SAO_Another【Hero Alternative】   作:かてん

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――この作品は、原作やキャラクターを貶める意図はありません――
――下記の注意を踏まえ、”スピンオフ”としてお楽しみ下さい――

※注意。
・この作品はオリキャラ、原作の展開改変を含んでいます。
・場合により変更・追加・解釈してある部分がありますが、なるべく原作の大筋に外れないよう配慮してあります。


002_邂逅・中編

[stage...1]

 

 2023年4月13日、深夜0時半。

夜天には満月に満たず、瞳に似た形を得た月が地上へ光を落とす。

落ちる月明かりの下に、地面を覆う木々たちが月明かりを得て、影を落とし。

落ちた影の闇の中、五つの光が生み出され、交錯し駆け回っていた。

 一つは銀光。

細長く片端を支点にして回るもの。これは単一であり、常に動き回り、跳ね、落ちる。

 もう一つは赤光。

二組の小さな光が一定の間隔をあけ、共に動く。これは複数であり、ときに動き、ときに止まるものもあるが、必ず銀光へ向かって再び動き出す。

この二つの光源は、戦闘を行う者の光だ。

―――シャァアァァアアアアアアア!!!

 赤光は、巨躯の虫。

二つの鎌を腕とし持つ蟷螂。一つを刈るために多勢にて獲物を追う。

 そして、

「うおおぉぉあああ!!」

銀光は人だ。

銀光の正体は人が振るう剣であり、人は巨大な蟷螂と相対し、戦う。

 断続的に生まれるのは、鎌と剣が打ち合わされて発生する火花。これを三つ目の光とし、一瞬だが相対する双方の姿を一瞬でも視認できるほどに激しく発光する。

火傷しそうなほど強く。燃え上がりそうなほど激しく。

火花は迫る鎌を盾で弾き返されてでも、生み出されることが時折あった。

 それはもちろん防御のための動きでもあるが、この防御のほとんどには”人が蟷螂の懐へ懐へと進む動き”という意味が付随した。

 そこが最も敵の近くでありながら、最も安全な箇所と知ったからだ。腹から腕でも生やして殴らない限り、捉えることはまずできない。

往なす動き。攻めるための防御。

 ほかの蟷螂は同士討ちの危険から攻撃を行うことはない。真正面に迫られた者自身も、弾かれた腕では攻撃ができず。また、そうでなくても最も近くにいながら、その位置関係では攻撃がもっとも行い辛い。

眼前、真正面を目指し、その寸前で攻撃を繰り出される。

 しかし攻撃を銀と赤以外に、紅の光を盾が生み出した。

四つ目の光はこれを指す。

まず火片に似た灯が小さな蛍の群れのように盾から離れてゆき、一定の時間が経過すると一気に紅の光が焔のように燃え上がる。

 紅色に燃ゆる盾にて攻撃は弾かれ、人は拳一つ分もないその距離まで迫った。

 攻撃を防いだ際に、手ごたえはあったが盾に衝撃はない。

これは盾スキルが立ち上がった証拠だ。タイミングは辛うじて間に合い、スキル発動条件は満たされた。

手を伸ばさずとも触れられる距離に進んだ際、盾をつけた腕は盾を握ったまま拳を作り、肘は既に限界まで引いている。

作った溜めは臨界を超え、留めていた呼吸は短く、短い掛け声とともに吐き、盾を放つ。

「――ラッ!」

両脇を絞め、小さくコンパクトに突き上げる軌道。盾を使用したショートアッパーによるボディーブロー。

全身の反発も利用するため、拳を放つと同時に重心を僅かに落とした。

 ドッ、という短く鈍い響きが発せられ、僅かだが確かに打ちあがった蟷螂が落ちる影を濃く大きくする。

 首を絞め上げられるような悲鳴が締め出され、抗うことなく傍らも地面へ向う。

スキル【ブロッカーブロー】……カウンター成功後に、最も素早く放てるカウンター系の盾スキル。下位スキルであるが、その速度と威力は今この情景のあり様の通り。

「よし。これで、7か」

 銀光を操る人はつぶやき、蟷螂が濃くした影から抜け出て次を襲う。

背後にて、落ちた蟷螂は動かなくなってから約二秒後、光が生み出された。

 五つ目、最後の光。敗れた蟷螂が、死んだモノの体が、霧散して消える光だ。

例外はあるものの、この光が放つ頃には人は囲まれないために駆け出し、場を離れた後だ。生き残りの蟷螂もこれを追従する。

この光が放たれる頃には、何ものもそこにはおらず、光って消えて、誰を照らすわけでもなく何もなくなる。

 敵の囲みを潜りぬけると、即座転進。盾で攻撃を弾きつつ、うち一体に接近して攻撃を行う。

これが、現在闇夜の中で行われている戦闘の全貌である。

たった一人の人間が、複数の化け物と渡り合う光景だ。

 10分にも満たない時間を経て、戦闘が終わった。結果は、人が残った。

余韻を噛み締めているときも、剣を納めてもなお、その者は呼吸は細く弱い。

手は剣を収めた時から動かず、柄を握りしめたまま。手が震えている。それは納刀を補佐するため、添えた手も同じだ。

 数秒の時間を用いた後、鼻で空気を吸い、剣から手を放しと、ステータスウインドを展開。

確認したのは経験値の欄。

「次のレベルまでは……あと9体ぐらいか」

それだけ確認し、人はステータスウィンドウを消し歩き出した。

 月明かりを避けたつもりだったが、不意に吹いた風は葉を揺らして、光を歩く人のほうを向く。

サーコートににた意匠を持った灰色の服と、左胸と脛にそれぞれ鉛色の鉄板を打った防具で装い。

黒い髪に、紅い双眸。

ギルド『月夜の黒猫団』所属メンバー……イブキが一人、夜を闊歩する。

 偉業も、異名も、汚名も、畏怖されることもまだ無い。なにも無い。

ただの人間だ。

 

 

 


 

 

 

[stage...2]

 

 同日。

つまりは、西暦2023年4月13日。その日の午前8時47分。

陽光は朝を疾うに越えて、昼の様子へと変わる最中。

ギルド『月夜の黒猫団』の暫定的な拠点となっている宿『グラスランナー』の一室に人の集まりを見つける。

 宿の二階。黒猫団ギルドメンバーが集まっていた。

「おーイ、寝坊助連れてきたゾー」

 集う部屋の扉を開きながら、高い声の少年に注目が集まった。

黄色の髪に、年齢にしては低めの身長の彼が、自分より大きい人物を担いでいる。時折…というより、歩くたびに半ば倒れ掛かる相手の体を背と肩に抱え、腕をつかんで引っ張り上げながら、ここまできた。

「ご苦労様、ダッカー」

「ほんとにナ…。ったく、重イ!ほら、しっかり歩ケ!」

「……」

 背に抱えられる者は、頭が落ちてボサボサの髪で顔を隠す。

耳をすませば、「うぅ~…」とうめき声が、聞こえるだろう。彼の肩には、ぐしゃぐしゃにまとめられたブランケットが引っかかっており、比較的軽めの布は纏まることで重みを得てのしかかる。

彼の足取りは、もはや千鳥足を通り過ぎ、引きづっているに近い。しかも両足。

「寝不足だな。今日も、イブキは」

 言って、からから笑うのは細目が特徴のテツオだ。

イブキと同じくらいの身長の彼の眉間に、僅かに皺が多く刻まれている。

それはひとえに眠気から生じるものであり、引き摺られる奴ほどではないにせよ熱い玄米茶を啜って、眼に纏わりつく眠気を薄めさせていた。

「うぅ…お…」

 声に反応して言葉を…いや、声を返した。返したつもり…ではいる。

会話どころか、意思疎通すらもできない。枕でつぶされた髪はいつもよりも顔にかかり表情すら読めない。

眠いということは、伝わるが…。

いや。それは見ればわかることだった。

「いい加減、目を覚まセ!重いんだヨ!―――トッ」

 寝坊助を背負っていたダッカーが担いで握っていた腕を、肩から外した。

首を経由して肩ごと引っかけていた腕は、ダッカー自身が頭を下げて前へ滑らせて、一度だき抱える形へ。

立ったままのイブキが、上げた片腕を、鉄棒を掴むように体の前でダッカーが捕まえている。

 もっとも、イブキのほうは眠気で力が入っていないため、抱えられ、相手に身を任せるため、前へと倒れこむ体重は、そのまま前のめりになりながら、落ちていくように進む。

「ほイ!」

 落ちる体を抱えている腕で操り、引っ張たり、押し出したりして、椅子へと尻をつける。いや、つかせた。

さながら、動きの悪い操り人形。

「ほら。お前は紅茶派だったよな、イブキ」

 「あぁ…」と、ケイタの問いにイブキは今までと同じ音だけで答える。

「うぅ…」か。いや、「おぉ…」だったかもしれない。

 返事と取れない返事に、問いかけた当人が苦笑しながらもポットを取り、トポトポとイブキのマグカップを紅茶で満たした。

 寝ぼけ眼で見えずとも、耳は満足に機能するのか。

音で気付いて、ぼやける視界でカップに手を伸ばす。

「ほい。お前さんの分のトーストねー。目玉焼きとベーコンは自分でとりなー」

 語尾を伸ばす和やかな雰囲気を絶やさない口調はササマルだ。差し出したのは、皿が一枚、それから竹で編まれたバスケット。

皿には今言った通り、目玉焼きとベーコン。すっかり冷えて卵の黄身は一部固まり、ベーコンの油は白く浮き出ている部分が点在する。

「あー……おぼぼぼう…」

「行儀悪いから紅茶を飲みながらぶくぶく吹かすのをやめろ、オイ…」

 紅茶から口を離すと、テーブルに肘を突き、立てた肘の上にある掌に額を乗せた。

口からは相変わらず「あ~…」と、不調マックスの声しか出ない。圧倒的に睡眠が足りないことに、頭を抱えて打ちひしがれている。

 イブキが落ちてくる瞼と戦って、朝食に移れない姿を左から見る観察する者がいる。

先日、ギルドに参入したキリトである。

 隣にはサチが座っていた。

彼らが座ったり、立ったりしている中心には、楕円型の木製テーブルが置かれており、イブキが座るのは楕円両端の片方。曲線がカーブし折り返す部分の頂点からややズレた位置だ。

七人が同時に座るには、若干ズラす必要があってのである。それゆえ、テーブルに配置された椅子同士は微妙に対角から外れている。

キリトとサチが座るのは、楕円の側面片側。椅子を二つ横に並べ、キリトは残ったソーセージやサラダをつまみ、サチは自分の紅茶に角砂糖を入れる。数は今入れたので三つ目。

「イブキ。朝は弱いのか?」

 残り物をつまむために使ったフォークでキリトは、紅茶に溺れるイブキを指した。

「うん。だから、学校もいっつも遅刻寸前」

 答えたのはやはり隣に座るサチ。

彼女は紅茶をスプーンで回しつつ、笑みも含むた残念なものを見る…憐れむ目で、訴えるようにキリトを見てから、残念なものであるイブキに視線を戻した。

「あー。朝メシ一限目終わってから食ってたよな、確かいつも」

「いつも紅茶と菓子パンを食べてるイメージだねー」

「正しいは流し込んでる…だな、どっちかっつと」

「本人曰く、夜更かしは得意らしいんだって。私は眠くなっちゃうけど」

「右に同じ~」

「夜型なんだな…」

 苦笑しつつ、キリトが発言。

「うん。そういってたし、本人も徹夜が特技って言ってた」

「あ~、そういえば~。ちなみに、キリトも徹夜は得意~?」

「お、俺も徹夜しちゃうときはあるけど…さすがに次の日は寝るなぁ…」

「あ~そういえば…文化祭準備の時に映し出す展示作るために徹夜したんだけど、そのときは一番元気だったよコイツ」

「へぇ。やっぱり特技って言うだけあるんだなぁ…」

「あぁ。だけどその後、朝からは気力で立ってたけど……白目向きながら歩いてたよな。ほんとアイツ、無茶するときはとことんするよな、お~い?」

 素直に話を聞いていたキリトだったが、ケイタの話を聞いてさすがに曇った。さすがに口端には申し訳程度に笑みはあった。

「頑張りすぎ…」

「あったあった!揃ってたよな、三拍子。白目、土気色、半笑いと!してないんだよな、一睡も。あんときは」

 キリトの表情から笑みが消えた。頭の中で、記憶の端に似た自分がいたことに気づいたからだ。

「ほんとにもー、あの時は…。いつ倒れちゃうか気が気じゃなかったよ…」

「でも勝手にイブキの頭にネコミミ付けたり風船付けたりしてるとき、一緒に友達の女子と笑ってなかったか?どうなんだ、おい?」

「ちょっとおかしかったからね。フフ。――あれ?どうしたのキリト?」

 当時の光景を思い出し、笑みを溢したサチは、となりの人物がバツが悪そうに顔をやや下を向かせて背けてているのに気が付く。

「いや……俺もちょっと心当たりが……」

完全に同一犯の顔であった。

「キリト…。夜は寝ようよ……。その日疲れちゃったでしょ…」

「は、ははは…」

「アー、あァー!汚イ、汚イ!口の周り卵の黄身だらけだゾ」

 突如上がった声につられ、視線はまた寝坊助に集まって刺さる。

そこにいたのは、無配慮にトーストエッグに噛みついたイブキ。黄身の薄皮を破って溢れさせた黄色のアクセントが口の周りを満たして落ちた。

落ちた黄身は増したのさらに溜まる。

「うっはっは!ダメダメだな。相変わらず、朝イブキは!」

 うるせー…と、目玉焼きを乗せたトーストを頬張りながら、間の抜けた抗議を刊行する。

キリトが入ってまだ一週間も立っていないのに、この醜態…。

「同じ黒髪なのに…。えらい違いだよな、キリトとは?えぇ?」

 聞こえる呟きをわざと耳から零し、肘をテーブルに突き、腕を立てる。

立てた腕の親指と人差し指で眉間を摘み、頭の荷重を任せた。

ついでに汚れた口も濡れ布で拭う。

ちなみにかじったトーストは一口食ってそのままだ。真四角なトーストと楕円の目玉焼きに半円の齧って削れた箇所がぽっかり空いている。

「十時にはまた訓練に出るから、それまでに目を覚まさせとけよ、おい。…オイ、きいてるか?」

「おぉ~…ぼぼぼぶくぶくぶく」

「だから、紅茶をぶくぶく吹かすなって!」

「朝とは……かくも辛いものだったか…」

「おいおい…。お前がそうしてんだよ」

あぁ…そうか…、と気だるげに呟くと、ガクリ…頭を落とす。

「あ、死んダ」

 落ちた頭にパーン平手を左からたたき込むダッカー。右からはテツオが拳を押し当てている。

グイグイッと。

「ンが…」

 頭が上がった。

だが目は白を向いている。

「あ、起きタ」

「死んでるよ、いや。目がな」

三秒経って黒目が戻った。

 もっとも、彼の瞳の色は赤だが。

「おいおい…。こんなんで今日の訓練の話できるのか…?」

「紅茶じゃなくて珈琲を注ぐべきだったね~。ゲロゲロに苦いやつ~」

「外道だな、お前も大概…」

「ササマルはやるときはやっちゃう性格だからナ」

「お、さすが小学校から一緒」

「そんなんじゃなくテ、目玉焼きのソースに辛子でも突っ込んだほうが早くないカ?」

「まずひとりでに目を覚ますのを待とうよ…」

 苦言を呈したのはサチだった。

ちょっと困った表情に、呆れた感情をブレンドしたような微妙な顔をしている。

口元だけは、仕方ないと笑うが。

 隣に座っているキリトは困った笑み100パーセントを表情に出す。

ははは…と乾いた笑いが漏れている。

 すると、

――っパン!

と、音が鳴った。

一同が疑問を表情に浮かべて音源を見る。

 そこには疑問を浮かべていない一人がいた。

目をギュッと閉じて、口を弓型にして、必死に眠気と戦い追い出そうとしている。

ま、言わずもがイブキだ。

「大じょうぶだ。起…きて、る…」

 音は、彼が顔の半分を叩いた音だ。

目覚めの気付け…というより、正確には単に顔を半分覆いたかっただけだろう。頬杖兼、日差し避けに近い。

気付けの意味も若干入っているだろう。偶然だろうが…。

「ん~~~~~~……」

 薄くだが、目の周りを萎めたまま、瞳を開いた。

目を食いしばれ…という頓智をバカ真面目にやっているような顔だ。

時たま大きく目を開いては、また目を強く閉じる。また薄く開ける。

 表現するとまるで痛みに耐えているような苦痛な表現になるが、これはすべてただ眠いだけだ。

撃沈寸前でテーブルに鼻先ぶつけそうなのは未だ継続中ではあるが…。

 今一番、顔の筋肉が忙しいのも彼だ。

新手のオブジェみたいに、ぐるぐるぐるぐる行動と頭を回して振ってる。ヘビーローテだ。

「イブキ、おかわりいるかい~?」

一度がっくり下がった頭を、額に手を当てて支えた。

支えた手の肘をテーブルに着き、同じテーブルの上、逆の手に持ったカップを見て、空っぽなのに気づく。

緋色の水面は雫ひとつがカップの底を濡らすだけ。

「も……らうわ……」

 閉じた瞳を、顔をずらして着いた掌に隠した。

「はいはい~」

 ガチャリとポットを動かす音が耳で確認できた。

トポトポとカップが満たされてゆくのを音で、さらに徐々に手にかかる重さで感じとる。

 ただ寝起きで鈍いのもあるが、珈琲派の連中が手にした珈琲の匂いが一番強く立ち込めていたため、香りから判断はできなかった。

「すぅぅ……。あぁ~…」

 一度、大きく鼻で息を吸ったイブキ。双眸を隠した瞼を絞るような強さで何度か指を擦りつける。頬杖をのためにテーブルにつけた肘、その先にある手、指の親指で片目を、中指と薬指でもう片方の目を擦る。

頭の振りを止めて、天井に顔を向けた。

その時に、吸った息を吐きだす。声と共に。

 息と声の比率は徐々に変わってゆき、最終的に眠気に堪える、眠気にこたえる辛そうな声だけとなった。

カップだけは、健気にも口元に近づけようと試みていた。

が、半ばで止まって、

「あ~~~~~~~~………zzz」

イブキ、撃沈。

「飲め、寝るな」

 寝た奴の体を自由に動かすなど訳無い。 

「むぐ―――」

片腕を掴み。

顎を掴み。

口開けさせ。

カップの中身を流し込む。

「――――――む」

 真ッッッッッ黒に淹れられた珈琲を。

「――――――――――――んッ!?」

真っ黒い噴水…いや、爆発が起きた。

 周りで軽く悲鳴が上がったが、幸い爆発勢いは下。くしゃみをするような形での吹き出しは、被害を爆心地本人のみに留めさせる。

次に上がったのは爆心地の悲鳴だ。

「アっッッッッッッッッッちぃぃいいいッ!!?」

飛び散ると思ってあまり派手に動かなかったのは最後の足掻きだった。

「つか苦っ!あつ!なんだ!?がばぁ!?」

 SAOに痛みはない。

熱さも、痛みに相当する温度はシャットアウトされるか、上限設定されていう温度で感度については留まる。

 加えて今回のケースは、唐突・寝ぼけ・大量投入と三拍子そろってる。

せめて完全に覚醒していれば、

「あち。」

程度で済んだだろうに…。

いま、本人は死ぬ気で動かないように耐えている。そのせいで、全身が、おもに体の端々が小刻みに震えている。

「テメェ、なにしやがる!」

「起きただろ。どや?」

「どや?じゃねえよ!火傷しただろうが、テツオぉぉ!」

「無ぇよ、ケガは。SAOに」

「つかこれ、珈琲じゃねえか!」

 自分にブチ掛かったもののシミやカップにギリギリ残った液体の色を見て、イブキ激昂。

「いや…これ、珈琲なのか…?」

「お~。目が覚める特別ブレンドだ~」

 そういって告げたササマルは、ポットを持ったまま逆の手の親指と小指を立てて振る。

「なんだなにが特別ブレンドだ…!しこたま濃く苦く作っただけじゃねえか――っう!?」

時間が経って熱が引いたこと、一通り叫んだことで息を使い切ったこと。二つの理由から、さらなる味覚の暴力がさらに畳みかける。

「つか、この苦みの後にくるスースーする感じはなんだ…!?」

「お~、気づいた~?」

「き、づ、く、わ!…なんだこれ?!」

「珈琲淹れたあとに、カモミールの茶葉入れたんだわ~。すっきり目覚めるでしょ~」

「ササマル、カモミールの主な効果は、安眠だよ…」

「あれ?そなの~、サチ?すっごい歯磨き粉みたいな味がするから、朝に飲んだらすっきり目覚めるものだと~」

「どっちにしろ混ぜるんじゃねぇぇ…!ううっ…苦みの中に…!いや、苦みと絶妙にマッチして広がる不快な清涼感が…!」

 呪詛でも吐き垂れるような低く唸る声色で、口の奥から吐き出しそうになるものを抑え込んでいる。

椅子から半分立ち上がって、胸と口付近に手を添え。

息を吸う度に襲ってくる苦みを孕んだ清涼感が呼吸を行うのを―――一瞬、いやこの一瞬の躊躇が二、三度―――無理やり言えば、三瞬間くらいの躊躇が挟んだ。

 そして、後ろで「ウッヒャッヒャッヒャ!」と笑っているダッカーがうるさい。

ついでにその隣でテツオもニヤニヤ笑ってるのも腹立つ。普段、あまり開けない細目を薄く開けているところがとくに。

ほっとくともう二、三のイタズラをやらかしそうなので、苦い清涼にもだえる彼はダッカーを叩いてテツオにぶつけた。

「お~、起きたね~イブキ」

「なんだよ、そら起きるわ。あまりのミスマッチにな」

「いかが、もう一杯?」

「テメエで飲め、狐目野郎…!」

 込み上げる感覚がなくなったイブキは、鬱陶しそうに首を回す。

強制的の覚醒に脳が追いついてないため、眩暈に似た感覚がわずかな時間だけ襲った。

眠気に襲われた時と同じように、片手で両目を擦る。

 数回強く瞬きし、覚醒に脳が追いつき、僅かにまとわりつく眩暈の名残りすらも消え失せた。

「あぁ…。ようやくちゃんと起きた…」

 彼からその言葉と、語気や様子に眠気がないことを見て取り、団長のケイタが口を開く。

「そうか。なら今日のこと話すぞ、おーい。食いながらでいいから聞けよ?」

はいよ、とイブキは返事を返す。

他のメンバーも席に座る、ケイタのほうも向くなどの行動で話を聞く意思を示して、返事とする。

「その前にちゃんと紅茶くれ…。まだ少し頭回らねぇ」

 珈琲を噴き出したイブキは、ビシャビシャになった服を替えの服にイベントリを操作して変更した。

データ化してアイテム欄に加えたことで服の濡れは情報として消えるが、面倒なのでそのまま替えの服のまま過ごすことを決めた。

「あ。ごめんね、私飲んじゃったかも」

 紅茶が入っていたポットはサチの前にあった。しかし、そこに中身はなかった。

さっきのイブキ珈琲吹き騒動の間に何人かが飲んで、たまたま最後の一杯をあおったのが彼女だったという話。

「んあ?なんだ、マジか」

「どうする?淹れなおしてこようか?」

「あー、大丈夫だ。なら珈琲でも十分だ。ただしミルクと砂糖入れてくれ。多めで、な…」

「あ~、飲めないわけじゃなかったナ」

「さっきのは御免だけどな」

「珈琲、ホラよ」

「おう。サンキュ」

 珈琲の入ったポットが回て来た。ついでに、砂糖の入った小瓶とマグカップ大のミルクピッチャーもそばに置かれた。

 ゆえ、ケイタは本題を話し出す。

「それで今日の訓練は、言わなくてもわかると思うが、メインはイブキとサチだ。二人の前衛に慣れるための訓練…それが今日の―――」

「ぶふうううわっ!!?」

 二度目の悲鳴が起きる。

二度目の悲鳴で話は途切れた。

 貰った珈琲を噴き出した奴がいた。替えの服に、また黒いシミが爆発する。

「うおえぇぇ!誰だ!さっきの超ゲテモノ珈琲を俺に回したのは!しかも砂糖とミルクがマシマシでひでえ味に仕上がってるぞ!」

 二人、笑っている奴がいた。

「いや、わかってんぞ…」

さっきと同じ、反射的に軽く立ち上がり胸と口に手を添えたイブキはその笑い声が聞こえた。

 二人はケラケラ笑いながら、お互い片手をタッチする。

パンと、小気味良い音が響き、

「ダッカー!テツオぉ!」

怒声がこの笑いに噛みついた。

「おっシャー!」

「ビンゴー!」

「よっしゃー!じゃねえし、ビンゴでもねえよ」

替えの服がビシャビシャになったが、お構いなしに不味さのすり替え・グレードアップを行った犯人たちに襲い掛かった。

「ヤベっ」

「逃げロ」

「待ちやがれ、悪ガキコンビ!」

 テーブルの周り、部屋の隅へと、ドタバタドタバタ高校生三人が走りまわる。

うち二人、追う側と追われる側に170cmの高身長がいる。

それでも全員、この部屋に配置された家具や料理、他メンバーにぶつからない。

動きからこういったことに慣れているのだろう。

嫌な習慣があったものだ。

「おいおい…お前ら何やってんだよ…」

「なンっだよ、俺を含めるんじゃねえ!オイこら、テメーらちょっとこっちこい!」

「でた~。現実でも高校でこんなんあったね~。今回、追うのはイブキか~」

「もー…。食べ物とかひっくり返さないでよ、三人とも」

 慣れていたのは走り回る三人だけではない。

ケイタは呆れ、ササマルは平常運転で、サチはテーブル上や家具の心配をする。

「アッ、しまっタ!捕まっタ!」

「離せぇ、ダッカー!」

「オラぁ!大人しくしやがれ」

 ただ一人慣れてないキリトは、目まぐるしい光景を前にして、しばし忘我に囚われていたが、

「…く……ふふふ」

笑顔がこぼれた。

「ふふ、フ、ハハハ…!」

 これに一番初めに気づいたのは、ほかならぬ彼の隣に座っていた彼女だ。

「キリト?」

握った手の甲を口に当てて徐々に大きくなる笑みに、僅かに首を傾げたサチがそんな彼を見た。

 これに呼応して、テーブルについている残り二人も反応、疑問を表情に出すことで投げかける。

「いや、ハハハ。騒がしい朝だな…ってさ」

三人――二人が取っ捕まって両腕一本ずつに締め上げられている様を見て、キリトはまた笑みを溢す。

 思えば、この朝だけは変わらなかった。現実の世界から。

当たり前すぎて、気付かなかった。

なんて喧しくて、騒々しい、そしてなにより変わらないことがとても温かい。

なにも変わらない朝。

 それは新参のキリトがいても同じだった。

いや、むしろ…彼が来てくれたことで気付かされた。

この朝の安らぎに。

変わらないものに。

 ある意味、彼が連れてきたようなものだ。この、陽だまりの中のような温もりと光は。

「……ふ、ふふふ、確かにね」

 つられて、隣の彼女が笑った。

軽く掌の、人差し指のあたりで口元を隠して。

愉快に。かつ、和やかに。

そこに、キリトがいつも彼女からくみ取っていた感情はなかった。

とても楽しそう…。

 別の声色で、溢すように小さく短い音が聞こえた。

耳にしたそれは瞬きほどに短いが、明らかな笑む音で、

「確かにな」

呆れた団長が―――ケイタが、それでも口端に笑顔の色を濃く表した。

「あっはっは、ほんとにね~」

便乗…に近く見えたが、やはり爆弾珈琲を一番最初に仕掛けた張本人も―――ササマルも、彼らの笑みに誘われた。

「ったく、こいつら―――ん?」

 テツオとダッカー、双方を方椀ずつつかってヘッドロックにしているイブキも、これに気づく。

無論、抱えられた二人も。

「和やかなもんだな」

この言葉の合図としたように、力を緩め、緩めた腕から二人は抜け出す。

「へっへっへ!ひと笑い取ったカ、イブキ?」

「なんだよ。馬鹿いうな、たく」

「無駄じゃなかったわけだ、お前の珈琲自爆は」

「るっせ」

その返答の後に、テツオ・ダッカー両名も朗笑に加わった。

微苦笑ではあるものの、イブキもこの和に参加する。

 そして、皆一様に笑みだ。

今だけは現実と変わらない。仲間の笑みだけは変わらなかった。

 

 

 


 

 

 

[stage...3]

 

 2023年4月13日、午前11時。

前衛転向組の練習のため、引き続き《ひだまりの森》へと赴いた黒猫団一行。

訓練内容は変わらない。

サチとイブキを前に置きなるべく二人を主に据えて戦闘に参加。新しく変えた武器に慣れることと、前衛の立ち回りを覚えることを目的とする。

 そのため、二人の随伴としてキリトかテツオのどちらかが、どちらかにつく形を取っている。

キリトとテツオ……この二人は元々前衛のため参考になるうえ、アドバイスや必要とあらば訓練組のフォローもできる。

 だいたいはキリトがサチへ、テツオはイブキに回ることがほとんどだ。

訓練開始当初の日は交代であったが、訓練組の片方が他の連中にバレないようケイタと、それからキリトにもひっそりと言ったのだ。わざわざ、それぞれの部屋を訪れて。

「オレは大丈夫だから、キリトはアイツについてやってほしい」と。

そっちの方が安心だろ?と付け加えて。

言ったと記したが、押し付けたに近い。付け加えた言葉を吐くと、

「盾をメインで使っているオレは、同じ盾使ってるテツオのほうが参考になるし、戦い方の確立してないアイツに強いやつがついたほうが都合がいいだろうしな」

相手が其の案を考えようとしているとき、正論で浴びせ、極めつけはそれだけ言うとすでに去っていたのだ。

「じゃ、よろしくな~」

そう言って。

 キリトもケイタも返答は、

「あ。オイ!」

だったが、キリトには「ケイタも了承している」と、ケイタには「キリトもいいってさ」という嘘まで言って、この話は可決された。

 

 

 《ひだまりの森》へで戦闘を行う黒猫団一行の中、一人、武装に変化があった。

イブキの【ショートソード】は錬成され、【ブロードソード】という剣に新しく生まれ変わり、握るのはそれだ。

【ショートソード】が細長い長方形という印象ならば、【ブロードソード】は長く伸ばした三角形という印象を受けるだろう。

長さは【ショートソード】よりも一回り短いが、その代わりと刃の幅は広い。

その幅広の【ブロードソード】を振るって立ち向かう彼。

 無論、目は覚めている。これがあのゲテモノ珈琲のお陰かどうかは知らない。

剣は彼の左手に…。逆手で持ち、右手を盾で覆う。

――――ギィィン!!

右の盾で攻撃を防ぎ、

「うおおおぉぉ!!」

左の剣で斬撃。

現在、イブキの戦闘スタイルはこれで固定されつつある。――――防御を中心とした戦い方。

 ……いや、違う。

反撃。カウンターを中心とした戦い方だ。

相手の攻撃を誘うため懐に向かい、まんまと来た攻撃を防御ではなく、すべて弾き返し、そして切り殺す。

事実、盾は攻撃の到達地点に置くのではなく、攻撃に対してブチ当てるように振るっていた。

あるいは………。

―――ビィィィィィイイイイイイイイイ!!!

 今、殺したマンティスの後ろから、巨大化した蜂が現れた。

【キラービー】というネームプレートを掲げた蜂は、雄叫び上げるごとく羽を振るわせ、尻についた針…いやもはやその大きさは針ではない。長さはナイフに勝り、鋭さはアイスピックそのものだ。刺殺武器と変わらない巨大な棘。

貫くことのみを目的とした錐の武器を、空中にて待機していた蜂は彼へと一直線に突き出す。

 狙いは頭蓋。

顔を上げたイブキへと、震える羽は抱こうとする手の如く大きく広げて精一杯大気を捉えて蹴る。蹴って進む。

自らの懐へと彼を捕え、上から突き立てる。

「なんだ。飛んで火にいる、ってやつだな」

 紅の目が蜂を捉え、紅の光塵が盾より飛散し始める。

顔を上げるのに伴い上げた盾は、彼の頭に追いつき、顔面を覆う。

 少し腰を落として距離を稼ぐと、思っていたタイミングでキラービーの針が衝突。

衝突と同時…いや直前に、爆発のような勢いで紅の光が盾より出でる。

カウンタースキルのタイミングは完璧であった。

 キラービーは衝突後、ノックバックを受けて空中を二転三転。その体勢を何とか直そうとした最中。

――――ッ!!?

鈍い音がした。

ッビキリ!と、ヒビが入る音とも、ッバキリ!と折れた音とも取れる。

ロブスターを折って割ったときの音を想像すれば、おそらく近い音を浮かべるであろう。

スキル発動条件が達成され、ノックバック効果が付与。ノックバック効果の乗った盾に阻まれ、キラービーは強制的に撤退。

 直後、横合いから盾付きの拳で打たれた。それは姿勢を直そうと体を倒していたタイミングだ。

言い直せば、”横になった体を、下からおもいきり殴りつけられた”、だ。

今の音は殴られたときに発せられたもの。

 イブキが立ち上げたスキルは【ブラスト】。一番最初に習得したカウンター系盾スキル。

スキルのモーションに従い体を一周する途中。その体も傾けるようにしてしゃがみ込み、下がった盾を上へと振るう。

ブラストの攻撃は円運動による裏拳。その円の軌道を中心となる体を傾けることで、横の回転を縦回転へと無理やり変えた。

しゃがみ込んだ足も、バックハンドで放つ盾を繰り出す際に伸ばし、かつ飛び上がる。

 クリーヒットしたキラービーの薄くともそれなりに硬い甲殻に甲殻にヒビが入り、亀裂が走り、体が軋んで殴り飛ばされた。

森の中ということもあり、上空に存在した枝を何本か折って、とびきり太い枝にぶつかって止まる。

上へのベクトルは無くなり、重力に任せ下へ落ちていく。そのまま地面に激突するのは、もはや必定であろう。

 しかし、地に落ちることはなかった。

落ちる寸前。イブキが斬った。逆手の剣にて、左から右へ。下を経由して上へ向けた動きにて。

【ブラスト】を当てるために飛び上がった着地後、上体を前傾にしたまま体の中心線直下に左足を置き、頭から左足を中心軸とする。

この状態で体を回ことにより、前傾にした体は、背を仰け反った後傾へと変わる。地を向いた顔は空を仰ぐぎ、顔が反転し始めると同時に、バランスを取るため中心軸から外した右足は蹴り出す形で持ち上げた。

左の剣が、右へと赴くことが、斬り上げる形と同じになる。まるで振り子のように…。一番低い地点を通過した後は上がる軌道だ。

落ちる蜂と、上がる剣。

ギロチンの刃と処刑者の位置と動きを逆にしたようなこの状況でも刃は正しく働き、蜂はサッパと胴体から真っ二つに処された。

 蜂の死骸は今、光となって空中でガラスのように割れ、砕けて死んだ。

これが今の、彼の戦い方だ。

盾で弾き、剣で斬る。

あるいは盾で弾き、それを対価に立ち上げたスキルで蹂躙する。

 

 

「――ッはぁ…」

 周りから攻撃がないことを耳で。

周りに敵がいないことを目で確認し、イブキは短く息を吐いて、【ブロードソード】を鞘へ。左腰に吊っているため利き手ではない左手には若干難儀したが、何とか収め。

そして、

「おおお!やるな。イブキ!」

「ぐえぇぇ!」

 リザルトウィンドウを消すと、後ろから誰かのしかかってきた。もし無言でやられても誰かわかる。

絶対、テツオだ、という確信があった。

「バカ、お前!ハンマーが重いんだよ!てか、ちゃんと持ってろ!眼前まで迫ったわ」

案の定、そうだ。

唐突だったため声は聞き逃したが、見えた武器と…何より体格でわかった。自身と同じ背丈で、こんなことをするのはコイツしかいない、と。

「抜け出してみなー、へっへっへ!」

「んなろぉぉぉ…!」

それでも適度に首を絞めることを続行するのは、たぶんイブキの口調が笑んでいたからよしとしたのだろう。

反撃として、テツオの首に自分も抱えてやろうと、彼の右の腹・背中を擦りながらも必死に左腕を伸ばして動かして、首に到達したら思いっきり曲げて首を絞める。

それに応え、テツオも力が増した。

「おおお。オレに勝てると思ってのか?プロレスで!誰だと思ってんだ、教えてやったのは?イブキくん?」

「なんだぁー?!やってみろ!ジャック・ハマーでも食らわしてやろうか?!」

「マニアックな技を言うな、にわかのくせに!」

 二人はやる気出して、取っ組み合いに発展。

とは言うものの、相手に先手を取らせないよう、お互いがお互いのヘッドロック強くするのに躍起だ。

ぐぎぎぎぎぎぎ…!という呻きが聞こえる。まるで互いに互いを締め上げるため漏れ出したかのように。

その間も、「ぐぎぎぎぎ」の声を制しながら、二人は相手に決めるプロレス技を羅列しながら言い争っている。

だからか。

直前までくる乱入者の足音は、聞こえなかった。

 

■ 

 

「へいへいヘイ!イブキ、ずいぶん強くなったナ!おおイ!!」

「へ??」「え!?」

 突然。後方から衝撃。

それも肩を抱えこまれ、背に重さを感じる衝撃。高い場所から覆いかぶさる動きだ。

ヘッドロックに躍起になってる二人は完全に不意を突かれた。お互いがお互いを巻き込んで前へと倒れゆく。

「おわ!?」「なんだ!?」

地面へ顔面が向かう。一直線に。体が前に出た後、失速して一直線に向かう。

 とはいえ、人としての条件反射と危険察知が働いたか。

咄嗟にヘッドロックを外し、手を前に出す。出すのだが…。

恰好とヘッドロックの影響から、外すことができたのはお互いに片手。

「おわーーーーーーーーー!?」

「なんだーーーーーーーー!?」

手をつく。行動の名称としてはこの通りなのだが、眼前に、顔面前に迫る土色に戦き。

手とつくというより、地面に張り手。

ズン!と地面を揺らすかというほど強く手をつく二人は互いの体を支え合う形になった。

もはや新手の筋トレ。新しい組体操の種類。

ただ、鼻先を地面に打たれ、自重でつぶされるようなことはなかった。

ただそれは一瞬だけであり、

「オ?」

「「ぐええええええぇぇ!っぶ!?」」

遅れて落ちたダッカ―がトドメを刺した。

無論だが、ダッカー自身は約170cm台のデカいクッションが2枚もあったため、大した影響はない。

ちなみにクッションは二枚ともご立腹である。

「「どけえええ!!!ちくしょお!」」

「ハッハッハ!ワルイワルイ!」

「悪びれてないだろ、ダッカー!」

「どけ、サル!黄色いサル!」

「ホー?どいてほしくないんですカー?」

「「ケイタ!団長さまー!!お助けー!」」

「オイオイ……。どいてやれって、ほら」

 ドス。

二人の救援は団長に届き。団長ケイタは二人の上に胡坐を掻くダッカーに頭に手刀を振り下ろす。

周りは笑う声が生まれた。

「お前らはほんと見てて飽きないよー」

 笑いを堪えたササマルは、声を言葉に変えた。

「これを何度もやりたくないなー、飽きるまでなんてよぉ」

 起き上がって土の上に座るテツオは、呆れた口調を作った。手に持ったハンマーは盾をつけた腕で抱え、空けた手を首に当てる。

「なんだ同じ意見だな…。テツオに賛成」

同じく地に胡坐を掻くイブキ。同じ呆れた口調の彼は胸当てを避けて服に付いた砂を払った。彼は盾をつけたまま、器用に両手を使って行う。

 また、先に立ち上がったのも彼だ。

そのあとで、立ち上がろうとハンマーを持ち直したテツオの二ノ腕を、自分の手に引っかけるようにして吊り上げた。

「サンキュ」

「おう」

二人とも立ち上がると、お互い尻をはたいて土を落としてから。

 イブキは鯉口を切る程度に剣を引き、しっかりと鞘に納め治し、

「さて…行くのか、次?」

 テツオはハンマーを持ち上げ肩に担ぐと、顎をしゃくって。

「お前かまた?番を回してくれよ、こっちにも。上がんねえよレベル」

「おいおいおい、その前にサチだろ。お前ら今回の目的を忘れるな」

 ため息の後に言葉を投げたのはケイタだ。右に持つロッドを地面につけて、左手は腰に当てた。

呆れる彼へ、「なんだ?」と声をかけるイブキが続ける。

「今回の目的に、オレも入ってるんじゃないのか?」

「ん?あ~……。それは…えーっとな――」

 反論の言葉が出ないケイタ。ただそれは言い返せないというより、拒むように見え、

「イブキはもう十分、強いじゃん…」

その代わりと、答えた者がいた。

おそらくはケイタが言うこと躊躇った理由である。

「早い。早いよ、まったく。私の立場がない…!」

答えたのはサチだった。引っ張り伸ばした口で上向きの弧を描き、怪訝な目を向けた。

 向けられた目に、イブキは逃れるように顔を背け…ようとしたが、そうなる前にプイッと目を伏せ顔を振られた。

頭を掻くイブキ。だが、サチを抜かした周りの連中が彼のほうに目を向けていた。

言葉にしなくともわかる。なんか言えと言ってる。

その視線に、口の端っこは長く左右に広がり、噛み合わせた歯が僅かだがありありと見える。

あ~…と、苦しい声を漏らし、視線は宙を泳いだ後、言葉を絞り出す。

「まぁ、なんだ…。怒るな、怒るな」

 夜中に個人的に練習して、レベル上げしてましたから当然よー、なんてことは言えない。

「逆に女のお前のほうが上達早かったら、どうだ?男として立つ瀬がねえって」

苦し紛れに、即興で思いついたもっともな言葉を彼女へ送ってみる……ものの、

「ぶー…」

頬を膨らませるばかりだ。

 さらに顔を背け、いっそ彼女に背を向け、顔を隠して苦い顔をしたイブキ。

こうなったら、彼が何を言っても深みにはまるだけ。

 だから体裁よく、

「キリトくん、フォローをパース」

彼に丸投げした。

役割を架空のボールに込めて、動きだけのパスをする。

「お、オレ…!?」

「ッ!?」

 突然の指名に、驚いたのは二人。フォローを任された側とフォローされる側。

黒い彼と藍の彼女は、ぎこちなく向き合った。

「えぇと…まぁイブキの言った通りとは言わないけど。個人で得意不得意はあるから…。上達しないからダメってわけじゃないよ」

「あ、うん。…ありがとう」

 言葉を残し、沈黙。

 ケイタ、ササマルが空気を読むように後ろを向いて、互いに声はないが相談しながら何かするそぶりを作る。

ダッカーもそれに習い、後ろを向いてアイテムウィンドウを整理するふりをする。少しぎこちない。

おそらくこういう場面に慣れていないのだろう。純粋さの強い人間ではある。

 イブキもそうしようかと思ったが、

「暑くね?なんか今日~」

テツオからの茶々が入ったので、

「わかるー、あっついよねー」

ノッた。

 次の瞬間、「っな!――うえ!?」と、二連続した驚きのあと。

「「えぇ?」」

盾が飛んできた。

「「あぶね!?」」

 察するに、キリトの一度目の驚きは茶化した二人に対して。

二度目の驚きは、

「うお!!」「なーーーー!?」

目の前でサチが盾を投げたから。

剣でなかったのは最後の理性か、僅かな手心か。

「あ、ああああああぶねえって!」

 そう言いながら、慌ててながらも咄嗟だがしっかり盾をキャッチしたのはイブキの方。

「し、衝撃はちゃんとあるんだぞ!?痛みやダメージがなくともよ、おめー!?」

全力のサイドステップで回避し、叫んだのはテツオである。

「ぐぐぐぐ…!」

「ちょ!まっ!?」

 その彼らに慈悲を与える気は無く、怒る肩を抑えながら腰から剣を抜いて、鞘だけを振りかぶったが、それはキリトが止めた。

強いて冷静な点を挙げれば、鞘だったのもまた…最後の理性か、手心か。

「…野暮な奴らだなぁ、オイ……」

 ハーっと長いため息をケイタ団長が吐く。吐いて額に手を当てた。

キリトが止めに入ったタイミングと同じくして、茶化した犯人どもは土下座を決め込んでいる。

 それを見て腹を抱えダッカーが笑い、ササマルも、

「さすがにどうかと思うねー…」

と、苦笑する。

 約五分後。

ダンジョン内にも関わらず、悪友コンビは団長に正座させられ説教くらい、サチはキリトに宥められて落ち着いた。

とりあえずその場は収まり、訓練は再開された。

 

 

 サチとキリトを先頭、真ん中にササマルとダッカー、二人の間の後ろをケイタが歩き、そのさらに後ろにケイタとイブキが置かれた。

しばらく歩き、敵に遭遇。

 敵は二体。巨大な蟷螂のマンティス。

そして、マンティスよりも二回りほど小さいサイズの【パワーアント】。

 【パワーアント】は真っ黒の甲殻に覆われた半擬人化したアリである。

六本足のうち後ろの四本はマンティスと同じく体を支えるために使い、僅かに人に近い上体を持ち上げている。残りの二本を腕として使い、細いが甲殻に覆われるため、脆い印象ではなく、剣や銃、武器を思わせる練磨された鉄の印象を受ける。

 とはいえ、三指で作られた手は大きく太く。人間の頭など容易に覆い、容易く握り潰せるるほどのサイズを誇る。

握って拳を作った時の印象は、先端が鉄球型のメイスだ。

頭部はまぎれもない蟻だ。周りを探るための二本の触覚に、反り曲がったナイフを二つ向かい合わせたような強靭な顎。

「二体か…」

 誰かが呟いた。呟いた通り、敵は二体である。

サチは二体の敵を相手にするほどの技量に、まだ至っていない。

これはイブキにも言えることではある。

 昨夜の彼の戦い方は、常に動いて二体同時に相対せず、一体と確実に相対できる場所へ移動する方法である。

今回、この状況は同じ戦術は使うことができず、また適してもいない。

多対単であるからこそ行える、というよりは、多対単であるからこそ至る方法である。

 今は、多対多である。

この戦いでそんな戦術をとったならば、敵どころか味方すら攪乱してしまいかねない。前もって打ち合わせしていれば違うかもしれないが、攪乱する一人は囮でしかない。

 加えて言うならば、新たな武器に慣れていない前衛転向の二人では、敵の攻撃を防ぎ、避け、走り回るなど役が手に余る。

片方は、深夜の特訓の所為であまり関係ないが…。

逆に、攻撃側に回ったとしても、無防備な敵にただ攻撃を加えるのは、武器の振り方・取り回し・できることの範囲などを知る程度に過ぎず、大した訓練にならない。

今後の事やキリトという前衛慣れしたアタッカーがフォローに入れるのなら、それなりに厳しくしたほうが成長が早い。

 ならば、取るべき方法は……。

「片方、抑えたほうがいいな…」

 至った答えを、図らずも口にした相手はケイタだった。

さすが団長…とは言いたいが、今は時間が惜しい。ということで、これは心で言うことにしたイブキは、

「賛成だ。一匹もらっていいか?ちょうどいいから訓練も二人同時にやろうぜ」

一歩前に出て、団長の隣についた。

「ん?聞いていたのか?まぁいいだろう。頼む」

「りょーかい」

 ケイタの左に立っていたイブキは、彼の後ろを経由し、右へ移動。

顔と体はなるべく、決して前以外を向かず、足の動きのみで動く。

「一人でやるなよ、オイ!」

「わかってるよ!ササマル、手伝ってくれ!ついでにテツオも」

「片っぽ、抑え込むんだなー?了解よー」

「なんだよ、ついでって!…まぁ別にいいけどよぉ!」

 と、文句と快諾の声が交じりながら呼ばれた二人がイブキの姿を追う。

駆けだす姿を見て、今度はケイタが叫んだ。

「おーい、キリト!マンティスの気を引いてやってくれ!パワーアントはイブキ達が引き付ける!」

「任された!」

「オ、オレッチはどっちにつけバ?!」

「ケイタの気ぃ察してやれ。お前はマンティス側だ!で、あってるよな、ケイタ?!」

「あぁ、それでいい!サチもマンティスだ!」

「オッケー、上等ダ!」

「う、うん!わかったよッ!」

 それぞれが配置につくため、移動の動きを作る。

三人と四人が人一人分程度の間を空けて、左右に展開。

イブキに集う二人の配置は既に完了。キリトとサチを中心としてマンティスに向かう配置も完成に近づきある。

 故、前に出た。

「アリのほうはもらうぞ!」

 イブキは昆虫二匹と距離を詰める。正確に言えば右側にいるパワーアントにやや走る方向を傾けて、土を蹴り上げて走る。

 理想とし、この後の展開は―――。

パワーアントを攻撃し、敵二匹の注目がイブキらに向く。彼らに向かい、パワーアントが反撃し、共に追撃に出るマンティスを逆側からキリトらが抑え込む。

パワーアントがイブキ達を追い、マンティスをキリトらが留めることで双方を分断する。

「ササマル、やってくれ!」

「はいよー!」

 声とともに、イブキはタイミングを図り右手を広げて止まった。ブレーキに使った足の平が地面と擦れ、土に沈む。

止まった彼を追い越して、対照的に加速するササマルが槍の端――石突を持って引き、文字通り突き進む。

 槍は、簡素な作りの短槍。刃は分厚く細長い六角形。薙き払うよりも突きが得意な形状だ。

刃の先端をパワーアントに向け、斜め右から真っ直ぐ突く。かつ進む。

 巨大な手の平を巨大な拳に固めたパワーアントは、向ってくる刃に横からぶつけ、突きに対して穂先を払った。

「おおっと!?」

 払われた槍に伴って直線に進んでいたササマルは横へと流される。

流れた彼を狙い、巨大な蟻の人型が払った腕とは逆の剛指を固めると勢いをつけて振りかざした。

顔面。頬を打つ道筋であり、走ったため前へ勢いを殺せず、彼は半ば自ら敵の攻撃へ向っていく形にある。

 攻撃は避けられない。

それ故か、代わりに彼を遮る者が現れた。

「イブキ!―――っぶ!?」

ササマルに追いつき、ササマルを遮り、右に持つ盾で攻撃を弾くイブキ。

「間に合ったな」

当然、間に合うように走ったが、心配性ゆえに安堵を口にした。

 と、同時。

もう片方の空いた左手を後ろへ差し出しながら下がる。衝撃を吸収するバネとするため、彼は足を曲げて、あらかじめ体を僅かに沈めていた。

その足を伸ばし、持ち上がように立ち上がる。

立ち上がる方向は後ろ。

 背にササマルの顔が当たりはしたものの、後ろに出した左手により転びそうなササマルを持ち上げる動きにもなった。

 二つの行動のうち一つは成功し、もう片方も半ば成功している。

ならば、もうあと半分の思惑の通りに、彼は行動する。

「テツオ!ブン殴っちまえ!!」

彼が足を止め、左手を上げたのは半分はバランスを取るためだ。

 だが、もう半分の意味を成すために、体が完全に止まったタイミングで左手を前へ振った。

もう半分……後続を走るテツオを指示するため、分断の決定打を入れさせるためだ。

叫んだのは情景反射だが、念のためでもある。

 先ほどイブキがササマルを前へ行かせるために留まったとき、右手を上げたのはテツオを止めるため、それとのちの指示を伝えるためだ。

「合図したら殴れ」

簡単かつ簡潔。前もって伝えた言葉はたったこれだけだ。

「応さ!!」

 そして、その合図をイブキは行い、いまテツオはそれに応えてくれた。

パワーアントは防御と攻撃に両手をさかれて何もできない。

後の先ではなく、言わば後の後で仕上げる動きだ。完全に相手が行動をし、行動し切ってしまい、それが無に帰した時点で攻める。

 テツオの攻撃は、横から……顔の片側しか見えない完全な真横から、頭の後ろに振り被ったハンマーを真下に振り落とす。

狙いは浅すぎず、深すぎず。強く体を揺さぶればいい。

「打ちやすいところでいい!」

「何言ってんだ!チャンスだろ?!」

「は?―――っちょ、まて!バカたれ!?」

 しかし彼は、ここぞとばかりに頭を打った。

力は最大。彼の獲物は鎚。

(まずい!)

一瞬、最悪のパターンを、分断が失敗する要因を思い浮かべた。

体は硬直し、行く末を見守るため視線はパワーアントに釘づけにされる。

(……どうだ!?)

件のパワーアント方はというと…。

 甲殻が兜のように囲む頭を軽く振ると、

―――キャシィィィイィィィイイイイイイイイイイ!!!

吐き出す空気が擦れ合う音に似た叫びをあげて、攻撃を浴びせたテツオを向いて襲い掛かった。

「結果オーライ!」

 パワーアントの殴打を防ぎ、気楽に言ったのはテツオが外側へ向かって走った。

それをパワーアントが追う。

「馬鹿たれがッ!キリトのお陰で確実に分断できたからいいものを…。敵が【混乱】を起こして動かなかったらどうするんだ!」

 いま言った通りだ。

敵の一挙手一投足を見ていたイブキが、隣のマンティスに襲われなかった理由はそこにある。

 テツオが殴り、パワーアントが彼を追うと決めるまでの間。

こちらの言動や動きすら捉えていたキリトがマンティスに攻撃を仕掛けたのだ。三合ほど打ち合って誘うために下がり、彼の誘導でサチを含めた彼女側についたメンバーが距離を置く。

 キリトが行ったことは、本来テツオが行って距離を置くのもこちら側の役目で確立しつつあった。

だが彼のダメ押しで確実に分断できる流れを完全にさせた。

今、彼らはイブキらとは数メートル離れた先で戦っている。

「早くこい、いいから!訓練なんだからな、お前の?倒しちまうぞ」

「ったく!ササマル、大丈夫か」

「あぁ。もう立ってる。動けるよー。さて、どうする?」

「よし…。なら、仕掛けてくれ」

「おれがー?」

「頼むわ。ただし背後から、だ。相手の反撃は、オレが利用したい」

 告げて、イブキは右手を掲げると、

「コイツを練習したいんだ」

強調するように盾を振った。

「いいよー。じゃあ行こうかー!」

 声を発するかそれより早いか同時かに、ササマルが先行。走り出す。

「頼むぞ!」

遅れてイブキが走る。

 戦闘開始のときと立ち位置は逆だが、攻め方は先ほどと同じだ。

まずササマルが左へ走り出し、後ろに回るために緩く弧を描く。

続くイブキは移動の大半は彼に伴い、敵直前に追従をやめ、タイミングを計りつつ大回り気味にパワーアントの側面へと回った。

 そのさなかに、既に敵後方にたどり着いたササマルは、槍を扱いた。

「ほッ!」

掛け声一つと共に、槍の刃は突っ込む。

 現在、パワーアントはテツオと交戦している。

鎚と、金棒のような拳が交錯し、打ち合い、負かしたり勝ったりする最中、後ろから攻撃には気付かない。

 槍の穂先は火花を散らして、背中に直撃した。

――――キギィ!?

背中に当たる穂先は、パワーアントの硬い外殻を滑り、外殻のつなぎ目に突き立つ。

 堪らず仰け反った。奴の表情には、苦しさのほかに怒りが含まれている。

「この――おお!?」

 背を向けた相手へとさらに攻めようと、今までパワーアントと攻防を繰り広げてテツオ。

―――キャシィィィ! シシイイイイイイイイイ!!!

槌を振りかざして、追撃を行おうとしたが、パワーアントはその巨軀をドタバタと騒がしく動かして、勢いをつけて振り返った。

 正確に言えば、後ろ側の体を大きく上げて方向転換を行った。

例えるなら、バイクの後輪を上げた状態で体を振る。設置している前輪を支点に半回転する形には近い。

 その後、上がった後輪はどうなるか。

動きが止まった際に勢いを無くし、地面へ落ちる。

同じように、巨軀の後部はテツオの真上に落ちてきた。

「あぶね!」

 バックステップにて彼は、パワーアントによるいわば踏み付け・のしかかりを避けた。

それでも十分すぎる時間が、パワーアントには与えられていた。目の前には、自分の背中を刺した者がいる。

威嚇か。一度、顎をガチン!と、拳を打ち合わせるように噛み締め、直後、本当に拳を打ち鳴らした。

 いや、違う。

打ち合わせたのは掌。甲殻がいたるところに張り巡らせていたため、手を合わせるだけで甲高い音と光が奔る。

口からも、手からも火花が上がり、三つ指は絡まり、一つの塊を作った。

鉄拳の塊は振り上げられ、伴い、起こる風が上昇気流が先にササマルを襲う。

とはいえ、ただの風。ダメージなぞない。

だが恐怖は煽られる。

 不意に、身を退いた彼の口元が笑む。苦笑の類の笑みを。

風が消え、次に拳の上がる位置は最大を超え、体は仰け反る。

 人と違い、アリは声は上げなかった。

それでも内側から隆起した腕から力が強靭なこと、その力が並々ならぬ量が込められていることは容易くわかる。

「イブキー!」

「はいよッ!」

 現れた。言った通り。

横合いから走ってきて、90度体を回して、真っ正面からパワーアントに向った。

急ブレーキから、左足が地面に沈む。

 その時すでに盾は光塵を鏤めていた。スキルを立ち上げた時に起こる光の塵だ。

体のやや上で構え、体を覆い、反撃を伺う。

振り下ろされる前に割って入ったこと、直前でスキルを立ち上げたことは、完璧なまでに用意周到。まさに思惑通りであった。

割って入って約数秒後。融合した拳は振り下ろされ、盾へ衝突。

 ただ完璧すぎる用意がため………カウンターは失敗した。

「なに!?」

思惑通りに攻撃は行われた。それを盾で受けられたことも問題はない。

 しかし、練度の低さから、攻撃が当たるタイミングを測り損ねた。

ズレは一秒満たすかかどうか。その程度の小さい誤差だが、システムは無慈悲に失敗を突きつける。

「クソ…!?」

失敗の対価はスキル使用者のイブキ自身へのノックバックとダメージ。

 衝撃に耐えながらも、彼は渋面に驚愕を含ませた。

ダメージは、いうほど高くはない。

カウンタースキルは失敗しても、盾で防いだ事実からダメージは低くなる。

 しかし、ノックバックはい如何ともしがたい。これは成功時とは裏腹に、使用者にのみ付与される。

盾の前で爆発を受けたような衝撃が、彼を後ろへと追いやる。

加えて、失敗した場合だけだが、下位スキルでも【硬直】が存在した。

 本来は上位のスキルや特定のスキルにのみ付加される不利だ。

強力なスキルの連続使用などによる封殺などを防ぐため、スキル使用後に麻痺の異常状態を受けたように体が一定時間だけ動かなくなる。―――これが【硬直】だ。

 言わばゲームバランスを考えた措置だ。

通常、最短で数秒。最長でも三十秒かもう少し長いかだ。

 それは戦闘において致命的だ。最長のほうは言わずもがな、最短も一秒一瞬だとしても連撃から抜け出す隙を与え、タイミングが悪ければ攻勢の手番を相手に許す。

今、イブキのこの状況……許したのは反撃ではない。連撃を許す最悪の隙となった。

 パワーアントは既に開放した拳の一つを引いている。一度両拳を下へ振り落としたため、現在の体の向きも拳の位置もやや下だ。

つまり、構えからして次に繰り出されるのはアッパー。

 そこまで動きがわかっても、そこまで見えていても動けない。筋肉が痺れるような感覚を、たっぷり一秒味わった。

「イブキ!」

「バカヤロッ!?」

 さっきまでの余裕から一変。

焦りは仲間が打たれることを見ていたササマルとテツオを支配。 意識を弾かれ、攻撃を行おうと駆けだす。

幸いだったのは、テツオはパワーアントの後方。ササマルはイブキの後ろにいたが、相手の隙を伺おうと既にその位置から移動した後だ。ノックバックした仲間の体にぶつかることはない。

本当なら、”イブキがカウンターして崩れてできた隙”を伺ったわけだが…。

予測して動いたことが良い結果を生んだ。

 二人は駆けだした一歩目で武器を構え、二歩目で武器を振り被る。

が、

「ぅゴッ!?」

二歩目を踏んだ時点でイブキの腹部に、鋭いボディブローが突き刺さった。

 この世界は仮想世界。殴られたという痛みも、殴られた後の臓器を締め付けるような苦しみもない。

唯一、そのことだけが彼を助けたが、HPは確実に減ってゆく。

痛みがない分、命は確実に削れた。確実に死に近づく衝撃・感覚は顕著に感じ取れる。

 追撃。パワーアントはアッパーを繰り出した手を死に手とし、これを引いて逆の手でストレートを繰り出す。

先に拳を肩より上、頭と同じ高さに構えた。

ここから楽器の弦を弾く程度の、僅かな距離を後退させた拳を相手へ叩きこむ。

 下位モンスターであるためか、わかりやすいほどの殴り方だ。

まさに化け物らしい、自分の膂力に物を言わせた力任せな殴り方。

「ッチ…!」

 予測通りに…いや予測よりも大きく、腰を回し捩じ切れそうなほど腰を回し拳を大きく引き始めた。

人間が歯を食い縛るように、顎を開いて己の限界点以上に体を引き絞った。

あとはぶち込むだけ。

 それで終わりだ。

だが、それで終わりだった。

「ッフン!!」

 後ろから背中をテツオに殴られ、

「ヨォ、っと!」

強制的に仰け反ったパワーアントの、天を向く顔面をササマルが突きを放つ。

「イブキ!」

 テツオには思い切り、ササマルは隙を作るため確実に攻撃をもらった蟻は、地団駄を踏み鳴らす形で無理に体勢を立て直すと、

「上等だぁぁ!!」

今、自分が殴りつけた者から刺突をもらった。

刺突とはいえ、左手に逆手持ちしたブロードソードを突き立てる動きだ。

至近距離からの攻撃は、甲殻を無視して刃は刺さる。

 虫の黒い胸部に赤い傷のエフェクトが走ると、剣を引き抜き、

「ッァアアッ!!」

一度、溜めてから、左から首を薙ぐ。

落とすまでには至らないが、全身の中で比較的に細い、関節であるため甲殻で覆われていない首は容易く斬れた。

弱点部位への連撃に後ろへたたらを踏んで後ろへよろめくパワーアント。

「オラぁ!」

 そこを蹴り付けた。

四足で立つ相手を倒すことはできないが、上体に走る衝撃はパワーアントの次の行動を奪った。

極めつけに左から薙いだ剣を巻き戻すようそのまま動かす。動きはまんまカマリキが鎌を振るう動き。

 彼が深夜に何度も見た動きでもあった。

粗雑ではあったが、鎌を振るうような剣の一撃が決め手となり。

やがて強靭な腕からは力が抜け、体は落ち、ガラスのように霧散する。

 三人は一様にして、驚愕と緊張に詰まった息を安堵して吐き、

「大丈夫かー、イブキ?」

「すまん、すまん。まだカウンターに慣れてないらしい」

「無理すんなよ、あんまり」

「うぃ~…」

 体力を回復後、マンティスと戦う仲間へ臨む。

が、

「……ん?」

一人動かない影にテツオが、

「行かないのか?イブキ」

テツオが止まったのに気付いたササマルが、立ち止まり振り向く。

「イブキ、どうしたー?」

「…いや。必要ないだろ。少なくとも、”まだ”…」

 薬草を粉にし、抽出して作られた回復薬―――【ポーション】を悠長に取り出した彼は、その緑の液体を一息に飲み干した。

「いいのか、悠長で。そんな」

「なんだ心配か?あっちには誰がいると思うよ」

会話の間に視線は、イブキに集まっていた。

 それを彼自身が促し、

「あぁ…」

「まぁね」

四人の方を向く。というより一人を、もしくは二人を見る。黒と藍が目に映る。

 

 

 四人の布陣は三と一に分かれている。前衛3を、キリト・サチ・ダッカー。後衛1は、ケイタが務める。

 ダッカーはナイフ……というには装飾が無さすぎるため、カトラリーナイフを巨大化したような印象を受ける。

シンプルな作りだが、単純故に折れてしまいそうなイメージを抱くことはない。

 後衛のケイタは槍だ。細い棘を三本並べた三叉槍。三本並ぶ真ん中を細い鉄柱で貫き繋がれた棘。

柄に接する真ん中は除き、左右の棘は上下先端ともに尖っている。突いてもダメージ。引いてもダメージを与えらる。

 キリトは両刃剣。刃は白いが、刃の腹……内側には、刃に沿うように漆黒に染められていた。黒曜に輝く剣は、美しさよりも力強い印象を受ける。

彼に相応しい剣だ。

 サチは無論だが剣と盾。剣は鉄の刃に、十字鍔。いや、西洋剣であるため、ガードといった方が正しい。グリップには布が巻かれ握りやすくしてある。

盾は鉄の縁に、木を張り連ねたものだ。正四角形に三角形を下に繋げた五角形の盾だ。

 その盾の面に、今しがた鎌によって打たれた。

「っうぅ!!」

盾で鎌を弾き。そして剣で突こうとし、

「あ。―――っう!?」

逆の鎌が刈ろうとするのを、慌てて剣を引き、寸でのところで防いだ。

「サチ!剣と盾を上手く使おうとしなくていい。どちらか片方でもいいから、確実に扱うんだ」

「う、うん!」

「ッホ、りやァ!」

 サチが退くことに伴い、ダッカーが走った。

逆手に持ったナイフを前方に、空いた手はナイフを持つ手の首をがっちりとホールドする。体全身をぶつける突きの動き。

 マンティスは両鎌を振った後だ。切り返すことは難しい。

狙うは蟷螂の脇腹。

一度、敵に対して斜めに走り、角を描くように急ブレーキの末、無理やり方向を変えて突撃。その反発力を使い、勢いはさらに増す。

ついに刃は蟷螂の腹に到達し、

――――ッビキィ!

と、殻を破り突き刺す音が、攻撃の成功を告げた。

「よシ!」

 ダッカーの眼前に結果がある。

薄い外殻を割り、裂き、破り、深々と刺さったナイフの周りを縁取るように、マンティスの体に傷の赤いエフェクトが吹き出し、刻まれる。

 だがそこまでだ。

――――シャァギャァァアァァァ!!?

 SAOに痛みはない。それはプレイヤーだけだ。

モンスターには例外なく痛覚が存在した。プログラムで決められた動きではあるが、大抵は『怯む』などの行動が出される。

 今回は違った。

マンティスはダッカーのいる方の鎌を、即座あげた。

一も二もなく。

「うェ…!?」

 斬られれば傷を覆う。殴られれば退く。

刺されているならば、原因を除こうとする。

「ア…!?」

故、マンティスは刺された方の上にある腕で、鎌でナイフを打った。

横にいる人間と自分とを遮る、切り下しの軌道。

 ぶち当たった。

鎌の軌道は振り切ることにより、関節の稼働範囲限界の関係により斬り下しの軌道は後方へと”し”の字を描くように矯正される。

軌道を変えた鎌は、ナイフの刃とは持ち手の間。刃側へ僅かにズレた箇所に当たり、後方へと変わった軌道が刺さったナイフは抜き放たれ、マンティスの後方へ、ダッカーから見れば真横へ向かって吹っ飛ぶ。

 刃が抜けた時、マンティスは少しだけ苦痛を深くした。

――――シィィィィイイイィィ!!

怒り狂うマンティスは、より深く大きい怒りに打ち震えながら、鎌を再度振り上げた。

単純にして、短絡的なら行動ではあるが、怒りを向けられた当人からしたら堪らなかったであろう。

 見知った形とはいえ、巨大な異形にして、双鎌を手に生やし、眼球の半分をせり出したような目で睨む。

――――シャアアアアアァアァァァ!!?

極めつけに威嚇のための金切り声を上げた。位置から、そのまま頭から噛みついて食いちぎれそうな距離。いやまさにそうしようとしているようにしか見えない。

「ッウワ!?」

 怯えたダッカーが、反射的に後退りし、腕交差させたで自らを庇った。

術理なんてものはない。防ぐためのナイフすら構えていない。

彼が…いや彼らが、いかに”戦闘”というものに不慣れか思い知らされる行動だ。

「ダッカー!」

 瞬間。彼の体には打撃による衝撃が疾った。

「うォ!?」

とは言っても、攻撃のためではない。ただ退かすための行動に過ぎない。

前足を使ったタックルだ。

蹴りと言っても差し支えないが、押し出すことが目的であるために打撃力はない。

それでも、相手を転倒させるほどの衝撃はある。

 案の定、ダッカーは数歩後ろに退いた位置で、足を縺れさせて地面に尻をつけた。

「テテ……ウッ!?」

 ただでさえデカい蟷螂だ。

視線を落として見上げれば、そのアングル効果もサイズ感も最大だ。

 日の光もマンティスのややズレはあるが後ろに位置している。

逆光は影を作り、マンティスの体を真っ黒に染めて目だけに眼光というアクセントをつけた。

「ッハ…ッハ…ッハ…ッハ…!」

 息を乱し、恐怖は心を染め、彼の頭から立つこと追い出す。

眼前の光景に囚われている。ダッカーの瞳に映っているのは巨大な蟷螂というより双鎌を携えた悪魔に近いだろう。

 そして振り上げられた鎌は落とされた。

側面からの一刀によってより。

「エッ!?」

――――シャアアアアアァアァァァ!!?

 マンティスは斬り落とされた腕を庇い、下がりつつ、痛撃に悲鳴を上げた。

「ダッカー、立てるか?」

 眼前には黒い影と光る剣。

黒い影は彼を見ず、目の前の隻腕となった蟷螂へ光の消えた剣を向けて退ける。

代わりにと、別の光が生まれる。

消滅の光だ。斬り落とされ、地面に着き立ったマンティスの片腕が、輝くエフェクトに纏われて消える。

「オ……。ッオゥ!」

 遅れて返事を返した彼は自力で立ち上がった。

「よし…!ケイタ!」

「あぁ!」

彼が立ち上がったことを返事で確認すると、牽制として……後方から三つの棘を連ねた槍がマンティスの顔を突く。

 首から上が仰け反ってから数秒。

怒りの声を絶叫に変え、マンティスが多脚を縺れさせつつ一歩、二歩三歩と下がり、そしてキリトから回し蹴りを貰って横へと押し出されるようによろけた。

「ダッカー!相手はまだ健在だ。倒すまではしっかりと見据えるんだ!」

「お、おう!すまネェ!」

 片腕の蟷螂が、形だけに見える力無い構えをして見せる。

残った鎌を振るうマンティスをキリトが抑え、ダッカーは吹っ飛ばされたナイフを回収しに走る。

 

 

 その光景を見ながら。

虫一匹と人四人の対決を見ながら、カラカラと笑う者がいた。

「なんだ見ろよ。サチだけじゃなく、ダッカーにも教えてるぜ?」

カラカラ。カラカラと。

軽く上げた手で、緩く差した指で、わざとらしく腹を片手で抱えて笑う。

「要らないな。心配は確かに」

同じような笑みを口端に浮かべて、肩に担いだ鎚の柄で自分の肩を叩く。

「のんびりしてるなー、そろそろあっちも終わるぞー?」

「のんびりに関して、お前に言われたかないねぇ」

ササマルを見ず、戦いを見ながら笑みを深くした彼。

見守るようにも見えるが、別の何かにも見える。少し気味の悪い笑みだった。

「ッえい!!」

 戦いはそれなりに長引いたが、最後の一撃はサチによる多脚への斬撃であった。

マンティスのHPはゼロとなり、光となって砕け散る。なんともゲームらしい最後だ。

「ふぅ…」

「お疲れさま」

 彼女の斜め後ろで構えを解いたキリト。サチへ片腕を振るったマンティスの鎌を受け止めよう前に出たのが杞憂に終わり、剣を背の鞘に納めた。

「お疲レ、お疲レ!」

「オイオイ、何が”お疲レ”だ。やたら突っ込んでいったら、そりゃ疲れるだろよ」

 彼らの後ろから、削らされた体力を回復するためのポーションを飲み干したダッカー、ダッカーに突っ込みを入れる疲れた顔のケイタが合流する。

そして、合流した二人を含めたキリトたちの側面から、

「なんだなんだ、そこそこ仕上がってきたんじゃないか?」

揶揄うイブキと、

「にしちゃ笑ったじゃねえかよ、指さして。カラカラとよ、イブキ」

横槍で揶揄うテツオと、

「おーい、こっちも終わったよー」

のんびりと手を振るササマルが集い、全員がその場に集合された。

「おいおい、終わってたなら加勢しろよな」

歪めた眉に呆れ、曲げた口に不満を表して団長のケイタは三人に零す。

それをカラカラ笑って答えたのは言わずもがな、イブキである。

「なんだ?助けが必要には見えなかったぞ」

「強くなったぞー、お前らー」

カラカラ笑う声に、調子のいいセリフが連なる。こちらも言わずもがな、テツオだ。

「全く、相変わらずお前らの口は減らないな」

「減らず口で敵が倒せるなラ、お前ら真っ先に前衛だナ」

「あー、おしゃべりマシンガンってわけだねー」

 ハッハッハとわかりやすい笑いを付け足して、珍しくササマルが二人をいじった。

といっても、頻度が低いだけで笑いを誘うための冗句は彼も言う。結構絶妙だったりする。

事実、三人は軽い笑みを、一人は爆笑を、二人のおしゃべりマシンガンからは苦笑をもらった。

「違いないな。あー、確かに」

「認めちゃったよ…」

「事実だろ、でも」

「あぁ…まぁな…」

腕組みをし、僅かに顔を落とした。

「ブレないね。そういうの認めるところ」

 ツッコミはサチが。眉だけ苦笑が見えるが、表情は笑みを深くしている。

「ま。ただの迷惑な人だからな、認めないと」

「あんま変わらねぇけどナ」

「少しは控えてよね」

「いや、なんだ。面目ない」

「本当にそう思ってるのかなぁ……?」

「木は抜かない方がいいぞ、サチ。テツオとイブキに遠慮がないのは、さすがの俺でもわかったからな」

「お!馴染んできただけあるな、キリトも!」

「なんだなんだ、今日はお祝いか?」

「懲、り、ろ、よ!」

「「ごめんなさい…」」

と、他愛ない言葉に花が咲き、森にまた笑いが囁かれた。

「おーい、んじゃ全員、宿に帰るぞ」

団長が会話を区切る言葉を作り、問いかけ、各々が各々の言葉でそれを了承した。

 返答後はそれぞれが帰路へ着く道へと歩み出す。

 

 

 唐突。

といえば、誤りだ。前兆はあった。

 全員が歩き出したか、同課のタイミング。

ガサリと揺れた背の低い木々。僅かに見えた巨影。漏れた空気に似た音。

気が付かなかったのは、環境のせいもある。

上半身の半分を隠す生い茂った背の高い木。双鎌を隠すほど乱立する木自体の群れ。最後に、話をしていたために発声した音を聞き逃した。

 一番最初に気づいたのはイブキだだが、対応するには技量が足りない。

「ッ!?」

実際、明確に気が付いたのは巨躯が躍り出た後。

――――シャァァァアアァアアアアアアア!!?

唸り声をあげて、マンティスが襲い掛かった後だ。

 狙いは一番近いキリトだが、マンティスが持つ双鎌ならばその隣のサチすら攻撃対象に入る。

一番最悪な想像はイブキの体と脳、思考を一本の鉄が打たれたような衝撃が奔り、そのすべてを支配して行動をほんの一瞬、遅らせた。

「避――――」

 そこまでで咄嗟に可能だった行動、最速で行える対応は、声を発すること。無意識に手を伸ばすことも加えて。

唸り声は加速度的にボリュームと敵意を増し、

――――ァァアアァアアアアアアア!!?

そしてそれはそのまま、悲鳴へと変わった。

「ッキャ!?」

サチは驚き怯えたが、キリトは違った。

カチリ…。

聞いたのは鍔弾きの音。剣を抜く音。

斬る音だ。

マンティスの体は緩やかに倒れる。

 

 

噛み砕いて状況を説明すれば、状況は瞬間の連続と僅かな動きのみ。

まず、イブキが木々の影の間により濃い影を見つけ、身を震わせた。その時、キリトは影に顔を背ける形でサチと話をしていた。

見えていないはず。

叫ばなければ。知らせなければ。だからそう思っていた時。すでにキリトは体を沈ませ、剣に手を掛ける。

おそらくは敵を察知するためのパッシブスキルがあったのか。

それともイブキの反応を見たのか。

 最速をいくキリトは、振り返る体に対し逆へと引き抜く。一度、身を屈めたのはこの動作のためであろう。背負う剣は、居合抜きと同じ原理で即座に抜剣。

 剣はもともと縦に、柄が上向きになるよう背に掛けていたため、抜き放った剣先と握った手は必然的に上を向いていた。

白刃はそのすべてを晒し、振り向きながら沈めた体は既に敵に向かい一歩踏み出した状態の前傾に変わっている。

体を落としたと同時に、足を一歩後ろへ下げていたのだろう。回れ右の応用に近い。

下げた足は振り返れば前足となる。体重もかけていれば自然と前傾に変わる。

 直後だ。

次にイブキが見たのは、彼が剣を振り下ろす瞬間だ。

赤く輝く、攻撃スキルを起動した光が帯びた剣をただ一刀振り落とした。

本当に一回だけに見えた。なのに、マンティスにつけられた傷のエフェクトは三つ。つまり、剣が振られた回数は三回。

 そしてマンティスは死んだ。

呆気もなく、抵抗もできず、体格も、不意打ちの利も生かせぬまま死んだ。虫のように死んだ。

「―――け…」

 言葉のつなぎ目は、弱く。

「大丈夫か、サチ」

 さらには、彼が言葉を終えるよりも早く、キリトはサチを、仲間を、あまつさえ、自分自身すら守り終えていた。

「う、うん」

 圧倒的だった。

「…ろ…」

 惰性でこぼれた声が、イブキの言葉を終わらせた。

全ては一瞬。総てが一弾指。すべてが、刹那の中で完結した。

「ハー…本当にキリトは強ぇナァ!」

「ほんと。自分らが気付く前に倒すんだからなー」 

 絶対的だった。

「神速って感じだな、高速を超えて」

「本当に、キリトがギルドに入ってくれて助かったよ…」

唖然。呆然。

言葉を失ったイブキは、反射的に前に出ようと若干前傾になったまま、固まっている。

仲間の何気ない賞賛と、事が終わったことを時間で理解し…。

しかし未だ、背を正した以外の行動はできなかった。

「おいおい。イブキ、大丈夫か?」

「…イブキ?」

声を変えられても、撃退した当人から呼ばれても。

「動けよ、いい加減。イブキ!」

「ッ!?……あ。ああ…」

テツオが背を叩いて、呼ばれた者はようやっと我に帰った。

「本当にすーげー立ち回りだったわ…多少でも、レベルが上なだけあるな」

「ぁぁ…それほどでもないさ…」

 照れているのか。素直に向けられた言葉にキリトは頭を掻く。剣を握る手で無く、逆の手にて。

「おーいみんな。じゃ、そろそろ帰るぞ。周りに気を付けてな」

「はーイ、リーダー」

「極みだな。リーダーシップの」

「おい、おい。イブキの次は俺を揶揄うのか」

 なんでもないこと。他愛ない会話だが、仲間の笑みを誘うには十分。

先刻の脅威なぞ無かったように笑う。

照れたキリトも、呆然としていたイブキも。

(あの時、見えたのは一撃。キリトの初撃は斬り下しだったはず。だが、最後の姿勢は逆袈裟を斬り上げた形になっていた…)

 とはいえ、イブキの笑みは途中から変質する。

(刀痕も三角を描くように三本…だが剣筋を見ることはできなかった。ただの、一振りも…)

見えたのは行動の初動と行動の完了。

現実を噛み締めたのち。羨望と安堵を含めた、暖かい慈しみの笑みを、ほかでもないキリトに向けた。

(強い…。本当に…強いなぁ…)

表情は変わらず、視線は隣のサチに向ける。

(よかった…。あいつはもう、怖くはないらしい……)

笑い合う彼らを見て、目を伏せてまた笑う。

心底、安堵したように。

 ふと、キリトは自分の振るう剣に目を向けた。

笑い終わっても、直前までは口端に笑みをまだ湛えていて…。

だが…。

「……」

剣を見る彼の目は、どこか怪訝だ。目を伏せているせいかもしれない。

それでも、

「どうしたの、キリト…?」

「ん?…あ、いや……そろそろ剣の耐久度がまずいかな、と」

「ホントに?」

彼の怪訝が本当だったのかはわからないが、嘘でも怪訝がうつったようにサチの顔が曇る。

正確には彼を心配しての表情である。

「キリト。帰ったら自由なんだから、鍛冶屋に行ってきてもいいだぞー?」

 声は前から聞こえた。

槍を杖代わりについて歩くササマル。顔を後ろへと僅かに向けて告げてやる。

彼も彼で、ギルドに入ったばかりのキリトを案じた言葉だ。

ギルド『月夜の黒猫団』が気風が緩いが、それでもギルド。踏まなければいけない手順は無いこともあるが、有ったりもする。

 と、今度は後ろから、

「戻ってこいよ~、夕飯までに」

「なんだ、今夜はハンバーグかカレーか?」

「おーそうだなー。今日は豆のスープだな、テツオとイブキだけ」

「なにぃぃ!?」「なんだとぉ!?」

テツオとイブキの揶揄う声だ。気風は本当に緩いが、行き過ぎるとケイタが止める。

 また周りの笑いを誘った中、

「あ、あぁ…ありがとう。あとで休んだら、寄っておくよ」

キリトは少し遠慮気味に進言。剣を仕舞った。

完全に仕舞った後。腕をおろすと、その腕を、服の裾を引っ張られる。

「遠慮する必要は無いんだよ、キリト」

サチだ。なんともいじらしい仕草であるが、言葉は心あふれる気遣いの言葉。

「そうだゾー。だから最後尾の豆スープチームがうざかったラ、はっきりいいんだゼ?」

最後尾から怒りのこもった言葉が、

「おい、待て…」

二人分、届いた。

「うざいとは なんだ。なんだなんだ!」

「こっち側だろうが、お前だって。オラオラ!」

「やめロ!ボケどもメ!!」

眉と目に怒りを、口にそれを孕んだ笑みを浮かべた豆スープチーム。

 イブキがダッカーをが捉え、暴れるダッカーへテツオが使いもしないドロップアイテムを口にぶち込んでいた。

ちなみにそのすべては、植物系である。平たく言えば生で食える野菜だ。豆スープにされた充てつけ。

「…遠慮、か」

 キリトの顔には影が落ちた。

自分の置かれる状況、行動、言葉。存在自体さえ考えると、思わず握った手を胸に当てる。

「キリト?」

「え?あ、あぁ…何でもない……」

不意に気が付く。自分の表情、姿勢、声色、こぼれた言葉に…。

(俺は恵まれている…。あんな境遇を味わい、あんな言葉を吐いたというのに……仲間に恵まれた。なのに、俺は……)

もう外に漏らすことは無かった。感情、心境、過去を。

それでも強くなること、夜に行うことを考えずにはいられない。

(強く、なりたい…でも―――)

葛藤は、それでも眉を歪ませた。

(―――どうすれば…?)

視線は、自然とサチへ。

 盾を重そうに持ち直した後、彼女が視線に気が付き、

「ん?」

疑問の視線が返る。

キリトは笑みを返したが、冷静に見れば取り繕ったという事実が滲み出ていただろう。

それでも、サチは少し照れながら笑みを返してくれた。

(……守りたい……)

 思いを正す。

思いに覚悟をつけるよう、キリトを髪を掻き上げる動きをもって、前を向いた。

(仲間を………!)

 

 

 


 

 

 

[stage...4]

 

「ブッ殺す…!」

 その日の夜。《ひだまりの森》。

眼前に、巨大な蜂が群れを成していた。

昼間に倒したキラービーだ。

数は目の前に二匹。

加えて頭上空中に、

「うおお!?」

もう一匹。

 啖呵を切った直後のイブキへ、真上から現れた三匹目が尾に生えた棘ともいえる大きさの針で突撃する。

「ッチ!?真上にいたのか!」

羽音のおかげで勘づいて避けることができたが、今のを合図と眼前にいた残りの二匹が襲い掛かってきた。

 昨夜、イブキは図らずも複数のマンティスと会敵したことを思い出す。

そのときはなるべく、一対一になるように走り回り、これを打ち破った。

ただ、マンティスは同個体同士で協力することはない。互いに争わないだけで獲物を見つければ、ただそれぞれが標的に向かい攻撃をするだけだ。

烏合の衆といってよい連携である。いや、たまたま波状の攻撃が成立するだけで連携などというものはない。

だからこそ、走り回るだけでうまく立ち回れることができた。

 だが、キラービーは違う。

己の間合いまで迫った二匹のキラービーは間隔を開けた波状攻撃を仕掛ける。

「チッ―――グァ!」

 咄嗟に回避と防御系の盾スキルを展開して、その場を凌ぐ。

動きは二匹のうち、一匹は回避にて後方へと通過していき、もう一匹は盾の向きを調節しスキルのノックバックで横へと追いやった。

 が、やや後方に位置した側面から、攻撃の口火を切った一匹が突っ込む。

言葉にするほどではないにせよ、距離が近い。彼の間合いの範囲直前の位置にはすでにいる。

推測ではあるが、直前に攻撃した二匹が退いたあたりからすでに攻めの隙を伺っていたはずだ。

 【キラービー】は弱い個体である。

空を飛べるというアドバンテージを無くせば、ステータスは高くはない。

ゆえに、集団にて連携するという特性をプログラムされた。

上位層のモンスターの連携に比べれば、まだまだ穴はあるが、個々で、ただ敵に切りかかるだけのマンティスに比べれば、高い練度の攻めを見せた。

「ックソ!」

 悪態をつく彼の二ノ腕の方に近い部分に赤い傷のエフェクトがペイントされている。

戦闘を始めてからすでに四度目の会敵。うち、半分は複数体のキラービーだった。

 ゆえ、それまでの経験や相手の戦い方から、来ること予測はできていた。

だがしかし、防御スキル【ディフェンド】は相手にノックバックを与えることの対価として、自分にも同じだけの衝撃を受ける。

これを殺してから横へと転がって避けたつもりだが、1テンポ遅れ、攻撃をもらった。

掠めた程度ならば、せめてとばかりにダメージも抑えられたが、当たりも悪かったか、HPの減り方から直撃と同じダメージ量だ。

 回避の行動が終わり立ち上がった時には、弾いた二匹は体勢を立て直しており、イブキを追撃した一匹も、こちらに針を向けホバリングしている。ゆっくりと時間をかけて二匹と一匹は合流。

三匹となった羽音は威嚇にも聞こえた。

 キラービーは攻めだけではない。

今のように、味方のフォローすら行う。

「――なんだよ、ったく…。さすがにマンティスとは違う…」

痛みがないにも関わらず、傷エフェクトに手を添えて庇う。

口元では笑みで塗りつぶすが、悔しさが目元に現れている。眉間どころか、目尻のあたりにも皺が寄った。

「雑魚のくせに…!」

蜂と人は、相手の出方を伺うように対峙したまま動かない。

 と、人側は言いたいかもしれないが…一撃をもらっただけに攻め方を伺うのはキラービー。イブキはまずどう立て直すか機を伺うようにも見える。

形成は不利にも見えるかもしれない。

…だが。

人は思い出す。自分の憧れを。圧倒的な力を。

「……。」

月夜の黒猫団が窮地に陥ったとき。

この三倍近くの数のモンスターを、彼は屠った。

マンティスが謀らずも、不意打ちをする形で襲い掛かったとき。

瞬時に見ることもできなかった高速の三太刀で斬りつけ、仲間を守った。

「この程度の敵…」

庇った腕を離し、武器を改めて 握りしめる。

 この数なら、キリトなら即座に斬り伏せるだろう。

三体ならば、一太刀ずつ斬りつけて終わるだろう。

いや…もしかしたら一太刀の軌道に三匹とものせて斬っているかもしれない。

 彼との差に、感情の二割ほどの焦りが生じた。

だが二割の感情は、残りの八割を頼もしさを生み出して満たす。

この遠さの分、彼は強いのだと。

「――」

 息を吸い、

「ッハ…!」

多く、短く吐く。

感情は入れ替えを終えて、剣呑を残して真剣さが眼差しに戻った。

心にあるのは、眼前の敵の打倒。思考は、相手の連携阻止の算段。

 武器は、盾と剣。

盾は小さい。小さい分、防ぎ難いが取り回しが良い。剣は幅広く、突きもできるが握り方から主体は斬撃。

盾は右腕前腕。剣は左手の逆手。

 ゲームにおいて、連携する敵には一匹にしつこく付いて倒せば連携は崩れる。

とはいえ…いかにゲームと言え…自身が動き、重力や慣性も付く。

電子板の中のように、スティックを動かせば動き、ジャンプやローリングで無理やり近づいて攻撃することは難しい。

加えて相手は空を飛ぶ。空中への追撃は不可能。

「なら…」

剣を引き、盾を構える。

 キラービーは相手の防御の姿勢から若干密集する。

そのまま待機は続行されたが、

 

――――ッビジ!

 

という弾く音が、羽音に混じった。

 それはイブキが、足元から握って投げた土が、キラービーの羽に当たった音だ。

本来、ナイフ等を持っていれば最良。石があれば幸いだったが、足をつけた地面は草が生い茂っており、石を探すにしても敵から目を離す必要がある。

 ゆえ彼は、盾は体の前に置きつつも姿勢を落とし、地面より削る・抉るようにして土を手にし、強く握って塊とす。

 剣はこのとき、しゃがんだ際に傍らへ落し、土を投げると即座に拾った。

塊は投げられ、形をわずかに崩しながらも、キラービーに当たる。

それは挑発ではない。

 システムの一部。プログラムの一文であるキラービーに感情はない。行動の指針として、疑似的なものはあるかもしれないが、それを刺激するには相応のスキルを使う必要がある。

しかし、キラービーのシステムは、彼のこの行動を”攻撃”と受けた。

攻撃を許容し、キラービーは攻めた。否、反撃に出た。

 敵のほうが数が多い場合、そこへ単身攻めるのは火の中に駆け入るのと同じ。

ならば、攻め込んで来る敵の隙に付け入るのが最良。

少なくとも、盾の備えがある今のイブキにはこれが最良だった。

いま、キラービーは二列となって突撃する。

相対する者から見て、左の列に二匹、右の列に一匹の構成だ。二匹の間隔を開けており、この間隔の隣に一匹が位置する形だ。真横から見れば、三匹が真横一列に並んでいるように見えるだろう。

 攻撃が開始された。

まず、二匹側の先頭が針で刺突する。

二匹列を中心軸に考えたとき、左に避ければよい。そうすれば、右列を無視して後続は二匹列の一番後ろだけになる。

キラービーを頂点と考えて三角形を描いた時、三角形の中ではなく、外へと逃れる動きになる。

だが、あえて三角形の中へ…群れの中へと進んだ。

 蜂の隊の魁、その構えられた棘に薙ぎ払いの軌道を持って盾を当てつつ、半歩だけ右に進む。その位置は揃って飛ぶ蜂の列の合間だ。

魁の蜂は右に逸れたが、そのまま後方へと飛ぶ。

「――ッグ!!」

 魁を退けた瞬間、間髪入れずに第二陣が刺しに来る。

これはあらかじめ右側へ振り被っておいた剣にて防いだ。

盾も剣も振ってしまい、腕を開く形になったところへ、進行方向を修正した最後のキラービーが突っ込む。

「っぐぅ!?」

 狙いは体の中心。人体の急所である鳩尾へ、真っ向から先端の錘が付き立った。

ッギギと、キラービーから鳴き声が耳に聞く。

嘲笑されたような気分だったが、しかし、彼にはこれしか方法がなかった。

 次の一手だ。

―――ッビ!!

頭突きができほど近づいたキラービーの頭を捕らえた。

「おおおおおおおお!!」

開いた盾と剣を持つ腕。

盾を握る拳と剣を握る拳とで、挟み込むように持つイブキは地面へとキラービーを叩きつける。

 左、隊列を作る群れの外側へ避ければ、攻撃を食らうことはないだろう。

しかし相手は空を飛び、こちらは飛べないことから、この奇襲は飛べない方が死ぬまで繰り返させる。

通り過ぎる隙を突こうものなら、その隙を後続が掻っ攫うだろう。

リスクが高い。

だからイブキは、ジリ貧になるよりも、敵中へ分け入ることを選んだ。

 通り過ぎたほかの蜂たちは、旋回やホバリング等で行動が遅れる。

地に落とされたキラービーは体を起こして再び飛び上がる前に。

―――ッギ!?

一回、二回と、キラービーへ逆手の剣を突き立てた。

勢い乗っていないため、補正などは付かない。

が、キラービー一体のパラメーターは低い。三回目を刺されたとき、叩きつけられた一匹は死んだ。

「よし…」

 まずは一匹。

そして振り返れば、残りの二匹がほぼ並列になって同じように突撃している。

右のほうがやや前に出ているため、先ほどの攻撃を防いだように左の剣を右に振り被り、

「ッハ!!」

今度は一気に振りぬく。

同時に攻めた事、そして並列になった事は仇となり、斬撃を主眼に作られた幅広の剣に、二匹は同時に薙ぎ払われた。

 斬られた二匹のうち、片方は羽を斬られて地に転落。

震えながらも再び飛び上がろうと羽が空気を蹴ろうとするが、その前に掬いあげられる形の蹴りに飛ばされる。

――ッギギョ!?

蹴りにより行動を再び制限された蜂は、地面でバウンドし、二たび浮き上がってその度に地面に叩きつけられた。

そして転がる最中に突き立てられた剣に散る。

「残りは…!」

 あと一匹。

斬られたほうのうち、もう片方は胴を半ば斬られただけ。空中で、僅かによろめいただけであった。

現実ならば、真っ二つになって絶命するのだろうが、ゲームにおいてはHPが0にならない限り死なない。

最後の体力に縋り、一つ覚えのように針を向けて滑空する。

 その攻撃を対価とし、

「終わりだ…!」

カウンターを成立させた。

盾は、体の後ろに隠すように構えられていた。

自身の体で、盾スキルがカウンタータイミングに至るまでの光塵を隠すために。

 蜂が攻撃した瞬間に、わかりやすいくらい大っぴらに盾を掲げる。それこそ見せつけるように。

直前、盾が真っ赤な焔を灯したように煌々と輝いていた。

 盾で弾いたとほぼ同時に、真横に立てていた剣で薙ぎ払う。

大きな剣を両手で振るうような弾いたことの延長に攻撃を添えるように盾と剣は同時に動かす。

スキル名は【カウンターカッター】―――敵の攻撃を弾くことから攻撃への間隔が極端に短い即時の行動が連鎖する技だ。

攻撃が一回だけのことから、連撃にならないため下位スキルに位置付く。

 それでも、キラービーの最後の一撃として、十分な威力を発揮した。

今度こそ胴を真っ二つにされた蜂は、半分に分かれて、地に落ち、光となって砕ける。

一部始終を目で追っていたイブキが、敵の全滅を認識し、

「っは!はぁ…!」

無意識半分に長く、薄くしていた息を吐き出した。

(今度はうまくいったか……)

呼吸の緩急が、一瞬吐き出す息をせき止めたが、大きく吸い込みこれを落ち着かせる。

 落ち着いたことを自覚したのち、剣を鞘に納め始めた。

まず、左手の親指を使い、手探りにて鯉口を探す。最近はいつも左腰にベルトを使って下げているため、だいたいの位置はわかる。

探り当てたあとは親指を鯉口の中心に持ってゆき、鯉口の”へり”に刃を当てつつ持ち上げる。

切っ先がへりを超えた時、当てていた切っ先は体側にズレて、自然と鯉口の中に当たる。

あとはそのまま、下へと落とす。

ッキン…!

 鯉口に、刃の付け根に位置するガード部…刀で言えば鍔の部分がぶつかり、金属の音響が静夜に一瞬走って消える。

 短い期間ではあるものの、毎夜毎夜、扱っていれば見ずとも納刀する方法も覚える。編み出す。

実際、納刀中に鞘を見ていて襲われたこともあった。

携行品を取り出すときも、周りへの警戒は怠っていない。

「HPは…イエローか…」

イブキの生命を現すバーは七割以上の残存を示す緑色から、五割以下に減って黄色に変わっている。

「三匹でこれで…。しかも肉を切らせて、か…」

 体力に少なからず減少させた勝利。

しかも被弾ではなく、あえて攻撃を食らうことで、だ。

あえて攻撃を食らうことには限界がある。残りHPが1のとき、この方法は使えない。

その場合は敗北――――死ぬだけだ。

加えて補足すると、イブキがここに至るまでに会敵したキラービーは二匹同時か、一匹。

ここまで苦戦は強いられなかったが、一体増えただけでこの落差。

「くっ…。ン――」

焦りを、回復ポーションとともに飲み込み、改めて思った。

「――ッハ。なんだよ、まだ遠いな……本当に…」

焦りは、仲間に対する誇らしさに変えて、瓶の中身を飲み干す。

 視界内に表示された体力バーを一瞥。

体力バーが緑まで回復し、変わったことを認識したとき、

「次だ…!」

抜剣。

 白刃の輝を尾として持ち、夜の森へと消える。

今の夜は月が隠れている。

 次第に闇夜の黒は、すぐに彼など隠してしまい。

後にあるのは、剣戟と獣に似た咆哮。

 それも、遠く遠くへと木霊する音を名残りとしつつ、蝋燭の灯のように小さくなって消えていった。

 

 

 


 

 

 

[stage...5]

 

 月のいない晩。

ふらりと現れたような雲に月が隠され、街を照らすは街灯と建物の窓からちらほらと零れ落ちる部屋の明かりのみ。

その一つ。

 街へと光を注ぐ窓の一つ。食事処の上に造られた宿屋の三階。

うち、一番階段側に位置する一室。

時刻は午後9時を通り過ぎたあたり。

 眼前のウィンドウを操作する人影が部屋に落ちていた。

ベッドに腰掛けて、ステータス……経験値……習得スキルと、順に項目を目に映しては流していく。

(遅れている、な…)

声に出さず、表情には出さずだが、キリトはそう感じた。

その背に翻るはずのコートはいまは無く。無論、剣も背負ってはいない。

 長袖の無地のシャツに、同じく無地のズボン。彼が自室や街で普段使いしているもの。

つまりは武装を解除した完全にオフの状態だ。

 ただ、彼はこの状況に少し焦れていた。

息を多めに肺に溜めたような肩が浮つく感覚が、急く感情を胸中に滲み出させる。

 理由もわかっている。

が、わかっている原因は除き難い。

それは――

 

コンコン…。

 

 木板を叩く音がした。

叩く音に、キリトは扉の方を向く前に、目の前のウィンドウを消した。

今、彼は窓を正面に捉えて座っている。

 叩かれた扉は、窓の対面。後方に位置するため、ウィンドウを消した手をベッドに着いて肩をわずかに傾けて振り向き、

「どうぞ?」

扉の向こうの人物を招き入れた。

 遅々とした動作でノブが下へと傾き、ドアがゆっくりと開かれた。

音を立てないよう静かにという配慮も勿論あったであろうが、どちらかといえばおずおずと恐る恐る開けたような雰囲気が感じられる……そんな開き方だ。

一息に…ではなく、綱で引き寄せるよう、あるいは時計仕掛けのように段階を踏み、数度に分けて開く。

部屋の主は、この開き方に若干の疑問を浮かべ。

が、三度目の傾き。木の板の向こうに見えた姿にこの疑問の半分が腑に落ちた。

「いま、大丈夫かな?―――」

 申し訳なそうな表情で髪を少し傾けたサチが、遠慮がちに部屋へと顔を見せる。

彼女は柔らかい印象を持つ着心地のよさそうな寝衣のまま扉を閉めて部屋へと入り、

「―――キリト」

扉を背にして今の疑問を投げた。

「うん。大丈夫だよ」

 立ち上がった彼が微笑を添えつつそう告げると、彼女はやっと表情を明るさが差した。

立ち上がったキリトはベッドの逆側にあるサイドテーブルを目指し歩む。彼が歩き出したのを見てから、少し遅れてサチはベッドを目指す。

 先にサイドテーブルに着くと、アイテム欄からティーポットと蓋つきの陶器をアイテム化してテーブルに置く。

ティーポットには、あらかじめ用意しておいたお湯で満たされていた。お湯を入れた後にアイテム欄へ格納すれば、取り出したときは常に沸いたままだ。

蓋つきの陶器には、濃い茶色とクリーム色の混ざった粉が入れてあった。

開けると、チョコレートに近い甘さを感じさせる匂いが広がる。

あえて挙げるとすれば……ココアの匂いだ。いわば、陶器に入れてあったのはさしずめココアパウダーといったところ。

 本来、現実側でココアパウダーは工場などで加工されて作られるもの。

SAOでは、カカオをモデルに異世界を思わせるような形にデザインされた木の実がある。【クオコアの実】といい、これを『調合』を使って近いものを作ることができる。

現実と同じように、この粉にお湯を注げばココアが出来上がる。現実と違うのは、そのままでは見た目と香りだけが同じなだけ。ただの色付き香り付きのお湯になるだけだ。

 甘くするには砂糖などの甘味料がいる。砂糖と合わせて碾くことで混ぜ合わせれば、現実のものと寸分違わない。

とはいうが、原料はカカオで無いうえに、単に”似たもの”なので、ぶっちゃけると、『クオコアの実を粉にしてお湯を注いだもの』ということになるが…便宜上、SAOではこれを【ココア】と呼んでいる。

陶器の中に入っているクリーム色の粉は、砂糖になる。

 砂糖に関しては、現実のサトウキビから作るのとほとんど大差ない。サトウキビではなくSAO内にある甘みのある果物、あるいは植物を代わりとして作る。

クリーム色なのは、その果物や植物の色が文字通り色濃く残ってしまったに過ぎない。

 SAOで砂糖を作り始めた者が試行錯誤した結果、従来の白もあれば、果ては紫色の砂糖もある。大して色が混ざったりしないため、”甘くなる”という点だけならどの色のものでも大差ない。

 ちなみに、キリトが持っているものはすでに調合・加工し、とある雑貨屋で売られていたもの。

余談だが、雑貨屋ではこの商品を利用して作られてクッキーやチョコに寄せた菓子も売られている。

たった今、サイドテーブルへ置かれたチェック柄のクッキーはその雑貨店の商品だ。

 彼がココアの支度を始めている間に、ササイドテーブルのすぐ隣に彼女は座る。

「ごめんね。話を聞いてもらううえに、お茶の用意までさせちゃって」

「気にしないでくれ。俺が好きでやってることだから、さ」

 柔和で優しいげなトーンのまま、返答の語尾と共に彼女へとソーサラーに置かれたココアを差し出した。

ありがとう、というサチの言葉にはココアのことと、そう言ってくれることへの、二重の感謝が込めてあった。

言葉を返した後、カップの淵を口に近づけて。

 数回息を吹いて冷まし、短い一息で飲める量を少しずつ…カップをゆっくり傾けて、唇を経て口の中へ。

ずっと触れていれば、反射的に避けるほど熱くなるであろうそれは、気を付けながら飲めば適度よりも少し熱く。

風が冷たい今の夜にはちょうど良く体を温めてくれる。

「…はぁ。あったかい…」

 ココアの熱のせいか。

ほんの少し、頬に赤みを差すサチは、溜めた息を熱と安堵と一緒に漏らした。

甘い香りと味わいが頬の緩め、僅かに残っていた肩の緊張もほぐれて落ちる。

 彼女の反応から、問題なくココアを淹れられたことにホッとしてから、キリトは自分の分のココアを置き、ベッドの反対側へと向かった。

 そこには机が置いてある。

キリトが用意したわけではなく、宿に初めから設置してあるものだ。

彼はその机と一緒に用意された椅子の背もたれに手をかける。抱えるように片腕に背もたれを引っ掛けると、持ち上げて、もといたサイドテーブルへ、彼女の正面へ。

(意外とたくましい…)

 ココアを手元のソーサラーに置いて、サチは彼の行動を目で追っていた。

「ん?」

視線に気づいたキリト。

「っ!――あ、いや、えっと…」

 不意に目的地から視線の彼女を見てしまい、互い眼差しがぶつかる。

見つめていた彼女は狼狽えた後、ごまかすためにココアをすする。

「それで?」

「え!?」

 今見ていたことを指摘されたと思って、びっくりするサチ。

「え?いや、なにかはなしがあるんじゃないの?」

そのびっくりにちょっとびっくりするキリト。

「あ。あぁ、そう、うん。ちょっとね…」

別の意味で赤みが差した頬を隠すように、ほんの少しだけ顔を彼から背ける。

 そして、ここに来た本当に目的を思い出し、傾けた顔は頬を隠すことから、俯くという意味に変わった。

曇った顔から、不安が伝わるように正面に座った彼の顔も曇る。

伝染した感情は冷気の煙のようにゆっくりと這い寄り、凍える感情の風は人の心を冷やす。

 俯く顔は双眸の間に悲痛となって現れて、

「サチ」

その一言で、一瞬、”成り”を潜める。

本当に一瞬であり、

「訓練のこと?」

「……うん。何回もごめんね」

潜めた不安は心の中でまた、成形されてゆく。

崩れた分、言い当てられた分、さらに大きく。

「まだ、前に出るのが怖くて…」

「まだ数日しか経ってないし、慣れるには時間がかかるよ」

「でも、イブキはすぐにできるようになれたし……」

「彼はどちらかというと、前に出て戦うほうが向いているからね」

 ココアを一度、置いた。

…自分から用意しておいてなんだが、いま、これは不要なものだ。

そう判断したキリトは、空いた両手を絡め、体を前へと傾かせることで腿に肘をつく。

 顔をそむけた彼女に対して、真っ直ぐ眼差しを向けて、

「それに彼は小さいころに、ゲームやアニメのキャラクターに憧れてよくおもちゃの剣とかを振ってたらしいし、そうやって遊んでいる事が長かったから変な特技がついちゃったって言ってたよ」

その率直で真っ直ぐな態度を、これから話すことが正しいという証明とした。

「イブキが?」

「恥ずかし、変な奴って思われるから、女の子には言ってないらしいけどね」

 彼女が部屋に来る前、夕食を終えて部屋に戻るときに、件のイブキが話しかけてきたのだ。

用件は、自分が贔屓にしている鍛冶師の店について。

昼間についてしまった出まかせを信じて、伝えに来てくれたときに。

 

 

「キリト」

 まだ雲が月を覆う前。月明かりの落ちる階段で呼び止められた。

「イブキ」

振り返ると、自分を追って一段飛ばして階段を上る彼の姿があった。

「さっき言ってた鍛冶師の位置を教えるわ」

「え?」

「ほらなんだ…昼間に言ってたろ?剣の耐久度がギリギリだ、ってよ」

「あ。あぁ…」

 自分でも失念していた。

加えて、その時抱いた感情をごまかすための出まかせだったため、より後ろめたい気持ちに心を刺される。

「ま、もしかしたら別に行きつけの所があるのかもしれないけど、タフトと…あ~なんだ。ここの階層と同じところにあるからな。耐久度の回復くらいは、サッ…といけるぜ」

「そっか。わざわざすまないね」

「気にするなって。つっても、最初に行きつけになったのがオレってだけで、今となってはメンバー全員そこの常連なんだけどな。…マークした地図、渡しておく」

「助かるよ」

 縦に四つ折りになった地図は、一度軽く掲げられてから手渡された。

返答として短い礼と、受け取ったあとに同じく小さく掲げてから、取り急ぎズボンの後ろポケットに差し入れた。

「そういえば、教えてもらったついでに、聞いてもいいかな?」

「ん、なんだ?オレにか?」

 メンバーの中でしっかりしているといえば、ケイタ・サチ・ササマルであり、あとの三人は比較的お調子者の雰囲気が強い。

話し相手ならまだしも、何かを質問されることについて悲しいかな、問いかけを受けた彼は自分でも意外と思ってしまった。

「あんま応えられる自身ないなぁ…」

頭を掻きながら、我ながらちょっと情けないと目じりを下げつつ、

「ま、オレに答えられることならな。で、なんだ?」

「転向こと…というか、剣についてなんだが……」

 僅かに顎が上がった。

眉間に少し皺が寄る。

それは怒りではなく、

(マズっ。バレたかな…)

夜、こっそりソロ狩りをしていることに対しての懸念だ。

 もともと体を動かすことはまぁまぁ得意で、小さい頃から習い事のスポーツをしていたため、体の基礎だけはできていた。

今、現実での話、習い事とっくにはやめているが…高校で文化部に入っても体自体はちゃんと動く。

感覚的に体を動かすことも苦手ではないため、見様見真似も形になると自負している。

そういう裏地があるから、上達が早くても誤魔化せると思っていたが…。

「剣、か…剣がどうした?ブロードソードならたまたま素材が揃ってたから強化しただけだぜ☆」

 すっごい不器用にはぐらかした。

もしマンガやアニメなら、今彼の背中には脂汗が滝のように滴り落ちている場面であろう。

「あいや…剣の上達の話なんだが…」

「あ、あぁ、そうか…」

はぐらかしもむなしく確信を突かれた。

心の中の内なるイブキは今過呼吸である。

「いやぁ、まぁその…」

「もしかして、武術を習ってたとかあったりしないか?」

「へ?」

この問いに、

(お?)

内なるイブキの呼吸が安定した。

「いや、深い意味はないんだ。イブキは上達が早かったから…もしなにか習ってたなら、それも納得だなと…」

「あ。あ~、ナルホド…」

完全ではないにせよ、心情が平静近くまで落ち着く。

「ふぅ…」

思わずため息が出た。

「あぁ、ごめん。迷惑ならいいんだ。ゲーム内で詮索は無粋だし」

「おおう、待て待て。違う違う、違うんだ。いやー、てっきり変な疑いをかけられたと勘ぐっちまってな。ちっと安心して思わずな」

「え?あ、いやそれはすまなかった!こっちこそ違うんだ。あまりに上達が早いからなにかコツとかあるならと思って…」

 コツ…?

その言葉に、水が差されたように疑念を抱く。

「剣のコツって言うなら、キリト…キミのほうが知ってるんじゃないのか?いうてもオレも歴はサチと一緒で三日やそこらだ」

…ま、こっそり練習してますが……。こっそりソロ狩りしてますが…。

内心、自虐するように自身に毒づきを入れる事で、フッと感じた罪悪感を収めた。

「なんでまた…?」

そこまで言って、

(あ…)

 自分の言葉で気付く。

予測であるが、おおよその当ては付いた。

深夜、密かに練習しているとはいえ、三日でそれなりに戦えるように仕上がったのは自分だけ。

 一人、まだ実戦に出れるレベルとは言えない者がいる。

(そうか、サチか…)

普通なら…他のメンバーなら、まず気が付かないであろう。

そこに至るには、もう数段階、キリトと会話をしてやっと確証のない予測が立つくらいだ。

 けれどもイブキに他のメンバーとは違う条件を持っている。

目の前にいる彼と、サチとの関係を…。

「いや…特に無いのならいいんだ。ただ何かあればと思ってね」

 思いに至った彼が、キリトの一言一言に気持ちを揺さぶられる。

が、それは感動の類に近く、動揺や平常心といった心の落ち着き度合という意味ではすっかり凪いでいた。

本人は気付いてないが、口端には小さく笑みが見え、眼差しは見守るように温かい。

「キミ…いや、おまえも大概、優しいな」

「え?」

 照れたのか。不意を突かれて笑んだ顔はどこか引き攣っており、

「離し戻すぞ。実はな?あんまり大っぴらに言うつもりはないんだが…あ、習い事はしてないぞ。ただ心当たりがあってな…」

とはいえこれ以上は野暮だろうと考えたイブキは、強引に話をレールに戻す。

「まぁ、なんだ…。小さい頃……て、ほど昔の話じゃないんだけどな―――――――」

 

 

「へぇ。イブキがそんなことを…」

実は中学くらいまでやってたらしい、とキリトは付け加えて、

「ダッカーには言ったことあるらしよ。テツオは口が軽いから話してないってさ。言った方がいい、言わない方がいい、言っても問題ないの判断がうまいから余計に立ち悪い…ってさ」

「あー、確かに…。前にイブキが甘いもの好きっていうの、本人は秘密にしててほしかったらしいけど話してたっけ」

「え?甘いもの好きを?」

「うん。本人曰く、子供っぽいし、女の子なら別にいいけど男の自分だとどこか女々しいように聞こえるからって…」

「うーん…わかるようなわからないような…」

「あれ?でもキリト、今の言っていいの?」

一度、ぬるくなったココアで喉を潤したキリトは、声は出せなかったが代わりに表情で疑問を表す。

含んだココアをすべて喉の奥に落としたのち、視線がやや上を向く。

視線が上を向くということは、ちゃんと考えている証拠であり、

「あ。」

思い至ったらしい。

今、目を見開いて口もポカンと開いた。

「っくふ…!」

 今の反応が良かったのか、サチが噴き出した。

「もう、キリトったら…!」

ココアを含んでなくてよかったと思いつつ、笑いをこらえる。

「イブキには内緒でお願いします…!」

「ッフ!ふふ…!」

手を合わせて丁寧にお辞儀してお願いしてくるのが追撃となり、さらに噴き出した。

次第に抑えが効かなくなってゆく笑みに、指先で隠したり、握った手で隠したり、掌で隠したり。

「このとーーーり!」

「ちょっと、やめて…ふふふ…!」

終いには、ココアを置いて両手で抑える。

それでも、朗笑は口から、指先から、握り手から、掌から零れ。

 よかったと安堵する。彼は安堵する。

 ここ数日、彼女と話してみた彼にとって、彼女はとても臆病に感じた。

ただこの臆病さは、誰からみても明らかではある。

とても怖がりで、儚い。

 しかし、日中、特にダンジョンでの戦闘では、儚さは隠れることが多い。

周囲のなにも知らない者からすれば、ずっと怖がりに思えるが…彼女が戦闘中に震えて動けなくなることはあまりない。

泣き出してうずくまることも、武器を投げ出すして逃げ出すこともない。

怖いながらも勇気というモノは、欠片程度ではあったとしても、確かにそこに存在した。

 そのほとんどが、恐怖を抑えることに使われている。

夜になって、彼女と話すたび、この世界に…SAOという世界そのものに怯えているということが色濃く伝わった。

 今の会話にしたってそうだ。

何気ないうえ、ここまで笑みがこぼれるような会話ではない。

『秘密だと言われたことをうっかり話してしまい、それも黙っててほしいと馬鹿正直にお願いする』。

それだけのことだ。

何気なくも、当人以外からみれば馬鹿らしい話。

 その何気なく、馬鹿らしさは、恐怖の塊であるこの世界からすれば、もっとも縁遠い事柄であろう。

彼女からすれば…。

だからとても貴重なのだ。

貴重で。

希少で。

 だからこそ愛おしい。

愛おしいように感じ、笑みは普段よりも零れる。

恐怖を内包し、恐怖が漂い、恐怖が監視しているような世界の中だからこそ…。

 そんな世界で…気が狂いそうなほど怖いと感じる世界で、彼女は自身が気付かないうちから抗っている。そう言える。

恐怖に抗う勇気。

まだ小さいかもしれないが、彼女は確かに持っていた。

 まだ小さいから、臆病だと言える。

いずれ、実力をつけていけば、彼女は確かに強くなるはずだ。

「そういえば、実はイブキ。まだ左手で何かを操るのは苦手なんだってさ」

 キリトは笑う彼女に言葉を投げた。

言葉を受け取って、先に疑問符を浮かべたあと、一回咳ばらいをしたのち、

「そうなの?」

目じりに笑みがまだ名残りがあるものの、追加で行った咳払いでほとんどを追い出してから、投げかけられた言葉に注目する。

 それを待って、

「あぁ、本人も溢してた。盾のスキルをメインに据えようとしてて、だから剣を左手に持ってそうだよ」

「そうなんだ…。それも鍛冶師の話のときに?」

 そうそう、と返しつつ、サイドテーブルのクッキーを一枚、まるまる口にする。

自分が食べることで、相手に口にするハードルを下げさせたあと、クッキーの皿を少し押し出す。

相手が許可を求める前に、勧めることでこれを許可として先に送ってあげた。

 サチは、「あ。ありがとう」と言って、クッキーを一枚、口に運び、手皿の上で齧る。

先に食べたクッキーをココアで流し、キリトは続けた。

「盾は防いだり弾いたりタイミングを計ったりとやる事が多いけど、剣はその代わり剣はなるべく振るだけにしたり、あんま難しい動きはしない様にしたってさ」

そうすることで、と言葉を置き、

「盾と剣の運用を簡単にしたらしい。つまりは、”盾は防ぐだけ…剣は斬るだけ…盾のほうが多く扱うから利き手の右に、剣は斬るだけだから左手にした”…そういう感じかな」

「そうなんだ。…イブキはすごいね。もう自分にあった戦い方を見つけて」

「確かに…。たぶん、体を動かすことについては本当に容量がいいんだよ。ただ――」

「ただ…?」

 それはある種、否定の言葉であった。ここまで語った言葉を覆す前置きに使う言葉だ。

仲間が賞賛されていることを口元では喜びつつ、自分の不甲斐なさに眼差しを曇らせたサチにとって、この言葉は双方の感情を疑問によって忘れさせる。

「盾に関して、まだ防ぐのが苦手らしい。振り被って攻撃に当てて弾かないと、次の行動が取り辛いってさ」

彼に内緒で、苦手な部分を暴露した。

「本人は、ただ防ぐだけだと勢いが死ぬからそのあとの行動がしづらい…ってさ。あ~でも、防御する技術も磨かないと、とも言ってたよ。弾くがメインだと素早く連続で攻撃されたとき、何度も盾を振らなきゃいけないから隙になるって」

「磨かなきゃってことは、防御の練習を考えてたの?」

「そうそう。……コツを聞かれたけど、俺は盾使わないからなぁ…ってね」

「そっか、キリトは剣だけだもんね」

 うんと、首を縦に振って肯定すると、残りのココアを飲み干して、

「だから盾に関して。防御に関しては、実はサチの方がうまいんだ」

「え!?」

 キリトの一言で反射的に彼を見て、手を立てた。

今しがた、ずっと手元のソーサラーに置いていたココアを口をつけてから、テーブルへ置いたところだった。

溢れることはなかったが カップの中が揺れ、持ち手を打ってしまい、僅かな角度だけカップがソーサラーの上を回る。

「あ。あぁあ、ごめん…!」

「おっと…!」

お互いに、ぶつかったカップの方を気にしたが、ちょっとした……本当にちょっとした驚きという意味でのスペクタクルに、

「おお…」

「あ…」

行動が重なり、気にかけた先で意識がぶつかり、目を見合わせた二人が、また小さく笑う。

 話を戻して…と、前置きし、

「イブキの上達は早いけど、飛躍的な分だけムラがあるし、置いてけぼりな部分がある。そもそも前衛は敵の攻撃を抑えるのがメインの役割だけど」

 そこでキリトは言葉を一度、区切る。

追加のココアを彼女にも残すため、遠慮がちにカップの半分程度まで作ってから、

「ちょっと突出気味だからね。そういう点では、防御が勝ってるキミのほうが勝っているのかも」

言葉を贈る。うんうんと、自分で自分の意見を分析するように。

頷きを二度繰り返すことで間違いないと示しつつ。

出来上がったココアと口を互いに近づけながら、薄目で相手へ視線を移す。

「……そっか」

 彼女は先ほどとは別の意味を含んだ笑みを浮かべていた。

偏に、それは安心だ。

 もうそこには、最初に見せた不安は感じられない。

成りもなく、鳴りを潜める。

 今、キリトが言った言葉に嘘偽りはない。

そういうのが得意な性格でもないうえ、逆に嘘でも「上手だ」と告げてやるのはこの世界では大変危険だ。それは過信を増長させる。

故、事実のみを告げる。

 自分では感じていない成長を、格上であるキリトから告げることで自信として持ってもらうため。

「だから安心して。キミは確実に。強くなっているよ」

「うん…。ありがとう、キリト」

 笑顔を返された。

そのしぐさに、心の平静が一瞬だけ跳ねたが、ココアを啜ることで気を保つ。

「いやいや。ありのまま評価しただけだ、俺は」

 彼女は強くなる。

抗うための力は今なくとも、抗うための勇気を持ってる。

それが例え、一握りでも、砂粒の寄せ集めた程度のものだったとしても。

”そこにある”という確証だけで、確信がある。

 ゆえ、守らねばと思った。

勇気が大きくなり、それに見合う力を持つまでは…。

そうしなければ、彼女はあっという間に命を散らしてしまうだろう…。

 だからこの時間は、彼女にとって大切なんだ。

絶やしてはならない。

心の影に、若干感じた後ろ暗さ、後ろめたさを隠しつつ。

カップに落とした影を消して、彼女の方を向きなおす。

 素直に褒められて少し照れ臭かったのか…サチは笑顔のあと、ココアをかき混ぜたり、ちょっとずつ口をつけたりして何かを紛らわそうとしていた。

その自分を見つめる視線に気づいた彼女は、気を取り戻し、咳ばらいを小さく一回。それにより体裁を取り戻すと、

「でも、まだ前に出るのには自信無いんだぁ…」

自信の無さやそこからくる暗さは無く、相談という形で言葉を作った。

 彼女自身、愚痴をこぼすような感覚で言ったつもりだが、

「ん?――――んん……」

言葉を受けたキリトは顎に手を当て、少し考え込むと、

「キリト?」

「じゃあいっそのこと、もう少し大きな盾を両手で使うのはどうだろう?」

「え?」

まさかの返答が返ってきた。

「それは…攻撃を諦めるってこと…?」

 恐る恐る。

サチは質問を投げた。自分のやる事を減らす提案に、自身の能力が見合ってないためなのかと、そう仮定しつつ…。

その仮定に、自分で危惧した仮定に……明るさを取り戻していた彼女は、再びその明るさを手放しかけたいた。

だが、

「違うよ」

それがわかったから。

質問の意図がわかったから、キリトは真っ直ぐ、彼女の目を見て言う。

「得意をまず伸ばしてみようって話さ」

一度区切り、続けて投げた言葉にまず彼女の返答を待ってから、

「得意を…?」

そう…と、話を広げていく。

「戦いにおいて、得意なことがあるのはアドバンテージだし、なにより自信や安心に繋がる。それこそ、守りが何より得意で敵の攻撃をすべて防ぐことができるのなら負けることはない」

「う、うん」

提案の突拍子さにいまだ戸惑いはあるにせよ、彼女は彼の話を理解しようとその耳を傾ける。

「少しずつでいいんだ。得意な事を見つけて、高めて、そこから自分にあった戦い方を見つければいい…。今は、そのための準備さ。もし仮に、攻撃を捨てたほうがいいという結論になっても俺はそれで良いと思う。こういったMMORPGには、”タンク”っていう防御に特化した役割もあるからね」

「タンク?」

「そうさ。あ~、SAOでは無理だけど……盾を二つもって戦うやつとかいたからなー…」

「盾二つ…!?それって戦えるの?」

「うん。攻撃面を言われるとあれだけど…。それでもたまたま別のゲームで見かけたその人は、まったくダメージを受けてなかったし、倒せる人はそういなかったんじゃないかなぁ」

言葉を区切り、

「だから、少しずつでいい。自分のできる、自分にあったものを探していけばいいよ」

「……うん!」

「それじゃ、明日の朝にでもケイタに相談しておくよ。……あ、そういえば~、イブキと話しているときに別に苦手なことも聞いたな。ほかに誰にも言ってないって」

「っむ?それは聞きたいなー。フフ、どんなことか聞いてもいい?」

「サチが黙っていてくれるなら、話さないこともないかも」

 やがて、この世界の話はそれなりではあるものの、話題には上がることはなくなった。

現実でどんなことがあったか、どんなものが好きで、なにが苦手で。

そんな他愛もない話に花を咲かせる時間が訪れた。

 夜天の星が隠れ、黒々と闇に塗りつぶされた夜でも、そのときだけは温かい陽だまりのような時間であった。

 

 

食事処『グラスランナー』の一階は、近くの街頭の光を少しだけ分け入らせ、真っ暗闇よりは若干明るい。

その真っ暗手前の店の中。

カウンター横の階段に、その一段目に腰かけて、音楽でも聴くように安らかな顔をして目を閉じていた人影が微かに見える。

 人影の腕に盾はない。腰に剣はない。胸当てもなく、薄い布の服には何の武具もない。

既に戦闘服から普段着に早変わりしたイブキが、膝に頬杖をついて座っていた。

 別段、意味がなくそんなことをしているわけではない。

密かに行っているレベル上げから戻ってみれば、キリトの部屋に明かりが点いていた。

 レースで作られたカーテンで遮られているが、明かりはレースの薄布をすり抜け、外に漏れる。

道の真ん中を歩いていたイブキが、その明かりを見て咄嗟に壁沿いを、明かりを真上に捉える位置へ。

 そのあとに予測ではあるが気付いたのだ。

「あぁ、サチがいるんだな」と…。

だから、部屋に戻る彼女と鉢合わせないように、念のため部屋に戻る音を聞いてから動こうと、こうして階段に腰掛けて待っているのだ。

 音が聞こえないということはまだキリトの部屋にいるんだ、と。

二人の語らいを想像しつつ、声の無い談話を聞いていた。

 きっと笑顔だ、と。

笑顔で。和やかで。健やかな顔を、取り戻している、と。

そう思いながら。

 見守る。

いや、状況から”聞き守る”と言った方がいいのか。

不思議とそんな心持ちを得ながら、気持ちが安らぐのを感じる。

 自分には成し得なかったことだ。

自分には出来なかったものだ。

 自分にできないからこそ、できるものがそばにいるのはホッとする。

自分には無い…持ってないからこそ、持ってるものがそばにいるのは好ましいと思う。

嫉妬などない。あるわけがない。

今、感情としてあるのは敵への怒り、焦燥、強欲に力を求める渇きではない。

安らぎと感謝。

そして、二人が幸福であるという信仰とその幸福を祝する祈りに近い感情。

 月並みだがそんなところだろうと、自分が得た感情をイブキは羅列してみたりする。

小恥ずかしくもある。が、それ以上に、

「…悪くない」

満ち足りていた。

 

 

 夜天の曇に隠れた月もすでに翌日へと傾きつつある頃。

夜は深まるに連れ、通常、人は眠りに抗えない様になる。

勿論、例外はある。

とはいうものの、普段規則正しく生活している人間にその例外はほぼ適用されず。

例にもれず、例外に当てはまらず。

朝起き、夜眠る彼女は、睡魔に負けそうに垂れ下がった頭を首を支点に上下させていた。

鼻先から落ちて、また起き上がる。

落ちた揺れで一瞬意識が半分覚醒し、睡魔に負けじと頭を上げ、また落ちる。

落ちるたびに、揺れる髪が頬を撫でるように振れる。

「サチ…。サチ…?」

 彼女は名を呼ばれるが、

「きり…と…な、に?」

眠気が雄弁を阻害。

覚醒を促す声は、水中の自分へ水面から呼びかけるようなもので、遠くくぐもって聞こえる。

 朝に起き、夜に眠る彼女にとって不思議な事ではない。

ただ異なるのは、今寝かかって居るこの部屋の主が彼女ではないことだ。

「どうしたものかな……」

 本当の部屋の主であるキリトが傍らに立ってため息を吐く。

眉間に皺を湛え、口端に笑みを持つ顔。

眉間は当然困ったから。口端の笑みは喜びや嬉しさからではなく、これ以上どうにもできない、策無しの自分を笑ったものである。

(いや。男としては、女の子が自分の部屋で寝ているのは、喜ぶべきなんだろうか…)

そう思考した自分をもう一度、小馬鹿にして笑った。

自嘲の八割は、んなアホな事を…と、諦めからくる悪ふざけに近い。

残りの二割は、

(そんなこと…)

自分の立場やしている事についての苦いものだ。

 とりあえずやれることをやろうと、誘われるようにした欠伸ののち、瞼を撫でつけながら前髪を掻き上げることで思考を入れ替える。

まずは、と顔を上げて倒れかかっている彼女の肩を添えるように触れる。

次に、座る腿の上に沿えるような手の力で持っているカップをソーサラーごと取り上げた。まだココアが器の中、僅かながらに水面を作っている。零れないようそっと、解きほぐす様に。

 サイドテーブルにココアを置くと、

「ん?あぁ…!」

触れる肩とは逆側に体が倒れ始めた。

彼女の体が倒れないように、触れる手の方へ僅かに傾けていたが、サチ自身が睡魔に負けて頭が落ちて、首を支点として頭が弧を描いた。

 関節が頭の位置に順番をつける。

傾いていることにより、関節が動きやすい方へと重力に任せて落ち。

傾けたことでまずそちらへ頭が向かう。

 それがいけなかった。体が傾く方へ頭が傾いたとき、振り被る形になってしまった。

側面に傾いてから、胸元に向かい頭が落ちる。弧を描いたのはその所為。

そして勢いにより、体の部位で一番重い頭に連れられ、逆側に体が傾き始めたのだ。

「おっと…!」

 咄嗟に触れていた手を放棄し、反対の腕を進行方向へ伸ばす。

しかし、腕だけで受け止めるのは些か乱暴だ。だから一歩そちらに踏み込んでやや抱き留める形で彼女の体を受け止めた。

受け止めたとき、また傾きに向かい、サチの頭がキリトの胸へ。まるで水が高いところから低いところへと向かうように自然と傾く。

彼は、正しく抱き止める形となった。

「っとと…」

 わずかによろけつつも、靴を床と擦ることで位置を微調節しつつ、膝をほんの少し折ることで衝撃を消してゆく。

キリトは眠った彼女を受け止めることに成功した。

 あとは彼女が起きていなければ完璧なのだが…と、視線を下へ落した。

 視線の先。

傾き、倒れ、揺さぶられた彼女は、胸の中で微かな寝息を立てていた。その寝息は安らかで、どこか微笑んでいるようにも見て取れる。

 ここでやっと、一瞬詰まった息を小さく吐いて安堵とした。

安心を表したキリトは胸に彼女を抱いたまま、もう一度、特に抱いているとは逆の腕を緊張させる。

 緊張の意味は、下方へ伸ばす動きのため。

目的は彼女の足元。ベッドに寝かすために邪魔な靴を除くためだ。幸いなことに履いている靴はスリッパのような簡単に履ける単純な作りのもの。

踵に指を引っ掛けて押し出すように脱がす。靴を。

靴だ。正しく靴だ。それ以外にはありえない。

 よし、脱がせられた………なんて心で思うものではない。

脱がすという単語に妙な意識とそれに対する警鐘と危険と恐怖を背に感じたのち、

(いやいやいや……!)

という否定を三度心で繰り返し、

(無心無心……。……よし)

冷静を取り戻してもう片方の靴も剥ぎ取る。

剥ぎ取るなんてことを思うものではなかった。三秒前と同じ意識、警鐘、危険、恐怖が再び背を脅かし、”いやいやいや”という否定を……………二度目なので略す。振り切った。

「ぐぐ……」

 土足から解放された彼女の膝の裏へ靴で使った手を回し、腕を膝関節に引っ掛けるようにして彼女の全身を持ち上げた。

胸を枕にされているため、胸まで彼女を持ち上げてから、羽毛が落ちるくらいふわり緩やかに自分のベッドへと委ねた。

 そこまでやって、ようやくキリトはひとまずの休心を得た。

あとやることは、

「よいしょ…!」

横たわる彼女をそのままにしベッドを窓側へ押し出す。少しずつ少しずつ、試すよう徐々に力を増しながら。細心をもって、細密を意識し、丁寧な動きで。

目的の位置まで押し出せたことをベッドを見て、首だけ振り返って、確認した。

ついでに、目についた卓の上を片付けたあと、サイドテーブルも同じ配置になるよう動かして、

「ふぅ…」

ここで二度目の休心を得る。腰に手を当て、息を着く。

今この時点で、ベッドを含む彼女の側面、彼の後方に約横幅三畳ほどの空間ができた。

「用意はしておくもんだなぁ…」

 アイテム欄を表示させ、そのうちの一つをアイテム化させる。

アイテム欄から対象の品が飛び出していくように、一筋の光が飛び出ると同時に項目が欄から消えた。

 代わりに飛び出た光が、出来た空間に落ちて広がる。

光のラインが造形物を象る。四角い縦に長く横に短い高さはより短い直方体が作られた。

光るラインの直方体は、それに臨むキリトに対して縦に…サチが寝るベッドに対して言えば垂直に位置している。

これをキリトが手を振ることにより横に再配置して、新たに出てきたウィンドウの『OK』の部分をタッチする。

 『OK』の返答に応じ、光ラインの直方体は線ではなく、立方体自体が再び輝きだし、打ち消すように光が消え、正体を現す。

 答えは単純。……ベッドだ。

サチがこの部屋に来るのは初めてではない。その中には、眠気に負けそうになることもあった。

まだサチも自力でうごけたため、自室へと戻っていったが……。

 もし寝てしまったらと予測した時、備えておいたのが役に立った。

既にマットレスも、シーツも、あまつさえベッドスプレッドすらも、すべてが一式揃っている。あとは寝るだけの状態だ。

サチが寝息を立てるベッドの隣に、平行な位置関係でもう一つ置かれた。

「さて…」

 今日はもう遅い。

自分が抱えている日課は本日もひとまず置いておき、同じく眠ることにした。

部屋についてのウィンドウを出現させて、『照明』の項目を展開し、明暗の欄に表示されている『明、中、小・、暗』の項目から『暗』に触れる。

照明はスイッチを切るように瞬間的に消えるわけではなく、太陽が沈むさまを参考にしたように段階は素早い遷移だが徐々に暗くなってゆき、やがて灯りのすべては消えた。

 今ある灯りはサイドテーブルに設置されたランプのみ。

テーブルに小さい半球を台座とし、半球台座の中心から細いアームが伸び、吊るすタイプのシェードが中にランプをつけて、アーム先のフックに吊り下がっている。これも宿に備えつけられていたものだ。

店主の趣向なのかは知らないが、吊り下がっている位置がやや高いため、テーブルのスペースを確保しつつ、置かれたものの邪魔にならない仕様になっていた。

半球の台座には磨かれた大理石を思わせる白く小さな石がはめ込まれている。白い石は零れた涙のような形の涙滴型。

 はめ込まれた石に一回、押し込むように指で押さえたまま数秒を経ると、長方形の細いウィンドウが出現。

上から下へ、短い横線とレール、レールの上に上向き三角のアイコンを持っている。

表示されたレール上の三角に触れ、一気に下へ。その間、指の動きに追いつかない…カチ、カチ、という音が発せられた。

三角のアイコンが下がるに連れ、ランプの明かりは萎むように潜め、最下に達したとき、光は完全に消える。

涙滴の石に、もう一度、今度は軽くタッチすると、細長いウィンドウは消えた。

 キリトの部屋から灯りは無くなった。

訪れたのは夜の仄暗さと静寂。

 最後に、忘れていた…と。

街から零れる光を頼り、自分の記憶を手繰り、サチの足元で畳んである掛け布団を彼女に添える。

肩のすぐ下まで引き上げた後に、布団が変に寄ってしまぬよう二回、三回と撫で……ようとしてやめた。

布団越しでも、おそらく彼女の体の、しかも前面に触れてしまう危惧があったため、手を伸ばしたところでやめた。

 微妙にドキドキしている自分を振り払ったのち。

彼女に視線を戻す。

安らかに寝息を立てる彼女に安堵と慈しみとで心が満たされてから、

「おやすみ、サチ…」

そう言葉をかけてから、新しく出したベッドへ自分の体を預けた。

 ちょうど同じタイミングで、サチが寝返りをうって彼の方を向く。

その表情は、満ち足りた安らかな微笑みを浮かべた…ように見えた。

 

 

 

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