なるほどな、と心内で納得を得る。
『一日戻し』の反動がなくなり、テレパシーが正常に機能した状態での学校。僕はきのう照橋さんの身に起こった出来事を知った。彼女のカバンの中に入っていたブツ。僕と夢原さんを二人っきりにしようとした念花美との間に発生した攻防の顛末。それらを加味した上での照橋さんの心情、などなど。
僕は思わず手で顔を覆った。
まさか、燃堂と照橋さんが急接近してきたあのときサイコキネシスが暴発し、彼女のカバンの中にあった『秘密のノート』を守る錠前を壊していたなんて……。……時を戻したい。
が、過ぎてしまったことはしょうがない。
僕は考える。
照橋心美を完璧美少女として再起させるには、どうしたらいいのだろうか。
最悪の寝覚めだった。
私はきのう、完璧美少女ではなくなった。自身の赤裸々な心情を綴ったノートをやつばらに見られ、『完璧』の形容を失った。
そう。いまとなってはただの美少女なのだ。
気怠い体を無理くり動かし、朝のルーチンをこなしていく。顔を洗い、いつもと変わらないお母さんの朝ごはんを口に運ぶ。持ち物の最終チェックをしてから、制服に着替える。そして歯を磨くために洗面台に立ち、ついでに身だしなみを整える。
私は鏡の前に立ち、まじまじと自分の顔を見た。本当は見たくなかったけど、食べカスとかがついてないとも限らないしね。……それにしたってひどい顔だ。なんだこのクマは。とりあえず、軽く化粧をしてからコンシーラーでお茶を濁しておこう。
メイクを整えたのち、私は両手の人差し指で唇の端を押さえて持ち上げる。
にこっ。
うん、かわいい。17おっふは堅いわね。
大丈夫、私は笑える、とそんなことを考えて、はたと我に返る。もう無理に笑う必要なんてないのでは? だって私は、『完璧』の看板をおろしたのだから。べつに愛想を振りまくことが苦だったとは言わない。でも、相手を満足させるために努力していた節はある。ただそれも、
「はぁ」と、何の気なしにため息がこぼれる。
いまいちど、考えを整理しよう。
まず前提として、私は16年もの間(それこそ生まれてこのかたずっと)完璧美少女として生きてきた。これは、少なくともきのうまでは私の生活信条、あるいは信念として、私を構成する核たる要素だったことは疑いようがない。
次に、私は世界でただひとりの好敵手たる念花美(手下である斉木くにおを含む)に、総合的な敗北を喫した。これはきのうの出来事である。
うーむ。もう少しだけ深掘りしよう。
私はなぜ、『秘密のノート』なんてモノを書いたのか。あるいは、捨てずに所持していたのか。だってこれこそが、私が敗北することになった直接的な原因だし……。
……。
やっぱり、ストレスが溜まっていたのだろうか。鬱憤の捌け口としてあのノートを書いたのだろうか。無理して八方美人を装っていたのだろうか。
これには一考の余地がある。だって私は16年間、完璧美少女として生きてきたのだ。ストレスが爆発するにしても、今更すぎるだろ、と思う。ただまあ『完璧美少年』という、我が人生におけるイレギュラーが現れたことを加味するならば、その限りではない……のかもしれない。
ま、今はいいかそんなこと。とにかく、私はどう振舞うべきなのか、ということを決めないと。
私は私に問いかける。
きのうの敗北は、私の生活信条を覆すものだったか?
イエス。罵詈雑言を書き殴った品性のかけらもないノートを見られたことは、完璧美少女としての看板をおろすに足る出来事だ。
であれば、完璧美少女たる矜持を放棄するか?
イエス。いたしかたなし。
ずっと守り続けてきたのに、悔いはないか?
ノー。あるに決まってる。悔しいよ、そりゃあ。
であれば、再び念花美に挑むか?
ノー。もう無理だよ。挽回の余地はない。
だったら、なにもかもを諦める、ということでいいの?
イエス。ちょっと色々あって、疲れちゃったのかもね。動けそうにないよ。
本当に?
イエス。……もうノーコメントで。
本当の本当に?
だから、イエスだって。
本当の本当の本当に?
……。わかんないよ。わかるわけないじゃん。
本当の本当の本当の本当に?
うるさい……、ほっといてよ!
気付けば、いつも家を出る時間をとっくに過ぎていた。母の声で現実に引き戻される。
私は用意していたカバンをひったくるようにして玄関に向かい、急いでくつを履く。
結局、一晩寝ずに考え抜いた末に、朝になっても考え続けた末に……私は答えを出せなかった。そして答えを持たぬまま、考えすらも持たぬまま……私は学校に向かう。正直休んでしまおうかと思ったけど、まあ行くことにした。
いつもよりずいぶん低いトーンで「行ってきます」と、私は外へと踏み出したのだった。
夏休み前、盛夏のただなか。放課後になってもまだ陽は高い。しかしそれでも西へと傾き、空は茜色へとうつろっていく。
私は情緒的な蝉時雨をなんとなく聞き流しつつ、帰路につく。ただぼんやりと、水面をただよう泡沫のようにふらふらと。
頭の中──私の脳内を占めるのは、きょう学校で起きたこと。……否。正確にいうのであれば、
一体なぜ? 完璧美少女の弱みを握り、それを盾にしてあんなことやこんなことを要求してくるのが相場では?
というか、念花美のやつ、きょうはやたらと挙動不審だったような。いつもだったら私が上目遣いをしようとウインクをしようと、1ミリたりとも目線を逸らそうとしないくせに、なんだってきょうは朝のあいさつ程度で目を泳がせたんだか。
「はぁ」と、何の気なしにため息がこぼれる。
答えを持たない私は結局、念花美たちの行動次第で自分の進退を決めようとしたのに、あいつらはなにもしてこなかった。照橋心美は腹黒女だ、と吹聴するでもなく、ノートは見させてもらった、だとかを直接言ってくることもなかった。
私はここで考える。
ひょっとしたら、私が悩んでいる姿を愉しんでいるのではなかろうか。私が焦燥している様を嗤っているのではなかろうか。
……。
なんだかそんな気がしてきた。まったく、陰湿なやつらね。暇なのかしら。……いや、ひとのことは言えない。自分で言うのも何だけど、私も相当に腹黒いし。
でも、もしそうだとしたら、私が取るべき行動は決まったようなものね。このまま完璧美少女として振舞うなんて、ピエロもいいとこじゃない。そんなの、ごめんだわ。私の本性を吹聴するならすればいい。もともと自分の不注意でこうなったのだ。男子には嘲笑われ、女子には冷笑されるだけ。それを受け入れるだけ。ただの女子高生として生きていくだけ。ほんのちょっと、ちやほやされなくなるだけ。たったそれだけじゃない。
そうよ。生きていれば、変化のひとつぐらいあるわよ。
それが普通よ。なにもおかしなことじゃない。
あーあ。せいせいした。これからはモブ男子どもに愛想を振りまく必要もなくなったわけだ。べつに誰かから課せられたわけではないけど、完璧美少女としての義務から解放されたんだ。
ま、きょうだけはピエロを演じてやったわ。どう、楽しかったかしら。醜い心を持った女が完璧美少女を装う姿は滑稽だったかしら。……でも、あしたからはやらない。私の本性が知れ渡っていることを前提に行動しよう。
普通に誰かを好きになって。
普通に誰かを嫌って。
普通に女子っぽいトークに花を咲かせて。
普通に陰口を披露しあって。
普通に気の合うひとたちと集まって。
普通に気の合わないひとをハブって。
そんな普通の女子高生になろう。
聖人君子ぶる必要も、八方美人ぶる必要もない。
そんなの、念花美ひとりで充分でしょ。
どうやら、やっと結論が出たらしい。
私は私の変化を受け入れることにした。16年間続けてきたことが唐突に終わってしまったことは、たしかに悔やまれることだ。しこりがない、と言えばうそになる。私は生来、負けず嫌いなのだ。念花美に負けたことは普通に心残りだ。でも……。
人生は失敗ばかりである。しかし、そのたびにやり直すことができる。だが、取り返しのつかない失敗というのもあるにはある。今回がそれだ。
つまるところ、きのうの出来事は、私の人生の転換点たりうる、ということである。
そこまで思考を巡らせ、意識を現実に戻す。いつのまにか蝉時雨は聞こえなくなっていた。
あまりにぼうっとしていたために、ここがどこだかわからない。駅前の繁華街だろうか。
周囲を確認するためにかおを上げようとしたとき、伏し目がちだった私の視界に影がさす。ひとの影。
視線を上げる。
茶色のローファー、ニーソックス、スカート。女の子だ。
見覚えのある制服。うちのだ。
見覚えのあるかお、赤いリボンのカチューシャ。夢原知予、だっけ。たしか。
「あ、心美ちゃん」
「……夢原さん」
危ない、気を抜いてた……って、べつにいいんだった、ひとの名前を覚えようが覚えまいが。まあ、円滑な学園生活を送る上では覚えているにこしたことはないけど。
私は意識を切り替えた。
ここいらで、仲のいい同性の友達でもつくろうか。
いままでは男子にモテすぎるばっかりに、女子との付き合いは面倒で避けていた。男子に好かれつつ、女子にも好かれるという心理操作はなかなかに骨が折れる。
でも、もう気にする必要もないだろう。男子は適当にあしらって、女子と仲良くしよう。その方がきっと、楽だ。
私は夢原さんに向き合う。
「こうして学外で会うのは初めてだね」
「う、うん」
「三十分ぐらい、時間あるかな。ちょっと話さない?」
「よ、喜んで!」
つい会話の流れを操ってしまう自分が、少し嫌になった。たぶん、身体に染みついてしまったのだろう。おいおいこの性分をコントロールできるのか、心配である……。
……。
やめだ。これも後回しでいい。いまは「変わるんだ」って意識があるだけでいい。
とにかく、さしあたって、この子と友達になろう。
私は辺りを見回し、適当な店を探す。
すぐに見つかった。複合ビルの一階、特段シャレているわけではないが、学生が放課後に立ち寄るのであれば、およそあつらえ向きの店と言っていいだろう。
私は夢原さんをエスコートし、喫茶店のドアをくぐる。
カランカランと、小気味いいベルの音が、私の耳に残った。
ただ、私は忘れていた。席についてから思い出した。
この子がきのうの放課後、斉木くにおと一緒に屋上から出てきたことを。
とある喫茶店の一席。そこには2人の男が向かい合って座っていた。
ひとりはコーヒーを優雅に啜り、もうひとりは机に突っ伏し、あーっと、うわごとのような声を漏らしている。
コーヒーの男は、うわごとの男に問いかける。
『どうかしたのか』
知っていながら問いかける。
『悩みがあるなら話してみろ』
うわごと男はかおを上げない。「はぁ」と、ため息さえついている。
だが、コーヒー男の次のセリフに反応を示した。
『いいから話せ。気になるひとができた話を』
がばっと、うわごと男は端整すぎるかおを前を向け、対面に座るツレを見やる。彼のかおが見える位置に座っていた女性客が、その美貌に魅入るも、うわごと男は意に介さない。
うわごと男は動揺を隠そうとしながら、
「は、はあ!? ちょっと何言ってるのかわかんないんだけど!」
と、捲し立てた。そして、そのままの調子でお冷やをぐいっと口に含む。
バレバレだぞ、と内心で呆れながらも、コーヒー男は続ける。攻勢を保つことに抜かりはない。
『きのう、照橋さんと、なにかあったんだろ?』
「ぶーっ!!」
口に含んだ冷たい水が、一斉に噴出した。
汚い、と呟いて、コーヒー男はかおに付着した水滴を拭う(本当は『力』を使ったのでかおには付いていない)。
けほっけほっ、とむせ返る元・うわごと男は、息苦しさで目に涙をためて反論した。
「さっきから何言ってんの!?」
涙を拭い、仕切り直してから、気付いた様子を見せる。「はっ!」と、まさにはっとした表情で
「まさかお前、俺の心を読んだのかっ!?」
こくりと、コーヒー男はいたって冷静に首肯した。
対するうわごと男、もとい完璧美少年は、
「あああぁぁぁーーっ!!」
人目も憚らずに絶叫し、再び突っ伏してしまった。
しかし即座に起き上がり、対面に座るコーヒー男の胸ぐらを掴み、激しく揺すり、そして誰にいうでもなく言い訳を始めた。
「こ、これはだなあ! 俺自身にもよくわからなくてだなあ! とにかくさあ! その、なんだ! きのう
耳まで紅く染めながらあせあせと弁明を重ねる少年は、大人びた普段とは違い年相応に見えた。
コーヒー男は、ほんの少しだけ口角を上げる。ほくそ笑んでいるのではなく、ただ単純に、微笑ましげに。
数秒後。完璧美少年は、
そして現実逃避を開始。
「これはあれだ。世に言う『なぞの動悸・息切れ』だ。きっと病院に行けば、適切な処方箋をくれるはずだ。たぶんそのうち治るやつだよ、うん」
乱れた襟元を正した男は、やはり優雅にカップを傾ける。
しかし、淹れてあったコーヒーはなくなったようで、目の前の年相応な少年を心穏やかに眺め始めた。
「きょうなんかもさー……。まともにかおも見れなかったっていうかさー……。照橋さんと話すのが恥ずかしいっていうかさー……。ドキドキするっていうかさー……」
2人の間に、本音を隠す理由はない。
それ故か、完璧美少年はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「なんなんだろうな、これ。こんなの初めてだ。……お前も、なったことあるの? なあ、聞いてるのか、楠雄」
腕に顎を乗せ、机に体重を預けながら、どこか気怠そうに完璧美少年は問いかける。
その質問に、楠雄という名のコーヒー男は答えない。
「なんだったら、透視で見てくれよ。体のどこかに異常があるはずだ。たぶん心臓あたりに」
ただ、病名には答えてやれると、コーヒー男はそう答えた。
「え、なに、知ってるの?」
そう、
ありていに言うのであれば、
言ってるこっちが小っ恥ずかしくなることだが、
それをあえて病名と言うのであれば、
それは、
つまり、
『恋の病、ってやつだ』
カランカランと、ベルの音が店内に響く。
入店した2人の女子高生は店員に案内されるがまま、仕切りを隔てて、2人の男と隣り合う席に座ったのだった。