店員に案内された席へつき、メニュー表にさっと目を通す。無難なところでデザート系を一品、飲みものを一品でいいか、と考えをまとめ、ちらりと対面に座る相手を見る。どうやら、メニュー表との睨めっこが続いているらしい。慌てることはない。相手のペースに合わせることに意識を集中させる。
数秒後、夢原さんの視線を感じ、適当に眺めていたメニュー表からかおを上げる。何を注文するか決まったのかな。
私は、いかにもいま決め終わった、といったふうで切り出した。
「このお店、初めて来たからどれ頼もうか迷っちゃった。夢原さんはどれにしたの?」
「えーっと、私はねえ、フルーツタルトとダージリンティーにしようかなって」
夢原さんは、ザ・女子、と言うにふさわしいオーダーだった。
一瞬、「私も同じのにしようかな」と、同調することを意識した返答をしようか思案するも、これを棄却。私は私らしくあるって、決めたでしょ。誰かの顔色をうかがう必要なんてない。
テーブルに置いてあった、店員の呼び出し機能を持つボタンを押す。
すぐにエプロンを着た男性がやってきて、定例の文言を口にした。
「ご注文、お決まりでしょうか。うかがいます」
「チーズケーキと、カフェラテ」
店員が私に向かっていたので、まず自分のぶんを。次に、
「それと、フルーツタルト、ダージリンティーで。以上です」
夢原さんのぶんを頼み、私は彼女を一瞥した。「これでよかったよね」と、確認するためだ。
私は、夢原さんが笑顔で「ありがとう」と言ってくれたことに胸を撫で下ろす。流れで相手の注文までとってしまい、少々不躾だったかと焦ったけど、問題なかったみたい。
夢原さんから視線を外し、私は厨房への発注を行う機械を手にした男性店員を見る。彼は私に視線を固定したまま、その場を微動だにしていなかった。もちろん、手を動かしていたそぶりもない。
ちょっとあなた、私たちの注文聞いてたの?
「あの、大丈夫ですか」
「も、申し訳ございません」
訝しげといった面持ちで尋ねると、店員は慌てたように取り繕った。
私はいたって笑顔で、いまいちど注文を繰り返す。聞き逃しぐらい、別に咎めることでもなかろう。
オーダーを聞き届けた店員は注文を確認したのち、すごすごと仕事に戻っていった。
「ふぅ」と、何の気なしに息が漏れ出てしまう。
先程のような反応には慣れたものだ。16年間、私はあの手のシチュエーションを幾度となく経験してきたのだから。しかし、いま対応しろと言われると、困る。完璧美少女としての応対であれば、どうすればいいのかはっきりしている。だがどうだ、私は完璧美少女なのか? 否。それはきのうまでの話だ。いまは違う。
やれやれと内心でこぼしつつ、視線を上げる。
夢原さんがこちらを見ていた。
ばっちりと、目が合う。
私は、無意識で2回ほど、まばたきをした。
「さすがだね、心美ちゃん」
ドキリと、心臓が跳ねる。他人に言われることで、無自覚が自覚へと変容してしまいそうな、嫌な感覚がぞわぞわとうごめく。
私は思わず耳を塞ぎたくなった。
恐らく、続く言葉は、いまの私にとっては毒だ。間違いない。
私の憂鬱など知らず、夢原さんは言った。
「やっぱり、どこでもモテモテなんだね」
「そ、そんなことないよ」
絞り出した言の葉は、およそ
私は息が詰まる感覚から逃げるように話題を切り替える。
聞かねばならないことを思い出したのだ。腹の底に湧き出した不快感をごまかすにもちょうどいいだろう。
「そういえば夢原さん。きのうの放課後、屋上にいたの?」
なぜ忘れていたのか、自分でもよくわからない。
というか、そもそも、彼女も私のノートを見たのだろうか。ずっと念花美と斉木に見られたことばかりを気にしていたが、真に憂慮すべきは同性である夢原さんに見られたことでは?
ふと湧いた疑問への思考は、彼女の焦りをもって遮られた。
「え、いや、え、なんでそんな」
またたく間もなく、夢原さんはかおを紅に染めた。彼女はどういうわけか、照れてるふうだった。あせあせと、大仰に手を動かしながら言葉を重ねる。
「斉木君とは何もなかったっていうか、え、あの、なんで心美ちゃんが知ってるの?」
夢原さんは続けて、「斉木君とはたまたま屋上で、ばったり会っただけだよ」と付け足した。
誤魔化そうという意思があることは明白な、単純な言い分。小学生ですら勘づきそうではあるが、見たところ、たしかに焦ってる様子である。
だが、どこか違和感のある焦り方だ。はたしてこれは、私のノートを見たが故の反応なのだろうか。……いや待て。なにか引っかかる。漠然としているが、突き詰めればナニカが解決するような予感がした。
私は表情にすることなく、慎重に言葉を選んだ。
「そうなんだ。知り合いに聞いた話だったんだけど、本当だったんだね」
胸の前で手を合わせ、小首をかしげる。
私は無邪気を装って言った。
「夢原さんと斉木くんって、仲が良かったもんね。ああでも、私から見たら一方的だったような。夢原さんが斉木くんを追いかけてるふうだったっていうかさ」
夢原さんを見ていた念花美を、私は観察していた。だから、夢原さんの行動もまた、私は見ていた。
しかし私は、またしてもいまになって気付く。どういうわけか、私は思考の過程で夢原さんの存在をどこかへと追いやっていたのだ。
それを理解した瞬間、私の脳裏に
私は私のために、夢原さんから望む答えを引き出す必要があるようだ。
「ええーっ! み、見られてたの!」
少し、ドキリとする言い方だった。「見られた」。どこかで聞いたセリフだ。
目の前の夢原さんは、両手で顔を覆っていた。だが、それこそ彼女のカチューシャのように真っ赤になった耳は、何よりも雄弁に彼女の心情を語っていた。
私は考えを巡らせる。
直感が、彼女は『秘密のノート』のことを知らない、と告げている。そしてそれが事実だった場合、私が辿ったいままでの思考は真逆へと裏返るはずだ。
きのう、夢原さんは何をしていたのか。私はその答えを欲した。
はやる気持ちを抑え、話を展開させていく。
「えっと、その様子から察するに、夢原さんって斉木くんのことが──」
「ああー! それ以上言わないでー!」
沈黙は金、雄弁は銀と言うが、私はいま、それを実感した。
しかしなるほど。夢原さんは斉木のことが好き、と。好きだから彼女は、斉木のことを追っかけてたのか。
その容姿に違わぬ乙女っぷりに、若干の羨ましさが胸中を駆けた。これ程までに純情な少女らしく振る舞えるなんて、少なくとも私にはできないことだった。彼女こそが所謂、普通の女の子というやつなのかもしれない。
瞬間的に言葉が詰まりそうになるも、相手のテンションに合わせながら、私は会話を促す。
「そっか、そうだったんだね。じゃあ、きのうは屋上で何してたの? 告白とか?」
ぼんっ、と彼女の頭から煙が上がったようだった。図星だ。はっきり言って適当な推測だったけど、まさか当たりとは。
「な、なんでわかったの!? さ、斉木くんに聞いた!?」
身を乗り出し、ぐいっと近づいてきた夢原さんに、私は首を横に振って答えた。
夢原さんは「そうだよね」と、自分で納得した様子で席に戻り、
「斉木君が自分から言いふらすわけないよね」
と続けた。そして座席の背に深くもたれかかり、ダージリンのカップを傾ける。
待て待て。落ち着くにはまだ早いわよ。もう少し付き合ってもらうんだから。
私は核心に迫る一手を打つ。
「実はさ、私も気になってるひとがいて……」
「えーーっ!! うそうそ! マジで!?」
「もしよかったら、きのうの屋上でのこと、話してくれないかな? 私、あまりガールズトークとかしたことないし、参考にさせてほしいなって……」
「心美ちゃんとガールズトーク!? するする! いくらでも話しちゃう!」
夢原さんは乗り気だった。乗り気というか、ノリノリって感じ?
何はともあれ、これで望むものが手に入りそうだ。
夢原さんは、私にこう語った。
曰く、告白した。
曰く、振られた。
曰く、友達から始めることにした。
話を聞く限り、どうやら斉木は自分から夢原さんを屋上へと呼び出したようだった。
冴えないモブ男子のくせに振るために女の子を屋上に呼び出すとは、あいつは一体何様なのだろうかと、他人事ながら思った。が、まあいい。斉木と夢原さんの関係性は、彼らがどうにかするべき問題だ。本人が気にしていないと言うのであれば、それでいいだろう。
曰く、ホームルーム直後に夢原さんは屋上へと向かった。そして、せいぜい5分以内に斉木は屋上に現れた。
少し、きのうの状況と合わせて整理しよう。
斉木は、ホームルームが終わってから5分以内に夢原さんが待つ屋上に辿り着いた。
私の記憶が正しければ、斉木はプリントを職員室まで運ぶように指示を受けていた。斉木はそれを実行した。プリントをまとめ、職員室に行ってから屋上へと向かう。この行動が5分という時間を生み出した。
……なるほど、私が斉木とぶつかったのは、恐らくあいつが屋上へと向かう最中だったのだろう。放課後になってから少しして教室を出た私と遭遇することにも、合致する。
曰く、屋上で『友達になろう宣言』をして、そのまま帰宅。斉木とは3階で別れて、そのまま。どうやら校内へと戻る際、扉越しに一瞬だけひとの影を見たらしい。
夢原さんは「学校の怪談かも」と興奮半分、怖さ半分といった様子で続けた。
まあ、その枯れ尾花の正体には心当たりがある。たぶん私だ。念花美を退け、屋上へと続く扉に手をかけたそのとき、私もまた、ひとの姿を磨りガラス越しに見ている。それがきっと、夢原さんだったのだろう。
さて、これも私の記憶と一致。
と、聞き役に徹していたところで、質問がとんでくる。
「で、心美ちゃん! 気になるひとって……、あ、ごめんね、下の名前で呼んじゃってたけど、よかったかな?」
「うん、大丈夫だよ」
「わかった、これからもそう呼ばせてもらうね。……で、心美ちゃん! 気になるひとって、やっぱり念花美君なのかな!?」
まあ、そうなるか。期待には応えられないけど。
「ごめん。それは聞かないで」
さも申し訳なさそうに、私は困り顔を作る。
目論見通り、夢原さんはそれ以上追求してこなかった。
「うーん、そっか。心美ちゃんが気になるひと、私も気になるけど、無理には聞かないよ」
「ありがとね」
「ううん。……それにしても、意外だな」
「え?」
「私、心美ちゃんは恋の悩みには無縁だとばかり思ってたから」
恋の悩み、か。
私が念花美に抱いていた感情は、はたして恋心だったのだろうか。いま、あいつに対して冷めてしまった想いから察するに、それは恋と呼ぶにふさわしかったのかもしれない。
でもそれは、きのうの長考ときょうの出来事で判断したこと。そして私は、現在、新たな観点からきのうのことを思い返している。
つまり私は──
「でも、さしもの心美ちゃんも、念花美君相手だと分が悪いのかな」
夢原さんは無邪気に微笑んでいた。そこに悪意がないことは明白だった。
だが、だからこそ……。
メラリ。
何かが、心の奥底で燃え上がった。
私にはもう、わかっていた。きのう起きたこと──私のカバンは、『秘密のノート』は、きっと見られていない。わかっていたからこそ……
大前提として、夢原さんは念花美たちとグルではない。これを決定事項として扱う(いままでの態度から察するに、夢原さんはただの恋する少女。私を嫌っているふうでもないし、貶める動機もない)。
まず、斉木と私のカバンが入れ替わったのは、斉木が職員室での用事を済ませたあとのこと。職員室から屋上へと向かう道中である。
次に、斉木が屋上へと辿り着いたとき、すでに夢原さんはそこにいた。道中、カバンの中であれば覗くことができただろう。だが、錠前まで壊すことは、時間的にできないのでは? 仮にできたとしても、中身を見るとなるとさらに時間を割くことになる。まあ、写真を撮るという手段もあるが……。ここはまだ保留。
次。斉木と夢原さんは屋上を出たあと、3階で別れた。一方、私は念花美との攻防を制し、斉木を追った。斉木には昇降口手前で追いついた。つまり、斉木が夢原さんと別れたあと、あいつが自由だった時間はせいぜい3分といったところだろう。さらに、燃堂力の存在も考慮に入れるべきだ。よく知らない相手をどうこう言うのは性に合わないが、あんぽんたんを作戦に組み込むのは合理的とはいえない。というか、私のカバンを覗くという目的に、彼は必要ではない。むしろリスキーとさえいえる。であれば、燃堂は闖入者である可能性の方が高い。これが事実であるなら、私のカバンを覗く時間的猶予は3分より短くなる。
さらに、きょうの学校の様子もここに加える。
私は、きのうと変わらず完璧美少女を演じた。そこに綻びはなかった。念花美が挙動不審だったことを除けば、男子たちはおよそいつも通りに「おっふ」していた。少なくとも斉木は、言いふらすことはしていない。あるいは知らないが故に、そもそも言いふらせない。つまり、斉木が『秘密のノート』のことを知らないという可能性は残っている。
これらをまとめると、斉木が私のカバンを物色した可能性はほぼゼロと言っていいのではなかろうか。私が家に帰って中を覗いたとき、教科書類が整然と入っていたことも含めれば、斉木は『秘密のノート』を見ていない、という結論の方がしっくりくる。
そうだ。そうに違いない。
神は私を愛している。
私が悲しむことなどするはずがないのだ。
まだ負けてないッ!
この状況……
私の「人生」において「最悪の時」だろうと……
いつもそうだッ!
「運」は、この照橋心美に味方してくれるんだッ!
私が半ば確信めいた心地でいると、仕切りの向こうから紙のストロー袋がふわりと落っこちた。そっちを見ると、見知った顔がそこにはあり、目が合う。
そいつは、完璧美少年然とした顔立ちだった。