照橋さんを加えた僕ら一行は、簡易的なお疲れ様会を開くための食事処を探す運びとなった。そんな折、燃堂はおすすめのラーメン屋があると胸を張る。他に案もなかったため、僕らは燃堂が薦めた店に行くことを決めたのだった。
そして、目的地に着いたところで──
「おお、ここだぜここ。友達の親戚がうめえっつってたところだ」
「……(ここが、燃堂が言ってた……店?)」
「……(……おっふ)」
「……(たしかにラーメン屋っぽいけど……汚いな)」
上から順に燃堂、海藤、照橋さん、念花美がそれぞれの感想を得た。
現在、僕らの目の前には燃堂が案内した店──打ちっぱなしのコンクリートは所々が黒ずみ、ひび割れており、掲げられた看板や暖簾も同様で汚いという言葉以外思いつかない外装──がその姿を晒している。その店は、あの温和な念花美がストレートに「汚い」と思うほどに、擁護のしようもなくおんぼろな見てくれの店だった。
だが、呆然とする海藤、照橋さん、念花美を置き去りにし、燃堂はその店に入ろうとする。
そんな燃堂に、海藤が待ったをかけた。
「ふざけるな貴様! 照橋さんがこんな店に入るわけないだろ!」
海藤は燃堂を怒鳴り、振り返る。その視線の先には照橋さんがおり、問いかけた。
「照橋さんはこんな汚い店、嫌だよね。ねえ、照橋さん?」
「……う、ううん。大丈夫だよ。……念花美くんは、大丈夫?(くそっ、なんで最初に私に訊くのよ。念花美に話を振っていれば、出方を窺うことができたのに……。このままじゃ私、「照橋さんって、こんな店にも入るんだ」ってどん引かれるかもれないじゃないッ! とはいえお高くとまってるって思われるのも嫌ッ! あーもう!)」
「いや、まあ……照橋さんが大丈夫なら(照橋さんって、意外と庶民なのかも。……ただまあ、庶民としてのストライクゾーンが広い気がしなくもないけど)」
「そ、そっか。うん(ああぁぁーーッ!! もうおうち帰るぅぅううーーッ!!)」
海藤にはわからない程度に、照橋さんは笑顔を引き攣らせていた。
だが、照橋さんの心情を察することができるわけもなく、海藤はトドメの一撃を放つ。
「本当に大丈夫なの?」
「……うん(……絶対どん引かれた。死にたい)」
僕はいただきますと手を合わせる前に、心の中で照橋さんに合掌。
とはいえ、念花美はこの程度でどうこう言う男ではない。照橋さんをフォローするよう、それとなく誘導してみるか。
あれこれ考えていると、燃堂がついに店の扉を開けた。カラカラとスライド式のドアが音を立てる。それは、自動ドアなどという文明的な技術が使われていないことをまざまざと僕たちへと告げた。趣があると言えば聞こえはいいが、果たして。
中へと消えていった燃堂に僕らも続く。が、しかし──
「なんだこの店は! 酷すぎるだろ!」
「……おっふ(店内は綺麗かもって思ってたけど……そんなわけないわよね)」
「……(もし良さそうなら
上から順に海藤、照橋さん、念花美がそれぞれの感想を得た。
僕らの視界には、外壁と同じく黒ずみひび割れたコンクリートの壁面や、廃材置き場からかっぱらってきたような傷みまくった机と椅子が姿を現したのだった。海藤がキレるのも無理はない。
僕らは入店してしまった以上仕方なく、手近な席に着いた。カウンター席ではなく団体用の席で、僕、海藤、燃堂と横並びになり、その対面に念花美と照橋さんが座っている。
「なあ、あんまり無理しない方がいいんじゃ……」
海藤は、いまも心配した様子で照橋さんのかおを窺う。
海藤にかおを覗かれた照橋さんだったが、流石は完璧美少女。先程まで引き攣らせていた表情は普段通りに戻り、自然な感じで応じた。
「平気よ。問題は味だわ!(ここまで来たら食べるしかない! 普通にラーメンを食べて、「実は私、ここのお店知ってたんだ」とか言って、味はまともだとわかっていたから外装を気にしなかったのだと弁明するのよ!)」
どうやら照橋さんは、先の失敗の打開策を練り上げたようだ。
完璧美少女のかおにいつもの笑顔が戻ったところで、燃堂が声を上げる。その声は厨房まで届き、店主と思しき男性が姿を現した。
「店長、ラーメン4つ!」
「……(……おっふ)」
「……(……おっふ)」
「……(……あれが、店主?)」
燃堂以外が絶句した。
その男性は腹がでっぷりと出た典型的な中年体型で、禿げていて、脂汗を滴らせ、着ているのは薄汚れたうっすいシャツで、その両わきは汗で滲みシミが作られ……。とにかく、いろいろとアウトだった。
「……(なによあの生理的無理要素を全て詰め込んだキモンスターは!?)」
「……(ひとを見た目で判断するのは嫌なんだけど、爪も長いし、無精髭もファッション性がなく、ただ面倒で放置してる感が強い。総じて、飲食店の従業員として相応しいとは言えないな)」
照橋さんは若干白目を剥きかけ、念花美は淡々と人物評価を下していた。海藤はいまだ硬直から脱しておらず、燃堂は「きったねー店だな! おっ、ネズミいたぜ」と無邪気にはしゃいでいる。
数分が過ぎた。
誰も、一言も口にしなかった。
虚無な時間だった。
どれぐらい経ったのか、店主がラーメンを運び、机に並べた。
「……(……おっふ)」
「……(……おっふ)」
「……(……おっふ)」
「……(……おっふ)」
……おっふ。
僕らの心はひとつだった。
運ばれて来たラーメンは、全くもって盛り付けが意識されていなかった。麺は器を飛び出し、トッピングの煮卵やメンマ、チャーシュー、ネギなどは微塵の統一感もない。謎の物体も浮いているし、それは、何もかもを適当に放り込んだ闇鍋のような闇ラーメンだった。そのニオイもまた異様で、僕らは胃から何かが込み上げてくる感覚をすんでのところで止める。当然、食欲は引っ込んだ。僕の、燃堂に煮卵を奢ってやろうという思いも、引っ込んだ。
誰もが押し黙り、ラーメンを見つめる。そして、照橋さんの作戦も終わったなと、僕が誰も食べられないと判断を下したときだった。
ずるずるずる。
少々控えめな、何かを
僕らはその音源を探し、やがて瞠目した。
完璧美少女は涙目になりながらも、箸を手に取り、懸命に出されたラーメンを食していたのだった。僕たち男衆は、完璧たらんとする少女をただ眺めていることしかできなかった。そこにはただひとりがラーメンを啜る音と、換気扇の無機質な音だけが奇妙に響いていた。
(くぅ……ッ! 食べるのよ照橋心美! きょうは念花美に誘われた。だったらここは、あいつのテリトリーである可能性が存在する。……そう。念花美が私を試しているのよ、きっと! 食べれるものなら食べてみろって、出された料理を完食しない女なのかどうかって、そう考えてるに違いない! ……っていうか、そうでも思わないとやってらんないわよッ!)
(……たぶん、照橋さんは相当お腹が空いてたのだろう。ここまで少し歩いたし、うん。……っていうか、そう思わないと、俺の中で彼女のイメージが崩れそうだ……)
照橋さんの心の声は僕にだけ届いていた。彼女は完璧であろうとしている。その気概を、僕はたしかに受け取った。念花美との温度差は……まあ、うん。
さて。照橋さんは照橋さんなりに頑張っているのだが、変な空気になっているのは事実。相変わらず、僕らは動けずにいる。いたたまれない空気に堪え兼ね、忙しなく視線を動かす男たち。彼らは「照橋さんが食べてるんだから、俺たちも食べなきゃ」と、葛藤している。だが、結局指が動くことはなかった。
そんな、絶句した男たちをよそに、照橋さんが次なる麺を箸で摘んだときだった。彼女は僕らの視線に気づいた。そして目撃する。照橋さん以外の誰も、箸を手に取っていないことを。
「……へ?」
おそらく「完璧」を装う暇もなかったのだろう。照橋さんはひどく間の抜けた声だった。
視線が合い、目を逸らす僕ら。
気まずい沈黙。
数秒後、やっと男たちも声を上げた。
「おいオヤジ! こんなの豚でも食わねぇぞ!」
「やめといた方がいいと思うよ……?」
「……えーっと、お味の方は……?」
燃堂は追撃し、海藤は心配し、念花美はテンパっていた。僕は「いただきます」でもなく「ごちそうさま」でもなく、合掌。
照橋さんは、
(…………おっふ)
本日5度目の「おっふ」と共に、嘆いたのだった。
それから僕らは一言も交わさずに店を後にした。金輪際、ここには来ないことを誓って。
帰り道。お腹をさすり、蒼白な顔色を隠すように俯き加減で歩いていた照橋さんを念花美に預け、僕は燃堂と海藤を気分転換のゲーセンに誘った。まあゲーセンである必要はなかったが、とにかく。僕は念花美と照橋さんを2人っきりにすることに成功したのだった。
燃堂と海藤は先のことなどすっかり忘れ、何で勝負するのかと言い争っている。
そんな両者を横目に僕は立ち止まり、振り返った。
「大丈夫? 家まで送ってくから、無理しないでね」
「う、うん。ありがとね」
若干猫背で歩く照橋さんの横にぴったりとくっつき、念花美は心配そうに彼女の様子を窺っていた。それと、イケメンだから許される行為ではあったが、背中を優しくさすってもいた。
どうやら照橋さんの顔色と気分は、快方へと向かっているらしい。ちらりと見えた横顔にはだいぶ赤みが戻っているようだった。照橋さんが俯き加減を続けているのはおそらく、体調が悪いからだけではないのだろう。その桜色の頬が、隣を歩く人物に見られぬように……。
『あとは頑張れよ』と、僕は友人へとエールを送る。
念花美が振り返り、目が合う。
アイコンタクト。もう、言葉は必要なかった。
僕は再度振り返り、公共の場でみっともなくはしゃいでいる燃堂たちに視線を戻す。結果がどうであれ、これ以上僕が世話を焼くのは野暮だろう。今度こそ、あとは若いもんに任せようか。
文明的な駆動音と共に、ガラスの扉は左右に開く。中では騒々しいBGMが鳴り響いていた。クレーンゲームにコインゲーム、対戦ゲームにシューティングゲーム。……ん? 最近のゲーセンは、売店と飲食スペースまであるのか。まあ、さっきのラーメンで食欲がなくなったし、いまはいいか。……いやちょっと待て、あの看板、『コーヒーゼリーあり〼』だとっ!? ……やれやれ、急にお腹が空いてきたな。
さっそく売店に足を向けた僕は、燃堂と海藤に引き止められた。話し合いは決着がつかなかったらしく、海藤はクイズゲームを燃堂に吹っかけ、燃堂はパンチングマシンでの対決を主張していた。そんな2人は僕に対決法を委ね、僕は目についたエアホッケーを適当に提案する。
少々燃堂に有利だったかと思うも、首を振って雑念を払う。
こんな対決、見ていても仕方がないし、興味もない。僕の脳内はこいつらよりも念花美よりも何よりも、コーヒーゼリーなのだ。コーヒーゼリーが僕を待っているのだ!
売店へと向かう軽やかなステップは、店内の騒音にかき消されたのだった。
ご飯を食べ風呂に入り、歯磨きやら肌のお手入れやら諸々のルーチンを終わらせて部屋に戻る。
お気に入りのパジャマに身を包み、ベッドにダイブ。スマホを枕元に置き、しばらくごろごろ。寝返りを打つ。枕にかおをうずめ、足をばたつかせる。
ばたばた、ぎしぎし。
ベッドのスプリングが軋む音だ。
少し、冷静になろう。ちょっと興奮しすぎた。
表情を普段通りに戻し、枕にあごを乗せてかおを上げ、スマホを手に取り画面を覗き見る。よく使う連絡アプリをタップ。いまは上から6番目ぐらいになってしまったが、昼過ぎには一番上にいた相手の名前をさらにタップする。
心美 :送ってくれてあいがとう。またね 既読 13:56
念花美:うん。またね
あいつは、大きな犬の写真をプロフィール画像にしていた。正直なところ、かわいいとは言えないゴツさの犬だった。まあ、あいつの感性は少しズレてるところもあるし……。
と、そんなことを考えていたら、
「……えへへ」
ついつい口角が上がってにやけてしまう。
私はいまいちど、地獄のラーメン屋からの帰り道を思い出す。体調が悪くなりながらも念花美の介抱と共に帰宅していた私に、その道すがら、あいつが言ったのだ。
「……もしよかったらでいいんだけど、連絡先交換しない? ラーメン食べに行こうよ。今度こそは、確実においしいお店でさ」
そのときの私は何も言わなかった。
無言でスマホを取り出し、念花美と連絡先を交換した。そして間髪入れずにメッセージを送り、そのまま走って、逃げるように念花美を置き去りにしてしまったのだった。
…………。
そうだよ。そうだった。私、途中からひとりで帰って来たんだった!
にやけてる場合じゃない!
私は画面内のメッセージの打ち込み欄をタップする。
どうしよう。怒ってるかな。せっかく気遣って一緒にいてくれたのに、何も言わずに帰っちゃった。……いやでも、あのときは嬉しさとか恥ずかしさとかがないまぜになって、混乱していたというか、なんというか。
あーもう! なんて打てばいいのよ!
とりあえず謝っとく? それとも念花美が言ってたラーメンを食べに行く約束でもする?
私は文字を打ち込んでは消し、打ち込んでは消し、といった動作をずっと繰り返した。
部屋にある秒刻みの電子時計に目をやれば、時刻はすでに11時手前。やばい。1時間ぐらい同じ画面と睨めっこしてた。そのくせ、結局何もできなかったし……。
私の中には「きょうのうちに謝りたい」という考えと「もう夜遅い。さすがに失礼よ」といった、二律背反の想いが喧嘩している。
どうしようという葛藤。だがしかし、時間はない。
そんな折、私の視界にカレンダーが入り込んだ。きょうは7月最終日。あしたからは8月になる。私は7月ぶんを破り、8月に替える。すると、とある日付にケーキの絵が描かれていた。
8月6日。私の誕生日だ。
ケーキの絵はカレンダーを買った時にでも描いたのだろうと、頭の片隅で考えながら、私は無意識のうちに文字を打ち込んでいた。
8月6日、ラーメン食べに行きませんか
画面を呆然と眺める。
『送信』の文字は押さない。……いや、押せない。心配してくれたのに勝手に帰って、謝りもせずに食事に誘おうだなんて……虫がよすぎよね。
やっぱり謝ろうと、打ち込んだ文字を消すために『×』の印に指を運んだ時だった──
「心美ただいま! いやー、仕事長引いちゃってさ。俺は一刻も早く心美に会いたかったのに! 心美も寂しかったよな。ごめんな。お兄ちゃん、今度からは生放送だろうとドラマの撮影中だろうと、午後8時までには帰ってくるからな!」
「きゃあーーっ!?」
兄が帰って来た。
ノックもせずにいきなり入ってくるから、こっちもびっくりである。思わず体中に力が入り飛び退いてしまった。毎回毎回、本当にやめてほしい。
私は一通り文句を言ったのち、兄を追い出し、再びベッドに横になった。ずっとスマホと睨めっこして、最後にあの兄だ。なんだかもう、寝たい。目も疲れてきたし、このまま寝てしまおう。
何の気なしに、スマホをちらり。
そのまま側部にある電源ボタンを押して画面を暗転させ、何もかもを忘れて寝てしまおうとした私だったが、思わず固まってしまった。
心美 :8月6日、ラーメン食べに行きませんか 既読 23:01
うんうん、あるある。『×』と『送信』の場所って近いよね。誤爆しちゃうことってあるよね。
…………。
…………。
…………。
しまったぁぁああーーッ!?
送っちゃった!?
お兄ちゃんに驚いた時に!?
もうあのバカ兄貴何してくれてんのよッ!?
というか既読ついてるしッ!?
てか既読つけたなら返信よこしなさいよ焦らしてんの!?
ぐるぐると回る私の瞳に電子時計が映る。時刻は現在、午後11時01分35秒。念花美がメッセージを読んでから、およそ30秒が経過していた。
遅い! 遅すぎる! やっぱり焦らしてるんでしょ!
きょうのことを謝ろうと考えていた私の脳はとっくにオーバーヒートし、まともではなかった。せっかくお風呂に入ったのに身体中に汗をかき、息遣いも有酸素運動後かの如く乱れていた。
だがしかし。
すぽっ、という音と共に、私は落ち着きを取り戻す。
その音は、私にとっての福音だった。
心美 :8月6日、ラーメン食べに行きませんか 既読 23:01
念花美:うん。その日、空いてるからいいよ
心美 :あの、ごめんね、きょうは 既読 23:03
念花美:どうかした?
心美 :何も言わずに勝手に帰っちゃって 既読 23:03
念花美:大丈夫だよ。気にしないで
心美 :ありがと。そう言ってもらえてよかった 既読 23:03
念花美:いいよ。体の調子はどう?
心美 :もうすっかり元気だお 既読 23:03
心美 :だよ 既読 23:03
念花美:笑。それならよかった
心美 :夜遅くにごめんね。またあした打ち合わせしよ 既読 23:04
念花美:うん。またあした
心美 :ばいばい 既読 23:04
念花美:おやすみ