本日は晴天なり。
心地いい秋晴れの空の下、体育祭は順調に執り行われている。
カリキュラムは現在、昼休憩。グラウンドの中央では左脇腹町から巣立っていったマジシャンが公演をしているが……あいにくと生徒たちは興味がないようだ。
賑やかな喧騒の中、「はあ」とため息がこぼれる。
周りを見渡せば家族と食事を楽しむ生徒が意外と多く、両親が来ない俺はなんとなく居心地が悪い。別に見にきてほしかった、などとは思わないし、寂しいわけでもない。
このため息にはふたつほど理由がある。
まずは楠雄が早退したこと。
午前のカリキュラムである借り物競走の最中、燃堂によって頭の偽造ヘアピンが引き抜かれ、楠雄は超能力の制御がおぼつかなくなってしまったのだ。訊けば、力のコントロールや瞬間移動ができないようで、無理に使おうとすると暴発する可能性もあるという。それ故、楠雄は体調不良ということで早退したのだ。
そして上述の結果を受け、俺の心情に変化が起きた。これが、第二のため息の理由に繋がる。
クラスメイトが一丸となって円満の終わりを迎えることが叶わなくなったため、勝ちにこだわる気概が消えてしまったのだ。楠雄が早退してしまったにも関わらず、俺だけ楽しむなんてできっこない。
このように、なんとも言えない気分になってみて、初めて気づいた──
沢北のやつ、照橋さんと二人三脚しやがって!
はあ。
やっぱりため息をつかずにはいられない。
「こんなことになるなら二人三脚の抽選に参加してみるのも悪くなかったな」とか「あの時なんで照橋さんは俺もくじに参加するように促したのかな」とか、そんな考えがぐるぐると脳内を駆け回っている。なんだか俺まで調子悪くなってきた。
女子たちに囲まれることを避けるため
ひんやりとした無機質なコンクリートが俺の熱を奪っていく。ちょっとだけ、冷静になれた気がした。
ふう。
思考をリセットするために息を吐く。空を見上げ、雲が風に流されていく様をぼんやりと見つめた。
2、3分ほどぼーっとして、そろそろ弁当を食べないとまずいな、と気を持ち直す。手元には青色の風呂敷包み。きょうは
シュルシュルと音を立てながら結び目はほどけていく。二段重ねの弁当箱が姿を見せ、蓋に手を掛け開けようとしたまさにその時、俺の手は止まった。
瞬間的に、ある考えが脳内で煌めいたのだ。その考えは、ふいに、口から言葉となって零れた──
「せめて照橋さんとお弁当、食べたかったな」
「あら、すっごいイケメン発見」
……え、誰?
俺は、謎の女性とエンカウントした。
一体何が起きているのだろうか。
ことは数分前に遡る。
俺が人気のない体育館裏でひっそりと弁当を食べようとしていたところに、謎の女性が姿を現した。その女性は明らかに二十歳以上で、体操服も着ていなかった。すなわち、体育祭の応援に来た生徒の親類ということになる。恐らくは誰かしらのお姉さんなのだろう。
正直、こんな場所でひとと遭遇したことに困惑した。
だがそれは、ほんのジャブにすぎなかった。そのひとは許可も取らずに俺の隣に座ったのだ。それも、距離感おかしいんじゃないか、と思うほどに近い。……あの、初対面ですよね?
「いやー、日焼け止めクリーム塗ってきて正解だったわね。まだまだ暑いわ」
隣に座られてから、謎の女性は俺に構うことなく喋っている。
ハッキリ言おう。怖い。
「……あの、どちら様でしょうか。もしかして、会ったことあります?」
「いいえ、初対面ね」
なぜこうも堂々としていられるのだろうか。
俺が混乱しているのをよそに、その女性はやはり、構わずに続けた。
「ただまあ、キミが『照橋さんとお弁当が食べたい』って言ったのをたまたま聞いたから、お姉さんがその願いを叶えてあげようってわけだ」
どういうわけだ。さっぱり理解できない。このひとは照橋さんではない。
「さあ、お弁当を食べよう! お姉さん、お腹すいちゃった」
そう言って、謎の女性は持っていた大きめのバッグから風呂敷包みを取り出した。まったくためらう様子もなく箸を取り出し、大きめの弁当箱の蓋は開いた。
レタスなど、緑の葉物やトマトの赤。卵焼きの黄色に揚げ物の茶色。白いご飯にごま塩の黒──鮮やかな色が食欲をそそる弁当だった。
ぎゅるるーっ、と腹の虫が鳴く。そういえば、蓋を開けようとしてそのまま止まっていたんだった。
俺は、今度こそ、と意気込みながら弁当へと意識を向けた。すると次の瞬間、謎の女性のポケットから着信音が鳴る。俺の意識は、弁当から音の鳴るスマホへと移ってしまった。
女性は気の抜けた声で電話に出た。
「もしもしー?」
『やっと繋がった! ちょっとお母さん、いま何してるの!? 早くお弁当持ってきてよ!』
「いまねー、食べてるとこだよー」
『なにひとりで勝手に食べてるの!? こっちはお母さん待ちでお腹すいてるっていうのに!』
「ひとりじゃないよー。イケメン君と一緒。ああそうだ、体育館で日陰になってるところにいるから、ここちゃんもおいで」
『もー、わかったからそこ動かないでね! あと、私のぶんもちゃんと残しておいてよね!』
「了解ですー」
どうやら、随分と愉快なひとらしい。
スピーカー越しに聞こえてきた声は女子。おそらくはこのひとの妹であろうこの学校の生徒は、昼食にありつけていないようだ。かくいう俺も、まだ昼食にはありつけていない。さっさと食べてしまおう。この女性に振り回される前に。
俺はついに弁当箱の蓋を開けた。
蓋を開け、おかずが敷き詰められている二段目を持ち上げたその時、俺の目に理解し難い光景が飛び込んできた。一段目には白米。だがしかし、ただの白米ではなかった。その上に、
クラスメイトの前で開けなくてよかった、と思ったのも束の間。隣に座る女性は目ざとく反応した。
「あらあら。彼女さんに作ってもらったの?」
完全に見られた。恥ずかしすぎる。
報のやつ、帰ったら説教だ──なんてことを考えつつ、女性の問いかけに応答する。
「違います。彼女はいません」
「うっそだぁ! あなたほどのイケメンが『彼女いません』なんて言っても、説得力ないわよ」
「嘘じゃないです」
「いやいや、学校の女の子が放っておかないでしょ」
「話したりはしますけど、告白するとかされるとか、そういったことはありません」
「……ふーん。まあいいわ」
はあ。
このひとと話すの、なんだか疲れるな。
「じゃあ、好きなひとはいるの?」
話題を一つ切り抜けたと思ったら、すぐに新しい話題が供給された。
こんなことは言いたくないが、ほんと、疲れる。
「お姉さんと恋バナしましょうよ!」
「嫌です。お腹すいてるので、食べさせてください」
「この学校、めちゃくちゃ可愛い女の子いるでしょ!」
こっちの話にも耳を傾けてよ!
「どうなのー? その子のこと、どう思ってるのー?」
もう無視するしかない。心苦しくはあるが、こういった手合いは何を言っても無駄である。
ハート型の桜でんぶが見えてから一段目を封印したため、おかずだけを頬張っていく。無心だ。無心で食べてしまおう。
「ねえってば。照橋心美ちゃんのこと、どう思うの!?」
「けほっ! ごほっ!」
不意に出た照橋さんの名前に、思わずむせてしまった。
隣の女性は俺の反応を愉快そうに眺め、にまにまと笑う。
「ふーん。意識はしてるんだ」
俺は何も言ってない!
「……勝手に解釈しないでください」
「ダメダメ、ダメよ。恋という戦において百戦錬磨を誇るこの私に、隠し事をしようだなんて無駄無駄ァ!」
無駄に偉そうに、そのひとは胸を張る。
調子を狂わされ、張るほどの胸はないですね、などと悪態をつきたくなったが口にすることはなかった。
しかし、本当になんなんだ、このひとは。
俺の辟易具合など目もくれず質問は続く。
「具体的に、照橋心美ちゃんのどこが好きなの?」
「好きだなんて一言も言ってません」
「じゃあ嫌いなの?」
「嫌いだなんて一言も言ってません」
「じゃあ好きなの?」
「好きだなんて一言もいってません」
「じゃあ嫌いなの?」
「嫌いだなんて……って、こっちが折れるまで続けるつもりですか!?」
苦手だ。このひとは苦手だ。
たかだか十数年程度の人生ではあるが、はっきりと苦手だと言い切ることができてしまう人物には会ったことがない。だが、いまこの瞬間、俺の目の前にいる。ほとんどのひとと円滑にコミュニケーションが取れるぐらいの社交性は持ち合わせているつもりでいた。俺はどうやら、井の中の蛙だったらしい。
などと、そう思い至り、内省できたことだけは収穫なのかもしれなかった。
「まあそっか。そうだよねー……あの子プライド高いから、好かれてるわけないわよねー」
押し問答というか水掛け論をするつもりはないと、俺が卵焼きを口に入れたその時、謎の女性は唐突に、ワントーン声を落としてそう言った。先程までにまにましていたかおはすっかり無表情だった。
水筒から注がれたお茶を飲み、さらに、
「ひとに好かれる術は持ってるから対人関係で困ったことはないと思うけど、でも、誰にでも完璧であろうとするのよねー……。全員に平等っていうか、『特別な誰か』がいないっていうかさー……。真の意味で、あの子はぼっちなのよ。可哀想にね」
流れる雲を見つめながら、女性は続ける。
「ま、頑張ってるとは思うけど、結局それって、偶然かわいく産まれてくることができたからだし。かわいさだけが取り柄の、たいした魅力のない子よねー……。美人なだけの女は三日で飽きるって聞くしさ」
と、そこまで言っておにぎりを頬張り、口を閉ざした。
わかってる。俺にはわかる。これはブラフだ。このひとと照橋さんがどういった関係なのかはわからないが、先程の言葉は俺を
でも、なんだか、許せない。たとえ嘘だとしても照橋さんへの侮辱を聞かなかったことにするのは、いまの俺にはできなかった。彼女のことをなんでもかんでも知っているわけではないけれど、かわいいこと以外にも、素敵な長所が沢山あるんだ!
俺は心の熱に従った。衝動が、身体を動かしたのだ。
壁にもたれかかるのをやめ、跳ね起きる。
しかし。しかしだ。いまは何よりも優先して成さねばならぬことがある。再び、心を奮わせた。
「あなたに照橋さんの何がわかるっていうんですかっ!」
自分のためにも照橋さんのためにも、言葉を続けた。熱に浮かされたように、ただ夢中で自分が想うことを口にした……気がする。たぶん。
そう、たぶんなのだ。あくまで気がする、というだけなのだ。なぜならあまりにものめり込んでしまったせいか、俺は〝とある人物〟がここに来るまでのことを、よく覚えていないのだから。
私は走っていた。そして何より、怒っていた。
そもそも、母がお弁当を持ってきてくれるという約束だったのだ。しかし手元に弁当はない。再三の連絡にも『いま移動中』と返ってくるばかりで、昼休憩の時間が半分を切ったあたりで痺れを切らせて電話をかけてみれば『いま食べてるとこ』と、なにかを咀嚼する音と共に言ってくる始末。
二人三脚は念花美以外の男子としなくちゃだったし、お昼を一緒しないかと誘おうと思ったらあいついなくなってるし、お弁当は届かないし、母は私を捨て置き勝手にお弁当食べてるし、もう何もかもうまくいかないし……。
ちょームカつくッ!!
私は、ガツンと言ってやろうと意気込み、体育館を目指した。
ほとんどのひとは運動場や解放されている教室で休憩時間を過ごしているため、体育館付近はやけに静かだった。
「とにかくそういうわけで! ──さんは……ちょーかわいいんですッ!」
私の足音だけが響いていた中、誰かの声が聞こえた。すぐそこの角を曲がった先からだ。母は誰かと一緒だと言っていたけど、そのひとだろうか。
角を曲がる前に、急遽足を止める。先輩だろうと同級生だろうと後輩だろうと、怒った顔を見られるわけにはいかない。表情と呼吸を整えてから、体育館裏に顔を出す。
母は、確かにそこにいた。いたのだが──念花美も、そこにいた。
思わず、えっ、と声が漏れる。
「あ、ここちゃん」
母が私に気づいた。
私も、気づいた。母が持つ、
念花美は錆びついたブリキ人形のようにぎこちなく振り向き、私を見る。だが、目は合わない。私は、母が手にする
間違いであって欲しい。自分の母親が自分の同級生に、まるで新婚ほやほやの新妻が愛する旦那に対して気持ちを表すために作るようなお弁当を手渡そうとしているなんて……。それも、あろうことか娘が気になってるひとに対してだなんてッ!
なぁぁああにしてんだぁぁああッッ!!
と叫びたい気持ちを我慢して、私はどうにか訊いた。
「……えっと、なにを……してるの?」
「て、照橋さん!?」
念花美は、現れた女の子が私だとようやく判別できたようで、驚いたように声を上げた。
もう一度、私は問いかける。念花美ではなく母親に。
「なにを、してるの?」
母は珍しく驚愕に顔を染めていた。生まれてこのかた見たことのない表情だ。しかし、それは一瞬の出来事だった。ともすれば私の見間違いだと思ってしまうほどに。
そこには頬を赤らめ念花美を見つめる身内がいた。
およそ娘の同級生に向ける
額から変な汗がこぼれてくるのを感じながら、私は待った。自由の権化たる我が母の動向を、ひたすらに。
すると、私の心情など一切合切慮ることなくヤツは、
「とりあえずコレ……受け取って?」
手にしたソレを──念花美に渡した。
「なぁぁああにしてんだぁぁああッッ!!」
今日一番の叫び声は、快晴の空へと消えていくのだった。
唐突の失踪と投稿……。
前々回のアンケートを受け鳥束&窪谷の扱いをどうしようかと悩んでいるうちにモチベーションが消失した……という言い訳をしておきます。
ちなみに上記の2人はすでに転校していることにしましたので、今後しれっと出てくるかもしれません。