2月14日は、男子ドキドキの『あの日』である。
この世界ではしれっと転校してきた鳥束と登校中に出会った時、やつは興奮気味に語っていた。どうやらこの日のために色々と布石を打っていたらしい。
曰く、女子たちの荷物を持ってあげた。
曰く、たくさん褒めた。
曰く、プレゼントを贈った。
なかなか頑張ってるじゃないか、とほんの一瞬だけ思ったが、テレパシーで流れてきた鳥束の思考はおよそ真っ当な代物ではなかった。
やつが行った努力とは──移動教室の際女子の筆箱を持ってあげた。「シャンプー変えた? いい匂いだね」と褒めた。寺で作ったお札をプレゼントした──などである。……さらには余罪多数。処置無しだな。
鳥束……お前はたぶん、何もしなければひとつぐらいは貰えただろうに。なんて残念なやつ。
僕は、まあ頑張れよ、という意味を込めて親指を立てておいた。
あいつはどんな勘違いをしたのか「ありがとうございます斉木さん! きょうはいい日になりそうです!」と喜んだ。先程のサムズアップは「女子にチョコを貰えるか、予知で見てください!」という問いに対する答えではないのだが……まあいいか。
煩悩まみれの鳥束は、僕と一緒に登校していた念花美を睨みつけ、
「テメェには絶対負けないっスよ!!」
などと意気込み通学路を駆けていく。
僕と念花美は、絶望なんて知らないその元気な姿を──ただ呆然と眺めていたのだった。
さて、そんなこんなでバレンタインデーの幕開けだ。
学校が近づくと、うるさいぐらいに甘ったるいテレパシーを受信する。
カップル同士でイチャついたり、あるいはこれからカップルになる男女の甘酸っぱいやり取りだったり、女子たちが誰にチョコを渡すのだとか──そんなことを話し合っている。
とはいえ、一番煩わしい声は男子連中のモノだ。
ひょっとしたら貰えるんじゃね? なんて、淡い期待がこれでもかと僕の脳へと飛び込んでくる。……学校、休めばよかったかも。いや、ズル休みは母さんを怒らせ──否、心配させるからできない。
やれやれ。オンとオフを切り替えられないテレパシー能力は、本当に迷惑だ。
僕がげんなりしている一方で、横にいる念花美からは例年通りの鬱屈とした感情が伝わってくる。
……やれやれだな、まったく。
今年こそはこいつのトラウマが解消されるよう、静かに祈っておこう。
僕もまた念花美と同じく、心を無にして歩みを進めたのだった。
下駄箱の前に立つと、見慣れないモノが入っていることに気付く。というか、状況的にチョコである。
視線を感じてそちらを向けば、夢原さんがこっちを見ていた。
「……おっ、え、えぇ……? それって、もしかしなくても……ッ!?」
何事もなく上履きに履き替え教室へ向かおうとしていた念花美が、目を輝かせながら近づいてくる。
こいつは『楠雄に恋人を作らせる』などという至極無謀なことを僕の母さんに
綺麗に梱包された箱を裏返すと、やはり夢原さんの名前が書かれていた。
質問攻めにしてくる念花美をいなし、すれ違いざまに物陰に隠れていた送り主にお礼を言って教室を目指す。下駄箱からチョコを取り出した光景を目敏く見ていた男子たちの恨みがましい視線から早く解放されたい一心で。
「やっぱり夢原さんか! よかったな!」
珍しく浮き足立ち鬱陶しい念花美を無視して歩いていると、灰呂が視界に映る。
手には大量の包み(おそらく中身はチョコ)が入った紙袋を持っていた。この日に限っては、念花美よりもモテている、と言っても過言ではないだろう。
隣にいた念花美の興味も灰呂に移ったのか、僕らは二人してその光景を眺めることになった。
「この前、忘れ物届けてくれたお礼!」
「先輩! 自主練に付き合ってくれたお礼です!」
「弟と遊んでくれてありがとう!」
「うちのおじいちゃんを病院まで搬送してくれてありがとう! 助かったよ!」
「ポテチとジュース買ってきてくれてありがとねー」
「公判で証言台に立ってくれてありがとう!」
「ヒグマとサーベルタイガーから同時に襲われた時、助けてくれてありがとうございました!」
灰呂はさまざまな理由をもって女子からチョコを受け取っていく。
チョコが入った包みの数は止まる所を知らず、ついにはひとつの紙袋に収まらなくなり、大量のチョコが入った紙袋はふたつに増え、両手で持つにまで至る。
「……すごいな」
念花美がぽつりと
確かにすごい。すごい数のチョコだ。ただ、本命は無さそうだけど。
その光景を見て呆気に取られていた僕たちに気付いたのか、灰呂がやってくる。
「やあ、おはよう!」
「おはよう、灰呂。……しかし、すごいね」
「いやあ、嬉しいんだけど、みんなが想像するようなモノではないよ。これは義理チョコ、世話チョコ、友チョコの山さ。だから、自慢にはならないかな」
バレンタインにおいて敵無しのモテ男は、照れ臭そうに謙遜した。
そして、念花美の様子に気付き、もっともな疑問を投げかける。
「念花美君は貰っていないのかい? 僕なんかよりも、よっぽど沢山貰ってそうなものだけど……」
然り。全くもってその通りである。
このバレンタインというイベントは、いまでこそ『性別関係なく親しいひとにプレゼントを贈る』といった概念になりつつあるが、漫画やアニメにおいては依然として『女子が気になる男子にチョコを贈る』という認識が強い。
つまり、完璧美少年である念花美は──大型トラックの荷台がいっぱいになるぐらいのチョコを貰っていなければおかしいのである!
この僕ですらひとつは貰えたというのに、念花美はいまのところ、ひとつもチョコを貰っていない。まあ、毎年こんな調子なのだが……知らないやつからしてみれば、違和感のある姿だろう。しかし近いうちに灰呂の疑問は解消されるはずだ。……例年通りなら、な。
投げかけられた純粋な問いに、念花美は苦笑いで返す。
訊いてはいけなかったのか、と空気を読んだ灰呂は申し訳なさそうに頬をかく。だが、手に持った紙袋が大きな音を立て、僕はこんなに貰えたんだ! と嫌らしい感じが出てしまい、さらに微妙な空気になってしまった。
僕らは教室に向かう。全員心を無にして。
目的地の教室が見えたその時、事態は動いた。
なんとなく気まずい雰囲気になっていた僕らの前に、ひとりの女子生徒が立ちはだかったのだ。その両手は後ろに回されており、おそらくはチョコを隠しているのだろうと推測できた。
女子生徒は、かおを赤くしもじもじとしている。
来た。ついに。
「あ、あのっ! 念花美くん!!」
若干震えうわずった声で、完璧美少年の名前が呼ばれる。
横にいた灰呂から、よかった、と安堵の感情を受信した。念花美がチョコを貰えない中、自分だけは貰えていることを申し訳ないと思っていたのだろう。相変わらず心の清いやつだ。
だが、安心するのは早い。
「あ、あの……その……、これッ!!」
そのかおは茹でたタコのように赤くなり、ともすれば湯気が出てきそうなほどだった。だが、彼女は後ろに隠していたチョコを念花美の眼前へと突き出すことに成功した。
「ああ、うん。……えっと、ありがとう」
しかし念花美が彼女の勇気に応え、差し出せれたソレを貰うために手を伸ばした──まさにその時ッ!!
「やっぱりダメッ!! 私ごときが作ったチョコ、念花美くんに食べてもらおうだなんて……そんなことできないよォーーーッ!!」
その女子生徒は、丁寧にラッピングされた包みを、念花美の手に渡る前に、目の前で、ぐちゃぐちゃに握りつぶしたのだった。
「……え?」
不意に漏れ出たそれは、灰呂の声だった。
僕は、ああやっぱり、と窓の外を窺う。きょうもいい天気だ。
当の完璧美少年は、死んだ魚のような濁った目で、ぐちゃぐちゃにされていく包みを見ていた。
「うわーーん! ごめんなさぁーーい!!」
女子生徒は走り去っていったのだった。完。
いや、これはまったく『完』ではない。これは序章なのだ。こんな感じの出来事が一日中続くのだ。小学生の頃からずっと、完璧美少年のバレンタインには惨劇が繰り広げられるのだ。
とはいえ、念花美にとっては酷な話なのだが、これはある意味チャンスでもある。
まあそれは、念花美本人ではなく照橋さんにチャンスが訪れる、ということではあるが……。つまり──念花美翔という少年は、バレンタインに身内以外の人間から贈り物をされたことがなく、あまつさえ嫌な思い出ばかりである──ということであり──これから念花美に贈り物を渡せる人間が現れたならば、その人物は念花美の人生において初めてバレンタインデーに良い思い出を与えた〝特別な〟相手である──ということでもあるのだ。
完璧美少年に2月14日も捨てたものではない、と教えることができるのは、おそらく完璧美少女だけだろう。
さて、どうなることやら。
念花美は机に突っ伏していた。話しかけられないように、寝たふりをしている。
これは一年を通して滅多にお目にかかれない珍しい状態と言えよう。普段は社交的で優しい完璧美少年も、この日に限っては自分の心を守るため防御態勢に入っているのだ。
無理もない話である。結局朝の出来事以降も、災難は降りかかったのだから。
丹精を込めて作られたであろう包装された贈り物は、あいつの手に渡る前に、目と鼻の先で──踏み潰されたり窓の外に投げ捨てられたり作った本人が包みを破いて食べ始めたり膝蹴りを叩き込んで粉々にされたりどこからともなく取り出した火炎放射器で燃やし尽くされたり──したのだ。
両手で数えられる人数を超えてからはカウントするのを止めた。
それに、始めのうちはやっかみの感情を抱いていた海藤や燃堂も、いまとなっては念花美の事情を察して居た堪れない空気になっている。空気の読めなさに定評のある燃堂が気を遣い始めるぐらいには、異様だった。
照橋さん、早くなんとかしてやってくれ。
この状況を打開できるのは君だけだ。
心の中で、そっと祈った。
僕だって、あいつが少なからず傷つくこの日をどうにかしたいと思っていたんだ。
だが『災難の元凶でもある完璧美少女に完璧美少年をぶつける』という自分勝手な目的のために、この問題を解消することなく放置してきた。
あいつが傷つくことで、僕もまた傷つく。僕は癒えることのないこの痛みに終止符を打ちたいのだ。これは僕の良心を慰める、というエゴだとわかっている。念花美と照橋さんの関係を進めるために役立つ、なんていう大義を掲げたところで、間接的に僕があいつを傷つけたという事実に変わりはない。
だからこそ、僕はやり遂げなければならない。
なんとしてでも照橋さんがチョコを渡せる環境を作る。そして、今回こそ念花美に良い思い出を贈るのだ。
僕は照橋さんのバッグの中に眠る
今日のうちには後編を投稿したいっス