薄暗い闇が永遠に広がるダークグラッジ王国。
グラッジは忌々しそうに歯を食いしばり、顔を歪ませていた。
「グラッジ様はまだお怒りのようだな。」
無表情の少女が、爪にマニキュアを塗りながら鼻歌を歌っているガーネットを見下ろした。
「原因を何か知っていないか?」
ガーネットの鼻歌が止まり、代わりに溜め息が出た。そして少女をうざったそうに睨み上げ、舌打ちをする。
「知ーらなぁい。ラピスラズリにでも訊けばぁ?どうせ任務も果たせずにのこのこ帰ってきたんでしょ?」
「ラピスラズリは戻ってきていない。グラッジ様がお怒りになっている事と何か関係あるのではと思ったが、お前も知らないのか。」
少女は踵を返し、てくてくと歩いている。ガーネットはその後ろ姿をじとりと眺めながら、ゆっくりと立ち上がった。
「はいはーい。ちょっと様子見てくれば良いんでしょ?」
そう言い、ダークグラッジ王国から姿を消した。
学校への道を歩きながら、なのかは昨日の出来事を思い出していた。
(昨日は色々あったけど、ラピスラズリはちゃんとキュアマーガレットにハートストーンを返してくれたのかな。)
「きっと大丈夫チェリ。」
チェリーはそんななのかの心情を読み取ってにっこりと微笑んだ。
「そうだよね。」
なのかも微笑み返し、信号を待っているしのに向かって走り出した。
(こうして普通に授業が始まるのも、何だか久しぶりな気がするなぁ)
なのかは窓の外を眺めながらぼーっと先生の話を聞いていた。それはしのも同じで、何度も欠伸をしながら鉛筆を走らせていた。
(平和ボケってやつ?でもラピスラズリはもう襲ってこない……はずだし、少しくらい気を抜いても良いよね。)
暖かい風が教室を吹き抜けた。
休み時間になると、他のクラスメイト達は外へ駆け出していく。教室に残ったなのかとしのは、黒板に今分かっているキュアマーガレットの状況を書き出した。
「キュアマーガレットのハートストーンはずっとラピスラズリが持っていて、でもキュアマーガレットはプリキュアに変身していた。プリキュアに変身するにはハートストーン――シャイニングストーンが必要よね。」
「ラピスラズリが使っていた十字架のハートストーンはボロボロになってしまってたけど、本物が返ってきた時には元に戻ってたし、キュアマーガレットに影響はないって事だよね?」
「キュアマーガレットのハートストーンに、ハートストーンの力――つまり自分の中身だけ移し替えていた、と言う可能性もあるチプね?」
「二人のハートストーンの外側と中身が入れ替わってたって事チェリね?
もしそうなら、キュアマーガレットは無事なはずチェリ!」
「へぇ、そんな事も出来るんだぁ……」
なのかとしのは顔を見合わせて安堵の息を漏らした。
「まだまだ謎は多いけど、キュアマーガレットのハートストーンが返ったならジェリィも色々教えてくれるはずチェリ!そしたら――」
チェリーが言い掛けた時、教室のドアが勢い良く開いた。
「やば!」
チェリーとチップは慌てて窓から外へ飛んでいき、なのかとしのは急いで黒板の文字を消した。
教室に入ってきたのは、ゆりねだった。
「ゆりねちゃん!?」
なのかはゆりねの姿を見た途端、嬉しそうに立ち上がった。
「野苺さん、知り合い?」
「うん。ゆりねちゃんはね――」
ふわり。なのかの頬を、栗色の長い髪が掠める。ゆりねはなのかの前を通り過ぎ、きょとんとした顔で座っているしのに抱き着いた。
「……え?」
しのは驚いて、ついゆりねを突き放してしまった。ゆりねはそのまま力なく床に倒れ込む。
「あ、ごめんなさい!」
慌てて起こそうとするが、ゆりねはなかなか立ち上がらない。いや、立ち上がれないと言った方が正しいかもしれない。
「ゆりね、ちゃん?」
(何だか様子がおかしい?)
なのかも手伝おうとゆりねの腕に手を伸ばす。が、ゆりねはその腕をすり抜け、すくっと立ち上がる。驚くなのかとしのを他所に、教室から駆け出して行ってしまった。
「な、何だったの?」
なのかとしのは顔を見合わせる。
(どうしてゆりねちゃんは海風さんに抱き着いたりしんだろ……?それに、私の事はまるで見てくれなかった)
胃がキリリと痛むのを感じた。まるでゆりねに嫌われてしまったように思えたのだ。
なのかは不安な気持ちを、首を振って掻き消そうとした。
「……やっぱり。キュアマーガレットのハートストーンの力が戻りつつあるジェル。」
窓からそっと教室を覗くジェリは、そのままどこかへ飛んで行った。
その頃、ガーネットは人間界を渡り歩いていた。
(ちっ。どうして私がラピスラズリなんかを探さなきゃいけないのよ。まぁ、アイツの命令はグラッジ様の命令。従わないわけにはいかないからねっ)
ぶつぶつと文句を零しながら、屋根から屋根へ軽やかに飛び移る。
ふと、歩道橋の上に何か光る物が見えた。
キラキラと眩い光を放ちながら、それはゆっくりと浮かび上がっている。
「黄色い光……あれはハートストーン!?」
ガーネットは歩道橋の上へ飛び移る。
が、途端に黄色いハートストーンは物凄い勢いでガーネットから逃げてしまう。
「あれって……まさか!」
ガーネットは慌てて人間界から姿を消した。
ダークグラッジ王国にガーネットの姿が現れる。グラッジは相変わらず不快そうに歯ぎしりしている。
「グラッジ様!」
ガーネットが叫ぶと、グラッジはちらりと振り返る。
「何だ。」
その鋭い瞳に一瞬たじろぐ。が、これは緊急事態だ。
「キュアマーガレットのハートストーンらしき物が、人間界に――アッ!?」
ガーネットの体が後方へ吹き飛んだ。
永遠に広がる闇を突き抜けていく。終わりはない。ガーネットは自らの心臓へ手を当て、ハートストーンの力を呼び起こす。するとガーネットと体はピタリと止まり、宙に浮きながらゆっくりと着地する。
「言葉には気を付けろ。」
何十キロも離れているはずなのに、まるで目の前に居るかのようにグラッジの声がはっきりと聞こえる。
「すみませんグラッジ様、でも報告しなければと思い――」
再びガーネットの体が吹き飛びそうになるが、すぐにハートストーンの力を使い、それを阻止する。
グラッジは舌打ちし、ガーネットの目の前に姿を現した。
「そんな事とっくに知ってんだよ。」
ガーネットの顎を掴みぐいっと上げる。
「それに教えてやるよ。ラピスラズリが帰ってこないのはな……」
グラッジはその低い声でガーネットの耳元で囁く。ガーネットは驚きで目を見開き、グラッジがぶっきらぼうに手を離すとそのまま地面に尻もちをつく。
「分かったらもう存在しない奴を探すなんて無駄な事をしてないでプリキュア達を消しに行け。」
グラッジは暗闇に姿を消していった。
取り残されたガーネットの口元はふるふると小刻みに震えている。そしてにぃっと三日月形に歪む。
(グラッジ様は不要になったら簡単に私達を消せるんだ。でも私は違う。ハートフル王国の仲間だったラピスラズリとは違う。だから大丈夫だよねっ……?)
口元こそ笑っているが、その額には冷たい汗が一筋伝っていた。
♥
「それじゃ、気を付けて帰りなさいね」
1日の授業が終わると、教室から次々と児童達が駆け出していく。
なのかとしのも教室を出て、並んで廊下を歩いていた。
「今日は平和だね。」
なのかは嬉しそうに微笑んでいた。
が、しのの表情はどこか暗かった。
「どうかした?海風さん」
なのかが心配そうに訊ねると、しのは慌てて笑顔を作る。
「大丈夫。ただ、休み時間の事がどうしても気になって……」
「あ……」
なのかは休み時間の出来事を思い出して酷く落ち込む。
(せっかく忘れてたのに〜!でも確かに気になるかも。)
ゆりねが友達なはずの自分を完全に無視して、初対面のはずのしのに抱き着いたのだ。どう考えてもおかしいと思う。
「何だか過去に1度会った事があるような気がしなくもないの。絶対会った事なんてないはずなのに……」
しのが呟くと、突如校舎が揺れた。
「まさか!」
なのかとしのは廊下の窓から外を見る。
灰色の何かが蠢いているのが見える。
「ヘイトリッドグリーフだ!」
「ガーネットね……!」
なのかとしのは顔を見合わせて頷く。そして窓枠に足を掛けながらシャイニングストーンにプリズムスタージュエルをセットする。
『プリキュア!ステップアップ!
1 up!』
みるみるうちにプリキュアのコスチュームに身を包んでいく。
「真っ赤に輝く希望の光!キュアフランボワーズ!」
「青く煌めく正義の光!キュアオーシャン!」
2人は決めポーズをし、そのまま飛び降りた。
2人を待ち構えていたのは、若い女性と男性が浮かび上がったヘイトリッドグリーフだった。ボコボコと気泡のようなものが沸き立っている。
「街中で痴話喧嘩なんかするなっつーの!」
電柱の上に立ちながらくすくすと笑うのはガーネットだった。
「ガーネット!」
キュアフランボワーズとキュアオーシャンを見下ろしながら、ガーネットは口元に手を添えてにんまりとほくそ笑んでいる。
「バカだよねぇ、大声で罵り合ってんの。恨み合ってるの分かりやすすぎ〜!」
きゃはははと甲高い笑い声を上げるガーネットを、キュアオーシャンはキッと睨んでいる。
「あんなわざとらしく笑って、何か隠してるのかしら?」
「え?ガーネットっていつもあんな感じじゃない?」
キュアフランボワーズは首を傾げる。
「何の話をしてるのかなぁ〜?」
ガーネットがキュアフランボワーズ達に向けて腕を振り下ろすと、ヘイトリッドグリーフが2人に突進していく。
「来るわよ!」
2人は空高く飛び上がる。
ヘイトリッドグリーフはボコボコと沸騰しながら、うねうねと苦しげに身を捩る。そのまま両腕を振り上げた――が、それはキュアフランボワーズとキュアオーシャンではなく、自身にめり込んだ。
「え!?」
「自分を攻撃した……!?」
キュアフランボワーズとキュアオーシャンは驚いて着地し、ヘイトリッドグリーフを見上げる。
「グリーフ…………!」
ヘイトリッドグリーフは左右の腕をバラバラに動かしながら自身を攻撃し続けている。
(もしかして、あの2人は恋人同士……?)
さっきガーネットは「痴話喧嘩」と言っていた。2人の年齢は近いようだし、間違いないだろう。
(じゃあ、お互いを恨んで、お互いを攻撃しようとしてるってワケ……?)
キュアオーシャンも気づいたようだ。
「キュアフランボワーズ!」
「キュアオーシャン!」
チェリーとチップが飛んでくる。
「大丈夫チェリか!」
「私達は大丈夫!だけど……」
チェリーとチップはヘイトリッドグリーフの異変に気付く。
「自分を攻撃してるチェリ?」
「そうなの。あの2人はお互いを恨んでるみたいで……」
「面白いんだよ〜、女が浮気してるんじゃないの!って問い詰めたら、逆に男が女が浮気してた証拠突き付けてさ!傑作だよね〜っ」
「……ガーネット!」
キュアフランボワーズが睨み上げるが、ガーネットは笑いながらそれを馬鹿にしたように見下ろす。
「ついさっきまで愛し合ってた奴らが何かの拍子に一瞬で恨み合うのが人間なんだよ!」
ガーネットは電柱から飛び降り、キュアフランボワーズの目の前に着地する。ずいっと顔を近付けて、怪しげな赤い瞳で語り掛ける。
「ラピスラズリもそうやって消されたんだよ。」
キュアフランボワーズの頬を乾いた風がヒュウと吹き抜けた。
一瞬息が止まった。その次に息を吸う前に、「え……?」と小さな声が漏れた。
「今、何て言ったの?」
ガーネットはほくそ笑みながら軽やかにキュアフランボワーズから離れる。キュアフランボワーズは握り締めた拳をわなわなと震わせた。
「あなたが、やったの?」
どうやらガーネットの言葉はキュアオーシャンやチェリー達には聞こえていなかったらしく、3人は首を傾げて2人を見ている。キュアフランボワーズはゆっくりとガーネットに近付いていく。
「あなたが――」
「触らないで!」
バシッとキュアフランボワーズの手を払って、ガーネットは近くの塀に飛び移る。
「あははっ、やっぱ食らいついた。さっすがぁ。キュアオーシャンじゃこうならなかったよねっ」
ガーネットは可笑しそうにキュアオーシャンを見下ろす。
(何?何の話よ……)
キュアオーシャンはぎりりと歯を食いしばってガーネットを睨み返す。
ガーネットは塀の上を器用に歩きながら自分を攻撃し続けるヘイトリッドグリーフを眺める。
「人間も、ハートフル王国の奴らも、みんな馬鹿なんだよ」
ガーネットはそう呟いて、姿を消してしまった。自らが生み出したヘイトリッドグリーフを残して。
キュアフランボワーズは呆然と立ち尽くしながら自分の爪先を見詰めてわなわなと震えている。
キュアオーシャンはヘイトリッドグリーフに攻撃しながらオーシャンジャスティスを放つ。
「キュアフランボワーズ!後はお願い!」
(ラピスラズリが消えたって、どうして?)
「フランボワーズ!!」
キュアオーシャンの叫び声にキュアフランボワーズははっと我に返った。
「ご、ごめん!
プリキュア!フランボワーズレボリューション!」
真っ赤な花びらが小さくなったヘイトリッドグリーフを包み込み、そのまま空気に溶け込むように消失していった。
ヘイトリッドグリーフの中から2人の男女が出てきたのを確認すると、チェリーとチップが飛んでくる。
「ガーネットに何を言われたチェリ?」
チェリーの問いに、暗い顔をして俯いたなのかは小さな声で答えた。
「ラピスラズリが……ラピスラズリが消えたって」
「え……?」
そこに居た誰もが、思わず息を飲み込んだ。
「ラピスラズリが消えたってどういうことチェリ!?」
「ガーネットがそう言ったチプか!?」
チェリーとチップが、キュアフランボワーズの周りをくるくると飛び回る。その真ん中で拳を握り締めながら無言で立ち尽くすキュアフランボワーズを、キュアオーシャンが心配そうに見詰める。
「……きっとグラッジの仕業よ。あいつは仲間でさえ簡単に切り捨てられるような奴なのよ。」
「……分かるの?オーシャン」
「……ええ。あいつ、ラピスラズリの体が傷付こうが痛め付けられようが、どうでもいいって顔してたもの」
キュアオーシャンの眉間がぴくぴくと震える。怒りをどうにかして抑え込んでいるのだ。
「そんな……2人は仲間なんじゃないの?」
(分からないよ。どうして、敵同士仲間になったり、仲間になったのに消したりするの?)
キュアフランボワーズは固く唇を噛んだ。
人気のない路地裏で変身を解いたなのかとしのは、手に持ったシャイニングストーンをじっと見下ろした。
「ラピスラズリ、キュアマーガレットにハートストーンを返せたのかな」
ぽつりとなのかが呟く。
「もし、もし返せないままグラッジに消されたんだとしたら、……」
そこで言葉を詰まらせたなのかの肩を、しのが優しく抱き寄せる。
「もしそうだとしたら、ラピスラズリの思いを踏みにじったグラッジを許せないわ」
しのの言葉に、なのか、チェリーとチップはそれぞれ頷く。
「せっかく、敵だったキュアマーガレットにハートストーンを返そうって思ってくれたのに、どうして邪魔するの?」
「それはきっと、キュアマーガレットにハートストーンが戻ったら、グラッジに取って都合がわるいからチェリ。」
チェリーがそう呟く。
「きっと、今までなのか達を助けてくれたキュアマーガレットは、本当のキュアマーガレットじゃなくて、ハートストーンのない『抜け殻』状態だったのかもしれないチプ。」
「きっと誰かが、自分のハートストーンの力を分け与えてキュアマーガレットを操作していた……そういう可能性もあるチェリね?」
「じゃあ、私達に冷たかったキュアマーガレットは、本当のキュアマーガレットじゃなかったってことなの!?」
なのかの瞳がきらりと輝く。
(じゃあ、最近冷たかったのはキュアマーガレットの意思じゃなかったんだ……!)
自分を助けてくれたあのキュアマーガレットは偽りじゃなかったんだ。なのかはそう思い、思わず目を潤ませた。
(そうだよね、キュアマーガレットは強くて優しくて、思いやりがあって。そんなプリキュアだったもん!)
「だーれが冷たいって?」
その時、なのか達の頭上から、少し棘のある声が聞こえてきた。なのか達はギクリと体を硬直させ、機械的な動きで空を見上げる。
「……ジェリ?」
そこには、建物の屋根から顔を覗かせているジェリィが居た。じとりとなのか達を睨むように見下ろしている。
「ジェ、ジェリィ……」
チェリーが名前を呼ぶと、ジェリィはふわりと飛んでなのか達の前に降り立った。
「やっと気付いたジェリね。……遅すぎジェリ」
「ごめんチェリ……」
「チプ……」
チェリーとチップは申し訳なさそうに項垂れる。
「……ジェリィが、キュアマーガレットを操っていたのね?」
しのがそう訊ねると、ジェリィは目線だけしのに向け、小さな溜め息を吐いた。
「操ってたなんて人聞きの悪い。ジェリィはキュアマーガレットを支えてたんだジェリ!」
気のせいか、ジェリィの飴玉のような瞳は微かに潤んでいた。
「元はと言えばお前のせいジェリ!野苺なのか!」
「えっ?」
ジェリィに睨まれ、なのかは思わず体を硬直させる。
「お前があの日、すぐに逃げなかったから……!」
目にたっぷりと涙を浮かべ、ジェリィは叫ぶ。
「教えてあげるジェリ。あの日、キュアマーガレットに何があったのか!」