「はぁっ、はぁ……っ、何なの、さっきの人っ」
しのは授業中の静かな廊下を必死に走っていた。
時々、教室の中から自分を不思議そうに見る児童達の視線を感じられたが、そんなことを気にする余裕もなかった。
(あんなに大人しくて他人のことを嫌ったりしなさそうな野苺さんにも、嫌いな人って居るんだ。
私も、その中に入ってるんだよね)
しののハートストーンが一瞬曇る。心の中には黒い雲がかかり、真っ青な瞳からは大粒の涙が零れ落ちる。
(私、どうしていつも素直になれないんだろう)
しのは声を押し殺しながら、廊下を走り続けた。
保健室でキュアフランボワーズに変身したなのかは、にやにやとほくそ笑むラピスラズリを睨みながら、両手を構えた。
「ふふ、本気になっちゃってバカみたい。私の目当てはお前じゃないから!」
そう叫びながら、ラピスラズリは開けっ放しになっていた扉から廊下に出た。
「あっ!」
キュアフランボワーズも慌ててそれを追い掛ける。
「あははははっ、そんなとろくさい脚で私から逃げられるとでも思ってんの――あ?」
物凄い勢いで廊下を走っていくラピスラズリの前に、キュアフランボワーズが現れる。
キュアフランボワーズは行かせまいとラピスラズリに攻撃する。
「海風さんは、私が守る!」
「弱虫のくせに邪魔するな!」
必死に手足を振り回すキュアフランボワーズを突き飛ばして、ラピスラズリは叫ぶ。
「人の心を苦しめて、何が楽しいの!?こんな酷い事された人の気持ち、あなたには考えられないの!?そんなの絶対、おかしいよ!」
キュアフランボワーズは何とか体制を保ちながら、ラピスラズリの腕を掴む。
「だめだからなんなの?お前なんて妖精や援助が居ないと何も出来ないくせに!一人になったらどうすんの?何も出来ないよなぁ?」
ラピスラズリは煽るようにキュアフランボワーズの顔を覗き込む。
「……そうかもね。私はチェリーがいないと何も出来ないかもね。」
キュアフランボワーズはラピスラズリの腕を掴む手に力を込めた。
「でも、それでも私に出来ることだってたくさんあるからっ……!」
キュアフランボワーズの手が赤く光る。
「チェリーがもし私から離れていったって、大丈夫だもん……」
「お前から離れていくのは妖精だけじゃないよ!
あいつもきっと、お前のことなんてどうでもいいと思ってる!」
「そんなの分かってるよ!でも、だからって私まで海風さんを見捨てる必要なんてないじゃない!」
キュアフランボワーズは更に手に力を込める。
ラピスラズリは顔を顰めて、それを必死に振り払おうと手を振り回す。
「人の心って難しいし、ちょっとしたことですぐ変わっちゃうけど――そうしていく中で、本当の気持ちに気付けるの!あなたにはそれが分からないんだね!そんなあなたこそ、独りぼっちじゃない!」「ぐっ……」
キュアフランボワーズの手から、赤い光が溢れ出す。
「プリキュア!フランボワーズレボリューション!」
真っ赤に燃え盛る花びらが、至近距離からラピスラズリを包み込む。
「本当の気持ちを知ったところで、傷付くだけなんだよ……ッ」
ラピスラズリは花びらの中で、苦しげに呟いた。
次の瞬間、ラピスラズリの胸の十字架から真っ青なレーザーのようなものが放たれ、花びらは焼けながら散ってしまった。
「あっ!何で――」
「私のハートストーンの力だよ!」
ラピスラズリは叫ぶ。
「えっ、あなたにもハートストーンが!?」
「くそがっ……あいつをヘイトリッドグリーフにしてやる!」
ラピスラズリはそう呟くと、呆然とするキュアフランボワーズの脇をすり抜けて飛び出していった。
「待って!」
キュアフランボワーズも慌てて飛び出す。
「あっ、いつの間に!」
その頃、校庭に逃げていたしのの目の前に、ラピスラズリが現れた。
「お前のハートストーンを壊してやる!」
「何なの、やめて、来ないで!」
しのはラピスラズリから、何とか距離を置こうとする。
ラピスラズリは余裕の表情でしのにじわじわと近付いていく。
「来ないで!」
しのが叫んだその時、キュアフランボワーズが廊下のガラスを突き破って校庭に飛び出した。
「だ、誰……もしかして、野苺さん!?」
しのは驚いたせいか尻もちをつく。
「ラピスラズリ、海風さんから離れて!
」
キュアフランボワーズはラピスラズリに突進していく。それをかわしながら、ラピスラズリは横目でしのを見る。
「ちょうどいいから、こいつのハートストーンをあんたの目の前で壊したげる」
「そんなのさせない!」
ラピスラズリはキュアフランボワーズの言葉を無視して、笑いながらしのに近づいていった。
しのの体が、まるで自身を守るように青く光り出す。
「やめて……」
小さな声で呟いたしのの体から、真っ青な光が溢れ出す。
「な、何で……。この光は、まさか……!」
ラピスラズリはその光に目を細めながら、一歩、二歩と後ずさる。
「海風さん……」
「この光は――!」
「その子もプリキュアの力を持ってるんだチプ!」
空からチェリーと青いリボンをつけた妖精が飛んでくる。
「プリキュアって……私も野苺さんみたいになるの?」
「うん!僕と一緒に戦うチプ!僕はチップチプ!」
青い妖精はそう言うと、口をぱくぱくさせて何かを言おうとするしのを無視して、思いっ切り息を吸った。
「チプ──────ッ!」
チップのリボンから、プリズムスタージュエルが、しのの胸からシャイニングストーンが飛び出してきた。
「海風さん……!」
キュアフランボワーズは、眩しそうにしのを見る。
「ちっ……何でよりによって私が狙ったやつがプリキュアなんだよ……」
ラピスラズリは悔しそうに呟いた。
チップは半ば無理矢理、しのにシャイニングストーンを握らせた。しのはおぼつかない手先でそれにプリズムスタージュエルをセットする。
「プリキュア・ステップアップ……」
しのが無意識に変身の言葉を呟いていた。瞬時にしのは青い光に包まれ、直後に変身した姿になり、また無意識にこう叫んだ。
「青く煌めく正義の光、
キュアオーシャン!!」
青く煌めく光の粒子を纏いながら変身したしのに、キュアフランボワーズは見惚れてしまった。
「海風さん、きれい……」
キュアフランボワーズの呟きに、キュアオーシャンははっと我に返る。身にまとったワンピースに手を当てながら、顔色を真っ白にする。
「私、何で――本当に変身しちゃったの!?」
慌てふためくキュアオーシャンを、ラピスラズリは憎たらしく睨み付ける。
「貴様……とぼけるな、お前は青い光のプリキュアだったんだろ……」
ラピスラズリの次の言葉に、キュアフランボワーズは目を見開いた。
「貴様は、昔私を一度封印した、青い光のプリキュアだ……!」
(え?)
声を振り絞るように喋るラピスラズリを見て、キュアフランボワーズはキュアオーシャンを見詰める。
(海風さんが、昔ラピスラズリを封印した……???)
「な、何で、海風さんは今初めて変身したんだよね!?」
「そ、そのはずよ、だって私、プリキュアなんて知らないもの……」
頭を抑えながら俯くキュアオーシャン。それじゃあ、嘘を吐いてるのはラピスラズリの方かと思ったキュアフランボワーズは、ラピスラズリを見る。
「貴様は……今でも覚えてる……3年前、私は貴様に力を封印された…………貴様のせいで、私はこの十字架がないと力を使えなくなった!
忘れたとは言わせない!忘れたなら今すぐ思い出せ!」
(物凄い形相……嘘を吐いてるようには見えないけど……)
それでも事実は噛み合わない。キュアフランボワーズは頭を悩ませた。
「私、本当に今が初めてなの!本当に変身できるだなんてほんとに思ってなかったし……」
「そうだよね、海風さん……」
「それなら何故、妖精の説明も聞かずに変身の仕方が分かったんだ!」
ラピスラズリの叫びに、キュアフランボワーズははっとする。
(そうだ、私はチェリーから説明を聞いて変身したんだ……。海風さんは私が変身するところを見てないはずだし、おかしいかも……)
まさか本当に知らないふりを?キュアフランボワーズは同じプリキュアを疑うのは良くないと思いつつも、キュアオーシャンを疑り深い目で見てしまう。
(そう言えば、チェリーは私を含めて、4人プリキュアが居るって言ってたっけ。私と、キュアマーガレットと……。あとの2人には、会ったことないって言ってた。そうだ、まだ会ったことがないって言ってたんだ!
って事は、既にあと2人のプリキュアも居たって事……?)
「そんなに思い出せないなら、思い出させてやるよ!」
ラピスラズリはそう叫ぶと、胸の十字架を握り締めた。
「ラピスラズリインパクト!」
ラピスラズリの手から放たれた黒い攻撃弾が、無防備なキュアオーシャンを襲う。
「きゃあああ!」
叫び声を上げながら、キュアオーシャンはその場に膝をつく。
「海風さん!」
慌ててキュアオーシャンに駆け寄るキュアフランボワーズを目で追いながら、ラピスラズリは眉を潜める。
「絶対に、絶対に忘れさせないぞ……」
ラピスラズリの攻撃を受けたキュアオーシャンのワンピースや腕や脚は、黒く汚れていた。
「大丈夫?海風さん……」
「…………あああ、ああ……」
「……海風さん?」
キュアフランボワーズの問いにも答えずに、キュアオーシャンはぶるぶると震えながら、地面を凝視していた。
「私、プリキュア……青く煌めく光、プリキュア…………私、あの時…………ラピスラズリを、封印して…………」
何かに取り憑かれたようにぶつぶつと呟きを繰り返すキュアオーシャンを見て、キュアフランボワーズは目を見開いた。
(本当に、海風さんは昔からプリキュアだったの?)
「どうだ、思い出したか!」
がくがくと震えるキュアオーシャンを見て、満足げに胸を張るラピスラズリ。
「貴様は3年前、私を封印した!いきなり現れたと思ったら、いきなり私を封印した……」
「そう、そうだ、私……キュアオーシャンに変身して、ラピスラズリを封印した……。でもどうしてそんな記憶があるの、あの時私は家でうたた寝してたはず…………どうして、何で思い出したの……」
(何だかよく分からないけど、キュアオーシャンがラピスラズリを封印して、それをラピスラズリが恨んでるんだけど、当の海風さんは覚えてなかったけど、今思い出したって事でいいの?)
いまいちついていけないキュアフランボワーズは、頭の中を整理しながら1人で納得した。
「私、あんな事もうしたくない……」
「え?」
小さな声で呟いたキュアオーシャンに、キュアフランボワーズは聞き返す。
「私、もうプリキュアになんかなりたくない。3年前、私は寝てる間に変身して、あの人を封印したの。あの時はきっと、私は私じゃなかったの。でももう、今はプリキュアになんかなりたくない。もう嫌なの。だから――」
キュアオーシャンは目に涙を溜め、ゆっくりと立ち上がって、胸元の石を掴む。
「ハートストーンをあげるから、許して。」
その言葉に、その場に居る誰もが愕然とした。
「ダメ!そんな事しちゃダメチプ!」
ハートストーンを渡すから許して、と叫んだキュアオーシャンを、チップが止めに掛かった。
「私、もう嫌なの!人の人生を滅茶苦茶にしたくないの!」
「アイツは人なんかじゃないチプ!」
「人じゃなくても、私があの人の中で恨んでる人間として生きてるのが嫌なの!」
長いポニーテールを左右に振りながら泣き叫ぶキュアオーシャンを、キュアフランボワーズはただ見ている事しか出来なかった。
(海風、さん……)
「ハートストーンをあげるから許して!」
ラピスラズリの前に、自らのハートストーン――シャイニングストーンを差し出しながら、キュアオーシャンは懇願した。
それを見て、ラピスラズリは口を三日月のようにしてにやりと笑った。
「いーよ、許したげる。でも、私の屈辱はね、あんたのちっぽけなハートストーン1つじゃ足りない。アイツのハートストーンも差し出してくれれば、許したげるよ。」
ラピスラズリは、キュアフランボワーズを指差しながらそう言った。
「え!?」
(私のハートストーンまで!?)
狼狽えるキュアフランボワーズに、涙を目に浮かべたキュアオーシャンがゆっくりと近付いていく。それを阻止しようとするチップの声は、誰にも聞こえない。
「野苺さん、ハートストーンをちょうだい」
「え、え!?」
(何で私のハートストーンまで渡さなきゃいけないの!?)
「お願い。お願いよ。お願いします……!」
まるで魂が抜けたように同じ言葉を繰り返すキュアオーシャンから逃げるように、キュアフランボワーズはシャイニングストーンを両手で守りながら後ずさる。
「キュアフランボワーズ、絶対に渡しちゃダメチプよ!」
チップの言葉に、キュアフランボワーズは「分かってるよ……」と、鬱陶しそうに小声で呟いた。
(どうしたらいいの、どうしたら海風さんは正気に戻るの?)
いくら考えても、解決策は浮かんでこなかった。
(ええい、もうこうなったら!)
キュアフランボワーズはキッと顔を上げると、ずっと逃げていたキュアオーシャンに、自ら近付いていった。
「え?」
驚くキュアオーシャンを無視して、キュアフランボワーズはつかつかと近付いていく。
そして、キュアオーシャンの手から、彼女のシャイニングストーンを奪い取ったのだ。
「か、返して!」
「返さない。あなたは今、自分がした事を後悔して、我を忘れてるの。いつもの冷静なあなたに戻って。それでもこれをあの人に渡していいと思うなら、返してあげる。でも私を巻き込むのだけはやめて。許してもらう事がそんなに大切な事なのか、もう一度考えて。」
「いつもの、私……」
キュアオーシャンは、水色の厚底ブーツを睨みながら、眉をぴくぴくと震わせる。
(いつもの私……いつもの、冷静な私…………許してもらう事がそんなに大事…………?)
頭の中で、キュアフランボワーズの言葉が繰り返される。
(ハートストーン……ハートストーンって、何だっけ……)
キュアオーシャンの脳裏に、砂嵐のような映像が映る。そこに時折現れる、色褪せた街の風景。
(ハートストーンは、私の、心……)
砂嵐に混じって映る、眠っている自身の姿。自室のベッドから起き上がり、無表情で窓から外へ飛び降り、変身していく。
(私、私…………)
キュアオーシャンに変身したところで、その映像はぱたりと止まってしまった。
(思い出せない…………思い出せないけど、でも)
キュアオーシャンは、いつの間にか閉じていた目をカッと開いた。
「ハートストーンは、渡しちゃだめなんだわ……!」
キュアオーシャンの呟きに、ラピスラズリは顔を真っ赤にして怒り出した。
「ふざけんな!ラピスラズリ――」
「そっちこそふざけんなだよっ!」
攻撃を放とうとするラピスラズリを、キュアフランボワーズが横から蹴り飛ばす。校庭の向こう側まで飛んでいくラピスラズリを無視して、キュアフランボワーズはキュアオーシャンの手を握る。
「やっと戻ったね。」
キュアオーシャンの手に、シャイニングストーンの感触が蘇る。
「……ありがとう。」
キュアオーシャンの目には、新しい涙が浮かんでいた。
「くそっ、くそっ、くそっ……」
ラピスラズリは瞬間移動を使って、キュアフランボワーズ達の前に戻ってきた。
「ハートストーンを寄越せ!じゃないとお前を許さない!絶対にだ、許さないからな!」
ラピスラズリは、腕を前に突き出して、狂ったように叫び散らす。それを見下ろしながら、キュアオーシャンは顔をぐしゃぐしゃにして歯を食いしばった。
「あんたなんかに許してもらわなくたっていい――私、よく分からないけど、あなたの事――――この上なく大っ嫌いだわ」
キュアオーシャンの両手から、真っ青な花びらが浮かび上がる。
「プリキュア、オーシャンジャスティス!」
真っ青な花びらは、光り輝きながら、ぶわっと一気に吹き出す。それはまるで細い竜巻のようになり、ラピスラズリの突き出された腕を飲み込む。
「痛っ!」
腕を拗られるような痛みに、ラピスラズリは思わず声を上げた。
無数の花びらは、ラピスラズリの全身を飲み込もうとする。それを悟ったラピスラズリは、何も言わずに姿を消していった。