アマロの詩
どうして人は歴史を捨てることができないのか。この問いに対する簡潔な答えを諸君は既に持っている。
即ち、歴史とは希望だからである。
今は過去を、過去は今を相互補完する関係にある。
数限りない文明の盛衰に見られる、いっそ愚かにすら見える人々の歩みの循環。歴史は、今を生きる私たちの存在により先人達が繋いだ生命を証明することで初めて歴史となる。
前置きが長くなったが、本題に入ろう。
惨たらしくも美しい歴史。
そんな最高の舞台を借りて、一人のヒモ男を踊らせてみよう。
ーーーーー
気が遠くなるほどの昔々に生まれ落ちた彼に与えられた物はアマロ・カジャタムという名前と、人呼んで「宵アマロ」と称えられる究極の愛の波動であった。
星の意思と原史閲覧特権を得て、アマロ・カジャタムという一人の存在は生まれた。宇宙のさらに外側、外宇宙の根源から生まれた純粋なるエネルギーといたいけな意思の残滓でできた存在が、完全無欠の肉体と不老不死の生命を宿した人型生命体として地球に降り立ったのである。
原史の地球は混沌と本能で構成されていた。人類の過去は、同時に神秘によって裏付けられた人類の未来でもあった。
ギリシアのゼウスを筆頭にしたオリンポスの神々、冥界と天界に挟まれた古の人の世界が広がるメソポタミアなど…数数え切れない神秘が当時の真理であった。
神秘を解き明かすために生まれた存在こそが魔術師や魔法使い、錬金術師であり彼らの存在は我々が思う以上に古く深い。
そんな古の神秘に於いても特に解明不能な存在がいた。それこそがアマロ・カジャタムである。
彼が最初に訪れたのは古の神々の世界であった。神々はこの美しい未知なる存在を受け入れ、永遠の繁栄をさらに揺るがぬものとしたが、同時に血を血で洗う稚拙な争いへと身をやつすこととなった。
悲しいかな、その原因こそがアマロであった。アマロの魅惑は魔術や神秘でさえも立ち向かいようの無いものであったがために、神々の中でも特段に美しい者たちが男女問わず、こぞってアマロを求めたのである。
中には妻と別れたり、夫と別れてまでもアマロを求める神も後を絶たず、最終的には彼らの仲を引き裂いたものとして恨まれたアマロを排除すべくオリオンを筆頭に多くの男神が立ち上がり、壮絶な戦争が始まった。
神々の加減を知らぬ戦争により人の世界では天変地異が数限りなく降り注ぎ、天界では瑕疵無き場所は無いとまで言われるほどに激しい戦闘が繰り広げられた。
寝ても覚めても終わらない戦争は終始あらゆる優れた女神と男神を味方につけたアマロの優勢で幕を閉じたが、あまりの破壊と混沌に心を痛めたアマロは間も無くオリンポスの宮殿から姿を消した。
アマロの自主放逐に天界の主神の殆どが涙し、美と優を誇る神々の多くが自ら命を絶ち、アマロの加護を司る守護霊魂となる道を選んだ。大笑いに笑ったのはヘラに捨てられたゼウスや冥界を去りアマロの元へ向かうことができぬと悟ると終わりなき自死を選んだペルセポネを妻に持つハデスくらいである。
この時既にアマロには逃れられない極美の運命が宿っていたように思える。
孤独に生きることが最上であると理解しつつも、彼もまた情あるもの。孤独の寂しさに殊更弱かった彼は次の寄る方を探して旅に出た。
アマロが次に向かったのは影の国であった。当時は神代とも呼ばれ、ありとあらゆる神々が各々の世界を多層構造的に統治しており、一種の閉鎖的な世界を有していた。本来ならば渡り歩けないそれらを、アマロは美という免罪符を用いて苦もなく渡り歩いた。アマロが進むところ、閉じられていた門扉は自ら開き、深い河川は一時干上がり道を作り、天の宮殿へ向かおうものならば雲が階を築く。神代に満ちていた神秘もまた、彼に魅了されていた者たちの一柱であった。
彼の二つ目の故郷となった影の国はスカサハという美しい女王が治めていた。彼女には異系の義妹がおり、その名をスカディといった。
この厳格で妖艶な姉妹との最初の謁見にて、アマロは自身の容姿を打ち明けないことを許してほしいと懇願し、その甘く雅な声に耳から脳髄を魅了された姉妹はこれを許した。
しかし、アマロが教訓を生かして陰ながらの悲劇を回避しようと努力した結果は、彼の願いとは真反対のものとなった。当時の影の国では偉大な英雄と称賛される若きクー・フーリンがいた。
彼は女王の命により、この声だけで彼女達を魅了してしまった稀有な存在をいかなる悪意からも守る任を与えられることとなった。
女王の密命は命より重いものだ。クー・フーリンはそこをよく理解していた。だが、それでもこの女好きはあの厳格な女王をも魅了した警護対象に強い興味をそそられ、その好奇心を満たすための行動に移すのにそう長い時間は掛からなかった。
彼の行動は奇しくもコノートの女王メイヴにより影の国へと戦火がもたらされたのと同時に行われた。結果的に、セタンタの暴挙はこの戦争にさらなる地獄をもたらすこととなる。
ビリビリと破かれ顔全体を覆うターバンが取り除かれた。現れたのは常人には見ることすらできない眩い黒曜石の後光を放つ青年だった。小さく美しい声で驚愕の嘆を漏らした彼。彼の美は周囲の耳目を全て釘付けにした。敵も味方も男も女もそこには見境がなかった。
そして、不運にも彼に心を鷲掴みにされた存在が双方の頂点にいた。スカサハと彼女の義理の妹スカディ、コノートの女王メイヴである。クー・フーリンもまた魅了されてしまったが、彼は自身の師匠であり仕えるべき主君スカサハの表情と、敵国コノートの女王メイヴの表情を目にしてアマロへの執着を上回る絶望を覚えた。
スカサハは瞳から光を消してメイヴを睨みつけ、メイヴは爛々と瞳を輝かせながらアマロだけを穴が開くほど見つめている。
それからの騒乱は筆舌に尽くし難い。先手を取ったメイヴの目も眩むばかりの打擲と、後手に回り全身全霊で槍を振るうスカサハの暴虐は互いを傷つけてもなお不満げに衝撃が迸り、周囲は穴だらけに変わった。
新たなる河川や山脈が幾つもできては抉り取られ、それが何度となく繰り返された。
決闘はメイヴがアマロを抱えて逃げに徹したことで一旦の終結となったが、誰一人としてその場にいたものはこの恐怖に未だ終わりが来ないことを理解していた。
アマロを手にしたものと、そうで無いものの境遇は明確に異なった。アマロと時を共にする権利を得た者はこの上ない幸福と満足を味わい、アマロの手を掴み損ねた者はこれ以上の底はないと思わしめる苦痛と苦悩と渇きを味わうことになる。それはもはや執着ですら生ぬるい、究極の歓喜と絶望を約束するものであった。
メイヴとスカサハの両人もまたその快楽と絶望から逃れることは叶わなかった。
勝者たるメイヴはまず、それまで自分と愛を交わした者、自分と婚姻を結んだもの、自分に欲情を抱いたものを国の境なく世界中からかき集めると先の順に一人残らず八つ裂き、斬首、去勢の刑に処した。たとえ年齢が十もそこらの青年であろうと、国一番の美麗人であろうとも漏れなく抹殺した。
彼女の過激な行動に怒りを覚えた民衆と家臣達は女王を諌めようと宮殿に詰め寄せた。しかしメイヴは臆することなく自身の傍にアマロを立たせて見せると、彼よりも価値あるものが果たしてあるべきか?と問いかけた。詰め寄せた人々は一目アマロを目にするや否や抑え切れぬ情動に身を任せて傅いた。彼らは女王の横暴に怒りを抱いていたことがまるで遠い過去のように思えてしまったのだ。
それからのメイヴは四六時中アマロと共に時間を過ごしたが、彼女は堕落することはなかった。アマロと共にいるメイヴの王権は日増しに強くなっていったのだ。
メイヴはアマロに溺れに溺れたが、決してアマロの失望を買いたいわけではなかった。アマロはもとより文化人としての高い知性を持ち、物言わぬ人形ではなかった。傲慢で恋多き女王は、それまでの自身の横暴や趣向などかなぐり捨てるかのようにアマロに夢中になった。夢中になることは即ち、政務へと人が変わったように精を出す名君へと彼女が生まれ変わることをも意味した。経済状況の目覚ましい向上から、民より上がる王とアマロへの祝福の声が響き渡らない日はなかった。
メイヴがアマロのことを見ているように、誠実なアマロは自身の獲得者である彼女を尊重した。女王としてのメイヴのことはもちろん、女性としてのメイヴからも目を逸らすことなく、あくまでも慈しみと愛を持って接したのだ。
アマロとはこの頃から聖杯以前から存在する神代の生ける神宝として尊崇されるようになった。
アマロへと日々愛を捧げる女王の治める国が栄華を極めんとする頃、アマロを失った影の国では女王スカサハの乱心が狂気に達していた。
スカサハの1日はアマロへの後悔から始まり、悲しみの淵で打ちひしがれては枯れた涙を補充するかのように葡萄酒だけを口にし、食事は喉を通らず、頼りない幽鬼の如き足取りで自らの国を端から端へと歩いて回りアマロを探す。疲れ果てて眠り、メイヴへの憤怒と憎悪に突き動かされて起床する。
スカサハの限界が近いこととは同時に、影の国に生きるもの達の悲鳴でもあった。賢き女王の最後の理性がいかなる犠牲をも厭わない暴威をもって隣国へと攻め入ることへの躊躇を振り切れずにいた。だが、それもそう長くは持たなかった。
アマロを手に入れたメイヴが彼の子を身籠もり幸福の絶頂にあった時、スカサハと影の国は絶望の根底にあった。そして、ついに影の女王は狂愛に身を任せると、アマロの失損以来姿を消していた義妹スカディをも動員してのコノートへの大侵攻作戦を開始した。
軍勢の先頭に立ちあらゆる敵を情け容赦なく滅殺して爆進するスカサハへの恐怖に対抗するように、アマロへの信仰心からくる勇気に突き動かされたコノートの民はメイヴを先頭に奮戦した。
コノートの人々の勇気とメイヴの愛はついにスカサハを倒したかに見えたが、憤激に燃えたスカサハの渾身の一撃により生まれた隙はスカディが身重のメイヴからアマロを奪うのに十分な時間だった。
スカサハはアマロとの再会に涙し、メイヴは絶望と憎悪をスカディとスカサハに向け、両軍は互いに混沌とした思いを抱きつつも軍を一度退いた。
戦後間も無くメイヴの出産にアマロは立ち会った。アマロとの再会はメイヴの怒りも憎しみも鎮め、アマロの背後に立つスカサハとスカディの腹が膨れていようとも怒りが湧くことはなかった。スカサハとスカディもまた彼女と同様に穏やかな表情で新たな生命の誕生を祝った。
その後、スカサハとスカディは影の国を、彼女達と共にメイヴはコノートを去った。伝説の国は一度時間の渦に巻かれてその役目を終え、再び王が戻ることを永い時間待つことになった。
莫大な宝よりも、絶対の愛よりも欲しいものを手に入れた。
勝者として一人の男を手に入れた三人の美女神と、三人の美女神を手に入れた一人の男。
四人の運命は永い時間を経て、神秘の終わりと共に一旦の終わりを迎えた。眩い運命の輝きは、一人灯火の護人としての道を選んだ事の発端であるセタンタ青年により記録された。
いつの時代も記録者の手で歴史上の人物の評価は決まる。
後世のものに許されるのは批判的憶測と希望的想像だけだ。
セタンタ青年はアマロの旅立ちの前後を以下の通りに記録した。
ーーーーー
スカサハとスカディ、メイヴはアマロとの間に儲けた子供を育て上げると穏やかな死を迎えた。アマロに看取られて三人は神としてではなく人としての命を終え、アマロは子供達が年老いて死ぬのを見届けると次なる世界へと渡った。
「宵のアマロ〜希望の巻〜」より
ーーーーー
最終巻である希望の巻を一思いに描き上げた語り部は神秘の消失に身を任せ、英雄が一人墓碑に名を刻んだ。
後世に得難いアマロの遺産をまた一つ遺して。
そして三柱の愛妻を看取り旅立ったアマロの行先は、果てしない海と二つの大河に育まれた肥沃の大地。そこで彼は偉大な母神との邂逅を果たした。