10黄金色の嫉妬 前編
「でも…子供が欲しいと言われても困ってしまうだろう?」
アマロの言葉に、ギルガメシュの頬を涙が伝った。
アマロの言葉は終わらなかった。
アマロはギルガメシュの若くしなやかな体を、ゾッとするほど優しい手つきで、その背中を撫でながら言った。
「ギル、ルガルバンダ殿との最初の会話を覚えているかい?私はね、昔昔の話だけれど、奥さんと子供がいてね、ある時、とびきり可愛かった息子を、ちょうどこの地で失ってしまったんだ。戦いで倒れてしまった。私は、大事な時に居合わせられなかったんだ…だから、それだけが心残りなんだ。」
ギルガメシュは、その幼い、愛らしさゆえに悟ったのだと言う。
己が愛したアマロは、きっと、「今」を全て自分のために、誓いを結んだ、獲得者であるこのギルガメシュのために捧げているのだと。
ギルガメシュは自身が、また大切なことを見失うようで、見失わずに済んだことに安堵した。
冥界はその冥界だけでは意味を持たないのだ。冥界は、冥界がなければならないという死者たちがいなければ、必要としてくれる者がいなければ成り立つことのない存在だ。
顧みられることもない、その冥界だけでは、何の価値も持たないのだ。死者達は死者である以上、どこかに行かなくてはならないと言うわけではない。
死者達は、冥界が選択肢としてあるから、そこに行くだけに過ぎない。冥界は、ただそれだけでは存在を許されていなかったのだ。
はたして、アマロは冥界なのか、或いは死者達なのか。
ギルガメシュは、少なくとも「今」アマロという存在を強く繋ぎとめている存在は自分に他ならないと知った。そして、自分には出来ないことを、アマロは唯一の望みとしている。ギルガメシュは無力感と、アマロの心の闇を知り、その救いとなりうるであろう子供を、自身ではどうしようもないことだと理解しているからこそ、他の手立てでアマロが望めるようにしようと、その全てを見通す瞳を駆使して愛しい人の心に深く突き刺さっている楔を探した。
ギルガメシュは思考の末に、アマロの心の片鱗を掴み取り、その根底にある懸念、妄執を嗅ぎ取り、言葉に当てはめた。
ギルガメシュは疲労感など忘れてアマロの両肩を、今度こそは偉大な熱を込めて押さえて「アマロ!!「美しい」だけでは、本質的に価値がないなど、そんなことは断じてないのだ!!!」と語りかけた。
アマロの心に波が起こり、ギルガメシュは畳み掛けるように「我はアマロがいいのだ!アマロは美しい!!それは間違いようがない事実だ!だが、こうして日々を共にする我には、アマロのその美しさだけが映っている訳ではないのだ!!もしも美しいだけなら、どうして同じ男であるアマロにこれほど莫大な想いを抱けようか!!!アマロ!!我はアマロの美のみを愛しているのではない!!アマロの全てを愛しているのだ!!!」とウルクの中心で愛を叫んだ。
「ふふふ!!ふふ!あははは!!!!」アマロは笑った。ギルガメシュは感情に名前をつける余裕など無かった。ただ、アマロの、花が咲いたような笑顔を見れたことに、ただ涙していた。ギルガメシュは何度でも思う。確かにアマロはあらゆるものと比べて絶対的に美しい。だが、アマロの魅力はそこだけではない。アマロは誰一人として、仲間外れにしようとはしないのだ。
常に伴にいて欲しいと頼めば、本当にそばにいてくれるように、全てを受け入れてくれる偉大な包容力がある。全てを受け止めて、それでも美しいからこそ、アマロを孤独な者達ほど、その身を削ることも厭わない覚悟で愛するのだ。
ギルガメシュは温かい涙を拭うと、爽快に笑うアマロの貴重な姿を目に焼き付けることにした。
「あははは!!!ギル!まったく、かわいいやつめ!ほら!良い子にはご褒美だ!!」笑い疲れたのか、アマロはしんみりと彼を見つめていたギルガメシュを目一杯抱きしめて全力で「接吻」した。
「〜〜〜〜〜!!!!………………」ギルガメシュは自分からするのと、して貰うのとでは全く風味が違うのだな、などと接吻の味の感想を思い浮かべながら今度こそ気絶した。
アマロとギルガメシュの関係は一つ進んだ。アマロは明るくなったが、その代償としてほんの少し、全くの無意識ではあるのだが、一々の所作が致命的な色気を伴うものとなった。
ギルガメシュは執務の最中も頻りに唇に触れる癖がついたが、それ以外は実に精力的に政務に励む良い王様になったと言えよう。
時折「ご褒美」が貰える日があるらしく、その日は唇を触る頻度が三倍になるとか何とか。
少なくとも、初めの一年間の治世は理想に近いものとなった。
ウルクの柱となった二人の間には以前よりも更に強固な絆が結ばれ、国は豊かに、アマロの笑顔が増えたことに比例して、国力が一年で二倍になった。
だが、何が不吉へと通じるかを予め知ることのできる道理は無いのである。
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黒曜石の希望とギルガメシュ王の治世が5年目を迎えた時、ウルクは前例のない豊かな国へと変貌していた。
その豊かさを描写するに、言葉は直接にその瞳に映すことを除けば最も雄弁である。
曰く、ウルクの地にて喉の渇きを癒したければ、汝は最も近くに流れる川の水を、そのまま飲むのがよい。喉に清涼な味わいが広がり、如何なる美酒も及ばぬ高揚を覚えるだろう。熱する必要は無い。例え、上流で、愚かな者が用を足したとしても、下流で口にするときは清涼な清水に生まれ変わるのだから。
曰く、薬或いは最も汁物に適した野菜を求めているのであれば、汝の足元に生える草本を見よ。逞しく、ウルクの大地から伸び出たその雑駁なる草めらを一株引き抜き、これを、泥を落とすことなく口に含むがよい。青々として水々しいこれら、名もなき草を食した途端に、汝はそのえも言われぬ旨味に驚くことだろう。さて、背に負いし荷を解き、これらから調理用の鍋を取り出し、これに先程の清水を入れ、更には草を一株或いは汝の好むがままに入れよ。そして、これを火にかけよ。草の株からは土や泥を取り除かぬことをお勧めする。極めて絶妙なる風味が楽しめる故。では、火は太陽神シャマシュの加護に焼かれる程度で、時間は三百歩上流から流した青葉が元いた場所にたどり着くまで、くらいで良いだろう。さて、出来上がったものを召し上がるがいい。野草味溢れる、刺激的な味わいが特徴的なこの汁物は、ウルクの麦と豆と共に煮ても美味である。言うまでもないが、これらの極めて初歩的な調理が施された珍味は、現在のウルクでは全くと言って良いほど供されておらぬ。理由は明白であり、飽食の如き有様であるからだ。草などを食う暇はないのであると言う。
曰く、ウルクの都には塵が全く落ちていない。我が知己によれば、ウルクの偉大なる王ギルガメシュと並び称される大神官アマロ様の御業によるという。
ある時、アマロ様はギルガメシュ王と伴に民と触れ合われた。その際にアマロ様が「埃っぽいね。」とおっしゃられて。次の日から、ウルクの街には埃なるものが全く湧かなくなったのだと言う。信じられぬ話だが、もっと信じられぬのはウルクで最も貧しい者たちは、三日に一度しか肉と香辛料を食うことができず、二階建ての十部屋しかない家にしか住めぬもの達のことを指すという話だ。全く眉唾であると思っていたが、先日世話になった時は一階建てで一部屋しかなかった家に住んでいた知己の者が、今日には二階建ての、他の国では長者者にしか許されまい生活を送っているのを知り、考えを改めざるを得ないと断ずる。
ウルクは豊かになった。同じ時代のどのような国よりも、どのような地域よりも、遥かに豊かな国となったのだ。二十を数えるギルガメシュ王とアマロ大神官により、偉大なウルクに影が指すことは全くもって想像もできないことであるが、しかし、ある時に王と大神官の元に、極めて難儀なる一件が舞い込んだのである。
ある所に、最も美しい女がいた。女の名前はシャムハト。神聖なる巫女として、王に仕える立場であった。
シャムハトはある新月の夜を境に、その美貌を、言葉に出すも悍ましい姿に変えられてしまった。
新月の翌朝、共に励んできた巫女達や、衛士達、廷臣達に追い立てられて王の宮殿を追い出されたシャムハトは、足取り不確かにウルクの町を彷徨った。
ウルクの人々はこの悲劇の女を憐れむこともなく、感じるがままに罵声を浴びせた。
シャムハトは宮殿から延びる大通りを真っ直ぐに進んだ。最初に通ったのはウルクでも特に豊かな者たちが暮らす、大きな屋敷が立ち並ぶ通りであった。
豊かな者達は子供達へ「あれは汚れた獣に違いない。いいかい、お前達はウルクに生まれた立派な民なのだから、決してあのように醜い姿を見てはいけないよ。目から腐ってしまうからね。」と冷ややかになじった。シャムハトは目を伏せて足速に歩いた。
次に通ったのは毎日上質の麦と豆を食べて暮らせる者達の家が立ち並ぶ通りだ。
暮らし向きの落ち着いているもの達も、「気持ちの悪い獣め!お前のようなのがどうして生まれてきたんだ!!さっさと飢えて死んでしまえ!!」と酷い言葉を投げかけた。
最後に通ったのは宮殿から最も遠く、数日に一度しか肉を食べることのできない貧しい者達の暮らす二階建ての家が立ち並ぶ通りであった。
遂には貧しい者達も、「おぉ、なんと醜い。いつまでそこにいるつもりなのか、我々も忙しいのだよ。醜いお前さんに慈悲をかけてはやれんのだ。」と嘲笑した。
最も美しい女として生きてきた彼女は、経験したこともない罵詈雑言の雨に貫かれ、心が殺されてしまったように感じた。
この世で最も醜い姿に変えられてしまったシャムハトは絶望しそうになったが、家族のいる家に向かってひたすら歩き、家の戸を叩いた。
戸が開き、父と母が出迎えてくれたかと思えば、二人はシャムハトの姿を見ると「お前が噂の化け物だな!!このウルクにどんな災いを持ってきたのだ!!早く消えてしまえ!!」と途端に酷い言葉をかけられた。
シャムハトは必死に「違うの!お願い気づいて!お父さん!お母さん!私よ!あなた達の娘のシャムハトよ!!」と訴えた。
身振り手振りをつけて必死に訴えたが、彼女の思いは伝わらなかった。容姿が醜いだけでなく、喉からは耳障りな呻き声しか出せず、シャムハトは実の父と母が呼び寄せた王宮殿の衛士達から、棒で滅多打ちにされて、近くの川へと投げ捨てられた。
エンキドゥの揺籠を着々と構築して参ります。