12黄金色の渇望 前編
アマロに手を引かれてギルガメシュとシャムハトが凱旋した。
怪物が死んだと思っている、気持ちの小さい、強く耳に刺さる言葉を好む民達は、狂ったようにこれを祝った。
ある人が言って曰く、「偉大なる王は怪物を倒し、慈悲深い大神官はこの世のものとは思えない美女を救い出した。」
この話はウルク中が、実りに感謝して、その実りを、倉に堆く積み上げるために、誰一人として昼に眠るものがいない季節になるまで、そして、その季節が終わった後に再び、他のどんな噂話よりも好まれて、人々の口から口へと行き来した。
アマロはあまりこの噂を好まず、ギルガメシュは好むとも好まずとも無く、シャムハトは全く聞く耳を持たなかった。
一度、全員で王宮殿にたどり着いたギルガメシュとアマロ、シャムハトは、互いにすべきことが何であるか、その順番は何であるのかを確認した。
ギルガメシュは、「シャムハトよお前はまず長く空けてしまった家に帰り、家族に無事を伝え、そして家の仕事をよく手伝ってから、それでもまだ我のアマロに仕えたければ、その時は王宮殿にくるがいい。」と言って、アマロは「私とギルガメシュは、第一に、ことの顛末を説明して、そして怯えている狩人達を安心させなければいけない。」と続け、シャムハトは、「畏まりました。では、また明日、シャマシュ神が完全に体を起こされましたら、王宮殿に、こちらに伺いたいと思います。」と締めくくった。
アマロは「気をつけて行きなさい。もしも困ったら、いつでも私を頼りなさい。」とも言い、ギルガメシュは「アマロの頼みであれば、シャムハトよ、お前を再び巫女として受け入れよう。」とも言った。
シャムハトは、「偉大なる王と、愛おしいただ一人の御方の慈悲に心から感謝を。」と応えたが、「しかし、私は二度と巫女に戻る気はございません。私は、この心と、この肉体を、アマロ様のためだけに捧げると、そう固く誓ったのです。」と付け加えた。
シャムハトが王宮殿から出ていくと、アマロとギルガメシュは、狩人達の心を安心させ、そして民に怪物は倒されたが賢きものであり、王の友となったのだ、と説明した。
民と狩人達は「野獣をも友にした、懐深き我らが王よ!貴方は英雄に違いない!!」と声高らかに叫んだ。
ウルクの民は、また一晩を通して大いに騒ぎ、そして次の日の、シャマシュ神が体を起こし、その背を伸ばす頃に働き始めた。
王宮殿を出た後、シャムハトは父と母と共に暮らしていた家へと向かった。
王宮殿から続く大通りに沿って、シャムハトは真っ直ぐに進んだ。
シャムハトはまず、豊かなもの達が、その富に任せて立派な館を連ねる、王宮殿から程近い通りのを通った。
豊かな者たちはシャムハトの美しい姿を見て、「おぉ、子供たちよ、お前たちもあのように、美しいウルクの女や、逞しいウルクの男になるのですよ。あの美しい方は、きっとさぞかし祝福されて生まれてきたに違いない。」と口々に、シャムハトの容姿や所作を褒め称えた。
シャムハトは次に、暮らし向きが貧しくない、上質な麦で作られたパンを毎日口にできる者たちが家を連ねる辺りを通った。
心に余裕がある、偉大な王が魔物を殺したという話の方を好むもの達が、「おぉ、なんと美しい!見よ!やはり、王がその手で怪物を殺し、そしてその怪物から奪い返した美女こそ、あの御方に違いない!あの方はウルクの宝である!」と酒の杯を掲げて言い合った。
シャムハトは最後に、ウルクの中では最も貧しい者達が住まう通りを通った。
ウルクで暮らしているにも関わらず、数日に一度しか肉と香辛料を口にできないと嘆く彼らは、「おお、貧しい我らにはあまりに勿体ない。なんと美しい御方なのだろうか。一度でいいから、お声を聞いてみたいものだ。」と家の中や、路地の陰から出ることなく、日頃の不満も忘れて言い合った。
シャムハトは家に着いた。
シャムハトが長らく空けていた家は、他の、見知らぬ誰かのものとなっていた。
シャムハトは戸を叩いて、「もし、ここにお住まいであった老夫婦をご存じではありませんか。」と、扉を開けた穏やかな顔つきの、身なりの貧しくない男に尋ねた。
男が言って曰く、「あぁ、すまないね、隣の方ならご存知であろうけれど、私はここに住んでからそう長くないのだよ、申し訳ないけれど、前に住んでいた人のことは知らないよ。」と言った。
シャムハトは「そうですか、えぇ、そうでしょう。」と言い、家の前から足早に去った。
シャムハトの境遇を憐れんだギルガメシュは、シャムハトに、ウルクで、最も素晴らしい所で暮らせるようにする、と言った。
シャムハトは素直に感謝して、この申し出を受けた。
ギルガメシュは、民にこの国で最も素晴らしい所は何処か、と聞いた。
民は「王よ、最も素晴らしい場所は、最も美しい場所です。」と口々に言った。
ギルガメシュは「では、何処が最も美しいのか。」と問うた。
民は「貴方様ほど、その美しい場所をご存じになっている方は、他におりません。」と答えた。
アマロの神殿が完成したのはこの頃のことであった。
ギルガメシュはアマロの側に、シャムハトを呼び寄せて、アマロが穏やかに暮らすこの神殿で暮らせるようにしてやり、シャムハトは感謝した。
だが、ギルガメシュはシャムハトの感謝を受け入れなかった。
ギルガメシュが言って曰く、「シャムハトよ、お前が神殿に暮らす事は許そう。だが、それは我が約束を果たしたに過ぎない。」
しかし、シャムハトもまたギルガメシュにどうか感謝を受け取ってほしいと言った。
シャムハトが言って曰く、「王よ、賢きギルガメシュよ、英雄よ、貴方様が私を好まれていないことも、約束を果たすことに哀れみ以外の想いを源としていないことも、私は重々承知しております。しかし、貴方様が知恵の神エンキの加護を受けているように、私にも、貴方様のお心の具合を、僅かばかりにも知ることができます。」
ギルガメシュは、「我の何がわかると言うのだ。」と言った。
シャムハトは之に、「私は十年もの間、ウルクから身を隠さねばなりませんでした。その間に母と父は天に昇り、私を知るものは誰一人としておりませんでした。だと言うのに、ウルクの民は私の美を、知りもしない、十年もの間、ウルクにいなかった私のことを、ウルクの至宝であると、美しい人であると、そう口々に言いました。私のことを覚えているものが誰もいないウルクで、貴方様は、過去の、巫女としての私を、例え噂話を耳にしただけど言っても、私を覚えていらっしゃいました。そのことに、私は感謝申し上げているのです。」と答え、ギルガメシュに最高の礼儀を払った。
ギルガメシュは穏やかに息を吐き、シャムハトを許すことを決め、この、賢く、また思慮深い巫女が、恐らく、アマロの心の、その奥にある、命を奪われてしまった、死を見届けられなかった、己の子供への愛苦を、その美貌と、賢慮を用いて、救ってみせることができるだろう、と思った。
ギルガメシュは不本意であった。最初にこのウルクの地で、アマロと出会い、アマロを愛して、アマロに愛された、自分ではない、或いは、自分にはない力を持ち、その力で自分の愛しい人を救うのが、この女であることに。
ギルガメシュは、己には無い、シャムハトの、その容姿を、その血を、そして女としての肉体に、生まれて初めて嫉妬したのだ。
ギルガメシュは、シャムハトに問うた。
ギルガメシュが問うて曰く、「シャムハトよ、賢き女よ、逞しき巫女よ、貴様はアマロを、我の愛しい人にその身を捧げるのだな、ならば、もしそうであるなら、貴様は子供を、アマロが愛することのできる子供を産めるのか。」
シャムハトは答えて曰く、「アマロ様が望まれるように、私も望んでおられます。私は貴方様の許しを得ずとも、アマロ様が望まれれば、その御子を産んで差し上げます。」
ギルガメシュは怒ることなく、沈黙して、その話の続きを促した。
シャムハトは続けて曰く、「しかし、アマロ様の心を慈しみ、最もアマロ様が慈しまれている方が、他ならぬ貴方様が、私があの方の御子を産んで差し上げることを、心から、私に許されれば、私はアマロ様の御心だけでなく、必ずや、お許しになった貴方様の御心にも、喜びと祝福を届け、失望と悲しみを決して届ける事は無いと、そうお誓い申し上げます。」
ギルガメシュはシャムハトに、アマロと共に神殿で暮らすことを許した。シャムハトは感謝して、ギルガメシュはシャムハトの感謝を受け取った。アマロは、愛するギルガメシュと、心惹かれるシャムハトと、これからは神殿に3人で共に住むのであると知り、心からこれを喜んだ。ギルガメシュとシャムハトも、咲いた花が霞むような眩しい、アマロの笑顔に、顔を綻ばせずにはいられなかった。
神殿の前には、毎日多くの民が集まり、美しい王と、美しい大神官と、美しい巫女への礼讃の歌を贈った。王はこれを許し、手を振り返し、大神官は微笑んだが、巫女だけは怏怏として楽しまなかった。
それでも、ウルクに君臨する三人の美人により、その繁栄は更に強固なものとなり、民が彼らへの称賛を一日として叫ばぬ日はなかった。
神殿に暮らし始めてから、暫くが経ち、王の家臣達は王に、王の宮殿で世の諸事を司るように懇願した。
ギルガメシュは、アマロと、そしてシャムハトと共に宮殿の、王の間で、国の大事に裁可を下すようになったが、ある古くからの習わしを重んじる廷臣が、自らの懸念を王に進言した。
廷臣が王に言って曰く、「王よ、偉大な王よ、賢きギルガメシュよ、貴方様は、どうしてそのように一度巫女としての立場を追われた者を、豊かとも、貧しきとも知れぬ、魔物に狙われたような女を、神官殿と同じように重用なさるのですか。王は、我々を信じられぬのですか。王は、我々、古くよりの廷臣が申し上げても、毅然としておられます。女、シャムハトの言ったことにも、王は毅然としておられます。しかしながら、王は、女シャムハトの言葉を、大神官様がお褒めになると、そのお言葉を、ご自身のお考えに優先されます。それでは、全く何方が王として、このウルクの大事を、真に司られているのか、我々にはわかりません。」
ギルガメシュは、この古くも、全く然りである陳言に、頭を悩ませた。
ギルガメシュは、王として、一度、どうしても誓いを解かねばならないのでは無いか、と苦悩した。
その苦悩は、シャムハトが、自ら遠方の杉の森へと向かうまで止まなかった。
ギルガメシュは、シャムハトの深慮に感謝したが、愛して止まないアマロの、その美しい顔に翳りが見えたことに、この世で最も深い海よりも更に深く衝撃を受け、心を掻き乱されたのである。
ギルガメシュは、全く、信じ難いことに、自らがシャムハトの遠出に対して深い安堵を感じていることに、その聡明な性質から、気づかずにいられなかった。
王の苦悩は、ウルクの豊かさが、今に頂に達したことを伝えるものであったと、そう、後の世の、全ての賢き者達が語った。
この時、ウルクは夢物語の中でも聞いたことのないような、太陽を月に変えてしまうような、大変な豊かさを享受していた。
曰く、糧を得るために種を植えれば、どのような場所からも、素晴らしい実りが得られる、と。
曰く、水は清く、例えどのように汚してしまったとしても直ぐに、以前以上の清らかさを手に入れる、と。
曰く、天はウルクに住む、全ての幸運な者たちに甘美に囁くために、そこに住む民の声に、苦しみと悲しみの声が混じる事は、他の国々が旱魃や飢えに苦しむ時でも、僅かにも無くなった、と。
ただ、その豊かさの根源には、唯、黒曜石の希望がその心豊かに、愛情に満ちた息を吐き出していることによって、その全てがなされているのだということを、神々の中でも、最も古いものたちだけが知っていた。
だが、殆どの者たちは、過去に、かの偉大な、神々の王であり、人間の王であったマルドゥーク王が、その素晴らしい治世の末に、人間の力を甚だしく高め、結果として神秘を欠いたことで、老いて衰えて死んだ事を何よりの証拠であるとして、人間の力が神々の恩寵を超えて、自分達を豊かにしたのだと、そう確信するようになっていた。
ギルガメシュは賢く、知恵と水の神エンキから与えられた、全てを見通す瞳を頼りに、この言葉に尽くせない、語るも烏滸がましい過信により、昨日まで何より信頼を置いていた、聡い家臣たちまでもが、得体の知れぬ大神官を、自らの寵愛するアマロを、その素性の確かからぬ、或いは艶美に過ぎるのを根拠に、王の側に侍るべきではないと、その、アマロの美しささえも分からぬほどに曇った心に任せて放逐する様に進言し出すのもまた、時間の問題であると理解してしまった。
シャムハトが杉の森へと向かった晩、寝台の上の人であるギルガメシュは、常に共にあるアマロに、その夜着を着崩した逞しくも、均整のとれた美しい体を預けて、その心に溜まった悲哀と忸怩たる思いを、その根底にあるアマロへの想いと共に、受け止めてほしい一心で打ち明けた。
ギルガメシュが語って曰く、「アマロよ、我はお前のことが愛しくてならぬ。だが、それは決して、お前が我と、我の治めるウルクに恵みを齎す存在だからのみではない。我は、アマロのことを、その全てを、心から慕っておるのだ。だが、我が守るべきウルクの民は、必ずしもその者たちの全てが、我と同じ心を共にすることはないのだと、そう、我は理解した。我は怖いのだ。いつか、我が心を尽くして、お前と共に築いた、ウルクが、その豊かさ故に、愛すべきお前を我から遠ざけることが。」
アマロはこれに答えて曰く、「ギル、君は王様だ。私は、決して、一度として君から与えられた全てを。君から贈られたあらゆる物を、その一つとして私にした事は無いと誓うことが出来る。いや、君と常に共に生きてきたのだから、君がそのことはよく知っているはずだよ。ギル、私はね、もしも君の愛する民たちが、君を讃えて、讃えるが故に私を追いやってしまいたいと、そう思うのはおかしい事ではないと、そう思うんだ。」
アマロの言葉に対して、ギルガメシュは目を怒らせ、泣きそうな顔で憤慨して言った。
ギルガメシュが言って曰く、「言うな!そのようなことを、我の前で言うな!アマロよ、我の伴侶よ、お前が例え冗談だとしてもそんなことを言うことが、我は神々の怒りを前にしても、断じて、断じて許容できぬのだ!だから、二度とそんな言葉を我の前で言うな!まるで、まるで我の前からいなくなることを受け入れると、そう言っているようではないか!」
ギルガメシュは食いつくようにアマロを羽交締めに抱き締めた。アマロは穏やかに微笑んでこれを受け止め、一方で少しばかりむくれてギルガメシュと目を合わせて言った。
アマロが言って曰く、「ギル、ごめん、ごめんよ。だけどね、私は一度として君から離れるなんて言っていないだろう。私はね、ギル、君の側から居なくなるつもりはこれっぽっちもないよ。ただ、民が望むと言うなら、私が今与えられている神殿も、大神官という地位も、全て私には過ぎたものとして君に返してしまって構わないと、そう言っているのさ。だからね、君が一声かけてくれば、そうしたならば私は召使いにでも、何にでもなって君の側にいるとも。」
アマロは、透き通る笑みでギルガメシュのささくれだった心を穏やかに変えてしまった。ギルガメシュは甘えたように抱きついたまま、すっかり安心して、アマロの膝の上に頭を乗せると直ぐ様に眠りについてしまった。
次の日に、ギルガメシュは民へと宣言した。
王が言って曰く、「大神官の位は今日をもって禁ずる。王の側に侍る者として、我が友として、ここのアマロを任ずる。アマロは、その慈悲によって偉大な神殿をこのウルクの民へと返還することを欲した。我はこの想いを汲み、我の民にこの神殿を与えるものとする。この神殿は民が学ぶための場として、いついかなる時も清潔を保ち、学舎として、ここで慎みをもって多くを学ぶのだ。」
民はこれに喜び、アマロの慈悲に感謝した。廷臣たちはすっかり安心したり、或いは企みの用がなくなったと喜び、または自分達の王が思慮深く民を最も大切にすることを称賛した。
アマロはギルガメシュと、これまで以上に共に過ごし、共に寝起きし、共に食べ、共に笑い、共に泣いた。
それはまるで初めてウルクに来た時の二人のようであった。
ただ一つだけ変わった事がある。それは、二人で一つだけ誓いに例外を作った事である。それは、互いのためであり、ギルガメシュが王として振る舞うことに迷いを生ませないためであった。
不別の誓いに曰く、「ギルガメシュが王として振る舞わねばならぬ限り、アマロはギルガメシュのそばを離れなければならず。ギルガメシュは王としての務めを果たさねば、アマロと共にあることができない。」
言い出したのはギルガメシュであり、それはアマロが他ならぬウルクの民により、その心と体の安寧を脅かされることを何より恐れたからである。アマロは、そんなギルガメシュの不安と配慮をよく悟り、これを受け入れた。