運命のヒモ男《ヒモ・ファタール》   作:ヤン・デ・レェ

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感想ダンケなっす!!力が漲ります。では、どうぞ。


14黄金色の渇望 後編

14黄金色の渇望 後編

 

 

 

 

天界に帰るのが遅くなったイナンナを怪しんだ父のアヌ神は、娘が人間達の世界で何をしていたのか、周りの神々に聞いて、シャムハトがあまりに気の毒だと思ったが、自分に身近な事柄には頗る鋭いイナンナはこの、自身に比べると温厚な父である主神に対して「父上!!私の婚姻を邪魔したらただじゃおかないから!」と機先を制して脅迫したため、アヌは何もシャムハトに報いることができなかったのである。

 

シャムハトは嘆きと安堵で足腰が立たず、それでも歩いて宮殿に辿り着いた。昨日のことはイナンナ神に体を奪われていたこと以外は覚えていなかった。ただ、フンババの存在は彼女が人間の王と主人に伝えるべき事柄として記憶から離れることはなかったのだ。

 

宮殿にたどり着いたシャムハトは衛士や巫女を押し退けて、必死に王とアマロの元に走った。しかし、緊張が解けたからか、或いは疲労が限界に達したのかはわからないが、シャムハトは体から力が抜け落ちていく感覚に逆らえず、意識の暗転と共に倒れ伏してしまった。

 

突然倒れたシャムハトを見守るばかりで触れることが憚られていた宮殿の者達。彼らの人だかりを見つけたのは、奇しくもアマロであった。彼は王としての務めを果たさんとするギルガメシュの志を受け入れて、一時、独り切りで、王の私室で半日を過ごしていた。彼はギルガメシュへと丁度、シャムハトに会いたいから外出を許してくれるように願い出に行くところであった。

 

人集りに、「どうしたのですか?」と声をかけるアマロ。宮殿に務める者達はこの美人が、黄金に比べるのも烏滸がましいほど、絶対的な寵愛を王から受けていることを存じていたし、何より目の前に倒れ伏してしまっている美しい、かの女人のことを任せてしまうには最適であると思われたために、彼女が突然に倒れ伏してしまい、しかとてその美貌に触れることは憚られて困っているのだと懇切丁寧に説明したのであった。

 

アマロは倒れ伏すのがシャムハトであると気づくや否や、平時には決して見せない驚きと焦燥を露わに、飛び跳ねるような勢いで、彼女の体を仰向けにして、これを横抱きにし、声をかける時間も惜しいと慎重な駆け足で王の私室へと向かったのである。

 

 

 

 

王の私室はギルガメシュの不在時は、つまりは昼間の時間、アマロの私室でもあった。アマロの数少ない私物である、使い古した獅子の毛皮を加工した毛布を敷いて、その上に二人で眠っている寝台に、アマロは目を瞑ったままの、顔色の悪いシャムハトを横たえた。

 

シャムハトは形の良い眉を歪めて、苦しそうに声を漏らしては、じっとりと汗もかいていた。アマロは自分が会いに行こうと思っていた相手が、一人宮殿に来ていたことも、ましてやその廊下で倒れていることにも驚き、そして自分が穏やかに過ごす間に自分の大切な者が苦しんでいたことに言葉に尽くせぬ恐怖を感じずにおられなかった。

 

いうなれば、彼はその人生における最大の苦痛と言っても過言ではない我が子キングゥの死を想起したのであった。どれだけ心からの愛を捧げていても、命ある者には必ず最期が与えられる。それは、アマロには理解できぬ恐怖にも繋がるものだったが、同時にアマロには決して味わうことの出来ない安寧でもあった。終着のない旅を歩む彼にとって、愛とは唯一の心の支えであり、己の生への答えでもあった。

 

しかし、いや、だからこそ彼は愛する者の死をその目に焼き付ける。自分のような存在を愛してくれる者に、与えられた以上のものを返せるとすれば、それは愛だけなのだから。最初の一息から、最期の一息までを自分だけは見届ける。それが、アマロという一人の漢の覚悟だった。

 

あなたがどんな裏切りに遭おうと、私だけは決して裏切らない。

 

あなたと共にいることでどれだけの苦難に見舞われても、私だけは決してあなたの元から離れることはない。

 

あなたが私にどれだけの不条理を働こうとも、私はそれらを全て受け入れよう。

 

あなたが私のことを必要としなくなったとしても、私だけは永遠にあなたのことを愛し続けよう。

 

あなたがこの世界に生きる全てのものから忘れられたとしても、私だけは永遠にあなたを覚えていよう。私だけはあなたを決して忘れない。そうすれば、あなたが忘却の孤独を味わう必要なんて無いのだから。

 

万年変わらぬアマロの真理において、愛する者の死は、その生と同等に決して譲れぬものなのだ。例え、誰がなんと言おうともその生と共に生きる。例え、何億年経とうともその死を忘れない。

 

だからこそアマロは苦痛と後悔に胸を灼き焦がし、死を見届け損ねた愚かな自分を責めるのだ。愛子キングゥの想いに添い遂げられなかった己を忘れてしまいたいほど憎んでいる。そして、己への憎しみに負けないほどに、愛しいキングゥに今一度会いたいと、今度こそ君に逢おうと、その想いを受け入れたいと願って止まないのだ。

 

シャムハトはキングゥではない。そのことはよく分かっている。誰よりも理解していると言っても過言ではない。全く違う二人だが、その姿形は少しも違わないのだ。それに、シャムハトがアマロに向ける想いの中には、感謝と忠誠という慣れない感情の他に、あの子と最後にあった時にも嗅いだ覚えのある、間違えようもない甘い香りが混じっているのだ。

 

アマロはその香りの持つ意義を妄想せずにはいられず、妄想だと分かっていても堪らなかった。

 

まるで、キングゥの慕情がそのままに、我が子が手にできなかった女体を獲得して舞い戻ってきたように思われてならないのだ。シャムハトがその胸の内に、隠せないほどの莫大な想いをアマロに募らせているのと同じように、アマロもまた、ギルガメシュへのこれまた強い想いとは別に、一種の暴力的なまでに澄み切った盲目な想いを彼女に抱いているのである。

 

シャムハトに添い遂げられなかったことを考えただけで、アマロは全身を氷柱に封じ込まれるような気持ちだった。意識のないシャムハト。アマロは彼女にただじっと寄り添い、その険しい顔を少しでも和らげようと必死で介抱した。恐ろしい夢にうなされているのか、苦しそうに呻く彼女の頬を涙が伝えば、母猫が子猫の垢を舐めとるように舌で掬い取り、シャムハトの額に浮かんだ脂汗を濡らした布巾で拭った。

 

熱はないが、夜通し走り続けた彼女には、その肉体に活力を与えるべき良質の糧が足りなかったのである。疲労と睡眠不足、そして怨恨深い女神に肉体の主導権を奪われたことへの、精神の急激な過負荷は彼女の体に当然の休養を要求したのである。

 

アマロの介抱はさらに続き、ウルクに昼食の時間がやってくる頃にやっと意識を取り戻したのだった。

 

 

 

 

意識を取り戻したシャムハトに気づいたアマロは雨に濡らされたように泣いた。シャムハトは疲労が抜けず、しかし最後の記憶をたどり自らが倒れ伏してしまったことを悟った。そして、その介抱を生涯尽くそうと誓った相手にさせてしまったことも。その相手にこの上なく心配をかけてしまったことも、同時に悟ったのだった。

 

恥いって頭を下げようとするシャムハトを制して、安静にして欲しいと、その持ち前の美貌にむせかえるような憂いを帯びさせて諭すと、アマロは「何か栄養のある物を貰ってくるから無理せずに寝ていてね!」と珍しく強い口調で言い残してから、厨房へと向かうため王の私室を後にしたのだった。

 

 

 

 

一人で王の寝台の上に残されたシャムハトは、言いつけを守らねばと思いつつ、これ以上は心労をかけたくないという思いの葛藤もあり、僅かな時間を安静の状態で過ごすと、慎重に体を起こした。

 

シャムハトは己が野獣フンババのことを王と主人に伝えるために駆け続けたことを忘れていない。しかし、アマロにより介抱を受けた、という事実はフンババのもつ危険以上に、聡明なシャムハトの思考の余白を賭すに足ることに違いなかった。

 

 

 

 

愛しい人を想い浮かべる内に、シャムハトは喉が酷く渇いていた。部屋の中で目を迷わせた。シャムハトは吸い寄せられるように、寝台の脇にある水瓶に近づいた。器を探そうとして、布の被せられた物を見つけた。布を除くと、それは金の杯だった。シャムハトは金の杯に水瓶から水を注ぎ、これを呷った。

 

冷たい水は彼女の喉を癒した。安堵の吐息を吐いた彼女の脳裏に、またもやアマロへの想いが浮かび上がってきた。

 

賢いシャムハトは、アマロが自身を大切に思ってくれていることを知っているのと同時に、自分の肉体の裏に、自分以外の誰かの影を見ているのだということも勘付いていた。その点について彼女は何ら恨みには思わず、また不安も抱かない。盲目なまでにアマロへの信頼と、例え裏切られてもいいという思いがあったからだ。

 

だが、シャムハトはアマロへと尽くしたいという思いから、また王から問われたアマロの御子についての話への答えからもわかるように、決して愛されるだけで満足しているわけではなかった。彼女はアマロの心の深くにある傷を癒そうと、そのために出来ることは全てしようと、並々ならぬ覚悟でいたのである。

 

故に、彼女は日頃アマロへと祈りを捧げる時と同じように「どうか、彼の方の心を救えますように。」と願ったのである。

 

彼女の言葉は、最初に掬った水を飲んだものを、願った姿に一晩変えてくれるという金の杯によって実現された。

 

救うものが何者なのか彼女は知らなかったが、彼女の体に流れているその血は間違いなく答えであった。金の杯とて、曲がりなりにも強大な神イナンナにより与えられたものであり、願い手の祈りを聞き届けるくらいの度量はあったのだ。

 

体が光り輝いた。

 

光が収まり現れたシャムハトの姿は、しかし全く変わっているようには見えなかった。瞳の色は紫に、声は少し低く変わっていたが、その二つ以外に関してはシャムハトのままであった。

 

彼女の姿が変化してから間も無く、アマロが帰ってきた。

 

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