15黄金色の歓喜
シャムハトは自身を介抱してくれたアマロに「貴方様のお手を煩わせてしまい申し訳ありません。心から感謝を。」と深々と頭を下げた。
だが、アマロから言葉が返ってくることはなく。変に思ったシャムハトは頭を上げ、主人の顔を伺った。
シャムハトが目にしたものはポカンと口を開けたまま、目を瞠るアマロの、見たこともないほどに驚いている顔だった。
シャムハトの顔を目にした彼は驚きを更に強めた。手は震え、果物がいくつか乗せられている銀の盆を手から落としてしまった。
そして、石床に銀の盆が落ちるけたたましい音が響くより前に、シャムハトは気付けばアマロによって押し倒されていた。
シャムハトが驚き何かを言うより先に、アマロが「あぁ!キングゥ!私の可愛い子!!もう二度と逢えないと思っていたのに!!いいや!例え幻でもいい!!もうどこにも行かないでくれ!!」と叫び、声を上げて泣き出してしまった。
困惑したシャムハトは、自分がキングゥではないと説明しなければ、と思ったができなかった。声を出そうとした途端に、彼女の体が火照り始めてしまったのだ。何事かと思えば、身体を自らの肉体に押し込めるように逞しい抱擁を続けるアマロの体から、馨しい薫りが立ち昇るように発せられるのが幻視された。驚きの光景を目にするのと同時に、自らが息苦しそうに忙しなく息をして、その薫りを求めていることにも自覚してしまったのである。
シャムハトは体に幸福が食い込む様な錯覚を覚えた。目は端からとろりと溶け落ちそうになり、身体からは力が抜けていくというのに、反対に目の前の相手にしがみつく力は無理矢理に振り絞られた様に強まっていく。先程潤したはずの喉は渇き切り、そこではじめて無意識に忌避していた、自分を覆うアマロと瞳を合わせた。
日頃の穏やかな姿からは想像もつかない、凶暴な二つの瞳がシャムハトを射抜いていた。シャムハトは体の芯が真っ赤に燃える鉄におきかわったように感じた。彼女の体の最も奥深くが疼いていた。
アマロは「キングゥ…私は覚悟を決めたよ。あの時は受け止められなかったけれど、今なら君を受け止められるよ。私は君と心の底から愛しあえる。」と言うと、無抵抗のシャムハトの唇を激しく奪った。
渾身に漲る愛情を全力でぶつけるという前代未聞の口撃にシャムハトは頭の中を一瞬で沸騰させ、その熱は彼女の冷静であった部分も蒸発させると、その柔らかく豊満な肉体に準備命令を発した。力強く押しつけられていた唇が離される。ふるるとシャムハトの艶やかな口唇が動いたかと思えば、彼女の舌先が蛇の様にちろちろと顔を出して揺らいだ。空を掻き混ぜ、その寂寥を慰めてくれる相手を探していた。
平時の自らの声より幾分低い声で、「どうか…私を抱いてください。」と口をついて出た言葉に、他ならぬ言葉を発したシャムハト自身が驚いていた。だが、不思議と言葉を訂正する気など微塵も湧き上がらず、それところか彼女は身体を寂しげにくねらせたり、脚を目の前の主人の腰に回すことに忙しかった。両手は既にアマロの背中に回されていた。シャムハトは酒に深く酔うような、心地の良い酩酊感を覚えながら、その傍で冷ややかに今の己を見つめる、もう一人の自分の存在を感じていた。
自分は何をしているのか、これは王への裏切りではないか、これはアマロ様を騙していることにはならないか、自分はこれで良いのか。そんなことが浮かんでは消えた。
シャムハトは自分を清い存在だ、などとは考えたこともない。彼女は自分を通してアマロが誰か他人を見ていることに不安を感じたことはなかったが、紛れもない羨望を感じていた。それは嫉妬の様に、誰をも害しうる類ではなかったが、アマロだけに注がれる自らの懸想に、願わくば応えてほしいという欲動でもあった。夢中になって欲しい、一時でもいい、私だけを見て欲しい。そう、シャムハトは心底で頑なに願っていたのだ。
だが、シャムハトは神に祈ることをやめたのだ。断じて神々に祈ることはできなかった。今彼女の心を燃え上がらせている幸福が、皮肉なことに、偶然とはいえ最も忌むべき神の手で成されたものだと知れば、或いは考えを改めたかもしれないが、しかし、少なくともそれくらい、彼女の本心は巡りあわせた逢瀬の機会に満足していたのだ。
シャムハトからの許しにより、アマロはその全身全霊でもって目の前の存在に愛を注いだ。
最も太陽が高く昇っている時から、太陽神シャマシュが仕事を終えるまで、ギルガメシュが執務を終え王の間にアマロが迎えに来てくれるのを待ちかねるまで、アマロとシャムハトは褥を重ねた。
アマロは珍しく我を失うほどに猛り、甚だしい熱量が投入された濃厚な逢瀬の、その勢いたるや凄まじく、二人が愛を重ねた巨石の寝台は基礎から真っ二つに叩き割れ、事後一日と経たずにシャムハトは腹を膨らませた。
シャムハトを解放もとい介抱してから、常の時間よりやや遅れてギルガメシュを迎えに行ったアマロであったが、迎えに来るのを遅れた理由を、この御仁は全く隠すことなくギルガメシュへと打ち明けた。
アマロは言って曰く、「ギル!遅れてごめんよ!だけどね、キングゥが帰ってきてくれたんだ!それで、私はもう堪らなくなってしまって、それで遅くなってしまったんだ…ごめんよ。」
ギルガメシュはアマロの言葉に驚いたが、自身へ良くも悪くも隠し立てをしないアマロの心掛けに、その信頼に応える様に「うむ!流石は我が伴侶、常人の恥じらいなど不要!大義である!」と胸を張り言った。
だが、そんなギルガメシュの自信に満ち溢れた表情も、夕食を取るために私室へと戻った際に崩れ落ちてしまう。
「こ、ここで、一体何が起こったのだ!!アマロよ、怪我はないか!」と私室へ入るや否や、ギルガメシュは部屋の惨状に、主にはヒビの走った床と、真っ二つに叩き割られた寝台に理解が追いつかず、また之に血相を変えてアマロに詰め寄った。伴侶の身の心配を何より優先するところは流石であるが、アマロは全く無傷であった。
安堵と同時に混乱を抑えようと必死なギルガメシュは、その後、詳しい説明を求めつつ、その内容が甚だ自身の知る逢瀬とは異なることに、いや、何の変哲もない内容だからこそどうして寝台が叩き割られてしまうのか理解できずに、全く味もわからないまま夕食を終えた。
猥談を食事の席でするものではない。ギルガメシュはそう締めくくると心を切り替えた。今、彼の心を満たしているのはアマロの相手となったキングゥなる幸福者へのほのかな嫉妬と、其の者が味わい尽くしたアマロとの契りを、自身も、神により与えられた杯の力によって味わえるであろうことへの興奮と期待であった。
月の明かりのみを頼りに、この仲睦まじい二人は並んで寝台に敷いた獅子の毛皮の上に寝転ぶ。寝る前に新しい寝台を用意しなければならなかったが、それも恙無く終えて、二人は程よい微睡と共にあった。
酒に酔わずにアマロと繋がりたい。そう願い、しかし正常な状態で言葉を交わすことも気恥ずかしく思っていたギルガメシュは、いつものように寝付くまでのアマロを観察しつつ、深く寝入る寸前に敢えて声をかけた。
ギルガメシュはアマロに「アマロよ、我はアマロ、お前を慕っておる…それは、心だけでなく、肉体までを合わせてもいいほどに慕っているのだ…」と穏やかに語りかけた。アマロは半ば眠りつつ、「私もだよ、ギル…君のことを、思わなかった日は無いとも。」と答えた。
ギルガメシュは顔に火を灯したように赤くなり、すっかり心を明るくすると、傍から水瓶をとり、金の杯に注いでこれを一気に呷った。金の杯から布が除かれていることに気づかなかったギルガメシュ。月の明かりが揺らぎ、一時漆黒の闇が訪れた。互いの姿が見えぬままに、ギルガメシュは、赤面しつつも確固たる信念のもとで平時のシャムハトの口調を真似て、「あ、アマロさん、わ、私を抱いてくれませんか。」と声をひそめていった。誰にも、アマロ以外には聞かれまい。ギルガメシュの意地であった。だが、ギルガメシュがシャムハトの口調を意識したのとは裏腹に、彼の伴侶はその声をかの幼き日のギルガメシュのものと受け取った。
無論のこと、姿形がギルガメシュのままであることに、幸いなのか不幸なのかわからないが両者共に気づいていなかった。ギルガメシュが続けて「愛してます。」とか「私の身体をお好きになさって下さいください。」と繰り返し囁くので、アマロはいよいよ身体を起こした。
幼い頃の口調に戻った時、即ち、ギルガメシュが甘えたい時である。これまた運が無いのか有るのか判断し難いことであったが、ギルガメシュの声に、その声が紛れもなく男の威厳ある声であるにもかかわらず、アマロは昼間のように全身全霊で応えることにした。アマロが向ける愛情は、ギルガメシュの思慕とも少し異なるものであったかもしれないが、しかし圧倒的な質量と重みを伴う、謂わば実りあるものであった。幼い頃から片時も離れずに過ごしてきたギルガメシュへの愛情はひとしおであり、そこには一点の曇りもなかった。
心の底からの愛情の成果と云うべきか、ギルガメシュの健気で可愛らしい企みが、想定外の事態によりそもそもから崩壊していることをギルガメシュが知ることは無かった。
夜通しの情事によりギルガメシュは腰を痛めた。この負傷により彼は一週間起き上がることができなかった。また、寝台は例のごとく、いやそれ以上に砕かれてしまった。具体的には、ギルガメシュの「もっと!」という声に快く応えたアマロの妙技によって、跡形もなく粉々になってしまったのである。
互いに初めてのことであったが、ギルガメシュは腰が痛いことを除けば何の不快も無かったらしく、彼は「恐らく我の生涯に味わう他の全ての快楽を凝縮しても、アマロと夜を共にすることの足元にも及ぶまい…。」と感慨深く回想している。
ギルガメシュはこの晩以来、やっと世継ぎ問題に取り組むことにしたのであるが、しかしこれは全くの失敗であった。ギルガメシュは性技や雄としての格を含めて全てにおいて王に相応しかったが、女性との情事において、悲しいかなその度にアマロと過ごした夜と比較してしまい、満足というものを得ることができなくなってしまったのである。一層彼はアマロただ一人への情に心を傾けずには居れなかった。
「アマロと愛を交わしたことに一点の後悔も無いが、閨での己のかよわさを思い知らされる上に、中毒性が老若男女問わず狂気的なものがある故に気をつけるがよい。」とはギルガメシュが言い始めたことであるとされている。
アマロが何の躊躇も、忌避感もなくギルガメシュの想いに応えたことは…具体的には抱き潰して一週間執務を滞らせたことは…ある意味ではギルガメシュにとって金にも勝る素晴らしい解答であった。つまりは、この夜以来、アマロに誘いをかけることへのギルガメシュの懸念は晴れたのである。また、アマロにはギルガメシュが王としての自分になりきれる様にと一般的には清潔な関係を保つべきだと考えて行動していたらしく、ギルガメシュの本心を知って以来は、執務が滞っても問題がない場合に限りギルガメシュを盛んに受け入れる様になった。受け入れるのはどちらかと言うとギルガメシュなのだが…。
それはさておきシャムハトとギルガメシュ、そしてアマロにとって実に意義あるものとなった日の翌る朝、シャムハトの腹が何ヶ月と経った後の様に膨らんでいるという話が、ギルガメシュの耳にも届いたのである。
では、また。