運命のヒモ男《ヒモ・ファタール》   作:ヤン・デ・レェ

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17黄金色の幸福

17黄金色の幸福

 

 

 

 

新月の時は近い。素晴らしい日が待っている。そう口遊み、輝きを纏いながら、天の主人であり、豊穣と美の女神イナンナは偉大な神々の心に猛烈な雷雨を巻き起こしていた。

 

暫し前、イナンナは突然に下界へと赴いたかと思えば、見たこともない笑みで天界へと帰還して、「私は最高に最高な夫を迎えるから、お前たち!早々に私の婚姻の準備を始めなさい!」と言い出したのである。

 

神々は訳がわからずイナンナに「おぉ、天の主人にして美しきイナンナよ、貴女はどうしてそこまで猛られるのか。」と問い、イナンナは「私は運命の男を見つけたのよ!この美の女神に相応しい…いいえ、美の女神にも勝るほどの、真の美と出会ったの!私以外が、どうして彼の方を夫に迎える事ができるというの!」と答えた。

 

神々はイナンナ神が淫靡だが、全くそういった執着を持たないことを知っていたので、このことに驚いた。まさか、あのイナンナ神の心を射止めるようなものがいようとは、と噂しあった。しかし、この時のことはあくまでも何時もの激情に任せたものだと判断され、「いやいや、まさかあのイナンナ様が心から男を、ましてや人間を愛される訳もない。立ち枯れになることだろう。それまで、我々はおとなしくしているのが良さそうだ。」という噂に上書きされたのである。

 

 

 

 

果たして、イナンナ神は本気であった。

 

全く動く気のない神々に痺れを切らしたイナンナは自分に従わなかった神々を、天界の主人の大権を濫用し、一種の拷問にかけてまで婚姻の支度を始めさせたのである。神であるゆえに、神秘が枯れ果てない限り死なないとはいえ、神々はこの恐ろしい女神の所業に震え上がり、各々に一方的に割り振られていた役割を果たし始めた。

 

イナンナは全く聞き分けのつかない神々に手を焼いたが、次第に飽き始め、それならば好きにしろと放逐する代わりに、神という神に、如何に私の夫が素晴らしいのか、私の夫が如何に天界に相応しいのか、美しいのか、魅力的なのか、について滔々と語り続けるという暴挙に出たのである。

 

神々に残されたのはイナンナの派閥に入り彼女の婚姻に協力するか、協力を断り、協力を承諾するまで眠ることも許されずに自慢話を聞き続けるか、の二択であった。

 

恐ろしいことに、恋するイナンナ神には恐怖だとか遠慮だとかいう軟弱な概念を殲滅してしまったのだろうか、彼女は父であり主神アヌや神々の王エンリルに創造の女神エア、果ては太陽神シャマシュにまでこの論法を駆使したのである。

 

最も働き者の太陽神シャマシュに対して詰め寄せたイナンナの剣幕は凄まじく、遥かに力強く偉大なシャマシュが協力を拒んだとなるや、その憤怒に任せて金星を彼の巨神の腹に叩き込んだのである。

 

シャマシュは腹に金星が食い込んだせいで酷く咳込み、その影響でウルクを除く殆どの国では万年に一度の苛烈な旱が起きてしまった。

 

イナンナ神の狼藉に、流石のシャマシュも怒り、しかとて主神アヌの娘を弑するわけにもいかないので、意固地になって何がなんでも彼女の婚姻には協力しないと主張した。

 

自身の星である金星を、少しの容赦もなく全力で投げ込んだにも関わらず、咽せる程度で済ませたシャマシュを説得することは出来ないと、かのイナンナ神も諦めたのであった。

 

この時にシャマシュの腹に金星が打ち込まれたせいで、今日の金星は恐ろしいほどに熱く焼け付いているのである。

 

 

 

 

さて、偉大なシャマシュの奮闘により天界の重鎮を一人味方に付け損ねたイナンナは次に神々の王エンリルと、ご存知の通りの主神アヌの元に向かった。

 

気のいい、悪くいえば何事にも楽観的なエンリルは軽い気持ちでイナンナを手伝ってやろうと言い出した。思慮深く、何より娘がどんなに綱で繋げぬ奔放であるかを知る主神アヌは、イナンナが騒いでいることをどう収拾をつけたら良いものかと悩み、腹を下しそうになっていた。

 

イナンナはアヌ以外にもありとあらゆる神々に夫のことを、正確には夫になるであろうと彼女が信じて疑わないアマロのことを吹聴した。

 

何度となく語るものだから神々は洗脳されてしまったような心地になりつつも、次第に彼女の言うアマロという美人への興味を膨らませる様になった。

 

アマロを知る者、即ち今の天界の偉大な重鎮たちは、その美しさを懐かしさを含めて語る様になった。彼らの感傷的な語り口には神々も大いに食いつき、古くからの神々すらも垂涎する、イナンナ神が夫に迎えようとする者への歓迎の声を上げる者も、特段に若い神々の中から出てくる様になった。

 

気がつけば、神々の中に、ギルガメシュとの誓いを、彼がアマロと絆を共にする限りは、例え神々であってもウルクに手を出せないという誓いについて覚えている者たちは殆どいなくなる始末であった。

 

主神アヌはこの事態に大いに気を揉んだ。どうすれば良いのか、アヌは悩み抜き、遂にはギルガメシュへと少しでも天界の混乱を伝えることにしたのである。

 

 

 

 

主神アヌの声がギルガメシュに届けられたのは新月の夜の三日前であった。主神アヌは「ギルガメシュよ、使命の者よ、神々と人間を繋ぎ止める者よ、お前は知っておかなければならないことがある。」と王の執務を終えてアマロのことを玉座で一人待つギルガメシュに語りかけた。

 

ギルガメシュは、「主神アヌよ、偉大なアヌよ、我が知らなければならないこととはなんだ。」と返し、アヌは「我が娘イナンナが、豊穣と美の女神が、天界の神々という神々を巻き込んで、自らの婚姻の儀を成功させるために企みを立てておるのだ。」と答えた。

 

ギルガメシュは驚くことなく、泰然として「で、あるか。だが、我と神々は、我が幼き頃にかの神聖な森にて間違いなく誓い合った。よもや天界の神々ともあろうものが誓いに背くことがあってはならぬはず。主神アヌよ、あなたはどうしてそうも恐れておられるのか。」と言った。

 

アヌは「確かに神々は誓いを守らねばならぬ。ウルクに手を出させぬために、快い神々の多くは誓いを守るだろう。だがギルガメシュよ、神々が造りし者よ、お前は忘れてはならぬのだ。お前は神々と人間をつなぐ、楔となる者なのだ。誓いを我らが守るように、お前も使命を果たすのだ。」と言った。

 

アヌは、さらに念を押してこうも言った。

 

「…ギルガメシュよ、お前も気づいておろう、今の人間達は何時ぞやの、神を望まぬ者たちの様に、水で全てを押し流された者たちの様に、神殿を、神を敬うことが疎になっていることを…。黒曜石の希望の方が幸福であればあるほど、神も人間も幸福であろう、だがな、そのためには、人間に神を忘れさせてはならぬのだ。彼の方が穏やかに笑まれ、幸福を謳歌すれば、その大地は、その海川は、大いにウルクに味方することであろう…だが、お前も知る様に、豊かに満たされたウルクの今の民は、神々への祈りを忘れつつある。イナンナがあれほど盛んに騒いでも、常ならば神々はその心正しさに従い、我が娘の戯言に耳を貸すこともなかったであろう。しかし、今の天界は人間によって、今度こそ神秘が喪われることを恐れているのだ。神々とて、お前たちと同じだ。我ら神々は神秘の喪失を恐れる。若く闊達な神々は、恐怖のあまり、その有り余る力を用いてイナンナの叫びに従った。そういう者も多いのだ。」

 

ギルガメシュはアヌの言葉を、口を挟むことなく静かに傾聴した。ギルガメシュもまた、使命を忘れているわけではない。彼とて、理解しているのである。そして、アヌはギルガメシュの聡明さを知った上で、彼に人間の王であるべきか、楔となるべきかを問い直したのである。ギルガメシュは答えなかったが、ただ静かに頷いた。

 

アヌは最後に、「ギルガメシュよ、お前は素晴らしい王なのだろう。人間の王として、かの神々の王マルドゥーク様よりも多くを、黒曜石の希望の方より受け取っているに違いない。だが、かの王は神秘の枯渇を甘んじて受け入れ、そして、死んだのだ。土塊になることを、偉大な人間の王は望んだのだ。だが、お前は楔なのだ。努努、そのことを忘れるでないぞ。」と言って声は溶けて消えた。

 

ギルガメシュが玉座を立ちあがろうとした時、アヌの声が再び彼の耳に届いた。アヌは「忘れていたことがある。我が娘が悪かった。神の主人としてではなく父親として許せなんだ。出産の祝いとして、シャムハトへ預けるが良い。」と言って、古い陶器の小壺を置いて、今度こそ消えてしまった。

 

この壺が何なのか、賢い王にも見当がつかなかった。しかし小壺はアヌの言った通りに、シャムハトへと預けられることとなった。

 

 

 

 

エンキドゥが生まれてから、ギルガメシュはシャムハトとアマロが共に森で過ごすことを認める様になった。これにアマロは大喜びし、ギルガメシュに感謝の抱擁を捧げた。アマロとシャムハトと共にいる間、ギルガメシュの表情には余裕が生まれていたが、彼らがウルクの街を出るとその表情は疲れたものに変わった。フンババという脅威をシャムハトから聞かされてもいたギルガメシュは、自身の肩に重石が乗せられたように思ったが、同時に王たる矜持を強く実感した。

 

ギルガメシュが王である間、即ち太陽がウルクを照らしている間、シャムハトとアマロ、そしてエンキドゥは三人で神聖な森で、心の故郷で過ごした。ギルガメシュがただのギルガメシュに戻る時、太陽が傾きだすと、三人は森からウルクの宮殿へと戻った。夜はシャムハトとエンキドゥが新しく立てられた宮殿からわずかに離れた小さな家で眠り、ギルガメシュとアマロは王の私室で共に時間を過ごした。

 

アマロは活発な子供の様に、昼も夜も実に嬉しそうに家族と親身に過ごした。同じものを食べ、同じものを学び、同じものを楽しんだ。シャムハトはエンキドゥとアマロと共に、人騒がしいウルクの街中ではなく、鳥が囀る森の中で、大樹に身を預けて過ごすことが何よりの幸せになった。エンキドゥは父親に抱かれていると最もよく笑い、よく動き、日々の成長の証を見せては二人を喜ばせ、自らも嬉しそうに爛漫な笑顔を見せた。

 

ギルガメシュもまた、夜の間は誰の邪魔も入ることなく互いのことだけを考えて過ごす時間に、王としての自分も、楔としての自分も、かわらねばならない自分をも忘れられる安らぎを感じていた。

 

移動が大変なことを除けば、毎日が実に充実したものであった。

 

 

 

 

「この壺の中身は何なのでしょうか。」とシャムハトが言ったのは、ギルガメシュから預けられた年季を感じさせる壺である。

 

一ヶ月も経たぬうちに髪がすっかり伸びたエンキドゥは時折ひしとこの小壺に抱きついたりして遊んでいた。シャムハトは遊ばせておいて良いものなのかわからなかったが、アマロはエンキドゥが楽しそうにしているから遊ばせてあげたいと言って、好きなままに許している状態であった。

 

知識欲旺盛なシャムハトはエンキドゥに「ごめんね。お母さんに少しの間だけ貸してちょうだいね。」と断ってから、壺を両手で持ち上げ、耳元で揺らしたり、臭いを嗅いだりしてみた。蓋を開ける勇気が湧かなかったものの、シャムハトの探求は少しの間続き、玩具を取られてしまったエンキドゥは父親の体をよじよじと登ったり降りたりして遊び始めた。

 

蓋を開けてみないことにはわからないと言う結論になり、調べられることがなくなり、しかし諦めきれないシャムハトがじっと壺を凝視していると、隣から視線を感じ、振り向くとシャムハトの真剣な表情が興味を引いたのか、アマロと、彼の膝に乗ったエンキドゥが壺を見つめるシャムハトのことを不思議そうに見つめていた。

 

シャムハトは二人の熱視線に照れてしまい、壺を脇に置くとエンキドゥに手招きした。「エンキドゥ、お母さんのお膝にもいらっしゃい。ほら、ここよ。」と彼女が言うと、活発なエンキドゥは生まれた時のお包みをそのままに服にした、だぼっとした白い貫頭衣をゆらゆら揺らしながら母親に駆けていった。

 

シャムハトの元まで辿り着くと、頬が少し赤く、汗をかいているのがわかった。随分と遊んできたらしい。まだまだ小さいエンキドゥだが、その成長は尋常の人間を飛び越える目覚ましいものだ。

 

不可解な成長速度や、生まれてすぐに生え揃った美しい翠の御髪の不思議など、可愛い我が子の日進月歩の成長の前には一抹の気味悪さも起こらない。むしろ、この子が健康な証拠だと、浮世離れしたアマロとシャムハトは心の底から思っていた。

 

シャムハトは昼間の時間に森の木を自ら切り出して作った小さな木椀に、すぐそばに流れる清水を満たすと、汗をかいてほっほっとしているエンキドゥの額の汗を拭ってから、彼女はゆっくり手ずから飲ませた。

 

こくこくとエンキドゥの細い喉が動く。エンキドゥの両手が伸びて木の椀をおさえるシャムハトの手に重なった。賢母シャムハトはエンキドゥに木椀を持たせる様にして、自身は手を離した。

 

シャムハトのこしらえた木椀は大人の手には小さいが、エンキドゥの可愛らしい手にはぴったりの大きさだった。始め、自分の手で支えるのも不安定で水をぱたぱた零していたエンキドゥだったが、直ぐに下から両手で捧げる持つように工夫して、水を零すことなく飲めるようになった。

 

エンキドゥはシャムハトの膝の上で椀の中身をすっかり飲み干すと、大酒飲みのようにぷはーと一気に息を入れ替えた。シャムハトは何も言わずに優しくエンキドゥの頭を撫で、アマロの方にも優しく微笑んだ。

 

アマロは泣いていた。泣きながらエンキドゥに頬擦りし始めた。膝を草に埋めるほど体を低くして、シャムハトの膝の上ですっかり空になったお椀を満足げに見つめるエンキドゥを正面から優しく抱き締めて、涙で濡れた顔を拭ってから頬擦りをした。

 

アマロは「エンキドゥ!君は私の宝物だ!何があっても私は君のそばにいるよ。だから、私の前から消えないでおくれ。君のことを心から愛しているよ。何があっても、私は君の味方でいるから。どうか、健やかに生きておくれ。私はそれ以上は望まない。ただ、それだけでいいんだ。」と、また我慢できずに涙して、涙を拭うのが惜しいとエンキドゥの髪に、額に何度も口付けを贈った。

 

アマロは毎度、エンキドゥが自分で選んでしたことに素晴らしく喜んだ。喜んではエンキドゥを抱きしめて祝福の口づけを落とし、エンキドゥの次はシャムハトと一緒に抱き寄せて三人で一塊になって頬やおでこを寄せ合った。その間、エンキドゥは泣くことなく、心底心地よさそうにしていた。

 

ただし、啄む様に何度となく唇を贈られる度に、特に頬から勢い余って唇にまで贈られた日には、エンキドゥは顔を赤くして頭から湯気まで上げて、手を胸の前で組む様にもじつかせたかと思えば、てててと駆けて母親の腹に顔を埋めてしまうのだった。

 

新月の夜が来るまで、三人は森の中で色々なことをした。

 

手製の釣竿で魚釣りに興じたり、追いかけっこをしたり、アマロがいつかの日にも作った森で採れた豆と麦で作った粥をご馳走したり、花を集めたり、時には三人が過ごす場所にやってきた獣と戯れたり、三人は家族として色々なことを一緒に経験したのである。

 

森の恵みに任せて暮らし、その日採れた物の中でも特に素敵なものを木の葉に包んだり、木の椀に盛ってウルクの、もう一人の家族へのお土産とした。ウルクの門まで迎えに来るギルガメシュは、帰ってきたアマロやシャムハトから、時にはエンキドゥから手渡されるお土産を楽しみにしていた。

 

ウルクには、その時代の全てが揃っていた。最も豊かな都市として他の追随を許さぬ繁栄を享受していた。だが、ギルガメシュはその日食べたどの様な素晴らしいものにも無い、何をも無理矢理にしてしまわない平穏の匂いを、三人の家族から受け取る土産から味わいとっていた。

 

傲慢で、絶対であらねばならない王はエンキドゥとシャムハトにそのことを話すことはないが、毎夜、愛しい伴侶と安らぎを共にする際には、無邪気に、どれが好みだった、これはまた持ってきてほしい、と目の前で感じたことの一つ一つを報告するのだった。夜の時間、アマロとギルガメシュの関係は元の清麗なものに変わっていた。

 

だがそれはギルガメシュがアマロへの情欲に倦んだからではないだろう。時折、完全に眠りに落ちたアマロの背中をギルガメシュが遠慮がちに撫でては、寂しげに身体を彼の背中に寄せ直してから眠ることもあったのだ。ギルガメシュの想いは膨らみ、ただ奥行きを増していたに過ぎないのだと思えた。

 

ギルガメシュは、エンキドゥの誕生と共に一つの納得を手に入れたが、主神アヌからの言葉でまた一つ新たな苦悩を抱えることになってしまった。彼は覚悟をしなければならなかった。人間と神々のどちらかの側に立たねばならなくなる日が来ることを。

 




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