22黄金色の旅路(メソポタミア編完結)
ウルクの王。賢きギルガメシュは親友エンキドゥと共に困難な道のりを越えて巨人フンババの守る杉の森へと辿り着いた。
本来ならば困難では無かったはずの道のりであった。誰かが妨害したのである。妨害したのは意外にも太陽神シャマシュであった。
シャマシュは昔、その名をウトゥと言った。彼は古くはイナンナの双子の兄であったとも聞くが、その関係は親兄弟の多い神々特有の穏やかな関係であったとされる。太陽神であるからこそ、シャマシュは神々の中でも特別に偉大で温厚な性格であった。
杉の森にある香柏とは、当時何よりの富であった。素晴らしい木材により生み出されるどれもが人々を魅了した。万人がそうであり、それはウルクの民も違わなかった。故に、神々はこの素晴らしい木々が失われることがないように、取られすぎないようにとの考えで森の番人を立てることとした。
選ばれたのはフンババという当時はまだ幼い巨人であった。フンババはまだ幼かったがその体は巨大だった。力は強く、並の神々では手を焼くほどであった。
そこで、この巨人を配慮ある存在にまで育てるように主神アヌや神々の王エンリルから頼まれたのが太陽神シャマシュであった。シャマシュは最も巨大な体を持つ神でもあった。その巨大さの前にはシャマシュの次に大きな如何なる存在でさえも赤子と同じようなものであった。
思慮深いシャマシュは神々の期待通りにフンババを思慮のある番人に育て上げた。反抗することもあったフンババだが、シャマシュの偉大な力の前には歯が立たず、次第に畏敬するようになっていった。
シャマシュの加護が厚くなり、杉の森は以前にも増して豊かに、香柏をより華やかに仕立て上げた。それからというもの次第に人間は危険も顧みずにこの素晴らしい材木を奪おうと杉の森へと足を踏み入れるようになった。
フンババは森の侵入者を、人間の大人を、これらを悉く食い殺した。時には踏み潰したりした。剛腕揺るぎない巨人の力の前には人間は無力であった。だが、人間とは知恵の回るものであった。
ある時、フンババは子供を一人見逃した。子供の腕には香柏の枝が抱えられていた。だが、フンババはこれを見逃した。子供の瞳にはそれまで見たこともない純粋な恐れだけがあったからだ。それは枝を手に入れることのできないことへの恐れではない。死ぬことへの恐れである。それまでの人間の大人の瞳には、どこか抜け目ないものがちらついていた。フンババはそれが気に食わなかった。だから殺していた。例え枝を持ち帰ろうとしていなくとも殺した。
だが、ある時出会った子供は何とも幼く、また、枝になど心底頓着していなかった。恐らくは周りの大人から求められての行動であった。だからなのかはわからないが、フンババはそっぽを向くとこの子供を見逃した。
子供が無事に香柏の枝を持ち帰ったことは瞬く間に人間達の間で広がった。時の王は町中から子供を集めると、杉の森へと子供達だけで向かわせた。三日後、子供達は香柏の枝を携えて帰ってきた。王と子供の親達は大いに富んだ。王はまた子供達を集めた。今度は更に多くの子供が集まった。前回参加した子供たちはどこか誇らしげであった。
誇らしげな子供達が他の子供らを率いて杉の森へと向かった。子供達は帰ってきた。腕には一杯の香柏があった。王や親達は大いに富んだ。王や親達は次第に子供達に枝を切るための道具や、より多くの枝を詰め込める大きな袋を持たせるようになっていた。王と親達は三度目の、杉の森へと送る子供達を集めた。以前にも増して多くの子供達が集まった。子供達は大いにはしゃいでいた。二度も参加した子供達は実に誇らしげであった。二度も森に行き香柏を持ち帰った子供達の中では、香柏を持ち替えれば王や親に褒めて貰えるのだと専らの噂であった。
王や彼らの親達は、煌びやかな貴石を身体中に纏うようになっていた。陽の光だけは王や親達が身に纏う石ころ共をジリジリと灼いていたが、王も親達もそんな事には気づかなかった。ちいさな手に入れた貴石や逞しい牛や山羊に夢中であった。
三日後、子供達は帰ってこなかった。四日後も、五日後も、一年後も。間も無く大人達も森に向かったが、誰一人として帰ってこなかった。それから十年と経つことなく、王の街は滅んだ。
シャマシュはあの日、フンババに言った。「子供達を殺せとは言った覚えがない。だが、フンババよ、私が育てた巨人よ、忠実で思慮深い者よ、子供達が腕に抱いている物はなんだ?香柏ではないのか?それに…さぁ、子供達の瞳を覗き込め。お前には何が見える。執着だ。この杉の森から、何があっても香柏を持ち帰らなければという執着が見える。どうだね?そうだろう?ならばお前には果たさなければならないことがある。だから、さぁ、迷うな。その力で、その忠実さで、その思慮深さで、淡々と使命を果たすのだ。考えることはない。動け。ただ、奪わんとしたことのみを罪として、簡潔に奪え。速やかに肉体から命を奪うのだ。」
フンババはシャマシュの言う通りにした。それまで、言葉を重ねる程になっていた子供達も、初めて見る子供達も、関係がなく瞳を合わせてはこう言った。「見える。お前達の目の内には、その心の内が見える。お前達は、あの時のお前達は決して、その枝に何すらも見出してはいなかった。だが、今のお前たちは違う。それは私に許してはならないと仰せ付けられていることだ。例え、お前達が望むものが、その香柏が齎す富そのものではなかったとしても。まったく残念だが、私にも、お前達のように逃れることのできない使命がある。使命がぶつかり合ったのだ。恨むなよ。」
こう言って、フンババは子供達を、枝を抱えたままにして、そのまま大きな口を開けた。開けた口に、三人、四人、と一つに纏めては次々に呑み込んでしまった。喉に枝が刺さったのでフンババは痛かった。痛かったがフンババは泣かなかった。喉ばかりが痛かったわけではない。だが、フンババは後悔はしなかった。悪いとも思わなかった。枝ごと呑み込んだのだ。この子供達は枝を抱いて死んだのだ。最後まで、人間の大人達の言いつけを守ったせいで死んだのだ。あの子供達は悪くはなかったのだ。フンババはすっかり静かになった森の中で暫く黙って動かなかった。フンババはなんだか言葉にできない重たいものを腹の中に抱いて眠った。この時は、結局言葉にはならなかった。
イナンナに叩き起こされるまで、フンババは何も落胆を覚えずに、静かに暮らしていた。それがいい、とフンババは教えられていたし、フンババ自身もそれでいいと思っていた。願っていた。フンババには、香柏が如何に素晴らしいかなど関係なかった。ただ、二度と子供達みたいに心の底から不味くて塩っぱい涙が出てしまうような思いはしたくないと固く願っていた。
だがイナンナに叩き起こされたフンババは行かねばならなかった。死にたくはなかった。そう思ったのだ。格好悪いとか、格好良いとかは関係なかった。シャマシュにも心の中で助けを求めたが、生憎シャマシュはこの時、イナンナから喰らわされた金星のお陰で胃腸を下していた。助けに来ないシャマシュを頼みにできないと悟ってからは早かった。何はともあれ死にたくなかったのだ。どうしてなのか、それはフンババにもわからない。
ただ思ったのだ。「あぁ、こんな風に死んでしまうのなら、あの時、初めから許さなければよかったのだ。食い殺して、さっさと放って仕舞えばよかった。そうしたら、あんなに喰わずに済んだのに。こんな、死に方をするくらいなら、あの時何かしてやればよかった。シャマシュ神とて私を助けには来ないのだから。こんなことなら、逃してやるなりすればよかった。」後悔だったか、残念がったのか。さはあれ、フンババは泣く泣くイナンナに従い、神聖な森へと向かうとさっさとシャムハトを食い殺して、エンキドゥをほったらかして、飛び込むように杉の森の寝床へと引き篭もった。
そして、今に至った。
シャマシュはウルクを発ったギルガメシュとエンキドゥの目的がフンババを殺す事にあると聞くや否や、これを手助けするふりをして、すこぶる遠回りに道案内をした。ギルガメシュとエンキドゥはシャマシュの意図がわからなかったが、ギルガメシュの守護神でもあったシャマシュを信じて、敢えてこれに従い、遠回りの道を進んだ。
この間に、果てしなく険しい道のりが二人を阻んだ。二人が越えられそうにない壁にぶつかるたびに、シャマシュは言った。「なあ、二人とも。これはきっとフンババのことなど放っておけということではなかろうか。でなければこんなに険しい道があるはずもない。それでも進むと言うならば、私は君たちに寄り道することをお勧めしよう。」
寄り道の度に、ギルガメシュとエンキドゥは素晴らしい宝具を手に入れた。万難を打開しては手にする眩い宝物の数々。その輝きを、己の権能でいっそう美しく演出しながら、シャマシュはその度ごとにこう言った。「ギルガメシュよ、エンキドゥよ、君たちには何と素晴らしい宝があることだろう。その美しいものを、その素晴らしいものを、君たちの愛する者はまだ見たことがない。きっと、その輝きを、樂を共にしたいと願って止まないでいるはずだ。きっと、これほど遠くにいることを心案じているはずだ。君たちの帰りを待ち望んでいるはずだ。なぁ、一度ウルクに帰ってみるのはどうだろうか?然すれば、きっと君の愛しい相手は君たちを惜しみない慈しみで迎えるだろう。さぁ、どうかね?」
シャマシュはそう言った。何度も何度も、この世のありとあらゆる宝物を二人が力を合わせて手に入れ終わる頃になるまで、直向きに二人に語りかけ続けた。「アマロ様にもご覧に入れたほうがいい。」だとか、「君たちもそろそろ疲れただろうに。さあ、ウルクへとお帰りになると良い。きっと、偉大な二人を暖かく迎えることだろう。」とか、「君たちの身なりは随分汚れているのではないかな?ならば、君たちの故郷へと導く頃に相応しい。そう思わんかね?」だとか、「そろそろ持ち運ぶには大変な量だろう?ここいらで一度、休んではどうだろう?」とか、決して声を荒げずに、しかし倦む様を全く見せずに毅然と声をかけ続けた。
だが、それでも二人は前に進んだ。気がつけば、一年以上も二人はウルクから離れていた。正直なところ、二人の心の中は今までにない程に愛しい唯一の存在への渇望を激にしていた。背負うことも、最早その莫大さ故にままならず、身に纏っても尚余りある宝物の山はエンキドゥの怪力とギルガメシュの賢明をして何とか持ち運ぶ有様であった。
素晴らしい宝が堆く積まれ始める頃になっても、それでもギルガメシュとエンキドゥはシャマシュの言葉にキッパリとこう返した。「シャマシュ神よ、偉大なる太陽神よ、貴方はご存じのはずだ。我々がどうしてこの険しい道を進むのか。貴方はご存知のはずだ、我々がこの身を賭して尚、磨いて尚、高みを目指してもまだ遠い、アマロの傍に生きることのいとおしさを。そのいとおしさへの渇きを、それを上回る幸福を。我々は追いかけて止まないことを。そのためには、何としても恐れを断ち切らねばならぬことを。」
シャマシュ神は遂に何も言わなくなった。ただ、その身の眩しさで本来の正しい道筋に案内した。それから三日かけて二人は森へと辿り着いた。三日の間は朝から晩まで、寝ても覚めても雨が止まなかった。晴れながらにして雨が止まなかった。シャマシュはうんともすんとも言わなかった。
何リーグ、何十リーグ、何百リーグと遠回りした果て、ついに杉の森に着くと、シャマシュはギルガメシュとエンキドゥに言った。「いままですまなかったな。これからはもう何も言わない。進むべきに進むと良い。お前達は何も悪くはないのだから。それもまた、使命なのだから。使命だと、お前達が信じているのならば。疑いのないのが明白ならば。然らば進むと良い。フンババもわかっている。待っている。だから、お前達も行くといい。」
ギルガメシュとエンキドゥはシャマシュに感謝の祈りを捧げると、一度荷を解き、武器になる宝具以外を全て置いてから森へと足を踏み入れた。
森の中は静かだった。誰も二人を邪魔するものはいなかった。
丸一日進んだ先にフンババの巨大な背中が見えた。フンババは眠っているようにも見えた。ギルガメシュとエンキドゥはフンババを起こそうと叫ぼうとしたが、すぐに口をつぐんだ。叫ぶ間も無くフンババが体を起こしたのだ。
仁王立ちしてフンババは言った。「シャマシュ神よ。貴方は間違っていなかったが、正しい訳でもなかった。だが、私は貴方の心遣いに感謝する。もう、いいだろう。これならば、これなら私も、私の腹の底に眠る子等も満足できるだろう。お前達が私から命を奪いにきた者達だな。さぁ、かかってくると良い。私が死んだら香柏も何もかもくれてやろうではないか。」
フンババのその言葉を皮切りに、ギルガメシュとエンキドゥは旅の最後の戦いを始めた。
シャマシュの願いは、フンババの死であった。だがそれは穏やかな、いっそ納得がいく死であった。フンババは賢かった。シャマシュがそうなるように育てたのだから。そうなるように育てるようにと、シャマシュは神々から言われた通りに育てたのだから。ただ、それだけのことだ。フンババが賢いことは何も悪いことではなかった。言われるがままに働いただけなのだから。だからフンババは番人に選ばれたのだから。フンババは子供そのものだったから。
フンババは最後まで子供でいなければならなかったから。香柏への頓着など無いままに。森を守ることへの疑いなどないままに。だからフンババが選ばれたのだ、とシャマシュは穿ち損じなかった。決して、忘れていなかった。
イナンナに迫られてフンババがシャムハトを殺した時、フンババは悲しいわけではなかった。申し訳なさも感じているわけではなかった。だが、間違いなくそこには居心地の悪さを感じていたのだ。フンババは子供のまま、番人として成長した。子供のまま、恐ろしい番人としては一人前になったのだ。そうなるように育てたのだから。香柏に誰よりも頓着していたのは人間か?否だ。誰が一番なのか、それはシャマシュにもわからない。彼にしてみれば、自分が近づいただけで炭屑になる物のどこに魅力を感じれば良いのかわからない。
だが、これだけは言える。きっと、誰よりも香柏に頓着を持たなかったのは他ならないフンババだ。彼にとって、香柏は苦いものに他ならなかったのだろう。噛みたくても噛まねばならぬものに他ならなかったのだろう。彼は生まれ、シャマシュに番人として育てられ、番人として力を振るってしまったばかりに、今まさに番人として死なねばならなくなっている。シャマシュは、ほんの少しだけ、フンババに静かな時を用意したかった。その時間は一年と用意できた。だから、自分はもう何も言うまい。シャマシュは静かに三人の使命を見つめた。
朝となく、昼となく、夜となく戦いは続いた。フンババは怒り狂ったように杉の森を暴れ回った。大切なはずの、少なくとも人間がフンババの宝だと思い込んできた香柏を、彼自身が何十本、何百本と薙ぎ倒しては笑った。「どうだ!私が番人だ!!番人はここだぞ!」フンババは叫んだ。腕をごうごう風を叩くように振り回した。清々しいほどにフンババは力に満ち満ちていた。今だけは彼に憂いなどなかった。
数千、数万と武器と拳を交わした。互いに傷だらけであった。「エンキドゥ!!天の鎖でフンババの足をとれ!腕をとれ!その隙に、我の宝剣で命を奪う!!そのための隙を作るのだ!!」というギルガメシュの叫びが森に響いた。ひどい有様の森は、神々が守らせていた、元々の杉の森には到底見えなかい程に滅茶苦茶であった。
エンキドゥはギルガメシュの叫びに、傾いたり半ばから折れたりしている森の木々を次から次に飛び回りながら応えた。「わかった!!僕の鎖が最も強く輝く時、ギルの剣を、その豪力の全てを持ってフンババの胸に叩き込むんだ!!さぁ、いくよ、覚悟はいいね?フンババ!」
星よりも早く、星よりも美しく翔る天の鎖は煌々として天から降り掛かり、フンババの体にきつく巻きついた。フンババは苦しげに笑った。巻きついた鎖が手足へ行き渡り、フンババは身動きが取れなくなった。エンキドゥは叫んだ。「今だ!ギル!剣を!フンババを打ち殺すんだ!!フンババ!!母上の肉体を返すんだ!!」
ギルガメシュは応えた。「フンババよ!友との約定に従い、人間の王として今ここに貴様の命を奪う!!中々に素晴らしき闘争であった!!」そう言うとギルガメシュの選りすぐりの中でも最も強力な剣が、深々とフンババの胸に突き立てられた。フンババは身じろぎ一つしないでこれを受け止めた。血が口から、胸の傷から溢れた。
鎖が解かれた。フンババの体は水が注がれた革袋みたいにぐなりと体をひしゃげさせると仰向けに横臥した。番人として縛られてきた巨人が死んだ。
エンキドゥとギルガメシュは巨人の死を受け止め、笑いもせず、悲しみもせず、静かに瞳を瞑った。耳元に音が聞こえてきたのはその時だ。エンキドゥの耳に声が届いた。よくみればフンババの口元が動いていた。ギルガメシュが剣に手を伸ばすのを制したエンキドゥが、この巨人の恐ろしい口元に近寄った。
フンババは命が抜けていく感覚と、自分の命が腹の底に眠る何かに分配される感覚を同時に感じていた。おぉ、私は死ぬのだな。それは、そうだろうな。フンババは淡々とそう思った。感傷的ではなかった。ただ、ちゃんとそうなってよかったと安堵していた。
口元に近寄るエンキドゥの姿を確かめたフンババは、自分の体から流れ出る血の海に沈みながら、自分が選んで見逃したこの翠の小さな子供に、僅かだが言葉を向けることにした。それは、彼がこれまでに得た経験知であり、エンキドゥが番人やそれに殉じるいかなる者にもならないようにと、人間というやつに少しだけ気を付けてほしいと、何処となく思い至ったからだった。フンババは自分が死ぬ感覚を忘れて、目の前の小さい子供に語って聞かせた。
「…私は、お前を一度見逃した…お前の親しい者を、私を殺すために用いたお前を、私は一度見逃した…腹を立ててはいるとも。だが、恨むなんて出来やしない。お前は、きっとこれから人間を知るはずだ。私が守ってきたこの杉っぽちは、全てお前達の物になるのだから。そうしてお前は知る。人間ってやつを。…私は十分だ。もうたくさんだとも。お前は、子供のまま、そのままでいることを忘れるな…その瞳のままでいろ…大切なものを見失うな……、ただそれだけだ…。」
分散した意志を掻き寄せつつ、エンキドゥは静かに耳を傾けた。フンババの瞳には何の頓着もなかった。自分の命にさえも。それが無性に心の奥に障った。喜びはなかった。悲しみもなかった。ただ少し、納得した。エンキドゥは言葉に出さなかったが、フンババの言葉を聞き漏らさないことでその思いを示した。フンババは知ってか知らずか、親しんだ様子でゆっくりと息を吐き出しながらエンキドゥに話した。
「お前は、私からお前の母親の肉体を取り戻すのだろう。その時…頼みがあるのだ。私は死ぬが、私の命はきっと、何かに繋がるのだ。私が終わりではないのだ。だから、繋がる何かを育ててくれ。きっと、お前ならわかるはずだ。私の死が、終わりではないのだ。ここから始まるものもあるのだ。やり直させてくれるから。だから、私の腹の底に眠る、あの子達を引き上げてくれ。それ、だけだ。それで、私は救われる…。」
息が吐き切られる。ゆっくりと生暖かい呼気が空気を震わせながら天へと昇っていく。エンキドゥは目を離さない。ギルガメシュはエンキドゥに倣い、この幼い番人を見送った。
昇る寸前。フンババは言い遺した。「エンキドゥよ…私たちは共に生まれることも、共に死ぬことも出来ない。だから…後悔しないことだ…私は、見ろ、最後に…暴れてやったぞ…ずっと…思ってたんだ…こんな、こんなのが、杉っぱちが、こんなのが何なんだよぅ…なんだっていうんだって…だから、すっとしたんだ…最期に言ってやれたんだ。だから、死んだとしても、私は悔いが…ない。…ありがとう…。」
エンキドゥは何も応えなかった。立ち昇った最期の熱い呼気は一筋になって、連日の雨で冷えた空に快く迎えられていった。それからすぐに太陽が顔を出した。涙は拭われたようだった。
フンババの命が抜けた肉体は、大地に帰った。エンキドゥが腹を割くと、シャムハトの骨は見つからなかった。だが、代わりに幾つもの植物の種があった。夥しい数だった。
どうして、こんなものがフンババの腹の中にあるのか、エンキドゥにもギルガメシュにもわからなかった。だが、エンキドゥはこの種をフンババが死んだ傍らに植えた。
植えてから二人は森を後にした。香柏を幾つか切り倒して持ち帰ることにした。香柏を切り倒そうと手で触れた時、二人は初めてこの立派な樹木を隅々まで観察した。エンキドゥは言った。「僕たちの森にある、年老いた木だって負けてないね。」ギルガメシュも言った。「あの森に勝るものなどない。例え、香柏と言えどもな。汲々とする程のものであるか?いや、そんなことはあろうはずがない。だが、求める民が居る。我は王である故な、持ち帰らねばなるまい。…これでは番人とどこが違うのか…。」
二人は力を合わせて木を切り倒そうとして、止めた。フンババが殴り倒したものの中から状態の良いものを選ぶと、これを二人で担いで持ち帰った。二人は新しく木を切り倒すことはしなかった。
ギルガメシュとエンキドゥが帰還した。ウルクの人々の喜びようと言ったらなかった。彼ら二人の肩には夢にまで見た香柏があるのだ。香柏を持ち帰ったのだ。それも、これまでに聞いたこともない一本丸々を。それは即ちフンババの、杉の森の番人の死を意味していた。人々はギルガメシュとエンキドゥが祭壇の上に無造作に放った香柏に殺到して、一度に何人とが集まっては畏れ多い様子で指先で触れては歓声をあげた。
ウルクの民は、香柏の周囲で屋台が設営され、炊事の煙をあげ始めるのに合わせて祭りを催し始めた。ギルガメシュとエンキドゥは香柏のことなど頭の片隅に追いやり、ただ一心にアマロの元へと足早に向かった。
ギルガメシュとエンキドゥとの再会をアマロは信じて疑わなかった。だから、エンキドゥが怒られるのに怯える様に「ただいま、父上。」と呟くように言ってもめくじらを立てることはしなかった。だから、ギルガメシュが「戻ったぞ…少し、遅くなったな。…土産を選ぶのに時間を要したのだ。」と珍しく謙虚な口調で言っても、笑うことはしなかった。
ただ、「おかえりなさい。」と優しく言うと、余計なことは何も言わずにただ二人を胸に迎え入れたのだった。ほっこりするような仕草に二人は初めて気が抜けて、帰るべき場所に帰ってきたのだと、そう実感したのだった。
ギルガメシュとエンキドゥは競うように、彼の温かい胸に飛び込んでいった。こんな時、決まってアマロは揺るがない強さを発揮した。飛び込んでくる大人の体を持つ二人を、両足に力を込めて受け止める。受け止めた二人は揃って頭をぐしぐし胸に擦り付けた。腰に二人分の腕が回って少し息苦しさを感じる。強い力だった。よほど応えたようだった。
三人は一年ぶりの再会を沈黙の下で噛み締めた。そこには一混ぜには出来ない複雑な想いが重なり合っていて、それらを言葉で表すにはまだまだ時間を要したのだ。旅の終わりとは、旅の始まりの時には見えなかった景色が見えるようになって初めて訪れるものだから。二人の旅は今ようやくひと心地着いたのだった。
脅かされる恐れの無い安心の下で、それらはゆっくりと噛み砕かれ、旅の最上の土産話として、教訓として、彼らの大切な者と共有されるのだろう。
喧騒から隔離された静寂の空間で、三人は抱き合ったまま心を交わし、互いの安穏を祝った。喧騒の輪がウルクの隅から隅までに広がる頃、三人は場所を宮殿に移した。ギルガメシュとエンキドゥはそこで旅の顛末をアマロに語った。
フンババが死んだ。巨人が死んだ。全ての恐れが居なくなった。
天界の神々はこの忠実な巨人の死に恐れ慄いたに違いない。神々の中でも弱い者達は盛んに次のように騒ぎ立てた。
「ギルガメシュとエンキドゥは、ウルクの双子の獅子は、最早神をも恐るに値しない凶悪な力を手に入れたのだ。次は我らを弑するに違いない。そうでなければどうしてフンババを殺してしまえるのか。」と。
この時ばかりは主神アヌや神々の王エンリルが諌めても、騒ぎ立てる声は一向に小さくならなかった。次第に、古い神々も若い神々や弱い神々に追従するようになった。
そして終いにはこんなことも言い出し始めた。若く血気盛んな神々曰く、「殺してしまおう!!ギルガメシュとエンキドゥのどちらかを、その力の穂先が我らに向く前に、我らへの傲慢を育てる前に、今にも打ち殺してしまおう。」
神々の中には、それまでのイナンナへの不満など無かったかのように、「イナンナ様の婚姻の儀に謀を持ち込むような輩でございます。アヌ様の娘神になんたる仕打ちでしょう。これは不敬極まります。地上の勢いづく様は見るに堪えません。さぁ、今すぐにでも除いてしまいましょう。」と言い出すものもいた。
いよいよ困ったアヌはエンリルと、天界で最も信頼に値する神である、太陽神シャマシュと、創造と水の女神エアを集めると、彼らに相談を持ちかけた。
アヌ曰く、「どうしたら良いだろう。神々の言葉にも、少なからず一理ある。ここのところ、確かに地上は盛んに過ぎる気がしなくもない。だが、何とするのが程よいものか、果たして私には見当もつかぬ。貴方達の考えを聞かせてほしい。」
アヌは深刻な様子である。ここのところ、イナンナから取り上げているグガランナの腹の居所も良くなさそうに見える。悪いことが重なるような感触に、流石の主神も頭を悩ませていた。
これに対してエンリルは簡潔に「洪水を起こしたらどうだ?前回は静かになったではないか。意図せずに酷いことになってしまったが、あれはあれで天界はしばらく静かになったぞ。」と洪水で何もかも洗い流すことを進言した。アヌは「なるほど、だが前回ほど大々的にしては冥界の力がまたしても増してしまう。それは看過できぬ。はて、どうしたものか…。」と難色を示した。
次にシャマシュが言った。「ならば、私が少しばかり旱でも起こして見せようか。それならば、程よく地上の民も祈りに励むようになろう。」
これにもアヌは「うむ。確かにそれも良さそうだ。…しかしな、やはり娘が何とするものか…豊穣の祈りはどこまで行ってもイナンナへと向かうのだ。故に、旱の苦しみを逃れんとすればするほどにあ奴の力が増してしまおう…。難しいことだ。」と難色を示した。
悩む三柱。あれやこれやと論議を重ねるも、結局導き出された結論は、「凡ゆる手を尽くして人間を減らし、あわよくば地上の力を削いだとしても、寧ろ削げば削ぐほど天界ではなく冥界の力が増してしまう。」というものであった。今になってあれほどの影響力を持つ者になるとは、苦々しい表情は父神アヌ。面倒臭そうな表情がエンリル神。一人苦笑いしているのがシャマシュ神であった。
埒が開かぬ、と気の早いエンリル神が帰り支度を始めた時、創造の水の女神エアが初めて口を開いた。「ではいっそのことイナンナ神の名の下に、地上に一時ばかりグガランナを放しては如何ですか?」ずっと思案顔だった彼女は最後の最後で最上の明案を三人に提示したのである。
不安気なシャマシュ神を除いて、アヌとエンリルはこの案に大賛成した。話し合いが終わるや否や、すっかり倦んでいたエンリル神はアヌ神の手からグガランナの首を繋ぐ鎖をひったくると、断るまでもなくこれを解いてしまった。
「お、お待ちを!!告知をしてからでなければ地上が滅んでしまいます!!」というエア神の金切り声も足が痺れた二柱の神の耳には届かなかった。
グガランナは腹の虫の居所が悪いせいか、真っ逆さまに地上へと堕っこちていったのだった。ものすごい速さで堕ちていくグガランナの後から、エンリル神とアヌ神は声を揃えて叫んだ。「豊穣と美と傲慢を司る女神イナンナの名の下に!!魔牛グガランナの怒りを地上に与えん!今こそ戒めの鉄槌を下そうぞ!!」
話を聞かない二柱に呆れたエア神は自らの宮殿に引きこもり、何となく、何となくこの後の展開が理解できたシャマシュはさっさと自分の持ち場に着くと、自らが照らす地上を高みの見物と決め込んだのだった。
「お、親方!!!空からバッッカでかい牛が!!!」「ナニィィィ!?」
ウルクは大慌てであった。何の前触れもなく、それこそ山のように巨大な牛が落っこちてきたのだから。前々夜の祭りの興奮もいまだ覚めやらぬウルクの民は頭から冷や水を打ちかけられたような混乱状態に陥った。
イナンナ神によるもの、という肝心の言葉だけが抜け落ちていたのは不幸中の幸いか否か…。ことが事だけに、人々は誰かの責任にするよりも先に自身の命を守らねばならなかった。神官の誘導に従い民のほとんどは宮殿と冥界神と豊穣の女神の神殿に詰め寄せた。
今地上に衝突しようかという緊急事態。地上への衝突の余波だけでウルク全壊の予感すらあるのに、相手は魔牛グガランナである。嵐と恐れと何もかもの災いを纏うこの巨大な牛を相手にすることは、特大サイズのマルドゥークを敵に回すようなものであった。
ウルクの運命や如何に……!?
ウルクが絶滅の危機に瀕していた時、即ちグガランナの腹の居所が悪い正にその時、何の偶然なのかイナンナの腹の居所も頗る悪かった。飼い山羊と飼い主は似るとはよく聞くが、これほど相互作用…いや、イナンナからの一方的な作用を周囲に撒き散らすものもないだろう。
さてどうしてイナンナの腹の居所が悪いのかというと、そこには浅からぬ訳がある訳ないだろう訳があった。というのも、一年前からアマロが冥界に帰ってきていないのである。「ギル達が帰ってくるまで冥界には帰らないよ。」と言うと、エレシュキガルとイナンナの誘惑も、シャムハトの制止も振り切って地上の宮殿に向かってしまったのだ。
何度となく一度冥界に帰ってくるように伝えても、朝から晩まで門と宮殿を行き来しては「帰ってきた時に待つ人がいないなんて私は耐えられない。」と言って二人の帰りを頑なに待ち続けた。
別に冥界の主人達はアマロを邪魔したい訳ではない。しかし、シャムハトはともかくエレシュキガルもイナンナも姉妹だからか引き止める理由は一緒であり、帰還してからの数日はアマロがギルガメシュとエンキドゥに独占されるだろうと予測してのことだった。散々待たせた挙句問答無用で甘い時間を独占されるのは、腹に据えかねるものがある。
そして二人が帰還すると案の定、今日の昼頃に帰ってくるはずだったアマロはまだ帰ってきていない。よりにもよって、ギルガメシュとエンキドゥと共にわざわざ杉の森のくんだりまで花を愛でに行ったと言うではないか。話を聞く限りだとエンキドゥが植えた謎の種が芽を出してはいまいかと様子見に行きたいのだそうだ。
何はともあれ、エンキドゥがイナンナを少なからず目の仇にしているのと同様に、エンキドゥを目の仇にしているイナンナの腹は煮え立ちまくっていた。腹立ち給えること限りなき女神イナンナの憤懣の源はまだあった。まあ、これは彼女の獣的な直感に過ぎないのではあるが、何となく誰かに噂されているような気がしてならなかったのである。誰とも解らぬ者に噂されることほど気に触ることもない。繊細な彼女はその内容も定かではないのだから尚更腹が立った。
彼女の憤懣は絶頂を迎えており、そこにアマロとのニャンニャン欠乏症が上乗せされ、僅かでも刺激すれば暴発しかねない活火山の様相を呈していた。
そんな、鋭利な刃物の様になったイナンナの耳にこんな声が聞こえてきたのは正に、これこそ不幸中の幸いであった様に思う。
「豊穣と美と傲慢を司る女神イナンナの名の下に!!魔牛グガランナの怒りを地上に与えん!今こそ戒めの鉄槌を下そうぞ!!」
イナンナは思った。「今なんて言った?」と。
イナンナはその寛大な懐を全開にしてもう一度、父神アヌと神々の王こと適当神エンリルの声を思い出した。
「傲慢を司るケバい女神イナン何とかの名の下に!!魔牛グガランナの怒りを地上に与えん!!今こそ、イ何とかへの鉄槌を下そうぞ!!」
イナンナは激怒した。ただでさえ腹の居所が悪かったのに、明らかな悪意が籠められた宣戦布告である。しかも相手は両名共に自分に負けず劣らず前科持ちの、父親失格の主神アヌと、女神人気の無さで知られるテキトー神こと神々の王エンリル。相手にとって不足なしとはこのことであった。お前だけには言われたくないと奮起したイナンナはエレシュキガルの制止を押し切って地上に仮初の肉体で顕現を遂げたのである。
「ギル!!ご覧よ!!すごい大きさの牛だ!!」杉の森からも気が遠くなるほど巨大な牛の姿は見えていた。
フンババの墓の隣には鮮やかな青の花が咲き誇っている。先ほどまで三人で祈りを捧げていたのだ。いざウルクへ帰還という所であった。アマロの指差した先には確かに巨大な牛の姿。三人は唖然としたが、牛が堕ちていく先がウルクだと知ると我先にと三人はウルクへ駆け出した。
駆け出す間際、エンキドゥの耳元に「ありがとう。」という優し気な声が微かに聴こえたのは気のせいであったわからない。だが、その後もエンキドゥはギルガメシュやアマロを連れて杉の森へと、フンババの元へと訪れるのである。
駆け出した三人の目線は牛に釘付けである。彼らと同じく、護人を欠いていたウルクの民も絶望と恐怖の表情で凍りついた様に魔牛の降臨を沈黙のまま見つめていた。
あぁ、ウルクは滅亡するのだ。誰かの口から音無き声が漏れた時、その時がやってきた。
「あ、アンタ!!どーしてこんなとこまできちゃったのよ!!!誰が飼い主なのか忘れた、なんて言わせないわよ?」
魔牛が今やという時、遂に腹立ち給えるイナンナがウルクに降臨した。暴風吹き荒れるをも意に介さず、爽風麗しい草原を散策する様な足取りのイナンナの神々しい御姿は、正に絶望の淵で沈黙を強いられていたウルクの民にとって希望の光に他ならなかった。
「イナンナ神に光あれ!!我らの神に力を!!」誰の声とも分からないが、その一言を皮切りに、イナンナを褒め称える声援は唱和へと瞬く間に変わった。ウルクの街を呑み込んだ唱和の響きは、言うのも今更であるが、褒められると伸びる女神の天界代表であるイナンナに、百の同情を買う以上の力を与えた。
先ほどまでの不機嫌から一転。上機嫌のイナンナは威風堂々、胸を逸らしてグガランナへと流し目を送った。」
「人間も見る目があるじゃない!!それじゃ、そういうことだから。グガランナ?覚悟はいいわね?…じゃなくて、アナタはいい子だから私のいうことが聞けるわよね?」グガランナはイナンナの凄みに二度返事で首肯した。よく見ると冷や汗が噴き出ている上に落下が止まっている。イナンナは気分良さげに高説を開始した。
「いい子ね!じゃあ、これから私が言うことを一言一句漏らさずに父上とエンリルおじさんにはハッキリ伝えるのよ?おっほん!」
咳払いしたイナンナの瞳は爛々と輝いている。グガランナは自分の失策を悟り、「ぶも!?」と鳴いた。
「これからグガランナを天界に放り込むわね!!これに懲りたら二度と私のことを傲慢でケバい駄女神だなんて、口が裂けても言わないことね!!もしも今度また何かちょっかいをだしてきたら、わかるわね?私自ら乗り込んでやるから、覚悟なさい!!以上よ!!グガランナ!!アナタは金星の代わりよ、ほら!!お逝きなさいな!!!」
「ぶもおぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
満面の笑みで、それまで溜め込んだ力の大半を足先に込めたイナンナは、生まれて初めて本気の蹴り上げを披露した。彼女の美麗な爪先は完璧な角度でグガランナの急所に直撃し、グガランナは絶命しながら打ち上げられて星になった。
光の速度を遥かに超える速さで直上に蹴り上げられたグガランナ。一瞬の出来事に、ウルクの民も、走りながら光の筋が天に突き刺さったのを目撃したギルガメシュとエンキドゥも、冥界からイナンナを観察していたエレシュキガルとシャムハトも…皆一様に絶句していた。喜怒哀楽を喪失した、ただ果てしない甚だしさに語るを禁じられていたのである。
蹴り上げた張本人のイナンナと、何かと経験豊富故に慣れているアマロだけがぼんやりと空を見上げてそれぞれの感慨を言葉にしていた。イナンナは「思ったよりもよく飛んだわね…。」と満足気に独りごち、アマロは「こんなに光が飛ぶのはルー以来かも…。」と目を見開いて良いものを見れたと驚きながら呟いた。
泣きながら、鳴きながら噴石の如く飛ばされていったグガランナの悲痛な叫びだけが人々の耳に残った。後世まで語り草になる、イナンナ信仰譚の最大の見せ場であった。
その頃、天界は一仕事を終えたとかいてもいない汗を拭う仕草で互いの労をねがらうアヌ神とエンリル神の姿があった。面倒ごとが片付いたことで神々の心を慰撫しようと、二柱は天界の主だった神々に召集をかけていた。
「もうすぐ来る頃だな。」とエンリル神が言うと、アヌ神は「これで何とか天界の騒ぎも落ち着く。エアには感謝せねばな。」と言って、何処となく悪どい高笑いをしてみせた。
「人間も地上も静かになるだろう!」とエンリル神の適当な発言に被せる様に、「イナンナの信仰も落ち込んで天界は力を取り戻す!良いことづくめだ!!」とアヌが父親失格の発言をかまして見せた。二人がまたしても演技くさい高笑いに勤しまんと大口を開き切った時、天界は前例のない揺れに襲われた。
「アヌ様!!エンリル様!!この揺れは何事か!!」招集されていた神々は不安な面持ちで二柱へ詰め寄る。二柱は何が何だかわからないと説明するが、それでは説明になっていないと神々は焦燥を顕に更に詰め寄った。
そして…エンリル神が「直ぐにおさまる!!」と適当な発言をした瞬間。「ぶもももももおぉぉぉぉ!!!!」と断末魔の叫びを上げて足元から気が狂うほど巨大なグガランナが噴き上げられたのである。
天界を縦に突き破ったグガランナは尚止まらず、シャマシュ神の土手っ腹に突き刺さることで何とかその破壊を止めた。これには流石のシャマシュも寝込むほどであった。かの太陽神シャマシュの惨状から鑑みて、天界の有様は押して測るべし。言葉に尽くせぬ惨憺たる光景が広がっていた。グガランナの遺言はイナンナからの警告という名の脅迫である。
アヌ神とエンリル神を含む神々はこの暴挙に震え上がり、これよりも上があるのか!?とイナンナへの恐怖を新たにした。イナンナ恐怖症となった天界は以後、地上から神秘が滅び去るまで一摘みほどの干渉すらも忌避したのであった。
魔牛騒動は神々の当初の思惑の真逆、人間と地上に完全な独立を齎す結果となった。人間滅亡を力ずくで回避した第一功労神として、豊穣と美の女神イナンナは地上で比肩する神がほとんど存在しない超越的な地位を獲得した。例外として知恵と水の神エンキ、偉大な太陽神シャマシュことウトゥも存在したが、それでも地上で最も栄えるウルクの都市神としてイナンナが選ばれたのはその権能の絶大なるに基づいてのことに他ならなかった。
「笑いが止まらないわね!!オホホホホ!」とは程よく酔ったイナンナご本人の談である。
天と地上は完全に分たれた。地上における無制限の繁栄を獲得したギルガメシュとエンキドゥはウルクの英雄として神格化され、新しい信仰対象として最高の栄誉を手にした。
ギルガメシュとエンキドゥが持ち帰った莫大な財宝は世界の全てと呼ぶに相応しく、以後数百年に渡るウルクの繁栄の礎となった。
繁栄の傍らで、ギルガメシュは王として、英雄の中の英雄としてウルクと人間の発展を静かに見守った。神々と人間を繋ぎ止める楔としての役を免れた今、使命の消失と共にギルガメシュは不老ではなくなった。
愛する者と静かに歳を重ねることを、人間として彼は選んだのである。とはいえ、その寿命は到底尋常の人間と同じものとは呼べず、数百年の長丁場となるのは明白であった。ゆっくりと、ゆっくりと、英雄王は自らの来るべき終わりの時へ近づいていく。
「ねぇねぇ、エンキドゥ、この花…とっても綺麗な花だね…見たことのない花だね。なんていう名前なのかな?」
杉の森。フンババの墓の程近くに青く美しい花が咲き誇っている。数株ほどに限られていた青い花は、今では一面の花畑になっていた。真ん丸く円を書く様に育まれた花畑は、見様に依れば豪勢な献花にも見えるかもしれない。百年、二百年。片時と絶やさずに、ギルガメシュとエンキドゥとアマロの三人が見守ってきたものだった。何時ぞやに見た景色に似ていた、と三人ともが思った。それは、第二の神聖な森の様だった。
アマロが指差してエンキドゥに尋ねたのは、花畑から外れた所に咲く一際青い一輪だった。エンキドゥは覚えている。確かにそこに、最初に植えたのだ。薙ぎ倒された香柏の根元に植えた一輪だった。あの日に声が聞こえた気がした一輪だった。
エンキドゥは花に触れず、一瞬きばかり愛でてからアマロに答えた。
「父上、この花の名前はフワワといいます。この森を見守る、優しい花です。」
エンキドゥの言葉にアマロは頬を緩めた。永遠に続くかの様な平穏がそこにはあった。風にあたりながら、三人は森を眺めた。素晴らしい香柏はウルクに富を齎した。だが、人が求めれば求めるほど森は小さくなっていく。遂には、今三人がいる花畑から百歩の距離まで森は小さくなってしまった。きっと、回復するまでには何百年と何千年という時間が必要になるだろう。杉の森が小さくなっても、三人がこの花畑だけは守り通して来たのは、中途半端な自己満足であったかもしれない。だけれど、結果として今もこうして青い花は残っている。森も小さくともまだ残っている。決してここが終わりではないのだ。
今が終わりではないと、そうエンキドゥは考えている。けれど、終わりが来ることも彼は知っていた。だから、彼は親友にこう問うたのだ。
「ギル、聞いて。フンババが言っていたんだ。僕も、父上も、ギルも、一緒に生まれることも、死ぬこともできないんだって。ギルは、怖い?」
何が、とは言うべきではないように思えた。ギルガメシュは少し俯いて考えてから答えた。「いいや。死ぬことなど、怖くはない。我がどうして、そんなことを恐れようか?我と貴様は力を合わせればあの巨人フンババすら打ち倒した英雄ぞ?どうして死などに恐れをなそうか。」と。
エンキドゥは儚く笑って言った。「そうだね。僕たちはフンババすら倒してしまったんだ。死ぬことなんて、そんなことは怖くなんかない。」ギルガメシュは「そうであろう。それでこそ英雄よ。我の友よ。」と何度も頷き笑った。
エンキドゥはこうも言った。「…今は怖くない。今は。でも、僕は時が来たらどうなってしまうのかな。死は怖くないんだ。でも、父上とも別れる、別れの時が、その時が来たら…。」
ギルガメシュは「今は、何も恐れることなどない!それで、良いではないか!もうこの話はやめだ!」と言い、強引に話を切った。エンキドゥの腕を引き、アマロの元へ向かう最中も、エンキドゥの心の中には次第に育つ別れへの不安を拭いきれずにいた。
平穏の時代は終わることなく二百年が経った。ギルガメシュの容姿は完全に成熟した大人の男となっていた。王としての在位は二百年を越えていたが、未だに後継者が生まれていないことだけが心残りだった。
ウルクの民は今や数万にも及ぶ程であった。毎日がお祭り騒ぎのように賑わい、飢え知らずの豊かな国に成熟期を迎えていた。だが、豊かであるがゆえに、次第に富は蓄積されはじめ、偏在の兆しを見せ始めていた。民の中にも階層が生まれ、持ち得るものと持たざる者が生まれた。それらは決して過ちなどでは無かった。純然たる、繁栄の結果に他ならなかったのだ。ウルクの富は群を抜いている。飽食であり、物乞いなど存在しない。水は澄み、肉を食することを僻む者はいないくらいに豊かだ。
だが、どれだけ他の都市以上に豊かであっても、どれだけ他の都市に比べて貧しさが貧しさと呼べぬほどに豊かな暮らしが与えられていても、ウルクの中での貧しさが確かに存在した。他の都市に暮らしていれば、その暮らしは王の如くと雖も、皆が皆豊かなウルクにあれば平凡な暮らしであるかもしれない。ウルクの中で極貧の部類に見做されようとも、他の都市であれば裕福な神官の暮らしに相当するものであるかもしれない。如何ともし難い不満足が、ウルク全体が享受する豊潤の表裏一体となって育まれていたことも、また否定できない事実であった。
賢王ギルガメシュはその統治を完璧なものとしていたが、完璧であるが故に璧に由来する瑕を無くすことは叶わなかったのである。彼はその一点に苦悩し、然れども超然としてウルク全体へと恵みをもたらし続けた。賢王として成熟した彼は人間に多くを任せるようになっていた。半日を森で、半日を宮殿で過ごした。森にいる間はアマロとエンキドゥと共に平穏と戯れた。
エンキドゥは人々の中で暮らすことを避け、杉の森や冥界で両親と共に穏やかに暮らした。望み通りの幸福に満ちた暮らしであった。変わらない安心や心の裕福を何より大事とした暮らしであった。その日の糧に感謝し、その日に起きた起伏の一幕一幕に学ぶ、そんな暮らしであった。風の吹くままに、水の流れるままに暮らし、時には色褪せぬ慕情をアマロと交わして、己の中に宿る全てを満たした。
時にはギルガメシュの手助けに駆けつけ、王の懐刀として力を振るうこともあったが、その生の多くを平穏に傾けた。生まれた所と同じ、自然に見守られ、自然を見守る生き方をエンキドゥは謳歌した。エンキドゥは、穏やかに、しかしギルガメシュより少しずつ早く歳をとった。外見が変わるのではなく、少しずつ、神秘とも神性とも言うべき何かが抜け落ちていった。
ギルガメシュはその様を確かに目に収めつつ、敢えて見て見ぬ振りをするようにした。ギルガメシュはエンキドゥと会うたびに心が躍るような話をするように心がけては森に響くような豪快な声で笑うようになった。
アマロもまた、エンキドゥのその時が遠くないことを理解していた。だから、だからこそ彼は何も変えなかった。それまでと同じように過ごした。同じものを食べ、同じ寝床で眠った。青い花を共に見守り、川辺に並んで座り涼に親しみ、小鳥の囀りに一緒になって耳を澄ませた。寄り添いあって日頃の感謝を伝え、時には冥界へ降りて家族三人で団欒した。シャムハトは少しも変わることなく、我が子を迎え入れていたが少しだけ目つきを寂しげにしていた。旅立ちか、別れか。アマロはそれまでと少しも変わらなかった。ただ、片時も離れずにエンキドゥに寄り添って暮らした。
そうして更に十余年が経ったある日、エンキドゥは動けなくなった。
ギルガメシュは声が出なかった。音のしない叫び声を上げながら一目散に宮殿を飛び出した。エレシュキガルの声で伝えられたという事実が、何より彼には痛く冷たい現実感を与えていた。
「エンキドゥ!起きろ!我に応えよ!エンキドゥ!我の親友よ!目を開けろ!声を聞かせてくれ!まだだ、まだ、我はまだ生きておる!!だから、まだいくな!」
森の奥、青い花に受け止められて眠るエンキドゥへ縋りついたギルガメシュは枯れた声で泣き叫んだ。大声を出していないはずなのに、カラカラに乾き切って喉の内側が互いにへばりついてしまったように擦れた音しか出なかった。泣き叫んでなどいないのに、殺したような懇願の叫びばかりが喉から搾り出されるのである。
エンキドゥの胸は静かに上下していた。ギルガメシュの手は小刻みに震えている。震える彼の手に、覚えたことがないほど冷涼な感覚が走った。アマロの手が重ねられていた。彼の表情は鏡のような水面にも思えた。ギルガメシュはどうしてアマロがそこまで落ち着いていられるのかわからなかった。それにはアマロがエンキドゥを誰よりも愛しているという明白な事実が拍車をかけていた。
ギルガメシュは純粋な疑問からアマロに問うた。「アマロ…エンキドゥは、死んでしまうのか?…なら、どうしてそうも落ち着いていられるのだ。」
アマロは言う。「私が、私だけは知ったような顔をしてはいけないから。エンキドゥは精一杯生きて、そうして「今」終わりを迎えようとしている。今しかないんだ。未来にも過去にも、エンキドゥの終わりはないんだ。私がキングゥの死から学んだことは、その生を喜び、その死を悼むことは過去にも、未来にもできると言うことなんだ。だからギル、エンキドゥから目を離さないで。見届けるんだ。私は死ねないから。終わりのない私にとって、泣くことも笑うことも、思い出すことも今じゃ無くても出来ることなんだ。今だけは他ならぬ「今」を生きているエンキドゥのことを見守るんだ。生きているエンキドゥを忘れないために。終わりがない私がこの子を決して忘れないために。私の「今」は全てこの子に捧げるんだ。だから、今は泣けないんだ。」
アマロのもう片方の手は固くエンキドゥの手に握られていた。穏やかな表情のエンキドゥは動かない。だが、胸が僅かに上下している。まだ、エンキドゥは生きている。固く握られた手と手は侵し得ないものだ。
ギルガメシュは顔を拭うとエンキドゥの手を握った。「エンキドゥ!!我はここにおるぞ!!」そう呼びかけた。目を離さない。少しずつ、エンキドゥの体から熱が奪われていくように思えた。涙が溢れそうだったがギルガメシュはその度に隣のアマロを見た。初めて見る気丈な姿だ。悲壮に見えるほど儚く、されども穏やかに微笑んでいた。ギルガメシュは唇を噛んでエンキドゥに声を掛ける。
エンキドゥは時折呼吸が止まるようになった。体の芯から凍るような、そんな恐ろしい冷たさが指先に刺さる。ギルガメシュは我慢できなかった。涙が幾筋と伝った。鼻を啜る。例え、エンキドゥが死んでも冥界との行き来はできるだろう。だが、それは生きているエンキドゥと共に過ごすこととは全く違うことだった。ギルガメシュは生命の終わりに向き合っているのだ。
夕日が三人を照らす頃、エンキドゥの体は冷え切っていた。胸の奥の奥に灯る僅かな燈だけが、彼をここに繋ぎ止めているものだった。ギルガメシュはエンキドゥの姿を見た。よく見れば、この半日でどっと老け込んだように見えた。艶やかだった髪は翠が薄れ、肌艶は目に見えて乾き切っていた。たった半日。然れども半日。肉体の三分の二を神が占めるギルガメシュとは違い、血こそこの上なく尊くとも、その実は人間の域を僅かに越える程度であり、神々には及ばない。キングゥの血と同化したことで今の今まで生きてきたのだ。ガタが来ていたのだ。アマロの特質はその子に受け継がれないのもあろうが、それでもエンキドゥは終焉の虜とされていた。
色艶の抜けた御髪、衰えて乾いた肌…ギルガメシュにはそれらがどうしても醜く見えたのである。死への恐れが美しさへの執着に転じた瞬間であった。ギルガメシュはしかし、醜いという強烈な感情に苛まれても尚エンキドゥを親友として変わりなく認めていた。エンキドゥの美しさゆえに親友になったわけでは無かったのだから。だから、ギルガメシュの恐怖は今ここに強迫することはなかった。むしろ彼は握る力を強めて、垂死のエンキドゥの顔を見つめた。
「ッ………ーーーーー……………。」
「……………。」
「……………。」
突然、一息が入れられた。浅い息だった。だが、鼓動を源にする力強く吸い込む息だった。それから直ぐに、掠れがちな息が抜けていった。朝靄が太陽に照らされた途端に、静かに溶け込んでしまうのによく似ていた。息が抜け切る前触れはなかった。余りにも淡々と、まるで肉体が最後の作業を終えたような、冷たく機械的に、末期の息が生暖かく頬に吹きかけられたようだ。ギルガメシュは何も言えなかった。頬を触り触り、恐る恐るエンキドゥの胸に手を置き、口の前に手を翳した。手のひらを見つめてみる。汗濡れで冷たく冷え固まった手だった。冷たい手を震わせながら、そのまま目元を覆う。喉につっかえて何も漏れ出てしまわない。目を覆う手の指の隙間から、アマロの顔が見えた。唇から血が流れ出していた。アマロが血を流しているのを見るのは初めてだった。両目からとめどなく滂沱の涙が流れている。「あぁ…もう、「今」は終わってしまったのだな。進まねばならぬのだな。」ギルガメシュは誰にということもなく独りごちた。アマロはエンキドゥに縋り付くと、その胸に顔を埋めて嗚咽を漏らし始めた。あれほどに落ち着き払っていたのが嘘みたいだ。呆然と、冷静の狭間でギルガメシュはアマロの号哭とエンキドゥの安らかで満足げな表情を見比べていた。「我にも、そんな風に縋ってくれるか?」とはとても聞けなかったが、ギルガメシュはそう思ってしまった。その瞬間に彼は理解した。「次は…次は、我の番なのだな。」そうなのだな。そうなって然るべきなのだな。ギルガメシュは嗚咽するアマロの肩を抱いて、一時、考えることをやめ、ただひたすらに前へ進むために、そのために泣いた。エンキドゥは死んだのだ。
エンキドゥの死は、ギルガメシュのそれからの生について回った。いや、アマロと共に生きる自身について回ったのだ。その悩みが膏肓に到りて、ギルガメシュは決意する。
「我はアマロの悲しみにはならぬ。我はアマロと共に生きる。我は、不老不死を勝ち取ろう。然すれば、煩わしい死の恐怖に苛まれることなどない。」
ギルガメシュの覚悟を知ったアマロは、彼の旅に同行すると言い、ギルガメシュはこれを受け入れた。
イナンナやエレシュキガルの協力もあり、神々の古の話から唯一不老不死となり得る知識をもつ存在を探し当てた。その存在こそはアトラ・ハシース或いはウトナピシュテムである。
彼は巨大な方舟を作り、神々による大洪水の生き残りであった。その幸運に免じて、後代に人間を絶やさぬようにと不老不死を授けられたものであった。
ギルガメシュはアマロを連れ立ち、この存在に会いに向かった。道のりは険しきも易しきもあったが、エンキドゥと共にシャマシュの試練を悉く制覇したギルガメシュには造作もないことであった。時にはアマロを担ぎ、時にはアマロを横抱きにし、時にはアマロを背負いながら悉くを駆け抜けた。
そしてとある街に立ち寄った際、ギルガメシュは酌婦シドゥリとの邂逅を果たした。ギルガメシュはこの賢く繊細な、巫女でもある女性に問うた。
「我は不老不死を求めて、ウトナピシュテムを探す旅をしている。貴様はここいらで最も見識が広く、思慮深いと聞いた。是非とも我に貴様の知る、不老不死についての全てを教えてくれ。」
ギルガメシュの言葉を静かに聞き終えたシドゥリは逡巡の末にこう答えた。「ウルクの王よ、賢き人よ、人間の王よ、貴方は本当に不老不死というものを理解しておいでなのですか?」
ギルガメシュは言った。「無論だ。我は、アマロと共に生きるためならば、アマロの幸福のためならば如何なる手段も厭わぬ。不老不死によって、我の愛おしいアマロの心から悲しみを除くことができるのならば、アマロの隣で永遠に共に歩めるのならば、我は如何なる困難をも打ち破ろう。」
シドゥリは悩むそぶりを見せてから、こう答えた。「貴方は是非ともアマロ様のことをもう一度お考えになるべきです。貴方は、どうしてアマロ様に愛されているのですか?貴方はアマロ様のどこに惹かれたのですか?アマロ様はどうして「 」を愛されたのですか?少なくとも、アマロ様が貴方を今も変わらず愛していらっしゃる理由に、不変であることなど含まれてはいないのではありませんか?」
ギルガメシュは「…貴様は我が思う以上に、遥かに識者であったか。」とシドゥリを褒め称えてからその場を後にした。シドゥリは去るギルガメシュの背に向かい、「一度手に入れてご覧になるとよろしい。ここから更に西に進んだところに川があります。その川を渡り、更には島に辿り着ければ、そこに貴方の探し人は居られましょう。それでも尚お求めになるのなら、或いは新たな道を見出されたのならば、また私の元にお立ち寄りください。きっと、心望に叶うものをご用意いたします。その時は、是非私にも貴方の愛してやまないアマロ様を一目拝見させて下さいな。」と言った。
ギルガメシュは「礼を言う。大義である。」と言うと、夜が明けぬ内に眠るアマロを抱いて西へと発った。
西の果てに見つけた一面に広がる水の流れを渡り、辿り着いた先でギルガメシュはウトナピシュテムと出会った。ウトナピシュテムはギルガメシュが不老不死を渇望していると理解していたが、敢えて知らぬふりをして身の上話を始めた。
ウトナピシュテムは語った。「人間は古に神々の怒りを買った。私と私の家族は敬虔に暮らしていたが、それが全ての人間に当てはまっていたわけではなかったのだ。人間は数ばかり多く、互いへの思いやりに欠け、神々はこれに腹を立てた。騒がしい人間を一度、選ばれたものを除いて全て洗い流してしまおうと考えられたのだ。私は神の声を頼りに、決められた月日を頼りに巨大な船を拵えた。そして、雨は降った。大洪水に全てが流されたが私と私を信じた者たちだけは生き残った。そして、神々が最も賢いと選んだ私だけが不老不死を与えられて、今もこうして生きている。私を信じたもの達は代々、この離れ島に私と共に暮らしている。」
ギルガメシュは聞いた。「ウトナピシュテム。貴方に伴侶はいたのか?」
ウトナピシュテムは答えた。「いいや。もしも伴侶がいたならば、私は耐えられなかっただろう。今もそうだ。不老不死とは、そう言うものなのだ。賢き王ギルガメシュよ。君は自身が求めるものが本当に不老不死だと思っているのかね。」
ギルガメシュも語った。「我は先日に友を失った。心を分けあった友だ。決して代わりのいない友だ。同じ人を愛した友だ。そんな友が死んだのだ。死ぬ時、あれは何も言わなかった。静かに、砂が風に吹き攫われるように死んだのだ。なんと、淋しいことだったろう。あれは死ぬ時、老いて死んだのだ。我はあれと同じ時を生きた。だが、今もこうして少しとも老いてなどいない。だが、昨日まであれ程に美しかったエンキドゥは、死ぬ時には老いてしまったのだ。醜く老いてしまった。置いて行かれた我は孤独以上に恐怖を感じた。我は…否、我もエンキドゥと同じになるのではないか、と。我もまた愛しいアマロを置いていくことになるのだろうか、と。我は恐ろしい。老いは死の前触れだ。だから老いは醜く、忌むべきものだ。我はアマロを置いてなど行きたくない。我はずっと、あれの隣にいたいのだ。」
ウトナピシュテムは頷いて言った。「わかったよ。君の言いたいことはよくわかったよ。ならばこうしよう。もしも、私が渡す霊薬をウルクにまで持ち帰ることが出来たならば、そうしたならば君はその霊薬を飲むといい。飲んで、そうして不老不死になるといい。だが、ただ帰るのではないよ。帰り道に君の気持ちが変わらないのならば飲むといい。帰り道に霊薬が失われないのならば飲むといい。帰り道に一度でも老いたるを美しいと思わなければ飲むといい。どれか一つでも、心の奥底に湧き上がるものがあるならば、然らば…君が寄り、君が学んだ彼女の元へ、シドゥリの元へと向かうといい。そこで、もう一つの霊薬を貰い、それを飲むといい。どちらとしても、君の願いは叶うだろう。その願いは、古いか新しいかの違いなのだ。さぁ、行くがいい。賢き王ギルガメシュよ。人間の英雄。人間の王ギルガメシュよ。」
ギルガメシュは言った。「貴方は真の賢人であるようだ。無礼を許せ。」そう言うと、ギルガメシュは離れ島を後にした。
ウルクへと変える道のり、ギルガメシュはアマロと並んで歩いていた。とある街へ立ち寄った時、二人は街角で高説家の話に耳を傾けた。
高説家は語った。「不老不死とは真に素晴らしきものであろうか。答えは否であろう。神々が定めた命を徒にしてしまうものではない。天罰を恐れる敬虔なるものならば、静かに自らの命を全うするのが賢明であろう。」
ギルガメシュは問うた。「では、その神々は死なぬのか?果たして、本当に神々だけが命とやらを定めるのであるか?奪われる命もまた、定められた命なのか?」
高説家は何も答えなかった。ギルガメシュの心は変わらなかった。
ウルクへと変える道のりが半分に来た時のことであった。昼の食事を摂ろうと手頃な石に腰掛けた二人は、それぞれ、剣と霊薬を石の影に置いた。食事の荷を持つアマロは二人分の素朴な木の杯と、硬く焼いたパンを取り出した。アマロは二人分の杯に葡萄酒を注ぎ、ギルガメシュはパンを二つに割った。
今今食事を摂ろうかと言う時、アマロが叫んだ。「ギル!!そこに蛇がいる!!岩陰に!」
ギルガメシュはパンを口に咥えると開いた方の手で素早く蛇を遥か向こうに放り投げた。霊薬は無事であった。
ギルガメシュは霊薬を失わなかった。
ウルクの手前に差し掛かり、シドゥリと出会った街が見えてきた。旅はそろそろ終わりを迎えようとしていた。
門から入り通りを二人で歩いていると、向かいから老夫婦が歩いてきていた。
老夫婦の後を見守るように彼らの家族らしき大人の男が歩いている。荷物を運んでやっているようだった。老夫婦の周囲を見た。ウルクとは比べ物にならぬ、ウルクに住むものからすれば何とも見窄らしい姿だ。周りの屋台で売られているものもウルクのものとは比較にならぬ粗雑な味覚に違いないと、そうギルガメシュは思った。老夫婦を見た。何方も皺くちゃで、手は分厚く、固くひび割れている。旱魃の後の大地のように、乾いた肌の中で小さな瞳が光っている。ギルガメシュは老いとは何とも醜いものだと思った。彼らとて、昔はもっと瑞々しかったはずだと思った。
ギルガメシュの心は老いたるを美しいとは思わなかった。
はずであった。
手を引かれる。ギルガメシュはアマロに手を引かれていることに気づいた。
ギルガメシュは聞いた。「アマロ。どうしたのだ?何か気になるものがあったのか?」
アマロは言った。「ギル、ご覧よ。あのご夫婦はしっかりと手を握って歩いているだろう?よく見てて、ほら!旦那さんは腰の曲がった奥さんがゆっくり歩むのに合わせて、自分もゆっくり歩いている。奥さんは自分に気を向ける旦那さんが転ばないように、人とぶつかりそうになると手を引いてくれてる。子供は二人が自分の足で歩くのを、助けるでもなく静かに見守ってる。彼らは互いのことを、老いても老いていなくても思い遣り合っているんだね。」
ギルガメシュは目を擦った。そしてもう一度老夫婦と彼らを見守る男の姿を観察した。確かに、アマロの言う通りだった。ギルガメシュは恥じた。今の今まで自身が恐れていた老いというものへの考え方は、間違いなく表面的なものに過ぎなかったのだ。衝動的な恐れが、かけがえのない友の死によって先鋭化してしまっていた。そのことを彼は自覚したのだった。
そして、彼は老夫婦の姿に、誰に言われるまでもなく自身とアマロの姿を重ねた。
老いたるは自分。そんな自分と並んで歩くアマロ。彼はきっと変わらずに自分を支えてくれることだろう。そして、二人を見守る誰か。それは、自身の子供であってほしいとも思う。誰との子なのだろうか。
そこまで思い至った時、ギルガメシュは一つ古い願い事を思い出した。そうして、もしもその願いが叶うのならば、それは不老不死にも勝るとも劣らぬに違いないと思えた。
ギルガメシュの熟考を断ち切ったのは、またしてもアマロの声であった。
アマロは語った。「…私は老いることがない。死ぬこともない。だから、これは無い物ねだりなのだけど。それでも、いやだからこそ、私は人間という存在がこの上なく愛おしいよ。君もさ、ギルガメシュ。あの老夫婦もいつかはその生命を静かに終えるのだろう。無意味とか、有意味とか、そんなことはどうでもいいんだ。ただ、惰性でもなんでもいいから、直向きに「今」を生き続ける姿が、心底美しいと思うんだ。私には無いものだから。だからこそ、美しいと思うんだ。愛おしいと思うんだ。」
ギルガメシュはアマロの本音を聞いた気がした。ギルガメシュの口をついてこんな言葉が出た。「アマロにも羨ましいと思う気持ちがあるのだな。そうか、人間は美しいか、老いても、美しいか。」しみじみと体に行き渡ったそれは自分にも語りかける言葉であった。
ギルガメシュは今一度老夫婦を見た。なるほど。アマロはきっと、彼らを心底美しいと思えるに違いない。その外見などに振り回されることなく、その生き方、在り方を美しいと言っているのだ。ギルガメシュは目が覚めたような気がした。
ギルガメシュはアマロの手を握るとこう言った。「アマロは我が老いても傍に居てくれるか?」
アマロは答えた。「たとえ、ギルが嫌だと言っても一緒にいるよ。何てったって、君は私の獲得者なのだから。君の最初から最期まで、私は君の隣で生きるよ。どんなことがあっても、これまでも、これからも、それだけは変わらないよ。」
ギルガメシュは笑って言った。「そうか…愚問であったな。そうか。そうなのだな。アマロが共に居てくれるなら…然らば、我もアマロのように老いを美しいと思えるやも知れぬな。…そうだな。」
ギルガメシュは一人老いることを醜いと思った。けれど、隣にアマロが居てくれるならば、そう彼の口から聞けたのならば、聞けた今ならば、共に老いることも美しいと思えたのだ。
ギルガメシュは老いたるを美しいと思ってしまった。心変わりとは言えなかったが、そこには新たに燃える夢が、焼き直しの願いが生まれていた。
ギルガメシュはアマロの手を掴むと走り出した。
驚いてアマロが聞いた。「ギル!?突然走り出してどうしたの?」
ギルガメシュは楽しげに答えた。「シドゥリの元へ向かうのだ!!彼奴が言ったのだ。もう一つの霊薬とやらを受け取りに来いとな!くれるというなら貰おうではないか!!」
するとアマロも楽しげに聞いた。「ふふふ!なら、もう不老不死の霊薬はいいのかい?」
ギルガメシュは更に楽しげに答えた。「フハハハハ!!!!こんなものッ!このウルク王の前には無用の長者よ!!こうしてくれるわ!!!」
ギルガメシュは走りながら宙に霊薬を投げると、器用に鎖で袋ごと木っ端微塵にしてしまった。キラキラと神秘的な粉粒が舞う中、アマロとギルガメシュはシドゥリの元へと風のように走って向かった。
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ギルガメシュ叙事詩とは凡ゆる物語と、凡ゆる英雄の原典と呼ぶべきものだ。その歴史は長い。その長い歴史の中で数多の物語が紡がれてきた。それらの中には多様な矛盾と多様な潤色が加えられたものも多いが、真の名作とはそれらを呑み込んで面白味を増すものであるらしい。
フンババとの戦いやエンキドゥとの出会いなどそれぞれの展開一つとっても書き手の数だけ豊富な表情を見せてくれる。しかし、そんな中でも決して変わらない一点が存在する。それはギルガメシュ叙事詩の始発点と終着点は必ずウルクにあるということだ。
ウルクで始まり、ウルクで終わる。それが鉄則である。
さて世界で最も長く愛される叙事詩のクライマックスについて、作品の小宇宙の中から精選された珠玉の変わり種の中でも、一際異彩を放つ一編を最後に一つ紹介したく思う。
作者不明の、しかし古さに於いても他の追随を許さないこの一編には実に信じ難いことにその古さゆえに本物の原典ではないかという指摘も存在する。とはいえ、恐らくは同時代の派生作品または創作であろう、というのが殆どの学者が推す学説である。
そんな最古の一編にはこう記されていた。
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最終章に曰く、賢王ギルガメシュは不老不死の霊薬を求める旅から帰還した。傍には出立の時と変わらず黒曜石の希望が寄り添う。
王の帰還をウルクの民は歓喜と仰天で迎えた。何故ならば、王の姿は出立の時の面影を残したままに、絶世の美女へと変貌していたからだ。
ウルクの民は王の姿が変わったのは不老不死になった兆しであるとか、旅の途中で神の怒りを買ったが故の天罰であるとか噂しあった。
民が噂する中、王は堂々と語った。「不老不死の霊薬など蛇にくれてやった。もとよりそんなものなど無かったのだ。我は共に生き、共に老いることにした。」王はそう言うと民の歓声を背に宮殿へ入った。
ウルクは王の帰還でますます栄えた。街はますます広大になり、イナンナ神の神殿には貢物が絶えなかった。
王は子を産んだ。念願の後継者が誕生したのだ。名をばウル・ヌンガルと言う。偉大なウルクの次代の王である。民は王に祝福の祈りを捧げた。
ギルガメシュ王の治世が三百と数十余年に届いた時、王が倒れた。
王は老いてなお偉大であった。傍には常に黒曜石の君が侍っていた。老いは三百年に差し掛かると激流の速さで王の体を蝕み、天を貫かんばかりの美貌も翳り衰えた。民の中には男としての威厳に欠く、老婆の女王に何が出来るのかと、口さがなく言うもの達も後を絶たなかった。
だが、それから更に数十余年に渡りギルガメシュ王は王の責務を果たした。ウルクを繁栄に導き、災いを打ち砕き、悲しみを洗い流し、喜びを降らせた。
王の傍には片時も離れず黒曜石の君が居た。いよいよ、王は衰えた。ある者によれば、霊薬は王の肉体を蝕んだようである。神の身といえども人間として生きることを選んだ王は、太古の大王マルドゥークにも並ぼう。だが、人間として生きて尚、その繁栄を存続させんと黒曜石の君との間に子を産み落としたのは、霊薬こそ力を借りたとはいえギルガメシュ王が開闢以来初めてのことである。マルドゥーク大王にも成し得なかった、魅せられし者共の悲願を王は遂げられたのだ。
衰えた王は遂に静かに横たわるままとなった。王の肉体は三分の二が神であるが、それでも人間とそう変わりのないものだった。巫女や女官すら遠ざけた王の身近の世話は、その最後の時まで黒曜石の君が負った。
王といえども、神といえども飯を食い、便を拭う。それは偉大な英雄とて変わらなかった。食も喉を通らなくなった王は痩せ細った。すると黒曜石の君は王に口移しで粥を与えた。
黒曜石の君は共に同じ寝台で眠った。老いたる王は時には寝台を夜分の失禁で汚すことさえあった。だが、誰しもが嫌がる汚物の始末といえど黒曜石の君は王に優しげに微笑みながらこなした。瞳を開けずとも王は穏やかに、しかし時折恥いるような、悔いるように顔を歪めた。そんな時、黒曜石の君は弱り乾いた肌を水を吸わせた布で優しく拭い、それから柔らかく撫でた。歪んだ顔は穏やかに戻る。戻るまで、何度も声をかけるのだ。
黒曜石の君はいつも、必ずこう言い聞かせていた。「だいじょうぶ。私はこれっぽっちも後悔なんてしては居ないよ。ギル、私は幸せなんだ。だから、だいじょうぶ。そんな顔をしないでおくれ。私も一緒に老いるから。こうして、一緒に生きるから。見捨てたりなんかしないよ。私は英雄のギルガメシュを愛したわけじゃない。王様を愛したわけでも、神様が作った楔を愛したわけでもない。君を、人間の君を愛したんだよ。私はギル、君を愛しているんだよ。だから、だいじょうぶ。」
それから間も無くしてギルガメシュ王はウルクで息を引き取った。肉体は末期の呼気が天に昇ると、間も無く男の肉体へと戻った。艶やかな美しい男の亡骸であった。一つの伝説を、一つの神話を作り上げた王の遺骸には相応しいものだった。それは実に静かな終わりだった。黒曜石の君は、王の死した肉体が王墓に収められる最後の最後まで、決して王の手を離さなかった。
遺言は数十年も前に既に言伝があった。遺言に従い、王の亡骸のその宝物の殆どは王墓とウルクの財に収められたが、生前に王が手ずから編まれた最上のラピスラズリと金のみで出来た極めて貴重なビーズの手首飾りだけは黒曜石の君に贈られた。
次代の王であるウル・ヌンガルは王となったその日に言った。「神となった王は天界から、いや冥界より我らがウルクを見守られるのだ。黒曜石の君、我が父上におかれましては、ウルクに神殿を構えられるのがよろしいかと。」
ウル・ヌンガルの言葉に黒曜石の君は答えた。「いいや、ヌンガル、それは出来ないよ。私は、私はギルの最期の言葉を聞き届けた。ギルは私に自由にせよと言った。そして、今、私は私の獲得者を再び失ったのだ。ヌンガルよ、お前は我が子ではあるが、我が獲得者ではない。許せよ。だが、お前は賢く、実に勇敢な王だ。ウルクには暫し、揺るぎない繁栄がもたらされることだろう。ウルクよ、ギルが愛したウルクよ、さようなら。」
黒曜石の君はそう言うと、ギルガメシュから贈られた手首飾りを左手に通すと、着の身着のままでウルクの門を出ていった。
黒曜石の君はウルクの門から歩き続けた。道中、冥界の女王エレシュキガルとイナンナが彼との別れを惜しみ、だがギルガメシュの遺言を侵さず、彼の旅路に祝福を願った。二柱はそれぞれの加護を黒曜石の君へと贈った。
杉の森の近くへ通りかかる頃、少女の声と共にエンキドゥとシャムハトの声が二柱から僅かに遅れて黒曜石の君の元に届けられた。ギルガメシュはまだ冥界に辿り着いていないようだった。彼らもまた、別れを惜しみつつ、来るべき時が来たことを受け入れ、それぞれの加護を黒曜石の君へと贈った。少女の声は誰のものなのか、黒曜石の君が問いかけると、エンキドゥは透ける指で青い花畑を指して「フワワの声ですよ父上。」と答えたという。杉の森へ立ち寄った黒曜石の君はフワワから加護の代わりに青い花を一輪贈られた。決して枯れない花である。
花を御髪にさした黒曜石の君が笑んだ。皆は今度こその永訣を悟った。
遠く、遠くへと黒曜石の君は歩いていった。背が次第に小さくなっていった。
こうしてギルガメシュの物語はウルクで始まり、ウルクで終わった。英雄王の偉大なる物語は、彼と共に歩んだ全ての者達と共に永遠に語り継がれることだろう。
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伝説となったギルガメシュ叙事詩の爾後、霊長史の特異点と呼ばれる歴史の瞬間のその悉くに黒曜石の希望の姿を認めることができるようになる。ギルガメシュ王が一時といえども女体であったなど到底信じ難いことである。
しかし、近代以降の写真には確かに黒曜石の希望と考えられる存在を写したものが存在し、その殆どはフラッシュバンのような、いわば光の粒や通称「後光」に邪魔されて明瞭には素顔を確認できていないものの、極稀に顔以外の部分を明瞭に写したものが発見されることがあり、その際に彼が身につけている装身具の中には間違いなく青い花とラピスラズリのブレスレット、そして首元には黒曜石の角羊飾りが煌めいている。
神秘的なこの存在の正体とは一体何なのか、有史以来の謎は未だ解けていない。
難産に次ぐ難産でしたが何とか書き切ることができました。ありがとうございました。次からはもう少しテンポ良く行きたいです(退く)、あ〜あと次からはオニャノコをもっと増やそうグヘヘ、その方が読者がつきそうだぁ(媚びる)…何はともあれ長かったね(顧みる)。
ふぅ〜それではでは聖帝様(オルタ)ごっこも終わりましたので、息つく暇もなく次なる依頼人は、じゃなくて次なる特異点へ向かいましょう。
*結構真面目な反省です。次回からもがむしゃらに迷いながら続けていきたいと思います。
それでは、また。