拙二次創作について感想をもらえるとすごく嬉しい。
もう、それはもう嬉しい。こればかりはどんな修辞に託しても伝えられません。ありがとう。
では、どうぞ。
B-0.2 孤独者と漂着者〜漂着者の譚〜
歴史上最も多くの子孫に恵まれたのは誰だろうか?
推定4000万人がその血を継いでいるとも言われるモンゴル帝国の始祖チンギス・ハーンだろうか。
華麗なるハレムを築き上げた歴代オスマン皇帝だろうか。
はたまた、人類の始祖とされるアダムとイブだろうか。
世界中、これらの話題を掘り下げればキリがない。終わりのない問いは哲学にまかせるとして、此処では一つの簡潔な答えを提供しようと思う。
一つの問い。一つの問いに答えさえすれば、その答えはそのまま貴方に世界史の答えを教えてくれるだろう。
世に蔓延る歴史紛争の原因は、その根本には民族がある。始まりが個別な、複数の民族が入り混じり合いながら歴史を紡ぐから、だから歴史紛争なんてことは起こるのだ。
さて、話は逸れたが問いを一つ。
全ての民族の始まりの時、見境なく種をばら蒔いた漢がいたらしいが…さて、彼は誰だろう?
…………。
御名答!!
これで世界から歴史紛争は無くなったも同然だ!!
なにせ、単一の血族が紡いだ歴史ってことになるのだもの!
諸君には世界平和の権威としてのライセンスを贈呈しよう。
さて…長くなったが前置きはこれくらいにしよう。
これより語られるのは、そんな漢が幼き花の魔法使いと出会うまでの軌跡についてのほんの一幕。大昔の御伽噺、その一欠片だ。
困ったことに、我らが黒曜の君は良くも悪くも
老若男女美醜善悪に見境がない、その内側と外側の素晴らしさに限れば右に出るものが宇宙の何処を探しても居ないというのに…決まって特大の運命まで背負い込んでしまうのだから堪らない。
平穏好きには似つかわしくない運命が彼を蝕むのだろうが、運命の方が果たして保つのか否か…既に満身創痍だろうに、ご苦労なことである。
幾億の
おぉ、ここいらに
どうか!彼の、愛おしむべき罪人に!!
諸賢様より心ばかりの寛容を賜らん!!!!
一説によれば黒曜の君と目される存在が登場する最古の記録は、紀元前14世紀ごろに編纂されたギルガメシュ叙事詩において度々登場する「黒曜石の至宝」であると推測されている。
根拠として研究者が今も昔も変わらず挙げるものに、この「黒曜の〜」という記述が時代や空間を大きく隔てた文明からも共通して発見されているという事実がある。
古代におけるいくつかの事例を挙げれば主要なものは以下の通りである。
先述のギルガメシュ叙事詩における一節「黄金の詩〜愛の章〜」における「黒曜石の希望」の例。
ティグラト・ピレセル1世を起源とする歴代アッシリア王の年代記、その中でも「黒曜石の伴侶」の記述が特に頻出する新アッシリア時代の女帝サンムラマートによる「帝配伝」の例。
サンムラマートによる「帝配伝」の数十年後、短い間隔にも関わらず古代ローマの王国期の始祖となったロムルスに関する口伝承「狼と父」の中における「黒曜石の美丈夫と嫋やかな雌狼」の記述の例。
紀元前4世紀にアレクサンドロス大王本人が東方遠征以前から継続的に記録したとされている「黒曜紀」の中にしばしば登場する「余の黒き珠玉」の例。
中華の正史であり世界史的にも名高い司馬遷による「史記」、その中の「秦始皇本紀」にて登場する「後宮に黒曜侯あり」の記述が該当すると考えられている。
古代日本に関しては陳寿による「三国志」、その中でも「魏志倭人伝」に詳しく、邪馬台国の女王卑弥呼が朝貢した際に「黒麗君を返使として倭の邪馬台国に派遣した」との話が遺されている。時の皇帝がどうして「黒麗君」を手放したのかについては議論が白熱しがちではあるが、寵愛甚だしい黒麗君を疎んだ現場の責任者が、共謀の貴族を通じて言葉巧みに船に乗せてしまったというのが通説として立場を確立している。
この説の根拠としては、黒麗君派遣が報告された日から翌年同日までの期間、皇帝の勅命により粛清された人の数が貴賤の隔てなく前年の数倍に膨れ上がったことが挙げられている。粛清後、倭国への侵略の用意の有無に関しての議論も紛糾するのが常であるが、罪状の殆どが反逆罪であることから国内分子による策略であり倭国へのお咎めは無しと、最終的に判断した皇帝の不自然なほど分別がある様子は興味深い。
最近の研究によればこの「黒曜石の〜」という記述は古代世界において共通の存在を示す単語であるという説が確立されている。
古代を跨ぎ、中世、近世、近代そして現代へと時代が進むにつれてこの存在に関する詳細な情報は増加する傾向にある一方で、未だにその正体についての結論は出ていない。
有史以来の最大の謎としてまたまだ掘り起こし足りないというのが、全世界の研究者が共通して思っているだろうことは言うまでもない。今後の更なる研究の進展に期待が募るばかりである。
『雑誌 世界史人「特集!黒曜石の謎に迫る〜」』
(黒曜出版 2XXX年)より
「漂着者の譚」
その男がニネヴェに現れたのはいつのことだったか。
赤児を腕に抱いて、その男は迷いのない足取りで王宮殿へと足を進めたのだ。
王は偉大なり。神は至高なり。
古きアッシリアの民が曰く、それは河岸に流れ着いたのだ。
忌々しい時は色褪せることを知らず、栄達の頂きに迫れば迫るほどに一層濃淡は劇しくなるばかり、彼女は朧げながらも生々しい其れを覚えている。
「お前など産まなければ良かったのだ。お前が生まれなければ私はどれだけ幸せだったでしょうね。刹那の気の迷いで全てを喪うだなんて、望んだわけでもないのにどうして孕ってしまったのかしら。理不尽なことね。迫られたから仕方がなしだなんて神様は仰らないのよ?だから、私がこれからする理不尽のことも、神様は必ず見て見ぬふりをなさるわ。そうでなければ貴女を生かしたまま産んだ意味がないもの。」
それまで自分自身を包んでいた温もりが、惜しみも感じさせずに、ほっそりとした指先、爪の硬い感触を最後に消えてなくなった。
「貴女はこれからどうするのかしら。言葉も話せない今の貴女に問いかけたところで無為なことだわ。でも、私も貴女も理不尽な目に遭遇したということは同じだものね。私は神様に捨てられた、貴女はその神様に捨てられた私に捨てられる…無様ね、どっちも。少し教えてあげる。誰にも聞いてもらえないだろうし、それこそ神様だって。」
シリア人の女はやつれた顔をしていたが、全てを投げ棄てる覚悟が、黒々と濁る瞳から伺えた。
邪な感情など、悪意などどこにも無い。そこにあるのは、眩しいくらいに影のない絶望だった。
父たる神は、なんと痛ましい真似をしてくれたのか!!幼き赤子には親の愛も、温もりも与えぬの云うのに、どうして神の聡明を生まれながらにして背負わなければならぬのか。
理解できる、その残酷を理解できぬというのだろうか。神はなんと、惨いことを。生まれながらに、彼女は無知蒙昧の退路をさえ傲慢強権の神によって「奪われてしまった」のだ。
彼女の母である女は、静かに語った。我が子に向ける目ではなかった。青々しい草本の狭間、蟻の行進を何の目的もなく見つめる瞳に同じであった。
「あのね、…私は幸せになりたかったの…。神はそういうものだと、教えられてきたから。神は私たちに与えてくれるものだと、私の母も父も言っていたのだから。」
「けれど、実際とは異なるものだったようね。神は与えるけれど、与えるものが私たちの望むものとは限らないの。それに、神は奪うものなのよ、奪うものに限って私たちが一番望まないものを奪っていくの。奪ってほしくないものを奪うの。だから、貴女が生まれて、だから私は全てを喪ってしまったわ。」
「神々は笑っているのかしら?それとも不思議な顔かしらね…今は、どっちだっていいの。きっと、何方でもないのだもの。私のことなんて、とうの昔に忘れているのね。」
「神は私が最も望まないものを与えたわ。神は私から最も大切なものを奪ったわ。私には貴女だけが残されて、それ以外の、私が欲しかった将来の希望も、全てを奪っていったわ。だから、私は決めたの。貴女も捨ててしまえば、私はまたやり直せるって。私は幸せになりたかったの。でも、私は自分じゃない誰かに、貴女に幸せにして貰おうなんて考えていないの。だから、ここでお別れ。ごめんなさいね、貴女の母親ではあるのだろうけど、でも、貴女の中に神の血が混じっていると思うと虫唾が湧くの。」
「もう…奪われたくはないのよ。きっと、また何かを奪われてしまったら、私は貴女の所為にするわ。貴女を恨むわ。貴女を憎むわ。例え、何も貴女に非がなかったとしても、私は…そうしないと生きていけないの。だから、貴女とはお別れするのよ。」
女は両の手を摩り合わせた。顔が俯く。何を思っているのか、分からなかった。顔が彼女の方へと向けられた。忘れもしない、彼女の顔は酷く歪んでいた。
憎しみが入り混じる、恐ろしい形相だった。震える女の手は、静かに、しかし確実に彼女の据わってすらいない彼女の首元へと伸びていた。
女の指先が彼女の頬に触れた。指先は冷たかった。何度と摩り合わせていたというのに、冷え切った指先だった。汗が滴りそうなほど、冷たい汗で濡れた手のひらは照りを帯びていた。
「う…ぅ……もう会うことはないわ。貴女は私の恥、もう、顔も見たくないわ。さようなら…。」
女は手の汗を、自らの服の生地を握りしめて拭った。少しの間の沈黙。女は力が続く限り握りしめた。薄い布地が渦を巻くように歪む。喉を詰まらせた女は、勢いをつけて掲げた腕を力が抜けるに任せて垂れ下げると、自然な素振りで彼女のお包を両手で抱き上げた。
川岸に用意された木の小舟に彼女は置き去りにされた。
神の血が流れていることは、ある意味では不運であり、ある意味では幸運であった。
運が良かったらしい。舟の持ち主が現れたのである。
誰のものとも分からぬ小舟に、せめてもの情けで置き去られた赤児。彼女は運が良かった。なぜならば、運命が向こうからやってきたのだから。
現れたのは顔中を黒い布で巻き固めた異様な格好の人物であった。
乳白色の薄手のローブ、黒布は顔を隅々まで隠してしまい、この人物の相貌は知りようがない。
しかし、黒布の隙間から滴る、くぐもりながらも脳髄を溶かすような声がその人物が並々ならぬことを強烈に訴えかけていた。
「君が私を呼んだのかな?…ふふ、今度はまた随分と幼いね。ほら、おいで。」
赤児は自身の耳に届いた、人生で二つ目に耳にする人の声で体を一震いさせると、目を見開いて見せた。
男の声らしきそれ、その甚しさに生物の本能が叫んだのか、彼女は小さな両手を必死に動かし始めたではないか。
「ほっぺが柔らかい…指が気になるのかな?触らせてもらってばかりじゃ不公平だからね。ほら、僕の指を掴んでごらんよ。そうそう、上手だよ。」
彼女は自分の頬を優しく包む男の指を目敏く見つけると、やわやわしい両の御手手で、自らを右腕で抱える男の薬指を器用に捕まえてしまった。
衝動に任せて口に含んだ指を何だと思ったのか、彼女はそれを宇宙に生まれる漆黒の神秘にも勝る勢いで激しく吸引し始めたのである。
「あ…こらこら、指をもむもむしてはいけないよ?お腹を壊すかもしれないからね。あっ…あらあら、舌を動かすのは上手だけれど…そうじゃなくて、ぺっ!だよ?また今度、約束するから、うん。嘘じゃないよ。本当さ!……うん、ありがとう。いい子だね。」
細くしなやかな指とはいえ、赤児の口には大き過ぎる。焦燥の混じった声で赤児の暴挙を何とかしようと声をかける男。吸い込む力を強める赤児。
格闘は続いた。遂には、大海原に湧き立つ荒波の如き暴虐的な舌捌きで指を磨き始めてしまった。事態は混乱を極めていた。
一周回り切り平穏を取り戻した男により、何時とは決められていないが次回も薬指を貸すと約束が取り付けられることで、ようやく男の指は赤児の口から解放されたのであった。
ふやけてしまった指のことはさておき、気まぐれに眠り始めた赤児の顔はこの上なく満足げであった。
「そろそろ日が暮れてしまう。サンムラマートは僕の帰りが遅いと心配するからね…ねぇ、君も私と一緒に来るというのはどうかな?行く当てもないのだろう?まぁ、私も居候の身分なのだけれど…細かいことは後にしよう。さぁ、彼女がアダドの部屋に殴り込みに行く前に、早いところ家に帰ろう。」
男は赤児を胸に抱くと、なるべく足音を立てないように静かにその場を後にした。
帰り道のことだった。寝つきが悪いのか、赤児はぐずる様に鼻をふすふすと鳴らした。口元は落ち着きがなく、僅かに歪んでいる様に見えた。
苦しんでいるのか、寝苦しいのか男にはわからなかった。
足を進めながら、赤児の体をゆったりと揺らして様子を見てみたが効き目は怪しいものだった。
ふと男は赤児の顔を覗き込んだ。そして何に気づいたのか、薬指の先で目元をなぞった。それから、家に着くまで頭を撫で続けた。
もしも占い師の類が彼の横にあったならば、彼女の顔相をこう断じただろう。
「意志が強く、我が強く、聡明で、実務能力が高く、皮肉や謀に長ける。誰よりも自らに忠実で、誰よりも努力家だ。ただ…」
そしてこうも言ったはずである。
言葉を切った占い師は相手の了承を得てから声を潜めて耳打った。
「ただし…愛に飢え、執着心が強い。大多数に対して自信家である反面、一度心を許した相手を前にすると常に自分が不完全に思えて許せなくなる嫌いがある。おまけに、母親というものを心底憎んでいるくせに、父親に対する拘りが尋常ではない。精々、陥穽に嵌まらぬように気をつけることだ。」
偉大なる王であり、アッシリアの王であり、世界の王であるシャムシ・アダド5世の御代は、新アッシリア初期の絶頂期と呼んで過言ではあるまい。
偉大なるアダド三世は己が王権を手にして以来、王権の強化と新たなる秩序を構築することに腐心してきた。
新たなる秩序の一つとして、彼は自らの配偶者であるサンムラマートを副王あるいは摂政としての地位に位置付けた。伝統的には王が唯一の絶対的存在であったアッシリアの宮廷において、これらは大変な反発と賛成、真反対の紛糾の末に受け入れられた。
驚くべきことに、この新法に係る議論は満場一致で可決となったわけであるが、これは信頼のおける筋からの話によれば王の一声ではなく、サンムラマート本人の手腕によるところであるらしかった。
サンムラマートが、アッシリアの偉大なる王の寝宮にて揺るぎなき権勢を誇る様になったのはそう昔のことではなかった。
彼女が世に希なる才媛として世出し、遂には王の大権の半印をも担うに至ったのには、現王がその王権を手にする過程に理由があった。
時に前王が神として天へと迎え入れられて間も無く、玉座に空が巣食う王宮の百官達は、アッシリアの王として、即ち世界の王として彼らを導く次代の継承者を欲してやまなかった。
故に依るべき大権を望む伝統と忠誠、信仰を旨とする代々の官僚や神官達の推挙の元で、現王であるシャムシ・アダド5世が空座を埋めるに至ったのである。
しかし、シャムシ・アダド5世は即位間も無く王権の強化に取り掛かり、結果として諸侯である実兄達による激しい反乱を誘発させてしまったのである。
王権の強化に勤しみながらも、各地では王へと反旗を翻すことを王宮官僚に呼びかける徒党が肉親の命令により後を絶つ気配がなかった。
官僚と神官は王権と一蓮托生であったが、歴代の王朝に倣えば、王族間の争いは国家権力そのものの存続を危うくしかねなかった。
結果、王宮勢力の中にも離反の色が濃いものが増えていってしまった。これにより、王の精神を損ねるのみならず、王宮勢力の間で重篤な疑心暗鬼が蔓延るという事態に陥ったのである。
さて、この様な事態の折に王宮にて給仕の一人として出仕していたのがサンムラマートその人であった。
美しい女性であったサンムラマートの出生は明らかではなかったが、さまざまな幸運が重なった結果、王宮に仕える給仕の中でも、王に目通りが叶うほどの厚遇を手に入れていた。
アダドに見初められたサンムラマートはあれよあれよと正妻となり、類い稀な政治感覚で王を陰ながら支え続けた。
王との信頼関係が良好であったこと、サンムラマート本人が有能であったことも貢献して、一年後のサンムラマートと出会ったのと同じ頃には肉親による反乱の殆どを鎮圧することに成功したのであった。
偉大な双璧として玉座に隣ることとなったサンムラマートは、しかし謙虚で有能であった。豪奢と傲慢とは引き換えに、彼女は己を誰よりも幸運なだけであることに誇りを持ち、人に憚ることなく断言していた。
彼女の幸運はいつ始まったのか、それは突然であったことを、彼女自身が年代記に記している。
彼女の記述によればこうである。
「私の運命は黒曜の至宝を家に泊めた日から動き出した。私は彼の虜となり、ただ彼の平穏のために生きようと考えた。そして、気がつけば私は摂政の身分を手に入れていた。全てが変わったが、私が黒曜石の輝きに導かれるまにまに生きることには変わりなかった。私は最期まで彼に夢中だった。」
ある時、王宮でも特にくらいの高い官僚の一人が摂政であるサンムラマートの元を訪ねた。
官僚はサンムラマートに、治水政策に関する詳細な説明を貰おうと考えての来訪であった。
官僚は言った。
「摂政様、先日お尋ねしました治水の件にございます。私としましては、どうしてこの様な大規模な工事をお許しになったのかお教えいただきたいのです。我が国は、今まさに安定を手にしたばかりなのです。民に仕事を与えることはできても、彼らに出す褒章は何処より注がれますのやら。何卒、私にご教授いただきたい。」
サンムラマートは間髪を入れずに官僚に答えた。官僚の声には明らかな批判が滲んでいた。そのことを他ならぬ官僚が理解していた。官僚はサンムラマートの鋭い瞳に喉を引き攣らせた。
「安定を維持すればこそなのだ。王は外征のための資金を求めておられるが、その様なものはどこにもない。しかし、もしも私が私の愛する者の平穏を保ち続けられるならば。民を潤し、それらが私の宝の平穏に一助を差し出すならば、その限りならば、民が飢えることは、アッシリアの砂粒一掴みほどにもあり得ぬだろうよ。」
官僚は驚いた。叱責ではなく、しかし納得することも難しい答えである。安堵と疑問から官僚は、聞くべからざるとされてきた問いかけを摂政へと向けた。
「…摂政様のおっしゃることはわかりませぬ。あなた様のおっしゃることが真のことであるとするならば。あるいは、私どもの噂するところの、呪術や神の加護の思し召しでありましたかな?」
サンムラマートは官僚に答えた。
「如何にも私の言っていることは真だ。しかし、呪術でも、神の加護でもない。全ては我が愛しの黒曜が望んだ結果であるよ。この世で何より尊い私の宝、私の黒曜の主の、彼が望む平穏の念願が、全てを真にして魅せてくれるのだ。」
官僚はサンムラマートの話に結局納得することは出来なかった。
それから幾許の月日が経ち、官僚は王に謁見した。
王は官僚に尋ねた。
「治水の進展はどれほどのものか?」
官僚は恭しく一礼を払うと答えた。
「万事完了して御座います。」
王は満足げに哄笑した。が、何かに思い至ると官僚の顔を覗き込む様に身を乗り出して尋ねた。
「確かに、余の知る限りであれば大変な工事であったと聞いておったぞ。工事の完了があまりにも早いが、治水は失敗したのではないのか?何が何でも無理があろう。余を謀ることは良しとせぬぞ?さては…余の軍資金を無断で投入したのではあるまいな?」
怒気が漏れ始めた王からの詰問にも官僚は焦ることなく毅然と答えた。
「王よ、ご安心ください。抜かりなき事実で御座います。摂政様のお言葉は真でありました。今、天の恵みは我らが独占していると言っても過言ではありませぬ。先月末より、爆発的に麦の収穫が向上したのです。理由は分かりませぬが、恐ろしいほどの収穫高です。予想外の収入により我らは摂政様の許可の下、ニネヴェや近辺の町に住む貧民を大量に動員することが可能となり、気づけばこうして急速に工期を縮めた上での完成となったのです。」
王は言葉を失った。官僚を下げさせると、王は玉座から飛び上がるように退き、サンムラマートの元へと駆けて行った。
王はサンムラマートの居室へ赴くと、戸を叩くのも忘れ、焦りを帯びて王を遮る女中も押し退けて、そうして汗濡れの姿での入室を果たした。
王はサンムラマートに様々な説明を求めようとした。
が、出来なかった。
王は入室してすぐそこに立っていた一人の見知らぬ男の姿に全ての意識を奪われてしまった、そして戸を開け放った太い腕が下がるままに扉から手を離すと呆けた顔で固まってしまったのである。彼の首からは解けた黒布が垂れていた。
「あら陛下、いらしたのね。それにしても…初めてで、アマロ様の御着替えの場に出会すだなんて…貴方も幸運だわね…いいえ、むしろ運がないのかしら。」
陶然とする王の背後から、探していたサンムラマート当人が現れて、やれやれといった仕草で王の前へと進み出た。
進み出た彼女は、その流れに然るように、上裸で不思議そうな表情を浮かべる、絶望的に全てが美しい男、アマロの右半身に身体を沈める様に絡ませると、改めて王に向き直り、こう言った。
「王よ、遅ればせながら私からご紹介いたします。彼こそが私の最愛の宝であり、私と、そして貴方の希望でもあるアマロ様よ。」
王は言葉が出ない。否、アマロという名前だという情報は聴き漏らしていない。だが、それ以外のことは何も王の頭には入ってこなかった。
「どうも、二年ほどお世話になっております。旅人のアマロと申します。」
王の意識が戻ったのはアマロが自己紹介も兼ねて、上裸のままで手を差し出した時だった。
王は理由もわからぬ感無量の情動に襲われ、感涙しながらアマロの手を固く握り返した。鼻血が出ていた。手汗もすごかった。
「あ、アマロ殿か…なるほど、よーくわかったとも。サンムラマート!余はお前に言わなければならぬことができた。」
王は鼻から流血したままの状態で、貫く様な威厳を張り詰めさせてサンラマートへ向き直った。手は握ったままであった。
頼んでもいないのに向き直られたサンムラマートは冷徹に、酷く淡々とした表情で王を見返した。
一触即発の雰囲気。両者は同時であった。
「サンムラマートよ。余は二度と貴様を閨には呼ばぬことに今ここで決定した。これは神に誓った王命である。安心しろ、この大恩に報い、貴様を摂政の座からは降ろすつもりはないからな。だから二度と余の前に女を連れて来るでない。宮は今日から別別じゃ。それでだな…アマロ様、よくぞアッシリアへ参られた。早速、今夜にも余の私室にて歓迎の宴を内密に催したちのだが…いかがかね?よいのか!おぉ、これほど嬉しいことはない!国の威信をかけて…おぉ、質素がお好みとは…謙虚なのですな…好きです、そういうところ。」
「王よ。私は二度と貴方に身体を許すつもりはありませんから。ご安心を、頼まれずとも私は摂政の職務を放棄するつもりはございません。アマロ様の平穏を守るためには使い勝手のいい権力と財が必要ですもの。今からは他人同士ということで、あ、あと勿論私たちの部屋と部屋は二百歩以上離して下さいね。あぁ、アマロ様、これからは何も隠す必要など御座いません。どうか御心の赴くままに平穏を謳歌されます様に…あぁ、お恥ずかしいお話ですけれど、願わくば今夜も…待っておりますね?」
両者は同時に、相手へ並々ならぬ覇気をぶつけながら、前代未聞の宣言を果たしたのであった。アマロは両者の話を吟味した結果こう言った。
「…昨日はサンムラマートのお家で寝たから、今日は先に王様の元へお邪魔しますね。サンムラマートは、それからでもいいかな?」
王はアマロの答えに満足げに頷くと言った。
「異議なし。これ、まさに神の御心なり。サンムラマートよ、悪いな貴様のところへ向かわれるのは明日の朝になるやもしれぬぞ?」
サンムラマートもまた、敬虔な表情で頷いた。
「身を清めてお待ちしております。それと夜の件なら王よご安心を、アマロはスゴいですから。神話の英雄と言えど、彼の前には従順な雌鹿に過ぎませんもの。」
その晩、日が傾き始めた頃にアマロは王の私室へと招かれ、それから日が沈む相当前に部屋から退出すると、身を清めてからサンムラマートの部屋へと向かった。アマロがサンムラマートの居室を出たのは深夜であった。
成程、流石は付き合いが長いだけある。彼女は相当に粘った方だろう。
翌週、王は足腰の不良により執務を休んだ。王の不良を肩代わりしたサンムラマートは翌週、王と同じ目に遭い、次の翌週は王が、次はサンムラマートが…こうしてアッシリアは二大巨頭主導の政治により更なる飛躍を遂げ、黒曜の君ことアマロは王配であり摂政の夫としてアッシリアの王宮において絶対無冠の大権を掌中にしたのであった。
言うに及ばず…アマロの行使する権限は自由が全てであり、その実は頗る易しいものであった。
王宮で寝起きしては、昼は平民と、夜は王と摂政と食を共にし、各地に遺されたエンリルやイナンナを祀る懐かしい神殿や祠を歩いては一人歓談し、夜はアダド5世とサンムラマートの閨をハシゴして、地割れを二つほど起こしてから眠りにつく。
アマロの生活は相変わらず穏やかだった。
王と摂政は互いのことに欠片も興味がないにも関わらず、驚くほどに仲が良く、アマロの笑顔が深まる度にアッシリアには新たな恵がもたらされる様になった。
王はより偉大に、摂政は前代未聞の名宰として、歴史に刻然たる名声を獲得し、アッシリアの力の及ばざる領面を探すには、東西南北のいずれに百日向かうとも、休みなく歩き続けても、それは到底困難なほどであった。
新アッシリアの絶頂はこうしてサンムラマートの幸運と、王の奇遇によって実現されるに至ったのである。
しかし、その穏やかな生活は、皮肉にも、他ならぬ獲得者の不在こそが許す束の間の、運命の余暇であることは、到底アマロも預かり知らぬことである。
そして、約束の時は来たのである。
その日、彼は捨てられた孤児を一人抱いて王宮への帰路についた。
王と摂政は彼が赤児を育てることを受け入れた。
王と摂政は互いに自身とアマロとの間に授けられた子供として、赤児に準王族の厚遇を約束した。
この判断に対して神官と官僚は激しく反発した。
反発の結果、表面上は王と摂政との間の子供として養育されることとなり、養育係としてアマロが任命された。
アマロは名付けを頼もうと考え、王と摂政に案を尋ねた。
王はアダド六世を候補に挙げ、サンムラマートは訛りを外せば自己と同名のセミラミスという名前を挙げた。
王とサンムラマートは互いに「この子は自分とアマロの子供である」と主張して憚らなかった。
最終的に取っ組み合いの紛争に発展しかねなかった戦況を鑑み、アマロの提案により性別に従うという提案に落ち着いた。
公正を期して王とサンムラマートが同時に赤児のお包を外して確認すること、確認した事に対して異議を申し立てたり武力などを行使しないこと、などが神を前に宣誓された。
「この子はどことなく私に似ています。王よ、この子の名前はセミラミスに決まりましたわね。」
サンムラマートは自信満々に言った。
これに対して王は鼻を吹かして笑った。
「ハん!余は貴様がもう少し見る目があると思っておったぞ摂政よ。しかし、まぁ誰にでも間違いはある。この可愛い瞳を見よ!見るからにアマロ様の血を引いておるに違いない!そしてこの眉、これは間違いなく余の落胤に違いない!さぁ、負け惜しみはもう遅いぞ?今こそ真実を見せつけてくれるわ!」
両者の瞳は電光を交わし合い、ゆっくりと、しかしじっとりと汗ばんだ手で赤児のお包を外した。
あるべき場所に、あるべきものがない。
それは、或いは異なる役目を負って生まれた者に与えられし、真に崇高なる奥床しい寛容の余白であり、同時に痛苦を伴う咎であるのやも知れぬ。
赤児は女性であった。
「あーーーーー!!!!あーー!!あー!あー!!」
「やったわ!!これで決まりね!」
王は泡を吹き卒倒した。サンムラマートは嬉しくて鼻血を出した。混沌の渦中で、狂気に迫られて泣かずにいられようか。胸の底から純粋な恐怖に号泣する赤児。
飛び跳ねる摂政と、倒れたまま痙攣する王。
八の字眉と口元に立てた人差し指で、静かに二人を叱りつけたアマロが赤児を抱いてあやした。
アマロの腕にすっぽと収まった赤児は、寸として涙を引っ込めると、例の様にアマロの薬指を捕まえることに夢中になった。
落ち着いたのか、今度は不思議そうに赤児の様子を覗き込むサンムラマート。王は泡を吹いたままであることを除けば、赤児の「だぅだぅ」という愛らしい声だけが響く様になった頃、アマロはサンムラマートに視線をやった。サンムラマートはアマロの側に静かに寄り添った。
アマロは息苦しいほど優しげな瞳で赤児に顔を寄せて言った。
「君はこの子の名付け親になったんだよ。血が繋がってなくても、親は親さ。ありがとう、君とアダドのお陰でこの子には立派な親が出来たじゃないか。君の名前は、自分じゃない誰かが、君のために贈る最初で最後の贈り物なんだ。名前を変えることも、捨てることも、それは簡単なことじゃない。君はもしかしたら名前を変えるかもしれない。名前を捨てるかもしれない。けれど、君がサンムラマートから贈られたセミラミスという名前は、それだけは、後にも先にも君だけのものなんだ。…君の名前はセミラミス。これからよろしくね。」
伝わるか、伝わらないか、では無かったと思うのだ。
アマロは自分にそう言い聞かせたのかも知れなかった。或いは、彼にとってかけがえのない記憶に問いかける様な、語り聞かせる様な、円やかで労しい声音だった。
一通り息を吐き抜くと、アマロはセミラミスの額に自分の額を擦り合わせた。赤児の体温は、ほっほっ、としていて染み込む様に滑らかな温もりだった。
その全てが、今の彼には懐かしい。何時も、何度でも、それはアマロがこれまでにも度々感じてきたものだった。
平穏の終わり。運命の始まり。終わりなき旅の再開を報せる、儚くも愛おしい温もりだった。
彼女、セミラミスとの出会いこそは、アマロにとっても初めての出会いだった。
セミラミスこそが、アマロが出会いそして運命を共にした最初の異端者であった。
セミラミスこそが、アマロが出会いそして育て上げた最初の超越者であった。
セミラミスこそが、アマロが出会いそして愛し合った最初の覇者であった。
捨てられ、忘れられ、奪われた…それでも尚進むことを選んだ者との出会いは、アマロに更なる
セミラミス。彼女との出会いこそ、アマロの終わりなき旅路の、第二の始まりであった。
読んでくれてダンケなっす。今回も長くなりました。
では、また。