では、どうぞ。
運命に選ばれし王よ。
貴方は選ばれしものだ。
貴方は強い。
貴方は聡明だ。
だが、だからこそ。
貴方には、共に歩むものが必要だ。
貴方には、貴方を信じる誰かが必要だ。
貴方には、貴方が信じるべき誰かが必要だ。
貴方には、貴方を教え導いてくれる誰かが必要だ。
貴方には、貴方が教え導くべき誰かが必要だ。
貴方には、貴方が守るべき何かが必要だ。
貴方には、貴方を守る何かが必要だ。
貴方には、貴方が守るべきを守るための力が必要だ。
貴方には、貴方自身を守るための力が必要だ。
貴方には、貴方が信じるべき何かが必要だ。
何にせよ、貴方は、歩き続けなければならない。
さもなくば、さもなくば。
貴方には、穏やかなる平生を生きる小路こそが相応わしい。
貴方が歩き続けるならば。進み続けるならば。
どれだけ緩やかでも構わない。迷い彷徨うことも過ちではない。逃げようとも、それは決して違わない。
貴方が、貴方を忘れてしまわない限り。
貴方が、貴方を殺してしまわない限り、
貴方は、貴方は描くことだろう。
貴方は、色褪せることのない唯一つの轍を描くことだろう。
貴方が歩き続けることを選択したのならば。
然らば、必ずや。
運命は貴方に寄り添うことだろう。
運命に抗いし覇王よ。
貴方は選ばれなかったものだ。
貴方は弱い。
貴方は臆病だ。
忘れられた貴方は、貴方だからこそ。
貴方には、貴方が決して奪うことの出来ない何かが必要だ。
貴方には、貴方が決して奪われることのない何かが必要だ。
貴方には、貴方が決して与えることの出来ない何かが必要だ。
貴方には、貴方にしか与えられない何かが必要だ。
貴方には、貴方を認める誰かが必要だ。
貴方には、貴方が従え導くべき誰かが必要だ。
貴方には、貴方が抗うべき何かが必要だ。
貴方には、貴方を貴方から守るための力が必要だ。
何にせよ、貴方は、歩き続けなければならない。
さもなくば、さもなくば。
貴方には、慎ましく長閑な平生を生きる傍路こそが相応わしい。
貴方が歩き続けるならば。進み続けるならば。
どれだけ拙くても、どれだけ非常識でも構わない。彷徨い、時には狂うことも過ちではない。逃げようとも、それは決して違わない。
貴方が、貴方を忘れてしまわない限り。
貴方が、貴方を殺してしまわない限り。
貴方は、貴方は描くことだろう。
貴方は、奪われることのない唯一つの轍を描くことだろう。
貴方が抗い続けることを選択したのならば。
然らば、必ずや。
運命は貴方にその身を委ねるだろう。
古きシリア人の語り部は、新しきシリアの人々に、先祖の偉大な王の小噺を語り継ぐ。
現代の老賢の口伝文の中に、正史においては名前も遺されてはおらぬ、とある覇者の物語が含まれていた。
今では、その物語を知る者も数えるほどしかおるまい。しかし、当代において最も遠古より脈々と伝承されてきた物語であった。
物語の名を、「幻の女帝」或いは「白麗の名君」とでも名付けようか。古のアッシリアの、その玉座を掴み取るや大層な善政を敷いたとも、強権を振り翳して毒を用いた暗殺を繰り返した暴君とも、残り少なな伝文の中にも大きな違いが見られる不思議な物語だ。
ただそれら全てに共通して描かれる、相違なき点もあるのだ。全ての物語の最初において、彼女は拾い子として育てられる。そして物語の最期において、彼女は白き鳩へと姿を変えると、謀反人の凶刃から、老の醜さから、全ての柵から解き放たれる様に、王宮の窓辺からアッシリアへの別れを告げるのである。
古き人は語る。
王シャムシ・アダド5世の時であった。王権を手に入れた王は間も無く、妻として迎え入れたサンムラマートを摂政に任じた。
王家に連なるもの以外で、ましてや王に次ぐ大権を握る女傑はサンムラマートが初めてのことであった。
伝統への逸脱による多難は覚悟の上、王シャムシ・アダド5世とサンムラマートによる双璧政治は徐々に偉大な時代を築くに至った。
二人による治世は王によるバビロン遠征により最盛期を迎えた。バビロンの宗主たることは歴史的、世界的な権威を証明する上で極めて重要な項目であった。
王の権威は留まるところを知らぬ勢いを孕んでいた。畳み掛ける様に、王の力は増強されていった。
時の対抗者として、ヒッタイトがあり。その武力と外交の要に鉄器があった。未だ重要な立場にあったこの鉄器を前にしても、王の権力はむしろ伸長の兆しを見せた。
アッシリアより更に東の地にて、王の治世より更に数百年以上前に鉄器の生み出し方を心得るもの達がいたのだ。
遠路を辿る困難をもものともせず、王宮に逗留して長い黒曜の客人の教えに従い、王は使節を派遣したという。使節は犠牲を払いながらも、東方より貴重な鉄を持ち帰ってきた。この鉄はヒッタイトに並ぶほどのものであり、鉄を鍛える力をヒッタイトからも、東方からも学びながら、アッシリアはより強大になっていこうとしていた。
後に、ヒッタイトを呑み干してからは、その技術の先鋭に努めた結果、東方からの伝来方法は忘れられてしまったという。
王の治世がバビロンの宗主として頂上に登りし時、王はその身が長くないことを悟った。
数えるほどの腹心にのみ打ち明けた王は後継者の選出に取り掛かった。
遡り、王が未だ権勢をその手に掴んで間もなかった頃のこと。
変哲のなき村娘であったサンムラマートは一人の男を家に泊めた。旅人だと名乗る男は顔を分厚い布で覆っていた。黒い布を下に巻き、更にその上から薄汚れた白い布で顔を覆っていた。背格好はそれほど高くなく、肉体は巻布と同じ色のローブで分かりにくかったとはいえ均整がとれていたものの細身であった。
水汲みに出ていたサンムラマートに、その男が声をかけたらしい。
男は身体の砂を払ってから、居住いを正すと、川辺にいた彼女にこう言った。
「もし、お手煩いの所に失礼をば、私は旅の者でして一晩屋根をお借りできるお宅を探しております。お礼はいたしますから、泊めていただける所をご存じありませんか。」
彼女は男の声の美しさにすっかり心奪われると、是非に是非にと彼を迎え入れた。翌日に男は礼として、物惜しみの素振りを何処に置いてきたのか、喜色を隠さず一握りもある金塊を差し出したという。サンムラマートが男の世間知らずに胸を騒がせたのは言うまでもない。
男を泊めたその日のうちから、彼女には幸運が降り始めた。
帰り道で募集されていた王宮の給仕に選ばれた彼女の人生は、良くも悪くもそれまでとは全くの別物になっていった。
王宮へと出仕する前日、眠る男の顔に巻かれている布を取り払った彼女は名も知らぬこの旅人に一目惚れした。恋する乙女となったサンムラマートは彼との出会いに感謝すると、これまで住んでいた家を男に譲り渡すや、なりふり構わぬ王宮での立身を目指して仕事に励んだ。
仕事を始めてから一月とする頃に、彼女は給仕の中でも一際に王の目の止まるところとなり、一年が経とう頃には王の妻としての地位を掴むに至っていた。
生来の聡明さには磨きがかけられ、素晴らしい機会を手落とすことなく拾い上げた彼女は、まさに奇跡的な成り上がりを果たすと、すぐさまに王宮の私宮へと男を招き寄せた。
「お久しぶり…待たせたかしら。そのぅ、これから一緒に暮らすわけだから、貴方のお名前を教えて下さらない?」
そして、其処で初めて彼女は男の名を知った。
「申し遅れた。私はアマロという。待たせただなんてとんでもない。とても住み心地の良いお家だったよ。感謝しかないさ、ありがとう。」
そして、感動の再会と愛愛の新生活が始まって以来、サンムラマートの勢いは夫シャムシ・アダド5世に勝るとも劣らぬものとなった。
これら一連の流れを不思議がった王が数ヶ月後に彼女の宮殿に訪問した。
王の訪問により、王は彼の虜となった。
以来、王はますます偉大な君主として、サンムラマートは希代の名摂政として辣腕を振るうこと留まるところを知らなかった。
アマロは王宮における自由を手にし、王権に深く食い込む重要人物として周囲からの認識を受けることとなっていく。
そしてある日、彼が赤児を抱いて王宮に帰ったことで名もなき女帝の、彼女の物語は始まったのである。
セミラミスと名付けられた女児は、彼曰く手の掛かる子供だったという。
宮殿に用意されたセミラミスのための、もとい彼女の養育を買って出たアマロのために用意された部屋は簡素な作りではあったが、部屋の何処にいても彼が彼女の様子を伺える様に、壁の代わりに柱が屋根を支え、至る所の仕切りが低く作られていた。見るものがみればギリシャ調の趣があったやも知れないが、それは今暫し先の流行の先取りであった。
赤児のセミラミスは、涙の堰が何処にあるのかわかりやすい子だった。アマロの腕に抱かれている間はすやすやと眠るのだが、彼が食事を摂ろうと彼女を揺籠に預けた途端に、機を見計らったように鳴き声が響きだすのだ。
無論、夜泣きは酷かった。というのも、彼はセミラミスが来てからというもの、王や摂政からの誘いを断固として断ったのだが、遂に王が「相手してくれないと王様辞めます。」と言い出し、これに便乗した摂政も「私も摂政やめます。」などとアマロの離宮の前で騒ぎ立て始めたのである。
その激しさ、騒々しさと言えば赤児のセミラミスの鳴き声に勝るとも劣らぬ程であり、流石のアマロも疲れた表情をしていたというのは、セミラミス本人の談である。
アマロとしては王だから、摂政だからという理由で二人に慕わしさを感じていた訳ではなかったので、何処に問題があるのかさっぱり分からなかったが、一方で王や摂政の側近たちは国家としての非常な事態を理解していたために大騒動であった。
ただ弁明をしたならば、王も間が悪いことに後継者の話をアマロにしていなかったために、如何に遥かな問題なのかという点を彼が正確に理解できなかったというのも事実である。
もしくはアマロとしては、彼の性質上知っている王様という生き物は子沢山だという先入観があり、シャムシ・アダド5世も例外ではないと考えていた様である。
結局、家臣団の必死の説得と、事態を理解したアマロの艶濃なる技法を用いた説得により一件は落着した様であった。
しかし、王と摂政の願いを叶えるとなると、必然的にはセミラミスとの時間が減るのである。
夜泣きが酷いことは既に知っていたアマロは、先に彼女を寝かしつけてから向かうことにしていた。
ある時、その日もいつも通りにセミラミスを寝かしつけていた時、眠り込んだと思ったアマロが彼女を揺籠に戻した時だった。
「ごめんよ、セミラミス。今夜はサンムラマートの所に呼ばれていてね、彼女も君みたいに泣き虫な所があるから早く行かなくちゃ。」
八の字眉で謝りながら、しかし、ほにゃりとだらけた優しい顔でセミラミスの寝顔を見守りつつ、慎重に彼女を揺かごに戻していく。なるべく頭を揺らさぬ様に時間をかけての仕事だった。
「すぐに帰ってくるからね、んっ…。」
出立の声がけ、そして、頬と頬を擦り合わせてから、加護とも呼ぶべき口誓を、彼女の額に刻んでおく。
赤児の体温は高い。王宮で暮らし始めてから彼女の頬は、頬というよりほっぺの方が相応しく、肌を合わせると、もったりとして心地よい和らぎが感じられた。
腕に抱かれていなくとも、アマロとの繋がりがあれば、それだけで彼女は利口な、満足げな表情で落ち着き払ってみせた。
指先であれ、唇であれ、額であれ、肌の温もりを交わし合う間、彼女が浮かべる表情はアマロが大好きな表情だった。
人は人。極端な物言いではあったが、彼は決して彼女に向かって赤ん坊言葉で話しかけなかった。彼はどれだけ幼くても、相手こそが自身の獲得者となろう事は理解していた。相手が赤児だから、相手が子供だから、相手が青少年だから…そんな時々で態度や言葉を使い分ける自分の姿を想像すると、何となく彼には自分の姿が不誠実とも、傲慢とも思えたのだった。
だから、と一括りにいうのも味に欠けるが、それでも彼なりの誠意を、彼は態度で示しているようだった。
「あぅ、こらこら、指をそんなに強く握ると私が行けなくなっちゃうよ。」
まるで大人の人間にする様な具合に、互いに頭が動いてしまわない様に、かと言って強引ではなく、崩れてしまわぬ様に、アマロは彼女の小さな顔を支えて額に口付ける。
しかし、そんな誠意が今回は仇となった様で、丁寧に別れを惜しみすぎたのか、彼女の瞳はぱっちりと開き、無垢な光を反していた。先程まで自由だったはずの薬指は彼女の手に確と捕まえられしまったようだ。
彼女の赤児にしては、やや伶俐に見える瞳には寂しがりと不満が現れていたようで、アマロも失態を悟った。
「ぶぅ…」
低く唸るセミラミス。そんな彼女に、いくら不満げとはいえ赤児にするには過ぎるような恐縮具合で、真正面から彼は応じる。
「うー…そ、そんなに指をぎゅっとされると、私も根が生えてしまうよ…これでは彼女の所には行けそうにないね……。どうしてもかい?」
眉がしょげている。しかし、どこか嬉しそうなアマロ。彼の語りかけに、セミラミスは彼の手を両手で抱く素振りで答えたようだった。
「むぅぅ……」
「…今日だけだよ、セミラミス。いいね?うん。いい子だ。」
暫し悩んだアマロだったが、セミラミスの視線が潤み出したのがトドメとなった。今日だけだ、と釘を刺した彼はさっさと外向けに羽織っていた服を放ると、セミラミスを抱き上げて自分の寝床へと急いだ。
「今日はもう寝てしまおう。私は幸い寝相も良いらしいから、セミラミスを踏み付けたりはしないだろう。一緒に寝るけれど、その代わり今度は見逃しておくれよ。」
寝床で横になったアマロは全裸であった。羞恥の表情がない所から察するに、正真正銘、彼の何時も通りの習慣らしい。
…赤児のセミラミスの顔が赤いのは果たしてどう言う事なのか…神の血のお陰か、些かオマセに育っている彼女が両手をワキワキさせて喜んでなど…喜んでなどいない…いないのだ。
然はあれ、アマロが早くも寝息を立て始めたころ、一通り興奮の舞が済んだセミラミスの瞳にもゆっくりと微睡が降り始めた。
彼が眠るまで、彼女は自分の傍から彼が居なくなりはしないかという不安に駆られていた。
毎晩のごとく襲いくるそれは、幼いか否かに関係なく、本能的な絶望から逃れるために、彼女の知性を急がせた。
昼間の彼女には見えなかった、知性の光が瞳に宿り、一人の男が静かに眠りに着くまでを、ただじっと見つめていたのだ。
きっと、多くは薄気味悪さに慄くだろう。
だが、そんな些事は彼女にとって二の次、三の次のこと。
目の前の男に、自分を終わらせなかった存在に、彼女は巨鐘が打ち響くような衝撃と、地の底から噴き上がるような熱を感じた。それを決して手放してはいけない。それを決して奪われてはならない。彼女の中に注ぎ継がれた、誰のものかもわからぬ血が、或いは彼女を誘う運命が、そう彼女に告げていた。
彼女は虎視眈々と狙っていた。彼が彼女と初めて出会ったその時に、確かに結んだ口約束の成就を。その時が来るのを。
読んでくれてダンケなっす。
では、また。