評価、感想、誤字脱字報告ダンケなっす!!第三の目がレギュラー出演しました…とかどうでもいい話はこれくらいで。では、どうぞ。
B01一人の王
B1 一人の王
汝、己が罪を積みて尚告解の末に枯るるを不服とするならば、ただ一時悲しみを、憎しみを、恐怖を忘れよ。
ただ静寂と誉の裡に眠れ。罪とは過ち。過ちは先んじ得ぬもの。汝、咎人に非ず。汝、生者なり。即ち、罪を得ることすら許されず。抑、罪なき者に許しは無し。
歩めよ、果てに着くまで。汝、いずれ辿り着かん。楽園に辿り着かん。閉ざされしかの地にて、贖罪の虚無を抱けよ、憐憫の狼煙を焚けよ、厳しく崇き己が剣を捧げよ、還せよ、然すれば孵らん、孵ればただ迫るを待て、這い寄り来る死の余夜に哭けよ。
然すれば、然すれば…
魔法使いは問いかける。汝は是に応えよ。
然すれば、然すれば…
全てを喪い、暗黒に眠るを待つのみ。汝は是に沈めよ。
然すれば、然すれば…
果てしなき暗黒の淵、陰りき坏の御座所へ渡る君を求めて、君を探して来たる者あらん。
其処で…底で…君は、君よりもっと罪深い彼に看取られることだろう。無間地獄の旅人が、尚慈しみ、愛しみ、翳るを知らない憩うべき微笑みを分け与える。万世の万流を形作る、星に愛されし虚構達の絶望を打ち払い、ありきたりな平穏で空の身体を埋め支える。
男が貴女を看取る。矮小な男が偉大な貴女を看取る。見知った男が貴女を看取る。涙する貴女を、一人の男が看取ることだろう。
いずれまた、必ずまた…必定の再会を期して、今今に終う生気を吐き、死の影を呼べ。影は貴女を支えよう。何人にも知られ得ぬ影が、ただ貴女のことだけを支える。今だけは何人も貴女を侵せず、貴女だけが彼に刻む。数え切れない、遺した者たちが、そうしたように。今だけは貴女が彼に刻む。影は貴女を支えて。貴女は影に支えられて。巨口を開けた御座へと、去ぬるべき光が迫る、虚構を跨ぎ楽園を足蹴に、光が君を呑む。
だが恐るな。光は貴女を奪えない。光は貴女を蝕めない。光は貴女を救えない。彼が健気に、滅びゆく貴女を支える。彼が健気に、滅びゆく貴女を看取る。滅びゆく貴女は、彼の手に己の手を重ねる。支えは解かれ、初めて貴女は許される。罪を数え、そして許される。悠久の悲哀と歓喜が靡く。聳え立つ今の礎に、押し潰されし己の名残を認めて。貴女は御座へと還る。貴女は御座へと還る。ただ一つ、永遠に清算されざる罪を楽園の彼方に遺したまま。
再会を待ち、静かに眠る。御座の虚器は眩く満ちて、穢れし霊光を貴女に注ぐ。貴女を濯ぐ。ただ唯一頑なに結ばれた影を遺して、潰えることなき伴路の證を。
第三の目曰く、時は六世紀のブリテン島、かの地は今や在郷民族ブリトン人と移民族ピクト人、アングロ・サクソン人による武力紛争の只中であった。ブリトン人が野蛮人、蛮族と蔑視するアングロ・サクソン人はしかし極めて強大であり、その領土侵略の勢いたるや圧倒的にブリトン人が押しやられるばかりであった。これに対してブリトン人はより一層の憎悪を燃やしていた。
過去にローマ都市ロンディニウムが栄えていたのも今や遠い昔のようであった。
ローマという概念の崩壊に伴い、巨大な支配力から解き放たれし中小の現地有力者を軸として、新たな秩序が各地で構築され始めた。
それは旧植民都市ロンディニウムを有する、我らがブリテン島もまた然りであった。そして、侵略者に対して守勢に回らざるを得ないブリトン人の中にも、燦然と煌る綺羅星が存在した。
其れは一人の少女の運命を導くに至る、三人の王達であった。
一人は卑王と呼ばれてヴォーティガーン。
一人はヴォーティガーンに父王を殺された兄弟の片割れペンドラゴン。
一人はヴォーティガーンに父王を殺された兄弟の片割れウーサー。
三人は必然的に激しい衝突を繰り返すこととなった。しばしば各個がアングロ・サクソン人の脅威を退けつつ、忍ぶべき時に三者は同族同士に剣槍を向け合った。そして、偉大なる兄王の無念をあと一歩で晴らす前に、蛮族達の大軍勢が上陸を目前としているという情報がブリテン全土を駆け巡った。
ペンドラゴンとウーサーの兄弟は軍勢をまとめて海岸線へと向かい蛮族を迎え撃たんとしたが、卑王ヴォーティガーンはここぞとばかりに軍勢を出し渋り、我の居城を来るべき大戰に向けて鍛えることを選んだ。
蛮族の暴虐に立ち向かうブリトン人の希望の星である兄弟の英雄譚があちこちで語られた。
その勇気に感服し、また行く行くは王として多くの騎士を抱えるであろう貴人達からの覚えを少しでも目出たく致そうと図った志願兵が、続々と兄弟の元に集まった。その数たるや遥か向こうに聳えんとするヴォーティガーンの城塔からも眺めがつく程であった。
莫大な信望を糧にいざ聖戦へと向かう兄弟。そんな英雄譚の当事者たる彼らの元へと不思議な噂が、蛮族の上陸開始を報せる角笛と共に届けられた。
そして、その同日同時刻、卑王ヴォーディガーンの居城にも、兄弟が耳にしたものと同じく不思議な噂と、塔の改築が進まぬ原因を調査させるための学識者達の到着の知らせが届いていた。
噂に曰く、ブリテンには世にも珍しき旅人があり、それは二人組であり、一人は極めて美貌尊き黒髪の大人の男であり、一人は小柄で妖艶な白髪の少年である。
噂に曰く、男は祝福を、少年は魔法の恩寵を一宿一飯の対価として与える者也、と。
噂に曰く、祝福は超常にして大なり、魔法の恩寵は奇妖にして万能なり。
噂に曰く、旅人は直に其方らの元へも現れるであろう、と。
三者の反応は遠からず。怪訝に、しかし驚きつつ興味深げに耳を傾けていた。だが、三者の動きには時差が生まれ、その時差が三者の命運を分けることとなる。
機先を制したのはヴォーティガーンであった。配下のものを馬に乗せ、各地に向けて客人として件の旅人を探させたのである。
対して、兄弟は人探しどころではなかった。蛮族が雲霞の如く、海を木から切り出された浅底の船が黒々と埋め、満載された屈強な蛮人戦士が矢を火をものともせずに突撃してくるのである。前線は大混乱だったが、辛うじて軍勢の体を成しているのは兄弟が陣営を築いて攻め寄せる軍を撃退する防衛側であり、雨天で視界の悪さもさることながら激しく嵐が吹き荒び、荒波に飲まれてかなりの数の蛮族船団が海の藻屑と化したからであった。
しかし、抑の性質から異なる戦闘民族アングロ・サクソン人とブリトン人の間には戦意に限定してもかなりの差が存在していた。その差を、なんとか兄弟という希望の存在が下支えしている状態であった。だが、象徴と呼ぶにはあまりにもドラマ性が欠ける二人の力では、英雄譚を紡ぐことも、圧倒的不利を覆すことも不可能であることは瞭然なる事実として、彼らの未来に暗い影を落としていた。
嵐は続き、剣戟と断末魔だけが数刻の間繰り返された。数えきれない名もなき者達がその屍を晒した。海岸線沿いは汚染され、海は血で染まった。無惨に引き裂かれた陣地で命辛辛生き残ったのはブリトン人の方であった。英雄的な勝利とは言い難かった。だが、ブリトン人が勝利したという事実が残った。
押し返されて海に沈んだ蛮族もいれば、背を向けて海の彼方へと逃げてゆく蛮族もいた。血と泥で装具を汚した兄弟は、自分の体が雨風に長く晒されたからか冷えているのを感じた。だが、生きている。底から温もりが吹き返すような心地であった。生きた心地がした彼らは、未だ自分達でも理解できていない現実と向き合うべく、半数も残らなかった伴周りの腕を引き起こしながら、緩慢な勝鬨を上げた。それは次第に大きな歓呼へと延じていった。蛮族撃退の吉報は、多分に着色され、無名の戦士が死化粧まで施されて、枯葉の原が火に呑まれるような激流となって、ブリテン島を席巻していく。
英雄の誕生だ。偉大なる、騎士達の王だ。勇敢な戦士の凱旋だ。大義のため、正義のために喜んで死のう。それこそが誉れよ、神は必ずお導きになるが故。
血泥を噛むような雑兵の殺し合いも、ひしゃげた鉄兜で殴り殺しあう貴人の格闘も、糞尿と臓物の汚臭に吐瀉したペンドラゴンの姿も、蛮人から殺されかけて失禁して泡を拭いたウーサーの姿も…誰の記憶にも残っていなかった。ただの、味気なく、潔癖無欠な栄光だけが人々の心に居座ってしまった。
否、例え真実を存じておろうが、その悪趣味な光物を求めずには居られなかったのだろうが…。
荒涼とした大地は痩せて、民の亡骸が浮かぶ水面は毒煙を上げる。なんたる惨状か、言葉に尽くせぬ虚無の涙は人知れず岸辺へと伝い、例え妖師に縋ることすら厭わぬほどに、ブリトン人は希望を欲した。
わかりやすく、何よりも美しい希望の光を。
希望を求めて止まない者たち。そこに貴賎はなかった。だがしかし、希望の配分を受け取ることが許されるものに貴賎は無慈悲に通用するのである。過分な希望の恩恵に溺れる貴人は、外敵へと向けた己が惰弱と無力を、己が縦にできる持たざる者を足場として、その忙しく縮んだ己の姿を大きく見せようとする。痩せ細った矮躯を、その名も知らぬ者共を踏み場として立ち上がる巨獣は、俗に竜と呼ぶに足り、己が悍ましさを誇り吼える。黴びた希望をかき集めた矮小なる者の声は未だ届かず。
努努忘れる勿れ、その手に掴みし希望の正体こそ、いずれ至るべし、生温い己が肉であることを。
第三の目曰く、それは彼女の物語の序曲であった。三人の王の内、最初に命を枯らしたのは卑しき簒奪王ヴォーティガーンであった。老獪なこの男は、しかし最も王らしく死んだ。
「噂は真であったか。して、貴様らは何者か?怪しき術を操ると聞く。果たして、その力は主に背く者ではあるまいな?…いや、今はどうでもいい話か…」
峻な岩山の上に威容を誇る巨大な塔の前、未だ改築が終わらない塔の前に設営された急場の玉座に腰掛けたヴォーティガーンは、己の名前で招待させた件の旅人二人組と謁見を果たした。
「王様、それは滅相もございませんよ。僕は頼れる魔法使いのマーリン、そしてこちらが僕の大事なパートナーのアマロ君です。」
「はじめまして王様。私たちに何か用があるようだけれど…頼みごとからマーリンによろしくね?私は彼のお伴なのさ、荷物持ちぐらいしか役に立ててないからね。」
低く唸るような声で問答するヴォーティガーンに対して、マーリンは飄々と応え、アマロはマーリンの言葉に付け加えるように自分を紹介した。
「貴様らの噂は聞き及んでおる。さて、名の売れた御二方にはその力を見せてもらおう…否、これは命令だ。」
アマロの言葉を聞き流して、ヴォーティガーンは早速本題である、頼み事を申し入れた。相手の真偽など、頼み事という名の命令を果たせるのか否かで判断すれば良いと考えての行動であった。
「えぇ、構いませんとも。偶にはこういうこともいいでしょう。アマロはどうですか?」
「うーん。マーリンが乗り気だから私も文句はないよ」
「ふん!無礼は許そう…ならば話は早い。ついて来い。」
状況を飲み込み期待の篭った無邪気な顔のマーリンと、状況に関係なく暢気なアマロの様子は、依頼側の卑王をして強い自信の表れであると受け取った。玉座を立った卑王は、二人組を引き連れて塔の基礎へと向かった。基礎の前には祈祷師や、呪い老、司祭やら、学者やらが取り留めのない様子で群れていた。
マーリンが問うた。「僕達もあの中に混じればいいのかな?」
アマロは困った顔で言った。「専門的なこと…うぅ、今まで暮らしてきた場所の言葉しか人に教えられるようなものなんてないんだけど…」
場違いに明るいマーリンと、場違いに手持ちを数えるアマロの様子に、遠目にこちらを伺っていた識者たちが騒ついた。マーリンの生意気な様子を嘲る声と、案の定見たこともないほど美しいアマロに息を呑むのが聞こえてきた。前者に対してマーリンは胸を張り、後者に気づくとマーリンは更に胸を張った。
騒がしくなった塔の基礎石の前。やや困惑し始めた周囲を鎮めたのは卑王の一拍手だった。
卑王は静寂を嗅ぎとると、厳しく眉間に皺を寄せながら語った。「さて、役者も揃ったのだから始めようではないか。識者よ其方らを集めたのは他でもない、我の玉座を据えるに相応しきこの堅牢な岩山に、どうして塔が礎ぬのか…その原因を明らかし、そして解決するためである。お前たちの怪しい呪いと、数週間にも及ぶ調査の結果を示せ。痺れを切らした儂が新しい客人のために、先客の血で汚した部屋の壁を塗り替えるまえに、おどれらの価値とやらを少しでも、この卑しき王にご教示願えぬかな?」
卑しき王の言葉に呼応して、周囲の幕から武装した兵士たちが現れた。招待客の周囲をぐるりと囲んだ彼らは槍を突き出し、一歩一歩とその円を狭めた。にじり寄るように、鉄のバケツで感情の読み取れない数十の兵士たちが迫る。
若干二名を除いて、集められた識者たちは腰を抜かした。中には祈り出し、中には何かの一節を一心不乱に諳んじ、中には失禁し泡を吹く者もいる。
老獪なヴォーティガーンは須臾の間、呆れた表情を晒したが、すぐに卑しき王の嗜虐的な表情を張り付けて識者たちに今一度問うた。「さあ!諸先生方、儂に教えてくれぬかね?どうして儂の塔は礎就かぬのかな?この岩山に問題があるのか?それとも材料か?人夫か?道具か?それとも呪いか?どうなのだ?」
退き退きと識者は肩を寄せ合い歯を鳴らした。そして、進退窮まった識者の中に一人、呪いに通ずる者がいた。この者は辺りへと救いを見出さんと頭蓋の中身を掻き回す勢いで捻り回し、そして思いつくがままに其の場凌ぎの忠言を絶叫した。
「王よ!賢明なる王よ!!ど、どうか槍をお納め下さい!!お話しします!!この塔が何故立ち得ぬのか、その根因についてお教えいたします!!ですから、どうか槍をお納め下さい!!」
必死な形相は視線が彷徨い、今にも飛び出さんばかりに瞳が開かれていた。尋常ならざる様相の識者に、悪どい笑みを上手に浮かべたヴォーティガーンが詰め寄った。槍は納められ、怯えと安堵に留まる群れから引き抜かれた識者が、震える足のままに朗々と語った。
「この岩山には然るべき儀式を行わねばなりませぬ!この岩山には竜が住んでおります!!竜が暴れる限り、この地には王陛下がいと高き城を築くことも難いと言わざるを得ませぬ。そこで!」
そこで、言葉を切った識者は渦を巻き、泡を吹きながら向き直った。
向き直った先、群から外れて隅の方で怯えもせず、安堵もせずに、今日の晩御飯をどうすればヴォーティガーンからご馳走してもらえるか、について真剣に相談していた旅の二人組を指差した識者は叫んだ。
「ここに夢魔の血を引く者がおります!!陛下!竜は腹の虫が鳴いておる苛立ちから暴れるのです。そして!竜の腹を満たすのに絶好の物がございます、そうです!同じく人の理を断りしモノたる夢魔の族にございます!血を、肉を、かの邪竜に捧げれば、然すれば、最早増築を妨げるものは何もございませぬ!」
この時点で、識者はうろ覚えの知識と適当な出鱈目を限界まで増幅したものを卑王に訴えた。竜がいることなどあり得ないし、夢魔だと断定したのは髪色が白で珍しいからだった。更に言えば、この場では誰かが犠牲にならなければ代わりに誰かが死ぬのだという考えが頭を支配していた。強ち勘違いではなかったが、しかし荒唐無稽な内容を迫真の絶叫を駆使して誤魔化した識者は達成感すら感じながら、卑王が自分の元から白髪の少年の元へと向かったのを心から安堵した。
そして、安堵の息を吐き終わるより早く、身体中に矢羽が突き立つ光景を最期に崩れ落ちた。二度と安堵することも恐怖することもなければ、二度と判断を過つこともなし。卑王はマーリンの前まで進むと、厳かに、見せつけるような緩慢な動きで腰の剣を抜いた。剣の腹にマーリンから自身の顔が映るようにと構えた卑王は、冷徹な表情で言った。
「貴様が夢魔であろうと、無かろうと関係がない。ただ、貴様は先程から緊張感に欠けておるな。この愚かな識者の言葉が真であるかもまた、どうでも良い。ただ、愚者の悲痛な叫びとやらに耳を貸すのも一興だ…どうだ?塔を建てるため、真相を解明するか、それとも夢魔として血を捧げるか?…安堵せよ、隣の御君に傷などつけぬ、ただ儂が貴様の骸から引き剥がした上で登用するだけだ。」
殺意の爆発に卑王は飛び退いた。冷たい目には灰色の塑像が並ぶばかり。人間性の介在しない圧倒的な気配は今度こそ識者と兵士たちの意識を刈り取った。ただ一人、卑王だけが残った。
身構える卑王の前まで進みいでて、鋭い気配を飄々たる泥で塗したマーリンは口を開いた。呼気は青白く濃霧を思わせ、鋭い牙が口から顔を出して、赤毒の滴るその様を幻視した卑王の頬に冷や汗が伝う。
戯れも程々に、今度こそ剽軽な表情の彼は愉快そうな足取りで岩山の方へと、塔の礎の方へと卑王を追い詰めた。立場の逆転に、その当然からなのか卑王に動揺はなかった。ただ、恐怖。得体の知れぬ何かと出会ってしまった。そして、自らの進むべき道の果てを先んじて定められたかのような…。狡猾にして聡明な卑王は底抜けな無力感と劣等感に襲われていた。
肩を揺らして焦りを顕にしたまま、彷徨う剣先にまで顔を寄せたマーリンの声はどこまでも澄み切っていた。地平線の山にまで、その更に先の血濡れた海岸にまで届くようの、深々とした反響が腹の底にまで響いた。
「卑王ヴォーティガーン、君の無礼は許そう。だが、それだけじゃ面白くない。君だって人間の端くれさ、折角だし種明かしをしてあげよう。そうだそうだ、後は下拵えも必要だね。大切なアマロの為さ、僕も出し惜しみなんかしない。」
ヴォーティガーンには何の話なのか理解できなかった。しかし、かの麗しき男に目の前の少年が尋常ならざる仕掛けを用意しようとしていることは分かった。その為に自らが供されるということも。それは納得であった。理不尽の外、純然たる事実として自らが歩んできた道を顧みれば、いずれ来たるべき終わりのことを考えなかったことはない。ただ、今だという。ただそれだけのこと。
卑王の中に漠然として明確な覚悟が芽生えたのは、あくまでも王たるヴォーティガーンの矜持に叶うものであった。それは誉に違いなかった。その類にはとんと興味のないマーリンにも、目の前の老公が確かにその名を後の世に遺す者であることを理解した。故に、マーリンは目の前の一人前の人間が抱えていた悩みの一つを解してやることにした。悪戯好きの彼の中に、敵味方の境とは跳べば越えられる程度の違いでしかなかった。親しきにしろ、そうではないにしろ、マーリンは己に忠実であった。
「さて、種明かしをしよう。君の頭痛の種を一つとってあげよう。」
そして、マーリンは曰く付きの岩山の真相について語り出した。
「卑王よ、君が殺した識者殿はどうやら本当に識者であったらしい。竜の話も夢魔の話も何方も事実だ…ただし、敢えて言うならば半分正解で半分不正解だねー。竜が岩山にはいることは正解、でも腹を空かせて暴れているのは不正解。そして僕が夢魔なのは正解!これは本当に驚いた、勿体無いことをしたかもね?いや…そうでもないか。だって、僕の血肉を捧げたところで竜の腹の虫は治りっこないんだから。寧ろ、気位の高くて潔癖な彼らのことさ、きっと逆上するに違いないよ!君、命拾いしたね!」
唖然とした表情の卑王。その顔を待っていたとマーリンはニンマリと笑った。やはり悪戯は仕掛ける側に回るのに限るな!と彼は思った。マーリンのいやらしき笑みに、揶揄われていると考えた卑王は意識して腹から声を張って問うた。
「まてッ!!貴様、その話は真だというのか?いや、真だと言うならば儂の目に、その竜の姿を見せてはくれぬか?望むべくは、答えも頂戴したい…どうかこの通りだ!!」
強硬な表情のままに、態度が下々と謙られたのが気持ち悪そうにマーリンは舌を出して言った。
「はいはい、わかったから。今日は特別に…いや、君にも知る権利は確かに有る。応えもあげよう。だから、最期までソコにいるように、ね?」
マーリンは笑みを萎めると、手を岩山の中腹に向けて翳した。卑王はマーリンが手を翳した場所こそが塔の礎を確かにする事を許さぬ、事の震源地であることを思い出して目を剥いた。得体の知れない咆哮が揺れを引き起こし、岩並は漣の様に変形していた。火口がないにも関わらず俄に熱気が昇る岩肌が、マーリンの手を推として、がらがらと、岩山の奥へと呑み込まれていくように崩れた。
「ほぉら、ご覧よ。これが、君を悩ませていた竜と言うやつさ。」
マーリンが指を揃えて、自分の家を案内するように丁寧に指し示した。先に見えたのは、白く禍々しい巨大な竜、そしてもう一頭の火で焼き付けたように赤く輝く鱗をもつ竜だった。
己らの世界の天輪が崩れて不届き者が高見物に現れたことになど気にも留めずに、巨大な二柱の竜は互いを傷つけあっていた。鋭く長い爪は断頭用の大剣にも勝る破壊力を誇り、鱗に覆われた尻尾は重装騎兵の一斉突撃にも勝り、堅く嶮しい肉体は鋼の城壁にも勝り、その赤々と熱波荒ぶ金剛の顎門から犇めく焔舌は凡ゆる英雄譚をも荒々しく焼き尽くすに違いなかった。
竜を前にして呆然と我を失った卑王は、マーリンにも肩を叩かれて向き直る。沈黙は続かず、急かすように卑王は言った。
「もう十分だ。アレはどうにもならん。儂らとは、全く異なる存在だ…もう、十分だ。岩戸を塞いでくれ。」
卑王の言葉はしかし、マーリンによって遮られた。マーリンは淡々と言った。
「それは出来ないな。ごめんよ。でも、君も見たはずだ、そして知ったはずだ、君がどちらなのか。岩山の塔は直に完成するはずだよ、だから安心するといい。」
マーリンは憎々しげな瞳を向ける卑王に向けて更に付け加えた。マーリンの憐憫の混じった瞳を見て、卑王の瞳から憎しみは失せ、ただ慈悲を乞うような弱さが瞳を満たした。だが、マーリンの憐憫が向かうところは初めから卑王に対してでは無かった。
マーリンは妖しく冷涼と告げた。
「卑王ヴォーティガーン、君の悩みの種は直に治る。何故ならば、白き竜は赤き竜の牙の前に倒れるからだ。死ぬはずも無い竜は直に死に、そして赤き竜もまたその役目を終えて眠りにつくだろう。死した白き竜は牙だけを遺して岩山の御座へと還らん。その美しく霊艶な奇跡の牙は鋼より堅く、梢より軽く、そして癒せぬ傷などない神秘を湛えている。直に竜は死ぬ…けれど、それでも君が竜を殺したければ、古の工徒に牙を研磨させるといい。そして、君の元に現れるであろう竜を殺すといい。」
マーリンは「ふぅ」と息を細く吐き、角張った声音と厳しい話し方をやめてから、まるで何も初めから起こらなかったような気軽さでアマロの元へと戻ると、その腕を引いて周囲の幕の奥へと消えた。
「待て!!ま、待ってくれ!!おい!たのむ、最後に、最後に一つだけ教えてくれ!!!」
崩れそうな足取りで走った。ただ叫んだ。どうしても知らなければならなかった。
「儂を!わしを、殺すのか!!竜が、かの竜が儂を!儂を殺しにくるのか!?!?答えろ!!応えよ!!!」
突然に何処かへと向かった二人を追って、二人の入った幕を開いた卑王だったが、そこには既に誰もいなかった。人二人がいた痕跡も、影も形もなく。ただ、時間の経過のみを無情に伝える埃が舞っていた。
力なく跪き、目を見開き、そのまま俯いた。咽せながら言葉を失った卑王の生んだ静寂は、周囲が騒がしくなったことで断ち切られた。
孤独から解放されてような心地で、幾分白くなった髪を後ろに撫で付けてから、慌ただしく駆け込んできた伝令の兵士から幕を出たところで報告を受けた。
兵士は言った。「陛下!!ペンドラゴンとウーサー兄弟が蛮族の大軍勢を海岸で退けました!!街は兄弟を讃える声で溢れております!!!そして、陣地前にこれが…。」
兵士が差し出したのは安物の皮紙に、炭を擦り付けて記された文言の羅列だった。達筆なのは嫌味なのか、等間隔の書式に流麗な文字が綴られていた。
「………赤き竜は眠りにつく。白き竜は死ぬ。人間の手にかかって……」
卑王は伝令の兵に言った。
「牙を磨げ、そして儂に槍と剣を鍛えよ。竜を殺すのだ。何来るべき、竜殺しの霊装を鑽よ」
第三の目曰く、蛮族を撃退したペンドラゴンとウーサーの人望はブリテン島に比類なきものとなった。憧憬の徒は挙って二人の偉大なる騎士公の元へと集った。激戦の傷癒えからぬ内に、兄弟は卑王ヴォーティガーン討伐の為の兵を挙げた。その数は勇猛な騎士を数千と揃えるほどであった。
圧倒的兵力で迫るペンドラゴンとウーサーの軍勢は数日の進軍の末に、ヴォーティガーンの居城を囲う石壁の前にたどり着いた。堅牢な城塞を更に囲んで陣幕を張った。昼と夜となく、整然と並べられた戦列は、煌々と篝火に照らされながらも日に日に威圧を増した。じりじりと兵を寄せ、着いてから二日後の夜中に戦の火蓋が切られた。
二日の間に梯子と大木槌、衝木錐を拵えた遺児達の軍勢は全方位からの攻撃を開始した。敢えて消耗戦を選んだのは、戦場の現実を知ったからこその自信であった。大軍勢という潤沢な駒の圧力が二人の王位継承者の足場を押し合い圧し合い強引に踏み固めてしまった。根拠のない全能感に突き動かされるままに、無謀なまでの蹂躙を命じたペンドラゴンとウーサーの目には、自らの姿こそ運命を切り拓く、不可能を可能とする、その末に念願を叶えるに相応しい英雄であるのだ、という確信が蟠を巻いていた。
彼らは確信した。確信してしまった。
惜しくも彼らの最大の不幸は、その確信を死に至るまで捨てずに進んでしまうことだろう。
偉大な二人の指導者の思し召しのまま、勇敢で純朴で無知な騎士達は愚直に堅固な城壁への突撃を開始した。後先を考慮しない劇的な攻めは、期せずして一種の狂宴を催し、前線の一兵卒に至るまで遺児達の確信が乗り移ったかのように奮闘した。血が沸騰したように、涎を垂らしながら武器を振るう騎士達の姿は、城に篭り耐え忍ぶ卑王の兵卒達にとって恐怖と不安を煽られるのに十分すぎた。
日に日に城内から逃げ出す兵士が増えていった。逃れる兵士が、他の兵士の口止めのために他の兵士の逃亡を手助けする悪循環が生まれた。
「どうか、どうか我らを貴方様方の軍勢の末席に加えて下さい!!必ずやお役に立ちます!!卑王へと付き従ったことへの贖罪を、槍働きでお返しいたします!!」
「ならぬ!!!!」
「そうだ!!そうだ!!兄者、此奴はヴォーティガーンの手先に違いない!!」
「その通りだ!貴様ら、我ら兄弟を謀った罪は大きいぞ?」
「殺せ!!殺せ!!!」
「裏切り者だ!!殺せ!!」
逃れた兵士たちは英雄と名高い遺児達に忠誠を誓うために兄弟の陣営に出頭し、そこで卑王の手先として惨殺された。猛った猿は敵が平坦な肉塊に変わるまで振り上げた拳を叩きつけるのを止めない。兄弟が同族を打ち殺す様は、それに良く似ていた。
「貴様らの罪は、正義の執行者である我が軍を阻み、剰え我らを謀ったことである。そして、投降などという恥ずべき謀略を用いて我が軍を混乱に陥れようとしたことは許し難い!!よって、貴様を神の名の下に正義の鉄槌の刑に処す!!懺悔の時間をくれてやる。」
ペンドラゴンは、血走った目で投降した兵士たちへの罪状を叫んだ。投降した兵士たちは縋り付くように命乞いを始めたが、ペンドラゴンは興味なさげに酒盃を呷った。
「おい!!騎士たる誉を示す機会を俺が与えよう!!さぁ、正義を示せ!!懺悔する気もない、恥を知らぬ輩らだ!今こそ、今こそヴォーティガーンへの憎しみを晴らす時!!さぁ、やれ!殺せ!!」
ウーサーはその処断を、決起盛んな志願兵の中から取り立てた若い一代騎士の群れに命じた。二人とも陣中での美酒に酔っていた。口答えをした投降者にウーサーが杯を叩きつけ、杯が転がり込んだ者達から順に、若く血の気の多い騎士達の手で次々に殺されていった。
お仕着せの甲冑を耳障りに鳴らしたてながら!彼らは正義の名の下に、ブリトン人がブリトン人を解体していく。身包みを剥がされた上で縛られて逃げ道もない、無抵抗のブリトン人を、荒々しく興奮した完全武装のブリトン人が忙しなく腕を振り上げ、そして振り下ろした。一振りごとに肉片が飛び散った。生々しい音が響き、血腥さで酒の酔いが覚めた兄弟は盛大に吐いた。
偉大な英雄の醜態に辺りは騒然となったが、二人はその場にいる者達を、血と肉を片づけさせてから陣幕より追い出した。残ったのは二人の兄弟と、正義を執行した余韻に浸る、口を半開きに夢現な様子の若人の群れのみであった。
追い出された古参の重臣達が兄弟の変貌に薄寒い噂を重ねる頃、若い騎士達は兄弟から形ばかりの賛辞を受け取ってから持ち場に戻った。
次の日、その次の日と、次第に城から逃げ出す兵士の数は減っていった。
卑王へと逃亡兵について報告していた兵士長は淡々と、兵士たちの心変わりについて報告した。一度逃げ出した兵士たちは自ら戻ってきたのだと言う。
「英雄と聞いていた二人の遺児達は英雄に非ず。人の皮を被り、貴き身分を騙る真の悪魔也」
彼らはそう語り、どれだけの地獄が兄弟により顕現せしめられたのかを滔々と語って。吐く息を噛むように語った兵士たちは、覚悟を見定めた瞳で兵士長へと、卑王への、王への忠誠を誓った。
卑王はただ頷くと、彼らを受け入れて己の側供えとして鋼で出来た剣と盾を預けた。
そして更に一月もの間、激しい攻防戦が二人の遺児に率いられた軍勢と、王ヴォーティガーンと運命を共にすることを選んだ軍勢との間で繰り広げられた。
遺児の軍勢は次第に活力を失っていったが、しかし正義という大義は甘く、献身的な志願兵を中核戦力として、村落から徴収して雑兵の夥しい骸を踏み台として城壁を遂に打ち破った。
兵糧の足りぬ雑兵は前線から生き残れば褒美に与えられる糧だけを頼りとして奮戦した。日に日に数が目減していく雑兵が残す余剰分の食糧によって、中核戦力である騎士や古参兵が飢えることはなかったが、脆弱な兵站によって雑兵の食糧事情は粗末なものであり、とても十分に報いられてはいなかった。
対して、王ヴォーティガーンの軍勢は備蓄の食糧で養える兵士の数を既に割り、一月分の兵糧の方が現在の残存兵力よりも尚多いほどであった。城壁を失い、もはや孤立無援と化した山腹の砦は各が潰滅するまで抵抗を止めず、生き残った兵士は全員が、戦間近に完成させた王の尖塔へと詰め、傍で剣を振るう王の姿を支えに、鬼気迫る抵抗を続けていた。
そして、遺児と王ヴォーティガーンの戦争が始まってから三ヶ月が経ったころ、岩山を覆うように存在した砦の全てが制圧され、あとは王の尖塔を残すばかりとなっていた。
そして、その日遂に王の尖塔に火がかけられた。
だが、上がった声は歓声でも絶望の声でもなかった。それは怒声と、困惑の声であった。
「おい!!なぜ塔に火がついている!!誰か!誰か!!おい!何故火をつけた!!戦利品をまだ一つとして得ていないのだぞ!?」
「クソっ!!クソっ!!!ヴォォォティガァァァン!!!」
狼狽える兄弟は陣営から身を乗り出した。いと貴き塔の頂、そこには火に包まれながら満足げに声を上げて笑う王ヴォーティガーンの姿があった。
兄弟の金切り声が聞こえているのか、片手に松明を持ち、もう片手で抜き身の剣を携える王は笑みを深めた。既に王ヴォーティガーンの体には火がまとわりついている。じりじりと火に巻かれながら、火の海に沈んでいく王ヴォーティガーンは最期まで笑い止まなかった。
そして、そして、尖塔は灰を纏った炭板が風に煽られるように、俄のうちに溶け落ちていった。
崩れしは、いと貴き王の塔なり。塔の残骸は、その財と、王の骸と共に岩山の山腹に開いた大口へと呑み込まれていった。
第三の目曰く、岩山に築かれた塔に自ら火を放ち、卑王ヴォーティガーンは死んだ。
卑王は死んだ。死んだ王の骸は見つからず、ただ一輪、人の掌ほどもある銀白の鱗だけが遺された。
遺児ペンドラゴンとウーサーは勝利した。ペンドラゴンは燃え尽きて炭化した厩の中から一振りの槍を、ウーサーは枯れし井戸の底から一振りの剣を手に入れた。
偉大な二人の英雄の手によってブリトンは一つに戻ったかに思われた、そしてまた一つ駒が進められた。
槍を按ずる駒は蒼く威偉として瞬き、剣を構えし駒は金色に咽ぶ。
感想ダンケなっす。いつも楽しみにしてます。では、また。