運命のヒモ男《ヒモ・ファタール》   作:ヤン・デ・レェ

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コンでんす様、クラキ様、誤字報告と感想をありがとうございます。
では、どうぞ。


B04貴婦人と騎士

B4 貴婦人と騎士

 

 

 

 

 

石壁に囲まれた、木組の柱が見える窓もない部屋の中は薄暗かった。静かな空間には火の滴が浮かぶばかり。埃さえも沈んだまま浮かんでこないような、明確な清涼感とも霊澄感とも呼べる何かが込み上がってくる。招かれた客役たるイグレインは過去と未来を忘れさせ、自分を今に放つ魔力が、部屋の主人たる彼にはあるように思えた。溶けた蝋が根本で蟠る燭台が、ここでの時の流れが偽りではないことを辛うじて報せていた。

 

そんな部屋の中、椅子代わりの寝台に並んで腰掛けたアマロとイグレインは、お互いに距離を手探りつつ、説明不足で困惑する相手と前向きな時間を過ごそうと思い立った。

 

 

 

「初めまして、私はアマロと言う。今はこうしてウーサーやマーリンの元でお世話になっているけれど、実は旅人なんだ。特に行く当てもないけどね。君の名前を教えて貰えるかな?」

 

何とも巫山戯たような、場違いに初々しい臭いをプンプンさせながらアマロが言った。照れ臭そうな姿は意図したところでは断じてない。

 

気とも素とも呼ばぬソレに当てられたイグレインは案の定閉口した。眩しくて惹かれる感覚とは根本的に異なる。吸い寄せられるが如き精緻な引力に心根を鷲掴みにされたようか心地だ。

 

「……イグレインよ。ただのイグレイン」

 

外方は向かなかった。いや、向けなかった。幸運にも表に動揺が現れない自分の顔に、イグレインもこの時ばかりは感謝した。

 

「うん。わかった、イグレインよろしくね?ところで、君はどうして私の下に呼ばれたのか理解しているのかい?」

 

素気なく返したイグレインを不躾に見定めるでも無く、念のためにともじつきながら問うたアマロは控えめに言ってあざとい。が、しかしこの男にその自覚はない。寧ろ、落ち着いているようでその実は困惑していた。ウーサーはまぁわかる、だがマーリンまで折角言いつけた条件を履行しないどころか、何の説明もなしに察しろと言わんばかりに突き放すとは…アマロは困惑していた。

 

「……?いいえ、何も説明を受けてはいないわよ」

 

案の定。イグレインは事情など露知らず、己の抱いた形容し難い誘わしい情感覚に任せて身一つで乗り込んだのだから当然の如く、正直に回答した。

 

アマロは頭を抱えたくなった。己が好色であることは省みても間違いがないという自覚がある。我を忘れる己を戒めるためにも、と付け加えた条件であった。だのに…子供は好きだ、だが決して繁殖の為にする訳ではない。元より繁殖とは縁遠いアマロであるから、より意味合いや子供への愛着には深く重いものがある。見境のない性獣とは、一応は異なるのである。

 

「……うーん。やっぱりね…じゃあ、折角だから世間話でもどうだろうか?」

 

困り果てつつも、そこからの立ち直りが光の如く速いことがアマロの好ましいところだろう。

 

「……勿論、構わないわ。宴だからと、私は燥ぐのが得意ではなかったから時間を持て余していたの」

 

向こうに気を遣われたのを知ってか知らずか、或いは理由は何であれ目の前の尊顔麗威を味わう機会を逃すまいと思ったのか、イグレインも僅かに口角を上げて応えた。

 

「それならよかった…私も机と寝台しかないこの部屋で、こうして何もせずにじっと待機するのには飽きてきた頃だったからね」

 

アマロは提案を飲んでもらった安堵から、にぱっと笑顔を見せつつ前のめりに話し始めた。

 

「奇遇ね、何からお話ししましょうか?」

 

対してイグレインは落ち着いたままだが、その身に纏う雰囲気は柔らかい。

 

「じゃぁ…君のことを教えてよ」

 

じーッとイグレインを見詰めていたアマロが、真顔で提案した。

 

「………物好きね、少しだけならいいわ、教えてあげる」

 

ほんのり頬を紅潮させたイグレインは、モヤを消すように顔を手で仰いでから、勿体をつけて言った。

 

 

 

「夫は私のことを放って肉と酒と戯れているの。それに私を宴に連れて行くのだって…自分の妻が聖胎とかいう役目に選ばれるかもしれないからと、あの人の従者達は戦々恐々としていたわ…まぁゴルロースはそんなことなかったけれど。」

 

話し始めてすぐに、イグレインは愚痴をこぼし始めた。というのも、手近な世間話と言えば抜け出してきた宴の話だったからだ。

 

イグレインにとって宴とは余り好ましいものではなかった。清貧や質素を好むわけではないが、豪奢で派手な生活を好むわけでもない。平穏に、いっそ退屈に暮らすことに満足を見出せる類の貴婦人であった。

 

「ゴルロースさんって言うのかい?」

 

互いの感性に通じ合うものを感じたのか、アマロは少しずつイグレインを気になり始めていた。スラリと繊細で怜悧でいて温厚なイグレイン。抗い難い引力が滲む艶美で愛篤でいて陽穏なアマロ。

 

傍目から見ても二人の相性は悪いようには見えなかった。口数も少なく、どこか不器用そうな所も、雰囲気や素振りから見ても重なっていた。

 

「えぇ、名前負けしているわよね。若い頃は騎士として大層立派だったそうね…けれど、今は」

 

「今は?」

 

「強いても踊れる猪というところかしらね」

 

「ふふふふ…君の冗談は些か辛みが強いね」

 

イグレインは自分が寡黙な方であることを自覚している。それはアマロも同じくである。だが、寡黙だからと言って相手を喜ばせたり、笑わせたりしたくないわけではない。

 

ほんのちょっと、偶には面白いと自分で思った冗句を飛ばしてもいいのでは?

 

この人なら私の言葉で笑顔になってくれるのでは?

 

そう、イグレインは思ったのだ。

 

心臓が騒がしくなりつつ、大層な汗をかきながらも最後まで冗句を飛ばした。

 

結果はご覧の通りだった。微笑ましや。彼女の心配は杞憂に終わり、彼女と彼の関係性に、より良質な緩みを与える結果となった。

 

「貴族の冗談はもっと苦いのよ?苦いのと辛いのは何方がお好きかしら?」

 

「あはははは!!イグレインは自分が思っているよりずっと気さくだね」

 

「ぷふふ…ここでの話は内緒よ?ゴルロースは鈍感だけど、侮辱されると焼き豚みたいに赤くなって怒るから」

 

「ふふふ…笑ったらダメなのに、想像したら面白くなっちゃった…」

 

「……ぃ、いいのよ。笑ってくれて。いえ、寧ろ笑ってちょうだい!別に、私はあの人を嫌って言っているわけでもなし…言葉こそ辛辣だけれどホントのことなのよ?」

 

赤面は興奮半分、弁明半分であった。いや、夢中になっていた己を自覚したことへの、可愛げのある羞恥も付け加えておこう。忙しなく手を振るでもなし、薄く紅の差した顔を外方に向けつつ、鼻息は楽しげなイグレインはアマロに陰口を好む女だと思われぬようにと言い清めたのだった。

 

 

 

「……それで、ゴルロースさんとはどんな馴れ初めだったんだい?」

 

「…なんてことのない、貴族同士の婚姻よ?面白くも何ともなかったわ。でも、だからといって結ばれたいほどの殿方もいなかったから、不満もなかったわね」

 

「…ふぅん。ゴルロースさんって、どんな人なんだい?君の伴侶なのだろう、私に彼のことも教えておくれよ」

 

「物好きなのね…嫌いじゃないわ…ええ、いいでしょうとも」

 

 

 

言葉を切ってから視線を彷徨わせたイグレインの目に留まるものがあった。マーリンがいつの間にやら置いていったのか、二人が並んで腰掛ける寝台の脇の机には二つの杯があった。片方を取り唇を湿らせてから、イグレインはゴルロースについて自分が知り得ることをアマロに語っていった。

 

 

 

「ゴルロースが食べることに執着し始めたのは、蛮族との戦いが始まってからよ…それまでは、すれ違う人が振り返って見直すほどの美男子だったらしいの」

 

「ゴルロースは蛮族の襲撃を受け、焼ける街を見た。その光景がこびりついて離れない。だから、酒を飲むようになったというの。」

 

「ゴルロースは荒れ果てた大地でさえも奪われ、飢えてゆく貧農の喘ぎに耐えられなかった。自分の無力さに屈した彼は、それから吐くまで食べるようになった。そして吐けばまた食べる。でなければ、まともな自分が蘇る気がしたの。だから、常に狂うことを必要としたの。」

 

 

 

ティンタジェル公ゴルロースは絵に描いたような完璧な貴公子だった。だが、蛮族が持ち込んだ戦乱は彼を華やかな宮廷から、血腥いブリトン人の屍の山へと縛りつけた。

 

潔癖で、敬虔だった麗しきゴルロースは死んだ。そして、不潔で、野蛮な醜悪なるゴルロースが生まれた。

 

それは生き延びるため、ゴルロースが選んだ狂い方だった。それは彼にとってその時、他には考え付かなかった唯一の救いの方途であるように思えたのだ。

 

そして、今もその闇の中でゴルロースは蹲っているのだ。

 

 

 

イグレインの言葉はそんな顛末を迎えた。

 

言葉が流れるように話したことはこの時が初めての経験だった彼女は、ふと隣のアマロを見た。

 

そこには強い意志を瞳に秘めて、真剣な面持ちでイグレインを見つめるアマロの姿があった。イグレインはどきりと胸が波打った気がした。

 

アマロはイグレインの肩に手を置くと、目と目をしっかりと見合わせて言った。

 

「ゴルロースに会わせてくれ」

 

「わかったわ…えぇ、任せてちょうだい」

 

考えるよりも先に口が動いていた。イグレインはキョトンとした表情で己の頬を抑えた。そして、二度とアマロの顔と頬にやった手を見比べてから、添えるように微笑んで言った。

 

「…ここに来てよかったわ。貴方、不思議な殿方ね。魔法使いかしら?」

 

イグレインの言葉は揶揄うようで、それでいて揺らぎのない芯が通った声により紡がれていた。

 

アマロは真剣な瞳のまま、口元を緩めて答えた。

 

「いいや、魔法使いはマーリンの仕事だ。私はただの長生きな旅人だよ」

 

 

 

「………」

 

扉の外で一部始終を聞き届け、見届けたマーリンは静かに扉から身を離すと、宴の中の喧騒からウーサーの声を拾い上げた。

 

声の元へ、迷いなく進んでゆくマーリンの足振る舞いは舞踏のように淀みなかった。

 

「おぉ…どうだった?」

 

前置きもなしに答えを求めた王。辿り着いた玉座の真横に侍ると、マーリンは酒に酔おうにも酔えない様子のウーサーに耳打ちした。

 

「ウーサー君、君は甚だ読み間違えたようだね」

 

クスクスと笑いを漏らしながら報告した。マーリンの囁きに王はしかめ面を浮かべて言った。

 

「なんの話だ、俺にもわかる様に言え」

 

ウーサーの様子はうずうずとして堪え性のない飼犬の様であった。これがついこの間まで自暴自棄に凶王ぶっていた男かと思えば笑いもする。

 

仕方ないな、と手を掲げて首を振るマーリンは煽り立ての上手いこと上手いこと。まだ一言と発する前から既にウーサーはマーリンの報告を碌でもない事であると踏んだ。

 

マーリンは言った。「だから、君は見誤ったのさ。あの女人、イグレインは大層な運命を持っているらしい。アマロとの相性があんなに良いのは、僕の知る限りだとまだ今は彼女くらいのものじゃないかな?君の予想に反して、彼女はアマロの心に火をつけちゃったのさ。しかも、僕たちの予測の遥か斜め方向に向けてね!」

 

マーリンの言葉をウーサーは理解しきれていない様子であった。

 

ウーサーは言った。「ふむむ?相性が良かったのであるか…その何が予測の遥か斜め上なのだ?むしろよかったではないか。それでそれで、確と契ったのであろうな!?」

 

「ううん。契るどころか手も握らなかったね…これは僕も予想外。」

 

少し辟易とした顔でマーリンが言った。これはウーサーの書いた図だけでなく、マーリンの考えていた完成形にまでもインクを満々とぶち撒けた結果と呼んでも差し支えがなかった。

 

「な、なんだとー!?」

 

驚いたウーサーは玉座に座したまま大股開きで後退った。

 

「あ、あと補足すると、アマロの心についた火が向かう先はティンタジェル公ゴルロースだよ」

 

戦くウーサーを尻目に、マーリンは淡々と付け加えた。それはウーサーの常識どころか、起こりうる如何なる可能性をも鼻で笑うような答えだった。

 

「にゃにゃにゃにゃ!!??」

 

遂にウーサーは酒の杯を手から滑り落とし、そのままズズズと玉座に沈んでいくように気を失った。

 

「ウーサー…あぁ、気を失っただけか。…まぁ、わかるよ、僕もいつも思うもの、全てを知っているはずなのに…アマロは常に僕たちが考えた真っ当な方法を、思いもよらないトビキリので飛び越えていくんだからね…まったく、困ったものさ!」

 

マーリンも流石に同情的にウーサーを眺めつつ、しかし何処か楽しそうに聞こえるくらいに、声を弾ませながら真っ暗な回廊の向こうで、今も話し込んでいるだろう不思議な二人へと思いを巡らせた。

 

 

 

第三の目曰く、ウーサーに連れられてアマロがティンタジェルへと向かったのは宴の夜から数えて一週間ほど後のことであった。

 

「吾輩がティンタジェル公ゴルロースである。君が…イグレインが吾輩にどうしても会って欲しいと言ってきたのは…」

 

ウーサーは形だけの挨拶を済ませるなり領館から王都へと帰っていった。残されたアマロは、彼女との約束通りにティンタジェル公ゴルロースの元へと通された。

 

ゴルロースは屋内だと言うのに剣を決して手放さない。その噂通り、剣を脇に立てかけたまま大きな椅子に体を詰め込む様に座していた。

 

ゴルロースの問いに対して、イグレインは「えぇそうです」と答えた。ゴルロースはふんふん、と鼻息を立てつつアマロを視線で舐め回してから、今度はアマロへと問うた。

 

「……アマロ殿。貴殿が吾輩に会いたいと言ったことも、知っておる。だが、貴殿の様な霊艶な御仁が、訳もなく吾輩の様に…吾輩の様に、肉ばかりを肥やす醜男に会いたいなどとは言わぬこと、吾輩とて重々知っておる。さて、貴殿に問う。何が望みか?何をこのティンタジェルに求めて御座った?」

 

ぎろりとした瞳ではない。湿っぽく、情けなさが滲む突き放す様な視線である。ゴルロースはそんな視線をアマロに向けながら言った。その瞳は怯えと後悔と、どうしようもない自分をどうにかしたくとも自力では変われないことへの鬱屈が溢れていた。縋る様な、しかし諦めた様な視線は、言い切れば至極面倒臭い代物だった。

 

だが、この男はもっと面倒臭いのだ。見縊ってくれるな。

 

「いえ、本当に特に理由はなかったんだ。ただ、君に逢いたくなったんだ。…イグレインに色んな話を聞かせてもらって、そしたら君と、ゴルロースと会いたくなった。だから、こうして会いに来たんだ。ふふふ、確かにイグレインの話の通りだ。こうして、来た甲斐があったってものだ」

 

「けれど、……君は、どうしたいの?どうしたかったの?ただの旅人でしかない私には、わからない。私は常に無知で愚鈍だ。だけれど、今この時も胸に込み上がってくる熱い何かだけを恃み…その熱の赴くままにしてきた。今、こうして私がここにいるのは…私の中の強い何かが語りかけたからなんだ、君に逢いたかった。そう、強く囁いたものだから。」

 

「こういう時、決まって誰かが変わる時なんだ。流石の私も段々とわかるものさ。そして、それは君なのだと思う…だから、後は君の番だ。君が望むことをして見るといい、その為なら私は何か出来ることをしよう。」

 

アマロは正直に語った。それは全く荒唐無稽。そして支離滅裂の嵐であった。

 

いつも通り、歩いてきた道には山と谷しかない。まともな道を知らない旅人は、どうしようもなく道理に疎い。光の元には生きられない。光が溢れる道を歩くことはできない。

 

だが、だからこそ旅人は、アマロは決まって光を前にして暗闇の中に蟠る誰かの陰となる。陰は一条の光明になどならないし、なれない。だが、光に焼かれて生の道が霞んでしまう時であっても、ただ一人、君から離れることなく寄り添い続けるのだ。

 

アマロの言葉は意味を語るに足りなさ過ぎる。

 

だが、吸い込まれる様な尊顔は片時として歪まず、逸れることもなく、自ら醜いと認めるゴルロースの醜顔へと温かく澄み切った瞳を向け続けていた。

 

「……何を語られたのか…君が何を言いたいのか…吾輩にはわからない…だが、君が吾輩に会うために、本当にただその為に来てくれたことは信じるよ。…歓迎しよう。それから、吾輩に…少し、時間をくれまいか?」

 

「あぁ、私は待っているよ。君が望むままに振る舞ってみるといい。私にはわからない。君自身にしかわからないことだから。」

 

いつの間には部屋の中は静寂に満ちていた。領主の館でも最も天井の高く作られたゴルロースの私室。そこにアマロの声はよく響いた。それは優しく染み込む様にゴルロースと、その傍でアマロの声に耳を傾けていたイグレインの元に届いた。

 

「…イグレイン。アマロ殿を、お部屋に案内してくれ」

 

「畏まりましたわ。さぁ、アマロ様…」

 

ゴルロースに促されてイグレインはアマロを案内する為に軽やかに進み出た。

 

「アマロって呼んでほしい。ゴルロースもね」

 

だが、様付けに不服なのか、可愛らしく頬を膨らませて言うアマロへ、端からありもしない毒気を抜かれた二人は笑かしいような、小恥ずかしいような気持ちで各各に承諾した。

 

「うむ。わかったぞ、アマロ…吾輩も、そのままゴルロースでよい…うん、よいぞ」

 

心なしか嬉しそうにゴルロースは言った。

 

「…ふふ。わかったわ、アマロ。さぁこちらへ、部屋に着いてからも困ったことは私に教えてちょうだいね?」

 

イグレインは興味深そうに、それでいて痛快は気持ちでアマロの言葉を受け入れた。

 

「うん。じゃあまた後で、ゴルロース」

 

「…うむ。また、だな」

 

手を振るアマロの背中を見送るゴルロースの顔つきは、幾分ほろほろと柔らかいものだった。

 

 

 

「………吾輩が、したかったこと…出来なかったこと、守れなかったもの…守りたかったもの、成りたかったもの…」

 

 

 

ゴルロースの鼻にかかった野太い声が、幾分優しく静かに響いた。

 

 

 

第三の目曰く、その晩にゴルロースはアマロの部屋へと向かった。

 

「ようこそ、ゴルロース。夜更けにどうしたんだい?眠れないのかい?」

 

ゴルロースを迎えたのは寝巻き姿のアマロであった。眠たそうに目を擦るこの男は、客人が何方だったかゴルロースに忘れさせてしまいそうだった。

 

招かれ、招いたゴルロースはアマロのいる寝台へ、彼の隣に腰掛けた。しょんぼりとした大男の姿は哀愁にも増して情けなさが強調されていた。

 

ゴルロースは言った。「吾輩は…考えたのだが、でも、わからないのだ…未だ、半信半疑でアマロの部屋に来ている。こうして、吾輩は、貴方が何者なのかも見当がつかぬ。だが、なんだか逃げても、恐れてもいられないような気がして…それに、嬉しかったのだ…まさか貴方のような御仁にあれほど熱く見つめられるなど。だが、だから…吾輩は…吾輩は怖かったのだ…今もこうして、震えている。貴方に何と嫌悪されないか、罵倒されはしないかと、震えておる。しかし、どこかで貴方になら打ち明けてもいいと思ったのだ…言葉では何と言うも包めぬ…謂わば直感とも天啓とも…そんなあやふやで、でも強いものだった」

 

体を縮こめながら、涙さえ浮かべた醜男がぐすぐすと語った。アマロは自分より大きなゴルロースの背中を優しく摩り、その言葉へ静かに耳を傾けた。

 

「吾輩は…騎士に成りたかった。格好のよい、誉ある騎士に成りたかったのだ…だが、ティンタジェル公になった途端に、吾輩は目の前が真っ暗になってしまった。吾輩は、自分が初めて戦に出た時、初めて蛮族を殺した。その時、吾輩は思ったのだ…吾輩は騎士になれない、と。怖かった、それに汚いと思った。色々な臭い、音、色が混ざり合っていた、あんなに恐ろしいものを知らなかった。逃げたのだ…吾輩は騎士を諦めた。戦場を忘れるために酒を初めて飲んだ」

 

「公として、ウーサー王から町や村を任されたが、一向に豊かにはならなかった。だのに、吾輩の倉は常に山ほど食糧があった。これを分けようとも思ったが、群臣に反対され、そのままだ。領主として、多くの無力な民を助けるよりも…神輿や旗竿貴人として強欲だが力のある家臣達に媚びた方がいいと思った…彼らに失望されるのだけは御免だったのだ。人の死を見て、自分の死も怖くなった。いつか夢見た、騎士の姿の似姿を、家臣たちに高価な甲冑を買い与えて押し付けた。」

 

「吾輩は…」

 

吾輩は、何がしたかったのだろうか。

 

ゴルロースの言葉は最後まで続かなかった。口が塞がったのだ。

 

「難しい話はもう十分だよ。君はあまりにもまとも過ぎたんだ。純粋で、腐り切ることも出来なかったんだ。私に出来ることはただ一つ…君には、癒しが必要だ…嫌なら拒んでくれていい。私にはこれくらいしか得意なことがなくてね、でも、皆喜んでくれるから恐らく不愉快な思いはさせないよ」

 

何をされているのか理解できないまま、尊顔と尊体がゴルロースの身を、遥かに大きいゴルロースの身を、錯覚ではなく確かに覆っていった。細りとした体は逞しい肉体に、優しげな瞳は怜悧に。いつか夢見た、ゴルロースの憧れた騎士の理想像だった。

 

「……よろしく…おね、さ、スゥゥゥ………」

 

不気味な駆動音を立ててお辞儀をしながら、混沌に身を委ねたゴルロース。

 

その晩、ティンタジェル公の館に世界を貫き開ける様な声が響いた。

 

 

 

 

 

「まさか……こんな形で騎士になってしまうとは思いもしていなかった……いや、姫であり、騎士だな…吾輩も、やるではないか……忘れられそうもない…いや、それでよい…」

 

月夜の下、ボロボロのゴルロースは何とか私室に辿り着くと、寝台の上に砕けた腰を横たえて呟いた。

 

「……吹っ切れたな…あぁ、そうだ。やっと、やっと、空っぽだ。」

 

何処となく男らしくなった顔つきには、情けなさも頼りなさも消えていた。

 

 

 

アマロが館から帰って行ったのは三日後だった。毎晩の様にゴルロースはアマロの元に通った。三日間、毎晩のようにゴルロースはアマロと語り合った。ただ、語り合った。

 

そして別れの日の晩に、ゴルロースはイグレインをアマロの部屋に向かわせた。だが、イグレインは何事もなくアマロと添い寝をして夜を過ごした。アマロが帰った次の日から丸々二ヶ月拗ねたイグレインはゴルロースと口を利かなかった。けれど、その茶目を表に出す様になった姿がゴルロースには嬉しかった。

 

「………」

 

アマロの背中が遠のき、もう少しも見えなくなった。私室に戻り、沈黙に浸ることしばらく。ゴルロースは立てかけていた剣を引っ掴むと、靴を履き直し、館の中庭に出た。

 

そして鞘を取り払うと、抜身の剣を両手で握り込み、やけに整った所作で構えた。

 

徐々に、徐々に赤くなっていく顔。パンパンに膨れた赤ら顔から力が抜ける瞬間。ゴルロースは吠える様に息を吐き、止めを繰り返しながら素振りを始めた。

 

「…!…!…!…ぶ、ふひ!ひ!ふぶ!」

 

脈絡もなく、側からみれば乱心の形相で、ゴルロースはそのまま数刻の間も剣を振り続けた。

 

汗塗れで倒れ込んだ領主を見つけた領館の騎士に解放されながら、震える肉で膨れていた頬が削げた様に見えたゴルロースは、霞む視界で満足げに独り言ちた。

 

「吾輩は…いいや、僕はもう一度、抗ってみようと思うよ…なんだか、全てが可笑しくなった。不思議と、重かった体も軽くなったんだ…」

 

駆けつけたイグレインはゴルロースの額から汗を拭いつつ、呆れた様子だった。

 

ゴルロースは笑った。

 

 

 

ティンタジェル公領にウーサーの軍が攻め込んだのはそれから一年後のことだった。

 

「僕はゴルロース。真の騎士なり。不義の妻イグレインは離れ島の塔にて終身刑とする。騎士を騙りし者ウーサーよ、ブリトン人の王を語りし者ウーサーよ、僕は貴様へと反旗を翻すもの也」

 

「偽王ウーサーへの不服あるもの共よ集え!僕の掲げし御旗の下で力を存分に振るえ!今こそ、真の王が勝者となる時!蛮族に無力なる王は要らぬ、偉大な英雄は仮初の夢に過ぎぬ!!今こそ、真の救世を成さん!!」

 

一年前より、有力公の中でも一際異彩を放ち、急激に名声と力を高めつつあったティンタジェル公ゴルロースの挙兵にブリテンは沸いた。

 

ブリトン人の混沌に乗じるためにと、ゴルロースの元には現ブリテン国王ウーサーへと恨みや不満を持つブリトン人だけでなく、本国からの命令により強力な支援を受けた蛮族からの志願傭兵が殺到した。

 

戦力差、物量差。どちらを取っても歴然となりつつあった。ウーサーの元へは兵を出し渋る嘆願書が次々と送りつけられ、王城キャメロットからは次々に高級聖職者や商人が逃げ出した。

 

物も金も潤沢なゴルロースの陣営へと武器も食糧もが流出した。高値で買い占められ、文句を言うべき商人も、鉄を叩かせる工人も都から姿を消していた。

 

兵も、武器も揃わぬ。ゴルロース側の圧倒的な有利が揺るぐことは断じてないだろうこと。それは自明の理であった。

 

最初の会戦が最後の会戦となることを、両陣営の首脳部は共通の解として導き出した。

 

 

 

決戦の場はキャメロットから数十里、グラストンベリーの郊外にて。

 

剣を砥ぎ、鎧を着込め。

 

火を篝り、パンを焼き固めよ。

 

騎馬を調教し、従者に槍を。

 

敵を討て、ただ駆けよ。

 

騎士たる者、その猛き武威を第一に神へと捧げよ。

 

騎士たる者、その猛き武威を第二に正義のために捧げよ。

 

騎士たる者、その猛き武威を第三に貴婦人のために捧げよ。

 




では、また。
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