運命のヒモ男《ヒモ・ファタール》   作:ヤン・デ・レェ

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副題:イグレインとゴルロース

多分今回だけだけど、アマロの影が薄いです。
ブヒる貴公子もありかなって、思いながら書きました。描きたい話じゃなくて、必要な話を書くって難しいです。難産です。


B05魔法と落胤

B5 魔法と落胤

 

 

 

 

 

ティンタジェル公ゴルロースによってイグレインが幽閉された。

 

その報告は他ならぬウーサー王の元に届けられた。敵に自陣営の痴情を漏らす者もいまいが、しかし、ウーサーはこの報告に対して挙兵で応じた。

 

後世には謎として遺るであろう、ウーサー王とティンタジェル公ゴルロースの戦いである。

 

それはウーサーの治めるブリテン王国始まって以来、最大規模の謀叛であり、最大規模の国内紛争となった。

 

ウーサーは数千の騎士と数万の兵を、王勅によって一月と待たずに揃えると、情報と人材の流出を妨げるために都城キャメロットに立て篭もった。

 

態勢を万全なものとするべく奔走するウーサーたちに対して、ティンタジェル公ゴルロースは去る一年間で蓄積した権力と財力を遺憾なく発揮して、既に万全の状態を整えていたにも関わらず、ウーサー陣営がてんやわんやとしている都城キャメロットを包囲することも、その周辺地域を略奪することもなく、ティンタジェル領内での待機のみを命じていた。

 

 

 

そしてウーサーの体勢が万全に整った頃、見計らった様にゴルロースは書簡を送りつけた。

 

書簡には曰くこう書かれていた。

 

「グラストンベリー郊外にて、僕たちの雌雄を決しよう。君たちが決戦の場に現れなければ、僕はイグレインを見せしめに処刑する。罪状はこうだ、僕に隠れてウーサー王との密会を設けた不義を問い、是を断罪するもの也」

 

ウーサーは返事を書かず、ゴルロースも返事を求めなかった。だが、二人の間にこの時初めて通じ感ずるものに共鳴が生まれたことは、両者のみぞ知る所である。

 

ウーサーは書簡を渡しにきた使者を傷一つつけずにティンタジェル領へと帰還させた。

 

読み終えた書簡を薪に焚べてから、ウーサーは深く息を吐いた。

 

そして、そのこと家臣から「陛下、裏切り者の従卒に何故慈悲をかけられたのか」と問われたウーサーはこう答えた。「是非にも及ばず。之は騎士同士の戦いである。まして、蛮族との生存競争とは訳が違うのだ。だが、何にせよ理由はただ一つ。いざ、グラストンベリーへ。彼の地にて俺たちの運命を決する…然るべき、運命を」

 

ウーサーの言葉は強く、明確であった。群臣はこれに平伏して応えて、軍議の場を辞すなり自らの武具防具に入念な手入れをした。

 

それはゴルロースの麾下に集いし騎士たちも同様であり、ティンタジェル王の実現のためにと志望した流浪の騎士たちは己の腕を振うことを夢想して武者震いしていた。

 

 

 

ウーサーはティタンジェル領に向けて使者を発した。書簡には一工夫なされ、ゴルロースにしか真意が伝わらぬ様になっていた。

 

「ウーサーからの手紙…持って参れ」

 

今や反乱軍を率いる一大陣営の盟主となったゴルロースは、ティンタジェルの寒々しいほど広い館の中で一人ぽつねんと座っていた。生きたままの使者を呼びつけ、直接手渡させると文に目を通した。

 

未だに使い続けている大きな椅子には、あの時とは真逆の、細身で清麗な貴公子が優雅に…しかし、滑稽と寂寥を纏いながらその身を収めていた。

 

書簡には曰くこう書かれていた。

 

「ティンタジェル公ゴルロースよ、其方の滅私に心より感謝する。俺は貴君に心よりの尊敬を捧げる。後の事は、イグレインのことは任せよ、貴君の望む通りに迎えよう。決戦の場はグラストンベリーの郊外にて、暫しの静寂と停滞の為に……ウーサー・ペンドラゴン」

 

そして、書簡の隅、ウーサーの名前の脇にはこうも書かれていた。

 

「汚名は遺さぬ、安心召されよ」

 

ゴルロースは感心した様に、ふんすと鼻から息を吐き出すと、その書簡を薪に焚べた。

 

ゴルロースは使者を傷一つなく都城キャメロットへ送り届けさせた。ゴルロースからの返信はなかった。また、ウーサーも返信は望まなかった。

 

両首領は、首の離れていない己の使者の姿を一目見た時に、一切の迷いを払い捨てた。

 

両者の間には憎しみなどなく、また憤怒すらもなかった。ただ、そこにあるのは澄み切って清涼な、日向で水浴びをする様な心地であった。

 

暗い影を押しやり、互いを理解した二人の騎士は決戦の場に向けて同日同刻、軍へ向けて進軍命令を発した。

 

 

 

 

 

グラストンベリーへ向かう戦列の最後尾。

 

ウーサーからの言伝を受けたマーリンは、悪戯を仕掛けるからと言い包め、なすがままとなったアマロに昨晩のうちに得意の魔法を仕掛けて眠らせておいた。

 

眠ったままのアマロを分厚い毛布で二重三重に包んでから姫抱きにしたマーリンは、ひょん。杖を一つ振り、その身を風に溶け込ませた。

 

お忍びの行き先は、離れ島の尖塔である。

 

 

 

 

 

第三の目曰く、グラストンベリー郊外にて開かれた一大会戦の様相は詳しくは解っていない。しかし、その激しさや華々しさたるや、かの有名なベイドン山での一大戦争にも参じた騎士達をして、壮絶な戦いであったと回顧させる戦いであったと言われている。

 

戦いの大局を決したのは、ブリテンのウーサー王とティタンジェル公ゴルロースの一騎討ちである。申し込んだのは圧倒的優勢を誇るゴルロースの側からであったという。

 

二人は数刻に及ぶ激戦を繰り広げた。

 

一人は死に、一人は生き残った。

 

 

 

 

 

最後尾でマーリン達の姿が風に溶け込んでから暫くの時が経った頃、ウーサーは戦場を前に殺気立つ軍勢の先頭を進んでいた。

 

「王よ、エクトル殿を軍勢に加えずに…よかったのですか?」

 

王の馬に寄せた群臣の一人がそう問うた。王はこれに応えて言った。「よい。エクトルは子守りがあるからな…それに都城を空ける以上は信のおける奴がいい。エクトルはその点を弁えてるし、腹も据わってる。だから任せた」

 

王の答えに群臣は納得してから行進の列に埋もれた。

 

王の言葉に嘘はない。この戦のために、城には殆ど兵を残していなかった。頼みの綱は騎士エクトルと彼に預けた衛兵だけだ。

 

都が火の海になろうと、今や馬上の人となったウーサーにはどうしようもない。別働隊の存在が懸念されてもそれは同じであった。

 

本来ならば、出陣の前から別働隊への不安は募るものであるが、しかし、この場にあってはその心配が杞憂であることをウーサーは信じる他なかった。

 

自分が向かう先、己と死闘を演じようとする相手はティンタジェル公ゴルロース。ウーサー王は正直なところ、この男に対して少しなりとも深く知るところがなかった。だが、それも少し昔のことだった。汚れつつも騎士として、曲がりなりにも生きてきたウーサーの元に届けられて書簡は、久しく目にすることのなかった誠実な騎士の姿であった。

 

無論、イグレインを幽閉したことは多くの者からの非難を呼ぶだろう。だが、ウーサーがゴルロースとの共鳴を抱くに至ったきっかけこそがイグレインなのだ。彼女の幽閉をいち早く知らせたのは他ならぬ下手人たるゴルロースだ。だが、そのゴルロースの意図するところを憤慨する群臣の中から進み出て一番に見抜いたのはマーリンであった。

 

この王の相談役は「騎士とはわからないものだよ」と宣いつつも、ゴルロースが求めているものに関しての推測をウーサーに披露した。そして、ウーサーはその話を信じることを選んだ。

 

否、そこには選択肢はなく、既に首筋に当てられた白刃を凌ぐためには、ゴルロースが整えた道を歩む他になく。その道を歩むことこそ、ゴルロースその人を倒す術に繋がる唯一の道であると判断しての決断であった。

 

馬上でこれまでの道のりに思いを奔らせていたウーサーの目の前に、グラストンベリーの丘が見えてきた。丘の頂には、待ち構える様に旗がたなびいていた。

 

あぁ、そこを抜ければ、そこを越えれば決戦の地なのだな。ウーサーは誰に言うでもなく詠じた。

 

そして、迷いを捨てたウーサーは丘へと僅かな従者だけを連れて登って行った。

 

 

 

昇り詰めた先にはゴルロースがただ一人で佇んでいた。美しい金髪をたなびかせる、とてもあの踊る猪のようだったティンタジェル公その人には見えなかった。

 

ゴルロースの豪奢に飾られた旗は地中深くに差し込まれ、揺るぎない。ウーサーは旗の根元を一瞥すると、今度は仰ぎ見た。それから従者に言い付けて、運んできた己らの旗を差し込ませた。

 

ウーサーの旗は血や泥の乾いた汚れが所々についており、その上小さく穴も開いていて、目を凝らせば端にほつれも見えた。従者用の槍を軸としたそれは風にあおられれば、容易に撓って落ち着きがない。

 

「ウーサー殿、よく来てくれた。ことは順調かな?」

 

旗の頼りなさを別段の快も不快もなく見ていたウーサーに向けて、ゴルロースが声をかけた。ウーサーはゴルロースの顔も見ずに言った。

 

「ふむ…その体なら玉座に体も収まるだろうな…」

 

ウーサーはブリトン人の中でも特段に皮肉が苦手である。宮廷闘争の中でウーサーの苦手ごとは皮肉であった。だが、この時ばかりはやるせない心地がしてこんなことを口走った。

 

「……玉座に用はないよ。しかし、玉座に座る者に、その者に守るべきものを与えることには興味がある。命を賭けるに足るほどに…」

 

対してゴルロースは笑うでもなく、真摯に応えた。本心から自分が何を望んでいるのかをウーサーに初めて面と向かって宣言した。

 

「……順調だ。俺のこれまでの生涯に誓って」

 

ウーサーは沈んだ顔を浮上させ、静かに強く言った。

 

「………そうかい。それはいい。では、騎士ウーサーよ、騎士ゴルロースが君の玉座を揺るがそう!」

 

ゴルロースは喜ばしい表情で笑った。貴公子は騎士として、その姿を完成させていた。平静であれば、衆目の憧れになるに違いなかった。

 

「…騎士ゴルロースよ、騎士ウーサーが相手となろう。俺は、貴様が揺るがし……遺すものを守護して見せよう」

 

平静であれば、衆目の憧れになるに違いなかった。だが、そうであると同時に乱世でなければゴルロースは完成しなかったかもしれない。言葉にしても無駄なこと、過ぎ去りしことは雑草を数える様なものだ。目の前にいる覚悟を決めた騎士の姿、その現実を他所に置いて優先することがどうして出来ようか。いいや、できる訳がない。きっと、これほどの騎士とは己が生きている間には二度と見えることができないだろう。

 

ウーサーは言葉と共に己を飲み込んだ。ただ、泥と共に剣を握る一端の騎士として騎士ゴルロースの前に立っていた。

 

「よろしい。では明日の明朝より角笛と戦太鼓の音と共に、泥の中にどちらかの骸が沈むまで」

 

微笑んだゴルロースは爽やかに笑い、腰に下げた剣の柄に乗せた手。その甲を摩りながら言った。

 

「あぁ、わかった。泥の中にどちらかの骸が沈むまでだ…これは騎士と騎士の誓いだ。俺は断じて違わぬ」

 

ウーサーはゴルロースが手を摩るのを見ずに応じた。目線はゴルロースと交わしたままだ。

 

「然らば明日!!」

 

ゴルロースは滑らかにマントを翻すと、悠々と丘を下りていった。

 

「然らばだ…」

 

遠ざかるゴルロースの背中を見送るウーサーは十字を切ると、焚き染めるように呟いた。

 

 

 

離れ島の尖塔は、ティンタジェル公の保有する城の中でも、最も堅固な城塞である。塔へと至る道は、海に浮きつ沈みつ人二人分ほどの極狭い道が唯一塔へと延びるだけである。

 

さらに、塔を囲う海は常に荒れ狂い、どんなに大きな木造船で向かっても必ず転覆してしまうことで知られていた。

 

自然の要害を超えたとしても、そこには拠点を作ることも難しいほどに、離小島の土地の隅々までを重厚な石と鉄で組み込んだ堅牢な要塞が待ち構えているのだ。難攻不落の名を欲しいままにする、かの尖塔こそティンタジェル公が己の真の危急の時、その最期の恃みとする場所であった。

 

そんな要所の最枢、天高く立つ塔の最上階にて、イグレインは不自由のない待遇で、物々しい騎士達に囲まれつつも平静通りの静穏な日々を、この数ヶ月間過ごしていた。

 

その日はゴルロースに呼び出されたのだ。そして、数ヶ月の間にすっかり見た目も中身も変わったゴルロースにこう言われたのだ。

 

「イグレイン、僕は騎士になる。やっとわかったんだ。失ったあの日を取り戻すために、僕は騎士に成りたい。偉大な騎士に…。けれど、僕の成りたい騎士には大きな試練が伴う。得るものも大きいが、失うものも大きい。失うものの中に、君は居ない。君には迎えを寄越すから、それまで塔で暮らしてほしい」

 

イグレインは目をパチクリしたものだが、騎士に成りたいという言葉はその時分のゴルロースが言い始めて久しいものであった。妙に納得しながら、「あらそうなの。無理はしないことね、あんまり辛いとまた太るわよ」と答えて着替えをまとめるために部屋へ向かおうとしたのを覚えている。そして去り際に言われた言葉も。

 

「ありがとう、君は何だかんだ言って醜い僕のことを軽蔑もしなかった。僕は君と一緒にいると居心地がよかったよ。それじゃあね」

 

ゴルロースは滅多に御礼を言わなかった。それは今も前も同じことだったけれど、その時は随分と感傷的な物言いで礼を言われたものだと感じた。

 

悪い気はしなかった。婚姻を結んで数年の間も、終ぞ体の関係もなく、夫婦のような関係もなく、何処となく変わった同居人あるいは隣人同士とも呼ぶべき関係性だった。

 

イグレインはあまり質素も豪遊も好まない。たまに豪遊したくもなるが、たまに質素にもなりたくなる。恵まれた身だといわれれば、実にその通りだと思う。だが、イグレインは恵まれた身の通り、その中身にも恵まれていたのだろう。

 

つんとしているが決して人嫌いな訳ではない。退屈そうだが別に退屈な訳ではない。むしろ、平穏と静寂を愛でることもできる方である。聖人ではないが、ゴルロースが泥酔していれば毛布もかけてやるくらい優しさもある。泣きつかれれば、殴り倒すでもなく頭も撫でてやった。

 

哀れむことでもなく。仕方ないなぁ、とイグレインは思いつつ、まぁ偶にはこう言うのも悪くない、と考えて夫と言う名の隣人と不可のない日々に馴染んでいたのかもしれない。

 

イグレインはゴルロースからの礼に対しては言葉は返さなかった。だが、部屋を辞して、服と少ない私物をまとめて、それからふと数年間暮らした自室をぐるりと見渡した時、胸に込み上げるものがあった。

 

私も、しんみりするのね。

 

イグレインは自嘲しつつ、その込み上げてきたものをちゃんと言ってやらねばと思い立って、侍女に荷物を預けるまでもなく、まとめた荷を体に、両手に負ったままの姿でゴルロースに会いに戻った。

 

 

 

「どうしたんだい、イグレイン?忘れ物?」

 

「えぇ、そうよ…」

 

置き忘れたものを、渡しに来たの。

 

そんな言葉を聞こえないほど小さな声で呟いて、イグレインは首を傾げるゴルロースに言った。

 

「私、太っちょの貴方も嫌いじゃなかったわ」

 

「ぶひっ?」

 

それだけよ。

 

奇鳴を上げたまま目を丸くして立ち尽くすゴルロースに、本当にただそれだけを言うと、イグレインはカツリ、カツリと、そよ風に身を預ける様なゆったりとした足取りでゴルロースの城を後にした。

 

新居はジメジメとしていて、調度品も潮風で傷んでいた。少しばかり、イグレインはゴルロースの城館にある、住み慣れた部屋を懐かしく思った。

 

 

 

尖塔の頂の窓の外では波が巻き動いていた。窓から身を乗り出して下を見ると、底知れなく青黒い波浪が噴き上げる飛沫が岩と鉄が敷き詰められた尖塔に当たり白い粒に砕け散った。

 

イグレインはあまり高いところが好きそうになれなかった。ふと、外から音が鳴った様に感じて振り向くと、勘違いではない様で扉が叩かれていた。

 

一定の拍を刻んで響く音。急のことではなさそうだった。イグレインが扉を開けると、そこには目深くローブを被った背の高い男がいた。

 

「どなたかしら?…貴方には私、見覚えがないのだけれど?」

 

「…ゴルロース殿がウーサー殿へ頼まれました。こちらを貴女に、と」

 

塔の中は閉鎖された空間だ。数えるほどしかいない塔に回された衛兵全員と顔見知りのイグレインには、目の前の男に覚えがなかった。目深いフードから白い髪が溢れているが、表情は窺い知れず、声は蠱惑的だった。記憶にある、どの騎士の声とも似つかない。

 

イグレインは身を固めたが、ゴルロース、ウーサーという耳覚えのある言葉に肩の力を抜いた。肝の図太さにかけて、イグレインは大概の騎士にも負けてなかった。彼女自身に自覚はないが…。

 

 

 

「これを…私に?」

 

差し出されたのは巻かれた状態の分厚い毛布だった。

 

「………」

 

困惑していたイグレインだが、目の前の男がダンマリで差し出す形で固まっているので、疑問は挟まず毛布を受け取ることにした。

 

「……開けていいのかしら?」

 

首を傾げたイグレイン。半眼で気怠げに男を見つめていたが、別段に不機嫌な訳ではない。

 

「…はい」

 

男は端的に諾を示すと再び口をつぐんだ。

 

「ゴルロース…あの人に毛布を贈られるなんて…ここは潮風が痛いくらいだけど、まだこの時期は寒くないのよ?」

 

分厚い毛布を一枚ずつ、一枚ずつ解き始めたイグレイン。彼女は誰に聞かせるでもなく、口元でぶつぶつと言った。

 

「……」

 

されど、何かしらの言葉は期待していた。せめて、辞すような場合には断りが入るだろうと。そんな期待をして言ったイグレインだったが、反応が芳しくないことが気になった。

 

「…あら…居なくなってる…」

 

見上げてみると、誰も居なくなっていた。驚いてはいないのは、やはりイグレイン。湿った空気が底で流れる廊下は静かだった。

 

「……あら…あらあら…アマロ?…ねぇ、貴方もしかして…」

 

イグレインが気を取り直して毛布を解くこと更に数枚。こてん、とアマロが転げ出てきたのだ。毛布の中だと言うのに器用に鼻提灯を膨らませていたのか、ぐっすりと眠っている。

 

「……もう居ないのかしら?……ねぇ、アマロ…貴方置いてかれちゃったわよ?…帰りは、いいのかしら?」

 

今度こそ困惑したイグレインだったが、次第に頭が冷えてくると一年前のことが思い出されてきた。

 

「………」

 

目の前の男は、曰く大層な好色らしい。噂くらいは耳にする。ましてや、同じ館で寝食を共にしたのだ。四日の内の一晩だけとは言え、ブヒブヒ聞こえて来れば鈍くても気づくものである。

 

 

 

…というよりも、あれは、そう言うことなのだろうな。いやいや、それにしては翌日のアマロはいつも通りだった気がする…けれど、アマロにとってそういうことも寝食と同じなのかも知れないし…でも、だとしても凄いことじゃないかしら…嫌がっていた訳ではなかったけれど、妻である私ですら一度も体を重ねなかった、あのゴルロースよ?…でも、ならどうして私のことは…いいえ、それは多分私が人妻だったから…ふえぇ、人妻はダメで人様の夫なら良いのかしら…ハッ!そ、それとも私は好みでは、な…い…の…かし、ら…。

 

 

 

そんなことを考えていると次第に、イグレインは気色の悪さや、自分が文字通りの添い寝だけで一晩を終えたことをさて置いて、堪らない興味が沸々と湧き上がってきたのである。

 

「…私、そういえば…処女だったわ、ね?…えぇ、そうね……なのに…いいえ、だからこそ気になるわ…きっと、ゴルロースの人が変わったのもあの晩の所為よ…」

 

そして、イグレインはこうも思ったのだ。思ってしまったのだ。

 

「……物は試しよね、アマロ?起きて………。起きないのね、なら仕方ないわ…えぇ、そうよね…ところで……」

 

 

 

 

 

「…………肉の薄い女はお嫌いかしら?」

 

 

 

 

 

第三の目曰く、両軍は翌日の明朝にグラストンベリー郊外にて槍を交えた。

 

激しい戦闘は日の出から日の入りまで続き、更に何日もの間続いた。

 

 

 

騎士達が死闘を演じている時、イグレインは先日から半ば否応なく同居する形となったアマロとの日々に充足を感じていた。

 

生活音と口数が増えたことを除けば、潮風は強いし、湿っぽくて、おまけに住まいは高くて怖いままだが、穏やかで静かで文句はなかった。

 

話し相手のいない孤独感がなくなるや否や、イグレインの気分は上向きになった。そして、それまで知らなかった新しい悦びを学んだことでイグレインは大満足であった。

 

成程、確かに人生も変わるだろう、とイグレインは納得していた。適度な運動にも事欠かなくなり、薄い体にはくびれが出来てしまった。イグレインは不思議な心地であった。勝ったのに負けた気分だった。ゴルロースに肉付きで負けた。行きどころのない敗北感を感じたのは初めてだったが、我ながら思い出し笑いが気色悪かったのには驚いた。

 

だが、総じてイグレインは満足だった。冷えた頭でアマロに申し訳なくなったが、少しも気にした様子がないどころか早くも尖塔での一つ屋根の生活に適応していたので気にしないことにした。

 

情事の後に事情を話して「アマロが誘惑したのだ」というよくわからない理論を振り翳したところ、アマロは何故か納得してしまった。納得した、起き抜けのアマロは「イグレインが元気ならいいや」と言うが早いか、脇に一人分の余白を残して何処とも知れぬであろう部屋の寝台で丸くなってしまった。

 

イグレインが再び情事に挑戦し、無事無意識のアマロに敗北の末に気絶したらしいことは素面の彼女しか知らぬ話である。

 

 

 

 

 

そして、彼女の胎に小さな運命が芽吹いていたことは、まだ何者にも知られていない話である。

 

その運命が、二筋に別れつつあることもまた、誰一人として預かり知らぬ話である。

 

 

 

 

 

第三の目曰く、その日は雨だった。土砂降りの雨になった。朝から降り頻る雨は止むことを知らず、大地をじゅくじゅくと冒した。地はぬかるみ、泥と血が乾いていた土に刻まれた騎士の足跡に出来た水たまりに、螺旋を描いて沈んでいった。

 

混じり合い、汚し合い、浄め合う大地の上で、夥しい戦士達が殺し合った。

 

雄大はグランストンベリーの丘の上からブリテンの旗が消えて久しく時間が過ぎていた。激闘は深みに嵌まり込むように、血と汗と共に希望まで根こそぎ奪うように容赦がなかった。

 

いつの間にか、自分が何処にいるのかわからなくなってしまう。戦場の只中で、自分という存在がいかに無力か、無意味なのか自覚させられる。

 

血が乾いてパリパリと音を立てて剥がれ落ちる。汗は血を潤わせ、溶け出した血と汗の入り混じるものが、頬や額にへばり付いた髪から滴っていく。

 

ゴルロースの軍勢は常に優位だった。だが、時折現れるサクソン人傭兵の部隊に対して、ウーサーの軍勢は恐るべき粘り強さと狂気的な強さを発揮した。高品質の武具と潤沢な資金で掻き集められた傭兵達にとって、割に合わない仕事に命を賭けることはとても出来ない話であった。

 

彼方此方で勢いを失い始めたのはゴルロースの陣営が先であった。だが、圧倒的な屍の山を築き、剣を振るう者も皆が傷を負っているのはウーサーの陣営であった。

 

崩壊の兆しが彼方此方で見え始めていた。時間をかければウーサーの敗北は必至である。覚悟を決めたウーサーにとって、この後の展開は天…にではなく、ゴルロースへの信頼により与えられるということをウーサーは疑わなかった。

 

そして、時は来れり。

 

ゴルロースは己の陣から旗を持ってこさせると、自ら旗を掲げながら未だ激しく息巻いて抵抗を続ける一角へと向かった。

 

辿り着けば、そこに斃れている兵士の数は両陣とも同等であるように見えた。相討ちさえも、探せば屢々目にされた。

 

そして、屍を超えて数の優位を誇るゴルロースの軍勢が押し込んでいる一所に、ウーサーは居た。

 

 

 

「ウーサー!!問おう、君は騎士であるか!!」

 

ゴルロースは叫んだ。力んだ旗の持ち手がギチギチと鳴った。

 

「あぁ、俺は騎士だ!!俺のこれまで歩いてきた道の全てに誓って!!ウーサーはブリトン人の騎士だ!」

 

ウーサーも叫んだ。

 

ゴルロースは息を吸い、ウーサーに叩きつけるように剣を抜いた。

 

「僕の名はゴルロース!!騎士として、君に決闘を申し込む!!一騎討ちだ!!」

 

馬の腹を蹴ったゴルロースが人馬一体となってウーサーへと一直線に迫った。

 

「あぁ!良いとも!!騎士ゴルロース!!お前の相手はこの俺だ!」

 

迫り来るゴルロースに向かって、両脇のサクソン人傭兵を瞬く間に切り捨てたウーサーは馬にも乗らぬまま駆け出した。

 

 

 

剣を交わすことは、戦いばかりに明け暮れるウーサーにとっては会話代わりでもあった。粗野で、野蛮だが、その剣技には繊細なものがある。ウーサーにとって、騎士らしいところはそこくらいかもしれない。だが、ウーサーにも自分が騎士であり続けるために必要な何かを譲ることはなかった。そして、それは戦の最中といえども変わらず、否、この時ほど譲れぬ時はなかった。

 

ウーサーはゴルロースに語りかけた。ゴルロースとの語らいを、心から望んでいた。

 

「ウーサー!!!」

 

「ゴルロース!!」

 

馬上からの一撃が雷のように脳天目がけて落ちてくる。ウーサーは転がるように去なすと、直ぐ様立ち上がって目の端に入る馬の尻を手で張ると、飛び上がってゴルロースに飛びかかった。

 

押されるがまま、ゴルロースは泥濘の中に落ちた。美しく鏡のように磨かれた鎧は泥に塗れた。マントを払い捨てたゴルロースは剣を握りなおして、己が立ち上がるのをじっと待っていたウーサーと仕切り直すように見合った。

 

息が合うや否や、騎士と騎士の戦いは終わらない剣戟の雨を打ち立てた。壮絶な決闘には、しかし、騎士ではない者にとっては些かの価値も感じられない、寧ろ極めて腹立ちを覚える機会が度々、その姿を表した。

 

片方が転がれば、片方は立ち止まり相手が立ち上がるのを待つ。

 

剣から泥を拭う素振りを片方が見せると、片方も動きを止めて之に倣い、もう片方は終わるまで何もせずに構えを解いて待つ。

 

斬撃を受けて血を吐いた相手が膝をつけば、どれだけ追撃の隙があろうとも、相手型が立ち上がるまで決して追撃しない。

 

それは…古臭く、荒唐無稽な、絵空事の中の騎士の真似事だった。それは、非現実的な光景だった。泥だらけの、両陣営の首領は二人だけで一つの狭い世界に閉じこもり、戦争の汚らしさや必死さから隔絶された空間でままごとに興じていた。

 

少なくとも、周囲の者達にとってはそれ以下でもそれ以上にも映らなかった。そして、ウーサーもゴルロースもそのことを承知していないはずがなかった。

 

だが、二人は数刻もの潔白な剣戟を、ただどこまでも純粋に、堂々と、笑みまで浮かべて演じ切った。

 

そして、その時が来た。

 

「ゴルロース!!騎士ゴルロース!!今こそ雌雄を決しよう!!我らの道を、今こそ切り拓かん!!」

 

ウーサーは枯れた喉を震わせてゴルロースの懐に入り込むように、それまでのままごととは全く別物の、狡猾なまでに滑らかな本気の斬撃を繰り出した。

 

「ウーサー!!!あぁ、今こそ!!」

 

受けるゴルロースはそれを棒立ちで、ただ受け止めた。

 

「ゴルロース様!!」「ウーサー様!!」

 

両陣営から噴出した声は困惑、憤怒、驚愕、安堵、落胆、失望、奮起…様々だった。平時には際立つような感情も、戦場では灰色の背景以上の役は与えられない。ただ、生と死が支配する場所だった。

 

この二人をおいて、それは正に戦場の真理であった。

 

存在しない騎士の姿に辿り着いたゴルロースは、満足を感じていた。何も語らずに、糸が切れた人形のように泥の中に沈んだ。

 

「ゴルロース様が負けた!!反乱軍の負けだ!!」

 

誰かが叫び、その叫びをキッカケに引き潮のように兵士達が逃げ惑い、それをウーサーの軍勢が狼のように追い立てた。

 

あれほどに目を釘付けた、神妙不可思議な一騎討ちの舞台には、夥しい鉄靴に踏み荒らされた大地と、二人の演者だけが残されていた。

 

 

 

「ウー、サー…」

 

倒れたゴルロースをウーサーは抱き起こした。

 

「…なんだ?」

 

雨が止んでいた。日が差して、ウーサーの顔を照らした。

 

泥の中で、真っ白な顔のゴルロースは語り始めた。

 

「僕、は……自分が、正しかった、とは…思って、ない…」

 

「…あぁ」

 

「…でも、僕、は…騎士に…姫を…守る…騎士に…なり、たか、た…僕、は…次を…君の…次を作りたかったんだ…君は、きっとブリテンを、守るだろう…でも、それだけ、だ…君の…次は…誰が?…その、誰か、が…育つ、までに…君は…生きて、いられる…のかい…?…だか、ら…僕は…時を…作りた

…たかっ…た…」

 

「あぁ、そうだな」

 

目は真っ直ぐ天を向いていた。ウーサーの手を、ゴルロースは強く握った。ゴルロースは天をみあげたままに、ウーサーに語った。

 

「ウー、サー…僕は、イグレインが…彼女が…生きて、いる内…は…静かな…まま…に…したかった…んだ…あの、子が…こども…育てられる…くらい…に…きっと…彼女、だったんだろ、う?」

 

彼女だった…それは、ゴルロースが一年という時間の間に辿り着いた、ウーサーの目的を調べつつ知り得た答えだった。このブリテンの聖母が、イグレインなのだと、根拠などなく、しかしゴルロースは納得したのだという。

 

「……あぁ、聖なる胎とやらだ…俺も、よくわからん…だから、俺じゃなくて、アマロに預けた…いや、眠らされてだから預けられたが正しいか?」

 

少し笑わせるような語り口で、ウーサーはゴルロースに語った。

 

「……ぷひっ…イグ、レインは、あぁ、見えて…へっぽ、こ…な、んだ…でも、アマろ…なら、大丈夫…だよ…」

 

「知っとる…俺は、怖くて試さなかったがな…」

 

「……それが、いい…」

 

ゴルロースは思いを馳せるように言い、ウーサーはマーリンから聴いた旅の噂の甚だしさを思い出して顔を青くした。

 

「……死ぬのか、ゴルロースよ」

 

ウーサーは問うた。硬くて冷たい指先だ。ゴルロースは天を仰いだままだ。

 

「……ぶふ…ぶふ…う、うん…そろ、そ、ろ…」

 

鼻からも血が垂れていた。張り詰めていたものが、語り尽くしたせいかはち切れそうに思えた。

 

「………一つ、贈り物がある…」

 

ウーサーは、脈絡もなくそう言った。

 

「なん、だい?おくり、もの?」

 

表情は変わらなかったが、ゴルロースは怪訝な様子だった。

 

「……逢わせてやる」

 

ウーサーは「今、使うよ。あとは頼むぞ」と言い捨てると、支えていたゴルロースの体から手を離した。

 

「……ぇ?」

 

はっきりと困惑したゴルロースの声が空に溶けたのと同時に、痛みが消えつつあったゴルロースの意識は暗黒に飲まれた。

 

そして、目を開けた先は石組みの見覚えのある部屋の中だった。見覚えのある顔が二つ。片方は幽閉したことになっている妻、もう片方は迎えに届けさせたはずの初めての人だった。

 

ゴルロースは困惑した。

 

 

 

 

 

「?」

 

不思議な気配を感じて振り返る。が、誰もいない。

 

「どうしたの?イグレイン?」

 

心配した声のアマロにイグレインは、色濃くなった気配から馴染み深いものを感じ取り、力の抜けた声で答えた。

 

「……誰か来たみたいよ?」

 

そして、現れたのはゴルロースだった。

 

「…わぁ!ゴルロース?どうしたんだい?すごい格好だね!」

 

「ゴルロース…貴方…」

 

「う、うん…ごめんね…泥だらけで…そのぅ、僕、イグレインとアマロに会いに来たんだ…」

 

泥だらけのゴルロースを前にして、アマロは純粋に驚きを、イグレインは淡々としていながら寂しげに口を抑えた。驚いて当然の登場を果たしたゴルロースも、自身の状況を理解していないながらも、何かの奇跡だと無理やり自分を納得させてから、二人に向き直り、その目的を伝えた。体には痛みも何もなかった。

 

「………いくの?」

 

イグレインは簡潔に問いかけた。聞いたこともないような、温かい響きだった。

 

「……うん。でも、大丈夫。僕は、僕が成りたかった騎士になれたから。何も」

 

ゴルロースは吃りそうになるのを堪えて応えた。清々しい気がして、意地悪な自分に反省しつつ、優しげなイグレインの姿が嬉しかった。

 

「……そう、ゴルロース!」

 

イグレインは大きな声でゴルロースを呼んだ。

 

「ぶひ!な、何?イグレイン!」

 

直立不動の姿勢を反射的にとったゴルロース。

 

「貴方…騎士様みたいね」

 

だが、イグレインはその姿を見咎める事なく、今度は撓みのない水面のような声で言った。清澄な響きが耳に残った。

 

「………そ、っかぁ!そっかぁ!」

 

ゴルロースは顔をぐしぐしと拭いながら笑った。

 

「うん…イグレインの、言う通りだよ」

 

アマロは、ゴルロースのことを見守りながら同意した。

 

「……ねぇ、アマロ…僕は、好きにしてやったよ…」

 

顔を拭ったゴルロースは、今度はアマロの方に向いて言った。

 

 

 

「うん」

 

「沢山の人に迷惑もかけた」

 

「うん」

 

「傷つけたし」

 

「うん」

 

「多分凄く嫌われちゃった」

 

「うん…」

 

 

 

ゴルロースは言葉を切ると、胸を張って言った。力んだ姿が滑稽なのに、とても愛嬌があった。

 

 

 

「でも、僕は自分で選んだから、あんまりやらなきゃよかったとは思ってないんだ…すごく、ふわふわしてる…ちょっと、疲れたかも…」

 

二人とも何も言わなかった。

 

そろそろ行くね、そう言ってゴルロースは光の粒になっていく。

 

「ゴルロース!!」

 

腰より上だけが残るゴルロースに、アマロは声をかけた。イグレインは、ただ静かに光の粒を見守っている。

 

「?何だい、アマロ?」

 

ゴルロースは、少し不思議そうにアマロの顔を見た。何も言い忘れたことが思い当たらない顔だった。アマロはゴルロースの消えゆく頭を両手で包むと言った。

 

「君のこと、忘れない」

 

ゴルロースは静かに頷いた。頭だけを残して消えてゆく彼が瞳を閉じた時、イグレインは一歩前に出た。

 

 

 

「……」

 

「……え?ぃ、イグレイッッ…………!?」

 

 

吸い付くような湿った音が響いた。何かを言う前に、ゴルロースは泡沫のように消えた。

 

頬を膨らませたアマロの姿を視界に入れたイグレインは微笑みながらアマロに問うた。

 

「あら、嫉妬してくれたの?」

 

「あぁ、君にね」

 

「わたし?」

 

予想外の答えにイグレインは首を傾げた。

 

「うん…私もしておけば、と…ね」

 

「……あら、ゴルロースは惜しいことをしたわね…代わりに私が貰うことにしましょう…」

 

アマロの言葉に納得したイグレインは、貰い手がいない余剰分の口づけを貰おうと迫る。

 

「あ、イグレイン…ダメだよ、流石に君の身が持たない!」

 

「ふふふ、どうしてよ?何もしないわ、唇を奪うだけよ!」

 

弁明するアマロの心配はイグレインのことなのだが、肝心のイグレインはほんの少しだと言って聞かない。

 

「君は一度始めると気絶するまで止まらないから、私が心配になるんだよ…」

 

「あら…いいのよ、そのうち子供が欲しいと思ってたことだし」

 

「え、いいの?」

 

当然ね、とイグレインは言った。

 

唐突に炸裂したイグレインの言葉にやや呆然としていたアマロだったが、彼のガラ空きの隙を逃すイグレインではなかった。非力なアマロがひんひんと言うのを引きずって寝台に放ったイグレインは、彼女にしては珍しい、明るく晴れやかな表情で、見送るように窓の外を見た。

 

荒れ狂う海の上に、場違いな虹が雲の隙間から差していた。陳腐ね、とイグレインは思った。でも、「それでいい」とも。

 

「だって、ゴルロースにも見せてあげたいのよ…私が生きた証を」

 

その言葉に容易く言い包められたアマロが、イグレインに子供の名前をゴルロースにしようと提案して断られたのはまた別のお話であった。

 

 

 

第三の目曰く、ゴルロースによる反乱はウーサー王側の勝利で幕を閉じた。この反乱は明確にブリテンを二つに割り、日和見を許さぬ断固たる反乱であった。

 

結果、それまで混在していた派閥闘争は形を潜め、ウーサー王に忠義を誓う者と、ウーサー王への不満を抱く者達の陣営へと分別された。

 

そして、勝者となったウーサー王陣営にとって国内の情勢は極めて単純な構造へと姿を変えていたのである。

 

戦争の経過に伴い、莫大な費用が必要となり各地で農民や地方民の困窮が促進された。一方、中央に近い市民にとっても補給がティンタジェル公軍により遮断されたために、その日の食事にも困る状況に陥っていた。

 

終戦により、勝者となったウーサー王は敗者から文字通り根こそぎ奪い取り、生き残った自陣営の者達へと惜しみなく与えた。

 

それまでの旧来の派閥が溜め込んだものは勿論、サクソン人傭兵や他の流浪騎士からも、徹底的に失われた戦費を補填するために資産を拾い集めた。王の金策が相なることとなり、国内は比較的広大な土地を持つ有力者が何体と倒れた代わりに、広大な土地を持つ王直下の騎士の台頭による、より時間的に迅速な対応が可能な中枢との管を手に入れた。

 

また、ティンタジェル公領の存続をイグレインが放棄したために、莫大な遺産はキャメロットに運ばれて様々な復興と防備強化のために生かされた。

 

そして、ウーサー王の命令により周辺地域に対して大々的なことのあらましが伝えられた。

 

ブリテンの紛争に関して、当時の書簡が伝えるところに曰く以下の通りである。

 

「ウーサー王はティンタジェル公の細君たるイグレインへと求愛したが、これを断られたことにより逆上した。ウーサー王から守るべくティンタジェル公ゴルロースはイグレインを尖塔へ匿った。しかし、怒り狂ったウーサーはティンタジェル公と戦端を開き、そして公を討ち取り、イグレインを我ものとした。だが、国内の混乱に託けてサクソン人による侵攻を受けたため、これを撃退した」

 

このことに対して、広報を担ったブリトン人達は疑問を挟まなかったものの、余り効果が期待できるものではないことは明らかな内容であった。

 

しかし、一方で王は国内に向けてこのようなお触れを出した。

 

「サクソン人達はティンタジェル公ゴルロースを脅してブリテンを掠奪した。ゴルロースはイグレインを守るために尖塔へと彼女を匿い、自身は人質としてサクソン人の手中に身を置いた。そして決戦の日、ゴルロースは見せしめとしてウーサー王に無謀な戦いを挑ませられ、そして討たれた。ウーサー王はゴルロース公を唆した多数の貴族や領主を罰したが、これは全てサクソン人の手先であった」

 

二つの触れの内、後世に残ったのは前者だけだ。

 

だが、時を生きるブリトン人達の多くは後者により強い影響を受けた。それは一つの巨大な連帯感としてブリテンという国を、極めて強引な手段によってではあるが、確かに一つのまとまりある集団としてウーサーの王権へと帰属させることに成功した。

 

ブリテンの紛争へと介入したサクソン人部隊の存在は、ブリトン人達にとってサクソン人こそが共通の敵であるという共通認識を与えるのに十分であった。

 

ブリトン人達は、同族同士で争わないという盟約を村単位から街単位、そして国単位で、期限付きとは言えども結び始めた。ブリテンは、ウーサーの治世から十と数年が経つ頃になって、初めて静かな年越しを経験した。

 

 

 

 

 

そして、激動の年が去った翌年の暮れに一人の赤児が生まれた。

 

 

 

 

 

赤児はモルガンと名付けられた。

 




これでやっと序章はおしまい。いままでで一番しんどかった。でも、僕がしんどいだけなので、楽をして寝取るという選択をとるよりも中性子星の重さの億乗倍ましです。明日は休みます。では、また。
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