B7 偶稀、代償、結縁 (中)
第三の目曰く、再会を祝う饗応を通してアマロの顔は沈んでいた。ヴィヴィアンのことを忘れた訳ではなかった。しかし、彼の中には深い葛藤と、モルガンを求める衝動とも呼べるものが、複雑に混じり合い、荒れ狂っていた。
心ここに在らずのアマロの様子に対して、ヴィヴィアンは劇場的な変幻を用いて応えた。彼女が指を鳴らせば、辺りは突然に光を失い漆黒の闇に沈んだ。瞬く間もない周囲の変化に、アマロは目をパチクリとさせたが、ヴィヴィアンが居なくなった訳ではないという親近感を嗅ぎ取り、一脚残された、自分が座っている椅子で静かに待つことにした。
空虚には静寂ばかりが満ちていた。あまりにも静かなそこは、言葉で表せない安心感と共に、澱んで重たい空気が身に纏わりつくようであった。
椅子に腰掛けて、ただ待つうちに、アマロは眠気を催し始めた。それは異なることであった。本来ならば、彼が眠気を感じることなどあり得ないからだ。眠ろうという意志がなければ、アマロには睡眠も必要がない。
だが、この時のアマロには確かに眠気が存在しており、その勢いは徐々に抗い難くなり、遂には微睡の中へと沈んだ。意識の沈入に合わせて、アマロの肉体は脱力していった。椅子に深く腰掛けていたアマロの体が漆黒の水底に横たわりそうになった寸前に、その身を包むように抱き止める者があった。
しなやかな芯を備えた豊かな肉体でアマロを抱き止めたのは、他ならぬ宮殿の主人ヴィヴィアンであった。
ヴィヴィアンはアマロには語りかけて曰く
「アマロ、貴方は束の間休むべきです。」
「アマロ、貴方は貴方を蔑ろにし過ぎています。」
「アマロ、貴方には貴方の中で暴れるその葛藤を、ゆっくりと宥めるための時間が必要です。」
アマロの寝顔は苦悩を隠していなかった。悩ましい表情は、それだけでも耽美の極みであったが、その美しさは断じてアマロ自身の本領とは呼び難いものであった。眉間には皺が寄っていた。僅かに冷や汗も噴いていた。
ヴィヴィアンはアマロの頭を撫でた。眉間の皺を、眠っている間に解きほぐすように弄ってやる。皺は解れたが、代わりに口許が、うにゅうにゅと不機嫌そうに波打った。ヴィヴィアンは魔法の扱いにかけては、かの大魔法使いマーリンにも勝る。しかし、だからといってアマロなる玉体に敵うとも、抗うとも豪語できる道理はなく、案の定、その美貌に魅了されていた。
眠らせたはいいのだが、寧ろそのことで純真な中に我儘が垣間見える小悪魔な寝顔が爆誕してしまった。しまった…とヴィヴィアンが思うより先に、尊顔に心の臓を鷲掴みにされるだけならまだしも、如何やらこの泉の精から母性を引っ張り出してしまったらしい。
泉の精ことヴィヴィアンは、先刻、誰も見ていない所で叙事詩的な諫言を独りごちた。無論、それらは心の底からの深慮から来るものだったのだが、彼女の案外にアマロから魅了された今となっては、それが足枷となった。
あれだけの、ソレっぽい、カッコいい台詞を吐いたにもかかわらずアマロの旅路を強引に引き止める事は、アマロがヴィヴィアンを謗る事はなくとも、格好つけて独りごちたヴィヴィアン自身が、その羞恥心と高潔故に認められないものであった。矜持の埒外を優先する事は容易い、しかし、ヴィヴィアンは矜持も恋路も両方とも欲してやまない欲張りな精であった。
果たしてヴィヴィアンは、眠るアマロの尊顔を愛でながらも、如何にすればそれとなくアマロの旅路を邪魔せずに、尚且つ己がアマロへの想いを成就させ得るのかについて頭を悩ませるのだった。
眠りの中、アマロは所謂夢とやらの中で揺蕩っていた。姿形などはないが、浮上した意識にはアマロという自覚があった。
浮遊する意識をゆらゆらと靡かせながら、アマロは何時の間にか自身がヴィヴィアンの宮殿の、その漆黒の水底からは別の何処かにいる事に気がついた。
そこは、先ほどの暗黒とは全く異なる、青空に白い雲まで見える明るくて爽やかな空間であった。何事か、よく分からぬままにアマロは地平線まで見渡せようかと言う広大な草原を無心で進んでいった。
太陽が沈むまで、休みなく歩き続けても疲れは無かった。果てもなし。星空もまったくそれらしい出来栄えであった。現の事象とは到底思えなかったが、理性が、しかし幻にしては出来過ぎであると問いかけた。
草原で仰向けに寝そべると、アマロは眠くもない眼を擦り擦り、夜空に浮かぶ月を眺め続けた。
日の出と共に、アマロは立ち上がった。日が沈むまで歩いて、月が昇れば草原で横になって月光浴に勤しんだ。何度も何度もアマロは繰り返した。
平原は音だけを忘れてきたかの様に静寂と共に緑の盛衰の始終をアマロに見届けさせた。初めこそ違和感に悩んでいたアマロだったが、いつの間にか何も思わなくなっていた。
誰か人を探そう。いつの間にやら小高い丘へと地形を変えていた平原の真ん中で寝そべっていると、そんな思考がふつりふつりと頭をもたげた。だが、体がすぐさまに動くわけでもなかった。心の片隅で、初めから独りで居る方が楽だと言ってくる自分もいたからだ。
アマロの行動というのは、自他共に認める様に、何の秩序がある訳でもなし。しかし、最終的には決して無意味にはならないのだ、無意味にはさせないのだ、という願望とも意地とも呼べる意志が根底にある。
とはいえ、無意味だから棄てるだという訳でもない。アマロに歯切れの良さを求める事はお門違いであろう。天性の欲張りでもなければ、いつまで経っても終わりがこない永遠に気狂いになっていてもおかしくはないのだから。だからといって、アマロを人間の枠で考えるのもまたおかしな話だったが…いずれにしろ、分かりやすい答えなど持ち合わせようがなかった。
常に何処かに、何時かの胸の奥に後引くような余韻が居座っている。
何のために生きているんだろう。何を遺したところで最後は自分独りきりになることは分かりきっているのに。帰る場所もなければ、行き着く先もないのだ。宇宙が全く無くなったとしたら、そしたら自分は居なくなるのだろうか。ゴルロースみたいに、光の粒にでもなって死ねるのだろうか。或いは、腐った肉に変わり果てて、宇宙の塵に取って代わられるまで漂い続けるのだろうか。
「ブラフマーだって宇宙を創ったけれど、あの時も死にはしなかったしなぁ。そもそも、私の方が先に生まれていたのだから当然か…。」
詮なき事をぶつぶつと口に出していた。久方ぶりに出した割には、随分と明瞭に聞こえる声であった。アマロの言葉に応えるものは誰もいない。アマロの声を聴くものは誰もいない。
自分の死というものを考えなかった日はない。死んだ後、何処へ行くのか。死んだら、先に逝った彼や彼女に逢えるのか。
「死んでから再会する…っていうのは違う気がするんだよなぁ。」
首を傾げながらアマロは独言る。
「先のことなんて分からないけど、昔からずっとそんな気がする。何となく、生きてるうちにまた逢えるのかも。それが何時になるのか…は、わからないけれど…」
遥か昔に最初に見届けた誰か。遥か彼方で最後に見届けた誰か。彼との、彼女との間に育んだ時間こそがアマロの全てだ。
彼と、彼女との別離に勝る苦痛は無い。だが、その苦痛が単なる苦痛に留まるとは考えられなかった。
きっと必ず再会する。
矛盾だらけの言葉だったが、見届けるたびに感じてきた。今の今までずっと変わらない事だった。何処までも感覚的で、論拠を提示のしようがないものだった。だが、強ちにも間違う事はない様な気がするのだ。そして、確かに実現するだろう。
とは言え、アマロには今こそが全てである。終わることがないのだから、不貞寝しようが、自殺を試みようが、そんなことには既に飽々としている。いや、寧ろ初めから試みる気などない稀有な存在ではあったのだが。
草っ原で寝転がったまま、数百数千の太陽と月を見送る。アマロはこの間、呆けたように静寂な原野に一人で過ごしていた。
時には一念発起して何ヶ月分もの距離を休みなく歩くなり、走るなりしてみたのだが、残念ながら人っ子一人はおろか、虫の一匹もいなかった。
疲れはしないが、何となく物草になったアマロはごろりごろりと二転三転。青臭くもない無機質な野っ原に芝まみれで思考に耽ることにした。
出来ることといえばそれだけだった。そして、それこそが今のアマロには何よりも必要なことだった。
第三の目曰く、アマロはモルガンの誕生を心からの喜びと、心からの贖罪の念で受け止めていた。
心からの喜びは、娘の誕生に対する純粋な愛おしさからくる感情であった。
対して心からの贖罪は、娘の誕生の影で死んだゴルロースの死を未だに受け止めきれていない、ゴルロースの生と死を自らが明確に左右してしまったことへの、重苦しい罪悪感からくる感情であった。
だが、単に生と死を左右することなど、アマロの全生を通して数えれば文字通り星の数ほど在るだろう。その度に、アマロもまた全身全霊を懸命して自らの伴侶の傍に寄り添い続けた。例え、その先に毒があろうと、槍があろうと、火があろうと関係がなかった。屍を踏み越えることに関して、アマロとて一角の覚悟を持ち合わせている。誰よりも孤独な結末を背負いながらも、その運命を敢えて真正面から受け止め続けているアマロの生き様こそ、その究極の証左である。
星の数ほどの人の死を前にしても、アマロはそれでも立ち止まる事はしない。いやだからこそ立ち止まらない。立ち止まることなどできないからであり、他ならぬアマロ自身が立ち止まる事をよしとしない。アマロは自らを過大評価しない。何処までも愚鈍で、一人では生きてなどいけない。軟弱で、取り柄など人柄と見て呉れくらいだろうか。人に寄り掛からなければ生きていけない。だからこそ、自分を背負ってくれた誰かのために全てを捧げる覚悟があった。それでも自分という重石で誰かの人生の多くを埋めてしまうのだから、到底釣り合いようがないことも理解していたが…しかし世の中は広い。そんなどうしようもないアマロでも、否、そんなアマロだからこそ愛してくれる奇特な者も存在するのだ。
アマロはそんな誰かの為だけに生きることを矜持としている。そこに二心はなく、また違えた試しもない。アマロはこれからもその覚悟の通りに生きていくだろう。自らの獲得者の為だけに生きる。それ以外には目もくれずに、ただ貴方だけに全てを捧げる。貴方との最初から最後までを見届けて。
だが、それでも、永年の時代を生きるうちに、大きく問いかけてくる誰かが現れることがある。
時に出逢うそんな誰かの生き様に問いかけられた時、アマロは堪らない。彼の、彼女のことを想わずには、悼まずにはおられない。激しい衝動は濁流の如くアマロの心中を掻き乱す。その熱を覚えるたびに、皮肉にもアマロは自分が根っからの人間らしいことを思い出すことができた。
自分の生き方を見失う度に、アマロは自分がそれこそ本当に何もない、怠惰で愚鈍なだけの人間の容に納まったような気がするのだ。誰か、何よりも大切に思っている誰か。彼は、彼女は何処かへ行ってしまった。本当に、自分には何も無くなってしまうのだと思い知らされる。
アマロにとって、ゴルロースはどうでもいい存在の筈だったが、それはとんだ誤解だった。アマロは、自分を過大評価する事はない。だが、過小評価することは屡々であった。それを人は謙虚ともいうが、此度は自分自身の愛情深さを見誤っていたのだろう。短い間だったが、アマロにとってゴルロースは実に人間臭い存在だった。そして、その生き様は、確かに強い意志の輝きに満ちていた。
ゴルロースの半生など知りはしなかったが、それでも、嫌なことから必死に逃げたゴルロースの姿がなければ、自らの理想だった気障たらしくも高潔な騎士道を演じ切った騎士ゴルロースの姿は無かっただろう。躓いて、転んで、泥だらけになりながら脇道を進み、その先でゴルロースは何かを掴んだのだ。
正道にもあったかもしれないが、正道にはなかったかもしれない。今、見える景色は何時だってたった一つきりなのだから、ゴルロースは自ら選んで道を進むことができたのだと思えた。
ゴルロースは死んだ。そして、その死には確かな意味があった。ゴルロース自身が意味を見出していた。他ならぬゴルロースが満足して死んでいったのだ。だが、夥しい数の時代の殉死者達の全てが満足を感じていたか、と問われれば甚だ疑問を呈せざるを得ないだろう。
だが、それもまた局所的な視野にすぎない。誰かの救いになる為には、その大切な誰かに倍する誰かを敵に回す可能性を甘んじて受け入れることも時には求められる。望んで傷つけるわけではなくとも、人間を傷つけることに悪意は必要ないのだから。
無論、常に敵に回るかもしれない人の数を減らす努力がなければ、己の選択を問い、己が抱かんと欲する確信を疑い続ける労苦を惜しまぬ覚悟がなければ、そこには救済者たる資格などなく、所詮は、可能性を棄てて極道を迷いなく進む自己に陶酔する確信者にして、最も愚劣かつ下品なる殺戮者に過ぎないのではなかろうか。
意志や願望を貫き通す事は、何処までも、何処までも傲慢の極みである。故に、一度貫き通す事を選んだ者は常に選択を強いられる。何かを捨て、何かを得る。何かを奪い、何かを与える。傲慢であると、不誠実であると、罵られる事を呑み込む覚悟を放棄してはならない。そして、その道を問い続ける事を、時に迷い、時に疑い、時に悩み続ける事を疎んではならない。己が道を平坦なる直道と見做し、苦悩を捨てて直走るが如きは愚の骨頂にして、外道へと通じているやも知れない。
千年同じ道を歩んでも、次の日からは曲がるかも知れない。どんなに歪な道であろうと、自らの道の素直さを確信せず、脇道であれ下り坂であれ、己の道を歩み続けること。
それは、アマロの道もまた同じである。否、誰よりも、アマロの道こそが然りなのだ。
故に、アマロは確信しない。己の選択を時に迷い、時に疑い、時に悩み続けてきた。そして、その道はこれからも続いていくのである。
中空のように浮上した平穏は、他ならぬゴルロースの生と死が描いたものだ。その死には意味がある。束の間とはいえ平穏な世情の下、確かな祝福のもとでイグレインはモルガンを産み落とした。
ゴルロースは死に、イグレインは生き延びた。そして、生きたイグレインはモルガンを産んだ。そして、ゆくゆくはモルガンは騎士の王となるらしかった。
ウーサー王の後継者として、整えられた舞台で、衆人環視に見守られる中で選定者の剣を抜くのだ。そして、モルガンは王になる。ブリテンの王になるのだ。
アマロは、分からなかった。否、なあなあのまま、まるで宿命の様に騎士道の継承者として、群衆に希望として担がれて玉座に収められるモルガンの姿に、言い知れない冷酷を感じてしまったのだ。
産まれたばかりのモルガンを腕に抱いて、アマロが感じたのは安堵と幸福と、そして不安であった。産婆や駆けつけたウーサーの喜びよう凄まじく、彼らが口々に希望の誕生を口にしたのは言うまでもなかった。
富める貴種として産まれ、富める貴種として育まれたからには、その身を養った数多の富まざる者達の献身に対して然るべき責任と義務を負う。
ノブレス・オブリージュなる概念、それは謂わば圧倒的に少数である富める者達が、自らの存在意義を、圧倒的な多数である富まざる者達に対して一種の希望の担保という形で保証するものである、とも解釈できる。
アマロは決して有能でも天才でもない。優れた知能や腕力など持ち合わせてはいない。己の身一つで生きてきた者である。しかし、その生の中で確かに理解できるものがあり、人間は勝手に期待して、勝手に失望する様にできていることもまた、よく理解していた。例えその誰かの背景が如何なるものであれ、時に冷酷無比に、機械的に他者の人生を磨り潰すことが出来るのに、富者も貧者も関係がなかった。
アマロは知っている。人を殺すのに悪意は必要ないのだと。群衆や貴種が決断を下す時、彼らの大半は深刻に懊悩することも、嬉々として断罪することもない。寧ろ、強い意志に便乗する形で、悩む間も無くあっさりと、無思慮に選択してしまうものだ。如何なる結果を招くとも知れずに、目先の成果に拘泥する事は目に見えて愚かだが、選択者からはその愚かさを知ることができない。
故に、アマロは決して自らの選択に確信しない。自らの選んだ道を確信する事は出来ないのである。終わりなき懊悩の中に生きることこそが、アマロが人間として抱く信念なのだから。
腕に抱いた赤子の名はモルガン、この子が果たしてどんな王になるのか、騎士になるのか…どんな風に成長するのか、アマロにはわからなかった。だが、どんな風に育ってもアマロはこの子の傍に居たいと思った。
ふと、顔を上げるとイグレインと目があった。産後だからだろうか、白い顔だ。血の気が引いて、冷や汗で髪が額や頬に張り付いていた。だが、細身のイグレインは外見こそ辛そうだったが、呼吸は落ち着いていた…産婆曰く、稀に見る安産だったらしい。てっきりモルガンを見ているものと考えていたから、アマロは驚いてイグレインと暫し見つめ合っていた。
その時に、イグレインが何と話してくれたのか覚えている。イグレインは言った。
「この子は、ゴルロースが折角用意してくれた平穏な時に生まれたのだから、戦場に出て欲しくないわ。甘いかもしれないけれど、のんびりと育って欲しいわね。」
アマロは自分が何と返したのかも覚えている。アマロは言った。
「うん。そうだね、ゴルロースは騎士道に生きたけれど…モルガンも、騎士道に生きたいと思うかは分からないからね。色んなことを知って、それから自分で決められる様に育ってほしいなぁ。」
イグレインは「そうね。」と応えた。
アマロは、モルガンが騎士道を選んでもいいと思った。モルガンがどんな道を選んでも、アマロはこの子の傍に居るだけだ。けれど、アマロはモルガンに騎士道しか選択肢がないことだけは耐えられそうもなかった。まるで、その為だけに生きることがモルガンの全てになってしまう様に思えて、堪らなく不安になった。
色々なことを知ることがいいことで、一つのことしか分からないことが悪いことではないとアマロは思う。けれど、何も知らないのに選択肢がそれだけなのと、色々な事を知っていて選択肢がそれだけなのとでは全く違うとも思うのだ。
もしも何も知らないままに、たった一つの選択肢しか与えられなくて、選んだ先で心が折れてしまった時に、お前が選んだのだからお前の責任だと詰られてしまったら、きっととても辛いのだ。
自分にはそれしか無いのだから、その道すら貶められて仕舞えば、きっとモルガンは騎士道が嫌いになってしまうだろう。けれど、騎士道以外に知らない彼女は、底なし沼で溺れるような、何をすればいいのかわからないまま苦しみ続けなければならないのではないだろうか。勿論、奮起する強さがモルガンは備えているかも知れないが。
だが、色々な事を知っていれば、選択肢がたった一つしかなくて、その道を選んだ先に心が折れてしまっても、それ以外の道がある事が分かっているのだから、何も知らなくて、細い一本道を恐る恐る渡るよりも、幾つもの交差した大小様々の道の中の一本を通っている方が、気が楽なのではないだろうか。勿論、色々な道を知るが故に、たった一つの道しか選べない自分の境遇に心を痛めるかもしれない。騎士道に適性がなければ、自分の適性を知っていれば知っているほどに、自分の好きなことがなぜ出来ないのだと、なぜ選べないのだと無力さに打ち震えて、悔しくて涙することもあるかもしれない。
前者は何処までも機械的で痛々しく、後者は感情と理性が常に葛藤することだろう。何方がいいのか、と問われればアマロはわからないと正直に答える。だが、後者の方が人間らしくて何分かは好きだとも答えるだろう。だが、モルガンが同様に好きなのかはわからない。だから、娘たるモルガンの父親として、獲得者たるモルガンの伴侶として、エゴだとわかっていても、彼女を騎士の王としての宿命に、剰え人為の名の下に沈めることなど許容できなかった。
アマロの真の贖罪とは、妖精達の囁きを狸寝入りで見逃したことに尽きた。
もしも、色々な事を知ったモルガンが騎士道以外の、他の道を望んだならば、その道を誰も認めようとしなかったならば、アマロはモルガンの為に全てを捨てる心算だった。いつものように、モルガンと二人で旅に出てしまおうと考えていた。
イグレインは、アマロが何も話していなくともアマロの考えを悟っていた様だった。
モルガンとの逃避行のための計画を柄にもなく立てていたアマロに、イグレインは脈絡もなく「私のことも連れて行ってね。」と言った。
アマロが「どうしてわかったの?」と問うと、イグレインは「貴方、顔に全部出ているわよ。」と答えた。
それ以来、イグレインとアマロは屢々、モルガンの将来について意見を交わした。このままでは娘が戦場に立つのだと考えると、アマロは気が気ではなかった。いや、いつものことだが我が子が得体の知れない、顔のない群衆から据物にされると思うと、こればかりは流石のアマロも虫唾が走る思いであった。浮世抜けした思考のアマロだが、そんなアマロなりに必死に考えて導き出した結果だった。
アマロもイグレインも、モルガンが平穏に育つためには、何とかして王城の外に連れ出すことが必要だと考えていた。何はともあれ、モルガンを王城の外に連れ出せなければどうしようもなかった。
厳重に警備された王城の中から出れないまま、アマロはその夜を迎えた。
深い夜、窓辺から響く妖精の葉叩きでアマロは目を覚ました。薄らと瞳を開けてみれば、モルガンの入った揺籠が宙に浮いていた。あっ!と声を出しそうになって、アマロは喉を締めた。そして、ぐっと瞳を閉じて、ただ静かにしていた。
暫くして、葉叩きが遠くに溶けてから瞳を開ければ、そこにはモルガンの姿は最初からなかった様に消えていた。
出来心ではなかった。「あぁ、今しかないな。」という漠然と、解決の糸口を見つけた様な心地だった。きっと、イグレインも自分も辛いことになるが、だからといって王城の外に伝のない二人だ。マーリンにでも頼まない限りはモルガンを城の外には出せなかった。そして、そのマーリンがモルガンを騎士の王にしたがっているのだから頼めるはずもない。
マーリンもまた確かな獲得者であるにもかかわらず、アマロはマーリンの目的に殉じることは出来なかった。いや、殉じることに否があるわけでは断じてない。ただ、自分自身の身の振り方も選べない我が子の運命を、その始まりから終わりまで決めてしまうなんて、そんなことはアマロの生き方に反するものだった。
アマロは、自らが寄り添い尽くすと覚悟を決めた誰かの伴侶となり、彼の、彼女の歩く道を、愚直なまでに伴に歩む存在だ。片時も離れず、片時も裏切らず、彼の、彼女の選んだ道を誰よりも信じて伴に歩む。いや最早信じる信じないの域ではないのだろう。正しいか正しくないのかではない。互いに互いの生の全てを受け入れて、過ちも痛苦も伴に被る。真に世界を敵に回しても尚、アマロだけは彼の、彼女の隣で笑っていると断言できる。
そして、当のアマロすらも理解していないが、その生き方は一種の致命にまで到達している。というのも、アマロはその存在そのものが絶対的な真実性を帯びており、言うなれば流動的で暫定的な事実しか存在してはいけない霊長史に対して、唯一絶対の真実の審判が可能な存在なのである。
…何故ならば、アマロは最古から最新まで、常に当事者、時人で在り続けているからである。
即ち、汎人類史そのモノに対する致命的な絶対性を有する唯一の存在なのである。しかし、無論アマロにその自覚はなく。常に、鼻先三寸のみみっちい、人間臭い葛藤と自問自答で頭を悩ませている為にその凶悪性は事実上封印されている。一個人の言行が絶対性を持つことは本来ならばあり得ない話であるが、もしもアマロが自覚を持って実行したならば、その発言が虚偽でない限り、修正力を抹殺しつつ空間が歪むことだろう。
さて、この様な背景をも有するが故に、アマロはその生き方を、その矜持を撫で切りにするような真似だけは出来なかった。そこに、マーリンへの恨みや悪意などあろうはずも無く、ただモルガンの事を考えての一心であった。
しかし、結果としてアマロは拭い難い贖罪の念を抱くに至ったのである。恐らく、マーリンはことの真相を知ったとしても、アマロに大事がなければ全てが些事であると断ずることだろう。或いは、万事は妖精による犯行であると断定するかもしれない。何にせよ、アマロが告白したからと言ってアマロが不利益を被ることはない。
だが、アマロは告白するよりも、自らモルガンを探し出す事を選んだ。果たして、自らの選択が正しかったのか、誤ったのか…その真偽を確かめることも無論ないわけではないが、それはあくまでも次いでであり、真に求めたのはモルガンとの今後の身の振り方を決めることであった。
そのためにも、先ずはモルガンを見つけなければならない。我が子は我が身の半身であると思って譲らないアマロにとって、優先順位の遵守は数少ない絶対であり、我が子の幸福は己の矜持にも勝るものであった。
一時的とはいえ…矜持に勝ったという理由のみで、マーリンの傍を離れ、モルガンとの別離を涙を呑んで耐えた訳ではない。しかしそれは、アマロを求める狂おしい程の運命がアマロの元へと誘われ、またアマロを誘ったが故であり、その運命の主もまた獲得者としての格を偶稀にも有しているからであったが、その事を知るものはいない。
第三の目曰く、アマロの目覚めはヴィヴィアンが妙案を思いついたのとほぼ同時刻であった。
夢から覚めるのは突然であり、閃きも突然である。
目覚めたアマロは視界の霞が取れるまで惚けたように、自らを抱きながらうぬうぬと悩ましげに唸るヴィヴィアンの顔を見つめていた。
アマロは言った。
「ヴィヴィアン…どうしたの?」
ヴィヴィアンはこれに応えて曰く。
「あら、起きたのですね。随分と長い間眠ってらしたのですよ。」
これに対して「腕が疲れなかった?そこらへんに転がしておいてくれてもよかったのに…でも、ありがとう。お陰でよく眠れたよ。」とアマロは感謝を伝えた。
ヴィヴィアンは微笑んで曰く「それは何よりです。それと…いい夢は見られましたか?」
アマロも微笑んで応えて曰く「うん…少し大変だったけど、それでも私には必要な…いい夢だったよ。」
起き上がったアマロを、ヴィヴィアンは自身が先ほどまで座っていた寝椅子に腰掛けさせると、自らは立ち上がり、居住まいを正してから閃きを披露した。
ヴィヴィアンは得意げな顔で問うて曰く「さて、夢からも醒めたことですし、アマロ様にはこれからの事を教えていただきたいのです。」
アマロは疑問を顔に浮かべたが、直ぐに合点がいった様子で答えた。
「私は今まで通りにモルガンを探しに行くつもりだよ。本当は、ここに来たのも彼女の行方の手掛かりが在りはしないかと考えて来たんだ。」
ヴィヴィアンはこれに対して益々得意げな顔になった。瑞々しい唇にご機嫌な弧を描いたまま、ヴィヴィアンはアマロの耳に囁くように言った。
「あら、アマロ様は大層運が良い。私、ヴィヴィアンは貴方様の尋ね人の行方を、よくよく存じておりますとも。」
吉報にアマロは顔を喜色で満たした。「本当かい!」と澄み透った軽妙な声で歓喜を表したアマロは、得意げなヴィヴィアンの両肩を齧り付くように抑えると、額を合わせるような親密さで我が子の行方を乞い問うた。
「ヴィヴィアン!私の娘は、モルガンは今何処に居るんだい?私があの子に会うには、どうすればいいんだい?どうか、教えて貰えないだろうか。」
ヴィヴィアンは強調するまでもなく目と鼻の先にあるアマロの極美顔を前に、両鼻から血を噴出させつつ神妙につくった顔で応えた。
「貴方様の尋ね人を探し出す事は簡単な事です。しかし、尋ね人であるモルガン様を妖精達から取り返す事は大変に難儀なことでございます。」
ヴィヴィアンが如何にも困難であるという表情で言うとアマロは青くなり、それから愕然とした表情で抱いていたヴィヴィアンの肩から手を離した。
「あっ…手が…顔も離れて…勿体ない事をしましたね…」
ヴィヴィアンが低い声で落胆した気がするが、それは気のせいだろう。アマロはそれどころではなかった。
「そっか…それは、そうだね。難しいことだよ、でもせめて、せめて居場所だけでも教えてくれないかな?私が行くから。場所を教えてもらえれば、そこからは君の手を煩わせないから。」
アマロは笑みを消すと、キリリと締まった覚悟を決めた雄の表情に変えて言った。ヴィヴィアンは心の中で「残りは泣いてる顔も見れればもう言うことなしですね。」と言ったが、そのことをおくびにも出さずに、今度はしなをつくってアマロに自分から抱きついた。
「よよよよ…嗚呼、お労わしやアマロ様…そのような悲しい事を仰らないでください…このヴィヴィアンにお任せあれ!私の魔法を使えばアマロ様の願いも叶えることが出来るでしょう。」
悲しみに咽びガックリと俯いた所からガラリと変わり、出来る女の表情を貼り付けたヴィヴィアンが言った。単純なアマロは「ヴィヴィアンは多才なんだね!」と驚き半分、興奮半分でヴィヴィアンを眩しい視線で見つめていた。
しかし、再び不甲斐なさそうな表情に戻ってヴィヴィアンが言った。
「しかし…その為には魔法を使うために引き換えとなる代償を払っていただかなばなりません。このような事を言うのは心苦しいのですが…」
これといって代償など必要ないのだが、言うだけ言ってみたヴィヴィアンだった。しかし、アマロは真剣な表情で迫り、応じた。
「私にできることならなんでもするよ。」
なんでもするよ。
なんでもするよ。
なんでもするよ。
ヴィヴィアンの脳髄に…妖精に脳髄があるのかわからないが…永遠に聴かせて欲しいくらいに甘美な痺れが走った。
「誠ですの?」
予想の斜め上を行く…と言いたいところだが心の何処かで期待していた言葉に興奮を隠せていないヴィヴィアン。既に彼女の中で形作っていた泉の精像が崩壊していることに当人も気がついていなかった。目の前にぶら下げられた美肉に、猟犬ヴィヴィアンは夢中だった。。
「誠だよ。」
対して、この男も負けていない。明らかに文脈から言って頓珍漢な問いかけに対しても常に誠心誠意、文字通り誠実に応じてしまっている。この時に限らず、いつものことだが、アマロは自分から身を差し出してしまったと言っていいだろう。
端的に言えば、言質である。
「それなら話は早いですね。さぁ、こちらへ。」
雫を降り散らすような、そんな爽やかで瑞々しい笑顔のヴィヴィアンがアマロを手招く。招き入れようとしている先は寝室である。客人として入れば、その晩は水底の寝台で柔らかな灯火に見守られて幻想的な眠りを味わえたかも知れないが、残念ながら同じ客人身分とはいえアマロは寝かせてもらえないだろう。いや、端から眠らなくてもいいのだが。
「本当かい?さぁ、何でも言っておくれ。私に出来ることならなんでもしよう。私にあげられるものならなんでも差し上げよう。…とは言っても、差し上げられるものなんかこの身体くらいしかないのだけれどね…」
てくてく、と擬音がしそうなほど軽い足取りでヴィヴィアンの手招きにほいほい着いていくアマロの危機管理能力は生娘以下である。しかし、あまりにも無邪気だといっても、やはりこの漢にソッチ方面で隙は無かった。彼は本心から何を頼まれても拒みませんよという意思表示のためだったが、さり気なく上着を肌蹴て見せた所為でヴィヴィアンの方が先に限界を迎えた。
「……ソレ、ですわ。ソレが、欲しいんですわ。ですから、この身体くらいとかって言わないで下さいましッ!」
水中なのに暑苦しさを感じるくらいの剣幕でヴィヴィアンは叫んだ。心なしか、口調がお嬢様に変わっている。本人も気づいていない。無論、アマロも気にしていない。
豹変振りはさておき、肩で息をするヴィヴィアンを束の間、じいい、と見つめていたアマロだったが、ようやっと合点が入ったと頬を綻ばせると、何を思ったか上着を脱ぎ捨てた。
「キャァァァァア!!破廉恥ですの!ご褒美ですの!?」
ヴィヴィアンは絶叫した。両手で顔を隠しているが、指の隙間から焼き付けるように直視していた。
焦るヴィヴィアンを他所に、朗らかな笑みを浮かべたアマロは下着も含めてスッキリ脱ぎ捨ててしまうと、ヴィヴィアンを横抱きにした。
「ななな、なな、何を!?」
茹でたビーツの様に真っ赤になったヴィヴィアンに、アマロは言った。
「ヴィヴィアン…安心して。アレクが言っていたよ?*チョメチョメチョメ*は愛情のコミュニケーションだから恥ずかしがる事はないんだって。君が私に折角求めてくれたんだ、私が拒むことなんてないよ。寧ろ、喜んで君に抱かれよう。」
それで納得すると?ヴィヴィアンはアマロの独特の貞操観念を聴き真顔になった。言うまでもないが受け売りであり、アマロの貞操観念とはまた別物なのだが。
「いえ、アマロ様は納得しそうですね…。」
疲れが見える真顔から、覚悟を決めた雌の顔に変わったヴィヴィアンが言った。
「ねぇ、ヴィヴィアン…流石に私の身体だけじゃあ釣り合いが取れないと思うから、だから後で何かで埋め合わせをさせてくれないかな?」
アマロに耳があれば垂れていることだろう。力不足を嘆くばかりの表情で、云々と宣っているが、ヴィヴィアンからすればとんでもない話である。しかし、断らないでおく。なぜならば我慢できないから。
「えぇ、お任せしますわ。はぁ、まさかこのような形に落ち着くとは…こんな風に導いてしまわれるのは…」
アマロ様だけだと思いますけれど…。そんな言葉を喉で堰き止めたヴィヴィアンは、相変わらず緊張感のない、寧ろ子供の様にウキウキとした様子のアマロに身を委ねると、水底の寝室に浮かぶ灯火を吹き消した。
皆さま熱中症に気をつけて。ではまた、もんなみはー。