B09風邪
第三の目曰く、時に前ティンタジェル公ゴルロースの死から五年と数ヶ月の月日が流れていた。
場所はグラストンベリー郊外の何処か。丘を下り少し歩けば何処までも続くような草原は色褪せるように途切れていた。
代わりに現れたのは剥き出しの大地だ。雨が降り続くこと数週間。其処には未だ濃い雨の臭いが屯していた。今年の麦の収穫は終わっていたとはいえ、もしも少し時期がずれていれば不作に喘ぐことになっているところであった。
重たい空気が纏わりつく体を動かして、泥濘の大地に訪ねる者がいた。男がここへ来るのは二度目だ。
一度目は騎士の約束の為。
二度目は故人を悼む為。
花も、酒も、歌も持ってはいなかった。だが、その腕の中には居眠りをする幼児を抱えていた。雨が止んだのを頃合いにその者はここへ足を運んだ。
立ち尽くしていた者は緩慢な動きで泥に膝をつけると言った。
「久しいなゴルロース。今日は少し会わせたい者がいてな。これはモルガンと言う。貴様の娘でもある。イグレインの良いところだけ貰ったような娘だ。」
その者は腕の中で身動ぎ為ずに眠る幼児を見せて遣るように優しく揺すった。幼児…モルガンがむずがり不満げに鼻にかかったか細い声が漏れた。
「まぁ…お互いに知らぬままだろうが、せめて一度は会わせておこうと思ってな。実の所は何の問題もないのに、変に出自に疑問を持たれても厄介なだけだ。眠っているうちに会ったことにしてくれ。すまんな。」
その者は立ち上がると、膝の泥を払うことなくその場を後にした。少し歩くと立ち止まり、遠くを望む。そして溜息を吐き、暫しの間頼りなさげに立ち尽くした。
その者は腰に剣を佩く男だった。人は彼をブリテン騎士達の王と呼んだ。名前をウーサー・ペンドラゴンと言った。齢は四十に届くだろうか。顔には濃い髭が蓄えられており貫禄は中々のものがあった。
ウーサーが抱いていたのは聞くところに次期王候補とされているモルガンだ。赤子だった彼女は五歳程に成長していた。まだ幼児と呼べる齢にも関わらず、その美しさは母親イグレインの面影を強く感じさせた。
ウーサーは暫し、泥の原で立ち尽くし拠り所なく辺りを眺めていたが冷たい風に煽られると踵を返した。戦場を俯瞰できる丘。そこに立つ木々の中の一本に留めておいた馬の元に待つ者がいた。
ウーサーの帰還と共に、幼児モルガンは彼女を待つ者の腕の中に返された。モルガンを抱きあげた者がウーサーに言った。
「ウーサー、君が珍しいことをお願いするものだから驚いたよ。それで、君もゴルロースに会えたのかい?」
アマロと呼ばれる美しい男はウーサーに問うた。互いに気心の知れた仲とでも言うのが良いか。屈託なく問われたウーサーは至極穏やかに答えた。
伏し目がちに髭を二度三度摘んでは離してからウーサーが言った。
「いいや、会えなんだ。魔法でも使えば死んだ者にも会えるのだろうが。」
ウーサーの言葉にアマロは目を細め「全くその通り」と答えた。ウーサーはそれに一つ頷くともう一度だけ振り返り泥の原を眺めた。束の間、感傷的な弱さがウーサーの眦に浮かんだ。
「さぁ、城へ帰ろう。イグレインに無理をするなと叱られる前に。勝手にモルガンを連れてきたからな。」とウーサーが言った。
掛け声に応えて従者達は馬に飛び乗った。モルガンを抱いたアマロを乗せた馬車もゆっくりと動き出した。
城に着いた一行は乾いて明るい衣からすっかり濃紺で鈍重な有様だ。泥跳ねで汚れた人と馬の手脚。おまけに、幌の着いた馬車に乗っていたアマロとモルガン以外はマントも服も濡れ鼠だった。
泥の原を発って間も無く土砂降りの雨が走り去ったためだ。ウーサーは従者に馬車へ移るように言われたが頑なに拒んだ。
欠員も事故もなく、しかし雨上がりで夜のような曇天に見守られて一行は城下静かな王城キャメロットへと帰還した。
第三の目曰く、旅を終えて間も無くしてウーサー・ペンドラゴンは高熱を発して危篤状態に陥った。
突然の危篤は宮廷と民心を大いに憂慮させた。前後の行動から、また旅に同行した従者らが誰一人身を病んでいない点から人々は元ティンタジェル公ゴルロースの呪いであると口々に言った。
ウーサーの倒れたその日、天は前日の不機嫌を忘れたのか見事に澄み渡る秋晴れであった。
呪いじゃない。風邪を引いたのだ。
これ以上の「晴れ」の如何は皆さまの解釈の自由です。蛇足でした。