エクトルは真横を歩くケイの腰に佩かれている剣が宿で分かれた時の物とは別物になっていることに気が付いた。
不思議に思いエクトルはケイに尋ねた。
「ケイよ、お前の剣は確かそれほど肉厚でも、華美でもなかったと思うのだが。」
エクトルの言葉を受けてケイは馬上で揺られていた時のように肩を石のように固くして立ち止まった。
挙動不審のケイが口元を歪めて全く隠し事に向かない顔で言った。
「ち、父上、これは私が持ってきた予備の剣ですよ。先ほど骨のある騎士と意気投合しまして、それで一つ手合わせを試みたのですが見ての通り…剣が折れてしまい…。」
ケイは言葉を切ると目をぎゅっと締めるように閉じて言った。
「申し訳ありません。父上より預かった騎士の剣をダメにしてしまいました…。」
対してエクトルは全く怒る様子がない。口が達者で斜に構えた様な嫌いのあるケイが頭を深く下げて詫びる相手は父エクトルくらいである。
自身の後継に選ぶのだからと、ケイが教会に逃げ込むほど手厳しく騎士の礼節や剣術を指南したエクトルにはケイと言えども舌が回らない。
沈黙。ケイは顔を上げずに怪訝な表情になった。
兎角騎士としてのケイには厳しいあの父が、よりにもよって祭事に浮かれて剣を砕いた息子に雷を落とさないはずがないのである。
しかし、そんな子の気持ちを知らぬエクトルは「顔を上げろ」と言って今度はアルトリアに目を向けた。
エクトルが言った。
「私の記憶が正しければ我が家のどこにもあのような剣はなかったはずなのだ。騎士が戦場で剣を折れば、その替えの剣を用意して置くのは
エクトルが発する言葉に気負いはなかった。だがそのことが余計にエクトルがその処置を当然のものと考えているのだと強調していた。
「もしもアルトリアに嫌われていたらどうしよう。」というケイの心配は杞憂に過ぎないのだが、流石のケイもこの時ばかりはエクトルの言葉が終わるまでに顔が青くなったり白くなったり赤くなったりと大した慌てようであった。
そんな覚悟を腹に据えたエクトルの毅然とした視線に捉えられたアルトリア。彼女はわずかに身を固めたが、もとより嘘など吐くつもりがなく身の重心を改めると正面からエクトルを見つめ返した。
エクトルはアルトリアが十分に弁証できる状態にあると確信し、改めて問うた。
「さて、そうなると替えの剣を持ってきたのはアルトリアだということになる。では聞こう、あの剣はどこから持ってきたものなのだ。」
アルトリアが自身の言葉を発する為に息を吸い込んだ時だった。
甲高い悲鳴と野太い驚嘆の声が上がった。兄妹とエクトルが声の方に顔を向けると貴族がこちらに駆け寄って来た。エクトルの知るものらしく、先行していた一団からここまで知らせに来たのだ。
貴族は慄くように顔面蒼白で言った。
「エクトル殿…剣が、
エクトルは兄妹に目を遣り言った。
「大事が起きた。お前たちもついて来るのだ、駆けるぞ。」
兄妹は健脚な父の後を呆然と追従した。
あたりは騒然としていた。人垣が例の
エクトルは現場に着くなり立ち止まり、呆然として口を開けて立ち尽くしてしまった。
父に遅れてたどり着いた兄妹が立ち止まる間もなく、豪奢な衣装の貴人達が叫び声をあげた。
「これは真のブリテンの王が降臨された証である。」
叫びは次第に波紋を重複させ、気が付けば悲鳴と歓声との混交する渦が出来ていた。混沌とする中で眩暈を覚えたケイが倒れ、それを支えようとしたアルトリアが一緒になって衆目の中心で横倒れになってしまった。「ガララン。」という金属と石畳が打ち合わさる音が周囲に響き渡った。
目を回したケイの腰に抜き身の剣が一振り在り、其れが思いの外盛大に大音量を奏でたのだ。折れた剣の鞘に納めようとして合わず、抜き身のままで佩いたせいかもしれない。
甲高い金属音によって群衆の動揺は静寂に転じた。
異様な静けさに支配される中、貴族の一人がケイの腰に佩かれた剣を指して声を上げた。
「あの剣は…あの剣こそが
貴族の声は半信半疑といった具合だったが、その周囲の人間にとってそれは疑いなき真実に見えた。波紋は再度、今度は異様な興奮に沸き立つ気配で現れた。
貴族は勿論、いつの間にやら見物に集まっていた民までもが声を上げた。
「新しい王の誕生だ。」
「ブリトン人の良き王の誕生だ。」
「救世主が遣わされたのだ。」
口々に自らの不安を払拭するかのような…底抜けに前向きな歓呼が充満していた。周囲に手を引かれて顔の青いケイが貴族のお歴々方の前に引き出された。強引で粗野な扱いに顔を顰めるも、ケイは目の前の貴人達に委縮して顔を引き攣らせた。
貴族の中から幾人かが声をかけた。
「貴殿が腰に佩かれるは
ケイはしどろもどろになった。なにしろ相手の顔は鬼気迫るものがあったり、期待に目を輝かせていたりで生きた心地がしなかったからだ。一人の質問を皮切りに幾人もの貴人から一斉に問われ始めたケイは泡を吹く勢いであった。その上で念を押されるように重ねて聞く者があったり、自分よりもうんと高貴な名家の当主が跪いたかと思えば自分を拝み始める始末。
肩をゆすられ始める段になると、一周回って諦観と混乱の境地から真顔になったケイは為されるがままになり、肩をゆすられる勢いのまま首が上下左右に激しく揺れた。
ケイの頷きを肯定として勝手に解釈した周囲から感嘆の声と悲鳴が上がった。歓声は宮廷に縁遠い地方貴族、悲鳴はモーガンに近い宮廷貴族たちの声であろう。
ざわめきに埋もれながら気絶しそうなケイの耳に誰か貴族の声が届いた。
「さて、誰が引き抜いたのかが分かれば話は早い。疑うお方もいらっしゃるでしょう、故に此方におられる選ばれしお方に今一度剣を戻していただき、それを皆様の前で改めて引き抜いていただけばよいのです。」
謡うように言った貴族に対して、他の一人が噛みつくように言った。
「貴様、そのようなことを言ってもしも偽物であったならばいかがするのか。」
この声に貴族は実に愉快という雰囲気で応えた。
「その時は王権を侮辱した偽物の首を王太子様に献上なさればよろしい。」
ケイの顔はいよいよ蒼白を通り越して紫に届きそうになった。「どうしてこんな目に…。」ケイは彼の苦悩など知らぬ群衆の蠕動に揉まれるようにして円の中心に吐き出された。もはや、逃げ場はなかった。
今にも死にそうな顔のケイが生まれたての小鹿のような足取りで例の剣が差し込まれていたであろう
エクトルが問うた。
「なぜケイがあの剣を腰に佩いておる。あり得ぬとは断言せぬが、もしやケイ自身があの剣を引き抜いたと言うのか。」
アルトリアは首を振り答えた。
「いいえ、兄上は引き抜いていません。触れてすらいません。」
エクトルは目を細めた。眉が吊り上がり、元に戻すとアルトリアの言葉の先を待った。
アルトリアはエクトルの表情を伺い、それから伏し目がちに言った。
「私が引き抜いたのです。」
エクトルは尋ねた。
「何故、引き抜こうと思ったのだ。」
アルトリアは気まずそうに口元を波打たせると、息を溢すように言った。
「兄上が手合わせに興じたのは事実です。広場で力自慢や若い騎士達が技を競っていたのを見かけて通り過ぎようとしたら兄上が他の騎士に誘われたのです。誘いを受けて手合わせに熱中しているうちに石畳に強く打ち付けてしまった所為で剣が砕けました。」
アルトリアは群衆に囲まれるケイの前にある
「兄上に予備の剣を持ってこいと頼まれたので剣を探しに宿に戻ったのですが…兄上はどうやら鞘しか持ってきていなかったようで…槍を渡すわけにもいかず当たりに持ち主のいない剣が無いか探したのです。そうして走り回るうちに目の前にあの
アルトリアは手の平を開いて見つめる素振りをしながら言った。彼女の手の平は乾いていて分厚かった。潰れた
「私は…私も何故
エクトルは瞼を瞬かせながらアルトリアに聞いた。
「あれが
アルトリアは首を傾げて答えた。
「いいえ、滅相もない。私が引き抜けるくらいですから誰にでも引き抜ける剣だと思いました。どうして誰も引き抜かないのか、どうして
自身にもわからないことをこれ以上聞くことは出来まい。エクトルは堰を切って泣き出す寸前の息子のほうに向きなおった。
群衆の中からヤジが飛んだ。
「選ばれし王ならばその剣を今一度引き抜かれよ。さもなくば自ら偽物であると証明することになりますぞ。」
ケイが剣を差し込んで幾らかの時間が経過したが、未だに剣は
脂汗が全身から噴き出していた。剣の柄を掴む手からは既に握力が失われかけ、視界は汗と涙で歪んでいた。そして、ついにケイに限界がやって来た。
ツルりと手から柄が抜けてしまったのである。「あ。」という間の抜けた声と共に、今度は罵声と失笑が爆発した。
誰が呼んだか司祭や貴族の従者が口々に罵詈雑言を投げ始めた。ケイはそれどころではなかったため、何を言われているのか一つも理解できなかったが…。然して、モーガン支持の貴族が上げた過激な声に従って騎士がケイの捕縛に動き始めていた。危機此処に極まれり。
絶体絶命の窮地の中で、縄打たれたケイの背中に声が掛けられた。聞き馴染んだその声は明朗に、かつ群衆を調伏する威を伴っていた。
アルトリアの声は夕暮れの空に
その時、群衆を形成していた人々は一人の例外もなく堂々たる一人の王と拝謁したのだ。
すべての眼がその芯に焼き付ける様に見つめていた。
朱き斜陽に照らされ天を衝く様に掲げられた一振りの宝剣を。
その剣の名を
では、また。もんなみはー!