捧げた時間20年と半分。そのことに後悔はなかった。私は王太子に成るべくしてなった。そして、王に成るべくして私は王に成るのだ。
父王ウーサーの死から三日後には、主要な貴族たちが宮廷に詰め夜を徹しての抜剣、それから戴冠式典のための段取りが執り決められた。
ウーサー王の遺命により、極めて異例ではあったが大幅に簡略化された喪に服すこととなり、不謹慎ながら私は久方ぶりの完全な休日を手に入れた。
騎士の王、そう自分が呼ばれる日が目の前に迫っていた。
「私に最初の名を遺して行かれた貴方は今
漠として思う、貴方は褒めてくれるだろうかと。私の心に安寧と慕わしさの種を蒔いた貴方にどうすれば私のこの想いを伝えることができるのだろうかと。
空を見上げるとそこには曇天が広がっていた。ウーサー王の死が触れ回られるより早く、天はやはり父王の死をご存じであったのだろうと思う。父王が昇られた夜から明けて、天は大いにその清澄なる様を万民を安んじるかの如く顕わにされた。それは見る者にとっては不謹慎にも底抜けに明るい晴天に見えたであろう。またある者にとっては父王の死に嘆き、その死が齎すであろう苦難と混乱に慄く民を慰撫する慈悲の聖光にも見えたであろう。
だが私は希う。かの晴天がただ純粋に父王を讃え、また慰めるものであったことを。父ウーサーの苦労を神が報いられたのだと。
父王の死を悼む間、今日から数日の間ばかりは誰も私の部屋を訪れないことになっていた。
それはつまり誰も私に剣を振るうことを強いず、誰も私に礼節と仕来りと紋章学に関する教授を行わず、また最低限の乳母や侍女を除けば誰一人として私に構わないということだった。
父が死に、ひと月と経たずに私は王と成らなければならなかった。そのことに否はない。
しかし、物心がついてから私に許された愉快というものがどれだけあったのだろうかとも思うのである。
私には純粋に愉快を感じた経験や、心の底から笑ったことがあったのか。私は王と成って、果たして何に楽しみ何を心の支えとすればよいのか。
私の世界は余りにも狭かった。城の中、殊更に礼拝堂と講義室と教練場と私室、それから父を見舞いそして看取った王の寝室以外の世界を私は欠片さえも持ち合わせていなかった。
故に、私はこの数日間を全て城の外で費やすことに決めた。この数日間を経て私の世界は今一度、この窮屈な城の中に舞い戻る。おそらく私が次に王城を出る時は戦争か、あるいは名も知らぬ顔も知らぬ貴人との婚姻のための外遊か、或いは私自身の葬列が門をくぐる時くらいだろう。
いずれにせよ、私はこの身に負う義務を果たさなければならない。何故ならば、
私の狭い世界はその柵から暫し解かれる。
私が目にし、耳にし、口にし、出会うであろうそのどれもが、城の外の民にとっては面白みのない普遍的な経験だろう。
だが、使命の虜である王として、また戦士たる騎士としての私にとってはそのどれもが新鮮な経験になるであろう。もう二度と味わうことの許されない経験になることであろう。
私の決心など、その成果など数に直せば
「けど、城の外に住む人々の食むパンの色さえ知らぬまま私は王になりたくなかった。」
「城の外にいる貴方が何を口にされているのか、今の私には想像することすら許されない。」
「私は貴方と生涯出会うことはないかもしれない。民には何れこの身を晒すことになるけれど、貴方には私が立つ城の影すら届けることが叶わない。」
「この身を神と騎士道に捧げた20年と半分。その間、私を支えたのは貴方がくれた安息の記憶だけだった。私はこれまで積み重ねた思慕と感謝の一言すら貴方に届けられない。」
「もしこのまま届かないとしても、私は私を恨まない。私は私以外の全てをも憎まない。だって、
「父も、騎士も、官僚も、学者も、皆が私をこの道に導いたのだから。この道の先で神が私を報いてくれるのだから。」
「皆が望んだ。私はその度に問い、そして皆が言ったのだ。
「故に私はこの生を、…私はこの生でしか生きる術を知らない。」
王の喪に服すと言っても民の営みまで停滞させることは出来ない。貴種は貴種の、民は民の道理の中で棲み分けがなされている。貴種の非常など、逞しく慎ましやかな境地で暮らす民にとっては遠雷のようなものに違いなかった。遠雷に打たれればまず命はないだろう、だが天に我が身の安寧を確約させることなどできはしない。
関心があっても自分たちが影響できる領分ではないのであれば、日々の糧を得るために身を軋ませる人々がその有限の気力を費やすに足るものでは無いことだけは明白だった。
私の後見に任命された宮廷貴族達が城の食料や酒を安価で放出したらしかった。あけ放たれた城の門の向こうから聞こえる喧騒には軽快な笛の
あからさまな機嫌取りでも民にとっては遠き
ふと私は
近づいていくにつれて、その門は白くて分厚い石で出来ていた。城壁はその威容を尚も巨大に誇るようで私の視界は微かに揺れた。
立ち止まればきっと二度と越えられない。私は腰の肉厚な剣の柄に縋る様に、それを強く按じながら歩みを止めなかった。
「門が口を大きく開けていた。私はその口の中に飛び込んだ。そして、ひんやりとした喉を通り抜けた。」
門をくぐった先で見た世界はあの日見た景色よりもずっと、ずっと広く感じられた。私は顔を上げた、生まれて初めて見る城の外の
果たして、そこには鉛のような鈍く閃く灰色の空が広がっていた。
「ああ、懐かしい。」
「初めて見た筈なのに…いや、何処かで見たのだったか。」
父上は偉大な王であった。それでも、私はウーサーを超える王に成らなければならない。それが私の果たすべき義務であり、私の
伝説上の化け鯨の腹のように鈍重な曇天が私を睥睨していた。
気高き灰色の下で、私は王と成るのだ。
では、また。もんなみはー!